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2019/06/17

鳥羽小唄 伊良子清白

 

鳥羽小唄

 

   

伊勢で御參宮二見をかけて

鳥羽の入江の島めぐり

  鳥羽はよいとこよいみなと

  いつも明るい海の色

   

坂手菅島答志を越えて

七ツ飛び島阿古浦まで

   

三十六島大島小島

見えりやかくれるかくれりや見える

   

日和山から伊勢の海ながめ

吹くは春風眞帆片風

   

沖の神島伊良古も見えて

末の霞の遠州灘

   

昔語れば九鬼嘉隆よ

今も城山眞珠じま

   

海女の鮑採り荒磯埼で

玉のはだへが黑むやら

   

磯の焚火にあたるは海女よ

十歲二十歲波かきわけて

   

春の朝富士秋の夜の月を

鳥羽で見て來た樋の山で

   

町は千軒海には萬波

出船入船川となる

   十一

東、東京口、西、大阪口よ

うらは振分け鳥羽みなと

   十二

潮のみちひきそりや海の水

志摩の女は實がある

   十三

戀のみなとの土產の中に

磯の鮑の片思ひ

   

小濱鯛池千疋鯛が

はねてとびます水の上

 

[やぶちゃん注:昭和六(一九三一)年一月十八日附『朝日新聞』三重版に掲載。署名は「伊良子清白」。伊良子清白、この年、満五十四歳。この年の一月に鳥羽の短歌雑誌『白鳥』(歌人で朝日新聞記者であった宮瀬渚花主宰の『白鳥(しらとり)』に新作の短歌九首を載せ、十二月にも同誌に発表、以後、この白鳥を中心に短歌の創作発表が続けられることとなる。九月十六日には五女明が生まれ、十二月には三女千里が結婚している。また、この年の十二月二十三日に春陽堂から刊行された「明治大正文学全集」第三十六巻「詩篇」に、詩集「孔雀船」から「安乘の稚兒」「五月野」「鬼の語」「月光日光」「不開の間」「秋和の里」が再録されている。

「坂手」三重県鳥羽市の沖六百メートルの直近の、伊勢湾口にある三重県鳥羽市坂手町坂手島(さかてじま)。地元では坂手を「さかで」とも呼ぶ。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「菅島」「すがしま」。既出既注

「答志」三重県鳥羽市市答志町及び桃取町に属する答志島(とうしじま)。東西約六キロメートル、南北約一・五キロメートル。面積約七平方キロメートルで、鳥羽湾及び三重県内では最大の島である。位置は、前の「菅島」の地図で確認出来る。

「七ツ飛び島」「七つ飛島」に既出既注そこで私なり考証をしている。

「阿古浦」「あこうら」。これは「阿漕浦」(あこぎうら)で、三重県津市東部の、三重県津市阿漕町(あこぎちょう)津興(つおき)附近を中心とした、岩田川河口から相川河口まで単調な砂浜海岸で、春は潮干狩り、夏は海水浴に利用され、冬は海苔の漁場となる。嘗つては伊勢神宮の供物の漁場で、殺生禁断の海であった。昔、貧しい漁夫平治(平次)が病母のためにこの海で魚を漁ったために罰せられ、簀巻きにされて海に沈められたという物語は、謡曲・浄瑠璃に歌われてよく知られる。同地の柳山津興に彼の霊を祀る阿漕塚がある。南半分は「御殿場浜」とも呼ぶ。この地名は、後世、より古い万葉以来の歌枕で、和歌山県御坊(ごぼう)市野島(のしま)附近の海岸とされるものの、未詳である「阿古根の浦」と混同され、この漢字表記もそれによるものと考えてよい。

「日和山」三重県志摩市磯部町的矢。私は毎年取り寄せる「的矢牡蠣」とともに、大好きな壺井栄の、ここをロケーションとし名掌品「伊勢の的矢の日和山」を思い出すのを常としている(リンク先は有峰書店新社の写真附きの電子テクスト)。私は嘗つて牡蠣を食いに訪れたが、タクシーの運転手に「日和山」と聴いても判らなかった。今回、再読してこの辺り(国土地理院図)の丘陵部と考えてよいことが判った(作品中で墓地のある高台で、ここにある禅法寺という寺の過去帳を見せてもらうシーンが出る)

「神島」既出既注

「伊良古」伊勢湾口対岸の伊良湖(いらご)岬。

「九鬼嘉隆」(天文一一(一五四二)年~慶長五(一六〇〇)年)は安土桃山時代の武将。右馬允・大隅守。代々、志摩国波切城(城址は三重県志摩市大王町波切のここ)を根拠地とし、初めは北畠氏に仕えたが、永禄一二(一五六九)年、織田信長が北畠具教を攻めるや、信長に応じ、以来、彼の麾下となり、水軍を率いてこれに従った。天正二(一五七四)年の伊勢長島の一向一揆、同五年の紀伊雑賀(さいか)の一向一揆を海上から攻撃し、また、翌六年の石山本願寺との合戦に際しては、本願寺側の援軍である毛利の水軍と対戦して、これを打ち破った。信長の死後、豊臣秀吉に仕え、四国・九州の両役及び「文禄・慶長の役」に際しても、水軍の将として軍功があって、鳥羽城主となり、三万五千石を領した。しかし、秀吉の死後、徳川家康と和せず、「関ヶ原の戦い」では、その子守隆が東軍に属したが、嘉隆は西軍に属して、敗れた。戦後、家康に許されたが,紀伊で自殺している(以上は主文を「ブリタニカ国際大百科事典」に拠ったが、一部を別史料で書き変えた)。

「城山」三重県鳥羽市鳥羽の鳥羽城址

「眞珠じま」上の地図で直近にある現在の「ミキモト真珠島」(正式島名)。明治二六(一八九三)年、当時「相島(おじま)」と呼ばれていたこの島で、御木本幸吉(安政五(一八五八)年~昭和二九(一九五四)年)が真珠養殖に成功して、ここを本拠地としたが、この当時はまだ「相島」であった。

「海女の鮑採り」音数律(小唄であるからより厳密であるはずではある)から「鮑」は「はう」と音読みしているかとも考えたが、如何にも耳障りが悪い。「あわび」で読んでおく。

「荒磯埼」わざわざ「埼」の字を選んでいるので、固有名詞と思ったが、見当たらない。一般名詞で採っておく。

「朝富士」三重県鳥羽市にある灯明(とうめい)山(遠目山とも書く)の別称。先の神島にあり、標高百七十一・七メートル(国土地理院図)。

「樋の山」鳥羽市鳥羽町の、旧伊良子清白の診療所の西方背後にある「樋ノ山」

「小濱鯛池」{おはまたひいけ」。サイト「鳥羽デジタルアーカイブズ」のこちらによれば、伊良子清白が診療所を開いていた小浜(おはま)村現在の鳥羽市小浜町(おはまちょう)(国土地理院図))明治二二(一八八九)年に鳥羽町に合併されるが、昭和四二(一九六七)年に浜辺橋が完成するまでは、町営の渡船を利用しなければ、往来出来ない漁村であった。また、鳥羽町大字小鳥羽町大字小浜にあった料理旅館「鯛池 相生館」には鳥羽浜辺浦から定期船が運航されていた。ブログ「三重の鳥瞰図デジタルアーカイブ」のこちらで、往時の案内図が見られ(必見!)、「鯛池案内」の表紙絵を見ると、「千疋鯛」も判る気がする。]

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