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2019/06/04

海上にて ツルゲエネフ(生田春月訳)

 

    海 上 に て

 

 私は小蒸汽船で漢堡(ハンブルヒ)から倫敦(ロンドン)に行かうとしてゐた。乘客は私達二人きりだつた。私と、一匹の小さな牝猿とで。これは漢堡(ハンブルヒ)の商人が英吉利の同業者(なかま)に贈物(おくりもの)として送つて遣るものであつた。

 彼は甲板の椅子の一つに細い鎖で縛られて、始終ぐるぐる動きまはつては、低い悲しげな聲で啼いてゐた、まるで鳥のやうに。

 私が傍(そば)を通る度に、彼はその黑い冷たい手を伸(のば)して、その小さな悲しさうな何だか人間のやうな眼で私を見上げた。私がその手を取つてやると、彼は啼きやんで、しつきりなしに動きまはるのも止めてしまふのであつた。

 ひつそりと死んだやうな凪ぎであつた。海は鉛色の勤きもしない敷布(シイツ)のやうに八方に擴がつてゐた。眼界は狹く小さかつた。濃霧が海上を覆ひ、帆檣(ほばしら)の頂點(さき)さへ雲に隱されて、そのやはらかな濃霧に眼は眩(くら)み疲れるばかり。太陽は此の濃霧の中にどんよりとした赤い斑點(しみ)のやうにかゝつてゐた。けれどもタ方前には、奇妙な不思議な赤味がかつた光を放ち出した。

 何か重たい絹物の褶(ひだ)のやうな長い眞直な褶(ひだ)は、一重また一重と船首(みよし)から起つて、進むに連れてうち擴がり、皺みつ伸びつ、一搖れしてはまた滑かになつて。そして消えてしまふ。單調な音を立てゝ廻る車に搔き亂されて、泡は飛び上り、牛乳(ミルク)のやうに白くなり、かすかな音をぶつぶつ立てゝ、碎けてうねうねした渦をつくり、それからまた溶け合つて、同じやうに消えて霧に呑まれてしまふ。

 猿の啼聲のやうに絕間なく悲し氣に、艫(とも)の方で小さな鐘(かね)が鳴つてゐる。

 時々海豚(いるか)が浮上る、そして急に身を轉じては、ありとも見える波間にもぐり込んでしまふ。

 船長と云ふのは陰氣な日に燒けた顏の寡默な男で、パイプを燻(くゆ)らしては腹立たしげにどんよりと澱(よど)んだ海に唾(つば)を吐く。

 何を訊(たづ)ねても、彼はきれぎれにぶつぶつ答へるばかりなので、私は仕方なしに、唯一の道づれなる猿を相手にせずにはゐられなかつた。

 私は猿の傍にすわつた。彼は啼きやんで、また私の方にその手を差出した。

 濃霧は睡氣(めむけ)を催しさうな濕氣でもつて二人を壓し附けるやうだつた。そして同じやうにぼんやりした氣持になつて、私達は兄と妹とのやうに相並んですわつた。

 私は今では微笑(ほゝゑ)むのだが……その時はまつたく違つた感じを持つてゐた。

 我々は皆おなじ母の子である、そしてその哀れな小さな動物が兄にむかつてするやうに、親しげに私を慰めて、私に馴れ馴れしくしてくれるのが嬉しかつたのである。

    一八七九年十月

 

ハンブルヒは獨逸の港。】

[やぶちゃん注:「漢堡(ハンブルヒ)」現在のドイツ連邦共和国の特別市であるハンブルク(ドイツ語:Hamburg:正式名称は「自由ハンザ都市ハンブルク」(Freie und Hansestadt Hamburg フライエ・ウント・ハンゼシュタット・ハンブルク。位置は後のトラフェミンデの地図リンクで確認されたい。なお、現代中国での漢字表記もこれである)。ドイツの北部に位置し、エルベ川河口から約百十キロメートル遡った港湾都市。十三世紀後半以後、ハンザ同盟の主要都市として活躍、諸国との貿易によって繁栄、今日でも自由港区(自国の関税法を適用せずに外国貨物の自由な出入を認める港区)を持ち、ドイツにおける世界への門としてヨーロッパ大陸最大の海運業の中心であり続けている。本詩篇が作られた当時は、ウィーン体制下(一八一四年から一八一五年に行われたウィーン会議以後)であったが、一八七一年のプロイセン王ヴィルヘルムⅠ世のドイツ帝国成立の際にも、ハンブルクは孰れの州にも属さず、独立を維持している。但し、この詩篇内の時制はツルゲーネフが大学を卒業し、ベルリン大学で勉強するために船で出発した一八三八年の体験に基づくものかも知れない。その当時のドイツはまだ、オーストリアを盟主とするドイツ連邦下にあった。なお、もし、この詩篇が、この時の体験に基づくものとすると、実は彼の内心(当時も、そしては創作時も)のっぴきならない強いトラウマの影響下にあったか、現にあることが推定されるのである。それは、サイト「ロシア文学」「ツルゲーネフの伝記」に明らかで、このハンブルクに至る直前(と思われる)、『彼が乗った汽船がトラフェミンデ』(ここ(グーグル・マップ・データ))『で炎上した事件はさまざまに語り継がれているが、彼の振る舞いが卑劣だったという点では共通している。彼はフランス語で』「『助けてください。私はやもめの母の一人息子なのです!』」『と叫んだともいわれ、この出来事以来、生涯に渡って彼の心に深い疼きを残した』とあるからである。私は本詩篇の激しい孤独感と、猿との共感、末尾の「私たちはみんな、一つ母親の子供だ」という感懐に、その事件後の彼の心象風景を強く感ずるのである。

「私と、一匹の小さな牝猿とで。これは漢堡(ハンブルヒ)の商人が英吉利の同業者(なかま)に贈物(おくりもの)として送つて遣るものであつた。」重訳だから仕方がないが、ここは原詩をかなり端折っている。或いは生田が端折ったのかも知れない。ここは原詩に基づくなら、「私と、それに小さな猿――これはウィスチチ種の牝で、ハンブルクの商人がイギリスの商賣仲間に送る贈物だつた――とで。」と言った意味となるはずである。「ウィスチチ種」の原文は「уистити」で、これは霊長(サル)目直鼻猿亜目真猿下目広鼻小目マーモセット(キヌザル)科マーモセット(キヌザル)亜科マーモセット(キヌザル)属 Callithrix の仲間、特に英名 Common Marmoset、コモンマーモセット  Callithrix(Callithrix) jacchus と思われる。体長約十六から二十一センチメートルで尾長は三十センチメートル強の長さを持つ、ブラジル北東部原産の新世界ザルで、耳の周辺に白い飾りのような毛を持つことと、首を傾げる仕草が特徴とされる。ヨーロッパでは古くからペットとして飼われており、現在も猿の仲間のペットとしては一番人気だそうである。また、本種は現在、マウスよりも人間に近い実験動物として利用されており、新世界ザルとしては初めて全ゲノム配列が決定されてもいる。ツルゲーネフがここで強い共感をこの子に抱いたのも、或いは、そうした生物学的「人間性」を感じたから、かも知れぬ、などと私は夢想するのである

「車」この船は外輪式蒸気船なのである。諸本に付属する本篇の挿絵を見られたい。因みに、本生田版の致命的であるのは、これらの挿絵を一枚も採用していない点である。或いは重訳に使用した二種ともに挿絵はなかったのかも知れぬ。

「時々海豚(いるか)が浮上る、そして急に身を轉じては、ありとも見える波間にもぐり込んでしまふ」これは、まず、誤訳(参考にした英訳やドイツ語訳がともに誤っていた可能性は低いので生田の誤訳の可能性が高いか)で、生田が「海豚(いるか)」(鯨偶蹄目クジラ目ハクジラ亜目 Odontoceti のイルカ類)とした部分は、原文では「тюлень」(チュレーニ)で、これはアザラシ(食肉(ネコ)目イヌ亜目鰭脚下目アザラシ科 Phocidae のアザラシ類)を指すロシア語である(因みにロシア語でイルカは「дельфин」(ジリフィーン))。また、「ありとも見える波間にもぐり込んでしまふ」というのは判らぬではないが、どうも日本語として不自然である。中山省二郎氏は、

『時として海豹が浮びあがつた、――だしぬけにもんどり打つて、かき乱されたとも見えぬ平らかな水の面にかくれて行つた。』

と訳され、神西清氏は

『時々海豹が浮び上るかと思ふと、いきなり飜筋斗(もんどり)打つて姿を沒したが、滑らかな水面はそのため別に亂れもしなかつた』

である。この三つの訳を並べてみると、この生田訳の「ありとも見える」という部分が如何にも日本語として不全な表現であるかが、お判り戴けるものと思う。

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