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2019/06/25

柳田國男 山島民譚集 原文・訓読・附オリジナル注「馬蹄石」(44) 「磨墨ト馬蹄硯」(1)

 

《原文》

磨墨ト馬蹄硯   源平合戰ノ語部(カタリベ)ガ磨墨ト云フ駿馬ヲシテ天下ニ有名ナラシメタルハ、亦誠ニ深キ用意ノ存スルモノアリシニ似タリ。此命名ハ察スル所單ニ毛ノ色ノ黑カリシ爲ト云フノミニ非ズ。東上總ノ硯村ノ口碑ガ之ヲ想像セシムル如ク、石上ニ印シタル馬蹄ノ跡ヲ以テ硯ニ譬フルコト常ノ習ヒナリシガ故ニ、乃チ此ニ思ヒ寄セタリシモノナリ。太夫黑ヲ一ニ薄墨ト稱ストアルモ同ジク此因緣無シトハ言ヒ難シ。何トナレバ此馬出デタリト稱スル房州太夫崎ノ海岸ニハ亦多クノ馬蹄石ヲ產スルナリ。即チ巨巖ノ表面ニ跡ノ存スルモノトハ別ニ、此ハ馬蹄ノ形ヲ打込ミタル石ノ小片ニシテ、世人之ヲ採リテ硯ニ製スル者少ナカラズト云フ〔千葉縣古事志〕。蓋シ其一端ノ深ク凹メル部分ヲ硯ノ海トスルトキハ、多分ノ工作ヲ加ヘズシテ之ヲ圓キ硯ニ用ヰ得べケレバナリ。日向ノ鵜戶濱(ウドノハマ)ニモ馬蹄石ヲ出ス。【自然硯】土地ノ人ハ之ヲ自然硯ト稱ス〔雲根志後篇〕。土佐ノ國產ニモ亦馬蹄石アリ。前年之ヲ墺太利ノ博覽會ニ出品セシコトアリ〔南路志續編稿草二十三〕。【陰陽石】甲州ノ駒ケ嶽ニモ所謂陰陽石ヲ多ク產ス。其陰石ノ一種ニ同ジ形ヲセシ物ヲ又馬蹄石トモ云ヘリ〔雲根志後篇〕。駿河ノ安倍川ノ溪ヨリ馬足石ト云フ硯石ヲ產セシハ古キ世ヨリノ事ナリ〔渡邊幸菴對話〕。同ジ川ノ支流藁科(ワラシナ)川ノ附近ニモ往々ニシテ小サキ馬蹄石ヲ出ス。或ハ片面或ハ兩面、恰モ馬蹄ヲ以テ踐ムガ如ク、色黑クシテ甚ダ堅キ美石ナリ、之ヲ割レバ石中ハ殘ラズ金星ナリ〔雲根志後篇〕。之ヲ硯トシテ願ヒ事ヲ書ケバ成就スト云フ俗信アリキ〔駿國雜志〕。蓋シ必ズシモ斯ル奇形ノ自然石ヲ以テ製セズトモ、圓キ硯ナラバ形似タルガ故ニ之ニ馬蹄ト銘ヲ打ツハ有リ得べキコトナリ。唯其硯ニ何カノ奇特ヲ附會セントスルニ至リシハ、ヤハリ亦神馬ノ崇敬ニ基スルモノト認メザルべカラズ。大和當麻寺(タエマデラ[やぶちゃん注:ママ。不審。誤植と断じ、訓読では現行通り、「たいまでら」に訂する。])ノ什物ノ中ニ、小松内大臣ガ法然上人ニ寄進シタリト云フ松蔭ノ硯ハ、硯筥ノ蓋ニ馬蹄ト書シテ野馬ノ繪ヲ蒔キタリ。硯ノ形ノ似タルガ故ニ馬蹄トハ名ヅケシナラント云ヘリ〔其角甲戌紀行〕。鎌倉鶴岡ノ八幡宮ニモ之ト同樣ノ馬蹄硯アリ〔集古十種〕。又別ニ源賴朝所持ノ品ト稱シ、上ニ雲ト片破月トヲ彫刻シタルモノアリ〔同上〕。【池月磨墨】天長元年ノ銘文アルニモ拘ラズ、何故カ人ハ之ヲ池月磨墨ノ硯ト名ヅケタリ。秩父吾野ノ子(ネノ)權現社ノ神寶ニモ一ノ馬蹄石アリシガ〔新編武藏風土記稿〕、此ハ硯ニ用ヰラレタリシヤ否ヤヲ知ラズ。

 

《訓読》

磨墨と馬蹄硯   源平合戰の語部(かたりべ)が、磨墨と云ふ駿馬をして、天下に有名ならしめたるは、亦、誠に深き用意の存するものありしに似たり。此の命名は、察する所、單に毛の色の黑かりし爲めと云ふのみに非ず。東上總の硯(すずり)村の口碑が之れを想像せしむるごとく、石上に印したる馬蹄の跡を以つて、硯に譬ふること、常の習ひなりしが故に、乃(すなは)ち、此れに思ひ寄せたりしものなり。太夫黑を一(いつ)に薄墨と稱すとあるも、同じく此の因緣無しとは言ひ難し。何となれば、此の馬、出でたりと稱する房州太夫崎の海岸には亦、多くの馬蹄石を產するなり。即ち、巨巖の表面に跡の存するものとは別に、此れは馬蹄の形を打ち込みたる石の小片にして、世人、之れを採りて、硯に製する者、少なからずと云ふ〔「千葉縣古事志」〕。蓋し、其の一端の深く凹める部分を硯の海とするときは、多分の工作を加へずして、之れを圓(まろ)き硯に用ゐ得べければなり。日向の鵜戶濱(うどのはま)にも馬蹄石を出だす。【自然硯(しねんけん)】土地の人は之れを「自然硯」と稱す〔「雲根志」後篇〕。土佐の國產にも亦、馬蹄石あり。前年、之れを墺太利(オーストリー[やぶちゃん注:読みは「ちくま文庫」版に従った。])の博覽會に出品せしことあり〔「南路志續編稿草」二十三〕。【陰陽石】甲州の駒ケ嶽にも、所謂、陰陽石を多く產す。其の陰石の一種に、同じ形をせし物を、又、馬蹄石とも云へり〔「雲根志」後篇〕。駿河の安倍川の溪より、馬足石と云ふ硯石を產せしは古き世よりの事なり〔渡邊幸菴對話〕。同じ川の支流藁科(わらしな)川の附近にも、往々にして小さき馬蹄石を出だす。或いは片面、或いは兩面、恰かも馬蹄を以つて踐(ふ)むがごとく、色、黑くして、甚だ堅き美石なり。之れを割れば、石中は、殘らず金星なり〔「雲根志」後篇〕。之れを硯として、願ひ事を書けば、成就す、と云ふ俗信ありき〔「駿國雜志」〕。蓋し、必ずしも斯(かか)る奇形の自然石を以つて製せずとも、圓き硯ならば、形、似たるが故に、之れに「馬蹄」と銘を打つは、有り得べきことなり。唯だ、其の硯に何かの奇特(きどく)を附會せんとするに至りしは、やはり亦、神馬の崇敬に基(もとゐ)するものと認めざるべからず。大和當麻寺(たいまでら)の什物(じふもつ)の中に、小松内大臣が法然上人に寄進したりと云ふ「松蔭の硯」は、硯筥(すずりばこ)の蓋(ふた)に「馬蹄」と書して野馬の繪を蒔(ま)きたり。硯の形の似たるが故に「馬蹄」とは名づけしならんと云へり〔其角(きかく)「甲戌紀行(かふいぬきかう)」〕。鎌倉鶴岡の八幡宮にも、之れと同樣の馬蹄硯あり〔「集古十種」〕。又、別に源賴朝所持の品と稱し、上に雲と片破月(かたわれづき)とを彫刻したるものあり〔同上〕。【池月磨墨】天長元年[やぶちゃん注:八二四年。]の銘文あるにも拘らず、何故か人は之れを「池月磨墨の硯」と名づけたり。秩父吾野(あがの)の子(ねの)權現社の神寶にも一つの馬蹄石ありしが〔「新編武藏風土記稿」〕、此れは硯に用ゐられたりしや否やを知らず。

[やぶちゃん注:「東上總の硯(すずり)村」既出既注。千葉県いすみ市下布施(しもぶせ)硯https://maps.gsi.go.jp/#16/35.238337/140.355556/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
国土地理院図。何故かリンクが不具合を起こすので、URLで示した(見える部分だけを左ペーストし、そのままティルト・アップ)

「房州太夫崎」既出既注千葉県鴨川市江見太夫崎(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「日向の鵜戶濱(うどのはま)」鵜戸神社のある宮崎県日南市宮浦の浜と思われるが、不詳。浜なら、南の根の湾奧であろうが、浜で「馬蹄石を出だす」というのはおかしいから、鵜戸神社周辺の岬の南・北・東の何れかの海岸線(航空写真を見ると、総て非常に荒い岩礁性海岸である)と推定する。これは「雲根志」の後篇の巻之三の「二」の「馬蹄石(ばていせき)」で、その一部に『日向國ウトノ濱にて自然硯(しねんけん)と云』(これだけである)とあったので、その読みで振った(引用底本は思潮社の「復刻 日本古典全集」版(昭和五四(一九七九)年刊)に拠った。以下同じ)

「南路志續編稿草」書名注は附けない約束だが、これは文化一二(一八一五)年の高知地誌大叢書「南路志」(高知城下朝倉町に住む武藤到和・平道父子が中心となって編纂した百二十巻にも及ぶ高知地誌の大叢書)を受ける形で、明治以降、高知県史誌編輯係によって編せられた近代のものと思われ(高知県文化財団埋蔵文化センターの公式報告書の注データから推定)、書誌学的には「南路志」自体とのダイレクトな連関性を私は認めたくないので、『「南路志續編」稿草』とはせず、全体を鍵括弧で括って差別化した。

『甲州の駒ケ嶽にも、所謂、陰陽石を多く產す。其の陰石の一種に、同じ形をせし物を、又、馬蹄石とも云へり〔「雲根志」後篇〕』前注と同じ「雲根志」後篇巻之三の「二」の「馬蹄石」の一節。『大井川安部(あべ)川』(ママ)『にもこれを出す甲州駒嶽(こまがたけ)に同形同品のものあり此兩所ともに陰陽石(いんやうせき)をす馬蹄石(ばていせき)陰石の一種也陽石別條に出す考知るべし』(以下、前に引いた日向のそれに続く)とある。

「駿河の安倍川」安倍川(あべかわ)は静岡県静岡市葵区及び駿河区を流れる。ウィキの「安倍川」によれば、『清流としても有名で』、『その伏流水は静岡市の水道水にも使われて』おり、また『大河川でありながら』、『本流・支流にひとつもダムが無い珍しい川である』とあり、また、『「安部川」や「あべがわ」の表記もあるが、これらは誤りである』とある。ここ

『同じ川の支流藁科(わらしな)川の附近にも、往々にして小さき馬蹄石を出だす。或いは片面、或いは兩面、恰かも馬蹄を以つて踐(ふ)むがごとく、色、黑くして、甚だ堅き美石なり。之れを割れば、石中は、殘らず金星なり〔「雲根志」後篇〕』前注と同じ「雲根志」後篇巻之三の「二」の「馬蹄石」の冒頭。『相摸國府中藁科品』(ママ)『河(わらしながは)は大井(おほゐ)河の水上(みなかみ)なり此近邊に馬蹄石(ばていせき)あり大石に多し小石には稀なり或は片面にあり或は兩面踐(ふ)むが如し其堅き美石也是を破(やぶれ)は』(ママ)『石中不殘(のこらず)金星(きんせい)あり此邊の山中又河中に在』(で前注の大井川に続く)とある。抄録で面白くないってか? それじゃよ、全部やっといてやろうじゃあねえか! 句読点・送り仮名・濁点その他を振って訓読し、読み易くしといてやったっけな!

   *

     馬蹄石(ばていせき) 

相摸國府中、藁科品河(わらしながは)は大井(おほゐ)河の水上(みなかみ)なり。此の近邊に馬蹄石(ばていせき)あり。大石に多し。小石には稀なり。或いは片面にあり、或は、兩面、踐(ふ)むが如し。其れ、堅き美石なり。是れを破(やぶれ)ば、石中、殘(のこら)ず金星(きんせい)あり。此の邊りの山中、又、河中に在り。大井川・安部(あべ)川にも、これを出だす。甲州駒嶽(こまがたけ)に、同形同品のものあり。此の兩所、ともに陰陽石(いんやうせき)をす。馬蹄石(ばていせき)、陰石の一種なり。陽石、別條に出だす考へ、知るべし。日向國、「ウトノ濱」にて、「自然硯(しねんけん)」と云ふ。近江國石部宿(いしへのしゆく)の北、菩提寺(ぼだいじ)村の山中にあり、少し輭(やはらか)にて鼠色(ねずみいろ)なり。石、性、馬瑙[やぶちゃん注:ママ。](めのう)に似たり。里人云はく、『良弁僧都(りやうべんそうづ)、乘り給へる馬の足跡なり』と。同國石山寺子安(こやす)堂の下に馬蹄石あり。又、河内國下(しも)の太子(たいし)に、馬蹄石、有り。讚岐國陶村(すゑむら)にもあり。又、相摸國狐崎(きつねざき)に梶原(はじはら)が馬の足跡(あしあと)石といふものあり。大石上に、馬蹄、踏(ふむ)がごとし。又、大和國初瀨(はつせ)近邊、橫野(よこの)の石、越前江畑(ゑばた[やぶちゃん注:活字に不審があるが(実際には「ゐ■た」で判読不能)、これで採った。])といふ所の、江畑川の中なる大石、皆、馬蹄。數箇所あり。漢書に廣武(くはうぶ)の馬蹄谷(ばていこく)、馬(ば)蹄、石、踐(ふ)むがごとし、といへるも、今と同じかるべし。

   *

「大和當麻寺(たいまでら)」言わずもがな、奈良県葛城市當麻の二上山當麻寺。現在は真言宗と浄土宗の並立寺院。

の什物(じふもつ)の中に、小松内大臣が法然上人に寄進したりと云ふ

「松陰の硯」公式サイト「當麻寺奥院」(浄土宗側運営)のこちらに、「平家物語」に由来が登場する「松蔭硯」の写真有り。私はこれ以上調べる気は、ない。悪しからず。

「蒔(ま)きたり」「蒔絵にしてある」の意。「蒔絵」とは器物の表面に、漆で文様を描いて金・銀などの金属粉や色粉を散らし埋め込んだ日本独自の漆工芸。多様な手法があり、奈良時代に始まる。

『其角(きかく)「甲戌紀行(かふいぬきかう)」』宝井其角が元禄七(一六九四)年九月に紀州・摂州を中心に遊歴した際の日記風の糞のような短文。ここ(国立国会図書館デジタルコレクションの「紀行文集 続」(明治四二(一九〇九)年博文館刊「続帝国文庫」版)の当該記載)で読める。おう! これも次いでだ! 電子化しといてやろうじゃねえか!(歴史的仮名遣の誤りは総てママ)

   *

當朝寺(たへまでら)。奥院(をくのいん)にとまりて。

  小夜しぐれ人を身にする山居哉

當院にて靈寳(れいはう)什物(じうもつ)さまざまあり、中にも小松殿(こまつどの)、法然(ほうねん)上人へまゐらせられる松陰(まつかげ)の硯あり。箱の上に馬蹄(ばてい)と書(かい)て野馬(やば)を書けり。硯の形が蹄(ひづめ)に似たるゆゑなるべし。

  松陰のすゞりに息(いき)をしぐれ哉

   *

ロケーション・クレジットは記載から、九月二十四日より後の二十八日以前の近日。

『鎌倉鶴岡の八幡宮にも、之れと同樣の馬蹄硯あり〔「集古十種」〕』これかしらん(国立国会図書館デジタルコレクション)。「新編鎌倉志」の巻第一の鶴岡八幡宮の「神寶」にある(リンク先は私の電子化注)、

   *

硯箱(スヾリハコ) 壹合。梨地(ナシヂ)蒔繪(マキヱ)、籬(マガキ)に菊(キク)を金具(カナグ)にす。内に水入(ミヅイレ)筆管あり。共に銀にて作る。

   *
とあるのはこれであろう。

「源賴朝所持の品と稱し、上に雲と片破月(かたわれづき)とを彫刻したるものあり」こちら(国立国会図書館デジタルコレクション。左ページ。「天長元年」、読めますな)かな。

「秩父吾野(あがの)の子(ねの)權現社」埼玉県飯能市大字南にある天台宗大鱗山雲洞院天龍寺。通称、子権現(ねのごんげん)天龍寺で知られ、足腰守護を謳っているから、馬蹄石があって(あったとして)もおかしくはない。公式サイトはこちらであるが、「馬蹄石」の記載はない。]

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