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2019/05/16

東方の傳說 ツルゲエネフ(生田春月訳)

 

     東 方 の 傳 說

 

 誰かバグダツドで宇宙の太陽ヂヤフアルを知らない者があらう?

 何十年も昔のこと、或日ヂヤフアルは(彼はまだ靑年であつた)バグダツドの

郊外をぶらぶら步いてゐた。

 突然嗄(しやが)れた叫び聲が彼の耳に附いた。誰かゞ懸命に助けを呼んでゐるのだ。

 ヂヤフアルは同年配の靑年の中で思慮分別の備(そなは)つてゐるので聞えてゐたか、彼の心は慈悲深く、またその膂力(りよりよく)を恃(たの)んでゐた。

 彼は聲する方へ馳せ附けて、一人の弱々(よわよわ)しい老人が、二人の追剝(おひはぎ)に市(まち)の城壁に壓(お)し附けられてゐるのを見た。

 ヂヤフアルは劍を拔いて、惡漢に飛びかゝつて行き、一人を殺し、他の一人を追つ拂つた。

 かうして救はれた老人に、救つてくれた人の足下に跪(ひざま)づいて、その着物の裾(すそ)に接吻しながら叫んだ、『勇ましい若い衆、貴下のお志(こゝろざし)はきつとお酬いします。私(わし)は見かけこそみすぼらしい乞食だが、それは見かけだけで、私(wし)はたゞの人間ぢやない。明日(あす)の朝早く本市猫場(ほんいちば)にお出でなさい。泉水のところで待つてゐませう。私(わし)の言ふ事をゆめ疑ひなさるな』

 ヂヤフアルは考へた、『成程此人は見かけは乞食だ。然しどんな事だつてあり得るものだ。一つ試(ため)して見よう』それで彼は答へた、『御老人、承知しました、まゐりませう』

 老人は彼の顏をぢつと見て、そして行つてしまつた。

 翌朝、まだ日の出ぬうちに、ヂヤフアルは市場へ出かけた。老人は泉の大理石の窪みに臂を附いて、ちやんと彼を待つてゐた。

 彼は無言のまゝヂヤフアルの手を取つて、高い壁でぐるりと圍まれた小さな園の中へ連れて行つた。

 比の園の眞中(まんなか)の綠の芝生の上には一本の奇妙な樹が生えてゐた。

 それは扁柏(サイプレス)に似てゐたが、たゞその葉は空色をしてゐた。

 三つの果實が――三つの林檎が――上の方に曲つた細い枝になつてゐる。一つは中位の大きさで、長くて、乳白色(にうはくしよく)をしてゐた。二つめのは大きくて、圓くて、鮮紅色(せんこうしよく)をしてゐた。三つめのは小さくて、皺ばんで、黃色がかつてゐた。

 風も無いのに樹はさらさら鳴つてゐた。風鈴のやうな鋭い悲しげな音である。まるで樹がヂヤフアルの來たのを知つてゐるかのやうだ。

『お若(わか)い衆(しう)!』と老人は言つた、『此の林檎の中どれか好きなのを取りなされ。若し白いのを取つて食(た)べれば、貴下(あなた)は人間中で一番賢い人になれる。紅いのを取つて食べると、猶太人口スチヤイルドのやうな金持になれる。また黃色なのを取つて變べれば、お婆さん達に好かれる。さあどつちかに定(き)めなされ! ぐづぐづしてはゐられない。一時間の中に林檎は凋(しぼ)んで、この樹もひとりでにしんとした地の底に沈んでしまふから』

 ヂヤフアルは首(かうべ)を垂れて考へ込んだ。『どうしたものかしら?』と彼は小聲で言つた、自分自身に相談するやうに。『餘り賢くなると多分生きてゐるのが厭(い)やになるだらう。誰よりも金持になると人に嫉(ねた)まれるだらう。さうだ、三つめの

しぼんだ林檎を取つて食べた方がよからう!』

 そこで彼はそのやうにした。すると老人は齒の無い口で笑つて言つた、『賢い若い衆だ! お前は一番いゝのを選んだ! 白い林檎がお前に何の役に立つ? それでなくてもお前はソ口モンよりも賢いのだ。紅い林檎も用はあるまい……それが無くたつて金持にやなれる。たゞお前の富は誰も嫉(ねた)みはしないものだが』

『御老人、話して下さい』とヂヤフアルは昂奮して言つた、『祝福せられたる我が囘教(ケエリフ)王の尊き母君は何處にお出でになりますか?』

 老人は恭しく腰を屈(かゞ)めて、若者にその道を示してやつた。

 誰かバグダツドで、宇宙の太陽、偉大たる、高名なるヂヤフアルを知らない者があらう!

    一八七八年四月

 

東方とは小亞細亞から波斯阿拉比亞[やぶちゃん注:「ペルシヤ」・「アラビア」。]等をさす。アラピアン・ナイトの舞臺になつてゐる土地が東方だと思へばよい。支那は極東だ。】【バクダツド、アラビアン・ナイトでお馴染の土地。囘教王はこの地にゐた。】

太人ロスチヤイルド、有名な世界的大富豪、その家は歐洲各國にまたがつてある。】

ソ口モン、舊約聖書にある玉樣、賢人ダピデ王の子で、賢人である。】

囘教王の母、基督教の聖母マリアに當る。】

[やぶちゃん注:◎「膂力(りよりよく)」現代仮名遣「りょりょく」と読む。本来は背骨の力、そこから、全身の筋骨の力の意となる。

「ヂヤフアル」原文は“Джиаффара”で、ラテン文字表記に直すと“Dzhiaffara”である。この詩のエピソードは「アラビアン・ナイト」第十九話にある「三つの林檎の物語」に想を得ているものと思われ(話は全く異なり、三つの林檎の役割も違うが、リンゴが葛藤のシンボルとして登場する点では共通する)、「ジャッファル」が、その主人公由来であるならば、同じ「アラビアン・ナイト」第九百九十四夜から第九百九十八夜「ジャアファルとバルマク家の最後」に、その悲劇的な最期も描かれているところの、実在したヤフヤー・イブン=ジャアファル(ibn Yahya Ja'far 七六六年?~八〇三年)である。アッバース朝の宰相ヤフヤー・イブン=ハーリドの次男で、父ヤフヤー・兄ファドルとともに、アッバース朝第五代カリフであったハールーン・アッ=ラシードに仕えた人物である。

「扁柏(サイプレス)」球果植物門マツ綱マツ目ヒノキ科ヒノキ亜科イトスギ属 Cupressus のイトスギ類を指す。]

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