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2019/06/08

漁村の朝 すゞしろのや(伊良子清白)

 

漁村の朝

 

月きえかゝる山畠の

小道の茨露滿ちて

雉子なきたつ朝凪を

まだめざめずや春の海

 

海の香高く海松(みる)匍ひて

龍をまつれる岩窟の

上にかけたるみ注連繩

紫うすき雲迷ふ

 

浪間に立てし石鳥居

御輦(ぎよれん)のひゞきたえぬれど

古びし額にかしこくも

勅筆の跡拜まるゝ

 

大巖のあたり眞盛の

白き梅咲く寺の門

島より島の靑波に

細き橋こそかゝりたれ

 

朱塗の塔の欄干に

翅休むる海の鳥

十二神將ゑがきたる

扉ははげて殘りけり

 

僧をおとなふ蜑の兒は

佛の前にぬかづきて

盡きせぬ今日の海幸を

いのりうらなふ御鬮箱

 

背の山のいたゞきに

日和のさまを見に行きし

村の翁は皈り來て

雲の景色をかたるなり

 

磯にうけたる魚籠は

蘆の若葉になぶられて

春風ぬるき岩角を

潮干くあとや海の草

 

一葦の水を隔てたる

出島のあまや飯炊く

半ば隱れし苫舟の

煙立つなり竹の奧

 

長き蘿のはひのぼる

きり岸うねる松一木

昔は章魚のかゝりしと

津浪を語る旅路かな

 

法螺の貝吹く杉林

魚見の小屋の灯火は

今しばしにてきゆるらん

赤き旗こそ見えそむれ

 

菜たねにうづむ一村の

家疎らなる藁屋ぶき

霞の庭を漕ぎいづる

蜑の小舟の唄遠し

 

磯の松原島かけに

きたるうなゐに道とへば

渡を越えてかの岸の

柳の境行けよかし

 

小さき入江に落ちかゝる

瀧の白絲水涸れて

山聳えたる一廓

日出もこゝはおそからむ

 

渡まつ間の戲れに

汀に立ちて淺海の

水底近く沈みたる

白き小石を數へけり

 

乘合舟の可笑しさを

ひとつに包む朝霞

纜解きて棹さすは

今日も缺唇(いぐち)の渡守

 

日は染めかゝる離れ雲

茜さしたる海上(かいじやう)に

あれ見よ浮ぶ蛤の

吐き出したる王城の

えん浮檀金の花櫓

 

[やぶちゃん注:明治三三(一九〇〇)年四月三十日発行の『よしあし草』掲載。署名は「すゞしろのや」。

「海松(みる)」緑藻植物門アオサ藻綱イワズタ目ミル科ミル属ミル Codium fragile。私の「大和本草卷之八 草之四 水松(ミル)」を参照されたい。

「御輦(ぎよれん)」天皇などの乗る輿(こし)の一つ。行幸の際、方形の屋形を載せた轅(ながえ)を駕輿丁(かよちょう)が担(かつ)いだ。屋根に金銅の鳳凰を置くものを「鳳 輦」、宝珠形を置くものを「葱花(そうか)輦」と呼ぶ。

「大巖のあたり眞盛の」「大巖」は音数律から二字で「いはほ」と訓じているものと思う。

「翅休むる海の鳥」同前で「翅」は「つばさ」と読んでいよう。

「御鬮箱」「みくじばこ」。籤占(くじうら)である。

「背の山のいたゞきに」同じく「背」は「うしろ」と訓じておく。

「磯にうけたる魚籠は」本来なら「魚籠」は「びく」と読みたいが、ここは音数律から「うをかご」或いは「いをかご」であろう。「うをびく」は屋上屋でよくない。

「出島のあまや飯炊く」「飯炊く」はやはり音数律から「めしかしく」と読める。

「長き蘿のはひのぼる」「蘿」は「かづら」と訓じていよう。

「津浪を語る旅路かな」は文字通りの「津波」(颱風の大海嘯や地震のそれ)とすれば、先の「村の翁」と主人公は同道して海食崖の磯端をそぞろ歩きしているものか。老人は津波でひどくやられる前のことを追懐して、「ここは昔は章魚のよう掛かったところじゃった」と呟いたのであろう。

「赤き旗こそ見えそむれ」私はこの部分、やや腑に落ちない。魚群の回遊を見極めるための「魚見の小屋」であるが、そこ「の灯火は」「今しばしにてきゆるらん」とあるなら、曙であることを指すものか。であったら、この「赤旗」は魚群が見えたことの合図であるから、既に漁師たちは出たということか? しかし、真っ暗闇の暁の時間では、魚見は普通は出来ない。さても、では、これが曙であるのなら、魚見のためにこそ、小屋の内の火は消しておかねば、よく見えないはずである。そういう意味で私は不審なのである。この部分を実景として問題ないとされるのであれば、是非とも御教授を乞うものである。

「島かけ」清音はママ。

「渡を越えてかの岸の」この「渡」(わたし)は海浜の浅瀬或いは岩礁伝いのことか。

「山聳えたる一廓」音数律から「一廓」「ひとくるわ」であろうか。

「渡まつ間の戲れに」この「渡」(わたし)は後の景(「乘合舟」に乗っている)から、渡し舟のことであろう。但し、この詩篇のロケーションは私は島だとは思わない。伊良子清白が若き日より馴染んだ志摩半島などの漁村には、海からでないと容易には通行出来ないところが、有意に存在し、ここもそうした場所のような気がしてならないからである。そうさ、以前に私が注で述べた、昭和二九(一九五四)年の「ゴジラ」の大戸島のロケ地である石鏡(いじか)が、撮影当時でさえ、まさにそうした陸の孤島的場所だったからである。

「纜」「ともづな」。

「缺唇(いぐち)」口唇口蓋裂(こうしんこうがいれつ)の昔の異称。ウィキの「口唇口蓋裂」から引く。『先天性異常の一つであり、軟口蓋あるいは硬口蓋またはその両方が閉鎖しない状態の口蓋裂と、口唇の一部に裂け目が現れる状態の口唇裂(唇裂)の総称。症状によって口唇裂、兎唇(上唇裂)、口蓋裂などと呼ぶ』。『口唇口蓋裂の有病率は』一千『人中』一人から四人『程度あり、現在は治療法も確立し』、殆んどが『外科手術により治療可能で、治療痕も目立たなくなっている』。『古くは外科手術も発展して』おらず、『成人しても裂け目が残っているケースが多く、「ミツクチ」「兎口(とくち)」と呼ばれたが、外科手術の発展』によって、『現代では整形手術が容易となり、その』結果、『裂け目が残るケースが殆ど無くなり、「ミツクチ」「兎口」は差別用語として扱われる』よう『になっている』。

「えん浮檀金」「えんぶだごん」。仏教の経典中にしばしば見られる想像上の金の名称のサンスクリット語の音写。「だごん」の部分は「陀金」「他金」などとも書かれる。。その色は紫を帯びた赤黄色で、金の中でも最も優れたものとされる。経典にみられる「香酔山(こうすいせん)」の南で「雪山」の北にある、「無熱池」の畔(ほとり)の「閻浮樹林」を流れる川から採取されるとされることから、この名がある(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠る)。

「花櫓」「はなやぐら」。美麗な高楼。高殿(たかどの)。文字通りの蜃気楼である。]

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