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2019/05/17

二つの四行詩 ツルゲエネフ(生田春月訳)

 

    二つの四行詩

 

 昔、一つの町があつた。その町の人達は詩を熱愛してゐたので、何週間も立派た新しい詩が現れないで過ぎると、かやうな詩の不作(ふさく)を公(おほやけ)の不幸と考へた。

 そんな時には、彼等は一番惡い着物を着て、頭に灰をふりかけ、群をなして廣場に集まつて、淚を流して、叡等を見捨てた詩神(ミユウズ)を悲しみ訴へるのであつた。

 或るかうした不幸な日に、靑年詩人のヂユニアスは、悲嘆に暮れてゐる公衆の押し合ひへし合ひしてゐる廣場にやつて來た。

 急ぎ足で彼は此の爲めに造られてゐる高壇(フオーラム)にのぼつて、一つの詩を朗讀したいとの合圖をした。

  係官(リクタア)は直ぐに束桿(フアシイズ)を振廻した。『しツ! 謹聽!』と彼らは聲高く叫んだ。群集は片唾(かたづ)を呑んで靜まり返つた。

『友よ! 同志よ!』とヂユニアスは高いが、然し、あまり落着きのない聲ではじめた――

 

  『友よ! 同志よ 詩神(ミユウズ)を愛する者よ!

   汝等、美と優雅(みやび)とを崇(あが)むる者よ!

   暫しも憂愁(うれひ)に心を惱まさるるなかれ、

   汝等の心の願ひは滿たされん、然して光は暗を逐ひやらん。』

 

 ヂユニアスはやめた……すると彼に應(こた)へて廣場の八方から叱聲(ヒツス)や嘲笑のどよめきが起つた。

 彼に向つた顏は皆憤激に燃え、眼は皆忿怒にきらめき、腕は皆舉げられて、威嚇(ゐかく)の拳(こぶし)を振つた。

 「彼奴(あいつ)、あんなことで我々をごまかさうと思やがつたんだ!』と怒の聲が怒鳴つた。『あの下らない平凡詩人(へぼしじん)を高壇(フオーラム)から引きずり下せ! 馬鹿者を引つ込ませろ! この馬鹿野郞にや腐れ林檎と腐れ玉子で澤山だ! 石を取つてくれ――そこの石を!』

 ヂユニアスは一目散に高壇(フオーラム)を飛下りて逃げ出した。……けれどもまだ家へ行き着かないうちに、熱狂した拍手喝采や讃嘆の叫聲やどよめきを耳にした。

 不思議に堪へず、ヂユニアスは、人に氣附かれないやうに注意して。(荒れ狂つた獸(けもの)を怒らすのは危險であるから)廣場へ引返した。

 そして彼は何を見たか?

 群集の上高く、彼等の肩の上に、平たい黃金の楯に乘つて、紫の寬袍(クレミス)を纒ひうち靡く髮に月桂冠を頂いて立つてゐたのは彼の競爭者なる靑年詩人ヂユリアスであつた。……そしてまはりの群衆は叫び立てた、『萬歲! 萬歲! 不朽のヂユリアス萬歲! 彼は我々の悲みを、我々の非常な苦みを慰めた! 彼は蜜よりも甘い、鐃鈸(にょうばち)の音よりも調子のいゝ、薔薇よりも匂はしい、蒼空よりも淸らかな詩を我々に與ヘた! 彼を凱旋式をして連れて行き、彼の靈妙な頭に香(かう)の柔かな匂ひを注ぎかけ、彼の額を棕梠(しゆろ)の葉でしづかに煽ぎ、彼の足もとに亞剌比亞のあらゆる沒藥(もつやく)の香りをふり撒け! ヂユリアス萬歲!』

 ヂユニアスは熱狂して讃歌を叫んでゐる者の一人のところへ行つた。『市民の方、私(わたし)に敎へて下さい! ヂユリアスは一體どんな詩で貴下方を喜ばせたのです! 私は殘念にも彼が詩を讀んだときに廣場に居合はさなかつたんです! どうか御忘れでなけりや私に云つて聞かして下さい!』

『あんな詩がどうして忘れられるものですか!』と問はれた人は力を籠めて答へた。『私をどんな人問だと思つたんです! まあ聞きなさい――聞いて喜びなさい、一緖に喜びなさい!』

『詩神(ミユウズ)を愛する者よ!』かく、かの崇(あが)められてゐるヂユリアスははじめたのだ……

 

  『詩神(ミユウズ)を愛する者よ! 同志よ! 友よ!

   美と優雅(みやび)と音樂を崇(あが)むる者よ!

   汝等の心を暫しも憂愁(うれひ)に脅かさるゝなかれ!

   願ひてし時は來れり! 然して晝は夜を逐ひやらん!』

 

『君、すばらしい詩ちやないか!』

『こりや驚いた!』とヂユニアスは叫んだ。『そりや私の詩ぢやないか! ヂユリアスは私が詩を讀んだ時に群集の中にゐたに違ひない、それを聞いて、一二句言ひ廻しを變へて、しかも拙(まづ)くして繰返したのだ!』

『ははア! わかつた……貴樣はヂユニアスだな』と彼の呼び止めた市民は顏を蹙(しか)めて言つた。『貴樣は嫉妬深い奴だ、でなきや馬鹿だ!……まあ考へて見ろ、みじめな奴、ヂユリアスが「然して晝は夜を逐ひやらん!」と歌つたのはどんなに莊嚴(そうごん)だか。それに貴樣のは何だ、「然して光は暗を逐ひやらん!」だつて、馬鹿な、何の光だ? 何の暗だ?」

『然しそれは同じ事ぢやありませんか?』とヂユニアスは言ひはじめた……

『もう一言(ひとこと)言つて見ろ』とその市民は彼を遮つた、『俺は皆(みな)を呼ぶぞ……皆は貴樣を八つ裂きにしつちまふぞ!』

 ヂユニアスは賢くもさからはなかつた。するとその話を聞いてゐた白頭の老人が此の不幸な詩人のそばへ寄つて、彼の肩に手を置いて言つた、

『ヂユニアス! お前は自分の思想を歌つた、然し時機(とき)がよくなかつた。彼は他人(ひと)の思想を歌つた、然し時機(とき)がよかつた。そこで彼は成功した。その代りお前には良心の慰安(なぐさめ)が殘されてゐる。』

 然し我々のヂユニアスの良心が全力を盡して(實を云へばあまり成功はしなかつたが)傍(かたはら)に押し除(の)けられてゐる彼を慰めてゐる間に――遠方では、稱讃と歡呼の叫びの中に、紫金(しこん)に輝く太陽の勝利の光輝(かゞやき)に包まれて、額に月桂樹(ロオレル)の影を帶び、沒藥の香ひの雲に取圍まれ、あだかも本國へ凱旋する皇帝のやうに、重々しげにまた誇らはしげに、ヂユリアスの毅然たる姿は悠然と動いて行つた……そして棕梠(しゆろ)の長い枝は彼の前に上つたり下つたりしてゐた、あだかもその靜かな戰(そよ)ぎ、愼(つゝ)ましやかな會釋(ゑしやく)によつて、魅せられてゐる市民の心に絕えず湧き返るかの讃嘆の情を云ひあらはさうとするかのやうに!

    一八七八年四月

 

二つの四行詩、この篇は羅馬時代のこととして書いてある。】

詩神、ミユウズは希臘神話にある、本來は音樂や踊や歌唱を司る女神でクリオ、ウラニア等九人である。】

フオラムは古羅馬心公會堂である。】[やぶちゃん注:「フオラム」はママ。]

【リクタアは羅馬の役人。】

束桿は棒を束ねた中に斧鉞を包んだもので、羅馬の高官の權力の標とされてゐたもの。】

[やぶちゃん注:「ヂユニアス」原文は「Юний」。これはラテン語の「Junius」で、これは恐らく実在した古代ローマの風刺詩人・弁護士であったデキムス・ユニウス・ユウェナリスDecimus Junius Juvenalis(五〇年?~一三〇年?)がモデルであろう。暴虐であったローマ帝国第十一代皇帝ティトゥス・フラウィウス・ドミティアヌスTitus Flavius Domitianus(五一年~九六年)治下の荒廃した世相を痛烈に揶揄した詩を書き、「健全なる精神は健全なる身体に宿る」の格言で有名な詩人である(但し、この格言は誤解されており、ユウェナリス自身の謂いは、腐敗した政治の中で、堕落した生活を貪る不健全な人(=肉体)に、健全な魂と批判精神を望むものであった、ということはあまり知られていない)。ちなみに彼は「資本論」にも言及されている。

「高壇(フオーラム)」英語「forum」の音写「フォーラム」。ドイツ語も同じ綴りだが、「フォールム」で以下の原語に近い。元はラテン語の「Forum」(フォルム)で古代ローマ都市の天上のない集会場・公共広場のこと。

「係官(リクタア)」ラテン語の「Lictor」(リクトル:英語も同じ綴り。ドイツ語では「Liktor」となる)。古代ローマに於ける役職の一つで、インペリウム(ラテン語:Imperium:古代ローマにあってローマ法によって承認された「全面的命令権」のこと)を有する要人の護衛を主な任務とした護衛武官を指す。

「束桿(フアシイズ)」このルビはラテン語の「fasces」(ファスケース:「束」を意味するラテン語「fascis」(ファスキス)の複数形の英語読みであろう。通常は、斧の周りに木の束を結びつけた一種の身分表象のための所持具を指す。ウィキの「ファスケス」によれば、『古代ローマで高位公職者の周囲に付き従ったリクトル』(前注参照)『が捧げ持った権威の標章として使用され』、二十『世紀にファシズムの語源ともなった。日本語では儀鉞(ぎえつ)や権標、木の棒を束ねていることから』、『束桿(そっかん)などと訳される』とある。

「叱聲(ヒツス)」ルビ不審。しかし、思うに、このルビ、英語の「hysteric」の語幹部を名詞のように使用したものではなかろうか? 和声英語では「ヒスを起こす」という謂い方が今も生きているからである。なお、以上のカタカナのルビ附けの音写から見て、生田は「序」で述べた、イギリスの翻訳家コンスタンス・クララ・ガーネット(Constance Clara Garnet)の英訳をここでは底本に用いているように思われてくるのである。

「寬袍(クレミス)」長寛衣の意の「クレミス」なる外国語は不詳。識者の御教授を乞う。

「ヂユリアス」原文は「Юлий」。これはラテン語の「Julius」で、ローマ人にはありがち名であり、私は特定人物ではなく、「ユニウス」の詩の剽窃をする者としての「ユニウス」に似せた名と捉えている。

「鐃鈸(にょうばち)」楽器のシンバル。

「棕梠(しゆろ)」限定すると、単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科シュロ属 Trachycarpus であるが、ヤシ科 Arecaceae に属する種群を纏めて指す語でもあり、ここはそちらがよい。

「亞剌比亞」「アラビア」。

「沒藥(もつやく)」ムクロジ目カンラン科ミルラノキ(コンミフォラ)属 Commiphoraの棘を持つ低木から分泌される、赤褐色のゴム樹脂。「ミルラ」(myrrh)とも呼ばれる。アラビア語 「murr」(苦い)が語源で、苦いが、かぐわしい香りを有する。おもな種類に「ヘラボール」と「ビサボール」があり、「ヘラボール没薬」はエチオピア・アラビア・ソマリア原産のモツヤクジュ Commiphora myrrha から、「ビサボール没薬」はそれによく似た外見のアラビアモツヤクジュ Commiphora erythraea からそれぞれ得られる。モツヤクジュは樹高三メートル以下で、乾燥した岩場に植生する。モツヤクジュが自然に割れたり、樹皮を叩いて傷をつけたりすると、樹液が分泌され、空気に触れて固まったものを集めて没薬とする。没薬は古くから珍重され、中東や地中海地域では高価な香料・香水・化粧品の原料のほか、塗布剤や防腐剤に使用された。中世ヨーロッパでも貴重だったが、今日では安価で、主に歯磨き剤・香水・精油の原料及び医薬品の保護剤として利用される。軽い殺菌・収斂・駆風作用を持ち、胃腸内のガスを排出させる駆風薬や口腔内の炎症を和らげるチンキ剤として使用される。没薬から抽出した精油は香りの強い香水の原料になる(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。]

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