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2019/06/16

柳田國男 山島民譚集 原文・訓読・附オリジナル注「馬蹄石」(37) 「池月・磨墨・太夫黑」(4)

 

《原文》

 飛彈國[やぶちゃん注:ママ。「今昔物語集」の一本では「飛驒」を「飛彈」とする表記を見るが、今までも柳田國男は「飛驒」と記しているから、ここは誤植と断ずる。訓読では混乱するので特異的に訂した。]ニテハ池月ハ大野郡丹生川村(ニブカハ)大字池俣ヨリ出ヅト稱ス〔飛州志〕。池俣ハ乘鞍嶽西麓ノ村ナリ。恐クハ亦神聖ナル池アリシヨリノ村ノ名カ。乘鞍ト云フ山ノ名モ或ハ又馬ノ神ト緣由アリシモノナラン。池月ハ又近江ヨリ出デタリトノ說アリ〔越後名寄三十一〕。犬上郡東甲良村大字池寺ハ古クハ河原莊ノ内ニシテ、大伽藍アリシ地ナリ。名馬池月ハ此邊ニ生ル。池月ハ即チ池寺月毛ヲ略シタル名ナリ。而シテ磨墨ハ同ジ國伊香郡ノ摺墨鄕ニ於テ生レタルガ故ニ其名アルナリト云ヘリ〔淡海木間攫〕。伊勢鈴鹿郡庄内村大字三畑鳩峯ハ亦此地方ニテノ池月出生地ナリ。【爪石】同郡椿村大字小社牧久保ニ駒爪石アリ。徑(ワタリ)三尺バカリノ圓石ニシテ中央ニ爪ノ痕ニ類スル者存ス。池月此村ニテ育成セラレシ時蹈立テタル跡ナリト云フ〔伊勢名勝志〕。【駒ノ淵】然ルニ程遠カラヌ河藝郡河曲(カハワ)村大字山邊内谷ニモ同ジ傳說アリ。駒ノ淵ト稱スル周圍五十間餘ノ低地ハ即チ是ニシテ、以前幕府ノ官吏巡視ノ折之ヲ承認シ、右大將源賴朝卿之逸馬生唼出生之地ト云フ標木ヲ建テタルコトアリト云フ〔同上所引勢陽雜記〕。平蕪遠ク連ナル河内ノ枚方(ヒラカタ)ノ如キ土地ニ於テモ、尙池月ハ此地ニ生レタリト云フ口碑アレバ〔越後名寄所引寺島長安說〕、神馬ハ誠ニ至ラザル所無キナリ。更ニ中國ニ在リテハ安藝山縣郡原村大字西宗ノ四滿津(シマヅ)ト云フ處ヨリ磨墨出デタリト稱ス〔藝藩通志〕。或ハ又之ヲ池月ナリトモ云フ。【駒繫松】此村淨土ノ勇ケ松ハ、池月ヲ此樹ニ繫ギタリトテ古ヨリ其名高ク、神木トシテ崇メラル〔大日本老樹名木誌〕。石見鹿足郡藏木村大字田野原ニ早馬池アリ。池月此邊ヨリ出ヅト稱ス。元來野馬ニシテ池水ヲ泳グコト陸行ノ如シ。故ニ池月ト稱スト云フ。此地ハ山中ノ別天地ニシテ總稱シテ俗ニ吉賀ト呼べリ。吉賀鄕モト馬無シ。古今唯三名馬ヲ產スルノミ。磨墨ハ亦其一ナリト傳フ〔吉賀記上〕。但シ池月ハ或ハ長門須佐ノ甲山ニ生ルト云フ一說アル由ニテ、吉賀ノ故老ハ此一頭ノミハ隣國ノ口碑ニ割讓スルノ意アリシガ如シ〔同上〕。須佐ハ長門ノ東北隅ニシテ石見ト境スル山村ナレバ、龍馬ガ來往シテ其本居ヲ定メ得ザリシモノトモ解スルヲ得ン。而モ長門ノ通說ニ於テハ池月ノ生レタリシハ豐浦郡ノ御崎山ニシテ懸離レタル西隅ノ海岸ナルノミナラズ、磨墨モ亦同ジ牧ノ產ナリト主張スルナリ〔大日本老樹名木誌〕。【馬影池】之ト同時ニ石見ノ邑智郡出羽(イヅハ)村大字出羽ニ於テモ、馬影池ト云フ池アリテ亦池月此池ヨリ出ヅト傳フ。出羽ノ池月ハ誠ノ龍ノ駒ニテ、常ニ我影ヲ池ノ水ニ映シ又其池ノ水ヲ飮メリ〔石見外記〕。隱岐島ニテハ周吉郡ノ東海岸津居(ツヰ)ト云フ里ニ、牡池牝池ノ二ツノ池アリ。池ノ深サハ測リ知リ難ク岸邊ノ石ハ墨ノ如ク黑シ。白馬池月ハ則チ此水中ヨリ現ハレタリトアリテ、池ノ北ニ今モ駄島ナド云フ地名アリ。駄島ノ駄ハ牝馬ノコトナルべシ。【海ト馬】此池月ハ飛ビテ島前ニ渡リ、ソレヨリ大海ヲ泳ギテ出雲ニ來リシヲ、浦人之ヲ捕ヘテ亦鎌倉殿ニ獻上ス〔隱岐視聽合記〕。出雲ニ於テハ今ノ八束郡美保關村大字雲津ニ正シク其遺蹟アリ。池月ガ隱岐ヨリ渡リ著キシ時ノ蹄ノ跡岩上ニ殘レル外ニ、又自然ニ馬ノ姿ノ現ハレタル奇巖モアリト云ヘリ〔出雲懷橘談上〕。但シ雲津ハ夙ニ彼島渡航ノ船津ナリケレバ、二處ノ口碑ガ響ノ如ク相應ズルモ、特ニ之ヲ奇トスルヲ要セザルナリ。

 

《訓読》

 飛驒國にては、池月は大野郡丹生川村(にぶかは)大字池俣(いけのまた)より出づと稱す〔「飛州志」〕。池俣は乘鞍嶽西麓の村なり。恐らくは亦、神聖なる池ありしよりの村の名か。乘鞍と云ふ山の名も、或いは又、馬の神と緣由(えんいう)ありしものならん。池月は又、近江より出でたりとの說あり〔「越後名寄」三十一〕。犬上(いぬかみ)郡東甲良(ひがしかふら)村大字池寺は、古くは河原莊(かはらのしやう)の内にして、大伽藍ありし地なり。名馬池月は、此の邊りに生る。池月は、即ち、「池寺月毛」を略したる名なり。而して磨墨は同じ國伊香(いか)郡の摺墨鄕(がう)に於いて生れたるが故に其の名あるなりと云へり〔「淡海木間攫(あふみこまざらへ)」〕。伊勢鈴鹿郡庄内村大字三畑鳩峯は亦、此の地方にての池月出生地なり。【爪石】同郡椿村大字小社(こやしろ)牧久保に「駒爪石」あり。徑(わたり)三尺ばかりの圓石(まるいし)にして、中央に爪の痕に類する者、存す。池月、此の村にて育成せられし時、蹈み立てたる跡なりと云ふ〔「伊勢名勝志」〕。【駒の淵】然るに、程遠からぬ河藝(かはげ)郡河曲(かはわ)村大字山邊内谷にも同じ傳說あり。駒の淵と稱する、周圍五十間[やぶちゃん注:約九十一メートル。]餘の低地は、即ち、是れにして、以前、幕府[やぶちゃん注:江戸幕府。家康が清和源氏(新田氏)を祖と謳い、「吾妻鏡」を愛読書としたことは頓に知られる。]の官吏、巡視の折り、之れを承認し、「右大將源賴朝卿逸馬生唼出生之地」と云ふ標木を建てたることありと云ふ〔同上所引「勢陽雜記」〕。平蕪(へいぶ)遠く連なる河内の枚方(ひらかた)のごとき土地に於いても、尙ほ、池月は此の地に生れたりと云ふ口碑あれば〔「越後名寄」所引・寺島長安說〕、神馬は誠に至らざる所無きなり。更に中國に在りては、安藝(あき)山縣郡原村大字西宗(にしむね)の四滿津(しまづ)と云ふ處より、磨墨、出でたりと稱す〔「藝藩通志」〕。或いは又、之れを、池月なりとも云ふ。【駒繫松】此の村淨土の「勇ケ松」、池月を此の樹に繫ぎたりとて、古へより、其の名、高く、神木として崇めらる〔「大日本老樹名木誌」〕。石見(いはみ)鹿足(かのあし)郡藏木村大字田野原に「早馬池」あり。池月、此の邊りより出づ、と稱す。元來、野馬にして、池水(いけみづ)を泳ぐこと、陸行(りくかう)のごとし。故に池月と稱すと云ふ。此の地は山中の別天地にして、總稱して俗に「吉賀(よしが)」と呼べり。吉賀鄕、もと、馬、無し。古今、唯だ、三名馬を產するのみ。磨墨は亦、其の一つなりと傳ふ〔「吉賀記」上〕。但し、池月は、或いは、長門須佐(すさ)の甲山に生ると云ふ一說ある由にて、吉賀の故老は此の一頭のみは、隣國の口碑に割讓するの意ありしがごとし〔同上〕。須佐は長門の東北隅にして石見と境する山村なれば、龍馬が來往して其の本居(ほんきよ)を定め得ざりしものとも解するを得ん。而も、長門の通說に於いては、池月の生れたりしは、豐浦郡の御崎山にして、懸け離れたる西隅の海岸なるのみならず、磨墨も亦、同じ牧の產なりと主張するなり〔「大日本老樹名木誌」〕。【馬影池】之れと同時に、石見の邑智(おふち)郡出羽(いづは)村大字出羽に於いても、「馬影池」と云ふ池アリテ、亦、池月、此の池より出づ、と傳ふ。出羽の池月は誠の龍の駒にて、常に我が影を池の水に映し、又、其の池の水を飮めり〔「石見外記」〕。隱岐島(おきのしま)にては、周吉(すき)郡の東海岸、津居(つゐ)と云ふ里に、「牡池」・「牝池」の二つの池あり。池の深さは、測り知り難く、岸邊の石は、墨のごとく黑し。白馬池月は、則ち、此の水中より現はれたりとありて、池の北に今も「駄島(だしま)」など云ふ地名あり。「駄島」の「駄」は「牝馬」のことなるべし。【海と馬】此の池月は、飛びて島前(とうぜん)に渡り、それより大海を泳ぎて出雲に來たりしを、浦人、之れを捕へて、亦、鎌倉殿に獻上す〔「隱岐視聽合記」〕。出雲に於いては、今の八束(やつか)郡美保關村大字雲津に正(まさ)しく其の遺蹟あり。池月が隱岐より渡り著きし時の蹄の跡、岩上に殘れる外に、又、自然に馬の姿の現はれたる奇巖もあり、と云へり〔「出雲懷橘談」上〕。但し、雲津は夙(つと)に彼(か)の島、渡航の船津(ふなづ)なりければ、二處の口碑が響(ひびき)のごとく相ひ應ずるも、特に之れを奇とするを要せざるなり。

[やぶちゃん注:「大野郡丹生川村(にぶかは)大字池俣(いけのまた)」現在の高山市丹生川町(にゅうかわちょう)池之俣(いけのまた)(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「神聖なる池ありしよりの村の名か」上記地図を拡大して見ると、高い位置に「丹生池」、少し下がった位置に「土樋池」を見出すことは出来る。

「乘鞍と云ふ山の名も、或いは又、馬の神と緣由(えんいう)ありしものならん」ウィキの「乗鞍岳」によれば、『飛騨山脈(北アルプス)南部の長野県松本市と岐阜県高山市にまたがる剣ヶ峰(標高』三千二十六メートル『)を主峰とする山々の総称。山頂部のカルデラを構成する最高峰の剣ヶ峰、朝日岳などの』八『峰を含め、摩利支天岳、富士見岳など』二十三もの『峰があ』るとし、「山名の由来と変遷」に項には、延喜元(九〇一)年成立の歴史書「日本三代実録」(編者は藤原時平・菅原道真ら)の貞観一五(八七三)年の条に、『飛騨の国司の言葉』として、『大野郡愛宝山に三度』、『紫雲がたなびくの見た』、『との瑞兆を朝廷に言上した』とあり、この山は『「愛宝山(あぼうやま)」と呼ばれ』て、『その当時から霊山として崇拝されていた』。『平安時代から室町時代にかけて古歌で「位山」と呼ばれ』、正保二(一六四五)年頃には『乗鞍岳と呼ばれるようになったとされている』。文政一二(一八二九)年の「飛州誌」では、『「騎鞍ヶ嶽」と記されていた』。『飛騨側から眺めた山容が馬の鞍のように見えることから、「鞍ヶ嶺(鞍ヶ峰)」と呼ばれていた』とある。『日本には同名の乗鞍岳が複数あ』るが、一般に『「乗鞍」は馬の背に鞍を置いた山容に由来している』とされる。『信州では最初に朝日が当たる山であることから「朝日岳」と呼ばれていた』。『最高峰の剣ヶ峰の別称が、「権現岳」』。『魔王岳と摩利支天岳は円空が命名して開山したとされている』とある。因みに、池之俣直近の下方にある旗鉾伊太祁曽(はたほこいたきそ)神社(旗鉾はここの地名(高山市岐阜県丹生川町旗鉾)を単に冠したものだったようである)があり、サイト「大屋毘古神・五十猛命」(「おおやびこがみ」「いたけるのみこと」と読んでおく)の「伊太祁曽神社」には、その神社所有の素敵な円空作の男女神像の画像がある。

「犬上(いぬかみ)郡東甲良(ひがしかふら)村大字池寺」犬上郡甲良町(こうらちょう)池寺(いけでら)

「河原莊(かはらのしやう)」不詳。

「大伽藍ありし地なり」池寺の地名由来でもある(事実、広くない地域に現在も十余りの池塘が確認出来る)、同地区に現存する天台宗龍応山西明寺(さいみょうじ)のこと。金剛輪寺・百済寺とともに「湖東三山」の一つに数えられる名刹である。詳しくはウィキの「西明寺(滋賀県甲良町)」を参照されたい。

「伊香(いか)郡の摺墨鄕(がう)」湖北内陸の滋賀県長浜市余呉町(よごちょう)摺墨

「伊勢鈴鹿郡庄内村大字三畑鳩峯」三重県鈴鹿市三畑町と思われるが、「鳩峯」は見当たらない。

「同郡椿村大字小社(こやしろ)牧久保」三重県鈴鹿市小社町(小社町)(周縁(特に町外の北)に「椿」を冠する施設多し)と思われるが、「牧久保」は見当たらない。

「河藝(かはげ)郡河曲(かはわ)村大字山邊内谷」三重県鈴鹿市山辺町かと思われるが、内谷は見当たらない。

「安藝(あき)山縣郡原村大字西宗(にしむね)の四滿津(しまづ)」広島県山県郡北広島町西宗と思われるが、「四滿津(しまづ)」『此の村淨土の「勇ケ松」』は孰れも見当たらない。但し、引用元の「大日本老樹名木誌」のこちら(国立国会図書館デジタルコレクション。左ページ上段頭)には確かにそう書かれてある。

『石見(いはみ)鹿足(かのあし)郡藏木村大字田野原に「早馬池」あり』以下のこの周辺域の名馬輩出は既出既注島根県鹿足郡吉賀町田野原。吉賀町内の東方端。殆んどが山岳で、深い渓谷を成す。可能性としては、南の端の方の高津川沿いにある一本杉神社、及び、そこに附帯する施設「吉賀町水源会館」附近か。池は確かにある。

「長門須佐(すさ)の甲山」山口県萩市須佐と思われるが、「甲山」は見当たらない。

「豐浦郡の御崎山」「懸け離れたる西隅の海岸」と云う表現からは、山口県下関市吉母(よしも)にある小倉ヶ辻、通称「吉母富士(よしもふじ)」(標高三百八・六メートル)か。しかし、御崎山という別称は現在見られない。この東直近の岬は本州最西端の地である「毘沙ノ鼻」である。別にずっと北の山口県下関市豊北町大字神田上に御崎神社があるが、周辺に有意なピークが見当たらない(東直近の堂山は標高百三十五・一メートル。国土地理院図)。そもそもがこれ、「大日本老樹名木誌」のどこに乗ってるのか、判らなかった。

『石見の邑智(おふち)郡出羽(いづは)村大字出羽に於いても、「馬影池」と云ふ池あり』島根県邑智郡邑南町(おおなんちょう)出羽(いずわ)

『隱岐島(おきのしま)にては、周吉(すき)郡の東海岸、津居(つゐ)と云ふ里に、「牡池」・「牝池」の二つの池あり』現行では「男池」・「女池」とし、合わせて「津井(さい)の池」と呼ぶ以下の場所である(グーグル・マップ・データ国土地理院図)。八年前、隠岐に旅した際、行きたいと思いながら、足の悪い妻を連れては行けそうになかったので、行きそびれた場所である。何故、行きたかったか? 小泉八雲がこの話に触れているからである。『小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第二十三章 伯耆から隱岐ヘ (十七)』の本文(原文附き)と私のかなり詳細な注を見られたい。それで、ここに注する必要はなくなるからである。今回、サイト「京見屋分店」の「津井の池~サイノイケ~探訪」(男池探訪とそこにあった奇体な石等の画像複数有り)及びその続編「津井の池伝説」を見つけたので、是非、見られたい。

『「駄島(だしま)」など云ふ地名あり』現認出来ず。

『「駄島」の「駄」は「牝馬」のことなるべし』何故、柳田國男はわざわざこんなことを言っているのか? まさか、「駄馬」だから♀なんて考えじゃないよね? 「和漢三才圖會卷第三十七 畜類 馬(むま)(ウマ)」を参照されたいが、「駄馬」の用法は正当ではなく、「駄」は荷を背負う耐久力のある馬の謂いである。

「島前(とうぜん)」隠岐島という島があると思っている人が多いが、これは隠岐諸島の総称であり、「島前」(「島前三島」と呼ばれる「知夫里島」(知夫(ちぶり)村)・「中ノ島」(海士(あま)町)・西ノ島(西ノ島町)から構成される群島である)に対し、「島後」は「島前三島」から東の「島後水道」を隔てた「島後」(隠岐の島町)の一島から構成される。主な島はこの四島であるが、付属の小島は約百八十を数え、それらを纏めて「隠岐島」と呼ぶのである。

「八束(やつか)郡美保關村大字雲津」島根県松江市美保関町雲津。]

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