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2019/05/29

うもれ水 すゞしろのや(伊良子清白)

 

うもれ水

 

 

  八鬼山

 

 八鬼山は紀のくに南北牟婁兩郡の界にあり。友人某山麓に
 居して炭燒を業とす。都門に來學せんとするの意頻なり。
 乃ち此詩を作りて與ふ。

[やぶちゃん注:、「八鬼山」は「やきやま」と読み、現在の三重県尾鷲市九鬼町(くきちょう)(グーグル・マップ・データ)にある六百四十七メートルの山である。熊野古道伊勢路の途中にある。「南北牟婁兩郡の界」とあるが、現在の尾鷲市は昭和二九(一九五四)年に合併する以前は北牟婁郡の尾鷲町と須賀利村と九鬼村、及び、南牟婁郡の北輪内村と南輪内村であった。]

 

鬼の棲むてふ八鬼山の、

さやけき冬の月影は、

よひよひ每にきみが讀む、

書の燈とてらすらむ。

 

うらやむきみの山の菴、

紅葉おちてやねをふき、

ふく風塵を拂ふらむ、

玉の墓はあらずとも。

 

叫ぶ山猿の谷ごとに、

水の氷るをつぐるとき、

寐覺の枕そば立てゝ、

閨うつ霰きゝまさむ。

 

あやふき岩を攀ぢ登り、

長き蘿にすがりつゝ、

裾よりのぼる白雲を、

さか卷く雪と見ますらむ。

[やぶちゃん注:「蘿」「つた」。]

 

函に藏むる書ならで、

文字なき書もあるものを、

炭燒く業のつらしとて、

なにいとふらん山の奧。

 

わけてもきみが手みづから、

亡たらちねの奧城を、

まもりたまふはいかばかり、

すぎたる幸におはすらむ。

 

きみ見そなはせつゞら折、

檜原杉原下闇く、

けはしき峯の洞穴も、

熊は安けくかくれ棲む。

 

劍ににたるこがらしを、

きみなかこちそ寒けしと、

うき世の風は長閑なる、

春の日にさへ身にぞしむ。

 

鴨の川原の小夜千鳥、

きゝにきますはよけれども、

都の塵にうもれむは、

すゝめまつらずきみのため。

 

たふとからずや天地の、

なしのまにまに生ひ立ちて、

心けがれぬ山の子の、

罪も望も抱かずば。

 

 

  惡 因 緣

 

いたづらものと世の人に、

指ざさるゝがくやしくて、

しなむとせしもこの子故、

あゝこの子ゆゑしにもせで。

 

いづれ男のことのはは、

たゞ商人のなさけのみ、

その犧牲に生れこし、

女も人の一人かや。

 

世の人々ぞ同情(なさけ)なき、

きこゝろかよわき女子を、

力のかぎりくるしめて、

男の罪は問ひもせず。

[やぶちゃん注:「きこゝろ」はママ。]

 

三十路に近きよはひまで、

子はありながら圓髷の、

髮も結はれぬ宿世こそ、

前の世深き恨なれ。

 

せめて頰よく生れずは、

人をうらまでよかりしを、

まがつひ神のにくしみに、

花の姿をさづけけむ。

 

あかれしわれはいづれその、

塵芥にもかはらねど、

この子をすてゝ君はそも、

安き寐覺の夜半やある。

 

親のゆるさぬきみの手に、

ひかれてわれも落しゆゑ、

奈落の底の苦悶に、

この子も罪をつくるらむ。

[やぶちゃん注:「苦悶」は韻律からして「みもだえ」か。]

 

 

  山百合ぬしへ

 

五日の旅を海に經て、

山も百里をへだつらむ、

故鄕遠き信濃より、

きみはきましぬわが宿に。

 

都といへどふる寺の、

やれし菴にすめるのみ、

遠き旅路のつかれさへ、

なぐさめまつるよしをなみ。

 

うら珍しき賓客に、

薦むる物もあらざれば、

夏はすゞしき鴨川の、

岸のあたりをしるべして。

 

越路の旅のをかしさを、

きみが話せばわれもまた、

熊野の浦の名どころを、

こゝろへだてず語りつゝ。

 

はなれともなき涼しさの、

柳ふきしく川風に、

あつきさかりも忘られて、

流るゝ水もこゝちよく。

 

三年のすゑに知りそめて、

文の便は通へども、

今日ぞはじめてまのあたり、

きみを見るこそうれしけれ。

 

才なきわれをすてずして、

たづね給ひしみこゝろに、

禮いふすべはならはねど、

わすれはせじなとこしへに。

 

よの交らひは薄氷の、

くだけやすしときくものを、

きみとわれとが誓ひてし、

深き眞情をたれかしる。

[やぶちゃん注:「眞情」は既に「深き」があるので私は「こころ」と訓ずる。]

 

とゞめまほしく思へども、

永き日影も暮れはてゝ、

月さしのぼる鴨川原、

いそぐ旅ぢをいかにせむ。

 

つきぬ名殘に見送りて、

かたみにうらむうしろ影、

かたるまもなく別れては、

なみだにぬるゝ袂かな。

 

茅渟の浦邊のうた人と、

一夜さやけき月を見て、

須磨のみ寺に詠みませし、

歌のこゝろぞまことなる。

[やぶちゃん注:「茅渟」「ちぬ」。既注であるが再掲しておく。「茅渟の浦」は「古事記」に既に登場する古語「茅渟の海」。和泉・淡路の両国の間の海の古名。則ち、現在の大阪湾一帯を指す。]

 

瀨戶の内海に舟うけて、

沖吹く風に棹もさし、

白雲あそぶ彥島の、

浪にもきみは嘯きし。

 

ながき放路もやすらかに、

歸りたまひしその折の、

たよりの末にいかでまた、

見まくほしやとかき添へて。

 

ふかきゑにしもあるものを、

また逢ふときのなからんや、

うき世の中はなかなかに、

さだめなきこそ望あれ。

 

くれ行く秋の夜を長み、

ともし火更くる文机に、

文庫(ふみ)繙きてたゞ一人、

くりかへしよむ「歌枕」。

[やぶちゃん注:「繙きて」「ひもときて」。

 さて、標題の「山百合ぬしへ」の「山百合ぬし」とは久保田山百合のこと。既注の詩人・歌人の島木赤彦の当時のペン・ネームである。「故鄕遠き信濃」とあるが、赤彦は長野県諏訪郡上諏訪村角間(現在の諏訪市元町)生まれである。]

 

 

  祇園懷古

 

 祇園新地は舊眞葛か原といへる野原なりしとぞ。

[やぶちゃん注:「祇園新地」現在の祇園のこと。祇園町地区(所謂、狭義の「祇園」である京都府京都市東山区祇園町南側はここ(グーグル・マップ・データ))は、もっと古くはもと「八坂新地」と称した。また、「眞葛か原」(「か」はママ。後の詩篇本文も同じ)はさらに古い今の祇園地区の他に同地区の東北部の円山公園を中心として、周囲の青蓮院・知恩院・双林寺・八坂神社などをも含んだ、東山山麓の傾斜地の旧広域地名で、この一帯は平安時代より、真葛や薄が生い茂っていたために「真葛ヶ原」と呼ばれていた。]

 

裏吹きかへす葛の葉の、

眞葛か原のあき風に、

昔乙女の袖とめて、

月や恨をやどしけむ。

 

蟲撰けむ宮人の、

秋のあそびのあともなく、

小鷹狩せしものゝふの、

狩衣姿見えもせず。

 

招く薄はうるはしき、

舞の姿にうつり行き、

おき渡したる白露も、

插頭の珠とかはりつゝ。

 

鶉なきけむ細徑を、

大路小路の立つゞき、

おひ茂りたる淺茅にも、

庭の砂やひかるらむ。

 

時の力のおそろしき、

昔の哥にうたひけむ、

眞葛か原の月影も、

史の上のみてらせども。

[やぶちゃん注:「昔の哥にうたひけむ」「眞葛か原の月影」真葛ヶ原と和歌と言えば、鎌倉時代の慈円の一首、「新古今和歌集」巻第十一「戀歌一」の正治二(一二〇〇)年の「院初度百首」で詠まれた一首(一〇三〇番)、

   百首歌たてまつりし時よめる

 我が戀は松を時雨の染めかねて眞葛が原に風さわぐなり

で、この歌で、一躍、ここは和歌の名所となったのであるが、「月影」は詠まれていない。但し、この「眞葛が原」は実は地名のそれではなく、葛が風に煽られて白っぽい葉裏を見せる景色を自らの胸の内の恋に乱れた騒ぎに比したものである。慈円と親しかった西行はこの真葛ヶ原に庵を結んでいたことがある(現在、双林寺境内に西行庵がある)から、探してみたが、見当たらない。識者の御教授を乞うものである。]

 

いづれ此世の夢ならば、

花にもまさる手弱女の、

しろき細手の扇より、

常無き風の吹かざらん。

 

八坂の森の春の夜に、

散りくる花をはかなみて、

遠きうたげの聲きけば、

樓臺くづるゝ響あり。

 

[やぶちゃん注:明治三一(一八九八)年二月発行の『文庫』掲載。署名は「すゞしろのや」。]

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