フォト

カテゴリー

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 吾輩ハ僕ノ頗ル氣ニ入ツタ教ヘ子ノ猫デアル
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から
無料ブログはココログ

« 2019年6月 | トップページ | 2019年8月 »

2019/07/31

ソヴィエト映画グレゴーリー・チュフライ監督作品「誓いの休暇」論 或いは 待つ母というオマージュ 13 エピソード4 カタストロフ

 

□223 夜汽車の客車内のアリョーシャ

アリョーシャ、客席(窓際左側。景色は右から左へ流れる)に座っている。

コートを着こみ、帽子を脱いでいる。左肘を窓下の小さなテーブルに突いて、左手を頰に当てている。その掌は帽子を握っている。

ぼんやりして、思いつめた表情。

シューラとの別れの悲哀が続いている。というより、ある大きな喪失感が彼を捕えてしまっていると言った方がより正確と言えるか。

[やぶちゃん注:それは心傷(トラウマ)のようなものではある。……しかし……真のトラウマはこの直後に彼を襲うのだ。……]

 

□224 車窓風景 森(右から左へ)

夕景或いは夜景(但し、撮影は昼間)。日が落ちる前後といった設定か。(次の次のシーンで人々は多く起きており、子どもも寝ていないことから)

 

□225 夜汽車の客車内のアリョーシャ(「223」のアングル)

 

□226 客車内(中景フル・ショット)

ワーシャのエピソードで出てきたタイプの客車である。窓を中央に対面座席で、左右の頭上に棚がある。

アリョーシ以外は総て民間人で、その人々(フレーム内)はどうも一つの家族であるようである。

アリョーシャの向かいに、やや年をとった婦人A、その右に並んで白髪の男性、その横に少女①が一人(幼女)、その横に赤ん坊(お包(くる)みの背が画面側で赤ん坊自体は見えない)を抱いている、やや若い婦人B(フレーミングの関係からと思われるが、この婦人Bはちょっと不自然に画面寄り、則ち、座席があるべき位置よりも有意に前にいる。或いは座席間に置いた荷物の上に坐っているとするのが自然かも知れない)、アリョーシャの右手に少女②(幼女)、座席の間に膝をついているように見える一番若い婦人Cが少女②のプラトークを結んでやっている。女性はみなプラトークをしている。

アリョーシャ、帽子で口元をごく軽くしごき、窓の外に目をやる。(この時、カメラはアリョーシャと婦人C二人を左右に奥に婦人Aと老人を主人物構成とするフレームまでインする。ここには少女①の顔と少女②の頭も含まれる)

婦人C、アリョーシャの方に顔を向けようとする。(カット)

 

□227 婦人Cのアップ(アリョーシャ位置から)

外を眺めているアリョーシャを見ながら微笑み、

婦人C「遠くまで行かれるのですか?」

[やぶちゃん注:彼女は美しい。シューラとは違う、やや大人びた雰囲気がある。]

 

□228 アリョーシャ(先のアングル)

アリョーシャ、婦人Cを振り返って見下ろし、硬い表情を少しなごませ、笑みを含みつつ、

アリョーシャ「サスノフスカです、もうすぐです。(ちらと窓外を眺めて顔を戻し)次の鉄橋を渡って、十キロほどです。」

婦人C「私たちは、ウクライナからまいりましたの。」

 

□229 アリョーシャと婦人C・婦人A・老人のアングル(「226」の最後のアングル)

婦人A(暗く)「……渡り鳥みたいですよ……何処へ行くんだか……」

老人、婦人Aの言葉を聴いて、咎めるような視線を送り、(カット)

 

□230 婦人Aと老人二人のアップ(窓の下位置からのあおり)

老人(婦人Aを厳しく見つめつつ)「ウラル山脈だ。(アリョーシャの方に振り返り)そこの工場で息子たちが働いておる。」

婦人Aは黙って聴いているが、暗いままに目を落としており、途中では軽く溜息をさえつく。

この老人の言葉が終わった直後――

遠くで何か爆発するような音が響く――

 

□231 婦人Bのアップ

婦人B、赤ん坊から顔を起こし、不安げに視線を宙に漂わせる。(このカットを見ると、婦人Bの向うに今一人、プラトークを附けた婦人がいるのが判るが、これは彼らとは別な民間人のようだ)

 

□232 別な民間人母子の顔のアップ

今まで映っていない婦人D(左)と、彼女が抱いている少年(右)。夫人は爆発音らしきものに怯えて、瞳を左(窓方向(外)と推定)に寄せる(背後に別な老人もいるのが見えるので、これはこのコンパートメントの手前にいる人々であることが判る。ただ、この新たな婦人と少年のカットは、爆発音の不安を倍加させるためのそれで、この家族の一員ではないであろう。私がそう思う理由は、この新たな婦人だけはプラトークをしていないことにある)

 

□233 婦人Aと老人二人のアップ(「230」と同じアングル)

二人、やはり左に瞳を寄せる。

婦人A、目を伏せる(これはその爆発音のようなものを特に気にしていないことを示す)。

 

□234 婦人B

彼女も、宙から、視線を赤ん坊に戻す。

 

□235 車内中景(「226」と同じアングル)

アリョーシャ、暗く押し黙っている。

[やぶちゃん注:実はここでアリョーシャにはそれが何の音かは判っているはずである。前線で戦った彼にははっきりと判る! あれは爆弾、爆撃の音なのである!]

――と!

――そこに!

――再び! 爆発音! 今度はより近くはっきりと聴こえる!

皆、窓外を見る。

 

□236 民間人母子の顔のアップ(「232」と同アングル)

婦人D、目を中空に上げ、少し口を開いて不安げ。

彼女の抱いている少年は、はっきりと瞳を上にあげて、口を少し開いて怯えている感じ。

 

□237 婦人Bのアップ

即座に窓の方へ顔を向ける。

 

□238 婦人Aと老人のアップ

同じく、体を少し乗り出して窓外を見る。

 

□239 婦人Cの顔面のアップ

窓の方を向いて、大きな目を見開き、

婦人C「雷鳴かしら?」

と言いつつ、アリョーシャ(のいるはずの位置)にも視線を一瞬漂わせ、即座に背後を振り返り、(カット)

 

□240 車内中景(「235」と同アングル)

婦人C、婦人Bと顔を見合して不安げであり、婦人Bも、お包(くる)みを抱いている両手をしきりに動かして、落ち着かない。

アリョーシャ、婦人Cや婦人Bに目を向けるが、無言である。

そうである。彼らはまだそれが爆撃であることを理解していないのである。――アリョーシャを除いては――。
[やぶちゃん注:しかし、さればこそ、アリョーシャは事実を話して早くも不安をあおるわけには却ってゆかないのでもあることに気づかねばならない。だからこそ以下の会話に於いて平静を装うのである。]

老人(アリョーシャに)「君は、一時帰郷かね?」

アリョーシャ「ええ。」

老人「どのくらい?」

 

□241 アリョーシャ(バスト・ショット)

アリョーシャ(微苦笑して)「もう、今夜だけで。それで終わりなんです。」

アリョーシャの右手に座っている少女が彼を見上げている。

[やぶちゃん注:もう一度、確認する。アリョーシャは将軍からは「郷里行きに二日」+「前線へ戻」「るのに二日」+「屋根の修理に」「二日」で計六日を与えられていた(ここ)。ここでアリョーシャが答えて言っているのは、前線へ帰還する「二日」を除いた、真の休暇の残りを言っているのである。即ち、ここまでで、実は――アリョーシャは六日の内の三日と半日過半(恐らく十八時間ほど)分を既に使いきってしまっていた――のである。

いや!

将軍に休暇の許しを得て前線を立ち――

隻脚のワーシャの帰郷に附き添い――

軍用列車にこっそり乗り込み――

シューラと出逢い――

シューラを一時は見失うも――

辛くも再会し得て――

次第に互いに親愛の情を抱き合い――

不倫のリーザに憤激し――

病床のパブロフ氏に息子セルゲイの架空の模範兵振りの大嘘を語り――

そして……

シューラと――別れた…………

それら総て――ここまでドライヴしてきたアリョーシャの、その豊かなしみじみとした経験と感性に満ちた時空間は――

――たった四日足らずの内の出来事だった――

のであった、ということに我々は驚き、心打たれるのである!]

 

□242 少女②の位置から向いの三人

婦人Cを中央に、左上に老人(少女①を膝に乗せているか。左に半分だけ顔が覗く)、右上に婦人B。

婦人B「……まあ……なんて、悲しい……」

老人(ちらと婦人Bを見、アリョーシャに戻し)「……一晩でも家に居られりゃ、あんたは幸せ者(もん)じゃて! 息子さんよ!……」

婦人C「恋人はいるの?」

 

□243 アリョーシャ(婦人B辺りの位置から)

アリョーシャ(ここは心から笑みを浮かべて)「ええ! 彼女はサスノフスカにはいなくて、今、ちょっと……離ればなれになってるんですけどね。」(この台詞の直後に次のシーンが、突如、ある)

[やぶちゃん注:「彼女」この時、アリョーシャの言っているのはシューラのことであることは言わずもがなである。わざわざ「彼女はサスノフスカにはいない」とアリョーシャに言わせているのはそのためである。今までの日本語訳はそこを誰も全く訳していない。まあ、それが西洋人には判らない以心伝心の意訳というわけか。

「離ればなれになってるんですけどね」どうも元は「けれど、今、私は彼女がどこにいるのか分らないのですが」(私は彼女を見失ってしまったのですが)が原語に近いようだが、これはちょっと訳として厭だ。最後の「文学シナリオ」と当該部を参照されたい。

 この時、このアングルで初めて、実はアリョーシャの右隣りにプラトークを被った老婆が座っているということが判る。但し、今までの画面ではそれは判らない。やや奇異な感じではあるが、或いは少女②はこの老婆の膝に乗っていたものか? その場合、しかし、背をごくぴったりと座席奥につけていたとか、この老婆がひどく瘦せた人物であるでもとしないと構図的には辻褄が合わない。或いは、この老婆は当初、少女②の右に座っていて、ここで座席を交感したものかも知れない。なお、このウクライナからウラルへ移るという一家の人物関係は私にはちょっと判りづらい。婦人Aは老人の妻のように見える(後で示す「文学シナリオ」ではそうである)。だからこそはっきりとした愚痴をも言えるのであろう。では、この一切、言葉を発しない老婆は誰なのか? 老人の母なのか? そもそもが婦人B・Cは? 老人の息子たちの妻? どうも、その辺りの関係性が判然としないのである。]

 

□244 老人と彼の抱いた少女①(鼻梁から上のみ・カット・バック)

激しい機関停止音!

車両が強く揺れる!

 

□245 急停車する列車の車内(先の中景アングル)

――突然!

――急停車する列車!

――照明がほとんど消え、激しく揺れる!

[やぶちゃん注:本来は、夜であり、照明は全部消えてしまっているはずであるが(この時代に別系統の単独の非常灯があるとは思われない)、中央の婦人Cのみに照明が当たっている演出をしている。ただ、彼女の服やプラトークは白を基調(としているように見える)としているので、そこだけが照明で浮かび上がっても、さほど不自然には思われないと言える。このスポット照明は無論、確信犯である。それはこの婦人Cを観客に特に印象付けるためのものである。]

 

□246 闇の中で急停車する機関車!(特殊撮影)

爆弾の落下音(着弾シーンは次のカット) ドイツの航空機からの空爆である!

[やぶちゃん注:これと以下の数カット(空(そら)のシーンを除く4カットほど)は総てミニチュアによる、所謂、今で言う「特撮」である。本作は一九五九年(昭和三十四年)の作品であるが、映画ではかなり以前から実物を縮小したミニチュアの撮影が長年に渡って行われていた。例えば、恐竜などが登場する「ロスト・ワールド」(The Lost World:アーサー・コナン・ドイル「失われた世界」原作/ハリー・ホイト(Harry O. Hoyt)監督/特殊効果・技術ウィリス・オブライエン(Willis O'Brien)/一九二五年作/アメリカ/無声映画)や「キング・コング」(King Kong:メリアン・C・クーパー(Merian C. Cooper)+アーネスト・B・シェードザック(Ernest B. Schoedsack)監督/一九三三年/アメリカ映画)、そして我らが「ゴジラ」(香山滋原作/本多猪四郎監督/特殊技術円谷英二/一九五四年(私のサイト版真正「ゴジラ」のシナリオ分析「やぶちゃんのトンデモ授業案:メタファーとしてのゴジラ 藪野直史」をどうぞ!)の先行作が今は有名であるが、円谷は既に戦争前から多数の特殊技術を担当しており、昭和一五(一九四〇)年の「海軍爆撃隊」(村治夫監督)で初めてミニチュアの飛行機による爆撃シーンを撮影、彼の経歴上、初めて「特殊撮影」のクレジットが附き、翌昭和十六年十二月に始まった太平洋戦争中の戦意高揚映画では、その総てについて円谷が特殊技術を受け持った。特に一年後の開戦日に合わせて公開され、大ヒットした「ハワイ・マレー沖海戦」(山本嘉次郎監督)が知られる(戦後、GHQは本作の真珠湾攻撃シーンを実写として疑わず、円谷はホワイト・パージに掛かって一時期、公職追放されたことは有名)。円谷が始めて「特技監督」としてクレジットされたのは、一九五五年の「ゴジラの逆襲」(本編監督小田基義)であった。なお、「特撮」という語は「特殊撮影技術(Special EffectsSFX)」を観客に分かりやすくするために、一九五八年頃から日本のマスコミで使われ始めたものである。]

 

□247 破壊された橋と向う側で止まっている機関車(特殊撮影)

空爆弾、着弾!(ここから音楽(標題音楽の短調変奏であるカタストロフのテーマ)が始まる)

激しい爆発!! 焔が立ち上ぼる!

既に画面の左手奥の土手の下には既に着弾があってそこで火災が発生している!

着弾の爆発の焔によって、画面が明るくなり、そこで初めて、その着弾点のすぐそばで汽車が停止していることが判る!

少し遅れて、橋が断ち切れた川面に爆裂による破片が飛び散り、多数の水飛沫(みずしぶき)が立ち上ぼる!

しかも、ここはさっきアリョーシャが言った「橋」の手前なのだ!

橋は、恐らく前の遠い爆撃音の際に既に橋に着弾して、橋を完全に崩落しているのである!

辛くも! 汽車は!

橋の目と鼻の先で!

止まっているのである!

[やぶちゃん注:この二つのシーンは夜であることが幸いして、ミニチュアであることはあまり意識されない。私はかなり上質な特殊撮影であると評価したい。]

 

□248 燃える列車!(特殊撮影)

土手の下からのあおり総ての車両から火の手が上がっている!

幾つかの車両が爆発!

中央に、傾いた電柱!

 

□249 夜空

白い雲の切れ目から空! 航空機からの空爆だ!

[やぶちゃん注:という「見做し」画像である。静止画像を仔細に見てみたが、飛行機らしき影は認められなかった。飛んでいれば、これも特殊撮影の可能性が高くなるが、私は実際の昼間の空を絞り込んで撮って、暗く処理した実景を挟んだ演出であると思う。]

 

□250 橋の手前の停車した汽車(特殊撮影・「247」を汽車のある土手の方に寄ったアングル)

左土手下に着弾! 爆発!

機関車のすぐ左に着弾! 爆発!

 

□251 土手下(特殊撮影・「248」を少し寄ったアングル)

何かオイルのようなものが車両から流れ出し、それに引火したように、激しい火炎が列車から音を立てて土手を流れ落ちてくる!

 

□252 闇に燃え上がる炎!

(オフで)ガラスを割る音!

[やぶちゃん注:この炎自体は特殊技術というなら、まあ、そうではあるが、実写に繋げるものとしてのカットととり、特殊撮影とはしないこととする。]

 

□253 客車の窓(画面上下一杯で外から)

煙に包まれている!

ガラスは既に割れている。(アリョーシャが割ったものと私はとる)

女性の叫び声(オフで)「……ああッツ!!!……」

奥から、アリョーシャが少女を抱いて! 窓のところへ!

見えぬが、窓の下で誰かが少女を受けとっている。

アリョーシャの顔は煤で真っ黒だ!

 

□254 土手の下(あおり・実写)

土手の上で燃え上がる列車!

手前に二人の民間の婦人がおり、右手の女性は頭を押さえて泣きわめいて、半狂乱となっている!

婦人「……ああッツ!!!……」

左手の年かさと思われる婦人が、落ち着かせよとするが、燃える列車の方へと向かおうとして、

婦人「助けて!!! 子供たちを救ってッツ!!!……」

と叫ぶ!

燃える列車からは、あちこちから人々が逃げ下ってくる!(以下、ずっと、モブの人々の叫喚のこえが続く)

 

□255 客車の窓(「253」と同アングル)

アリョーシャ、また少女を抱いて、窓から降ろし、また、戻る!

 

□256 燃えるコンパートメント

煙と炎にまかれて、左手に茫然と座っている女性がいる!

奥からアリョーシャがやってくる!

女性、床になだれ落ちる!

アリョーシャ、彼女を抱えて助け起こし、抱え上げて奥へ!

 

□257 土手下

上で激しく燃える車両!

その光の中でアリョーシャが意識のない老人の頭部に包帯を巻いている。

老人の脇に親族らしい若い女性が老人の肩に手を添えて支えて泣いている。

アリョーシャ、応急処置を終えてその女性に「大丈夫!」とでも言っているようである。

 

□258 燃え上がる車両

縦木と横木の骸骨のようになってまるごと燃え上がって!

 

□259 燃え上がる車内

また、アリョーシャがいる!

奥から意識のない女性を両手で抱きかかえてこちらに歩いてくるアリョーシャ!

シルエットであるが、若い女に見え、細いけれど、長い髪が垂れている――シューラのように――。

画面手前! 紅蓮の炎!(合成)

彼のシルエットで奥画面が消え、炎だけが画面に残り、F・O・。

[やぶちゃん注:「若い女」は――婦人C――ととっても問題ない。但し、実際のシルエットからはちょっと私は保留である。

 最後は非常に優れた合成である。これが場面転換となる。]

 

□260 翌朝の立ち切れた橋と川(爆撃されて炎上した汽車のある側・推定でやはりミニチュアの特殊撮影

上を流れて行く低い雲。

穏やかな、しかし哀感を持った例の標題音楽がかかる。

[やぶちゃん注:カメラの向きは逆方向からであるが、前のミニチュアの橋の断裂状態のそれとよく一致することから特殊撮影ととった。川面の小波が、明らかに実景よりも大きいことからもそうとれる。但し、モノクロであるから、おもちゃ臭さは殆んど感じられない。鉄骨や橋詰めの石組など細部の作り込みもよく、思うに、このミニチュアはミニチュアでも、かなり大きなものではないかと推測される。

 

□261 川と向こう岸と空(実写)

既に陽が昇っているが、雲の向う。しかし光っている。(川の寄せる波音がSEで入る)

 

□262 木立(木は左手・あおり)

下の方の雲間からは青空がのぞいている。雲は流れている。

 

□263 婦人Cの遺体

――ブロンドの髪を少し乱し

――中央に、左下に頭を向けて(胸部は右上)野菊の咲きみだれた草地に眠るように横たわっている

――まるで、野菊の花の香りをかいででもいるかのように……

カメラ、ティルト・アップ。

――左手に野菊いっぱい

――その右に立つ婦人と中央に少女

カメラ、少女の顔でストップ。

[やぶちゃん注:この遺体の向きは、優れて斬新でしかも美しい! 映った瞬間、観客はそれを遺体として認識しないように周到に考え込んだ、稀有の美しさを持った名1ショットである!]

 

□264 その左の遺体の前に立っている(という感じで)あの白髪の老人

老人の背後の小高いところには、別に四人の人物が向うを向いて立っているのが見える。

 

□265 哀悼している婦人

左中景に沢山に野菊その後ろに立っている女性。

ずっと遙か向うの木立の脇にも女性が立っているように見える。

右の奥の木立の下にも立つ人影が見える。

昨夜の空爆で亡くなった人は彼女だけではないのだ。

 

□266 丘の全景

下からあおり。

丘の上には何人もの人々が、三々五々で、立っている。それぞれのそれぞれの死者を悼んでいるのだ。

右から風が吹いてきて、木立と野菊を揺らす。

[やぶちゃん注:このシーン、奥の空の感じ(よく出来ているが、どうも人工的なホリゾントのようだ。但し、それは上部三分の一ほどで、人物・立木・樹木等々の効果でホリゾントに見えないのだ)や、丘の上の立木の感じ、風の吹くタイミングなどを綜合して見るに、ちょっと信じがたいが、どうもこの巨大な丘自体がスタジオの中に作られたセットなのだという確信を持った。さすれば、実は「263」「264」「265」も実は総てロケではなく、セット撮影なのだ! しかも、ということは! それだけではなく! ここより後の救護シークエンスも総てセットなんだ! 私は実に今日の今日まで、これらの印象的な悲しいシーンを総て実際のロケだと思い込んでいた! 恐るべし! チュフライ!

 

□267 二人の眠っている子を膝に抱いている婦人
婦人の顔は切れている。

手前の子(プラトークをつけているが男の子か)がピックとするところが凄い!

[やぶちゃん注:この1ショットは本作の映像の中でも私一オシの映像である。イタリア・ネオリアリスモ的な優れたものである。必見!(1:13:19辺り)]

 

□268 赤ん坊にお乳を与えている婦人

 

□269 婦人Cの遺体の側に立つ婦人と少女(「263」の最後のアングル)

さっきと全く逆に、婦人Cの死に顔へと逆にティルト・ダウン。(カット)

[やぶちゃん注:これはちゃんと別に撮ったものである。「263」を安易に逆回転させたものではない。比べて見ると、少女が左手の指が野菊に触れるそれが、有意に違っている。

 

□270 疲れ切って座り込んでいるアリョーシャ

彼の顔は真っ黒だ。

背後に野菊。

その奥には横たわった人物(焼け出された身内と思われる)の枕元に寄り添っている婦人がいる。

アリョーシャ、茫然としている。

無論、疲労もある。

しかし、恐らくは、さっきまで親しく話を交わしていた若い女性(婦人C)が亡くなったことが精神的にもダメージを与えているものと考えてよかろう。

[やぶちゃん注:本作では〈人の死〉は、最初の戦闘シーンで、先輩兵士が戦車機銃に撃たれて死んではいる。が、これは撮影時の変更で、この先輩兵士はシナリオでは実は死なない。戦車に追われる一人ぼっちのアリョーシャを演出するために現場で殺されることに変更したものであろう。展開からも、その死を悼むどころじゃなく、自分が狙われて、とことん、命を遊ばれるのであるから、彼の〈死〉を意識する暇などなかった(戦場で兵士が死ぬのは謂わば〈当たり前〉であり〈戦争の日常〉である)。従って、実は、アリョーシャが目の前での〈人の死〉と厳然と対峙することになるのは、本作ではここが初めてなのである。シューラとの別れは、確かに非常につらかった。しかし――〈人の生き死に〉を――しかも多くの民間人のそれを一瞬のうちに目の前にするということは(その中にはアリョーシャが、救おうとして救いきれなかった、救助したが亡くなってしまったのだ、と思っている人物もいるであろう)、アリョーシャにとって別な意味で激しい衝撃――トラウマを与えていることに気づかねばならない。]

向うの土手の右手には焼けた貨車の残骸が見える。(音楽、このカットで終わる)

反対の左手から、新しい蒸気機関車が、貨車一台と貨車の三倍ほどの長さのある無蓋車(広義の救護用で病人や被災者やその荷物を運ぶものと思われる。後の方の「272」の中に出現する)を頭で押しながら、進んでくる。

[やぶちゃん注:ウヘェ! やっぱり! そうだ! この最後に説明した左からくる車両をよく見て貰いたい。土手の位置で明らかに合成が行なわれていることが、そのま直ぐな部分の微妙なブレで判る。奥の空もピーカンで雲一つないのは綺麗過ぎるんじゃないか?

 そうした疑惑の観点から、右の損壊した車両を見ると、やってくる左の貨車のスケールと微妙に異なっており、しかもその向きが、これまた何だか、やはり微妙におかしい。

 いや、そうだ! この損壊車両、平板な感じで、奥行きが全くなく、これは立体でないということに気づくのだ。こうしてそこに確かに見えてあるということは、それが実物ならば、台車は残っていて、その立体性を必ず残している部分がなくてはどう考えても、変だ!

 或いはこの損壊車両は――全体がシルエットの絵――なのではないか?

 そうした意識で以って、改めて左から進行してくる車列を再確認すると、如何にも不思議なほどに――スムースに――何の上下振動もなく――速やかに――滑ってきていることに気づくのだ。

 もし、実際の貨車と、非常に長い無蓋車(特に重機などの巨大なものが載っているわけではないそれ)を蒸気機関車が頭で押してやってくるとしたら、そこでは必ずレールの繋ぎ目での微かなガタ突き(上下運動)が、必ず、生ずるはずだ。だのに、何度、巻き戻して見てみても、そんな部分は一切、認められないのだ。無蓋車に突き出ている突起物らしきものも、これ、微動だにしないのだ。これは後で判るが、実は物体ではなく人間なのにだ!

 蒸気機関車はちゃんと上の煙突から煙を吐いてはいるから、それはミニチュアのそれであろう。

 しかし、機関車の頭部と無蓋車の連結部分の角度が、やはり微妙におかしい感じがする。

 実は――この無蓋車と貨車孰れも巧妙に描きこんだ平面画を切り抜いたもの――ではないだろうか?

 則ち

――そのマット画をミニチュアの蒸気機関車の頭部に接着し、それら全体を平板なの上で、ミニチュア機関車から煙を吹かせた上で、人がスライドさせている画像を撮り、それをこの土手上面部で合成した――

と私は推論するのである。ここのそれは遠景であることから、それがミニチュアやマット画像や合成であることに気がつきにくいのだ。

 言っておくが、

――私は、それをここで批判しているのでは毛頭、ない。

――私はまた、それを明かしたと思って悦に入っているのでも、ない。

 私は――そのミニチュア・ワークや合成に六十二歳にもなって初めて気づいた私自身の不明と――チュフライのそのスゴ技に完全に舌を巻いて感動しているのである。]

 

□271 茫然としているアリョーシャ

前の270とオーバー・ラップで入る。しかし奥の景色とアリョーシャの姿勢が明らかに異なる。ここからモブのざわめきが続く。

救護活動が続いている現場。草原。ところどころに野菊。

アリョーシャの背後左右に被災民三、四名。

中奥に看護婦らしき白衣の女性。

左右からも被災民がインする。

そのすぐ後ろに通路があり、担架を持った人々(白衣の医師もいる)などが、やはり、行き来する。

そのさらに奥の高台部はいままで画像からは鉄道の線路相当かと思われるが、そこも人々が非常に多く行き来しているが、そこでは人は専ら、右から左にしか移動しない。これはそこが線路(相当の場所)であることをよく示してはいる。何故なら、右が空爆で崩落した橋に当たると読めるからである。

その奥に空が少しだけ見える。

右手前から、白衣を着た医療関係者の男が担架の前をもってインし、そこに乗る頭部に損傷を受けた少女を見ているアリョーシャに、

医療関係者「おい、もっとどこか邪魔にならないところに座れないもんかね? 兵隊さんよ!」

立ち上って、左にアウトするアリョーシャ。

[やぶちゃん注:これも恐らくほとんどの人は、今までの私のように、屋外ロケと思っているのではないか?

 しかし、考えてみて欲しい――このように断層的になっていて、狭いアングルでも都合よく、人が重層的に動かすことが出来るような地勢や通路が、空爆された鉄道線路のそばにあるということ自体、これ、実はかなり不自然なこと――じゃあないだろうか?

 最後に。奥の少しか見えない空は、何となく先の丘(「266」)の上の空(人工のホリゾント)と同じように私には見えるのである。

 ここからアリョーシャがここを去るまで(郷里サスノフスカへと向かう直前まで)のシークエンスは、実は途方もなく大きなスタジオの中に人工的に作り出されたセットなのだを私は思うのである。]

 

□272 救護の現場

疲労からふらつくアリョーシャ。

そこに右手奥から、担架の前持つ女性がイン、

女性「どきなさい! 道に突っ立ってないで!」

男性(担架の後ろ持ち)「ともかく、どいてろよ!」

カメラ、アリョーシャを追って左に移動すると、奥の一番高い段に、「270」で遠景に見えた無蓋車の本物[やぶちゃん注:私は「270」のそれをフィギアのマット画像ととっている。]が見えてくる。そこに立っている生身の三人の人間(女性である。二人は座っていて、一人が立っている)の姿は、「270」の突起物とよく似ているのである。

さらに左に行くと、救援の機関車でやって来た、町の共産党細胞組織の纏め役と思われる(服装と帽子から)救護のヘッドが説明をしている。それを受けて、背後の無蓋車に向かって左手を廻り込んで、人々が向かっている。

救護の主任「重傷者・傷をしている女性・子供だけを先に乗せて行く。それ以外の者は第二便が来るまで待っていて貰わねばならない。二時間後には戻って来るから、心配しなくて大丈夫だ!……」

アリョーシャ、それを聴いて

――ハッ!

と背後の彼方(川の彼方のサスノフスカの方)を

――きっ!

睨み、

アリョーシャ「二時間!!」

と叫ぶや、後ろへ向かって走り去る!(右手へアウト)

[やぶちゃん注:「二時間!!」前に注した通り、実は最早、彼の正味の休暇はこの日の午前零時で終わってしまっていたのだ。もう彼には前線へ戻るための二日しか残っていない。しかし、ここまで来て、母に逢わずに帰るのは、とてものことに、辛い! 彼は、自力で川を渡ってサスノフスカへ向かって、一目、母に逢って、トンボ返りするという決断をしたのである。

ここで私は言う。「270」の合成処理は、この「272」を撮影した後に、特殊撮影と合成編集によって行われた。だから、「270」のマット画像には、撮影した「272」の無蓋車上の座っている女たちの実写が参考にされた、されてしまったのだ。救援できたはずの無蓋車の上に、この女たちと同じように救援者が似たような位置で乗ってきたのだ、というのはちっとばかりおかしいが、そんな細かいことを合成班の連中は考えなかった可能性は十分ある気がするのである。]

 

■やぶちゃんの評釈

 休暇の終りに最大最悪のカタストロフがアリョーシャを襲った。

 それは、容赦なく波状的である。

 アリョーシャは空爆された列車の負傷者を、可能な限り、全力を尽くして救い出した。

 しかし、翌朝の彼を待っていたのは、意想外の邪魔者扱いの言葉であった。

 それは彼が――如何にも「若く」「元気に見える」「兵士」の癖に――戦場じゃない内地にいて――しかも――負傷者の山の中でぼんやりして何もしてないじゃないか!――というような、前後を理解しない皮相的誤解に基づくものではある。

 しかし、それは映画の観客だけが、アリョーシャと共有出来る真実なのであり、映画の中のアリョーシャはこの三つの侮蔑の言葉によって、完全に心が折れかかってしまうのである。

 そうした人々の心ない侮辱は、ある意味で――〈人の子〉としてのイエス・キリストの〈絶望〉と等価である――とも言える。

 而してその絶望、

――シューラの喪失

――若き婦人を始めとした人々の死

を越えて、アリョーシャを全的に無条件で救いとってくれるのは

――最早

――母なるマリアの愛――しかない――のである。

 「文学シナリオ」の当該部分を示す。

   《引用開始》

 アレクセイが唯一人で汽車に乗っている。シューラはいない。

 車輪のリズミカルな響きに耳を傾け、物思いに沈んで座っている。窓外は悲しい夕暮れである。隣りの座席の乗客は静まりかえっている。恐らく、夕景と車輪の響きが人々をこのようにしているのだろう。子供達も黙っている。時折、深い溜め息が沈黙を破るだけである。

 アレクセイと向き合って、花模様のネッカチーフをした黒眼鏡の女が座っている。彼と並んで、節の多い杖にもたれて、美しい白髪の頭をうなだれた老人が座っている。あまり大きくない理知的な眼、きっと結んだ唇等、彼の容貌には男性的な叡知があふれている。

 黒眼鏡の娘は、アレクセイを眺め、突然歌うようなウクライナ語で質問する。

 ――遠くまで行くんですか。

 ――サスノフカです。すぐ近くです。すぐに鉄橋があります。そこから十キロメートルです。

 アレクセイは答える。

 ――私はウクライナからです。

 娘は話す。

 アレクセイは、彼女と老人とふさぎこんでいる老婦人を眺める。彼には彼等の悲しみが分かった。そして、彼は〈分かりますとも、戦争があなたを遠くへつれて来たのです〉とでも言うように、娘に同情してうなづく。

 ――ああ、ああ! 秋の鳥のように、どことも知れず飛んで行くのです。

 老婦人は溜め息をついた。

 老人は耐えられないというように動いた。

 ――言っても意味ないことだ。

 彼は姿勢を崩さずに言った。

 ――ウラルへ行こう……。そこには我々の工場もあり、息子もいる。

 彼はきっぱりとした口調でつけ加えた。

 婦人は沈黙した。

 車輪はレールを叩いていた。隔離壁が静かに軋んだ。これらの相変らずの音響にまざって、遠くでサイレンが鳴るのが聞こえて来た。

 ――何でしょう。

 娘は聞いた。

 サイレンは繰り返し鳴った。

 みんなは、何故か窓の外の空を眺めた。

 婦人は眠っている子供を手にかかえながら、顔が青ざめた。みんなが耳をそばだてた。静かだった。みんなは次第に落ついて来た。

 アレクセイは煙草入れをとり出した。煙草を吸(の)みながら、それを老人に差し出した。

 ――どうぞ。

 ――ありがとう。

 彼は丁寧に感謝した。そして煙草入れから煙草を取り出して、善良そうに微笑し、ウクライナなまりのロシア語で話した。

 ――本当のところ、煙草に不自由していたのです。

 二人は煙草を吸った。

 ――あなたのお国はどこですか。

 老人は聞いた。

 ――この土地の者です。サスノフカで生れたのです。母に会える機会が出来たのです。

 ――というと、家に帰るのですか。

 ――そうです。

 ――長く居られるんですか。

 アレクセイは悲しそうに笑った。

 ――時間はあったのですが、今ではもう、夜明けに帰って行かねばなりません。

 ――おお!

 婦人は同情するように溜め息をついた。

 老人は彼女を横目で見ながら、アレクセイに言った。

 ――生れた家で一夜を過せるなんて、大変な幸福です!

 ――それから戦場ヘ帰るのですか。

 娘が聞いた。

 ――そうです。

 ――それであなたには女の友達があるんですか。

 アレクセイは沈黙した。

 ――あります。ただ、彼女はサスノフカにはいません。……。私は彼女を見失ってしまいました。

 彼は告白し、すぐに激しく付け加えた。

 ――しかし私は彼女をどうしても探し出します。地上をくまなく探し出します![やぶちゃん注:この台詞は映像でどうしても附け加えて欲しかった。残念だ。]

 老人は微笑した。

 ――本当に駆けずり回りなさい。愛情があったら当然です。あなたは何か技術を持っていますか。

 ――いいえ、まだです。故郷へ帰ったら学ぶつもりです。今でも一つの職業はあります。兵士です。

 ――兵士は職業ではない。兵士は地上の義務です。

 老人は話し、そして考え込んだ。

 列車は急速に走って行く。車輪は音をたてる。窓外では夕景の中を大地が流れて行き、電柱が時々通り過ぎる。

 アレクセイは胸騒ぎする。

 ――もうすぐ家です。

 彼は溜め息をついて言った。

 ――我々のウクライナは遠くです。

 婦人の声が羨むように彼に答えた。

 長い汽笛が、一度、二度と鳴った。

 客車が震動した。ブレーキが鳴った。アレクセイは窓に走ったが、そこには何も見えなかった。

 

 不安定なかがり火に照らされた線路に、人が立っている。彼のさし上げた手にかがり火から取った燃えさしが松明のように燃えている。

 列車はブレーキをかけながら停止する。

 客車のステップから人々が飛び下り、前方に駆けて行く。その人影は松明を持つ手を下ろし、倒れるように大地に座る。

 強力な機関車の探照燈が光を投げ、破壊された鉄橋の曲りくねり、破り裂けた橋げたを一瞬闇に照らし出して、消えた。

 数人が座っている人に身をかがめた。彼は彼等に何か言った。すると、彼等は闇の空を心配そうに見上げながら、かがり火を消しにかかった。人々はその人を抱き上げ、客車に運んだ。彼は負傷し、静かに呻吟していた。

 アレクセイは、憂鬱そうに遠く暗闇の中にかすかに輝いている河の向うを眺めた。そこに、彼の村があった。彼は夜目に馴れた。機関車のところで、人々が無益に駆け回っていた。アレクセイは考え、意を決し、河に向って駆けて行った。

 ……数本の丸太の切れ端が筏の役目をする。板は櫂である。彼はそれをしっかりと漕いで、岸から離れて行く。筏の下に水が波立っている。

 もう河の中央である。アレクセイは櫂を漕ぐ。

 列車の方から彼に向って、警告の叫びが投げられる。彼は漕ぐのを止めず、耳を澄まし、注意深く上の方を見つめている。上方から、不吉な不安定な唸りが聞えてくる。

 アレクセイは、櫂を振り、一層早く漕ぎ始める。恐ろしい、心臓を揺さぶるような唸りが静寂を破り、やがて一発、二発、三発と破裂する。

 アレクセイは身をかがめる。爆発の中に人々ののけぞる姿が映る。

 列車は火に包まれた。火影が河を蛇のようにうねった……。

 ――畜生!

 溜め息をつきながらアレクセイは闇の空に叫んだ。

 ――畜生! 畜生!

 板を取ると熱に浮かされたように、後方に漕ぎ出した。そこでは人々の号泣の中に爆弾が破裂していた。彼は兵隊であった。そして、そこでは人々が死んでいた。

 ……彼は岸にたどり着き、呻き声と爆発の真っ只中の飛び込んで行った。

 ……彼は火事の中を駆けずり回った。

 ……人々と一緒に、燃えている車両を列車から切り離した。

 ……割れ目の中から負傷者を引き出した。

 ……彼は繃帯をしてやった。

 ……彼は火の中から人々を救った。

 このように、この夜は爆発と、うめき声と、死と、人々の嘆きの中に過ぎて行った。

 

 夜明けである。空が明けかかっている。静かである。そよ風が木の葉をかすかにふるわせている。河は静かに誇らしげに流れて行く。ただ、鉄橋の橋げた、掘り起こされた大地、破壊された列車、燃え尽きた車両だけが、前夜の悲劇の記憶をとどめている。

 生きている者は死んだ者の周りに座り、あるいは立っている。泣きわめく者もいない。すすり泣く者もいない。最早、泣く力もないのである。朝に眠っている子供達は、眠りながら身震いしている。

 若い母親の手の中で、生き残った生命の小さなかたまりが動いている。彼は眠っていない。彼はむき出した母の胸に、巧みにがつがつと吸い付いている。

 アレクセイは疲れ果てて丸太に座っている。彼の顔は汚れている。手に血が流れている。夜が明けて、彼の休暇は終わった。彼は気だるそうにポケットから煙草入れを取り出し、その中を探る。煙草入れは空っぽである。煙草も終わった。

 到着した列車から、人々が事件の現場へ急ぐ。

 ……看護兵が負傷者に繃帯をしてやる。負傷者を担架で列車に運ぶ。アレクセイはまだ、同じところに座っている。彼はこの列車で帰らねばならない。

 ――道を塞がないでどいてくれ!

 看護兵が彼に言いかける。アレクセイは立ち上がり、担架に道を譲り、脇に、どく。

 しかし、ここでも自分の仕事を一所懸命している人々の邪魔になる。

 ――何してるんだ! どいてくれ!

 アレクセイはおとなしく脇に、どく。彼の傍らを恐怖の一夜で興奮した人々が群れをなし、寝ぼけ顔で、びっくりしている子供達の手を引いて、客車に向かい、何故か急いで駆けて行く。

 アレクセイの近くで乗客の大きな塊が肩章のない外套の人を取り囲んでいる。誰もが先を争って言う。

 ――何故、私はだめなんです。

 ――司令官、我々はどうすればいいんですか。ここに留まっているわけにはいかないのです!

 ――皆さん! 私が言ったように……今は、負傷者と御婦人と子供だけを運ぶのです。それ以外の方は、ここに留まって列車が戻ってくるのを待って頂きたい。列車は、二時間後には必ず戻って来ます!

 アレクセイは眠りから醒めたように、話している人の所に急いで行った。

 ――二時間だって!

 彼は弱々しく叫んだ。そして、河岸に駆けて行った。

   《引用終了》

 川渡りを中断して戻るというのは、流石に、くど過ぎる。

2019/07/30

ソヴィエト映画グレゴーリー・チュフライ監督作品「誓いの休暇」論 或いは 待つ母というオマージュ 12 エピソード2 シューラ(Ⅵ) シューラとの別れ / シューラ~了

 

□188 ウズロヴァヤ駅構内

(F・O・した画面からざわめきが入り)客車が右手前から左やや中ほどまで続く。軍人たちが車両に我れ先にと乗り込んでいる。その中景に慌ててやってきたアリョーシャとシューラが、その中に走り込む。カメラ、ゆっくりと右へ動き、車両に寄る。

デッキのところに婦人の駅員(或いは徴用臨時軍属か)が乗り込みを監視している。

婦人駅員「急く! 急いで! 急いで!」

婦人駅員の右下から、あおりで。

アリョーシャが乗り込み、シューラが続こうとすると、婦人駅員が制止する。

婦人駅員「これは軍用列車よ!」

アリョーシャ(焦って)「僕の妻です!」

シューラ「違います!」

婦人駅員「ダメ! ダメ! 民間人はッツ!」

婦人駅員、シューラを押し戻す。

婦人駅員、周囲に再び「これは軍用列車!」と叫ぶ。

しかし、民間の婦人がデッキに荷物を投げ入れて乗り込もうとしたりしている。

押されて乗り込んだアリョーシャ、デッキから降りてきてしまう。

 

□189 車両の脇(中景から二人に寄る)

アリョーシャ(右手)、シューラ(左手。三つ編みの髪を右手に垂らしている。演出の配慮、よし!)を連れて少し車両から離れ、

アリョーシャ「もう! どうして嘘がつけないんだ!」

アリョーシャ、焦る。

シューラ「アリョーシャ、一人で乗って! 私のせいで、半日、無駄にしてるんだから。……心配しないでいいの! 私は自分で何とかするから! ね! いいの! アリョーシャ! いいのよ! アリョーシャ!……」

[やぶちゃん注:これはシューラが前の軍用列車に潜り込んだこと、則ち、アリョーシャがシューラに逢ってしまったこと全体を指しているのである。アリョーシャがそれに肯んずるはずは、毛頭、ない。]

アリョーシャ、突然、持っていた自分のコートを広げ、

アリョーシャ「これを着ろ!」

シューラ「なんで?」

アリョーシャ「ともかくッツ! これを着るんだッツ!!」

アリョーシャ、シューラに自分の大きな軍用コートを着せる。シューラ、黙ってなすがままにされているが、顔が一転して、満面に笑みがこぼれている。(着せる際の動きで二人は左右位置を代える)

アリョーシャ、自分の略式軍帽をとると、シューラにかぶせ、髪の毛をぴっちりと撫でつけてやる。

アリョーシャ、その俄か兵士姿になったシューラを引っ張ってさっき乗ろうとした車両から、左方向へと引きずるように引っ張ってゆく。アリョーシャは如何にも楽しそうだ! 少女のように! アリョーシャのコートだから、ダブダブな上、裾は足首辺りまである。シューラは全くよちよち歩きの体(てい)!

 

□190 別な車両の乗降口

人々が群がっている。

 

□191 その乗降口(左手から)

かなりの年を取った眼鏡を掛けた老婦人駅員がいる。

アリョーシャに押されて先にシューラが乗り込もうとすると、

老婦人駅員「トットと上がる! グズグズしない!!」

と促され、シューラは「へっ?」という顔をする。変装、バッチリ!

[やぶちゃん注:アリョーシャは年寄りで目の悪い彼女の所を選んだものと思われる。しかし……この老婦人、〈大阪のおばはん〉なんか目じゃないほど、キョウレツやで!]

 

□192 老婦人駅員の正面アップ

老婦人駅員、警棒を振り上げて、また、

老婦人駅員「トットと上がるのッツ! 早く! 早くッツ!」

と叫ぶ。

 

□193 乗降口(「191」の少し上のアングル)

ばれない用心と、詰っているデッキのそれを押し込むために、アリョーシャが老婦人駅員の前に回り込んでシューラを隠しながら、自分が少し先に登る。

カメラ、一度、あおりながら、デッキに乗り込んでゆくアリョーシャを撮る。

ところがシューラが途中のデッキ・ステップで動かなくなってしまう。

アリョーシャ、体(たい)返してしゃがみ、右手を出して、シューラに、

アリョーシャ(苛立って)「どうしたんだッツ?!」

シューラ(いかにも少女のように)「コートが引っ掛かったの!……」

アリョーシャ、そのコートを引っ張り、シューラを抱きかかえて、デッキに無事乗り込む。

 

□194 車両連結部

さっきの老婦人駅員も右手のデッキの左位置に立っている。連結部はただ下部の連結器だけの平面で、画面左右の車両の開いた扉もごく小さい。ここ、走り出したら、私でも躊躇する、車両の左右には何の栅や蔽いも一切ない、非常に怖い場所である。

そこに押し出されて立つ、アリョーシャ(前)とシューラ(後ろ。辛うじて顔だけが見える)カメラ、右に移動すると、汽笛。

 

□195 力強く動きだして蒸気を吹き出す機関車の複数の動輪(アップ)

先頭は右方向。

 

□196 機関車の先頭部(前哨燈と煙突)

右手前向き。煙突から噴き出る煙。加速!

 

□197 列車からの夕景

左から右へ流れる。手前に樹木、背後に落ちる陽、その上の空に散る千切れ雲。

 

□198 連結部(車両の右手からで奥の流れる景色は「197」と同じ左から右でスクリーン・プロセス)

連結部の左右の扉の外にさえ人が立っていたり、摑まっていたりする、超満員!

狭い連結部中央位置に右手(汽車の進行方向)を向いた軍帽のシューラと、そのすぐ前にアリョーシャが覗き見える。(カメラ、近づく)

連結部を何人かの人々が左右に行きした後(そこには実は民間人の婦人もいたりする)、二人の周囲が少し空いて、ちょっとゆったりとなり、互いに顔を交わして笑う。

ここは車両音が高まり、二人は何か楽しそう喋り合っているが、それはオフである。

会話の最中、シューラは軍帽をとって、アリョーシャに被せる。この時、シューラの右手がアリョーシャの左胸に置かれている(この間にカメラはさらに寄って行き、二人だけのフレームになる。また、帽子をかぶせたところから標題音楽(最初はフルート)が始まり、以下、高まってゆく

左から右へ流れる白いスモーク(機関車の蒸気か煙のイメージかと思われる。ごく白い)がオーバー・ラップする。

[やぶちゃん注:シューラの手のそれは、この連結部という如何にも危険な場所であることを考えればごく自然な動作ではある。そうさ、私はふと、所謂、〈吊り橋実験効果〉を思い出した。知らない方はウィキの「吊り橋理論」を読まれたい。]

 

□199 白いスモーク

左から右へ。

 

□200 連結部の二人(夕景)

黙って見つめ合う二人だけのアップ。

アリョーシャ、ふと、淋しそうな顔をして、左(手前)に目を落とす。

シューラ、見つめているが、目をゆっくりと閉じる。しかし口元には笑みが浮かんでいる。

 

□201 シューラの顔(正面)のアップ

目を見開いて、アリョーシャ(オフ)を見上げる。

口元が少し開いて、何か言いたそうであるが、言わない。

 

□202 切り替えしてアリョーシャのアップ

目は半眼であるが、眠そうなそれとは違う。シューラを遠くを見るように、見つめていたが、突然、瞬きをして見開くと、口元に笑みを浮かべる。

 

□203 シューラのアップ「201」より接近して顔面と首のみ)

うるんだ瞳。ほんの少し開いた唇。

 

□204 アリョーシャのアップ(「202」に同じ)

しっかりとシューラを見つめる。口元に微かな笑み。何か、あるしっかりした何ものかを意識した表情である。(最後は次のシューラの横顔とかなりゆっくりしたオーバー・ラップとなる)

 

□205 シューラの右横顔

最初、風圧に乱れる髪と右目と鼻梁と上唇(うわくちびる)のみを映す。そこから少しだけティルト・ダウンして唇まで下がる。

 

□206 見上げるシューラの顔のアップ(右上方から)

乱れる散る髪の中の――天使のような笑顔――

 

□207 夕景(「197」をよりアップで)

夕陽の輝きを有意にターゲットとしたもの。(次のショットのため)

 

□208 シューラの横顔(右手から頭部全体)

彼女の眼のやや上の位置の向うの消失点に夕陽。その光はあたかもマリア像の後光のようである。

乱れる髪――

何かを思いつめたように真面目なシューラの横顔――

そこに――

右からアリョーシャの横顔がゆっくりとインしてくる――

夕陽は二人の間の彼方に燦然と輝き――

アリョーシャの顔にシューラの髪の毛が――

何か鳥の羽根のように纏わってゆく!

と――

同時に――

シューラとアリョーシャの口元に素敵な笑みが浮かぶ――

二人、カメラ手前下方にそれぞれ一度、顔を伏せるが、すぐに見つめ合って――

シューラ――

ゆっくりと――

アリョーシャの胸に――顔を埋める…………(次の「209」とオーバー・ラップ)

[やぶちゃん注:実に「194」ショットからこの「208」まで(その間は約1分50秒相当)、台詞は一切なく、「198」の途中からは、そこから始まった標題音楽だけがここまで(その間は約1分9秒相当。ここまでで八十四分の本作の八割弱の六十五分に当たる)映像の唯一のSEとなる。

 私は、この夢幻的とも言える、しかし、それでいて確かなリアリズムの美しさと、アリョーシャとシューラの無言の心の交感のシークエンスを見るたびに、涙を禁じ得ない。この1分余りのそれは、映画史上、稀有の最も美しいラヴ・シーンであると信じて疑わない。

 

□209 駅

抱き合っているアリョーシャとシューラのアップ。

シューラは眼を閉じている。

アリョーシャは眼を開いている。

二人のそれはあたかも若きイエス・キリストと若きマリアのようにさえ見える。

カメラ、急速に後退してフレームを開く。二人、向き合う。(ここで前からの標題音楽が終わる)

駅のホームである。

ここがシューラが降りねばならない駅なのである。

背後で人々が列車に慌てて乗り込んでいる。

シューラ「ここでお別れね、アリョーシャ。」

アリョーシャ「そうだね。……僕のこと……ずっと忘れないでね、シューラ……」

シューラ「忘れないわ。……アリョーシャ、怒らないでね、……」

アリョーシャ(弱弱しく)「なに?」

シューラ「わたし……嘘ついてたの……婚約者なんていないの。……叔母さんのところへ行くだけなの。……ほんと、馬鹿よね…………」

アリョーシャ「……どうして……そんな、嘘を……」

シューラ「……怖かったの……あなたが。……」

アリョーシャ「……今は……どう?」

シューラ、きっぱりと「いいえ!」と横に首を振る――

――と!

――もう汽車が動き出している!(画面奥へ)

機関音!

シューラ(気がついて慌てて)「動き出したわ! 走って! アリョーシャ!」

二人、振り返り、

シューラ「走って! アリョーシャ! 走って!」

 

□210 貨車の連結部から俯瞰

走るアリョーシャ、その奥を一緒に走るシューラ!

アリョーシャ、加速している列車のデッキに辛うじて飛びつく。乗車している女性駅員が助けてもらい、デッキに登る。

シューラ、走る!

アリョーシャ(デッキから身を乗り出して必死に)「シューラ!! 住所を言うから! 僕に手紙を書いてくれ!(機関音に交って甚だ聴こえにくくなる)……ゲオルギエフスクの!……サスノフスカ!……」

 

□212 デッキのアリョーシャ

右手でデッキ・アームを握り、身を目一杯に乗り出して、開いた左手を口に当て、

アリョーシャ「サスノフスカ村!……」

 

□211 走るシューラ(貨車からの俯瞰)

笑って左手を振って走り続けるシューラ!

アリョーシャ(オフで)「シューラ!! 僕の住所は!! ゲオルギエフスクの!!」

 

□212 デッキのアリョーシャ

右手でデッキ・アームを握り、身を目一杯に乗り出して、開いた左手を口に当て、

アリョーシャ「サスノフスカ村だよッツ!!……シューラ!!!……」(最後の「シューラ!!!」は次のカットにオフでかぶる)

 

□211 走るシューラ(車両と並行したホームの奥からのショットで左から右へパンしているが、少しだけ見えるホームの映像の感じを見ると、レール台車による移動撮影を兼用しているものと推定する)

人を掻き分けて走るシューラ!

 

□212 アリョーシャ

左耳のところで手を振って、

アリョーシャ「何て言った!?! 聴こえないよッツ!」

と絶望的に叫ぶ。

[やぶちゃん注:シューラが何かを叫んだ映像はない。]

 

□213 走るシューラ

すでにホームも端の方にきて、他に見送りの人もいない。

最後の力をふり絞って走るシューラ! 手を振るシューラ!

遂にホームの端へ――

立ち止まって手を振るシューラ――

 

□214 アリョーシャ

手を振るアリョーシャ。(標題音楽始まる)

 

□215 ホームの端(フル・ショット)

中景中央奥で立って手を振り続けるシューラの後ろ姿。

汽車の最後部がシューラにかかって、カット。

 

□216 去りゆく列車

最早、駅からは離れた。

しかし、今も小さく、手を振るアリョーシャが見える。

それも遠景に溶けていってしまう……

 

□217 駅のホームの端に立つシューラ

空は一面に曇っている。

シューラは、体はホームの乗降側へ向けているが、顔はこちら――アリョーシャの去った汽車の方――を向いている。

ホームの奥の方の見送りの人々は、みな、奥へと去ってゆく。

シューラ、そちらを振り向き、また、こちらに見直る。(ここで音楽、一瞬、休止を入れ、ヴァイオリンが、また、哀愁の標題テーマを奏で始める)

シューラ、淋しそうに見返って、とぼとぼとホームを戻りかける……

しかし、また振り返る、シューラ……

また……重たげに踵を返し……とぼとぼと去ってゆく…………(F・O・)

[やぶちゃん注:この「217」のシークエンスは、私の思い出の映画の〈別れのシーン〉のベスト・ワンである。私は、何でもないある日常の瞬間に、このシューラが独りホームの端に佇むシークエンスをたびたび、白日夢にように想起するほどに偏愛している。僕はこのホームに立ったことがあるような錯覚さえ感ずるのである……。]

 

□218 客車のデッキ(外から)

ドアが閉まっている。ガラス越しにアリョーシャ。ガラスには流れ去る(右から左へ)白樺の林が映り込んでいる。(標題音楽、かかる)

思いつめて目も空ろなアリョーシャ。カメラ、寄ってゆく。

伏し目から、力なく顔を上げると、白樺林をぼぅっと眺めている。

[やぶちゃん注:白樺林の映り込みは非常に綺麗で、アップでも破綻(合成によるブレ)がないのであるが、これはどうやって撮ったのだろう。セットでスクリーン・プロセスによって白樺林を投影、特異的にアリョーシャをその映写側で撮影し、それと別にセットで窓部分を綺麗に抜いてマスキングして撮った全体画像に、前のアリョーシャの画像を嵌め込んで綺麗に合成したものかとも思ったが、車体の揺れと窓ガラスの内側のアリョーシャの体の揺れが完全にシンクロしていること(これはこのカットのために作った客車デッキのセットの中で演技をし、そのセット全体が動かされていることを意味している)、また、アップの中でアリョーシャが頭部を硝子に押しつけ、帽子の先と髪がごく少し潰れる箇所があり、これはとても合成では不可能である。識者の御教授を乞う。

 なお、時刻であるが、作品内でのエピソード経過時間からは、少なくとも、午後のかなり遅い時間でなくてはおかしい(このシークエンスのすこし後の空襲を受けるシーンは明らかに夜である)。車窓風景の撮影は流石に制約があるから、昼間の撮影のものばかりである(但し、明度を暗くさせてあるものもある)。しかし、この直後にはアリョーシャの夢想シークエンスが現れるので、ことさらに時制のリアリズムをあれこれいうのは無粋とも言われよう。]

 

□219 車窓の白樺林/アリョーシャの回想(◎表示)・幻想映像(【 】表示)の合成(回想・幻想映像は白樺林の映像にオーバー・ラップのカット繋ぎ)

白樺林(右から左に流れる)――オーバー・ラップ

◎回想1――ウズロヴァヤでの束の間の〈ピクニック〉での流れ出る水道から水を飲むシューラの映像

[やぶちゃん注:ここの「□126 水を飲むシューラのアップ」で『水の流れ落ちはかなりの水量である。口で受けようとして顏の下は水浸しとなり、さらに頑張ろうとして目の辺りにまで水滴が掛かり、シューラは顔を左右に振って目を大きく見開いて、悪戯っぽくアリョーシャを見上げる。少女の美しさ!』とした映像と相同である。]

◎回想2――同じ〈ピクニック〉シーンで流れ出る水道で汚れた両脚を洗うシューラの映像

[やぶちゃん注:ふくらはぎと足の甲から、右足を上げてティルト・アップして左膝から下を洗い、水道の向いにいるらしいアリョーシャに微笑む映像。これは前には存在しない。「文学シナリオ」にはあり、撮影はしたが、編集でカットされたものの流用である。前と同じここである。しかし、この回想の脚を洗うシューラは髪を三つ編みに結って右から前に垂らしている。これが当該シーンにあったとすると、「□128」で私が指摘した矛盾が前後齟齬してもっと激しくなることになる。但し、次も参照)]

◎回想3――同じ〈ピクニック〉シーンで(奥に例の斜めになった木のが見えるので間違いない)、結われていない長い髪を、体を回してぱっとさばくシューラの映像

[やぶちゃん注:これも前には存在しない。回想2と同じく、撮影はしたが、編集でカットされたものの流用である。流れを考えると、最初にプラトークを外した直後となる(回想2では編み終わっているからである)。概ね、背後からの映像であるが、最初の画像をよく見ると、髪は少し濡れているように見え、その後、左に捌くのは、濡れた髪を乾かす仕草にも見え、終わりの辺りでは、明らかに右手にタオルを持っているのが判る。さすれば、或いは、ここでは、実はシューラが髪を濡れたタオルで拭くというシーンが撮られており、或いはそれを三つ編みに仕上げるまでの映像もあったのかも知れない。とすれば、私がここで『痛い誤り』とした顚末も説明は可能である(しかし、私の撮り直しが必須をとした批判は当然、撤回はしない。そもそも、彼女は、まず、髪を結うよりも先に汚れた脚を洗いたくなるはずだと私は思う。順序立てて撮影はしないから、演じたジャンナ・プロホレンコには罪はない。そうした機微を考えなかった男のスタッフが勝手に早々と髪を結わせてしまい、後になって脚を洗うシーンを撮るという大失態をしでかし、編集では尺を切る関係上、監督は矛盾を承知でかくしてしまったものであろうと推定するものである)。]

◎回想4――シューラがアリョーシャを見つけて驚いて軍用列車から飛び降りようとして怖さから手で顏を蔽ったシーンの映像(推定)

[やぶちゃん注:前にはない。映像としてはここの「32」と「33」の間にあったであろうと私が推定する映像である。この「32」から「33」の繋ぎは、私には以前からちょっと不自然な感じ――何か欠けた演技・画像があるという感じ――があったのである。ここにこんな画像があったのだとすれば、私はすこぶる腑に落ちるのである。]

◎回想5――左を向いて伏し目がちな何か淋しそうなシューラが右手を向いてぱっと目を開き何か言いかけるように口を開きかける映像

[やぶちゃん注:これはかなり心の解(ほど)けたシューラが、でも、降りると拘った際の、ここの「□58」の「扉の前のシューラの顔のアップ」の部分である。]

◎回想6――「□217」の「駅のホームの端に立つシューラ」の「シューラ、淋しそうに見返って、とぼとぼとホームを戻りかける」が「しかし、また振り返る、シューラ」の映像

*ここで基底画像である白樺林の車窓風景画像は実は一旦、切れている。[やぶちゃん注:しかし、同じような白樺林の車窓風景画像を繋いでおり、オーバー・ラップが続くので、その切れ目はまず殆んどの観客には分らない。ただ、ここからは回想ではなく、アリョーシャの心内幻想シーンとなるので、切れ目が入っていることに私は違和感はない。]

【アリョーシャの心内幻想映像1】

――左から首を回して、見上げるシューラ。

シューラ『……アリョーシャ、婚約者はいないって言ったのは……私の告白だったの。……でも、あなたは何も応えてはくれなかった。……片思いだったのね。…………』

 

□220 車窓のアリョーシャのアップ

何か口でぶつぶつ言っているアリョーシャ。明らかに、危ない感じである。

 

□221 白樺林/シューラ幻想・幻想(オーバー・ラップ)

白樺林(右から左に流れる)――オーバー・ラップ

[やぶちゃん注:但し、終わりの方になると、線路近くが草地になり、池沼が現われてきて、樹種も白樺でなくなり、撮影自体が昼間であることがバレる。前の回想1から6で使ったそれをそのまま使い回した方が出来上がりはもっとよいものになったのに、と少し残念な気がしている。]

【アリョーシャの心内幻想映像2】

見つめるシューラのアップ。右目から涙がこぼれて――落ちる。

[やぶちゃん注:このような映像は前にはなく、この幻想映像のための新撮りではないかと推測する。]

◎回想7――回想6(「□217」の「駅のホームの端に立つシューラ」の「シューラ、淋しそうに見返って、とぼとぼとホームを戻りかける」が「しかし、また振り返る、シューラ」の映像)に同じ

 

□222 車窓

但し、さっきはいなかったが、ドア・ガラスのアリョーシャの左前には軍人が凭れている。

伏せ目のアリョーシャ、幻像のシューラに打たれ、突然、独り言を言う。

アリョーシャ「……待ってくれ!――僕は言い残したことがあるんだ!……」

――はっと現実に戻ったアリョーシャ、目の前のドアにはだかっている兵士に、

アリョーシャ「降りたいんです!」

兵士「何言ってる?!」

アリョーシャ「……すみません、降ろして!……」

アリョーシャ、目を泳がせて黙ってしまう。

[やぶちゃん注:走行している車両であるから、兵士は寝ぼけているとでも思ったのであろう。無視して、反応しないようである。]

 

■やぶちゃんの評釈

 遂にシューラとの別れがきてしまった。

 本作の最大のクライマックスであり、永遠に忘れ難い、心象と心傷の風景である。

 しかし、この幻想シーンの【アリョーシャの心内幻想映像1】についてだけは、この年になって見て、今回初めて、少し違和感を感じた(後掲する通り、「文学シナリオ」にもちゃんとあるのだけれども)。まず、画像作りがちょっと雑な感じがするのだ。本作中のシューラの映像的魅力度からも、何だか、有意にレベルが低い感じがする。しかもその幻想シューラによって語られる「アリョーシャ、婚約者はいないって私が言ったのは」「私の告白だったの」に、「あなたは何も応えてはくれなかった」、ただの私の「片思いだったのね」(原語は「あなたは私を愛してないのね?」か)という台詞も――『言わずもがな、アリョーシャはシューラを愛してるじゃないか!』と言いたくなるのである。少なくとも、観客の誰もが皆、そんなことは百も承知だ。それを、消えたシューラを夢幻的に登場させておく屋上屋で反語的に言わせるのは、どうなんだろう? という思いである。思うのだが、この幻想シューラがどうも魅了を感じさせないのは、幻想だからではなく、その台詞の、遅れて来た解説的饒舌述懐の陳腐さにあり、私は高い確率で、

――演じたジャンナ・プロホレンコ自身が、この部分の演技や台詞に、強い違和感を感じたのではなかったか?

と思うのある。そんな中で、アリョーシャなしの別撮りとして撮られ、どう演じていいのかとまどった挙句、かくなってしまったのではなかろうか? 今の私はこの【アリョーシャの心内幻想映像1】はカットし、もっと短かった二人の一時の至福のカットを挟んだ方がよかったと思うのである。

 なお、以下の「文学シナリオ」を読まれると、驚天動地! アリョーシャは以上の最後で、実際に走行中の汽車から飛び降りてしまうのである。シューラと別れたあの駅にシューラを求めて舞い戻ってしまうのである。しかし、シューラを探してみるものの、遂に彼女に逢えず、夜汽車に乗る、というのが原シナリオの流れなのである。

 それはダメだ! このシューラとの別れは確かに本作の確かなクライマックスではある。しかし、それは最後の母とのたまゆらの邂逅と別れに収束してこそ美しい魂のスラーの流れを本作に与えてくれているのだ。

 戻ってシューラを探すアリョーシャなど、決して見たくないし、その選択は、母に逢えなくなる可能性の増大の一点に於いて全否定されるべきものだ。丁度、誰かの糞芝居のように、「こゝろ」の「学生」の「私」が、「先生」の「奥さん」と結婚するぐらい、忌まわしい展開なのである。そこでは前線を放棄してシューラと駆け落ちするというおぞましい恥部の地平まで見えてきそうだ。それは純真なアリョーシャがリーザを激怒したように、こんな私でさえも許せないあり得ない選択なのである。そんな部分を撮っていたら、この作品はヒットさえしなかったことは言を俟たない。

 当該部の「文学シナリオ」を以下に示す。

   《引用開始》

 駅。再び、乗車の空騒ぎとざわめき。

 アレクセイは客車に押し分けて入る。シューラが後に続く。

 女車掌が彼女を遮る。

 ――どこへ行くのです。軍用列車です。

 ――私と一緒です。

 アレクセイはステップから叫び、シューラを引きつける。

 ――奥さんですか?

 ――そうです。

 アレクセイは答える。

 ――いいえ。

 同時にシューラが言う。

 女車掌は乱暴に彼女を車から下ろす。

 ――彼女は私と一緒です。まず、話を聞いてから引き下ろしたらいいでしょう。

 ――ぐずぐずするな。

 誰か、太った軍人がアレクセイを車の中に押し込んだ。彼の後ろから、大きなトランクを引きずった人間が入って来た。女の人が車に押し入ろうとしていたが、女車掌は彼女も許そうとしなかった。

 シューラは懇願するような目付きで女車掌を見ていた。しかし、自分の容易ならざる仕事に打ち込んでいる彼女は、その瞳に気が付かなかった。

 アレクセイは出口に勢いよく走って行き、ステップから飛び降りた。

 ――どうしたんです。口がきけないんですか。

 彼は娘を非難する。

 シューラはすまなさそうに微笑した。

 ――本当に馬鹿だわ。呆然としてしまったんです。アリョーシャ!

 突然、彼女は激しく言った。

 ――一人で行って下さい。あなたはもう半日も無駄足を踏んだんです。私はこの近くですから、どうにかして行きますわ。乗って行きなさい、私の愛するアリョーシャ! 乗って行きなさい。

 ――待って、シューラ……。

 アレクセイは何を思ったか、彼女を遮った。突然彼は笑った。

 ――偽装ナンバー3を知っていますか。

 彼は陽気に質問した。

 ――ナンバー3ですって。知らないわ。

 シューラは驚いて言った。

 ――今、教えて上げます!

 アレクセイは巻いて肩に掛けていた外套を外し、それを広げてシューラに渡す。

 ――着なさい。

 ――何故です。

 ――早く着なさい。今度は軍帽です。被りなさい。

 娘はアレクセイの外套を着ながらひどく不安そうに眺めた。彼女は足を裾に取られながら。アレクセイの後からほかの車両に走った。その車には大きなデッキが付いていた。

 扉に行き着くうちに、二人はお互いを見失ってしまった。

 車のステップのところで、アレクセイを眼で探しながら、彼女は振り向いた。

 ――止まらないで下さい。

 車掌が彼女に言った。

 ――何ですって。

 娘は驚いて、車掌を眺めた。

 ――止まらないで、車の中に入って下さい。

 ようやく追いついたアレクセイは、シューラと車掌の間に挟まった。彼は車掌の手に切符をつかませて、車に潜り込んだ。彼はもうデッキにいたが、娘はまだステップのところで足踏みしていた。

 ――どうしたんです。

 彼は彼女に手を差し伸べながら、いまいましそうに呼びかけた。

 ――外套を踏み付けられたんです。引き出せないわ。

 彼女は恨めしそうに言った。

 アレクセイは、娘のところに押し進んで行き、彼女の外套を引き出し、二人でデッキに乗った。

 ――良かったですわ! 私、軍人に見えるかしら。どうですか。

 シューラは嬉しそうに言った。

 アレクセイは微笑した。

 ――切符も聞かれなかったですね。

 突然、乗客がざわめき、押し合った。

 シューラは帽子を脱ぎ、アレクセイの頭に乗せた。この混雑では外套を脱ぐこと不可能だった。

 ――もうすぐ目的地に着くでしょう。

 アレクセイは微笑した。

 ――目的地へ。

 彼女は悲しそうに繰り返して、溜め息をついた。

 彼も彼女の悲しそうな顔を見て、深刻な気持ちになった。

 ――何でもない!

 彼は元気な声で言って、笑顔を見せようと努めた。

 ――万事がうまくゆくでしょう。彼のことを心配することはないです。彼は元気になるでしょう。

 彼女は悲しそうに笑い、頭を横に振った。

 ――ねえ、アリョーシャ、私はまだ一度もあなたのような若者に会ったことがありませんわ。

[やぶちゃん注:この最後の部分は先のここの〈路傍のピクニック〉シーンで使用された。]

 

 二人は、再び汽車に揺られて行く。汽車のデッキには、――今は勿論作られていないが、戦争中ですら稀であった代物である――乗客がぎっしりつまっている。車輪の軋り。風。押し合い。二人は寄り添い、話し合おうとするが、ざわめきが声を消してしまう。

 二人は寄り添っていることで胸を躍らせている。手と手をつないでいる。シューラは、風を避けてアレクセイの肩に顔を埋める。二人は一緒である。そして、それ故に、乗客のざわめきも、押し合いも口論も耳に入らない……。

 風によって煙の渦が二人の傍らを流れて行く。まるで雲が流れるようである。すべてが消滅し、存在することをやめる……眼を見つめる眼がある……彼女の唇、彼女のうなじ、風になびく彼女の髪の毛がある……。

 二人のまなざしは語っている。何かを物語っている。それは歌っている。古くそして永遠に新しい唄、人々が最も素晴らしい唄と呼んだ唄を歌っている。

 しかし、この唄のメロディも、遠く聞こえる汽笛とブレーキの軋りによって破られる。唄は散文的な生活によって消されてしまう。

 ……二人は地上に下り立っている。アレクセイの手には外套が抱えられている。二人は車両の後ろのプラットフォームに立っている。彼らは別れを惜しんでいる。

 ――これでおしまいですわね……。

 ――そうですね……。私を忘れないで下さい。シューラ。

 ――忘れるものですか。

 そして二人は、互いの眼と眼で別れを告げる。

 ――アリョーシャ!

 ――何ですか。

 ――ねえ、怒らないで下さいね。あなたをだましていたんです。

 ――何ですか。だましたって。

 ――私にはいいなづけはいません。誰一人いません。おばさんのところへ行くところなのです。アリョーシャ、怒らないで下さい。私は本当に馬鹿ですわね。

 彼女は彼を見上げた。

 彼は彼女を見上げる。しかし彼は彼女が話している意味を、全く理解しない。

 ――しかし、どうして、あなたは……。

 彼は尋ねる。

 ――あなたが怖かったんです。

 彼女は頭を下げて言う。

 ――今はどうですか。

 彼女は彼の顔を見つめ、頭を横に振る。

 汽車と車両のぶつかり合う音が二人の沈黙を破る。二人は、はっとして、我に返る……。シューラは動き出した列車の後を走った。

 ――早く! 早く! 汽車が出るわ!

 彼女は気を揉んで、人々で溢れたデッキに彼を割り込ませようと、歩きながら彼の背中を押した。

 ある者は笑った。ある者は見送り人達に最後の不必要な言葉を叫んだ。ある者は手を振った。

 中年の夫婦がシューラとアレクセイが別れるのを眺めていた。

 アレクセイは振り向いて叫んだ。

 ――シューラ! シューラ! 手紙を下さい!……サスノフカへ![やぶちゃん注:「サスノフカ」はママ。但し、この地名の「フ」は実際の映像での発音を聴いて見ると、場合によっては聴き取れないほど小さく発音される時もあるので問題ない表記である。]

 シューラも何か叫び、彼の言葉が聞き取れないことを身振りで示した。

 ――サスノフカ! 野戦郵便局……

 それ以上は、列車の轟音で打ち消されてしまった。

 ……シューラは悲しそうに、去って行く列車を見送っていた。彼女はアレクセイが見えなくなっても、手を振っていた。

 

 列車は走って行く。口論している夫婦者の間に立って、アレクセイは後方を眺めている。

 もう駅は見えない。

 ――私は待ちました。

 妻が夫に言う。

 ――待ったんだって! 問題は待つことではなく、為すことなんだ。

 ――私はこんなに興奮しています。

 ――中学生じゃあるまいし。〈興奮〉だなんて。

 すれ違った列車の轟音が、この口論を消す。アレクセイは、急速に過ぎて行くその列車を眺めている。その列車はシューラのところへ去って行く。

 車輪が快調にレールを叩いている。

 頭上には小鳥が飛んでいる。小鳥は空に輪を描くと、急速に飛び去って行く。小鳥もシューラのいる方へと飛んで行く。

 車輪はレールを叩き、列車は轟音をたてている。

 そしてアレクセイの眼の前にシューラがいる。

 ……彼女は水道ですらっとした足を洗っている。

 ……彼女は彼のバターのついたパンをほおばっている。

 ……彼女は駅で彼に別れを告げ、見送っている。そして、彼に話しかける。

 〈アリョーシャ、私が言ったでしょう。私には誰もいないんだって。それは、あなたに愛情を打ち明けたのです。それなのに何故、何も答えて下さらなかったの。アリョーシャ。〉

 ……アレクセイは振り向くと、人垣を分けて、出口へ急ぐ。彼はもうステップに立っている。

 誰かが彼の軍服をつかんだ。彼は、その手を振り切り、バッグを投げ捨てると、自分も身を投げた。

 女の人が叫んだ。

 アレクセイは地面に叩きつけられ、土手に転がった。

 乗客達が列車から眺めている。

 彼はすぐ立ち上がり、バッグを手にすると、駅の方に駆けて行った。

 中年の婦人はそれを眺めながら、悲しく微笑した。

 ――愛してるんだわ……。

 彼女は溜め息をついて言った。散文的な彼女の夫は眺めていたが、短く批評するように言った。

 ――馬鹿馬鹿しいことだ。

 

 ……アレクセイが道を走って行く……。自動車に乗って行く。走っている自動車から飛び下りる……。再び線路を横切り、路を走って行く。

 

 ……彼は駅に着く。群衆の中を歩き回る。構内を歩き回る。出札口の所で眺める。しかし、シューラはどこにもいない。

 ――おばさん! 青いジャケットの娘を見ませんでしたか。

 ――いいえ、見ませんでした。

 ……自動車道路の整理所のところ。子供の手を引いたり、トランクやバッグを持った人々が大きなトラックの上に座っている。人々は落ち着かない。その中にアレクセイもいる。彼はシューラを探すが、彼女はいない。

 ――整理員さん、青いジャケッの娘を見ませんでしたか。

 ――さあ、分からんね。娘に気を掛けるには、私は老け過ぎているよ。

 ……日が暮れて行く。シューラが見つからないまま、アレクセイは駅に帰る。今になって初めて、自分の失ったものを自覚する。彼はざわめく群衆の中を、ゆっくりと歩いて行く。

   《引用終了》

 最後に。監督チュフライのインタビューによれば、シューラがアリョーシャを見送る列車のシークエンスでは、照明電気の供給の配線で大事故が起きている。一人が脳震盪を起こして病院に搬送されたという。この出来事はこの、実は難産で不当に扱われた本作の経緯とも深く関係する。詳しくは市販されいるDVDにあるそれを是非、見られたい。

……ああ……シューラ! シューラ! 僕のシューラ!!!…………僕たちの人生には必ず――シューラ――が――いる――と――私は思うのである…………

 

2019/07/29

ソヴィエト映画グレゴーリー・チュフライ監督作品「誓いの休暇」論 或いは 待つ母というオマージュ 11 エピソード2 シューラ(Ⅴ) 石鹸 或いは 怒れるアリョーシャ

 

□134 ウズロヴァヤ駅近くの市街の道

石畳の車道と整備された歩道もある。

緩やかに右にカーブし、下っている。

歩道にはしかし、対戦車用のバリケードが二基、画面中央の歩道と車道にかかって一基、置かれてある。

左の歩道を向う歩いて行く民間の婦人が二人ほど見え、奥の坂の下の方の車道では、子どもが三人、遊んでいる。

その奥の右からアリョーシャとシューラが走ってきて、左の歩道を歩いている一人の婦人を呼びとめてチェホフ街を尋ねている様子だが、その人は判らないようだ。次に手前の婦人に駆け寄り、また、尋ねる。婦人は振り返ってこちら側の右手の方をまず指さし、次いで横に振る。二人、礼をし、こちらへ走り抜ける。最初、シューラがアリョーシャを越す。彼女も元気一杯だ。(「133」末からかかっている標題音楽以外には二人の跫音のみ。台詞はない)

 

□135 街路1

飛散防止用の「×」テープを窓ガラスに張った古いレンガの建物(右手前から奥へ)とタイル張りの歩道。

奥からアリョーシャとシューラが並んで歩道を走ってくる。走りながら(ここから、カメラ、一緒に右方向に移動)

シューラ「そのパヴロフって、あなたのお友達なの?」

アリョーシャ「いや。途中で、偶然、託されたんだ。 前線に補充される部隊の人だ。」

角を曲がったところで、二人、街路表示を見上げる(表示板は見えない)。

アリョーシャ「この辺りだ!」

アリョーシャ「確かに、駅に近いわ!」

向う側の歩道へ走る。すれ違って婦人と少女がこちらに抜ける。

 

□136 街路2

左手奥に建物、手手前二に歩道と車道(石畳で路面電車のレールが埋め込まれてある)。しかし、その建物のこちら側は、空爆で完全に灰燼となって、今も燻って煙が立ち上っている。

奥の歩道を二人が走ってくる。

カメラ、後ろにトラック・バック。

手前の車道内に木製のバリケードがあり、それを舐めながら移動。

焼け跡のこちら側の建物の壁には「⇒」型の表示があり、その中には「БОМБОУБЕЖИЩЕ」と書かれている。これは「防空壕」の意である。

走る二人。カメラを追い越して、カメラは後姿を追い、交差する街路に出る。街路の右手はバリケードで封鎖されている。その端の正面が目的地のはず

――だが

――そこは

――空爆で瓦礫の山と化していた……

 

□137 その瓦礫の前に立ち竦む二人

右半ばから左手にかけて材木が傾いてある。

アリョーシャ「おばあさん!」

 

□138 灰燼の中を杖で使えそうなものを探している老婦人

老婦人、振り返って(身なりはそう悪くない)、

アリョーシャ(オフで)「おばあさん、7番地はどこですか?」

老婦人「ここよ。」

と杖で目の前を指し、再び背を向けるが、直きに振り返って、二人のところへやってくる。(カメラ、後退して二人(背中。バスト・ショット)が左手からイン)二人と老婦人の間には倒れた木材が腰位置で塞いでいる。

老婦人「誰に会いに来たの?」

アリョーシャ「パヴロフさんです。」

老婦人(笑顔で)「生きてる! 生きてるわよ! リーザとおじいさんの、どっちに?」

アリョーシャ「エリザベータ・ペトローヴナさんです。」

老婦人「彼女はセミョーノフスカヤ通りにいて、おじいさんは避難所よ。」

アリョーシャ「近いですか?」

老婦人「孫に案内させるわ! ミーチャ!」

カメラ、前進して二人を左にアウトし、老婦人とその右下の半地下のようなところを映す。

ミーチャ「おばあちゃん! これ、見てよ! ほら!」

少年ミーチャ、その半地下の中から、もう一人の子と一緒に出てくる。手に丸い置き時計を持っている。カメラ、後退して二人をまたインし、ミーチャはその前に立つ。

老婦人(ミーチャに)「ミーチャ、この人たちをエリザベータ・ペトローブナのところへ案内しておあげ! 前線からいらしたのよ!」

ミーチャ、時計が動くかどうかを試して、

――ジジジジジジ!

ベルが鳴り響く。それにかぶるように、

シューラ(ミーチャに)「彼、汽車の発車時間に遅れてしまうかも知れないの! お願い! 急いで!」

ミーチャ「行(ゆ)こ!」

ミーチャ、材木を潜って走り出て左にアウトし、二人(微笑んでいる)も後を追ってアウト、老婆は笑って頷いて(二人が礼をしているのを受けたものであろう)、見送る。

[やぶちゃん注:まずはベルの音は「汽車の発車時間」に応ずるアイテムとして機能しているが、本シークエンスでは以下、要所で非常に重要な役割を担う小道具である。]

 

□139 階段の踊り場

一人の少年が中央の手摺りのところでシャボン玉を吹いている。ストローの先の膨らんだシャボン玉をゆっくりと上げて、中に舞い落とす。

 

□140 その下の二階の踊り場から建物の入り口の映像(1カット)

シャボン玉が落ちてくる。

入口から少年ミーシャ、アリョーシャ、シューラの順に走り入って、階段を走り登る。右手に上に回り込む階段であるが、カメラは少し左に移動する。最後のシューラが、落ちてくるシャボン玉(三つ目)を見つけて、その踊り場のところで微笑みながら、両手でそれを受ける。

□141 階段の踊り場(「139」と同じ)

少年、手摺りから下を覗いて、

少年「そこの人! 僕のシャボン玉に触るな!」

と叫ぶ。

 

□142 二階踊り場

手前、シューラは何もかも忘れたように、なおも、落ちてくるシャボン玉を両手で受け取ろうとしている。

三階に上がる階段の途中のアリョーシャ、シャボン玉の少年を振り仰いで、

アリョーシャ「おい、坊や! パブロヴァさんちはどこだい?」

と尋ねる。(アリョーシャの振り仰いでいる感じから、シャボン玉の少年は四階の踊り場におり、以下のシーンから、その上の五階がリーザのいる部屋と推定される)

[やぶちゃん注:シューラの純真無垢な天使のようなその仕草は、私、偏愛の名シークエンスである。]

 

□143 階段の踊り場

シャボン玉の少年、今、一階上を指さし、

少年「も一つ上がったところだよ。」

 

□144 二階踊り場

立ち止まっていた、ミーシャ少年(三階踊り場手摺り)、アリョーシャ(二階から三階への階段の上方)、二階踊り場のシューラが一斉に登り始める。

また、シャボン玉が、降る。

 

□145 シャボン玉少年のいる踊り場(構図は前と同じ)

シャボン玉の少年の背後を、ミーシャ少年、アリョーシャ、シューラが走り抜ける。

シャボン玉の少年、それを笑って見送るが、すぐにミーチャ少年が、降りてきて、シャボン玉の少年と一緒に、アリョーシャとシューラを見上げる。

 

□146 リーザ(エリザヴェータ)の部屋の前(部屋番号「5」)

右手の壁に子どものチョークの稚拙な落書き(後で、一度、去った際に全体が見えるが、あるいはアリョーシャが被っているような三角形の略式兵帽を被った兵士か)。

呼び鈴を鳴らすアリョーシャ。シューラ、踊り場の手摺り位置で控えている。(次のシーンの台詞がオフで終わりにかぶり)、アリョーシャとシューラがそちらを向くところでカット。

 

□147 下の踊り場

見上げていたシャボン玉の少年が(ミーシャ少年はその左にいてシャボン玉少年を見ている)、

シャボン玉少年「ノックしないとだめだよ、ベル、鳴らないんだ。」

と注意してくれる。(この台詞の頭は前の「146」の最後にオフで入っている)

[やぶちゃん注:何気ない展開と編集だが、とても、いい。アリョーシャの緊張感のリズムや、順調な展開を上手く壊す効果がある。そう――しかし――これから壊れるのは――そればかりではないのだ。]

 

□148 リーザの部屋の前

アリョーシャ、軽く、しかし多数、扉を連打する。

出てこない。

アリョーシャ、再び、連打する。

扉が開く。

アリョーシャ「私たちはエリザヴェータ・ペトローヴナさんに面会に参りました。」

リーザ「私よ。――どうぞ。」

 

□149 リーザの部屋の中

内側から入口を撮る。アリョーシャ、レディ・ファーストでシューラを先に入れる。扉を閉じると、

リーザ「……もしかして……」

[やぶちゃん注:アリョーシャの若さと軍服から推測してである。]

アリョーシャ「あ! はい! 私は前線からやって参りました! 贈り物をお届けに!」

リーザ、コートをコート掛けに掛けるように手で誘い、アリョーシャは自分で、シューラのはリーザが受けて、掛け、その際にアリョーシャを見ながら、

リーザ「……贈り物、って……パヴロフから?……」

アリョーシャ「はい!」

リーザ、一瞬、固まって、目を落し、やや慌てた様子で、

リーザ「……さあ、どうぞ!……奥へ……」

と招く。

カメラ、後退して、左手の居間に、リーザ、シューラ、アリョーシャの順で向かう。

 

□150 居間(兼ダイニング・キッチン風)

入った右手壁位置から。奥にカーテンで半分隠れた部屋がある。その中間にはピアノも置かれている。

手前の食卓の一つの椅子に掛かっていた男ものの上着(背広か)を素早く取り上げると、

リーザ「……ちょっと待っててね。……戻りますから、すぐにね……」

と言って、奥の部屋へと入って行く。

 

□151 居間

立って待っている二人(左手前から)。アリョーシャ(右)とシューラ(ひだり)。

シューラは、既に部屋に入った時から、何か違和感を感じていた様子で、表情が硬かった(女同士の第六感というやつである)。

ここでもアリョーシャの横から、如何にも曇った顔つきを送っているのである。

アリョーシャもそれに気づいて、その感じを咎め、「こら!」という感じで、左手で宙を払って、無言で注意する。

……しかし……二人の前の……その居間を眺める……と……

 

□152 居間の食卓

綺麗な食器が二人分が並んでセットされている。綺麗なティー・ポットに大きな黒パン、戦時の貧しい庶民の食卓では、凡そ、ない。

[やぶちゃん注:いや、ここの部屋の中そのものが、みな、贅沢なものばかりではないか! 石鹸だって高級品を使っているさ、アリョーシャ!]

奥から忍びやかに語る声が、そこにオフで、かぶる。

リーザ「……パヴロフの使いという人が訪ねて来たのよ。……どうしましょう?……」

 

□151 立っているアリョーシャとシューラ

アリョーシャ、思わず、向きを変える。

 

□152 居間のカウチと椅子(アリョーシャが向きを変えたと思うところ)

開いた本を置いたカウチ(今まで誰かが、そこに寝そべっていたようなニュアンス)。カウチの下には乱暴に履き潰したスリッパ(男物としか思えない)。灰皿にパイプと男物の大きな腕時計。(今一つあるものはよく判らない。男物の昔風の皮革製のブリーフ・ケースのようにも見える)

男「そいつにほんとうのことを話せよ!」

リーザ「そんなこと、無理よ!」

 

□153 立っているアリョーシャとシューラ

アリョーシャは奥を向いて眼も空ろ、果ては下唇をかみしめたりする。

シューラも暗い顔で奥を見つつ、体が左右にかすかに振れていて、心の動揺が見てとれる。というより、既にしてアリョーシャの真っ直ぐな心根を知っている彼女は、アリョーシャを襲っている衝撃を考えると、心配で落ちついていられないのだ、ととるのがより正しいであろう。

男「どのみち、奴にゃ、知れちまうことなんだ!」(オフの声少し大きくなる)

リーザ「今は、いや!」

男「勝手にしろ!」

 

□154 居間(「150」と同じアングル)

リーザ、奥の部屋から出てくる。

シューラは完全に伏し目になって完全に肩を落としている。

[やぶちゃん注:アリョーシャの怒りの強烈さが判っているからである。逢って間もないけれども、今や、シューラは完全にアリョーシャと共感状態にある。アリョーシャの痛みはシューラの痛みなのである。

リーザは如何にも如才ない。落着き払って、

リーザ「……ごめんなさいね、……あんまり突然のことだったので。……前線からいらしたの?」

アリョーシャ「そうです! 前線から!」

アリョーシャ、雑嚢を食卓の上へ無造作に、

――どん!

と置く。

 

□155 居間

リーザの左から前方位置から、リーザの頭胸部を舐めて、アリョーシャを撮る。アリョーシャは、今までに見せたことのない鋭い目つきで、

アリョーシャ「私はあなたの御主人に頼まれました。――これを渡してくれ――と!」

乱暴に雑嚢から石鹸二個を取り出し、食卓に

――ドン!

と乱暴に置き、鋭く奥の部屋を一瞥して顔を戻す。

リーザ「……これは……何?……」

アリョーシャ「石鹸、ですよ!」

 

□155 居間(最初位置から)

リーザ「あぁ、石鹸ね(如何にも「なあんだ」という感じで微苦笑して)……ありがとう。……お茶でも、いかが?」

シューラ、アリョーシャの背後ですっかり沈んでいる。

アリョーシャ(毅然として冷厳に。怒りを抑えに抑えて)「いいえ! 結構です! 私達は、もう去るべきです!」

リーザ「なぜ?」

アリョーシャ「私にはもう時間がないからですよ!」

居間を去る二人。

 

□156 入口

コート掛けから奥のカットで。

シューラ、先にコートを取って、右にアウト。

アリョーシャ、帽子をかぶってコートを取って出ようとするところで、リーザ、右手前で右手でアリョーシャの左腕をとって、止め、

リーザ「話して。…………あの人……どうしてます?……」

アリョーシャ(冷厳に)「彼は元気にしています! 彼はあなたのことを、とっても気に掛けています!!」

リーザ、淋しそうに頷き、目を落とし、

リーザ「……ありがとう。…………」

アリョーシャ、右にアウトし、それを淋しげな目で見送るリーザ。

 

□157 リーザの家の前

下りの階段の手摺りの外から撮る。

シューラが出、アリョーシャも出たところで、ドアの支柱を摑んで、

リーザ「ここで見たことは…………彼には話さないで。…………」

と懇願する。

シューラ、階段を一段降りたところで、壁に凭れ、伏し目となる。

 

□158 アリョーシャの右顎を舐めて支柱に手を掛けたリーザ

リーザ「……でも……話すべきかしら…………そんな眼で見ないで…………あなたは……これを理解できるほどには……歳をとってないのよ…………」

アリョーシャ、むっとして無言で階段を駆け下りる。後を追うシューラ。

見送るリーザ。茫然と固まっている。

[やぶちゃん注:このリーザの台詞は純真な若者にとってはメルトダウンものに忌まわしい予言なのである。遠い若き日の私だったら、この女を確実に殴っていた。それが性愛の本質的通性なら、他者を愛することは不道徳というテロリストの導火線に他ならない。いや。ここではまさにアリョーシャの炉心をまさに爆発させてしまうのである。]

 

□159 すぐ下の四階踊り場

二人の少年が待っている。今度は、案内してくれたミーシャ少年がシャボン玉を下に向かって吹いている。その右のシャボン玉少年は、さっきの焼け跡からミーシャが探し出した時計を弄っている。

その背後をアリョーシャ、シューラが降りて行く。

 

□160 リーザの家の前(「158」と同アングル)

リーザ、前のまま固まって目を落としていたが、ゆっくりとドアを閉じる。

そこに、オフで、シャボン玉少年が弄っていた時計の

――ジジジジジジ

と鳴る音がする。

[やぶちゃん注:この時計の音は最早、時間の切迫のみの表象ではない。「ジジジジジジ!」と燃えてゆくアリョーシャの魂というダイナマイトへの導火線の燃える音である。]

 

□161 階段を駆け下りる二人

左下にアリョーシャが消え、シューラが廻り込んだところに、上からシャボン玉が二つ落ちてくる。

淋しい顔をしたシューラが、右手で大きなそれを受ける。

シャボン玉、消える――

 

□162 階段を駆け下りる二人

前の映像から見ると、二階と三階の間。

突然、アリョーシャが立ち止り、シューラも止まらざるを得ない。

アリョーシャ、

――ちらっ!

とシューラを見帰り、即座に、

――上を見上げる!

アリョーシャ、コートを手摺りに掛けると、猛然とダッシュして戻ってゆく。

シューラ、振り返って数段登るが、そこで立ち止まって上を見上げる。

[やぶちゃん注:ここはライティングが素晴らしい。則ち、右側の階段の壁にシューラの影が映し出されるのである。これは建物の構造からは自然光りではあり得ない。明らかに階段の下方から照明を当てて、演出している。しかしこれは私は美事な演出処理と思う。]

 

□163 踊り場

馬車馬のように廻ってゆくアリョーシャ。

 

□164 少年二人のいる踊り場

背後を走り登ってゆくアリョーシャを、見上げる少年二人。

(オフで)激しくドアを叩く音。

少年二人、呆気にとられている。

 

□165 見上げるシューラ(「162」の最後の位置)

[やぶちゃん注:先の照明処理が利いて、立ち尽くして上を仰ぐシューラ、と黒い立ち尽くす壁のシューラのそれが、強い心理的効果(アリョーシャの怒りの持つネガティヴな憤怒)を演出しているのだ。

 

□166 リーザの家の居間(食卓の奥から)

居間の開いたドアのところに立ち尽くしているリーザ。

食卓には、開いた包紙の上の二つの石鹸。

そこにアリョーシャが激しい息遣いで飛び込んくる!

アリョーシャ、雑嚢を開いて左手に持ち、背後のリーザをにらみつけた状態で、食卓の上の二つの石鹸を右手で摑んで叩きつけるように投げ入れ、そして、

――ハッ!

と振り返って、最後に、食卓の上の包み紙も投げ入れる!

雑嚢の口を縛ると、アリョーシャは無言で出て行ってしまう。

リーザ、固まったまま、絶望的な眼をして、無言で見送る。F・O・。

 

□166 両開きのドアと体操器具の置かれた部屋(内側)

学校の体育館のようである。右に段違い平行棒、左上に吊り輪の一部が見え、その下に鞍馬が置かれてある。その左端にはベッドの一部が見え、子どもが臥せっているのも見える。

ミーシャ少年(例の大事なアイテムである時計を持っている)が、アリョーシャとシューラを連れて入ってくる。恐らく、アリョーシャがミーシャに頼んで連れてきてもらったのである。無論、ここはミーシャ少年の祖母が言った、パヴロフ氏のいる緊急「避難所」なのである。器具から見て、高等専門学校の体育館か。

 

□167 避難所(体育館)

赤ん坊も含めて民間人が何人もいる。奥にはベットが見え、ヘッド・ソファを上げて人が横になっているのも見える。周囲の壁には肋木が設置されており、本来は専門の体育実技を教える学校の体育館であることが判然とする(壁には肋木がびっちりと配されてある。但し、ちょっと小さ目である)。左手に炊き出しの鍋が机の上に置かれてあり、その横に立つ老婦人(少女を前に支えている)がアリョーシャに向かって、

老婦人(不安げに)「何の御用でしょう?」

[やぶちゃん注:突然に入ってのが、若い現役兵士だったから、軍事徴発や退去命令などかと戸惑ったのであろう。]

アリョーシャ(丁寧に優しく)「パヴロフさんを探しています。」

ミーシャ少年(大きな声で)「ヴァシリー・イェゴロビッチだよ!」

すると、まさに中央の奥のそのベッドに横になっている人物が、自ら声を挙げる。

パヴロフ([やぶちゃん注:石鹸を預かったセルゲイの実父である。])「そりゃあ、儂(わし)じゃ! あぁ! セルゲイが寄こしたお人か?!」

 

□168 パヴロフのベッド(後ろから)

パヴロフ、興奮して起き上がろうとするのを、側にいる看護をしているらしい少女が押しとどめる。

アリョーシャ、ベットへ駆け寄り、

アリョーシャ「息子さんは無事です! プレゼントがあります!」

アリョーシャ、雑嚢を探り、石鹸を二つ取り出す。

 

□169 パヴロフのベッド(右前から)

先の看護の少女がそれを受け取り、如何にも嬉しそうに両手で掲げる!

パヴロフ「息子は、生きているのか?!」

少女が「石鹸よ!」と言いつつ、パヴロフに渡す。

パヴロフ、震える手でそれを両の手に持ち、

パヴロフ「……これが……その証拠か?!……この石鹸が!」

 

□170 アリョーシャとシューラ

パヴロフのベッド左手前からあおりの二人のバスト・ショット(前にシューラ、後ろにアリョーシャ)。

 

□171 ベッドののパブロフ

パヴロフ「ありがとう! まさしく、息子からの、贈り物だ!」

看護の少女「おじいちゃん、寝てなきゃ、だめよ!」

パヴロフ「……まさか……負傷したのでは?」

 

□172 アリョーシャとシューラ

「170」よりフレームが後退し、沢山の人々が映り込んでいる。

アリョーシャ「いいえ。彼は大丈夫です。」

パヴロフ「そうかい! さ! さあ! 座ってくれたまえ!……誰か、誰か、さあ! 椅子を!……」

アリョーシャとシューラ、ちょっと戸惑うが、何も言えない。

パヴロフ「さあ! 息子のことを話してくれ!」

アリョーシャ、シューラをちらと見て、「これは断れないよ」とアイ・サインする。(二人のバスト・ショットまでフレーム・インして)

かなり、頼りなげな表情で(誰もそれには気づかない)、二人、仕方ないと言う風に椅子に座る。アリョーシャはちょっと溜息もつく。

アリョーシャ「……彼は――戦っています。……皆と、同じように。」

シューラ、心配そうに見上げる。つらい作り話をアリョーシャがついていることが、彼女にだけ、よく判るから――そうしてまた、そういう嘘を、アリョーシャは一番、嫌悪していることをシューラは一番、知っているから。

「とっても!(シューラをちらと見ると、シューラはしかし、微笑んで「こっくり」と頷くのだ!) 優秀な兵隊です!」

シューラ、パヴロフに素直な(を演じた)笑顔を向ける。

 

□173 ベッドのパブロフ

アリョーシャ「……戦友は皆、彼の勇気を褒め讃えているんです!」

 

□174 みんなの間にいるミーシャ少年

アリョーシャ(オフで)「勇敢な人です!」

時計を持って遠い空を見ている感じ。

[やぶちゃん注:セルゲイは嘗つてこのミーシャを可愛がってくれたのかも知れない。それを思い出していると私は読んでおく。それ以外の疑義を少年に感ずる人もあろうが、そうした方は私と天を同じうする輩ではないとだけ言っておこう。しかしミーシャは直前で意味はよくは判らぬながらも、雄々しく怒るアリョーシャの姿を現に見ているのだ。少年はこのアリョーシャが――セルゲイに感じたのと同じように――好きに決まってる。でなくて、どうしてわざわざここにアリョーシャとシューラを連れてくるであろう!]

 

□175 アリョーシャとシューラ

アリョーシャ「隊長はいつも言っています!」

 

□176 パブロフ

聴き入るパブロフ。周りの人々も、総て、何の疑念もなくアリョーシャの言葉に耳を傾けている。

アリョーシャ(オフで)「パブロフのような者が、もっと欲しいと!」

 

□177 アリョーシャとシューラ

アリョーシャ「彼は勇敢な兵士であり、真の戦友です!」

 

□178 パブロフ

二つの石鹸を愛おしそうに両手で繋げながら、

パブロフ「そうだった……子供たちも含めて、誰もが皆、セルゲイが好きだった……」(ここで例のミーチャ少年が時計を鳴らしてしまって、これが一種の「切り」の効果を出す)

 

□179 ミーシャ

「まずい!」って感じでいる。

[やぶちゃん注:この時計の音は輻輳的である。一つは時計であることで、アリョーシャの汽車の出発時間の切迫の比喩では確かにあるのだが、しかし、同時にアリョーシャの中に働いている如何にうちひしがれた人々を喜ばすためとは言え、真っ赤な嘘をついていることへの自責の念に纏わる警鐘としてでもあのだと私は読む。]

 

□180 アリョーシャとシューラ

アリョーシャ「……さあ! お暇しなければなりません。」

 

□181 アリョーシャとシューラ(少し引いて周囲もフレームに入る)

奥の婦人「お茶はいかが?」

アリョーシャ(みんなに)「ありがとう御座います! でも、もう時間が押し迫っていますから。私たちは行かねばなりません。」

シューラ「本当にごめんなさい。でも彼は行かねばならないのです。」

パヴロフ「判っています。私たちは戦争のただ中にいます。セルゲイに私が喜んでいたと伝えて下され。総ての正しさは、みな、私たちとともにある、と。……しかし、私が避難所暮らしをしているということは言わない下され。一時のことだからね、彼が心配しないようにです。……」

 

□183 アリョーシャとシューラ(パブロフから見上げたバスト・ショット)

右前にシューラ、左にアリョーシャ。

 

□184 パヴロフの顔のアップ

パブロフ「それと……彼に……リーザについては……こう、言って下され……」

 

□185 パヴロフの看護をしている少女の顔のアップ

まだ幼いけれど、この少女はリーザの不貞を知っているようだ。右手を口に押し当てて、伏し目になっている。

 

□186 パヴロフの顔のアップ

パヴロフ「……『彼女は、お前に愛を捧げながら……仕事をしつつ……お前を、待っている』……と……」

 

□187 アリョーシャとシューラ(パブロフから見上げたバスト・ショット)

アリョーシャ「確かに伝えます。」

F・O・。

 

■やぶちゃんの評釈

 「文学シナリオ」の当該部を示す。前の部分をダブらせる。

   《引用開始》

 彼女は彼を避けようとしなかった。ただ彼女の指が、ベンチの上に置かれたアレクセイのバッグの紐を素早くまさぐっていた。

 ――アリョーシャ、このネッカチーフは誰への贈り物?

 突然、彼女は質問した。

 ――どのネッカチーフ?

 ――バッグの中のですわ。

 アレクセイは微笑した。

 ――お母さんに贈るのです。

 ――本当なんですか。石鹸もそうですの?

 娘は楽しそうに笑った。

 ――どんな石鹸ですか?

 ――二個ありますわ。

 アレクセイは驚いて立ち上がった。

 ――畜生! 全く忘れていた。

 彼は、自分の額を叩いた。

 ――シューラ、それは頼まれた品物なんです。ある若者に依頼された。戦場に出かける兵士です。去ってしまわないで良かった。渡さなければならないのです。

 アレクセイは次第に不安になって来た。

 ――どこに持って行くのですか。

 ――ここです。すぐ近くなのです。チェーホフ街なんです。行きましょう、シューラ。

 シューラは溜め息をついた。

 ――さあ、一緒に。十分くらいで片づきます。それからまたここヘ戻って来ましょう。いいでしょう。シューラ。

 ――いいですわ。

 彼女は静かに返事をした。

 

 アレクセイとシューラは、足早に街路を行く。シューラは道すがら尋ねる。

 ――このパヴロフというのは、あなたの戦友ですか。

 ――いいえ、私は彼と一面識もありません。[やぶちゃん注:そこで出会う前までは、である。]偶然に出会ったのです。彼が部隊と一緒に前線に行くところだったのです。

 シューラは彼を優しく見つめる。

 二人は角を曲がる。

 壁に打ち付けた標識に〈チェーホフ街〉と記されている。

 ――もうすぐですね。

 シューラが言う。

 アレクセイは、〈二一番地〉と書いてある家を見ている。

 ――あそこが七番地でしよう。行ってみましょう。

 二人はチェーホフ街をたどって行く。一軒、二軒、三軒と通り過ぎて行く、彼等の顔が暗くなる。そこから向うはもう廃墟である。

 アレクセイとシューラは立ちどまり、途方にくれて顔を見交わす。煉瓦、砕石、くずれた壁、よじれた鋼材の山を、背の曲った、やつれた老婆が歩きまわって、焚き付けの木切れを集めている。

 ――お婆さん!

 アレクセイは彼女に呼びかける。

 老婆は頭を持ち上げる。

 ――すみませんが、七番地はどこですか。

 ――ほら、あそこですよ。

 老婆はさり気なく、廃墟を木片で指し示す。若者と娘がとまどっているのを見て、いそいで二人のところに来る。近づいて視力の弱った目で二人の顔を見つめる。

 ――誰を尋ねて来たのですか。

 ――パヴロフさんの家です。

 アレクセイが答える。

 ――生きています………。エリザベータも老人も生きています。エリザベータ・ペトロヴヴナはセメノフスク街で暮しています。セメノフスク街の三八番地です。老人は工場にいるでしょう。

 老婆は微笑して言った。

 ――セメノフスク街か、そんなに遠くないな。大丈夫です。行きましょう。

 時計を見てアレクセイは言った。

 ――行きましょう。

 シューラも同意した。

 ――五区ですよ。

 老婆は二人の後ろから声をかけた。

 正面の標札に〈セメノフスク街、三八番〉と書いてある。

 アレクセイとシューラは急いで入口に近づく。

 階段を上って行く。

 突然、上からシャボン玉が飛んでくる。シューラは子供のようにはしゃいだ。二人は上を見上げ、踊り場にいる八才くらいの手にストローと壷を持った子供を見つけた。

 ――坊や! パヴロフさんは、ここに住んでいますか。

 シューラが聞いた。

 ――パヴロフさんだって。

 子供は聞き返した。

 ――エリザベータ・ペトロ-ヴナさんだよ。

 アレクセイが言った。

 ――エリザベータ・ペトローヴナさんだって。それならあそこに住んでいる。

 子供は手で最上段を指さした。

 アレクセイとシューラは階段を登り、ベルを押した。

 ――ノックしなければだめだよ。

 下から子供が言った。

 アレクセイはノックした。

 扉の向う側で足音が聞こえた。東洋風の部屋着を着た婦人が、彼等に扉をあけた。三十位の女だった。

 ――エリザベータ・ペトローヴナさん、居ますか。

 アレクセイは言った。

 ――どうぞ、私です。

 彼女は微笑しながら丁寧に答えた。

 ――あなたは、もしや……。

 彼女は、問いたげにアレクセイを眺めた。

 ――私は戦場から来ました。あなたに渡す物を頼まれました。

 ――そう。恐らくそれはパヴロフからでしょう。

 婦人の微笑のなかに興奮が読み取れた。

 ――そうです。

 ――どうぞ入って下さい。少しお寄りになって下さい。

 二人は婦入に従って部屋に入る。

 ――すみません、私、今……。

 婦人はそう言い、隣りの部屋に行き、椅子のもたれにかかっていた保護色の夏季制服を全く思いがけないというように取り去って行く。

 アレクセイとシューラは、周囲を見回わす。部屋は様式的ではないが、良い家具が備え付けられていた。机には、パン、砂糖、ソーセージがのっている。戦時中にしては、ここの生活は豊かすぎるように見えた。

 隣室から、静かだが、興奮した会話が聞こえてくる。

 ――何が問題なんだ。どうせ知れることなんだろう。

 太い男の声が憤慨する。

 ――お願いだから。

 アレクセイとシューラは部屋から出る。

 婦人は二人を見送る。玄関の所で、婦入は扉を閉めながら、静かにアレクセイに尋ねる。

 ――彼はどうしていますか。

 ――パヴロフのことですか。別に異常はありません。元気です。あなたのことを心配していました。

 ――有難うございます……。

 婦人は静かに言う。しかし、シューラが行き過ぎると、やにわにアレクセイの手をつかむ。

 ――見たことを彼に言わないで下さい。

 アレクセイは彼女をきっと見つめる。

 ――でも……。

 彼女は眼を伏せる。

 ――その方がいいのです。そんな風に私を見ないで下さい。どんなに苦しいことか。

 彼女はアレクセイの感情を探るように彼を見つめる。

 彼女に答えず、彼は出て行く。

 婦人はとまどっていたが、やがて二人の後から扉を閉めた。

 シューラとアレクセイは階段を下りる。シャボン玉を吹いていた子供の傍らを通り過ぎて止まり、大きなシャボン玉の後を眼で追う。アレクセイは時計を見る。

 ――アリョーシャ、急ぎましょう。遅れますわ。

 シューラは言う。

 しかし、彼は突然、握りこぶしで手摺りを叩くと、上に向かって駆け出す。

 子供は驚いた。

 五、六段、駆け上がったアレクセイは、扉ヘ近づき、ノックする。応答がない。彼は一層強くノックする。扉が開き、スリッパを履き、ズボン釣りをした背の低い男と興奮したパヴロフ[やぶちゃん注:パヴロフの息子のパヴロフ・セルゲイの婦人エリザベータ・ペトロヴナ・パヴロフのことある。]が立っている。アレクセイは大きく呼吸をした。彼は男を押しのけ、ずんずん部屋の中に入り、机から不幸な贈り物を取り上げると、婦人に悪意のまなざしを投げかけて、開いている扉を通って出て行く。静寂の中に大きな音をたてるのは彼の長靴だけである。

 シューラの手を取ると、アレクセイは言う。

 ――工場ヘ行こう。

 ――どうしたんですの、アリョ-シャ!

 娘は驚く。

 ――行きましょう!

 アレクセイが押し付けるように言い、二人は階段を飛び下りて行く。

 騒音のやかましい工場の中。最近、爆撃を受けたばかりである。まだ、崩れた壁や天井を修理しており、工場の破壊を免れた部所も仕事を中止している。

 そして、騒音にもかかわらず、そこには静かな場所を進んで、数入の労働者が眠っている。アレクセイは大音響や火花や騒音に度肝を抜かれた。二人は労働者達の視線が集って来るのにどぎまぎする。

 綿の胴着のコムソモールの娘が二人を工作機械の間を通って案内している。[やぶちゃん注:「コムソモール」Комсомол(カムサモール)は「共産主義青年同盟」の略称。ソ連で十四歳から二十八歳までの男女を対象に、共産主義の理念による社会教育的活動を目的として一九一八年に創設された青年団体。一九九一年に解散したが、ソ連崩壊後は「ロシア連邦共産党」の「ロシア連邦共産主義青年同盟」に改組され、事実上、継承されている。]

 ――パヴロフさんはどこですか。

 彼女は会う人ごとに質問する。

 ――パヴロフさんを見なかったですか。

 ――いや。

 彼等は工場の端に行く。

 -班長は居ませんか。

 娘は尋ねる。

 ――彼は恐らく交替して休憩しているでしょう。 女は小さい声で頼み込む。

 シューラとアレクセイは黙って顔を見合わせる。

 何もなかったような微笑を浮かべて、婦人が二人のところに来る。

 ――すみません。許して下さいね。突然だったものですから。すると、戦場からおいでになったのですか。

 ――戦場からです。あなたの御主人から、この品物を渡してくれるように頼まれました。

 アレクセイは大きい声で返事をした。そしてバッグから二個の石鹸を取り出し、机の上に置いた。婦人の顔には驚きと微笑があった。

 ――何ですの。

 ――石鹸です。

 ――えっ、石鹸ですって。有り難う。全く有り難いわ。お茶を飲みますか。

 ――いいえ、もう失礼させていただきます。

 ――何故ですの。

 ――時間がないんです。

 アレクセイは言う。

 婦人は眼を伏せる。

 娘は答える。

 三人は隣りの工場へ行く。ここでは、床にじかに作られた小さい囲いの中で、騒音にも拘わらず、労働者達が雑魚寝している。

 ――思った通りです! 彼はここです!

 眠っている人を見ながら、娘は話す。

 ――六日も家に帰っていないのです。急ぎの注文品を戦場へ送るのです……。そしたら、また急ぎの住文です。

 彼女は微笑した。

 娘は、眠っている一人に近づき、身体を屈める。

 ――パヴロフさん! パヴロフさん! 起きなさい!

 パヴロフはやっと眼をさまし、座りなおす。彼は眠むたそうに、アレクセイとシューラを眺める。彼はアレクセイと同年輩のように見受けられる。そして、この二人の兵士と労働者は、どこか似ているところがある。

 ――パヴロフさん! 戦場からあなたのところヘ来た人です。

 娘が言う。

 ――私のところへですって! どういうことです。

 彼は驚いた。

 ――いいえ、この人ではないんです。班長さんなんですわ。

 シューラが話す。

 ――いいえ、私が班長です。一体、どうしたんですか。

 ハヴロフは不満そうに言った。

 ――私達が探がしているのは、戦場に息子さんが行っているバヴロフさんです。

 アレクセイは話す。

 ――そういうパヴロフなら三人いますが、どういうことですか。

 ――私は彼に戦場から贈り物をことづかったのです。渡したいのです。

 ――息子の名はなんというんですか。

 ――たしか、セルゲイといったようです。

 ――セルゲイ。こんな風な、小さくて眼の大きい。

 班長はよろこんだ。

 ――そうです。

 ――それならば、ワシリイ・エゴロヴィッチの息子です。生きているんですか。

 ――生きています。

 ――ところでワシリイ・エゴロヴッチはいません。病気です。

 ――残念だ……彼に贈り物を渡すことが出来ますか。誰か彼のところへ行く人はありませんか。

 アレクセイはがっかりしたが、娘の周りにかたまっている人々を眺める。

 ――あなたが行ったら! それは自分ですることですよ!

 一人が、言う。

 ――どんなによろこぶことか。あなたが自分で行きなさい。

 みんなの者が言う。

 ――私もそうしたいのですが。

 ――彼は汽車に遅れますわ。

 シューラが話に割って入る。

 しかし二人を取り巻く労働者連はおさまらない。

 ――出来るでしょう? ちょっとでいいんですから、それで一人の人が喜ぶのです。

 油脂の胴着を着た、太った女が言う。

 ――遠いのですか。

 ――いいえ! 教育研究所の中です。爆撃を受けてそこへ移ったのです。乗物で行きなさい。ミーチャに案内させます。

 そうして、女は背の低いために箱を踏み台にして工作機械についていた若者のところに駆けて行った。彼女は彼を箱から引き下ろし、アレクセイのところに連れて来た。

 ――彼が案内します。私が彼の代わりに機械を見ます。いいですね。班長さん。

 班長は同意した。

 シューラは不安そうにアレクセイを見た。彼は両手を開いた。

 ――シューラ、行こう。

 

 二人を案内した若者は、非常に丁寧であった。電車に乗る時も、シューラとアレクセイに先に譲った。やがて人々が彼を押しのけた。電車が動いても、まだ停留所に立っていた。しかし彼は十五歳以下なのだ。このことが事を決した。若者は電車を追い、それに追いつくとすぐに飛び乗った。

 シューラとアレクセイは、それを電車の後部から見ていた。彼はガラスごしに油に汚れた善良そうな顔で微笑を送っていた。

 シューラとアレクセイは、破壊された都市を眺めた。

 ――見なさい。あそこに劇場があったのです。私は十回くらい見に行きました。学校にもあきあきしましたが、劇場ももう沢山です。あそこに白い建物が見えるでしょう。あの後ろに、金属工業専門学校があります。私はそこに入りたかったのですが、考え直しました。建設専門学校に行くつもりです。あるいは変わるかも知れません。まだ決めていないのです。

 ガラスの向こうから、若者が何か二人に叫んでいる。微笑しながら、降りる時だというサインを送った。

 シューラとアレクセイは、入り口に向かって人を押し分けて行った。

 

 若い労働者を伴って、二人は研究所の階段を上がって行く。ホールの中で青衣の太った女の人が彼らを止めた。

 ――静かに! どこへ行くのですか。

 彼女は小声で聞いた。

 ――私達は仮病室に行くのです。この人は戦場から来たのです。

 ――そこには、ボイラー室を通って行かねばなりません。ここは講義中ですから。

 女の人は言った。事実、廊下ごしにそこまで、講師の柔らかい声が聞こえて来た。

 ――でも暫く待ちなさい。三分もすればベルが鳴るでしょう。

 少年は答えを求めるようにアレクセイを見た。

 ――待ちましょう。

 アレクセイは同意した。少年もうなづいた。

 三人は音を忍ばせて、爪先立ちに廊下を歩いた。

 廊下が直角に曲がっているところに黒板の端が見えた。三人はさらに近づいて、講師を見た。彼は暗い衣服の小さい白髪の老人であった。秋なのに防寒長靴を履いていた。聴衆者はじかに床に座っていた。しかしそのために、講義は何の影響も被っていなかった。

 ――物理学の生徒ですが、彼等の研究所が爆撃されたので、こうしてここで研究しているのです。

 アレクセイは唇に指を当てた。

 ベルが鳴った。

 学生達は立ち上がり、講師の周りに集まった。

 アレクセイとシューラは、若者の後からその傍らを通り、大きい扉のところに行き、それを開けた。

 ここは研究所の体育室であった。そこにはいろいろの器具が揃えてあった。肋木、天井から下がったつり輪、三脚台、横棒等である。

 駅の構内同様に、床にも壁際のベッドにも、人々が座ったり横になったりしている。

 ある人は寝台の上に、本とノートを広げて勉強していた。

 ある人は腰掛けに乗せた石油ストーブで食事を作っていた。乳房を吸う赤ん坊の泣き声が聞こえて来た。

 そして、それぞれが自分の仕事に熱中しているにも拘わらず、この共同生活へのアレクセイの到来は、注意を引かないわけにはいかなかった。アレクセイは入口に立ち止まった。暫くすると、部屋全体が期待と驚きの眼で彼を眺めた。それは戦場から帰って来た兵士であった。彼は、誰かの息子かも知れないし、誰かに喜びか、悲しみをもって来た使者かも知れなかった。

 ――誰のところですか?

 一番近くに立っていた婦人が尋ねた。

 ――わたしはパヴロフさんに、ワシリイ・エゴロヴィッチさんに用があるのです。

 ――それは私です。セルゲイのところからですか。

 奥の方から老人の声が聞こえた。

 アレクセイとシューラは、寝台から起き上ろうとしている老人を見た。女の子が彼のところに駆け寄った。

 ――おじいさん、何をするの。起きてはだめですわ。

 ――セルゲイのところからですか。彼に何かあったのですか。

 女の子の言うことにも耳をかさず、老人は繰り返した。

 アレクセイは彼の寝台のところに急いで行った。

 ――興奮しないで下さい。万事うまく行っているのです。私はセルゲイ頼まれました。あなたへの贈り物をあずかって来たのです。

 アレクセイがバッグから贈り物引き出すと、周囲に立っていた入々は、みんなうっとりと嘆息した。

 ――石鹸です! ごらんなさい! 二個ですよ。

 女の子はうれしそうに叫んだ。

 しかし老人には、何の事か分からなかったようだ。

 ――彼は生きていますか。

 彼はアレクセイを見ながら尋ねた。

 ――勿論、生きていますわ。

 女の子はそう言って、それを証明するように、彼の手に石鹸を握らせた。

 ――生きていますか……。

 手の中の石鹸を確かめながら、老人は繰り返した。

 それから、それを唇に当てた。

 ――生きているんですね……。有難う御座います。これが彼からの贈り物なんですね……。

彼は安心し切ったように、繰り返して言った。

 ――-おじいさん、横になりなさい。身体にいけないわ。

 女の子は言った。

 ――彼は負傷したんではないんでしょうね。

 老人は尋ねた。

 ――いいえ、全く元気です。

 ――どうぞ、お掛けなさい。彼のことを話して下さい。

 アレクセイは当惑してシューラを見た。

 彼は何と言っていいのか、分からなかった。

 シューラも彼に助太刀することはできなかった。

 ――ええ、彼は、概して良く戦っています。優秀だと言ってもいいでしよう。戦友達は、彼の勇気を尊敬しております。彼は勇敢です。司令官は卒直にこう言っております。『彼を模範に戦闘せよ。そうすれば堅忍不抜の兵士となり、戦友を裏切らないだろう。』我々の師団の誰もが彼を愛しています……。

 アレクセイは話した。

 ――そうですか。そうですか。彼は小さい時からみんなに愛されました。

 老人は繰り返した。彼は訪れた幸運を分かち合うように、周りを見回した。

 ――アンナ・アンドレーヴナ……聞きましたか。息子のことを。

 彼は感激して、何度も首を振った。

 隣人は眼に涙を溜めて、彼にうなずいた。

 ――掛けて下さい。お茶をお飲み下さい。

 どこからか茶沸かしを持って来て、女の子が勧めた。

 ――お疲れでしょう。

 ――いいえ、有り難う御座います。私たちは出掛けます。

 ――彼は汽車に乗り遅れてしまいますわ! どうぞ悪しからず。彼はどうしても汽車に乗らなければなりません。

 ――分かります。軍のことです。

 老人は疲れたように言った。彼は再び起き上がった。

 ――セルゲイに伝えて下さい。私が満足していると。私が元気に生きていることも。

 彼は手で周りを指した。

 ――このこと話さないで下さい。一時的なことです。彼を安心させて下さい。それから、もう一つ、リーザ、彼の妻は働いています。彼によろしく言っています。彼を待っています。

 アレクセイは最後の言葉のところで老人がいかにも苦しそうに口を開き、女の子が唇を強く噛むのを見た。

 ――伝えましょう。

 アレクセイは言った。

 

 駅に隣接した公園。アレクセイとシューラは、再び公園の人影のない並木路を歩いている。見憶えのあるベンチのところで歩みを止める。

 アリョーシャ……。

 こう言って娘は、突然彼の胸に頭を埋めて、すすり泣き始める。

 アレクセイは黙ったまま彼女の頭を見つめる。

   《引用終了》

シナリオの展開は、特に父パブロフに逢うまでが、かなり冗長である。切り詰めたのもよく、稀有の象徴的なシャボン玉のシークエンスが最終的に現場で生まれたのであろうことも快哉を叫ぶ。また、この記載から、初めの路傍のピクニックのロケーションは空爆された「公園」の設定でよいことが判る。なお、最後の公演のシークエンスは完成作にはなく、次は即、乗車シーン(アリョーシャとシューラの別れ)となる。

 

ソヴィエト映画グレゴーリー・チュフライ監督作品「誓いの休暇」論 或いは 待つ母というオマージュ 10 エピソード2 シューラ(Ⅳ) 再会

 

[やぶちゃん注:前の最後のシークエンスをダブらせておく。]

□122 ウズロヴァヤ駅構内1

(前の「121」の画像からオーバー・ラップで)右手に線路、中央に大きな水溜り。右から(既に映っている)アリョーシャが走って横切ると(カメラ、左にパン)、左に停車した貨物(機関車は接続していない五連車両)があり、それはあのアリョーシャが乗っていた貨物車の一部に酷似してはいる。

画面左手前に、銃剣附きの小銃を構えた兵士がおり、アリョーシャを咎め、

兵士「近寄るんじゃない!」

と制止する。

アリョーシャ、立ち止まって彼の方を振り向くと、

アリョーシャ「あの列車に乗っていたものです!」

と叫ぶ。

兵士「その列車は何処行きだった!?」

アリョーシャ「ゲオルギエフスクです!」

兵士は小銃を右肩に背負い、

兵士「その列車は、もう、一時間も前に、出たよ。」

と伝える。

アリョーシャ、水溜りに立ち尽くして、一瞬、固まる。

アリョーシャ、線路の先(奥)を眺めると、

――飯盒の水を

――水溜りに

「さっ!」と撒き、来た右方向に足取り重く戻って行く…………(音楽、止む)

――遠くで汽笛が鳴る

 

□123 ウズロヴァヤ駅構内1(以下、1ショット1カット)

あおりの逆光の全景。当時としては比較的珍しいであろう線路の上を渡してある、かなりの幅のあるしっかりした陸橋が画面の上部を、右上部から左中ほどまで区切っている。他にそこの中央から右手奥に下る二箇所のテラスを挟んだ昇降階段があり、降りた辺りには建物と樹木のシルエットが見え、陸橋のすぐ向こうの中央中景位置には給水塔か何か(頭部が見えない)のがっしりとした鉄骨で組まれた四足鉄塔が組まれてある。その左の遙か奥には茂みから突き出る電波塔が霞んで見える。

その電波塔の手前部分に前の「122」の構内部分から上ってきたアリョーシャの、空の飯盒を右手にぶら下げたシルエットが見え、そのずっと向うを機関車が左から右に過ぎる。

が、そこに手前左からバックで巨大な蒸気機関車がインして、遮られる。

目いっぱい入ったところで、陸橋の上の右端からスカートのシルエットの女が歩いてくるのが一瞬見えるのであるが、後退しきって右にインした蒸気機関車の煙突の煙でその姿は完全に見えなくなる。

絶望し、意気消沈し、すっかり疲れ切ったアリョーシャ。そのずっと向うをまた、機関車が今度は右から左に過ぎる。

アリョーシャ、手前の、さっきの後退した機関車が消えた線路上に辿り着く。

この時、右上部の煙が薄らぎ、陸橋の右上が澄んでくる。

そこに何かを持って、かなり両脚を広げて力強く立つ女のシルエット!

アリョーシャ、茫然と立ち尽くしたまま、線路の左右の彼方を眺める風。無論、頭上の人影に気づいていない。(ここまでは車両の軋り音や蒸気の機関音のみである)

シルエットの女、右手で大きく虚空に円を書くように振りながら(呼びかけに合わせて二度)、

シューラ「アリョーシャ!! アリョーシャ!!!」

アリョーシャ、振り仰ぐ!

アリョーシャ「シューラ!!」

アリョーシャ、中央の階段の方へと脱兎の如く走り出す。(と、同時に標題音楽!)

[やぶちゃん注:この陸橋上のシューラのシルエットが見えている時間は凡そ三秒間である。但し、小学生の私でもこれは、見えた。逆光で撮っているために空の強い明るさと、煙で区切られた右端のその小さな空間が、却って観客の目にとまるように計算しつくされてあるシークエンスなのである。私は再会のシークエンスの構図として、映画史に残る名カットと思っている。]

 

□124 陸橋の階段(上の方の第一テラスの右手から撮る)

しっかりとプラトークをしたシューラ、右手にアリョーシャと自分のコート、左手にアリョーシャの雑嚢を持って、小走りに降りてくる。

アリョーシャ、左からインして、二人向き合う。(ここで音楽、とまる)シューラの美しい笑顔!

アリョーシャ「シューラ! いたんだね!!」

シューラ「こ、これ……あなたのバック……」

と、雜嚢を差し出す。しかし、アリョーシャは逢えたことに感激して、それを受け取ることもせず……

アリョーシャ「驚いた!! また遇えるなんて!!」

 

□125 陸橋の階段(上の方の第一テラスの奥から撮る)

右手でシューラの左二の腕を優しく押さえながら、体を回させ、右端にアリョーシャ、中央にシューラ。背後に空と煙。下方にぼんやりとかなりの町並みが見える。

アリョーシャ「わたしのせいで乗り遅れたんだもの。」

[やぶちゃん注:シューラの「喉が渇いた」という懇請したことを指す。それは、でも、シューラが本当に言いたかったことを――それで誤魔化した――という点に於いてこそ実は真に「わたしのせい」という――心の〈咎(とが)〉――ででもあったのである。]

アリョーシャ「僕は、もう、逢えないかと!……」

シューラ「あなたを、待ってて、よかった!……」

シューラ、感極まった感じで目を落とすが、アリョーシャの右手の飯盒を見て、「さっ!」としゃがみ込み、飯盒を横向きにして空なのを見、アリョーシャを仰いで、

シューラ(歯を見せて微笑みながら)「わたし、喉が渇いたままよ。……」

アリョーシャ、しゃがんで、シューラにおでこをつけそうになるまで近づくが、シューラは二人のコートを抱えている。アリョーシャ、両手でシューラの両手をとって、

アリョーシャ(同じく歯を見せて笑いながら)「じゃあ! 水を探そう!!」

シューラ「私も……もう、逢えないかと……」

アリョーシャ、愛おしく、右手でシューラの頭をさする。

アリョーシャ、手を離し、シューラを見つめたまま、

アリョーシャ(笑って)「なんて素敵なんだ!」

と言って、やっと彼女の持った自分の雜嚢と二人分のコートも受け持とうとする。

アリョーシャ(笑って)「水を見つけに行こう!」

と二人、同時に立ち上り、コートを二人で間に抱え下げて、陸橋の階段を走り降りて行く。

 

□125 ウズロヴァヤ駅近く

空爆で破壊された民家の庭、或いは、駅舎附近の元公園といった感じの全景。奥に垣根(栅)があり(右奥には木々の茂みがあり、中央おくには塔状の建物、左奥にもまばらな木々が見える)、左手前に損壊した建物の残骸、中央に大きな水溜り、その向うに(栅の内側)蛇口から水の流れ出たままになっている水道がしっかりと残っている。

[やぶちゃん注:但し、これら全景は実は恐らくスタジオ内に作られた完全セットによる撮影と思われる。]

右手奥から、二人がやってきて、左手中景の柵の壊れ目から、こちら側に入る。

アリョーシャが先に入って、二人のコートを栅の根もとにぽんぽんと抛り投げる。

アリョーシャ、まず、飯盒に水を汲む。

しかし、シューラは、それを押しのけて、蛇口の下の、迸る水流に直かに口をつけて飲むのが見える。

 

□126 水を飲むシューラのアップ

水の流れ落ちはかなりの水量である。口で受けようとして顏の下は水浸しとなり、さらに頑張ろうとして目の辺りにまで水滴が掛かり、シューラは顔を左右に振って目を大きく見開いて、悪戯っぽくアリョーシャを見上げる。少女の美しさ!

[やぶちゃん注:水を飲む少女を撮った映画の中で、私はこのシーンを最も美しいそれに薦すことに躊躇しない。]

 

□127 アリョーシャのアップ(背後にボケた木の繁み)

アリョーシャ、それを見て笑う。

 

□128 水道近くで栅の内側の緩い斜面(「127」とオーバー・ラップで繋げる)

シューラ、白い(モノクロームなので白にしか見えない)プラトークを解いてはずして、長い美しい髪を「ぱっ」と振りさばく。

[やぶちゃん注:ここには実は大きなミスがある。シューラが髪を振りさばいた際、彼女髪は明らかに編まれていない長いままなのであるのに、次の次の「130」のシークエンスでは髪は三つ編みにされてあって、いつものように左肩から前に垂れているからである。これはかなり痛い誤りで(記録係のそれが主に重い)、明らかに撮り直すべきものである。

 

□129 水道

それを見て笑みを浮かべていたアリョーシャ(ここでは帽子を既にとっている)が水道に向かう。水道の柱の頭に帽子を置くと、手を洗う。洗いながら、シューラが気になって、振り向き、彼女を眺めて、笑う。

 

□130 斜面のピクニック

二人のコートをピクニックのシート代わりとし、シューラ(左手)、かいがいしく、自分でアリョーシャの雜嚢を開けて、前に食べたものと同じ乾燥携帯品のベーコンを布から取り出し、その小さな布をテーブル・ナプキンとして、ベーコンを置き、雑嚢からナイフ(刃は折って柄に収納するタイプ)と黒パン(これは確かにライムギパンである)を出して置く。

ところが、「他に何かあるかしら?」といった軽い感じで、また、雑嚢の中を覗き、手に触れたものを反射的に取り出す。

それは、プラトーク(全体の色は暗い紺か黒か。しかし美しい模様の刺繡が成されてある。無論、僕たちは知っている。「ワーシャの物語(Ⅰ)」の冒頭で中継ぎ駅の俄か市場で母の土産としてかったそれである)。しかし、彼女はそれを知らない。シューラ、

――はっ!

として、右手から戻ってこようとするアリョーシャにそれを見たことが知れぬよう、慌てて雑嚢にそれを戻す。

アリョーシャ、右手前でインして、左手に座り、使ったタオルをシューラに渡す。

シューラ、穏やかでないのを懸命に抑え、普通を装って、タオルを綺麗に折りたたむ。

アリョーシャ、如何にも楽しそう。まるで、恋人同士の〈路傍のピクニック〉のようだ。

シューラ(タオルを折りたたみながら、少し淋しそうに)「……あなたは……家まで、あと少しね……」

アリョーシャ「君もね。」

シューラ、軽く一人で頷きながら、淋しげに、アリョーシャから目をそらしている。

アリョーシャ(ちょっと淋しげにでも、シューラを元気づけようと)「シューラ、大丈夫さ! 彼は元気だよ!」

 

□131 シューラのバスト・ショット

シューラ、淋しい顔をアリョーシャに向け、笑みを浮かべながら、

シューラ「……アリョーシャ……あなたみたいな人、私、初めてよ……」

[やぶちゃん注:このピクニック・シーンの場所自体はそれほどの斜面ではないのだが、左背後の木の柵が外側(左側)へ有意に傾いているために、画面が実際以上に傾(かし)いで見える。これはシューラの今の複雑な感情をこの傾斜で示していることは言を俟たない。大道具の配置の、絶妙な勝利である。]

 

□132 斜面(二人)

シューラ、黒パンを手ずから、ナイフで切っている。切りながら、

シューラ「アリョーシャ……このプラトーク……誰のため?……」

アリョーシャ、左手奥(シューラから見て右手)に左肘をついて、横向きになると、

アリョーシャ「母さんにさ。」

シューラ、

――ぴくん!

と小さく驚き、パンを切るのをやめて、アリョーシャの方に向き直り、

シューラ(如何にも嬉しそうに)「ほんと?!」

アリョーシャ「どうしたんだい?」

シューラ「じゃあ、石鹸も?」

アリョーシャ「石鹸?」

シューラ「嚢の中の石鹸よ!」

 

□133 シューラの左背後をなめてアリョーシャ

アリョーシャ、目が左に流れて、

――はっ!

と真剣な顔になって、思い出す!

――間

アリョーシャ「忘れてた!」

シューラ「何?」

アリョーシャ「すぐ行かなきゃ!!」

アリョーシャ、慌ただしく片付け始める。切迫して、息が切れる。

シューラ「何処へ!?」

アリョーシャ(大急ぎで片付けながら)「それを届けなきゃ! 約束したんだ! 『きっと届ける』って!! すぐそこのチェホフ通りなんだ!」(カット。但し、このシーンの最後から標題音楽がかかり始める)

 

■やぶちゃんの評釈

 以上のシークエンスは本作の最も忘れ難い再会と僅かな安息の時空間である。シューラの処女性の美しさが映像的にもよく描かれており、戦争の最中であることを忘れさせもする。ここで彼らの背後にある木のは、二人のたまさかの平安を外界から遮断しているようにも一見、見える。

 しかしその柵は、同時に、実は、先に述べたアングル上の有意な傾斜感覚を観客に意識させ、現実へと引き戻される二人の不安な勾配として、厳に存在していたのである。

 そうして、シューラの真実の告白がなされそうな雰囲気を起動させるアイテムが、〈母へのプレゼントの「プラトーク」〉であり、同時にそれに連動してその大事な二人の心の交感の流れをブレイクさせてしまうのも、「プラトーク」によってシューラが同時に指摘してしまう「石鹸」であったのである。ここで――シューラはアリョーシャを占有できる確信を持ったにも拘わらず――である。

 ここで、〈母〉への土産のプラトークが――シューラのアリョーシャへの素直な感情(最早、〈恋情〉と言って反論する方はおるまい)と、真実の告白(パイロットのフィアンセが重態であってその彼氏に逢いに行くという〈嘘〉の撤回)を妨げる結果を生み出してしまう――という図式は、精神分析学的には、母が母のみが占有することができるアリョーシャへの、シューラの思いを遮断させるという象徴性を感じさせなくもないが、そうしたインク臭い認識は本作を味わうためには寧ろ有害ではあろう。

 以下、「文学シナリオ」の当該部を示す。前の「追跡」の部分の最後をダブらせておく。

   《引用開始》

 自動車は踏切で止まっている。アレクセイは自動車から飛び降り、別れを告げて手を振りながら、駅に駆けて行く。夜明けの薄明の中の路上に、列車の影が黒ずんでいる。機関車がいない。嬉しそうにやかんを振りながら、アレクセイは列車に走って行く。彼は水飲み場の傍らを通り過ぎる。水道の蛇口から水が流れ出ている。アレクセイは後戻りして、微笑しながらやかんに水を汲み、こぼさないようにしながら、列車のところに急ぐ。

 列車から番兵が出てくる。小銃を構えている。

 ――あっちへ行け。

 アレクセイは立ち止まり、ひょろひょろした番兵を眺める。

 ――私は、この列車に乗ってたんです。少尉が許可してくれました。

 彼は説明する。

 ――どの少尉だ。

 ――列車の司令官です。ガヴリルキンも知っています

 ――ガヴリルキンだって?

 ――あなたに交替するまで番兵だった、太った男です。

 ――ああそうか、女のような兵士だな。

 ――そうですとも!

 アレクセイは喜んだ。

 ――その列車ならば、一時間ぐらい前に出て行った。我々は別の方向に行くんだ。

 アレクセイはこの列車が別のであることが、今初めて分かった。

 アレクセイは黙って立っていた。そして、腹立ち紛れにやかんの水をごぼごぼとこぼし、ゆっくりと駅の建物の方に歩いて行った。彼は頭を垂れて歩いて行った。この夜の興奮と疲労とで、彼は全く参ってしまった。

 突然、彼は驚いて立ち止まった。彼の真直ぐ前に、シューラが手に彼のバッグと外套を持って立っているではないか。

 ――シューラ! あなたはどうしてここに!

 彼は驚いたように言った。

 ――そうです。ほら、あなたの忘れ物ですわ……。

 彼女は急いで彼に品物を渡した。

 ――シューラ! 何て素晴らしい人なんだ!

 ――私のために乗り遅れたんですわ。

 ――馬鹿な! あなたに会えないんじゃないかと思いました。

 ――私、待ちましたわ。

 アレクセイの瞳は喜びに輝いた。

 シューラは眼をそらし、やかんを見た。彼女は急いでしゃがみ、やかんの中をのぞき込んだ。やかんは空っぽだった。

 ――本当に水を飲みたい!

 彼女はアレクセイを見上げて言った。

 ――まだ飲まなかったんですか。

 ――あなたがいないので心配でした。

 ――シューラ、あなたは! 行きましょう!

 彼は彼女の手を取り、水飲み場に連れて行った。ここは前の時と同様、誰もいなかった。 彼は蛇口にやかんを当てたが、彼女は待ち切れなかった。やかんをのけると、蛇口から直接貪るように冷たい水を飲んだ。彼は傍らに立って幸福そうに微笑していた。

 やがて、彼女は新鮮な感触を楽しみながら、蛇口の下で足を洗った。彼は彼女を眺め、彼女のすらっとした足を眺め、そして彼女の嬉しそうな顔を眺めて、微笑した。

[やぶちゃん注:このシューラが脚を洗うシーンは確かに撮っていた。編集でカットしたのである。実際にアリョーシャがシューラと別れた後の回想(想像的要素が含まれる)シーンのカット・バックにそれが出るからである。それをここで見たかったと思う反面、それは性的な象徴的過剰性を引き起こし、彼と接している事実としての時空間の中でのシューラの持つ処女的な聖性がやや削がれてしまったかも知れないとも思う。総合的に考えて、私は、ここにそれはなくてよかったと思う。本作では実際のシューラは、一貫して常に必要以上と思われるほどに体を覆っており、肉体の印象をストイックと表現してよいほどに抑制して撮られているからである。]

 やがて二人は、そこで朝食の座についていた。彼女は自分でパンをきちんと切り、バターを塗り、それをアレクセイに投げた。彼女は、彼が自分を見つめていることを知った。このために彼女の動きは軽やかになり、調子が良くなった。

 このあと、彼女は彼の手を取って、駅に連れて行った。

 ――私はみんな知っています。二時間あとにゲオルギエフスク行きの旅客列車があります。

 彼女は歩きながら話した。

 ――二時間ですって。

 アレクセイは時計を見た。

 ――ねえ、町でも散歩しよう。私は良く知っています。

 シューラは賛成した。

 ――それとも映画はどうだろうか。

 ――まあ! 本当に! 私は随分、映画を見ていないんです。

 シューラは喜んだ。

 二人は急いで町の方に歩いて行く。

 駅のはずれがすぐに大きな公園である。

 二人は公園を歩いて行く。公園の中は静かで人影もない。高い気の梢から黄ばんだ葉が落ちてくる。

 ――本当に美しいですね。

 アレクセイは話しかける。

 ――そうですね。でも、ちょっとわびしい感じですわ。秋ね!

[やぶちゃん注:ロシアの秋は日本と変わらず、九月から十一月である。先の戦況報告の放送ではしかし、作品内時制は七月下旬に設定されてあるから、撮影時で時期設定が変更されたことが判る。専ら、ロケ・スケジュールの関係からであろう。]

 シューラは答える。

 ――でも、私は淋しくないんです。

 ――私も。

 ――腰を下ろしましょう。

 ――そうね。しばらくここにいて、それからまた歩きましょう。

 二人は、ベンチの一つに座る。

 静寂。二人を取り巻くものは林だけであり、ただ遠く公園の奥深くに、黒ずくめの老夫婦がゆっくりと散歩しているのが見える。

 ――シューラ、あなたがここに待っていたとは、なんてすばらしいことなんだ。

 アレクセイは話す。

 ――そうね……。

 彼女は微笑した。それから考え込んだ。彼女の顔付きが淋しそうになった。

 ――すぐ家に行くのですね。私ももうすぐですわ。

 彼女は話した。

 ――そうですね。あなたはもう着いたも同然です。

 ――あなたのところはクビンスクから近くですか。

 ――隣です! お母さんは何も知らない。

 ――きっと喜びますわ!

 ――どこにいるのかな? 時間を無駄にしたのが残念です。でも、仕方がない。家にまだ一昼夜はいられる。屋根を直して、また帰るのです。

 ――戦場へですか。

 ――そうです。

 ――ねえ、アリョーシャ。

 ――何です。

 ――映画には行かないでいましょう。もっとここに座っていましょう。いいでしょう。

 ――いいです。確かに、映画館の中は暑苦しい。

 暫く二人は黙った。

 ――シューラ、あなたと一緒に旅が出来て良かった。

 ――そうね。でも、アリョーシャ。

 ――何です。

 アレクセイは娘の方にずっと近づいた。

 彼女は彼を避けようとしなかった。ただ彼女の指が、ベンチの上に置かれたアレクセイのバッグの紐を素早くまさぐっていた。

 ――アリョーシャ、このネッカチーフは誰への贈り物?

 突然、彼女は質問した。

 ――どのネッカチーフ?

 ――バッグの中のですわ。

 アレクセイは微笑した。

 ――お母さんに贈るのです。

 ――本当なんですか。石鹸もそうですの?

 娘は楽しそうに笑った。

 ――どんな石鹸ですか?

 ――二個ありますわ。

 アレクセイは驚いて立ち上がった。

 ――畜生! 全く忘れていた。

 彼は、自分の額を叩いた。

 ――シューラ、それは頼まれた品物なんです。ある若者に依頼された。戦場に出かける兵士です。去ってしまわないで良かった。渡さなければならないのです。

 アレクセイは次第に不安になって来た。

 ――どこに持って行くのですか。

 ――ここです。すぐ近くなのです。チェーホフ街なんです。行きましょう、シューラ。

 シューラは溜め息をついた。

 ――さあ、一緒に。十分くらいで片づきます。それからまたここヘ戻って来ましょう。いいでしょう。シューラ。

 ――いいですわ。

 彼女は静かに返事をした。

   《引用終了》

出来上がった映像の方が、遙かに、優れて、よい。

 

2019/07/28

ソヴィエト映画グレゴーリー・チュフライ監督作品「誓いの休暇」論 或いは 待つ母というオマージュ 9 エピソード2 シューラ(Ⅲ) シューラ・ロスト

 

□97 走る汽車と貨車(あおり)

やはり、カーブで撮影している。

 

□96 貨車内(外から・ややあおり)

最初、半分まで開きつつ扉の端が右方向へ、すぐにアウトすることから、走っている貨車の扉が開けられ、位置的には走っている貨車の外の中空位置(凡そ貨車の床位置と同じか少し下位置にカメラを置いた塩梅)からの構図ということになる。但し、外からの走行音のSEは会話の都合上、極度に抑えられている。(或いはそのために、当初、やや違和感というか、扉が開け放たれて走っている、彼らが流れゆく風景を眺めて会話しているのだという印象を直ちに認識できない観客も中にはいるやも知れぬ)

手間に干し草のブロック一つ(横。高さは孰れも凡そ四十センチ程か)。右中景に二ブロック。左奥にブロックの山。中央床に立つシューラ。(この時は一人)。きりっとした顔、左肩から前に編んだ髪をたらし、かなり意識的に頭と胸を反らせており、それはまるで神話の女神が屹立しているかのように美しく、荘厳な感じさえする。

[やぶちゃん注:このショット時間(カットはない)は三秒もないが、前エピソードのガヴリルキン撃退を受け、私は、例えばギリシャ神話の勝利の女神「サモトラケのニケ」のイメージをこのシューラのショットに見る。そうしたものとして見えるように確信犯で撮っているものと私は思う。]

右からアリョーシャの下半身がインし、

アリョーシャ「あれが鬼中尉?」

手前の干し草に倚り懸かって座る。と同時にシューラが少し頭をアリョーシャの方に傾(かし)げ、笑みを浮かべて前に進む。振り返ったアリョーシャが、

アリョーシャ「もう怖いものなしだね。」

と言い、シューラも手前の干し草の上に座って、二人とも、景色を眺める。

[やぶちゃん注:以前に述べた通り、シューラの背に合わせた配置である。これだと、パースペクティブとあおりの関係上、見かけで頭一つ分、シューラの方が高くなる。なお、アリョーシャの台詞のそれは、前に彼女は怖がり屋だと言った彼の台詞を受けていると私は考える。但し、皮肉ではなく、親愛の表現として、である。]

シューラ「ほんと嬉しかった。あなたがよくないと思ってた中尉さんが実はとってもいい人だったんで、わたし、驚いちゃった。」

アリョーシャ「そうさ、あの中尉さんはほんとにいい男だ。」

シューラ、左の貨車の扉の横にある柱壁に背を凭せて、干し草の上に両足を載せ、両手で膝を支え、アリョーシャの横顔を見つめながら、素敵な笑顔を浮かべて、

シューラ「……ええ、とっても!」

二人、空を見上げる。(ここから標題音楽の(最初はフルート)演奏が始まる)

 

□97 夕景の森の上の空

無論、走っている貨車からの見た目。ここで夕方であることが示される。

 

□98 貨車内

アングルは「96」に同じ。二人、夕空を見上げたまま。

シューラ「アリョーシャ! あなた、友情を信じる?」

アリョーシャ、とんでもないことを聴くといった怪訝な表情をちらと向けて、また直ると、

アリョーシャ「勿論さ。前線じゃ、友情が命だからね。」

シューラ「それは判ってる。そうじゃなくて、私の言ってのは『男女の間の友情』って意味なの。」

アリョーシャ、振り返ってシューラと面を合わせ、

アリョーシャ「幾人かは、男同士よりもずっと信頼できる女たちもいるよ。」

シューラ、何かほっとしたように小さな笑いをして、

シューラ「わたしもそう思うの。」

シューラ「でも世間では『男と女の間にはただ恋だけがある』とも言うわ。」

アリョーシャ「ナンセンスだね!」

 

□99 貨車外の扉端(シューラ側)の外位置からの二人の俯瞰ショット

シューラの右頭部と横顔をなめて、アリョーシャのシューラを向いた顔を撮る。

アリョーシャ「僕にも故郷に友情を感じる女の子がいるよ。」

 

□100 貨車内のシューラを見上げるアリョーシャの右後頭部をなめてシューラ(ここで初めてスクリーン・プロセスで、開いた貨車の外景が左から右へ流れる)

シューラ、何かひどく思いつめた真面目な顔つきをしている。

シューラ「あなたは……あなた自身が……その子に恋心を抱ているってことを判っていないのかも知れない……」

アリョーシャ「彼女に? 僕が? いや、いや、違うよ!」

アリョーシャ「彼女……どんな人?」

 

□101 貨車外から(「98」に同じ)

アリョーシャ(外に目を落し、懐かしそうに笑みを浮かべながら)「彼女はまだまるっきしの子どもさ。ゾイカって、僕んちの隣りの子なんだ。(真面目な表情になって)あの子へのそれは『恋』じゃない。――『恋』は……何か……全然、違うものだと思うな。」

それを聴いているシューラ、初めは目を落として如何にも淋しそうにしていたが、何か、ほっとしたような感じで笑みを浮かべ、乗っていた干し草の向う側に降り、右腕をその干し草の上に載せ、そこに顎を載せ、流れる景色に目を向ける。

 

□102 車外の夕景色(前のショットからシューラの見た目のそれとなる)

空爆にやられた荒涼とした草木もない荒地。手前には壊れた鉄道の車輪や貨車が転がり、中景には壊れた民家の壁の残骸が見える。

 

□103 貨車外から(「101」に同じ)

シューラ「アリョーシャ……あなたの一生を通じてつき合える、(横からアリョーシャを見上げる)本当の友だち――女性の――が欲しくない?」

アリョーシャ「あ、ああ。」

しかし、アリョーシャの顔は嬉しそうではない。逆に曇っている。

逆に、シューラは何かを思い切っている表情で、

シューラ「ねえ! 実はね! 私のこの旅はね!……」

アリョーシャ(前のシューラの台詞を遮る形で)「彼のところに訪ねて行く――とても健気な親愛の行為だ――」

シューラ「そんなんじゃないのよ!……」

アリョーシャ(また食う)「君はとってもいい娘だ。蓮っ葉じゃないし。」

シューラ、自分が話そうとすることを、まるで聴こうとしないアリョーシャにちょっと失望して、外へ目をそらす。

アリョーシャも、上の空に目を漂わせている始末である。

シューラ、左手で頰づえをつきながら、遠くに目をやって、

シューラ「……あなたには……分らないのよ……」

と呟く。

アリョーシャ、不服げな表情で、背を向けてまた目を宙に迷わせる。

ちょっと間をおいて、シューラ、背を向けているアリョーシャに向かって、

シューラ「ねえ、アリョーシャ!」

アリョーシャ、振り返って、

アリョーシャ「どうした?」

シューラ、じっと見つめているが、言おうとしたこと後を続けずに、明るく微笑んで、

シューラ「喉が渇いたわ。あなたは?」

アリョーシャ(そっけなく)「判った。」(次とオーバー・ラップで)

 

□104 とある駅構内

左から入線して緩いカーブで停車した彼らの列車。扉を開けてアリョーシャが降り、扉を閉める。

少なくともこのシーンでは、アリョーシャたちが乗っている貨物車両が蒸気機関車を含めると、六両目相当であることが判明する。

中央に低い空き地があって水溜りとなっている。

そこを飯盒を左手にしたアリョーシャが走り渡って(カメラ、右へパン)、そこを挟んだ右側の線路にある貨車の側で点検をしている線路工夫に、

アリョーシャ「水を汲む時間はありますか?」

と尋ねる。

工夫「大丈夫だよ。」

アリョーシャ、連結器の間を潜って、次の線路に、またもある貨車の台車の下を潜って、潜った先を手前(画面右手前)に向かって走って行く。

[やぶちゃん注:実際はここについては、最初に潜る連結器のそれは、連結器の端の下部平面が映ってしまっていて、端の車両を使っているのが判然としてしまっている。私は小学生の時に見た時にさえ、それに違和感を覚えたことを思い出す。しかも、それがずっと今まであったのである。則ち、『アリョーシャは、画面の手前を潜る必要なんかないじゃないか! 普通に、もっとこっちを走ればいいのに?!』であり、さらに言い添えると、『二本目の貨車だってそうじゃないか?! 走り抜けた時に端っこの車両がこっち側(画面左中央)に見えてるんだから、これも実は潜って行く必要、ないじゃん! 普通に走って行けるじゃん?!』という画像から最低限で読み取れるロケーション事実に基づく、子どもの素朴な疑問である(こういう物理的な構造関係に基づく違和感を私はしばしば映画やテレビ・ドラマで激しく感ずることが多い。それは私が仮に主人公になってそのシチュエーションの中で演じた場合を常に考えているからであろう(私は高校時代は演劇部で、本気で役者になることを考えていた時期もあった)。そこで最低限度以下でリアリズムを守っていないように見える監督やカメラマンの〈いい加減さ度合い〉=無能を私は批判的に判定する傾向をかなり過激に持っているからである)。次いで加えると、『あのさ? この線路工夫は、どうしてアリョーシャに「大丈夫だ」と太鼓判を押せるの?』というやはり当たり前に過ぎる疑問もあったのだ。「だって、この工夫はそこの管区の工夫であって、軍用列車の関係者ではないんだから、何分停まるかなんて実は知っちゃいないはずなんだ! これが定期運行の列車なら知ってて当然だけど、これは特別な軍事物資の運搬列車なんだぜ?」という物言いである(言っとくが、私は鉄道ファンではない。しかしこれだけは今も正当な疑義として思っている)。しかし、今回、かく採録再現をしてみて、工夫の問題は別として――はた!――と膝を叩いたのであった。則ち、この奇妙な動きは――彼らの車両から水汲み場はそう遠くはない。――しかし、そこには幾つか邪魔なものがあって、思いの外、時間が掛かる。――しかも、水汲み場からは彼らの列車は見通せない。――という事実を、ここで暗に観客に印象付ける意図が確信犯として働いているのだという発見に、である。]

 

□105 貨車の中

両ひざを立ててその上に左腕を載せ、左頰を凭れさせて上方を見上げるシューラ。瞼を閉じる。眠りに入るようである……

[やぶちゃん注:このシューラはとびっきりに美しい! 周囲の暗さを表現するために激しく絞り込んでいるものと思われ、さすれば彼女の顏が抜けるような白さで画面中央にくっきりと見え、腕や膝や髪の毛にもピントが合っている以上は、相当に強烈な明るさのスポット・ライトを実際には当てて撮影しているものと推定される。]

 

□106 線路の脇

有意盛り上げられた場所の軌道の斜面(最初のシーンでのみそれは判る)。民間人がそれぞれにシャベルやツルハシ・ハンマーなどを持って佇み、近くにあるスピーカーで流れてくる戦況報道に聴き入っている。そこに右からアリョーシャが足早に、インし、カメラは左にパンする。何人もの人々(前後に)。誰一人として微動だにしない。

戦況放送『7月27日の戦況状況……』

アリョーシャ、一番端であるらしい、女性の背後に立ち、スピーカー(見えない)の方を見上げる。

[やぶちゃん注:ここで初めて本作品内時制(月日)が明らかにされる。]

 

□107 スピーカー

木製の電柱に朝顔のように下に向けてつけられた昔の四角な拡声器風のもの。あおり。

戦況放送『……本日7月27日、わが軍は、ヴォロネジ地区及びツィムリャン地区にて、終日、戦闘、……』

[やぶちゃん注:「ヴォロネジ」はここ、「ツィムリャン」はロシア語字幕では「Цимлянская」であるが、ツィムリャンスク「Цимлянск」でよいなら、ここ(グーグル・マップ・データ)。]

 

□108 線路の脇(「106」の最後に同じ)

アリョーシャとその前の民間人の女。

戦況放送『……英雄的な激戦の末……』

カメラ、今度はもと動いたのと反対に右にパンして、先程の人々をゆっくりと映し出す。

戦況放送『……止む無く……』

戦況放送『……ノボチェルカッスクとロストフを放棄した。……』

[やぶちゃん注:「ノボチェルカッスク」は「Новочеркасск」でここ、ロストフ」は「Роств」で現在の「ロストフ・ナ・ドヌー」(Ростов-на-Дону)でここ(グーグル・マップ・データ)。]

 

□109 スピーカー(「107」と同じ)

戦況放送『……他の前線では、大きな変化は、ない。……』

 

□110 アリョーシャとその前の民間人の女

女、右にアウト。アリョーシャ、暗然として目を落とす。

戦況放送『……7月19日から25日にかけて……』

カメラ、また右にパンし、アリョーシャも土手を上って行くと、作業音が立ち始める。

戦況放送『……空襲により、空軍基地が……』

ここにいる人々は、空爆されて損壊した線路を直していたのである。

 

□111 元の線路

アリョーシャ、水を汲みに出た時と、全く同じ経路を通って(「104」の私の注を参照のこと)、戻って見ると、今しも、軍用列車は出てしまったところで、有に最後尾車両は二百メートルは先に行ってしまっている。

アリョーシャ、走るも、追いつけるすべもない。

小さくなってゆく貨車。

アリョーシャ、そこにいたさっきの工夫に何かを問うている(声はオフだが、消えてゆく汽笛が加わり、同時に標題音楽の不安定な変奏がかかり始める)。アリョーシャは恐らく、次の大きな停車駅に行ける道路のルートを尋ねたものと思われ、工夫が指示したレールを越えた左手に向かって走ってアウトする。

[やぶちゃん注:ここは後に示す「文学シナリオ」がごく現実的な解説を与えてくれる。]

 

□112 走る貨車の中で眠るシューラ

「105」のアングル。F・O・。

 

□113 泥道の街道

右からアリョーシャがイン、カメラ、少し左に動いて道の中央。

アリョーシャ「止まれ! 止まれ!」

画面左に、非常な旧式のトラックが来て、アリョーシャのところで止まる。

アリョーシャ(運転手に)「ウズロヴァヤまでお願いします! 列車に乗り遅れてしまったのです!」

許諾を得られたようだ。乗り込むアリョーシャ。

[やぶちゃん注:画像上も道路から上半分の中遠景部分の映像に人工的なスモーク処理(そこだけを光学的に全体に暗く撮影或いは現像処理してある)が施されていて如何にも不自然であり、これは実際にはかなり明るい日に撮影したものを加工処理したものと思われる。この画面の手前にある水溜りを見ても、実際には雨は全く降っていないのに、次のアリョーシャが乗り込んだばかりの「114」の車内の映像では、彼はびしょ濡れであり、運転手の向うのリア・ウィンドウもどしゃぶり、それ以降もスコール状態の怒濤の艱難辛苦シークエンスなのである。この安易な処理はちょっといただけないが、旧画像や映画館ではちょっと気づくことはなかろかとは思う(だからと言っていいとは私は全く思わない)。

 なお、この「ウズロヴァヤ」は既に一度あるシークエンスで出てきた地名である。どこか? ここをお探しあれ。]

 

□114 トラックの中

フロント右手から(左ハンドル)。運転手はかなり老いた婦人である。

老婦人「ニュース、聴いたかい。」

アリョーシャ「ええ。」

老婦人「ひどいもんだ。」

[やぶちゃん注:これはうまくない戦況と、今の大雨と、この悪路と、このところの彼女の忙しさに対する総ての嘆きである。]

老婦人「この二日間、ろくに寝ていないよ。」

老婦人「泣きっ面に蜂じゃないのッツ!」

車がエンストしたのである。

 

□115 外(トラックの運転台の左側から)

大きな水溜り(深くはない)の真ん中で止まっているトラック。老夫人、扉を開けてクランク・ハンドルを差し出し、反対側から降りて回り込んできたアリョーシャにそれを渡してドアを閉める。

老婦人「泣きっ面に蜂じゃないのッツ!」

 

□116 外(トラックのボンネット・「115」よりもずっと前に進んだトラック前方の左上から)

物凄い雨の中、その前でアリョーシャ、トップ・ヘッドの最下部のクランク・シャフトへ差し入れて、回す。

 

□117 外(「115」に同じ)

何度目かで、エンジンがかかる。アリョーシャも乗る(画面には映らない)。トラック、走り出す。ともかく、路面は最悪。

 

□118 運転する老婦人(正面・フロント前から)

老婦人(右オフのアリョーシャに)「トラックも私も、いい年なんだよ。……息子がいてね。139野戦郵便局さ……知ってるかい?」

カメラ、左にパン。

アリョーシャ「いいえ。」

アリョーシャ、肉体的にも精神的にも疲れ切って、彼女にろくな返事が出来ないのである。

 

□119 水溜りの深みにはまりこんでしまうトラックのタイヤ

カメラ、トラックの後方(左)にパンすると、アリョーシャが豪雨の中、懸命にトラックを押している。なんとか、ぬかるみを抜け出る。

 

□120 ハンドル右手前より運転する老婦人のアップ

疲労から、彼女の目は運転しながら、時々、閉じがちにさえなる。左を向き(カット)、

 

□121 アリョーシャと老婦人

無言で、しかし笑みを含めてアリョーシャを見、

老婦人「心配しなくたって、きっと間に合うわよ!……フゥ……」

と溜息をつく。

しかし、アリョーシャは前方を見つめたまま、切羽詰まった硬い表情のままである。

[やぶちゃん注:私はしかし、この老婦人のその何とも達観した穏やかな溜息に、既に何か、奇蹟的なものを期待してしまうのである。アリョーシャには、それは無論、判らないのだけれど。]

 

□122 ウズロヴァヤ駅構内

(前の「121」の画像からオーバー・ラップで)右手に線路、中央に大きな水溜り。右から(既に映っている)アリョーシャが走って横切ると(カメラ、左にパン)、左に停車した貨物(機関車は接続していない五連車両)があり、それはあのアリョーシャが乗っていた貨物車の一部に酷似してはいる。

画面左手前に、銃剣附きの小銃を構えた兵士がおり、アリョーシャを咎め、

兵士「近寄るんじゃない!」

と制止する。

アリョーシャ、立ち止まって彼の方を振り向くと、

アリョーシャ「あの列車に乗っていた者です!」

と叫ぶ。

兵士「その列車は何処行きだった!?」

アリョーシャ「ゲオルギエフスクです!」

兵士は小銃を右肩に背負い、

兵士「ああ、その列車なら、もう、一時間も前に出たよ。」

と伝える。

アリョーシャ、水溜りに立ち尽くし、一瞬、固まる。

アリョーシャ、線路の先(奥)を眺めると、

――飯盒の水を

――水溜りに

「さっ!」と撒き、来た右方向に足取り重く戻って行く…………(音楽、止む)

――遠くで汽笛が鳴る…………

 

■やぶちゃんの評釈

 この最後まで、「111」に始まった音楽は続くのである。また、アリョーシャが最後まで飯盒の水を持ち続けていたところに、「喉が渇いたわ」というシューラに水を――という強い〈想い〉が示されているところに着目せねばならない。ここで水を棄てるシーンには非常に深いアリョーシャの心傷が示されているのである。

 以下、「文学シナリオ」のほぼ当該部に相当するものを示す。

   《引用開始》

 シューラの高い声が一杯に溢れる。彼女は床からひっくり返ったやかんを取り上げ、空っぽの底をアレクセイに見せる。彼女は、若者にのみ許された伝染性の満足しきった笑いにとらえられている。アレクセイはゆったりと微笑している。

 彼は扉に近づき、それを開け広げる。

 ――もうよろしい。どんな〈凶悪な奴〉も怖くない。

 ――〈凶悪な奴〉だって!

 シューラは笑った。

 ――アリョーシャ、悪い人間だと思っていた人が良い人だったなんて、何て楽しいことでしょう。

 アレクセイはうなずいた。

 二人は考えていた。やがて突然、シューラが質問した。

 ――アリョーシャ、あなたは友情を信じますか。

 ――どうしてです。友情のない兵隊なんてありえない。

 ――いいえ、それは知っていますわ。若者と娘の間ではどうですか。

 ――どうしてです。若者より信頼できる娘もいます。

 ――私もそう思うのですが、ある人々は、男女の間には愛情だけが可能だと考えています。

 ――馬鹿げていることです! たとえば私もある女の子に友情を持っています……友情を持っていても、愛情について考えたことはないのです。

 ――しかし、そう気が付かないでも、愛しているのではないんですか?

 ――何ですって。とんでもない!

 彼は驚いた。

 ――でも彼女はどうかしら。

 ――いや、彼女は全く子供です。私の隣りのゾイカといいます。愛情だなんて、とんでもない。それは別物です。

 アレクセイは打ち消すような身振りをして言った。

 シューラは、自分の考えていることがおかしくなった。

 ――アリョーシャ、あなたは本当の友達、一生涯の友達に会いたいと思ったことがありますか。

 彼女は、暫く間を置いて尋ねた。

 アレクセイはうなずいた。

 ――私も!

 娘は嬉しそうだった。

 ――あなたは私が行くことをどう考えますか。あなたは私をどう思っていますか。

 ――彼のところへ行くのは正しいことです。あなたはすばらしい女の人です。

 ――ああ、そんなではないのです!

 ――素晴らしい! それでなければとんでもない尻軽女ということになります。

 ――いいえ! アリョーシャ、あなたは何も知らないのです……。

 二人は暫く黙っていた。やがて娘は、アレクセイを見つめ、決意の色を見せて言いかけた。

 ――ねえ、アリョーシャ……。

 ――何です。

 彼は彼女を見た。彼女は取り乱して、眼を逸らした。

 ――何か、大変に喉が渇いたわ。そうでしょう。

 ――そうですね。

 

 夜。汽車は、破壊された農村、焼け落ちた駅、線路からほうり出された貨車の残骸等の傍らを通り過ぎて行く。

 シューラは、アレクセイの肩にもたれて眠っている自分に気が付かなかった。彼は眠ることが出来ない。座って考え込んでいる。娘の寝息に聞き入っている。シューラは、眠りながら信頼し切っているように、自分のほおを彼の肩に押しつけてきた。彼は用心深く立ち上がり、扉のところへ行く。そして、暗闇に過ぎ去って行く若木の森の梢を眺めている。

 シューラは寝返りをうった。アレクセイは娘を眺めていたが、やがて静かに彼女に近づき、身を屈めて自分の外套をかける。

 汽車どこかの駅に近づいて行く。二つの列車の間に停車する。

 アレクセイは、やかんを取り立ち上がる。

 シューラは眼を開ける。

 ――どこへ行くの。アリョーシャ。

 ――水を持って来ます。寝ていなさい。

 彼は外へ飛び降りる。手に角燈を持った鉄道員が傍らを通って行く。

 ――おじさん、停車していますか。

 ――恐らくそうだろう。

 ――水飲み場はどこですか。

 ――ほら、あそこだ。

 アレクセイは停車している列車の下をくぐって、線路を横切り、水飲場にかけて行く。水飲場には長い列ができている。アレクセイは列に近づく。ラジオの拡声機からアナウンサーの声が聞えてくる。誰もが息をこらして聞き入っている。

 『われわれの軍隊は、困難な戦闘の結果、多数の敵の人命と武器に損害を与え、クルスク市を撤退しました。』

 アレクセイは列へ話しかける。

 ――すみませんが、列車から降りて来たのです。やかんに水を汲ませて下さい。

 彼は頼む。

 すると、苦々しい感情のはけ口を発見したかのように、婦人達は兵士に食って掛かった。

 ――ここにいる者はみんな列車から来たんだよ!……

 ――列に並んだらいいだろう!

 アレクセイはとまどったが、しかたなさそうな身振りをして、列車に戻って行った。

 この時、サイレンが鳴り響いた。拡声機から、アナウンサーの声が聞えて来た。

 ――市民の皆さん。空襲警報です!……

 うしろをふり返えったアレクセイの眼に、水飲み場の列が散って行く光景が映った。そこで彼は引き返した。静かに水を汲んだ。そして探照燈の光ぼうが走り回る空を見上げながら、列車に急いだ。誰かが彼の傍らを走って通った。隣りの列車で誰かがわめき散らしていた。客車の下をくぐり抜けたアレクセイは、空虚な線路をあっけに取られて見た。その時、角燈を持った鉄道員がやって来るのに気がついた。

 ――列車はどこですか。

 彼は尋ねた。

 ――列車は出て行ったよ。お前は置き去りになったのかね。

 ――あなたは、しばらく停車するだろうと言ったでしょう。わざと人を困らせるんですか。

 アレクセイは涙を流さんばかりに老人に食ってかかった。

 ――空襲警報のためだよ! 駅の構内を空にするように命令が出たんだ。

 ――どうすればいいんです。ねえ! おじさん! どうすればいいか言って下さい。教えて下さい!

 ――ウズローバヤに三時間か、それ以上停車するだろう。ウズローバヤまで行けばいい。

 ――ウズローバヤまで行くんだって! 何か方法はあるでしよう。おじさん、考えて下さい。自動車はありませんか。

 ――自動車だって! 木材倉庫へ急いで行け。駅の倉庫で、この近くにある。

 

 木材倉庫。角材、板、薄板の山。すべてが、戦時の青い電燈の不安な光に映えている。

 倉庫のところに、二台の古いトラックが並んでいる。

 一台の自動車に、二人の女労働者が板を積んでいる。もう一人の胴着をきた小さい中年の婦人が二人を手伝っている。アレクセイは、並んでいる自動車に駆け寄る。彼は前にあったトラックの運転手に話しかける。毛皮の半外套を着て、冬の帽子をかぶった運転手は、ハンドルにもたれ居眠りをしている。

 ――すみませんが、ウズローバヤに行く車はありますか。

 運転手は頭を持ちあげる。それは疲れで眠むそうな顔をした中年の女である。

 ――すみません。

 茫然としてアレクセイはつぶやくように言った。

 〈女運転手〉はあくびをして言った。

 ――向うにいる人に話しなさい。

 胴着を着た婦を示し、再び、ハンドルにおいた手に頭なもたせかけた。

 アレクセイは、胴着の婦人のところに急ぐ。彼女は立ち止まって、倉庫係と何か話している。女労務者は仕事の手を休めて二人の会話を聞いている。

 ――俺は言った、みんなだと。もう最後だ。

 倉庫係は乱暴にわめいている。

 アレクセイは近づいて聞いていた。女は静かに訴えるように話している。

 ――あんたには良心がない。十枚も足りない。露天で私達の家畜にどうすればいいんです!

 ――誰のところでも露天なんだ。誰でも納得している。戦争だからな! あんたは全くしつこい! 行ってくれ! 他人の仕事を邪魔しないでくれ!

 倉庫係は怒鳴る。

 ――恥知らず! 板[やぶちゃん注:販売用の製材であろう。]を渡して下さい。どうせ、飲んじまったんでしょう。だがコルホーズにとっては、どうしても必要なんです。

 ――一体、俺と一緒に飲んだとでもいうのかい。飲んだのかい! ええ! あんたは誰に恥をかかせるんだ。

 彼は小さい婦人に身体を押しつけて行く。

 ――おい、行っちまいな!

 彼は彼女を押す。

 アレクセイは我慢できなくなり、倉庫係のところへ飛んで行くと、怒りに息をはずませながら聞きとれぬような声で言った。

 ――この野郎、何をするんだ。女の人に向かって。

 ――お前は何を出しゃばるんだ。一体、お前は何だ。

 倉庫係は怒鳴る。

 アレクセイは拳を固め、黙って倉庫係に近づいて行く。今の彼はすさまじい形相である。倉庫係は後ずさりして行く。

 ――お前は何だ。気違いか。怪我でもしたのか。気をつけろ! おい!

 倉庫係は恐ろしさに大きな声でくり返えしながら、後ずさりして行く。彼は何かにつまづいて角材積み場に倒れる。

 アレクセイは彼に近づき、綿入れの上着を捕まえ、手を振り上げる。

 ――女達! 女達! 彼に板を渡してやれ!

 彼は恐ろしさに目を閉じている。

 アレクセイは、やっと自分を押さえ、倉庫係を突き放すと、向きをかえて倉庫から急いで離れて行く。

 

 積荷は終った。アレクセイは運転台に座っている。婦人がモーターに点火する。

 ――若い人! あんたも敵意を持っていたのですか。見かけない人のようですね。

 ――私は敵意を持ってません。ただ、あんなのが嫌いなんです。奴等はファシストにも劣ります。奴等は敵です。全く明らかなことです。そうなんです。

 アレクセイは何となく答えた。

 ――そうですとも。卑劣漢が一人いても、何人かの人の生活が破壊されます。

 婦人は息をつぐ。

 アレクセイは扉を少し開き、身体を外へ突き出して入り口のところでびくびくしながら見送っている倉庫係を見た。

 ――お前の運もそう長くはないぞ。戦場から帰ったらこのままでは済まさんぞ!

 アレクセイは彼に叫ぶと、扉を音を立てて閉めた。

 自動車が動き出した時、うしろからあざ笑いながら倉庫係は叫んだ。

 ――もう一度戦場から帰ってくるって! まだ、一度も戦場に行ってないくせに!

[やぶちゃん注:ここでのアリョーシャはまさに道義の士として、バリバリに英雄的である。しかし、もし映像で示したら、却ってそれは我々の知っているアリョーシャの姿としては、ちょっと違っている気がする。なくてよかったと私は思う。ただ、こういう前振りがあって老婦人との出逢いがあれば、実際に映像化された部分のちょっと〈説明足らずな感じ〉は拭われるとは言えるのである。]

 

 夜……。雨にぬれる道路を自動車が行く。

 アレクセイは、調子の悪いモーターの音に不安そうに耳を傾けている。モーターは唸るかと思うとむせぶように鳴る。自動車は滑り易い水たまりの道を静かに前進する。

 ――運わるく列車に取り残されたのです。

 アレクセイはいらいらしながら話す。

 ――何でもないわ。多分追いつけますよ。ウズローバヤでは、時々は半日も停車していることがあります。遠くまで行くのですか。

 ――ゲオルギエフスクです。

 ――のびのびと休んでいられますわ! 戦場は違います。そこでは、休止することがない……ああ、戦争、戦争! 終りも見えないわ。

 婦人は、深く悲しそうにため息をついた。

 ――いまいましい苦労ですね。

 ――そうです……私の息子も戦場です。第一三九野戦郵便局受付ですが、聞いたことはありませんか。

 ――いいえ。

 ――戦車隊です……。戦車の指揮官です。

 〈女運転手〉は言いかけたが、モーターの変調がひどくなった。婦人は沈黙し、急いでレバーをつかんだ。無駄であった。モ-ターは一層弱って行き、とうとう止ってしまった。

 アレクセイは悲しそうに婦人を見つめた。

 ――どうしたんでしょう。自動車も私と同年輩です。

 彼女は浮かぬ顔をして冗談のように言った。

 ……アレクセイは激しくレバーを動かす。婦人は運転台とモーターの間を往復し、何かのてこを引張る。モーターはかすかながら動き始める。

 

 再び自動車は走って行く。モーターは途切れ途切れに唸りを立てる。

 ――こんな風にこの機械で生活してるんです。それでもコルホーズの人々は生活してますわ……女だけで生活してます。女達はみんなで仕事をし、子守りをし、涙を流すのです。生きて帰ってさえくれればいいが……若い彼は激しく抱きついてくるでしょう!

 自動車は道路を疾駆する。モーターはおだやかに動いている。雨にぬれた木の幹が通り過ぎて行く。

 ――このおばあさん自動車は勝手な方向に走ります。いまいましい、私と同じ頑固者なんです。一歩も動かないかと思うと、がむしゃらに走ったりします……。

 運転手は、当然だという顔付で話す。

 ――それで列車に追いつくでしようか。

 ――ええ。可能です。四十分後には追いつくでしょう。

 泥だらけの自動車。車輪の跡は、この自動車が曲り角でどんな曲り方をしたか、どんな風にぬかるみに落ち込んだかを証明している。まわりの大地は長靴で深く荒らされている。泥まみれの板が車輪の下から突き出している。自動車の周りに、アレクセイと彼の同伴者が立っている。

 ――戦争が終るまでここから出られないかもしれない! 馬鹿な私を許して下さい! 三晩も眠っていないのです。

 アレクセイは悲しそうに沈黙している。

 遠くから、モーターの重々しい唸りが次第に大きくなって聞えてくる。また金属が軋る音がする。

 ――何でしょう。

 婦人は尋ねる。

 ――タンクのようですね。

 唸りと軋りはどんどん近づく。そして雨あがりの夜霧の中から、重戦車のシルエットが現われてくる。方向を変えながら、タンクはアレクセイと運転手をライトの光で照らし出す。数秒間そのまま照らしていたが、やがて、轟音を立てて通り過ぎて行く。

 そのあとに、二台目、三台目、四台目と続く。それぞれのヘッドライトが暗闇の中に、おんぼろの自動車とその傍らにたたずむ婦人と兵士を照し出して行く。

 ――戦場へ行くんです。

 兵士は話す。

 最後のタンクが向きを変えて、二人を照らし出す。そして、突然に近づいて来て停止する。ハッチがはねあがり、タンクから口ひげの濃い好男子の若者――戦車の指揮者が顔を出す。

 ――ようこそ、アルゴー船の乗組員諸君! 船が沈没したようですね!

 彼は陽気に叫ぶと、返事も待たずに、誰か戦車の中に座っている者に呼び掛ける。

 ――ワーシャ、ザイルを引張り出せ、遭難者を救けるのだ!

 戦車からも一人の戦車兵が手にザイルを持って現れる。彼は小さいがすばしっこい。彼は、ザイルの一方の端を急いでタンクに結びつけると、もう一方の端をもって、ぬかるみにはまった自動車のところに駆けて行く。アレクセイは彼を手伝うために駆けて行く。彼等は二人でザイルを結び付ける。その間、戦車兵は兵士に質問する。

 ――君、どうしてこうなったんだい。

 ――うん、駅に行こうとしていて、はまったんだ。

 ――分かった!……畑の女王様は我々がいなければいつもオシャカだ。

 彼は直立不動になる。

 ――準備完了! 少尉殿!

 指揮官は身を屈め、ハッチの内部になにか言う。二、三秒経過して、タンクは唸り出したかと思うと、おもちゃを取り扱うように、一気にトラックを道に引き上げる。少尉は大声で笑う。ザイルをはずしたワーシャは、いそいでタンクによじ登り、別れを告げて叫ぶ。

 ――到着したら連絡して下さい。

 ――どこへ連絡するんですか。

 〈女運転手〉は尋ねる。

 ――あて先ははっきりしてます。ベルリン、留置郵便。ワシリイ・チョールト軍曹宛てです。

 ハッチが音をたてて閉まり、タンクは勢いよく動き出すと、隊列を追って走って行った。

 ――全くそうですわ。全く〈チーョルト〉(悪魔)ですわ。

 婦人はそう言うと、後ろを振り返り、激しく付け加えた。

 ――何というエネルギーが消えて行くのでしょう。いまわしい戦争ですわ。もしこのエネルギーが有効に使われたならば、地上の生活は、どんなに素晴らしいものになるでしょう!

[やぶちゃん注:以上の部分もエピソードとしてはいい。しかし、それは「アリョーシャの休暇の物語」としては、外れている。]

 自動車は踏切で止まっている。アレクセイは自動車から飛び降り、別れを告げて手を振りながら、駅に駆けて行く。夜明けの薄明の中の路上に、列車の影が黒ずんでいる。機関車がいない。嬉しそうにやかんを振りながら、アレクセイは列車に走って行く。彼は水飲み場の傍らを通り過ぎる。水道の蛇口から水が流れ出ている。アレクセイは後戻りして、微笑しながらやかんに水を汲み、こぼさないようにしながら、列車のところに急ぐ。

 列車から番兵が出てくる。小銃を構えている。

 ――あっちへ行け。

 アレクセイは立ち止まり、ひょろひょろした番兵を眺める。

 ――私は、この列車に乗ってたんです。少尉が許可してくれました。

 彼は説明する。

 ――どの少尉だ。

 ――列車の司令官です。ガヴリルキンも知っています

 ――ガヴリルキンだって?

 ――あなたに交替するまで番兵だった、太った男です。

 ――ああそうか、女のような兵士だな。

 ――そうですとも!

 アレクセイは喜んだ。

 ――その列車ならば、一時間ぐらい前に出て行った。我々は別の方向に行くんだ。

 アレクセイはこの列車が別のであることが、今初めて分かった。

 アレクセイは黙って立っていた。そして、腹立ち紛れにやかんの水をごぼごぼとこぼし、ゆっくりと駅の建物の方に歩いて行った。彼は頭を垂れて歩いて行った。この夜の興奮と疲労とで、彼は全く参ってしまった。

   《引用終了》

ソヴィエト映画グレゴーリー・チュフライ監督作品「誓いの休暇」論 或いは 待つ母というオマージュ 8 エピソード2 シューラ(Ⅱ) 危機一髪 或いは ガヴリルキンの悲哀

 

□76 汽車正面(左手前方から)

左にカーブしたところを激しい音をたてて進んでくるが、最後に小さな警笛音が入る。これはどうもそこで何かがあって進行を緩めていることが意識される。[やぶちゃん注:これと次のシークエンスでの警笛のSE及び二人の外部への警戒の仕草が、この後のちょっとした変事(とそれが齎す危機)への伏線(不吉な呼び水)となっている。]

 

□77 貨車内

遠い警笛が響いてくる。汽車が何かあって止まるか? 気になる二人、扉の方(画面左手前)に同時に顔を向ける。

シューラ、如何にも心配そうにアリョーシャを見る。

アリョーシャ、彼女の顏を見て、直き、「何でもないよ!」といった感じで、右手を「ぱっ」と振って微笑んで、雑嚢を片付けている。

シューラ、満面に安心した笑顔を浮かべて、そのアリョーシャの姿を見詰めている。また、遠く警笛音。

シューラ、ちょっと顔を振って外を気にしたあと、

シューラ(以下、二人の「82」までの総ての会話は囁き声で行われる)「怒らないでね!」[やぶちゃん注:彼らがそうするのは、同時に、この時点で明らかに列車が完全に停止したことを観客に教えている。]

アリョーシャ「何を?」

シューラ「頰をひっぱったいてしまって、ごめん!」

アリョーシャ「お蔭で、仲良くなれたじゃないか。」

アリョーシャ、笑う。しかし、そのアリョーシャ台詞の最後に掛かって、

中尉(未だ登場してはいない。オフで)「ステパノフ! 防水用キャンバスは?!」

二人、扉の方に無言で顔を向け、笑顔が消える。

 

□78 貨車の扉(内側から)

外での軍用列車の担当軍人らの声。

兵士某(オフで)「はっ! ガヴリルキンの担当であります!」

中尉(オフで)「判った。彼に命じろ。」

兵士某(オフで)「ガヴリルキン! キャンバスを持ってこい!」

 

□79 貨車内

アリョーシャは、外の声や動きに明らかに不安なものを感じている様子で、扉を見つめているが、シューラはまるで外のざわめきを気にせず、さっきのアリョーシャへの謝罪を笑顔でさらに述べる。

シューラ「ほんと、ごめんね。私、おばかさんだった。」

アリョーシャ、ここでやっと不安顔をシューラに戻し、優しく、

アリョーシャ「僕も謝る。君を脅かした。」

シューラ、思わず、吹き出して笑う。アリョーシャ、もくすくす笑い。

――そこに貨車の外を走る跫音がする

二人は一瞬、「はっ!」とするものの、安易に事態を全く楽観していることが判る。(その辺りが二人の若気の至りであること、二人の純真な幼さを残している内面をよく演出している)

シューラ「ねえ?! 自己紹介しましょう!」

アリョーシャ「いいとも!」

二人、立ち上る。(途中でカット)

 

□80 立ち上った二人

向かい合った二人(ともに腰から上)左にシューラ、右にアリョーシャ(兵隊らしく後ろで、優にシューラの頭一つ分強、アリョーシャの方が背が高い。

アリョーシャ「僕の名はアレクセイ。」

アリョーシャ、右手を出し、シューラが握って握手する。

シューラ「同じく私はシューラ。」

アリョーシャ「どうぞ、よろしく。」

シューラ「こちらこそ、よろしく。」

 

□81 貨車扉の内側

隙間に明らかな人の影が過ぎり、走る跫音がする。

 

□82 貨車内(「80」に同じ)

二人、「はっ!」と扉の方に不安な表情を振る。表情が硬い。

[やぶちゃん注:流石に、外の事態が異様なものとして気になるのか? いや、ただそれではなく、ここで二人は、初めて如何にも改めた感じで互いの名を名乗り合ったことによって、逆に、さっきまでの気軽な感じの二人の親密感が、ちょっとばかりかしこまってしまった感じになった硬さなのでもある。こうした二人の若い純真さがかえって愛おしいシーンであり、二人の演戯もわざとらしさが全くなく、極めて上質と言える。]

シューラ「あなたの行き先は?」

アリョーシャ「休暇を貰って帰郷する途中なんだ。君は?」

シューラ「私は、」と話しかけたところで、以下によって断ち切られる。

――と!

中尉(オフで。かなり苛立った感じで)「早くしろ! ガヴリルキン!」

ガヴリルキン(オフで)「もう少しであります! ちょっとだけ手間取っておりまして。……」

アリョーシャ、事態の急迫を感じ取り、シューラの左手を摑んで引っ張りつつ、

アリョーシャ「こっちへ! 隠れるんだ!」

アリョーシャはシューラを右手奥の干し草の間に、両手を使ってかなり強い力で引き込もうとするため、びっくりしたシューラは反射的に抗ってしまう。それが数度、奥の暗がりで繰り返されつつ、徐々に二人は隠れる。

 

□83 二人のいる貨車の扉の外(ややあおり)

ガヴリルキン(後姿)、扉のストッパーを外して扉を開く。

 

□84 貨車内

干し草の山の後ろに隠れた二人。アリョーシャはシューラ右胸のところで抱えて押し隠しており、二人の。カメラ、右上にティルト・アップして、貨車に上った入口のガヴリルキンを捉え(二人は左にアウト)、

ガヴリルキン「見つけました! 同志中尉殿!」

入口の干し草に立てかけてあるそれを持ち上げようとするガヴリルキン。ところが、右奥(カメラ位置)に何かを見つけ、一瞬、動きが止まって、口をあんぐり開けて目を剝く。カメラがゆっくりティルト・ダウンすると、積もった干し草の中から飛び出ているハイヒールを履いた女性の脚先が見えてくる。

中尉(オフで)「一体、お前は何をしてるんだッツ?! 早くせんかッツ!」

ガヴリルキン(おどついて)「た、只今!」

[やぶちゃん注:無論、中尉の勘気、プラス、今見たあり得ないはずのものに、おどついたのである。]

ガヴリルキン、キャンバスを落とし、貨車を降りるが、扉に手を掛けながら、一瞬、シューラの脚先を茫然と見て後、扉を閉じる(途中まででカット)

 

□85 干し草の蔭

右奥で、しっかりしまる扉。

[やぶちゃん注:「84」と完全に時系列同期したリアリズム編集がなされている。実は、現行の編集では普通こうした場合のカット繋ぎは、完全に同期させると、観客から見た場合に思いの外に流れが立ち切れた感が強くなり、却って違和感を生じさせるとされてダブらせる手法(例えばこの場合だと「84」カットは〈ガヴリルキンが扉を閉じ切る〉画像で終わり、改めてこの「85」カットの頭に〈扉が閉まって後部がガシャンと揺れる〉画像を重ねるのである)が正統とされる。]

アリョーシャとシューラ、ほっとする表情で二人とも目を閉じる。

 

□86 二人のアップ

二人とも目を瞑ったまま。

アリョーシャ、思わず、右手で抱きかかえているシューラの頰に頰すりをする。

[やぶちゃん注:彼のこの動きは、エピソード1(ワーシャの物語)の「18 走る列車の車内(夜)」でアリョーシャが寝ながらワーシャにするそれと相似的で、一種のアリョーシャの中の純朴な幼児の、母にする「すりすり」を連想させるもので、決して性愛的なニュアンスを帯びて感じられない。ここで二人が眼を閉じているのも(しかも既に述べた通り、中はひどく暗いのだ。ここでも射し込む外光を真似た二人の頰辺りに斜めに走らせたライティングが二人だけの秘密の空間を美しく飾っている)、むしろ二人とも夢見の中にあるような印象を与え(特にシューラ)、やはり性的なニュアンスを排除し得ている。]

シューラも、それに抵抗することもなく、頰ずりを受けており、あたかも夢を見ているような感じである。しかし、そこでシューラは、

――はっ!

と目を見開き、右手でアリョーシャの胸を押しのける。

 

□87 干し草の蔭の中景

二人、上半身を起き直し、少し距離をおく。

二人、ちょっと気まずい感じで俯いている。

 

□87 疾走する列車から見た森と川

終わりの方で鉄橋を渡るので画面もちらつき度が高くなり、軌道の立てる音も激しくなる。

[やぶちゃん注:二人のちょっとした今のドキドキ感の、これも「比喩のモンタージュ」である。]

 

□88 干し草の蔭の中景

アリョーシャとシューラ、黙って見つめ合い、二人、ここでやっと一緒に安堵の微笑みを交わす。

アリョーシャ「彼は僕たちに気づかなかった。」

シューラ「ええ。」

アリョーシャ、少し、シューラに上半身を近づけ、

アリョーシャ「怖かった? シューラ?」

シューラ(笑顔で)「いいえ。」

アリョーシャ「君は、けっこう、怖がりだね。」

シューラ「いいえ。」

アリョーシャ、さらに寄って、左手をのばして、シューラの背後の干し草に支えとする。

アリョーシャ「シューラ、君の行き先は?」

シューラ「え、ええ、……クピンスクへ行くの。……私の婚約者のところへ……。」

ここはモスクワの東方二千四百八十五キロメートルも離れた位置にあり、遠過ぎる。ずっと後の「ウズロヴァヤ」のシーンで、この「クピンスク」が近いと言うアリョーシャの台詞が出るので違う。識者の御教授を乞うものである。なお、後に掲げる「文学シナリオ」も参照されたい。]

アリョーシャはさらに迫る感じなので、シューラは身をよじって、下がろうとする。

シューラ「……彼はパイロットなの。……彼は今、病院に入ってるの。……重体なのよ。……」

シューラ、アリョーシャを押しのけて(カメラ、引く)、扉の所まで走り去る。アリョーシャ、ちょっと淋しげ。

シューラ、そこで振り返って、

シューラ「私、もう降りた方がいいんだわ。……」

アリョーシャ、振り返って、

アリョーシャ「どうしたの? 怒ったの?」

アリョーシャ、体をこちらに戻して、

アリョーシャ(如何にも淋しげに)「どうしたんだい?」

シューラ「別に……何でもないわ……」

 

□89 走る汽車と貨車

左からのあおりで、車体にかなり近い。最後に大きな汽笛。

 

□90 貨車内(扉方向から)

左手前に立つシューラ、右奥に干し草に腰かけたアリョーシャ。(標題音楽の変奏がかかる)

二人とも、気まずい感じ。手持無沙汰だが、無言。シューラは、右手で左の積んだ干し草を引き抜いて弄っている。

 

□91 停車する貨車

やはりカーブした場所。

 

□92 貨車内(前と同じアングル)

アリョーシャ、ちょっとむっとした感じで立ち、シューラを見、前の襟をちゃんと締め直して、飯盒を取り上げ、シューラの背後で立ち止まって見つめ、茫然とした伏し目になって、

アリョーシャ「水を汲んでくるよ。」

と言って、画面右にアウトする。シューラは両手で干し草をいじったまま、彼の背を何か寂しそうに見るが、無言。

 

□93 駅らしき構内(1ショット)

軍用列車の途中の連結部の右レール外から。右手少し奥には横の線路に貨車が停車しているので駅と判る。

そこにガヴリルキンが立哨している。

向うの貨車の扉が開き、アリョーシャが上半身を見せ、奥の方を偵察する。

それに気づいたガヴリルキンは、即座に連結部の陰に後退して身を隠す。

寸秒の間合いで、アリョーシャはガヴリルキンに気づくことが出来ず、こちらに車間を走り、右手の貨車の最後尾を回りこんで、右にアウトする。

ガヴリルキン、二度ほど、そっと覗き、アリョーシャが行ってしまったことを慎重に確認する。

 

□94 駅

駅舎らしきものの一部が中央奥にあり、その背後からアリョーシャが走ってくる。

画面左手前、駅舎の脇には白十字のマークを附けた救護用トラックが停まっており、白衣を附けた衛生兵二人が、担架に載った頭に包帯を巻いた若い兵士(上半身を起こしていので明確に判る)をトラックに乗せようとしている。

その車のさらに手前には兵士(こちら向きで煙草を吸っている)が民間人の男と向き合っているが、大きな水溜りを小石を踏んで越えてきたアリョーシャは、その兵士に、左手に持った煙草の火を借りる(ワーシャと別れたボリソフ駅以来のひさびさの一服である)。

借りながら、

アリョーシャ「戦況は開いていますか?」

と尋ねる。

兵士「前線はノヴォロシスクまで押し返したよ。」

アリョーシャは礼を言うと、その右手の(カメラ、パンする)水道の蛇口から飯盒に水を入れる。その左背後には同じく水を求めにきた若い女性兵士が順番を待っている。

[やぶちゃん注:「ノヴォロシスク」Новороссийск(グーグル・マップ・データ)。クラスノダール地方の黒海中部東岸の港湾都市。ウィキの「ノヴォロシースク」によれば、『黒海艦隊の基地として』一八三八『年に建設され』一七二二年以降は、『その地を支配し』た『トルコの要塞』『に取って代わった』一九一八年以降は『白軍の重要拠点となったが』一九二〇年に『白軍はクリミアへ撤収した』。この「大祖国戦争」(所謂「頭部戦線」「独ソ戦」のこと。一九四一年六月二十二日から一九四五年五月九日まで)中の一九四二年には、『この町はドイツ軍によって占領された』ものの、翌一九四三年九月十六日の赤軍による解放まで、『ソビエト水兵の小部隊が』実に二百二十五日に亙って、『町の一部を死守した。のちに海軍総司令官となるセルゲイ・ゴルシコフの指揮の下、ソビエト水兵が英雄的な防衛を行い、市の湾入部を保持し続けた』のであった。これにより、『ドイツ軍は、補給のために』ノヴォロシスクの『港を使用することができなかった』とある。]

 

□95 貨車の中(中から開いた扉方向で人物はバスト・ショット)

アリョーシャ(左)を一方的に指弾しているガヴリルキン(右)。

ガヴリルキン「お前を軍事法廷に突き出してやる! 機密軍用列車に潜り込んだんだからな!」

ガヴリルキン、手前からシューラの背を摑もうとして回り込んで、銃剣附き小銃を右手に立てて立ち(ここでフレームが後退して中景。[やぶちゃん注:因みに、この時、向う側に停車している貨車の一つが映り、それは無蓋車で軍用トラックらしきものが載っており、そのトラックの荷台部分にはシートが掛けられてある。その左手のさらに奥にも何かは判らないものにシートが掛けられてある。こういったものが前に出た防水用の「キャンバス」であることが判る。但し、彼らの載っている軍用車両には今までの映像から無蓋車は一台もないので、老朽化した貨車に雨漏りが発生し、そこに急遽、キャンバスが必要となったとでも考えるべきと思う。つまらないことが気になるのではない。私は説明がつかない部分を論理的に補填し得ずに誤魔化して通ることが生理的に厭な性質(たち)だからである。])、シューラはガヴリルキンの伸ばした手を逃れ、奥を反対に回り込み、今度は右側に立つ(左体半分で背は切れる)。ガヴリルキン、右手に一歩動き、シューラの前に立ち塞がり、

ガヴリルキン「お前を連行する!」

シューラ「アァッ!」

――と

そこに貨車下を左手からアリョーシャがイン、

アリョーシャ「おい! 何してんだ!!」

とガヴリルキンに誰何(すいか)し、貨車に上がる(左手に水を入れた飯盒を持っている)。ガヴリルキン、振り返って、アリョーシャに対峙し、

ガヴリルキン「おや? まあ! お前さんかい! こりゃあ、一体、どいうことだ?!(ここで、アリョーシャ、飯盒を右足元に置く) 俺たちは誠実な協定を結んだんだぜ。だのに、お前は民間人をこっそり連れ込んだんだ!」

アリョーシャ「それが、どんな問題があるって言うんだよ?!」

ガヴリルキン「大問題だッツ!」

ガヴリルキン、振り返って、シューラに、

ガヴリルキン「来い! 娘!」

と言い、左手でシューラを摑もうとする。

アリョーシャ、手前から廻り込んで割って入って、ガヴリルキンに立ち塞がり、

アリョーシャ「彼女はどこにも行かせない! お前こそここから出てけ!」

ガヴリルキン「何だと? お前! 何様のつもりだ! 俺さまに命令するのか?!……自分だけ、女といい思いしやがってよ!」

アリョーシャ「黙れ!」

ガヴリルキン「俺は、ちゃんと、見たぞ!」

★ここでカットして、アリョーシャの顔のアップ。(以下、本作では珍しく激しいカット・バックが行われている。「★」印で1ショット1カットを示した)

アリョーシャ「何を見たって?」

右背後に目をまんまるく開いたシューラの蒼白の顔。

★シューラの少し右手前位置から(あおり)。

右手にシューラの横顔、中景に立ち塞がるアリョーシャ、その左真ん前にガヴリルキンの配置。

ガヴリルキン(如何にもいやらしい笑みを浮かべて)「二人で、何んだな……干し草の中でよ、しっぽりヤッてたんだろ。ヘヘッツ!」

★中景に戻る。

アリョーシャ、遂に切れ、ガヴリルキンを右手で

――ガツン!

と殴りつける。

★倒れたガヴリルキンの両脚と間にひっくり返る飯盒のアップ。

★干し草に仰向けに倒れるガヴリルキン。

★前のアリョーシャ+シューラのアップ画面。

★倒れたガヴリルキンの両脚とひっくり返った飯盒のアップ。飯盒から流れ出る水の音が入る。

[やぶちゃん注:この時、擬闘のプロ(この映画には確かに他のシーンではいらないからね)の指導者がいなかったものらしく、素人目で見ても上手くない。アリョーシャは明らかに左手を先に有意に伸ばし、ガヴリルキンを押し倒しつつ(人を殴るのにこんな動作はどう考えてもあり得ない)、そこに右のパンチを力なく突き出すふりをしているからである。せめてもガヴリルキンをスタッフが後ろから見えないように引っ張りつつ、アリョーシャに思いっきり右パンチを繰り出させるべきであった。]

★干し草の山の間に仰向けに倒れたガヴリルキンのほぼ全身像(やや足が切れる)を上から撮る。

ガヴリルキン、大きく溜息をつき、

ガヴリルキン「上等じゃねえか。歩哨兵に暴行したらどうなるか、よぅく、わかってるよ、な?」

★シューラの背後上方から俯瞰で三人。

アリョーシャ「そいつはその糞野郎の見方次第さ。」

ガヴリルキン、立ち上ってコートの藁屑を払いつつ、

ガヴリルキン「お前さんから見るなら、俺は『糞野郎』かも知れん。だがな、俺はな、何より俺が大事なんだ。」

と言いつつ、左手でポケットから何かを取り出し、右手に持ち返る。

★開いた扉側からガヴリルキンのバスト・ショット。

銃剣を持った右の掌に挟んで持たせたのは小さな鏡である。ガヴリルキンはそれを覗いて、髪の乱れを気にし、而して左頰を押さえてみる。たいしたことはないようだ。ガヴリルキン君、実は見かけによらず、結構、お洒落なのである。

★前の俯瞰ショット。

ガヴリルキン「お前ら! 二人とも列車から降りろ! でなければ、射殺する! それが俺の任務だからな!」

と言いつつ、小銃を自分の腹部に横ざまに構える。

★アリョーシャとシューラの頭胸部を左右に並べたショット。[やぶちゃん注:位置的にはこれだと外が映るはずだが、背後は干し草の山である。ハレーションを気にしてずらしたものかと思われる。]

アリョーシャ「撃ってみろよ。お前に出来るのか?」

★前の俯瞰ショット。

ガヴリルキン「よし! 中尉殿にご登場願おうじゃねえか! それまで、そうやって意気がってっるがいいぜ!」

★内側から開いた扉に向かって。三人。

ガヴリルキン、空に向けて小銃を打とうとする。アリョーシャ、シューラと無言で一瞬だけ顔を合わせ、銃本体の先の方を摑んで、静かに降ろさせ、

アリョーシャ「お互いに熱くなり過ぎた。話し合おう。」

ガヴリルキン「問答無用! 二人とも直ぐに降りろ! これから二発、警告射撃をする。それから……」

そう言いながら、後ろ(貨車中央内側)へ下がった途端、

★アリョーシャの雑嚢に躓き、それを蹴り上げるガヴリルキンの足。大きな缶詰が、一缶、「ごろり」と転がり出る。

★貨車内側から外。シューラは映らない。

ガヴリルキン「……何だ! これは! たらふく食いやがって!」

アリョーシャ「肉の缶詰二缶――で、どうだね?」

ガヴリルキン、アリョーシャを一瞬見て、また顔をそむけてこちらにもどし、

ガヴリルキン「これだけ侮辱されたんだ! 腹がおさまらないね!」

アリョーシャ(きつい調子で)「謝れって言うのか?」

ガヴリルキン、アリョーシャの顔と下ある(見えない)缶詰をちらちらと見ながら、

ガヴリルキン「判った。手を打とう。」

ガヴリルキン、厳しい顔つきをしながら、画面を向いて伏し目がち。

アリョーシャ、雑嚢から缶詰を出し、ガヴリルキンに向ける。ガヴリルキン、無言で後ろ手に受け取り、コートの胸の部分に押し込む。

二缶めも同じく無言で受け取る。アリョーシャ、微苦笑する(ガヴリルキンには見えない)。

ガヴリルキンがその二缶めをコートの左ポケットに押し込もうとしたとき(アリョーシャは右にアウトする)、その腕の間を通して、観客には中尉が貨車の扉の左下方に姿を現わすのが見える。

中尉、ガヴリルキンに気づき、見上げて、

中尉「一体、どうしたんだ。」

と誰何する。

ガヴリルキン、反射的に左手を戻してしまい、中尉に向き直ると、缶詰を左の腰の後ろに回して隠す。

中尉、貨車に登る。

ガヴリルキン「不当潜入者二人を逮捕しました。中尉殿! 適切な処置をとろうとしたところであります。」

右からシューラが画面手前にインし(背中を向けている)、中尉、中に進む。カメラ、少し右にパンすると、右からアリョーシャがインして、中尉の前に立ち、

アリョーシャ「スクヴォルッオフ通信兵であります。通行許可証を持っております。」

中尉「どこまで行くのだ?」

アリョーシャ「ゲオルギエフスクであります。これが通行許可証であります。」

中尉、シューラを怪しげに見たのち、通行許可証を開いて目を通す。

アリョーシャ「休暇は四十八時間のみに限られており、しかも、通行に遅れが出ておるのであります。」

[やぶちゃん注:確認すると、アリョーシャは将軍からは「郷里行きに二日」+「前線へ戻」「るのに二日」+「屋根の修理に」「二日」で六日与えられている(ここ)。既にワーシャとの一件で、今日で往路二日分を消費してしまうことになるのを「遅れ」と言っているのである。]

中尉、アリョーシャの通行許可証の記載に頷き、

中尉「若き英雄だな、君は。」

アリョーシャに通行許可証を返し、

中尉「このお嬢さんは君の連れか?」

と聴く。

カメラ、切り返して右にシューラ、左にアリョーシャ(頭胸部)。

アリョーシャ「はい。」

即座に、

シューラ「いいえ。」

アリョーシャとシューラ、顔を見合す。

カメラ、切り返して、二人の背を挟んで笑っている中尉を撮る。

アリョーシャ「お願します、中尉殿。彼女はお金も食料もなくしてしまって、それで……」

中尉、小さく声を立てて笑うと、

中尉「まあまあ……言い訳せんでもいい。」

と言って踵を返す(この間、扉の端に銃剣が淋しく光ってガヴリルキンがいるのが判る)。

ガヴリルキン、扉の端で直立して待っている。

中尉「火だけは気をつけてな。」

とやさしく二人に声がけする。

アリョーシャ「分りました。」

しかし、中尉は今度はガヴリルキンを見、後ろの回している何かを咎め、

中尉「それは、何だ。」

と指摘される。ガヴリルキン、仕方なく左手を挙げて、缶詰をしみじみ見つめると、

ガヴリルキン「……これは、ですね、……中尉殿……コンビーフというもののようであります。……」

中尉「徴発したな! 彼らから!!」

ガヴリルキン「いえ。……その……彼が自発的に自分にくれたものであります。……」

中尉「お前が、強請(ゆす)ったんだな! 営倉五日を命ずる!!」

ガヴリルキン「……なんで……自分が……」

中尉「復唱しろ!!」

ガヴリルキン「……五日間の営倉に服します。……」

中尉「恥晒しめが!」

中尉、貨車を降りて右へ去る。

ガヴリルキン、意気消沈して、右手のアリョーシャに向かい、

ガヴリルキン「……だから言ったろ……鬼中尉だって……な……」(F・O)

 

■やぶちゃんの評釈

 「文学シナリオ」の相当箇所を示す。前のシークエンスからダブらせる。

   《引用開始》

 ――食べてみようかしら。ほんのちょっぴりですよ。試食するだけですから。

 そして、二人は乾草の上に向き合って座り、食事している。娘の手には巨大なベーコンとパンが握られている。

 彼女はそれを口一杯にほお張っている。明らかに非常に空腹であることが分かる。

 アレクセイも旨そうに食っている。

 ――おいしいですか。

 彼は質問する。

 ――ううん……。

 娘は、口一杯ほお張りながらうなずく。

 ――乾燥携帯食糧です。

 ――ううん……。

 娘は、慌てて食べ物を飲み込み、咳き込んで付け加える。

 ――私はワッフルがとても好きですわ! こんな風な筒の……。戦争前は売っていましたが、覚えていますか。

 ――私は戦争が始まるまで、村に住んでいました。

 ――私は街ですわ。戦争前も今も。

 二人は暫く沈黙した。

 ――私に腹を立ててるの?

 突然、娘は聞いた。

 ――どうしてです?

 ――どうしてって。

 ――理由がないじゃないですか。

 ――でも、私があなたをぶったんですもの。

 ――どうしてですか……。よくあることです。知り合いになるには、むしろいいことです。

 ――馬鹿なことをして、申し訳ありません。

 ――私にも責任があります。あなたを怖がらせた。

 二人は暫く沈黙した。

 ――ねえ。お友達になって下さらない?

 突然、娘が提案した。

 ――そうしましょう!

 彼は立ち上がり、手を差し伸べた。

 ――私はアレクセイと言います。

 ――私はシューラです。

 ――全く楽しいです。

 ――全く楽しいわ!

 ブレーキが金切り声を上げた。

 シューラとアレクセイは、一緒に乾草の上に倒れた。汽車が急に速力を落とした。

 二人は笑いながら立ち上がった。汽車は停車した。

 貨物の扉の外で声が聞こえた。

 ――ここにバケツがあるか。[やぶちゃん注:ママ。英語の「バケツ」(bucket)には「水受け」の意味があり、防水用のキャンバスやシートとの相同性があるから、強ちおかしくない。ただの「バケツ」なら、わざわざ列車を停めてまで捜す理由はないように思われる。]

 ――少尉殿、なさそうです。

 ――まあいい。開けてみろ。

 アレクセイとシューラは、再び急いで乾草の中に潜った。

 ――ガヴリルキン、開けてみろよ! 何をぐずぐずしているんだ。

 誰かが食ってかかった。

 ――少尉殿、今開けます。ふうん、こういうことは一度に出来ないのです。何か引っ掛かっています。少尉殿!……。

 兵士は明らかに時を稼いでいた。やがて扉が開けられた。

 ――そこにあるのは何だ。

 ――異常ありません。ここに、あれが。

 太った兵士は乾草の方を横目で見ながら、隅の方からバケツを取った。そして、ふと乾草の中からはみ出している。女物の短靴に気が付いた。彼は思いがけないことに立ち止まってしまった。

 ――早くしろ、ガヴリルキン。すぐに発車する。

 ――はい、行きます。少尉殿!……。

 ガヴリルキンは、怪訝そうな顔をして地上に飛び下りた。彼はバケツを渡すと扉を閉めた。そうしてもう一度頭をかしげ、貨車から去って行った。

 

 汽車は、既に駅から離れていた。アレクセイの手の下から這い出したシューラは、急いで起き上がり、座った。彼女の顔には狼狽の色がうかがえた。

 ――危ないところで助かった。驚きましたか?  シューラさん。

 アレクセイは乾草を払いながら、話しかけ、娘を眺める。

 ――彼女は頭を横に振る。

 ――あなたは臆病なはずでしょう。

 ――いいえ……。

 彼女は非常に静かに答え、乾草の束のところへ移る。

 ――シューラ……。

 彼は乾草の束に手を置き、彼女を囲むようにする。そして彼女をじっと見つめている。

 ――よい名前だ。シューラ! 気に入った。

 娘は頭を横に振る。

 ――シューラ! 誰のところヘ行くのですか。

 彼はずっと彼女に近づく。彼女は彼の目を見つめ、そこに何かを見つけ出して、おびえる。

 ――私ですか。私はクビンスクヘ行くのですわ。いいなずけのところへ。彼は病院に入っているの。[やぶちゃん注:「モスクワ郊外のクビンスク」不詳。しかし、モスクワ郊外では、ともかくも先に挙げた「クピンスキー・ライオン」では二百%あり得ない。「キノ・ポーベスチ」の原文を見れば、判ると思うが、残念である。]

 ――何ですって。

 意味を理解しかねて、彼は聞き返した。

 ――重傷なのです。……彼は飛行士ですの、本当ですの!……。

 娘は語り続ける。

 アレクセイの力のぬけた手を振り払って、娘は貨車の向うの隅に行く。

 数分間、二人はお互の心臓の鼓動に耳を傾けて立ち続ける。

 やがて二人の視線がぶっつかる。

 ――私が今出て行く方がいいわ。

 娘は話す。

 ――何故ですか。

 ――でも。

 ――どうかしましたか。怒ったのですか。

 ――いいえ。

 ――では何ですか。

 ――ただ、その……。

 ――私が、あなたをいいなずけのところにやらないとでも考えてるのですか。

 ――決して、そんなことは考えてはいません。私は出て行きます。

 ――〈出て行く〉〈出て行く〉! ……そんなら、出て行くがいい。

 アレクセイは腹を立てる。

 ――考えても見なさい……。私が何をしたというのです。私はあなたを人間として扱った。だがあなたは、私を何かと感ちがいしている。

 ――そうです。人間が時にはどういうものであるか、知ってるでしょう。

 シューラは激しく反駁した。彼女の眼には涙が光っていた。

 ――私の母が死んだ時、私は一人ぼっちになった。

 娘は突然、口ごもり、頭をたれた。

 アレクセイは、すまない気持と同情心で彼女を眺めた。

 彼は何が言いたかった。しかし言葉が見つからなかった。

 しばらく沈黙が続いた。

[やぶちゃん注:以上の部分はシューラというヒロインのキャラクターの造形上、私は絶対に不可欠である。これを省いた監督は「アリョーシャの物語」として収斂させたいという痛撃の一斬が必要だったのかも知れない。しかし、純粋なシューラを純粋なアリョーシャと対等に観客に提示するために、ここは残すべきものであったと考えている。監督が飽くまでアリョーシャの物語として全篇の通底性を大切なものとした意識は重々承知だが、しかしアリョーシャに対峙する本作の重大なヒロインたるシューラの造形をないがしろにしてしまった監督には、私はこの一点に置いて非常な寂しさを感ずる。シューラの生活史もスポイルして描くのは、男の側の退屈な悲愴主義論理にほかならないからである。本作の中で唯一の遺恨であると私は表明するものである。]

 やがてシューラは彼を見つめ、涙の中で微笑みながら突然に話しかけた。

 ――水が飲みたくないですか。本当に。

 ――そうですね。

 アレクセイは答えた。そして、彼も微笑んだ。

 停車。アレクセイは、手にやかんを持って貨車から飛び下りる。付近を見回しながら、駅にかけて行く。アレクセイを目で見送ってから、太った兵士は彼の貨車に向かって来る。

 ……病院列車のかたわらを水道に向って駆けて行く。カランからちょろちょろと水が流れ出ている間、アレクセイは用心深く四方を眺めている。

 病院列車のところでは、数人の患者が日向ぼっこをしている。そこから大きな笑い声が聞えてくる。

 列車からほおの赤い太った看護婦が、幾つもバケツを下げて水道に走ってくる。アレクセイはカランからやかんを取る。

 ――ねえ、お婿さん、水を飲ませて下さい。

 彼女は大きい不揃いの歯をのぞかせて微笑する。

 ――私は飲みたくないのですが、友達のためにこんなに。

 ――それではまた。先生。

 アレクセイは朗らかに答えると、水がこぼれないように努めながら、自分の列車戻って行く。

 

 貨車の隅に、おののいているシューラが立っている。彼女の前には太った兵士がいる。

 ――お前を軍事裁判に突き出しでやる。秘密列車にもぐり込むことがどんなこと知らせてやる。ついて来い……。

 シューラは動かない。

 アレクセイがやかんをも持って扉のところに現れる。

 ――俺について来い。

 太った兵士は繰り返す。

 ――行きません。

 シューラは突っぱねる。

 ――ついて来い、と言ってるんだ。

 兵士はシューラの肩をつかむ。

 アレクセイは貨車のなかに飛び込む。

 ――やめろ!

 ――何! 奴さん出て来たな。これは一体どうしたことなんだ。お前と固く約束した。それなのにお前は一般人をここに隠して運ぼうとしている。

 太った兵士は、意地悪そうに言った。

 ――一人と二人で、どういう違いがあるんです。

 ――つまり、違いがあるんだ、一般人の女なんだ!

 番兵はシューラの肩をつかんだ。

 アレクセイは近寄って、番兵の手を振りほどき、彼とシューラの間に立った。

 ――彼女はどこにも行かない! 分かったかい。あっちへ行け!

 ――何だって。

 兵士は驚いた。

 ――誰が一体ここで上官なんだ。ふん、全くうまくしたもんだ。乾草と娘っ子と……

 ――黙れ!

 アレクセイは瞬時であったが正確な打撃を、足で兵士に与えた。やかんがひっくり返った。シューラが叫び声を上げた。

 床に尻をついて、兵士はぼんやりと目をしばたたいた。彼は次第に気を取り戻すと、突然静かに、そして意地悪く言った。

 ――よろしい! 勤務中に番兵に攻撃を加えたな。どういうことになるか、分かっているな。

 彼は起き上がり、制服を正す。

 ――何てクズだ!

 アレクセイは見下げたように言う。

 ――どこを見てそんなことを言うんだ。お前はクズかも知れんが、俺は大変な値打ちがある!

 太った兵士は、なおも服装を直しながら、平然と言う。

 そして突然怒り出し、叫び声を上げる。

 ――おい、貨車から降りろ! 二人とも! 言う通りにしないと射殺するぞ! 慌てさせてやる……。俺には完全な権利があるんだ。

 ――撃ってみろ! 何てひどい奴だ!

 ――お前はまだ少尉殿を見ていない。だからそんな強がりを言っている。だが、今俺が始末をつけてやる!

 そして兵士は、遊底を閉めて銃を構える。

 ――よし分かった! お互いに腹を立て過ぎた。よく話し合おう……。

 アレクセイは和解するように言って、兵士の手を取り、やわらくではあるがしっかりと小銃を下ろさせた。

 ――お前と話し合うことなんかない。女を連れて車から出て行け……。

 ――何だって!

 アレクセイはいきなり立ち、拳を固めた。

 兵士は急いで退いた。

 ――上に向かって二発撃つ……その後だ!

 彼はアレクセイのバッグにつまずく。缶詰が虚ろな音を立てた。

 ――ここに広げて、肉の缶詰を食っているのか!

 アレクセイは微笑した。

 ――わたしはあなたにもう一缶差し上げたいのだが。

 兵士は黙って横を向いた。

 ――では二つ……。

 ――個人を侮辱をして、缶詰で埋め合わせ出来ると思っているのか。

 ――怒らないで下さい。私流のやり方ですが、お詫びしたいのです。

 兵士は返答を渋った。

 ――よろしい……肉の缶詰をよこせよ。

 アレクセイは二缶取り出し、それを兵士に差し出した。兵士は面白くなさそうな顔付きでそれを受け取ると、ポケットにしまい込もうとした。事件は解決したかのように見えた。

 この時、扉のところに少尉が現れた。

 ――一体、どうしたことだ!

 彼は厚い眼鏡の奥から目を細めてみながら、高い声で言った。

 ――少尉殿、勝手に貨車に入った者がいます。断固たる処置を取ります!……。

 兵士は一息に報告する。

 ――誰だ。どこへ行くんだ。

  少尉は質問した。

 ――ゲオルギエフスクです。少尉殿。これが証明書です。

 ――おお!……。

  彼は叫び声を上げ、興味あり気にアレクセイを見た。

 ――娘と一緒か?

 アレクセイとシューラは、同時に答えた。だが、娘は〈いいえ〉と答えたが、彼は〈はい〉と答えた。

 少尉は微笑した。

 ――少尉殿、お願いします。彼女の物を全部、金も何もかもなくしてしまったのです。それで、こういうことになったのです……。

 ――よしよし!……嘘を言わんでいい。お前たちは、火の気に気を付けさえしていればいい。

 少尉は彼の言葉を遮って言った。

 ――わたしは煙草を喫いません。

 少尉はガブリールキン[やぶちゃん注:ママ。]に向き直って、彼がポケットにしまい込もうとしていた肉の缶詰に目を付けた。

 ――これは何だ。

 彼は鋭く質問した。

 ――あの、少尉殿、これは……。

 ガブリールキンは、缶詰を初めて見たかのように眺めながら言った。

 ――缶詰のようです。

 ――どこで手に入れたんだ。彼らのか。今すぐに返せ!

 ――あの二人が、少尉殿……それを……自分からくれたのです!

 ――うるさい!

 突然、少尉は甲高い声で怒鳴った。

 ――規律を守れ! またゆすりをしている! 二日間の営倉入りだ。

 少尉の眼鏡が意地悪そうに光った。

 ――何故ですか……。

 ――弁明の余地がない! 命令を復唱して見ろ!

 ――はい、二日間の……。

 太った兵士は、がっかりした声で復唱した。

 ――恥さらしめ!

 ――少尉は言いながら眼鏡を動かし、地面に飛び下りて、去って行った。

 太った兵士は両手を広げて振った。一方の手には缶詰があった。

 ――ほら……俺が言ったろう、凶悪な奴だって!

 彼は言った。

   《引用終了》]

2019/07/26

Баллада о солдате(「誓いの休暇」――画像を穢していない字幕無し全篇)

Баллада о солдате (драма, реж. Григорий Чухрай, 1959 г.)

私の『ソヴィエト映画グレゴーリー・チュフライ監督作品「誓いの休暇」論 或いは 待つ母というオマージュ』で電子化分まで字幕は不要也(全体が青みがかっているのは少し気になるが、全篇を見られる。字幕選択で英語表示は可能である)。

ソヴィエト映画グレゴーリー・チュフライ監督作品「誓いの休暇」論 或いは 待つ母というオマージュ 7 エピソード2 シューラ(Ⅰ) 出逢い

 

エピソード2 シューラ

□23 ボリソフ駅保線区内

(「22」のボリソフ駅ホームのシーンのF・O・画面ですでに、鉄道構内を示す独特のさざめきがSEで入っていて、それがF・I・する形で画面が開く)貨物列車が止まっており、貨車の扉が開いていて、干し草が積まれているだけであることが判る。その扉に倚り懸かって軍用列車の保守担当と思われる、小太りの、如何にもどん臭く、何やらん一癖ありそうな感じのする兵士(名はガヴリルキン。面倒なので名で示す)が、銃剣附きの小銃を車体に立てかけて、貨車に倚りかかり、林檎をむしゃむしゃと齧っている。そこに右からアリョーシャがインして、

アリョーシャ「こんちは! 戦友!」

ガヴリルキン「こんちは。」

アリョーシャ「今日、出る?」

ガヴリルキン「その通り。」

アリョーシャ「ゲオルギエフスク行(ゆき)?」

ガヴリルキン「その通り。」

アリョーシャ「なあ、聴いてくれよ、戦友……」

ガヴリルキン「だめだ。彼は君を連れて行かねない。」

アリョーシャ「誰が僕を連れてってくれないって?」

ガヴリルキン「中尉殿さ。」

アリョーシャ「ねえ、僕はどうしても……」

ガヴリルキン「これは戦略用物資なんだ。」

アリョーシャ「何だって? ただの干し草じゃないか!」

ガヴリルキン「特別な用途の干し草なんだ。」

アリョーシャ「軍馬用だろ!」

ガヴリルキン「特別な種類の軍馬のための干し草なんだ。」

食い下がるアリョーシャ。「帰郷許可証」を出してガヴリルキンに詰め寄る。

アリョーシャ「戦略物資としての干し草だってことは判ったよ! でも、僕の休暇は残り二日しかないんだ!」

ガヴリルキン「中尉は認めないよ。」

アリョーシャ「どんな人なの!?」

ガヴリルキン「彼? 彼奴(きゃつ)は鬼さ。」

位置を貨車の奥の方に変えて、また、林檎を齧る。

(カメラ位置を後ろにして貨車の中を映しながら)

アリョーシャ「そうだ、聴いてくれよ……中尉なんて忘れちまいなよ!……僕がこの貨車に乗ったって、わかりゃしないって!」

ガヴリルキン「何かが起きてからじゃ、遅いってことさ。」

アリョーシャ「『何か』て何さ?」

ガヴリルキン「火事とかさ……」

アリョーシャ(笑って、懐柔し)「どうして僕が火事を起こす?」

ガヴリルキン「判らねえってか? お前のその雑嚢の中にさ、何か危険物が、入ってるかも、な。」

アリョーシャ「あぁ! この中! コンビーフね!」

ガヴリルキン「なに! コンビーフだ?!」

ガヴリルキン、俄然、興味を持ち出すのにつけ込んで、アリョーシャ、雜嚢から、掌に余る大缶詰のコンビーフを出すと、ガヴリルキン、林檎を背後に投げ捨て、受け取る。

ガヴリルキン、如何にも「ほう!」という感じで撫ぜ、頬張って咀嚼していた林檎を一気に呑み込み、鑵の蓋面を怪しげな顔をしつつも、如何にもしげしげと見る。

ガヴリルキン「お前さんは、哨兵である私を買収しようって言うのか?」

アリョーシャ「よし! じゃ、返せ!」

ガヴリルキンから缶詰を取り返そう、と演ずるアリョーシャ。

ガヴリルキン「待てよ! 待てって! 冗談だよ、本気にすんなって! 待てって!(笑う) おぅ! えへ!(背後を窺いながら)……わかったって。……乗ったら、音を立てるんじゃねえぞ……分かってんな?」

アリョーシャ(如何にも真剣を装って)「わかったよ。」

F・O・。

[やぶちゃん注:「僕の休暇は残り二日しかないんだ」確認すると、アリョーシャは将軍からは「郷里行きに二日」+「前線へ戻」「るのに二日」+「屋根の修理に」「二日」で六日与えられている(ここ)。]

 

□24 線路

右からカーブしてくるそれを進んでくる蒸気機関車。最後は線路のごく脇から車体を左下からあおって撮る(経過と安息を示す標題音楽が被り、以下のシークエンスに続く)。

 

□25 干し草の貨車の中

干し草の間で雑嚢を枕に眠るアリョーシャ。

 

□26 回転する機関車の動力輪(三基)

ゆっくりと回転を停止してゆく。

 

□27 貨車の中(「25」でよりフレームが接近。以下、1ショット)

機関車が一時的に停止する。すると、貨車の扉を開けて閉める音がする(オフ)。直きに動き出す機関音がする。アリョーシャは眼を覚まし、顔を起こすと、思わず、起き直って、脱兎の如く、雑嚢を越え、干し草の山の奥の方へ潜み、扉の方を窺う。汽車は直ちに動き始める。アリョーシャ、干し草の蔭から、扉の方をそっと窺うが、「はっ」として頭を下げつつも、眼はそちらを見詰めている。

 

□28 貨車の中(以下、1ショット)

扉の内側。そこに立つ女の後姿。プラトークで頭を被(おお)っている。左手に風呂敷包みを持っている。

そのまま、振り返る。

右手にはコートを引っ掛けている。

まだ少女の面影を持った若い娘である。

プラトークを後ろに、完全に外すと、奥に少し進み、コートと外したプラトークを右手の干し草の小さな山に、

「さっ!」

と掛ける。(ここでカメラは途中でティルト・ダウンして、右画面には娘の下半身のみとなる)

同時に、その小山の背後(画面のこちら側)にはアリョーシャが息を呑んで潜んでいたのだが、その正面を向いた顔に、まずコートの端が頭に触れ、アリョーシャ、

「ぶるっ!」

としたかと思うと、そこにさらにプラトークの端が、

「ぱっ!」

と全面に懸かって、アリョーシャの姿(観客側に見えていた顔と胸部)の全面に掛かって、全く見えなくなってしまう。

そのまま、画面の右半分は、何も知らぬ娘の下半身を映し続ける。

娘は左のスカートを、右手で払う仕草をする。

しかし、どうも違和感があるらしい。

両手で、左脚のストッキングがずり下がっているのを直そうと、画面右手の干し草の上に足を、

「ぐっ!」

とかけて、それをたくし上げようと、ひざ上までスカートを捲くり上げて直そうとする。

――と

――その時

アリョーシャは、顔を覆われている状態で、何がどうなっているのか判らぬから、掛かっているプラトークを静かに右手で払い上げ、上方をこっそりと見上げる。

――と

それに娘が気づき(アリョーシャに罪はないとは言え、確かにシチュエーションとしてはすこぶる最悪である)、

「オ! ホイッツ!!」(私の音写)

と激しい叫び声を上げると、即座に背後の扉に取りつき、右足を高々と上げて踏ん張って扉を引き上げ、風呂敷包みを外に投げる。(奥の貨車外の疾走する列車からの景観はスクリーン・プロセス)

 

□29 川

疾走している機関車から川面に落ちる娘の風呂敷包み。跳ねた水の小さなわが向う側に、落ちた堤の大きな輪が水面に広がる。

 

□30 貨車の中(28と同じアングル)

アリョーシャが飛び出て、

アリョーシャ「やめろ!!」

疾走している貨車から飛び降りようとする娘の左手を摑んで、止めようとする。(以下、本作のヒロインである彼女の名「シューラ」で示す)

シューラ「何すんのよぅッツ! 放してッツ!! ママ!」

執拗に飛び降りようとする娘を懸命に引き止めるアリョーシャ。以下、かなりの乱闘となる。

シューラ「やめて! 放して!! ママ!!!」

アリョーシャ「やめるんだ! お前は気が狂ってるのかッツ?!」

シューラ「やめて!! ママ!!」

シューラ、アリョーシャを平手打ち!!!

アリョーシャを押し倒すと、扉から飛び降りようとする!

[やぶちゃん注:優しい青年アリョーシャはきっと生まれて初めて女性から平手打ちを食らったものに相違ない。]

 

□31 貨車からの風景(相応な幅の川の橋の上。アーチと柵と僅かな渡し板)

汽車は川の橋の真ん中を凄いスピードで疾走している!

 

□32 貨車から飛び降りようとするシューラ

シューラの顔のアップ。アーチの影が彼女の顏を過るぎ。「31」と「32」が両度カット・バック。(しかし、見た目誰が見ても、川に飛び降りることが出来ようとは思えない。最後の外景は川を渡り切る手前である)

 

□33 貨車入口(カメラは外から)

それでもシューラは両手首で目を蔽い、飛び降りようとしているらしい。背後からアリョーシャが抱き抱えて、貨車内の干し草のところに、投げ入れる。

 

□34 貨車内

アリョーシャの足をなめて左奥の干し草の間に投げ飛ばされるシューラ。昂奮の中でも乱れたスカートを直すシューラ。

 

□35 貨車入口(カメラは内側から)

アリョーシャ「馬鹿かッツ! 君はッツ!!」

 

□36 貨車内

シューラ「あたしに触らないで!」

 

□37 貨車入口(カメラは内側から)

アリョーシャ、開け放された扉を乱暴に閉じる。

 

□38 貨車内(左上方から俯瞰)

息を切らして、半ば口を開けて扉の前に茫然と立つアリョーシャ。右手の干し草の山に背を押しつけて慌てるシューラ。何か、意味に成らないことを口走っている。

アリョーシャ「僕が何をした!」

シューラ「こっちにこないで! お願いだから!!」

アリョーシャ、乱闘で落ちた自分の帽子を拾おうすると、シューラは触られると思って、叫び声とともに干し草の一山に飛び上がる。

アリョーシャ(呆れた表情で)「そっちへなんか行きゃあしないよッツ!」

アリョーシャ、帽子を拾い上げると、荒っぽく左手に当てて「パン!」と埃をはたく。

シューラ、びっくりしてまた下がる。

アリョーシャ、手前(貨車奥の寝ていた位置)に動くと、シューラ、反射的に扉の近くに逃げる。

アリョーシャ、落ちているシューラのコートを乱暴に彼女に投げつける。

 

□39 扉の前のシューラ(以下、1ショット)

受けたコートを左手に掛けると、振り返って、扉をあけようとする。

アリョーシャ(オフで)「開けるんじゃないッツ!」

驚いてアリョーシャに振り替えるシューラ。

アリョーシャ(オフで)「扉から離れろ!」

シューラ「いや。」

苛ついたアリョーシャが左からインして近づこうとすると(後姿)、シューラ、口を大きく開いて、

シューラ「マーマー!!!」

強力に叫ぶので、アリョーシャ、固まる。

アリョーシャ「正気か?」

シューラ「離れて。」

アリョーシャ「どうしたっていうんだ?」

シューラ「近寄らないでよ!」

アリョーシャ「叫ぶな!」

シューラ「いやよ!」

アリョーシャが宥めようと、少し近づこうとするが、またしても、

シューラ「マーーーーーーー!!!」

の強烈な〈口〉撃!!!(ここに汽笛が合わせて入る)

アリョーシャ(たじろぎつつ、呆れ果てて)「気がふれてる!……(右手で素早く宙を切りながら)勝手にしろ!」

と言って、背後に戻る(左へアウト)。

アリョーシャ(オフで)「よし! 勝手にするがいい! 行けよ! 行っちまえよ! 飛び降りて、首の骨でも折っちまえ!」

間。

シューラ「……飛び降りない。……もうすぐ……どうせ、汽車、止まるもん。」(この台詞の終りから経過と安息を示す標題音楽が始まる)

 

□40 走る機関車と貨車

見たレールの感じでは、「24」のシーンと同じ場所で撮ったものと推察される。

 

□41 貨車内(扉前位置から奥へ)

手前左手に立つシューラ。こちら側の左に顔を向けている。彼女は実は非常に髪が長く豊かで、それを三つ編みにしたものを左肩から手前に垂らしている。

右手奥の干し草に腰掛けているアリョーシャ、ぼんやりしている。手持無沙汰(ガヴリルキンとの火災の戒めがあるから煙草も吸えない。いやいやいや! きっと吸いたくてしょうがないだろうなぁ、この気まずい雰囲気じゃね)で、振り返って、貨物の板目の隙間から外を眺める様子。

 

□42 外

カメラ位置はゆっくりとスピードを落としている貨車の台車の隙間から向うの土手を覗いて撮る。汽車はごく少しだけそこに停止するらしい。しかし、そこに向こうの土手からわらわらと民間人が貨車に向かって走り降りてくる。乗り込もうとするつもりである。

 

□43 貨車内 扉の前

列車は停まった。シューラ、扉を開けようとするが、二度ほど引いても、びくともしない。眉根に皺を寄せて、悲しげな表情で振り返り、

シューラ「開けてください、出て行きます。」

アリョーシャ、左からインして、扉に手を掛けて開けようとする。そこに、

ガヴリルキン(オフで)「止まれ! これは軍用列車だ!」

 

□44 貨車の外(扉の前・あおり)

ガヴリルキン(バスト・ショット)、手を振って民間人らを牽制し、遂には銃剣附きの小銃をとって威嚇する。

ガヴリルキン「俺が捕まえたら、そいつは軍法会議行きだッツ! おい! お前! 近づいたら、撃つぞッツ!」(この台詞の後半は次の「45」にオフでかぶる)

 

□45 貨車内 扉の前

手前右でアリョーシャを見ている(後姿)シューラに目を向けて右手で「シーッツ」(静かに)の仕草をするアリョーシャ。

 

□46 外(「43」と同じの台車の覗きのアングル)

ガヴリルキンが小銃を一番手前の荷物を持った婦人に向けて脅しつけている。列車、早くも動き始める。

 

□47 外

「42」と同じアングルで、すでに貨車はゆっくりと動いている。向うに立ち止まって固まってしまった民間人たちがおり、その手前にガヴリルキンの下半身が見え、彼は貨車の最終車両の最後のラウンジ部分に小銃を投げ入れると、やおら、乗り込む。

 

□48 貨車内

隙間から外を窺っているアリョーシャ。シューラ、手前右手で立ったまま泣きだす(以下、この1ショット内では泣きっぱなしで恨み言を言う)。アリョーシャ、振り返って、

アリョーシャ「……しょうがないよ……」

シューラ「……みんな……あんたのせいよ……荷物をみんな投げ捨てちゃったのよ……」

アリョーシャ「仕方ないじゃないか!」

シューラ「あんたが悪いのよ! やっぱり!」

アリョーシャ「あそこで飛び降りてたら、もう、死んでるぜ!」(アリョーシャ、左手前へアウト)

シューラ「……じゃあ、何であんたは隠れてたのよ!……」

アリョーシャ(シューラの前の台詞を食って)「君じゃなく! 少尉殿から隠れてたんだ!」

 

□49 貨車内のシューラの顔のアップ

シューラ、不思議そうな顔をして、泣きやみつつ、

シューラ「……それって……誰なの?……」

アリョーシャ(オフで)「この列車の指揮官だ。」

 

□50 貨車内(「48」と同位置)

アリョーシャ、シューラをみつめながら、

アリョーシャ「僕は君より前にここに潜り込んだんだ。怖い奴で、もしその人に見つかったら、僕は列車からほっぽりだされちまうんだ!」

アリョーシャ「だから、あの時、君のこと、てっきり、その少尉か! と思ったのさ。」(台詞の最後でアリョーシャはちょっと微笑む。初めてシューラに見せたアリョーシャの笑顔である。シューラは後姿だが、同じく最後で彼女軽くふき出す笑い声がかぶる)

 

□51 貨車内のシューラの顔のアップ

シューラ、アリョーシャをみつめながら、初めて小さな声を立てて笑う。純真さと美しさに溢れた笑みである。

 

□52 貨車内(「49」と同位置)

アリョーシャの顔がなごんでおり、口元には笑みらしいものも漂う。シューラ、涙はまだとまらず目を右手で押さえている。一見、一種の嬉し涙のようにも見えるが、実際には以下、シューラが呟く事実を、彼女がここで思い出してしまった結果の涙である。

アリョーシャ「ひっぱたかれたあん時は、慌てたよ、心臓が飛び出るんじゃないかってね……」

シューラ、カメラの方に顔を向け、

シューラ「……包みには、全財産、入ってたの……パンも……」

アリョーシャ「戻って探せばいいさ。どこかに引っ懸かってるさ。」

シューラ「……そう思う?……」

アリョーシャ「なあに、橋桁(はしげた)に引っ懸かって、君を待ってるさ。」

[やぶちゃん注:子供染みた会話ではあるけれど、二人が始めて素直に会話するシークエンスとして微笑ましい。「パン」は直後への伏線である。]

シューラ「……でも……この汽車……ぜんぜん――止まらない……」

 

□53 走る列車

レールと台車だけの低い位置。(終わりで標題音楽かかり始める)

 

□54 最終貨車末尾の如何にも狭いラウンジ

ガヴリルキン、しゃがみ込んで、アリョーシャからせしめた大きなコンビーフの鑵を開けて、大型のスプーンでもりもりと喰らっている。

 

□55 貨車内(以下、1ショット)

二人、干し草のブロックに座っている(右にアリョーシャ、左にシューラ。向きは凡そ九十度角)。対面でないが、二人の距離は今はごく近くである。シューラは、前を見るともなくぼんやりしながら、左肩からおろした長い髪を編み直している。アリョーシャは編んでいる美しい髪をみつめ、また、視線を挙げてはそのシューラの顔をみつめたりしている。(視線は辛うじて交差していないのでシューラはアリョーシャの視線に気づいていない。観客には不自然であるが、そもそもがここは照明のない至って暗い貨車内であるから、シューラのぼんやりした視線の意味は、それを考えると実は至って事実として正しいと言えるのである。但し、このぼんやりしたシューラの表情は実際にはここを降りなければならない時が近づいていることへの一抹の淋しさ――それは未だ彼女自身も何故かはよく判っていない――淋しさを意味しているのかも知れない)

シューラが、ふっとアリョーシャを見ると、アリョーシャは、慌てて、視線を上の空に向け、ため息をついては、顔を反対に逸らせてしまう。そうして、やおら、シューラの方を向くと、

アリョーシャ「もうすぐ、停まるよ。」

と声をかける。シューラ、少し淋しそうな感じで目を伏せる。

アリョーシャ「降りる時は、誰にも見つからないように、こっそり、とね。」

シューラ(頷きながら)「うん。」

シューラ、笑う。しかしどこか淋しそうでもある。

シューラ「……荷物……見つからないかも知れないわ……」

アリョーシャ「……それじゃぁ……降りなければいいんじゃない?」

「はっ」とアリョーシャを見詰めるシューラ。

アリョーシャ「食べ物なら僕が持ってるし、この車は乗り心地もいいじゃないか。」

少し間をおいて、

シューラ「……でも……やっぱり降りるわ。」

アリョーシャ、あからさまに淋しそうな顔になって、目を落とす。

 

□56 線路を行く汽車と貨車

左手前から右奥にカーブしており、スピードが有意に落ちかけている。

 

□57 貨車内の扉の前

奥の扉のところにシューラ、左手前にアリョーシャ(後姿)。

アリョーシャ「降りる気持ちは変わらない?」

シューラ「ええ。」

[やぶちゃん注:この台詞の後の、二人の何か落ち着かない動きや表情がよい。しかし、それ以上にこのカットはライティングが素晴らしい。隙間を漏れたという体(てい)で、シューラの顔の部分にライトが当てられているが、それがシューラの可憐な美しさを実によく引き立てているからである。]

 

□58 扉の前のシューラの顔のアップ

シューラ「何だか、心配なの。」

 

□59 扉の隙間から覗くアリョーシャの横顔のアップ

左からインして、注意深く、二箇所から外の様子を覗いて、右(シューラのいる方)を見るアリョーシャ。その真摯な透き通るような両目。

 

□60 扉の前のシューラの顔のアップ

シューラの表情は最早、不安ではなく、はっきりとした淋しさを湛えている。

 

□61 貨車の中(中景・「57」のアングル)

アリョーシャ「大丈夫だよ。」

と言って貨車の奥(左手前)へアウトしてしまうのであるが、

――と

――汽笛の音が同時に挙がり

――同時に列車が引かれる音がする

(しかも同時にここでテーマがかかる。ヴァイオリンの絃をぽつりぽつりと弾く形で、この後、カットを越えて「64」まで続く)

ついに扉も開けず、降りなかったシューラは

――下を俯くと

――安堵に満ちた笑みをさえ浮かべている……

 

□62 線路を行く汽車と貨車(「56」と同じ位置)

最終車両もカーブにかかって、スピードが上がり始める。

 

□63 最終車両のラウンジ

寝ているガヴリルキン。(あの巨大なコンビーフ鑵を平らげれば、眠くもなろう)

 

□64 貨車内

アリョーシャ、奥に置いた雑嚢をしゃがんで取り上げ、中をごそごそし始める。左手前にシューラが立っている。

 

□65 干し草の積荷の脇に立っているシューラのバスト・ショット

口を半ば開けて、如何にも覗き込むような視線でアリョーシャの方(カメラ側)を見ているシューラ。何かを見て、「はっ!」として、口に手を当てつつ、慌てて背を向ける。

 

□66 アリョーシャの左側面のバスト・ショット

布包みを開きながら、シューラに向かって、

アリョーシャ「何か食べる?」

 

□67 シューラ(「65」と同じフレームで)

落ち着いて前を向くシューラ。

シューラ「……食べ物?……いいえ――ありがとう――お腹、空いてないの――」

と言いながら、また背を向けかける彼女に、

アリョーシャ(オフで)「遠慮すんなよ。」

シューラ(小さな声で)「いいえ。」

 

□68 アリョーシャ(「66」と同じ)

アリョーシャ「見ろよ! ベーコンだぜ!」

何重もの包みから物を取り出して見せる。

 

□69 シューラ(同前)

ちょっと心ここにあらずの呆けた表情で。

シューラ「……ベーコン?……」

 

□70 アリョーシャ(同前)

アリョーシャ「そうさ! ちょっと試してご覧!」

 

□71 シューラ(同前)

シューラ「……そう……じゃあ、味見だけ。――ごく小さいのだけ……」

 

□72 走る汽車(全景)

かなりスピードが上がっている。

[やぶちゃん注:運動性の変化をより示し易いからか、本作での走る汽車の全景画像はカーブでの撮影が頗る多い。]

 

□73 シューラのアップ

両手で持った大きなベーコンを挟んだパン(黒パンではなく白い密な感じのものである。「文学シナリオ」に『乾燥携帯食糧』とあるものであろう)に齧りついて、咀嚼するのも惜しむように食べるシューラ。よほどお腹がへっていたのである。

 

□74 走る機関車の車輪

パワー全開!

 

□75 貨車

干し草に腰かけたシューラのかぶりつきのアップ。

アリョーシャ(ここはオフで)「おいしいかい?」

シューラ「フ、フン(ええ)。」(答えるのももどかしげだ。ここでカメラは引いて右手にしゃがんでいるアリョーシャが映る)

アリョーシャ「兵士用の配給品なんだ。」

シューラ「(フ、フン(そうなの)。」(同前)

やっと一心地ついたか、アリョーシャに、

シューラ(如何にも楽しそうに)「私、ワッフルが好きなの。食べたことある? 筒みたいになってるの。戦前のこと、思い出しみて。」

と訊く。(初めて二人が普通の世間話をするのがこれである)

アリョーシャ「僕は田舎に住んでたからね。」(アリョーシャは「ワッフル」を知らないのである)

シューラ「私は町よ。」

またしても、もりもり食べるシューラ。左手の指で挟めるほど、文字通り、ごく小さな塊の方を食べているアリョーシャは、シューラを見上げながら、微笑んでいる。

 

■やぶちゃんの評釈

 「71」を見かけ上の対措定とし、「72」-「73」―「74」―「75」のこのアップまでのそれは、エイゼンシュタインが好んだ、今では常套的となった古典的な今では判りやす過ぎるともされそうな「比喩のモンタージュ」である。

 また、ここでアリョーシャがずっと貨車の床にしゃがんでいるのは、シューラ役のジャンナ・プロホレンコ(撮影当時は十八、九歳。二〇一一年、満七十一歳で逝去)の身長が低いからであろうと思われる。彼女はとても美しいししなやかである。これはバレエをやっていたからである。しかし如何せん、彼女は一つだけ、背が低いという欠点があった。グレゴーリー・チュフライ監督のインタビュー画像でも、彼女の将来性に期待をかけていたために娘ジャンナの映画俳優デビューを渋る母親(彼女の実の父は、今回、ロシア語の彼女の逝去記事を機械翻訳した限りでは彼女が幼少期(恐らくは一歳の時)に前線で戦死している。そんな事実も或いはこの作品での彼女の演技の素晴らしさに関係しているものかも知れない)に、 どんなに華麗でテクニックがあっても、彼女は身長が低過ぎて、残念ながら主役は張れない、この作品ならヒロインになれる! と言って口説き落としたというエピソードが語られている。背の高いウラジミール・イワショフ(アリョーシャ役。撮影当時は十九、二十歳。一九九五年満五十五歳で逝去)と常に双方を同じ立位で撮ると、カット上、不均衡が際立つからである。立位では狭い貨物内でもパースペクティヴを以って奥にシューラを配することが多いのは、アリョーシャの目線の意識であることとともに、こうした構図上の配慮が働いていると考えるべきであろう。

 なお、ここでシューラが言う「ワッフル」はロシア語字幕では「вафели」となっている。辞書を引くと「ウエハース」となっているのだが、この部分のロシア語の文字列の中に「筒状をした」とあることから、これは現在の我々が思い浮かべる枡型の模様のついた丸いワッフルでも、見慣れたおしゃれなスマートなウエハースでもないのである。調べたところ、発見した! サイト「ロシア・ビヨンド」の「ソ連にタイムスリップできるキャラメル入りのカリカリワッフルロール」でその画像が見られる。その記事には旧『ソ連』で『子供時代を過ごしたわたしの両親もワッフルロールが大好きだった。父は学校の食堂に並んでいた数え切れない焼き菓子の中でも一番おいしいものだったと回想する』とあり、『ワッフルのレシピはとっても簡単で、いつでもキッチンにあるもので作れる。難しいのはワッフルを筒型にするところである。手でやれないこともないが、何か円錐型、円柱型のものを使えば』、『より簡単に作れる。わたしがいつも使うのは木製のすりこぎ。これで完璧なロール型を作ることができる。ワッフルは熱いので、やけどしたくないなら綿かシリコンの手袋を使ってもよい。それ以外の工程はとても簡単』とあって、『カリカリのキャラメル入りソ連風ワッフル』と解説しておられるのだ。シューラが食べたのは、これだ!

 以下、「文学シナリオ」の当該部を示す。

   《引用開始》

 貨物列車。どの扉もぴったり閉ざされている。

 貨物に小銃を立て掛け、自分は貨車に寄りかかって、頑丈な兵士が短い外套を着て立っている。その姿は洗濯をする太った農夫に似ている。兵士はガリガリとリンゴをかじっている。

 アレクセイは彼に走り寄る。

 ――今日は、戦友!

 彼は息を切らして話しかける。

 ――今日は……

 太った兵士は見向きもしないで、答える。

 ――今日、出発するのですか。

 ――そうだ。

 ――ゲオルギエフスクにですか。

 ――そうだ……。

 ――戦友、すみませんが……。

 ――許可がない。

 兵士は話の腰を折る。

 ――誰が許可しないのですか。

 兵士は、しばらくリンゴをかじっている。一所懸命に顎を動かしていたが、やがて飲み下し答える。

 ――少尉だ。[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]

 ――分かってるんですか。

 ――みんな知っている。だめだ。戦略物資だから。

 アレクセイは貨車を眺める。小さい排気口を通して、圧縮した乾草の塊が見える。

 ――乾草が戦略物資ですか。

 ――問題は誰のための乾草かということだ。

 兵士は平然と答える。

 ――馬にでしょう。まだあるんですか。

 ――問題はどんな馬にかということだ。

 アレクセイは腕を組んだ。

 ――では、あなたの乾草が戦略物資だとしましょう。でも、それはあなただけの呼び方だ。

 アレクセイは腹を立てて、休暇証明書を取り出す。

 ――私は休暇で帰るのです。前線から。分かりますか。戦友。半日過ぎてしまった……。私には二日しかないのです。

 ――私は分かるが、少尉はだめだ。

 証明書に目もくれずに答える。

 ――いったい彼はどういう人間ですか。

 ――彼が?……獰猛だ! 分かったかね。

 アレクセイは口ごもった。そして悲しそうに軍用列車を見た。

 ――聞いて下さい! 少尉なんかどうでもいい。私は貨車に潜り込む。彼も気が付かないでしょう……どうです。

 ――それで、お前のために俺が軍事裁判にひっぱり出されるというのか。

 ――そんなことで軍事裁判ですって。

 ――お前も貨車に火をつけて軍事裁判だ。

 ――何で私が火をつけるんですか。

 ――つまらんことさ……そら、お前のバッグに何が入っている。恐らく引火し易いものだろう。

 ――ええ、肉の缶詰です。見て下さい。

 ――肉の缶詰だって。どれ、見せてみろ。

 兵士は活気づく。彼は肉の缶詰を手に取り、目を皿にして見ていたが、羨ましそうに嘆息する。

 ――前線の兵隊さん! 運がいいな。前線には時計やアコーディオンの分捕り品が、山ほどあるということだが!

 ――本当です。こんなアコーディオンを取って来て聞くことができるでしょう。

 兵士はアレクセイの缶詰を取り、目の前でぐるぐる回した。そして突然に言った。

 ――するとお前は、番兵に賄賂を使うというのかい。

 アレクセイは腹を立てて、番兵の手から缶詰を引ったくろうと思った。しかし番兵は、慌てて缶詰を背中に隠した。

 ――まあ待ってくれ! 冗談が分らんのか。冗談を言ったんだ。

 兵士はあたりを見回した。付近には誰もいなかった。

 ――だが条件がある。貨車には忍び込んで消えるのだ。分かったかい。

 

 貨車。その貨車の右も左も天井まで、圧縮された乾草の束が積まれている。貨車の中央には空間があり、床に束からこぼれた乾草の塊が散らばっている。

 アレクセイは満悦していた。彼は自分の持ち物を床に広げて整理している。突然すぐ近くで声が聞こえる。アレクセイは警戒する。話している人間が近づいてくるのを知ると、彼は乾草をひっくりかえし、その下に隠れる。声はだんだんと小さくなる。汽車は動いた。危険は去ったように思えた。

 アレクセイは乾草の隠れ家からはい出す。そして、誰かが、ぴったり閉った貨車の扉を力一ぱいに引き開けているのに気がつく……。扉が開く。

 彼は顔を乾草に押しつけ、息を殺している。数秒ののち、扉は元通りに閉められる。アレクセイは恐る恐る頭を持ちあげ、びっくりする。扉のところに十八才位のやせっぽっちの娘が立っている。重い扉を動かしたことと心の興奮から、彼女は激しく呼吸している……。彼女の足もとに小さい包みが置いてある。

 娘は、貨車の中には自分一人だと信じている。

 彼女はネッカチーフの結び目を解き、それを頭から取り、薄地のジャケツの胸を開く。走ったためにずり下った長靴下を引き上げ、細い腰のゴムひもをきつく締める。

 全身乾草だらけのアレクセイが、隠れ家から口をぽかんと開けて、その光景を眺めている。

 娘は本能的に辺りを見まわし、兵士を見つける。彼女は思いがけぬ出来事に驚いて息をつめる。しばらく二人はたがいに見合っている。

 汽車は次第に速力を増して行く。

 アレクセイは少し身体を動かした。何か言おうとした……。娘は一瞬、扉に身体を押し付け、足で壁を押す。扉はがらがらと開く。車内に車輪の音が響いている。大地が流れるように過ぎて行く。娘は包みを取ると、車から投げ出し、自分もその後から飛び降りようとする。しかしその時、アレクセイは彼女の肘を後ろから捕まえる。

 ――どこへ行くんだ。

 彼は、娘を入り口から引き戻しながら叫ぶ。

 彼女は彼の行動を勝手に解釈し、乱暴に逃れようとする。

 ――離して、卑劣な人! 離して!

 彼は彼女を乾草の山に押しつける。

 ――お母さん!

 彼女は絶望して叫び声なあげ、力一杯腕をふりまわして、彼の顔をぶつのである。

 アレクセイは彼女の足でひどく蹴飛ばされ、避け損なって飛ぶように車の隅に投げ出される。

 娘は扉のところに駆け寄る。しかしこの時、汽車は鉄橋を渡っている。轟音と扉の透き間から見える鉄枠が娘を正気に返えす。彼女は立ち止まり、恐しさに目を閉じる。

 慌てて駆けつけたアレクセイが、再び彼女を引き戻す。彼女は柔らかい乾草に倒れ、おののきながら、スカートを抑さえ、憎しみと恐怖のまなざしで彼を見つめる。

 ――ばかな!!!

 彼は大声で言い、扉の所に行く。

 ――開けておいて……

 彼のうしろから、娘が弱々しく憐れっぽい声で言う。

 扉が音を立てて閉まる。貨車の中が一層暗くなる。

 アレクセイは振り返り、娘を注意深く観察する。しかし、彼が扉のところから動こうとすると、彼女はまた飛び起きる。

 ――近づいてごらん!

 彼女はおどすように言いながら、後退する。

 アレクセイは驚く。

 ――あんたは一体気が確かなのか。

 ――近づいてごらん、思い知らせてやるわ!

 ――あんたに私が何をするもんか。

 アレクセイは、心から打ち消すように言った。彼は自分のところに行き、乾草に腰を下ろす。娘は機を見ては、別の片隅に移って行く。彼女は暫く侍っていたが、やがて扉に近づいて行く。

 ――どこへ行くんだ。それならば扉から出て行くがいい。

 アレクセイはいかめしく命令する。

 ――出て行きません!……。

 ――出て行けと言ってるんだ。そうすれば、もっと悪いことになるだろう。

 娘は引手にすがりついた。アレクセイは立ちあがり、彼女の方に歩いて行く。

 ――ああ!!!

 娘は精一杯の叫びをあげる。

 彼は停止する。娘は突然静かになる。

 ――どうしたんだ。

 彼は驚く。

 ――どうしたんだ。

 ――何をわめくんだ。何が気にさわるんだ。

 ――近寄らないで……。

 ――だから、扉から出て行け。

 ――出て行きません。

 アレクセイは彼女のところに動いて行った。

 ――ああ!!

 再び娘はわめき出した。

 ――たしかに、気が変だな。

 彼はそう言いながら、元の場所に戻った。

 

 時間が経過した。娘は以前の場所にずっと立っていた。アレクセイは振り返り、彼女を眺めて微笑しながら質問した。

 ――ふん、あなたは何を恐れているんですか。

 娘はそっぽを向いた。

 ――私は邪魔しない。

 ――やるならやってごらんなさい。

 ――朝まで立っているのか。

 娘はまたそっぽを向いた。

 ……汽車は速力を緩めながら駅に近づく。まだ汽車が止まらないのに、袋や籠をもった数人の女たちが線路を通ってかけて来る。彼女達を見た太った兵士は、最後尾の貨車から大儀そうに飛び降り、線路を横切って行く。

 

 貨車の扉のところに娘がいる。彼女は何回か引き手を引くが、扉は動かない。そこで彼女はアレクセイの方を向いて、訴えるように言う。

 ――扉を開けて。私は出て行きます。

 アレクセイは扉に近づいた。

  突然、扉の外で、太った兵士の大きな声が響く。

 ――おい、軍用列車から出ろ! 捕らえて軍事裁判に引き渡すぞ!

 娘は震えながら、恐怖の眼差しでアレクセイを見る。貨車が動揺し、再び汽車は動き出した。扉の向こうで番兵が、また叫ぶ。

 ――おい聞こえないか。打ち殺してやる。

 汽車は速力を増した。娘は悲しそうにアレクセイを眺めた。彼は両手を広げて、困惑したように振った。

 前方で機関車の汽笛の音が長く響いた。車輪は線路の継ぎ目でガタンガタンと音を立てていた……。一刻一刻と汽車は駅から遠ざかって行った。娘は低く頭を垂れ、静かに泣いていた。

 アレクセイは心配になって来た。

 ――なんて無茶苦茶なんだ。

 ――みんなあんたのせいよ。

 彼女は泣きながら言った。

 ――みんなあんたの責任よ。全部あんたの責任よ。あんたのおかげで持ち物を捨てたの

よ!

 ――けがをするところだったじゃないか。

 ――あんたの知ったことではないわ!

 彼女は泣き喚くのを止めずに続けた。

 ――お願いはしなかったわ。

 ――けがをすればよかったんだ。

 ――あんたは何なの。何で私にいやらしいことをするの。

 アレクセイは驚いて目をしばたたいた。

 ――私がいやらしいことをしたって。

 ――では誰なの。

 ――自分で貨車に潜り込んでおいて。私がいやらしいことをしたって。

 ――そうよ。……では、なぜ、わらの中に隠れていたの。

 ――何という気違い女だ。第一、これはわらではなく乾草だ。第二に、私が何であんたから隠れる[やぶちゃん注:「必要がある」の意。]のか考えてごらん。

 ――では誰からなの。

 ――少尉からさ。

 ――どの少尉なの。

 ――列車の司令官だよ。私もあんたも同じようにモグリで乗ってるんだ……。知ってるかい、捕らえられるとどんなにうるさいか。点検されるんだ……司令部で!

 涙に濡れた目を一杯に開いて、娘はアレクセイを見つめた。彼は微笑しながら、彼女にうなずいた。

 ――あんた[やぶちゃん注:「今判った君」の意。]よりもっと恐ろしかった。あんたが少尉かと思ったもの。

 娘は微笑んだ。

 アレクセイは同じ調子で続けた。

 ――恐怖は体験したし、侮辱は受けたし、その上、全部の責任もかぶさせられたという訳だ。

 二人は大声で笑った。やがて娘は深刻な顔付きになった。

 ――袋の中にみんな入っているんだわ。パンも、スカートも、身の回りのものも。

 彼女は話す。

 ――何でもない。戻って袋を探せばいい。

 ――あなたはそう思いますか。

 娘は期待をもってアレクセイを見る。

 ――もちろんです! どこでなくしたかな。きっと今頃は、橋げたに引っ掛かってあなたを待っていることでしょう。

 アレクセイも〈あなた〉と敬称を使って呼んだ。[やぶちゃん注:ここは大事。]

 娘は突然、何かを思い出して恐ろしそうな叫び声を上げる。

 ――ああ!

 ――どうしたんです。

 アレクセイも驚く。

 ――櫛もあの中だわ。

 アレクセイは笑った。

 ――どうして笑うのです。髪を解かすことが出来ないのよ。

 ――私のを貸して上げます。

 アレクセイは言いながら、娘に櫛を差し出す。

 彼女はでこぼこの大きい歯の付いた金属製のいかつい櫛を面白そうに見ている。

 ――まあ、何ていう変てこな櫛なの!

 ――差し上げます。

 彼は気前よく申し出た。

 ――あなたはどうするの。

 ――取りなさい! 我々のところには一杯あります。自分で作るのです。

 ――どんな風に自分で?

 ――全く簡単です。飛行機から。

 ――どんな飛行機から?

 ――ドイツのです。

 ――飛行機から櫛を作るのですか。

 ――匙もパイプも……ジュラルミンです……。

 ――そうですの。では、頂きますわ。

 彼等は黙った。貨車の下では、車輪が正確に鼓動していた。壁は時々軋んだ。娘はため息をつき、不安そうに言った。

 ――一体、どこまで行くのかしら。

 

 ……汽車は小さい駅に近づいて行く。貨車は振動した。ブレーキが音を立てた。

 ――到着しますよ。

 アレクセイは言った。彼は残念そうに溜め息をついた。

 ――誰にも気付かれないように早く行きなさい。

 娘はうなずいた。汽車は次第に速力を落として行く。

 ――もし袋がなかったら、どうすればいいのかしら。私には何も、お金も何もないのですわ……。

 ――そうだなあ……。そういうことだ。

 アレクセイは同情して言った。

 二人は黙った。

 ――ねえ! 汽車を降りなかったらどうです。

 突然アレクセイは言った。

 ――どうしてです。

 ――このまま行くのです。食物は私が持っているし、汽車は順調に進むし、貨車は全く快適だし!

 彼女は、彼を注意深く見つめた。

 ――いいえ。私は降ります……。

 彼女は貨車が止まった時に扉を開けようと、その近くに立った。

 ――このままで居なさい……!

 アレクセイはもう一度提案した。

 娘は頭を横に振った。

 汽車は停止した。彼女は引き手を取って、耳を澄ました。静かだった……。彼は黙って待機した。

 ――誰か歩いているわ。

 彼女が言った。

 アレクセイは耳をそばだてた。静かだった。

 ――そうですね……。誰か歩いているようですね。

 彼は言った。

 二人は暫く沈黙した。

 娘は動かなかった。貨車の扉の外は相変わらず静かであった。とうとう汽車がゆっくりと動き出した。彼女は扉のそばにうなだれて立っていた。アレクセイは彼女から目を離さなかった。

 汽車は速力を増した。アレクセイは軽く溜め息をついた。彼は急いで自分のバッグのところに行き、その中からパンとベーコンを取り出しにかかった。

 ――お座りなさい……。

彼は彼女に言った。

 ――いいえ、よろしいです。欲しくありません。今、満腹ですから。

 ――どうぞ、遠慮しないで!

 ――遠慮はしませんわ。満腹ですの。

 ――まあ、食べてごらんなさい。ほら、こんなベーコンです。

 ――ベーコン?

 彼女は気を引かれた。

 ――そうです。食べてごらんなさい。

 ――食べてみようかしら。ほんのちょっぴりですよ。試食するだけですから。

 そして、二人は乾草の上に向き合って座り、食事している。娘の手には巨大なベーコンとパンが握られている。

 彼女はそれを口一杯にほお張っている。明らかに非常に空腹であることが分かる。

 アレクセイも旨そうに食っている。

 ――おいしいですか。

 彼は質問する。

 ――ううん……。

 娘は、口一杯ほお張りながらうなずく。

 ――乾燥携帯食糧です。

 ――ううん……。

 娘は、慌てて食べ物を飲み込み、咳き込んで付け加える。

 ――私はワッフルがとても好きですわ! こんな風な筒の……。戦争前は売っていましたが、覚えていますか。

 ――私は戦争が始まるまで、村に住んでいました。

 ――私は街ですわ。戦争前も今も。

   《引用終了》]

2019/07/25

ソヴィエト映画グレゴーリー・チュフライ監督作品「誓いの休暇」論 或いは 待つ母というオマージュ 6 エピソード1 ワーシャの物語(Ⅱ) / ワーシャの物語~了

 

□17 走る列車の車内(昼)

満員。向うに車窓。手前にアリョーシャ、床に座っている。その奥の少し高い位置に片足の兵士(以下、兵士だらけで混乱するので、以降、彼を最後の方で愛称が呼ばれる「ワーシャ」で示す)。座席の端に座っている。

カメラ、反対側から。右手前に左手に松葉杖を持った空ろな表情のワーシャの頭胸部、中間にアリョーシャ、その向うに眼鏡をかけた老兵士がいる。

アリョーシャ(新聞紙を取り出して、ワーシャに)「喫いますか?」

ワーシャ、無言で首を横に振る(以下、映る際のワーシャの表情はずっと空ろである)。アリョーシャ、自分用に紙を切る。

カメラ、戻って、向かいの座席の端に座っている中年の元将官クラスらしい老軍人(エポレット(肩章)があり、胸には勲章が附いている)が、

老軍人「紙をくれ。」

窓側の兵士A「こっちにも。」

窓際の兵士B「俺も。」

彼らの頭上に薄板の棚がありるが、そこにも兵士が二人ほど登って横になっていて、彼らも手を出す。

カメラ、アリョーシャを中心にした位置で。

紙を貰った兵の一人「『敵を撃滅せよ』って書いてある。」

老軍人(笑って)「前線では出回ってるのか? 煙草の葉っぱは?」

アリョーシャ(笑って)「何でもありますよ。」

別な兵士(笑って)「何でもか、そりゃ、結構だな。」

上の棚に腹這いになっている兵士Cのアップ。

兵士C(笑って)「農家のおばさんを思い出すぜ。(唾で新聞紙を濡らして巻き煙草を作り)……『おばさん、水を飲ませて下さい』(前のアリョーシャ中心位置のショットに戻る)『腹も減ってるし、寝るところもないんです』……」(複数の笑い)

老軍人のバスト・ショットに切り替わり、その頭上の兵士Cに向かって、

老軍人「……そうして……お前は『おいしい』思いをしたんだろうな……」

兵士たちの爆笑のカット・バックで、二コマ目に兵士Cをやや離れて写し、

兵士C(笑って)「……いい女だったなあ……忘れられないぜ……」

兵士D(Cの後ろに頰杖えをして横になっている)「そんなに良かったんなら(Cの煙草を吸わせて貰い)、戦争が終わったら、結婚しろよ。」

兵士C「それがよ、もう亭主がいるんだって。」

ここでカメラは切り返され、右半分手前に空ろな眼の茫然としたワーシャの顔、奥にアリョーシャ。アリョーシャ、無邪気に笑う。

兵士E(反対側(ワーシャの真上)の棚から)「その旦那は、おめえみたいな痘痕面(あばたづら)か?」

兵士C「いいや、スベスベだってよ。」

兵士C、Eに煙草の火を移してやる。

老軍人(見上げるカット)「『スベスベ』より『痘痕』がいいってわけか!」

皆の爆笑。カメラ、兵士Cにティルト・アップして、

兵士C「旦那にはよ……何か、『からだのどっかに』欠陥があったんじゃねえか?」(C、爆笑。合わせて車内の皆の爆笑)

ワーシャとアリョーシャのショットに戻る。アリョーシャも一緒に大笑いしている。ワーシャ、目と口元に微かな笑みを浮かべる。

中景カット。右に老軍人、向うにすっかり笑っているワーシャ、中央に笑うアリョーシャ。

老軍人「君は友達の付き添いかね?」

アリョーシャ「いえ、一人旅です。」

眼鏡をかけた老兵士「公用かね?」(バスト・ショット)

真上の兵士E(奥に笑う兵士C)「部隊の転籍かい?」

カメラ、先の中景に戻り、

アリョーシャ(ちょっと周を見回して得意げに)「帰郷です。」

画面左の兵士F「ホントかよ!?」

アリョーシャ(しっかり得意げに少し声高く)「本当です! 戦車2台、やっつけたんです!」

大爆笑! 皆、本気にしないのである。

アリョーシャ(食ってかかる感じはなく、如何にもアリョーシャらしい素直さを以って)「通信兵だって戦いますよ!」

兵士F「通信兵は、平均、戦車2台、やっつけるのかい?」

老軍人「どうやってやったんだ?」

兵士C(笑いながら。兵士Eも手前で笑う)「受話器でやったんだって! ありゃ、筒口が二つもあるからな!」

カメラ、本シークエンスの最初の位置に戻る。ワーシャが元気そうに笑って、笑うアリョーシャに振り向く。

兵士F「俺は知ってるぞ! どうやったか!――前線で戦車を見つける――一台を叩き潰す!――そしてもう一台も!――そうして、そいつらを自分のポケットの中に、入れっちまったんだ!」

車内、大爆笑(アリョーシャから貰った紙の煙草を吸いながら嘲笑する兵士のカット・バック)。

途中でアリョーシャも笑っていたが、切り返したところで、アリョーシャは本気にしない彼らに遂に切れ、

アリョーシャ(やっきになって大真面目に)「本当のことだ! 将軍に呼ばれて……」

兵士E(向かいで兵士Cも嘲笑の笑みを浮かべている)「出鱈目言うなよ。」

老軍人「まだ子供のくせに。」

別な中年の勲章を附けた兵士G、アリョーシャの紙で作った煙草を銜えて大笑いするあおりのショット。右に口を尖らしたアリョーシャ。

アリョーシャ(完全に切れて)「なんだと! 寄こせ!」

と言いつつ、突如、兵士Gの銜えていた煙草を右手で取り上げる。

アリョーシャ「証拠を見せてやる!」

老軍人の右肩をなめたショットでアリョーシャとワーシャ。アリョーシャ、前に置いてあるワーシャの鞄の上でその煙草の火を右手の拳で「どん!」と叩き消す。ワーシャはその動作を真面目に見詰めている。

兵士G「どうしたんだ?」

アリョーシャ「待ってろ、待ってろよ。」

アリョーシャ「ほら! 見ろ!」

アリョーシャが鞄の上で、縦に裂けた二枚の新聞の断片を合わせたもののクロース・アップ。アリョーシャの写真である。鉄兜を被り、眉根を厳しく寄せたものだ(上部キャプションに「CBOИX」、その後の単語の頭は「Г」と、「е」の大文字であるが後の綴りは見えない。前は「仲間の」で、或いは後のそれは「гений」(天才的な・偉大な)かも知れない)。

兵士「確かに。……彼だ。……」

中景に戻る。

老軍人「大切な新聞を使っちまって! どうするんだ?」

アリョーシャ(気持ちのいい悪戯っぽい笑顔で)「まだ何部も持ってるんだ。」

ワーシャ、老軍人に向いて、白い歯を見せて、元気に笑い、そのままの笑顔でアリョーシャを見る。F・O・。

 

□18 走る列車の車内(夜)

さっきの多くの兵士は大分、降りたものか、向うの窓際に座って寝ているのは、女性・兵士一人・老人・子供である。皆、寝ている。カメラが彼らをなめつつ左にパンし、松葉杖の間から目覚めていて目を開けて暗い表情のワーシャで止まる。伏し目が上って正面を見詰める。また、伏し目になる。カメラ、少し左にパンして、彼の脇で寝ているアリョーシャで止まる。アリョーシャは何か夢を見ているのだろうか、ワーシャの體に寄せた左頰を子供のように擦り付けるのである。(初めから不安のテーマ音楽がかかっている)

[やぶちゃん注:この松葉杖のカットは美事である。ワーシャは有意に左右に揺れている。それは確かに車体の揺れなのだが、明らかに今も不安に揺らいでいるワーシャの心象風景であり、彼の左前からのライティングが、顔面を縦に分断している松葉杖の一部によって遮られ、顔の右半分が暗く、右眼だけが翳の中に光っているのも彼の心象風景を優れて象徴している。]

反対の右側からのワーシャのアップ。(ここで主題音楽に代わって)

老兵士(オフで)「あんまり考え過ぎない方がいい。」

ワーシャ、「はっ」として右を向く。

老兵士(半分オフで)「何とかなるもんだよ。」

語りかける老兵士のバスト・ショット。以下、二人のカット・バック。

ワーシャ、「いや」という感じに弱々しく顔を横に軽く振りつつも、

ワーシャ「……そうでしょうか?……」

と問う。

老兵士「私の娘は、結婚し立てで、未亡人になった。」

ワーシャ、再び、前に顔を戻して考え込む。

老兵士も伏し目になって、一つ、ため息をつく。

また、ワーシャにすりすりしている寝ているアリョーシャ。F・O・。(音楽はそのまま大きくなって流れ続ける)

[やぶちゃん注:この「老兵士」は昼のシーンの冒頭のショットでアリョーシャの向うにいた人物と同じである。但し、昼間の兵隊用コートの前を開けていて背広のように見え、赤軍の徽章附きの帽子も取り去っており、うっかり見ている観客は民間の老人と思う(或いは年齢的に見てすでに退役しているものと見てよい)。しかし、ずっと彼はそこでワーシャの様子を見守ってきたからこそ、彼の心中を見抜き、かくアドバイス出来るのだという点でこの誤認はアウトである。でなくては、ワーシャの心に以上の言葉が響くはずがないからである。なお、最後のシーンでワーシャがごく軽く頷いているように見えるのは車体の揺れであって、彼の言葉に相槌したのではない。]

 

□19 ボリソフ駅1

二人は既に降車している。背後にぞくぞくと人が乗ってゆく車両。二人はホームを見渡してワーシャを迎えに来ているはずの妻を捜している。しかし、いない。ワーシャ、松葉杖でホームに沿って歩き始め、妻を捜す。後を彼の鞄と自分の雜嚢を持ったアリョーシャが続く。それに気づいたワーシャは振り返って、

左手で、アリョーシャの左胸を押さえ、

ワーシャ(優しい笑みを浮かべ)「もうここでいい、ありがとう。」

と言うが、

アリョーシャ「付き合いますよ。」

と続いて歩く。カット。

ワーシャの背が右手前にあって、後から車体側をアリョーシャが過ぎたところで、ワーシャ、背後に気配を感じ、「はっ」として振り返り、数歩、カメラの方に歩み寄るが、人違いであり、諦めの表情が浮かぶ。

 

□20 ボリソフ駅2(ここは19の最後とオーバー・ラップで切り替えている)

ホーム。乗ってきた汽車はもう出て行ってしまった。しかし、アリョーシャはワーシャと一緒にホームに残っている。アリョーシャは煙草を吸いながら、まだ見回して捜しているけれども、ワーシャは両松葉杖で立ったまま、煙草をすって俯いて動かない。ホームには民間人の人影が右奥の駅舎側に数名、ずっと奥で左手の線路を越えてホームへ渡ってくる人々が見えるだけで、ある淋しさが漂っている(標題音楽がそれをさらに助長する)。カメラが二人に寄ってゆき、奥のアリョーシャが振り返り、哀しそうに右手前のワーシャ(バスト・ショット)を見る。何も言えない。ワーシャ、短くなった煙草の最後の一吸いをすると、ホームに投げ捨てる(ここで音楽、止まる。以降、台詞以外とワーシャの松葉杖と跫音以外の周囲の音声も同時に意図的に消されて失望感がSE(サウンド・エフェクト)で表現されているように感じられる)。アリョーシャの方を振り返り、無言で、身を返して、アリョーシャの左脇を抜けざまに振り向き、

ワーシャ「行こう。」

と声をかけて駅を奥の舎屋の方へと去ろうとする。アリョーシャは画面の奥のホームに置かれてあるワーシャの鞄を持ち上げてその後に従おうとした――

――その瞬間!

――「ワーシャ!!」

と叫ぶ女性の声がオフでかかる!!

振り返るワーシャ!!! 背と頭部のアップ!!! 驚愕するワーシャの顔!!!

右から左に移動するホームの乗客の流れの中を、たった独り、左から走って抜けてくる女性の姿!(ここで同時に雑踏の音が再生されて自然な現実空間となる)

走ってくる女性! ワーシャから二メートルほどの位置で立ち止まる女性(ワーシャの少し右手前ホーム縁にアリョーシャが立つ)!(ここは2ショットであるが、2ショット目は対面シーンの安定構図まで一気に撮った長回しである。私は舎屋側に撮影台車用のレールを引いて、最後をカーブさせて撮影したものと推定する)

彼女を見詰めるワーシャ(バスト・ショット)。

切り返して、右手にワーシャの左背側、中央奥に妻、ワーシャの背を舐めた奥に小さくアリョーシャのバスト・ショットが入り、ワーシャの妻がゆっくりとワーシャに近づいてゆき、面前で、一瞬、立ち止まり、見詰め、ワーシャの抱きつく。

ワーシャの妻「ああ、ワーシェンカ!(標題曲がここから入る)…………帰ってきたのね!……生きて!……」

彼女の無数のキス!

激しい吐息とともに彼女を抱きしめるワーシャ!(この直前までは二人から少し離れた奥に鞄を持ったアリョーシャが映る。以降も画面の左端にはアリョーシャの肩のごく一部が映ってはいる)

ワーシャ「……でも……足が……」

(切り返しで彼女をワーシャの右背後から撮る)を遮るように、笑みを浮かべて泣きながら顔を横に振り、ワーシャを抱きしめ、

ワーシャの妻「……生きてくれていれば! いい!……」

妻の右背後下方からあおりのショットで抱き合う二人。

 

□21 ボリソフ駅構内奥の線路

画面右手前から、奥の方の線路に停車している連結された貨物車両の方へ向かって行くアリョーシャ。一つの線路を越えたところで左方向をみて、また、渡って行くが、これは走っている車両を見つける動作のように私には感じられる(見る人によってはホームのワーシャらを名残惜しんでいると読む方もいようが、良く見えないが、表情にはそういったものは感じられない。寧ろ、そのウサギのような敏捷な動きには、休暇のロス・タイムを何とか挽回しなければ! という焦りを私は強く感じる)。しかし、見当たらないので、停車した貨車のある奥へと向かうのである。

 

□22 ボリソフ駅3(20の終りと同じワーシャとその妻の二人の場面に戻る)

ワーシャの顔をいとおしく両手の指で撫で、自分の乱れた髪とプラトークを直す妻。

ワーシャの妻(幸せな顔で)「これでも急いで来たのよ、バスもないし。」

ワーシャ、妻の右手の人差し指と中指に包帯が巻かれているのに気づき、それを無言で心配げに不審がる。

ワーシャの妻「大したことないの。今、兵器工廠で鉄材を扱ってるからなの。」

再び抱き合う二人。再会に夢心地となっている二人。あおりのアップ・ショット。

運転手「奥さん、自動車が待ってますよ。」

二人、思わず、離れる。カメラが引くと、右手に男の背。車のキーを左手で弄んでいる。

ワーシャの妻「ワーシャ、こちら、運転手さん。荷物は?」

二人の背後に置かれてある。

ワーシャ「ああ、あそこだ。」

運転手「運びましょう。」

ワーシャ「待ってくれ! 彼はどこだ?」

ワーシャの妻「誰?」

ワーシャ「戦車を2台撃破した英雄さ!」

運転手「行きましょう。私はもう遅れているんです。」

ワーシャ(清々しい笑顔とともに)「ああ、残念だ! 行っちまったか!」

前方で鞄を持った運転手がゆっくりと先導して(足の不自由をよく気に掛けている様子が見える)、ホームの奥に向かって帰って行く二人。妻、ワーシャの右手に優しく手を絡ませて支えて行く。向うから来た女性と少女が、片足のない彼と妻をずっと後から眺め続けている。ワーシャは、『大丈夫! 自力で支えられるさ!』といった感じで、ワーシャの右手の介添えなしで、力強く歩いて行く。

 

■やぶちゃんの評釈

 シークエンス「20」の太字下線とした「振り返るワーシャ!!! 背と頭部のアップ!!! 驚愕するワーシャの顔!!!」のカットは映画史で忘れ難い1カットであると言ってよいと考えている。テツテ的に失望した男を救う「マリア」の声だ! その大胆な構図と、負傷兵ワーシャ役を演じたエフゲニイ・ウルバンスキイ Евгений Урбанский の強烈な〈顔力(かおじから)〉は、もう、神がかっているしか表現し得ない。――人が心底から救われる時の真に神聖な驚きの表情――謂うなら――非宗教的奇蹟を――私は彼のその演技に見るのである。

 なお、エンディングの二人が帰って行く方向はここまでの展開上からは、かなり違和感があるが、それは今回かく分析してみてのことに過ぎぬのであって、過去、何十回も見てきた中で、そんな違和感は感動によって吹っ飛ん微塵も感じたことはなかったのである。ここで向きを物理的に辻褄合わせして戻すのは事実ではあっても、芸術的に美しくないからである。それは芸術上の意識の流れの精神的ベクトルとしてこの固定された前方奥へと収束する以外に正しい展開はないのである。私は、この「休暇」最初の、この大きな重いしかししみじみと感動させる第一エピソードの成功こそが、この映画のアリョーシャ的「英雄」の位置にあるとさえ考えている。この感動が作品の三分の一の時点で(本作は全八十四分である)このクライマックスを作って、以後、アリョーシャがどやって母のもとに辿り着けるか、観客のやきもきさせる関心をしっかりと攫むことに完全に成功しているからである。シューラとの絡みが本作のメインであることは言を俟たないが、しかし、この「ワーシャの物語」がなかったなら、ワーシャ役がエフゲニイ・ウルバンスキイではない別の役者だったら、私は「誓いの休暇」のここまでの成功や完成度は生れ得なかったとさえ言うことを憚らないものである。

 以下、「文学シナリオ」の当該部を掲げておく。

   *

 客車のデッキ。扉の向こうに、駅のはずれの建物がちらついている。汽車は駅を離れて行く。

 デッキの中、傷兵とアレクセイ。

  ――あなたは乗車しないと言った。

 アレクセイは喜んでいる。

 ――私のために時間を無駄にさせて済まない、アリョーシカ。私のために四時間を費やさせた。

 ――何でもありません。取り戻します。道中は長いです。

 アレクセイは答えると、女車掌に向かって質問する。

 ――いつボリソフへ到着するのですか。

 ――明日の朝です。

 女車掌は答える。

 傷兵は嘆息する。

 ――どうしました。

 アレクセイは聞く。

 ――何でもありません。

 ――考え事をしないで、汽車の中は気楽に過ごしましょう。

 ……客車は人、トランク、荷物でぎっしり詰まっている。どの棚からも足がぶら下がっている。傷兵は通路をゆっくり歩いて行く。その後ろからアレクセイがトランクをぶら下げてついて行く。彼等の行く手を二つの大きな長靴が遮る。傷兵は止まる。足が上がる。傷兵はそれを避けて、その下を通って行く。

 彼はさらに進む。彼の頭のところにあちこちの棚から足がぶら下がっている。長靴をはいている足、裸足の足、編上靴の足、運動靴の足、足、足、足……。

 傷兵の瞳は進むにつれて、暗くなってくる。とうとう、彼は停止し、目を閉じる。

 一人の中年の隊長が眠っている兵士達をゆり起こす。

 ――おい! 戦友達、もっとつめろ! この人に座らせてあげよう。

 兵士達は、身体を寄せ合って場所を空ける。傷兵は松葉杖に頭をもたれかけて、座る。

 ――いかがですか。

 身体をかがめて、アレクセイが彼に聞く。

 ――何でもありません。

 ――疲れましたか。

 ――ええ。

 ――慣れないからでしょう……。

 兵士の誰かが言う。

 アレクセイは傷兵と並んでトランクの上に座った。そして、ポケットから喫煙用に切断した新聞紙の束を取り出し、それを傷兵に差し出した。

 ――喫いますか。

 傷兵は頭を横に振った。

 ――新聞紙をくれ。

 向かいに座っていた隊長が申し出た。

 ――どうぞ!

 やがて、数人の兵士の手が紙束に伸びた。束はたちまちなくなった。

 ――ところで煙草はありませんか。

 アバタ面の上等兵がアレクセイに尋ねた。

 ――あります。

アレクセイは答えて、彼に自分の煙草入れを渡す。

 ――すばらしい煙草だ。

 誰か感嘆の声を上げる。

 ――どこで買ったんです。

 ――戦場の酒保です。

 ――機関銃手ですか。

 ――私は通信士です。 

 煙草入れは手から手に渡る。

 ――ところで女はどうなんだい?

 ――それは、兵士が主婦に水をもらうように、〈おばさん、水を下さい。それから食べ物、ありませんか、どこか泊めていただければ有り難いんですが〉という具合に作るのさ。

 アバタの兵士が発言する。

 みんなが笑う。

 ――そうだ!……それがおまえの方法なんだな。マリウスでは、水を飲んでくると言って、三晩、行方を暗ませた。

 再び笑い声が起こる。アバタの兵士は嘆息する。

 ――いい女だ。忘れることができない。

 ――何故忘れる。戦争が終われば、帰郷して結婚すればいい。

 ――馬鹿な、彼女には夫がいる。

 ――アバタ面のか。

 ――いや、すべすべしてる。

 ――それで、何故知ってるんだ。

 ――彼女が話した。

 ――女がすべすべした夫を、アバタのお前と取り替えたというわけか。俺は何故か知っている。……恐らく、彼には何か欠陥があるんだ。

 みんながまた笑う。アレクセイは誰よりも大きな声で笑う。

 ――おい君、陽気な人!

 上等兵が発言する。傷兵の方を頭を動かして指しながら、アレクセイに質問する。

 ――友達を送って行くのかい。

 ――いや、私は一人です。……私も家へ帰るのです。

 ――家へ。

 上等兵は聞き返す。

 ――そうです。休暇です。

 ――分かった。もっと話を作ってごらん。

 上等兵はみんなに目配せする。

 ――いや本当です……。私はタンクを二台やっつけたのです。信じてくれませんか。

 ――どうして。

 ――何で二台やっつけたんだね。

 ――電話器でかい! あれにも二つ筒口があるからね!

 アバタ面が話すと、みんなが笑う。彼はさらに続ける。

 ――何しろ彼等は通信士だからな! どうしたんだろう! 彼は前線に出かけて行く。タンクを見る。……一台に平手打ちを食らわす。もう一台に平手打ちを食らわす。そして、袋に入れる……。

 また、兵士達は笑う。

 傷兵も微笑している。それを見て、アレクセイも明るく笑う。

 

 夜。客車は眠っている。

 バックにも垂れて、隊長が眠っている。頭を反らせて、アバタ面の若者が眠っている。大きい百姓の掌で顔を支えて、陽気な上等兵も眠っている。そして我々の兵士も微笑を浮かべて眠っている。

 傷兵だけは眠っていない。松葉杖にすがって、陰鬱な思いに沈んでいる。

 車輪は線路のつぎ目でカタカタと鼓動し、客車のグラグラした隔壁が軋む。

 汽車は、ステップを驀進する。前方の空が、もう、赤みがかっている。

 

 朝。ボリソフの駅。乗客が客車から降りて行く。客車の入り口のところに傷兵が現れる。彼は客車を取り囲んでいる群衆をかき分けながら、目で妻を探す。アレクセイはトランクをさげて、彼の後ろからついて行く。

 群衆の中からやっとの思いで出た傷兵は、立ち止まってあたりを見回す。彼はプラットホームの上を行き交う人々を見つめる。妻はいない。

 傷兵はホームに沿って歩く。アレクセイが彼に従う。しかしここにも彼女はいない。

 ……ガランとしたプラットホーム。汽車はでて行った。人影はない。ただ傷兵とアレクセイだけが残った。傷兵は、もうどこも見てはいない。首をうなだれ、悲しげに地面を見つめている。

 アレクセイは嘆息しながら彼を見守る。

 傷兵は頭を、持ち上げ、心をこめてアレクセイに言った。

 ――無駄です。出かけて下さい。

 アレクセイは黙ってうなづいたが、どこにも行かなかった。

 ――あなたは行く必要があります。出かけて下さい。

 ――私は今……。

 アレクセイは返答を渋った。煙草入れを取り出すと、それを傷兵に差し出した。しかし、彼がまた怒り出すのを恐れて、アレクセイは慌ててポケットに煙草入れをしまった。

 ――煙草を下さい。

 傷兵はうつむいたまま言った。

 ……彼等はプラットホームに立っている。黙って煙草を喫っている。

 アレクセイは傷兵を見守っている。すでに期待を捨てた傷兵は、悲しそうに遠くの白い鐘楼の街を眺めている。

 再びプラットホームが人の波にうずまる。反対方向に行く汽車が到着した。シガレットは指先まで燃え切っていた。傷兵はそれを捨て、アレクセイの方を向いた。そして物静かに言った。

 ――さて! 兄弟!……私はこう考えた。行こう。

 彼は駅の建物の方に行こうと向きを変える。すると、その時、構内のざわめきを突き破って、甲高い声が聞こえてくる。

 ――ワーシャ!

 傷兵は動揺する。

 ――ワーシャ!

 一人の婦人が群衆をかき分けて、彼のところに飛んできた。彼女は傷兵に駆け寄り、彼の胸に抱きついて泣いた。

 ――ワーシャ! ワーセニカ!

 彼は動かなかった。彼女は、彼から離れると、目を見つめ、また彼を抱きしめた。

 ――帰って来たのね!…………生きて!……。

 彼女はささやいた。

 ワシリーの唇は震えていた。彼も妻を抱きしめた。

 彼女はまた彼の顔を見た。彼は微笑で答えた。悲しそうな微笑であった。彼女はすべてを理解した。

 ――何でもないの……今は二人は一緒よ。

 婦人は涙顔に微笑を浮かべ、ささやいた。

 彼女は、彼の顔、髪の毛、肩と、汚れた包帯を巻いた手を撫でた。

 ――私はこれでも急いで来たのよ! バスはないの。

 婦人は言った。傷兵は彼女の手を取り、食い入るように見つめる。

 ――こんなに金くずが……。

 彼女は説明した。

 ――非常に重い鉄だったの。私は今工場で働いているのよ。……

 手は擦り傷やみみず腫れで一杯だった。傷兵は妻を引き付け、掻き抱いた。

 ――奥さん、自動車に乗りませんか。私は行きますよ。

 綿入れの上着を着た男が聞いた。

 婦人は振り返った。

 ――はい、今行くわ……ワーシャ、運転手さんよ……行きましょう。

 彼女は、ネッカチーフの下から垂れた髪の毛を直しながら言った。

 ワシリーは妬ましそうに、好男子の運転手を眺めた。

 ……運転手はトランクを持ち上げる。うれしさにそわそわした妻は、夫の腕を取る。そしてせっかちな運転手の後について行く。

 松葉杖が二人の邪魔になる。ワシリーは、注意深く妻から自分の手をどける。突然、傷兵が急に思いつく。

 ――待ってくれ。若者はどこだろう。

 彼はアレクセイを目で探して、振り返った。

 ――彼はどこだ。

 ――どの若者?

 妻は言った。

  ――野戦の兵士の人! 私と行かないか。アリョーシャ! アレクセイ!

 彼は大きな声で叫びながら、あちらこちらを見回した。

 アレクセイはプラットホームにいなかった。

   *

シナリオより実際の出来の方が遙かによいことが、よく判る。

 

2019/07/24

ソヴィエト映画グレゴーリー・チュフライ監督作品「誓いの休暇」論 或いは 待つ母というオマージュ 5 エピソード1 ワーシャの物語(Ⅰ)

 

[やぶちゃん注:前回「4 休暇の始まり」(二〇一三年十二月一日)から五年半もの永い時間を空けてしまった。その間、変わったことが――一つだけある。とある方から私が私個人のために電子化した本作の「文学シナリオ」(雑誌『映画芸術』昭和三五(一九六〇)年十一月号(第八巻第十一号)・共立通信社出版部発行に田中ひろし氏訳で掲載されたもの。故人となった先輩教師の原本をコピーしたものであったが、四十数年経って劣化が激しくなったため、自分のために私家版として電子化したもの)を見たいと望まれたので差し上げたところ、昨年二〇一八年年初、本作の字幕を、ロシア語の出来る方の協力を得てオリジナルに作り直した映像を私家版(非売品・非公開)として全くの個人の趣味として新規に製作され、私に贈って下さった。今まで、ロシア語の出来ない私は概ね、日本語と英語字幕を参考にしながら、時に、ロシア語字幕を見て、所持するロシア語辞典で、元の台詞に近いものと思われるものを起こしてきたのだが、それには異様に時間が掛かり、実はその一点に於いて、先へ進むのが億劫になっていた事実があった。今回以降は大幅にその新訳を参考にさせて戴きながら、再開することとした。――私が私自身のために完成せねばならない《物語》である……誰のためでもない……私の亡き三女アリスのために――再び始める――(なお、再起動に際して、以前の4回分総てについて、再考証を加え、注も増やしてある。]

 

□10 駅の前1

中継ぎ駅らしきものの前の雑踏。戦災(空爆)を受けたのか、背後の壁の向こうには未だ燻って黒煙が立ち昇っている。

アリョーシャ、右下からイン、振り返って、雑踏の奥へ。

そこは謂わば、市場のようになっている(文学シナリオ冒頭参照)。庶民が使えるものとも思われない、何かの電気器具やら、壺やら、大きなサモワールやら、皿やら、なけなしのいろいろな物を売っている。左腕の先がない老いた元傷病兵らしき男が何かを売買していたりする。

アリョーシャが、少女を連れた婦人からプラトーク(スカーフ)を買っている。F・O・(これは有意な真っ黒な画面が入ってしまって編集が拙い)。

 

■やぶちゃんの評釈

 ここでアリョーシャが買うプラトーク(Платок)はシナリオにもそれと語られ、映画でもずっと後でアリョーシャによってそう語られるのであるが、母への御土産として買ったのである。しかし、この小道具は後の展開の中で非常に重要な役割を持っている。それはそこで、また語ることとしよう。

 さても、実はこの僅か二十秒ほどのシークエンス(3ショット)は「文学シナリオ」では実は異様に長い。

   《引用開始》

 駅前の小さな市場。すぐ近くに、焼け残った駅の建物が見える。汽車の汽笛が聞こえる。それは、貧しい戦時中の市場である。ここでは、疲れた女達が自分の夫の持物を売っている。ここでは、年老いた男達が見せびらかすように、配給のパンを手のひらに乗せて持って行く。ここでは、すばしっこい傷病兵がタバコを売り、ずるそうな目付きの不良老人が幸運を引き出すカード箱を持っている。

 このような雑多な群衆の中を、明るい顔付きのアレクセイが歩いて行く。彼は人々が手に持っている品を興味深そうに眺めて歩く。

 ――どうです。若い人! 〈スカラホート(急走者)〉の短靴はどうですか。まだ新しい品ですよ。買いなさい。

 老女が彼に言った。

 ――私にはネッカチーフがいい。

 ――どうして。

 ――お母さんに贈るのです。

 ――どうです。いい婦人帽があります。年とった婦人によく似合いますよ。

 そうして老女は自分の品物を広げ、丈夫なフェルトの婦人帽を見せる。

 ――見なさい、若い人……。私はこれを戦争前に買ったんです。非常にモダンなファッションです。よく見なさい!

 彼女は、帽子をアレクセイに押し付ける。

 ――何ですって! こんなものは持って歩けない。私はネッカチーフが欲しいのです。

 アレクセイは苛立たしげに話しながら、すぐ近くに六才位の女の子を連れて立っている女を見ている。彼女の手には、豆形模様の粗末なネッカチーフと、明らかに子供のものと見える小さいスカートが握られている。

 ――買って下さい。

 彼女はアレクセイの視線をとらえると、恥ずかしそうに言う。

 アレクセイは近づいて、ネッカチーフを買おうとする。

 ――幾らですか。

 ――三百ルーブル。

 ――え!

 ――ではどのくらい頂けます?

 女は静かに聞く。やせた女の子が、疲れたような敵意ある目でアレクセイを見つめている。

 アレクセイはポケットから金を出し、それを計算してここでは何もできないと分かると、向うに歩いて行った。

 ――なんだ! 十ルーブルで物を買いたいだなんて、まったく抜け目ない男だ。

 彼のあとから、誰か商人が叫んだ。誰かが笑った。そして、誰かが笑っている者に、厳しく言っていた。

 ――何をいななくんだ。兵隊にどこから金が入る!

 五、六歩行ったところで、誰かの手がアレクセイの肩に掛かった。

 ――兵隊さん、兵隊さん!

 ――アレクセイは振り返った。

 ――剃刀を買いなさい!

 綿入れを着たすばしっこそうな小男の手に開かれた剃刀が光っていた。

 兵士は、剃刀を見た。

 ――ほんとに娘っ子がみんなお前さんにほれるよ。

 ――幾らですか。

 アレクセイは、からかい半分の興味を感じた。

 ――八つ。

 ――何ですって……!

 ――八百……!

 ――高い……!

 アレクセイは笑いながら頭を横に振った。

 ――弱々しいな。それで〈ファシストの脅威〉か。ライターはどうです。安くしとくよ。

 小男が薬包で作った小っちゃなライターを見せる。

 ――見なさい。ちっちゃな機械ではない。火炎放射器だ!

 小男は、指で一度二度ライター擦ったが火がつかない。彼は繰り返しライターを擦る。

 ――こんなことは何でもない。そのかわり火を消さないと火事になるよ!

 アレクセイは笑いながらポケットを手で探り、ニッケル・メッキしたピストルを出す。撃鉄を引く。小男は脇へ下がり、叫び声を上げる。しかし、ピストルの上部の締板が飛び上がり、火がつく。これはピストル型のライターである。

 アレクセイは笑っている。小男の目が物欲しそう燃えている。

 ――売ってくれ!!!

 ――幾らで買ってくれます?

 笑いながらアレクセイが聞く。

 ――一つ半!

 ――馬鹿な、百五十だよ。

 アレクセイは静かにライターをポケットに入れる。

 小男は彼の手をつかまえる。

 ――二百!……どうだね! 未来の少尉殿。

 アレクセイは黙って手を振りほどき、歩いて行く。

 ――うん。もう二十五! 大尉。私はかけ引きは嫌いだ……!

 アレクセイは笑っている。

 ――将軍の貫禄があるよ。約束してもよい。

 彼はさらに歩いて行く。

 ――そんならいいよ! けちんぼの兵隊さん!

 小男は少しびっこをひきながら向こうに歩いて行き、群衆の中に消えた。しかしそれも一つの手だった。アレクセイを三歩も止めることができないと分かると、再び現れた。

 小男は異常に深刻な顔つきで、筒状になった銭をアレクセイに押し付けた。

 ――さあ約束した。ライターをくれ。

 ――何を興奮してるんです。

 アレクセイは微笑した。

 ――われわれの戦場へ来なさい。そこではただです。ちょっと攻撃へ行くだけです。

 ――司令官さん、そんなことは出来ない……。扁平足で不合格なんだ。よおし、もう二十五ルーブル、ビールを飲もうと思ったのに。まったく、あんたは俺をだました。ライターをくれ! くれ!

 彼ははげしくアレクセイに詰め寄り、彼の胸倉を塚んで、力ずくで〈ピストル〉を取り上げると、群衆の中に走って行った。

 ――だまされた、だまされた。

 と繰り返しながら。

 このことは、アレクセイが理解できぬほど素早く起った出来事だった。一人残った彼は金を数えた。みんなで二百ルーブルあった。彼はほほえみながら手をふり、ポケットから自分の金を取り出し、それに二百ルーブルを加えた。そして、ネッカチーフを売っていた女のところへ走って行って、

 ――ほら、取って下さい。

 彼は金を差し出し、満足そうに目を輝かせて、買ったネッカチーフをバッグに入れる。

 駅の方から汽笛が聞えてくる。

 女の人に別れを告げると、急いで駅の構内に走って行く。

 ――若い人! 見てください……!

 女の人が誰かに呼びかける。

 ――またいつかね……!

 ――小さい兵隊さん!

 ――おばさん、またね……。

 アレクセイは駅に走って行く。彼はトランクやバッグをもった人々を追い越して行く。みんな急いで行く。

   *

これは正直、確かに、なくてよかった。

 

□11 駅の前2

松葉杖を右手に持った(二本であるが、ここでは一本は右腕脇の下にあって殆んど見えない)長いコートを着た壮年の兵士が立っている。画面手前の彼の側に彼の鞄が置かれてある。その鞄のために兵士の足元は見えない。

画面奥からアリョーシャがやってきて、彼を見、彼の足元を見つめて一瞬、何かに打たれた表情をする。

兵士は鞄の持ち手に左手を下ろそうとする。

それに合わせて、素早くアリョーシャの目が鞄に向けられて、兵士の手が持ち手に触れると同時に、アリョーシャも持ち手に触れる。二人の手が一瞬触れ合い(このシーンではアリョーシャは伸ばした手の人差し指だけを伸ばしており、容易にその指がその兵士の手に触れ合うのが観客判る)、同時に、

アリョーシャ(笑顔で)「持ちましょう!」

と言い、鞄をアリョーシャが取り上げて、右肩に背負う――と――その瞬間だけ兵士の足元が見える。左足がない(但し、兵士がロング・コートを着ていること、片足だけが見えたと思った途端に手前を人々が荷物を持って右から次々と中間距離の位置にインして、最も手前位置には、逆に左からの歩行者が錯綜し、カメラが左に移動すると、待っている家族らしい一段が左から中間位置にインすること等から、実際にはこのショットでは兵士の下半身が殆んど映らず、両松葉杖で左に移動する兵士の下半身は殆んどが遮られていて、確かに彼の左足がないのだというのは実は判然とはしない。ここでは、わざとそうした複雑なモブ・シーン構成を行って、意図的に、彼の片足がないことを漸層的に演出して撮影していることが判る、というより、これは監督やカメラマンの、この傷(心身ともに)を負った兵士に対する優しい眼差しの起動でもあるのである)

左へ向かって移動する(カメラも同期)二人。アリョーシャは以降、概ね、兵士の顔を見ながら笑顔を絶やさない(決して兵士の下半身に目を向けない)。

なお、ここのカメラの左移動の際、駅舎の一部が彼らの背後に見え、その切妻部分には「KAMEPA ZPAHEHИЯ」、その後ろに上下二行で「PYЧHOИ KЛAДИ」という文字が読めるが、この「KAMEPA ZPAHEHИЯ」は「荷物預かり所」、「PYЧHOИ KЛAДИ」は「手荷物」の意味であり、観客にはここでロケーションが駅前であることが判然とするようになっている。

 

□12 駅構内の通路からホームへ

右奥からくる二人。

アリョーシャ「どこまで行かれんですか?」

兵士「ボリソフ――」

アリョーシャ「僕もそこで乗り換えです! ご帰郷ですか?」

兵士「傷病除隊だ。」

アリョーシャ「僕は帰郷なんです、運が良くって。」

ここで二人、ホームに着き、アリョーシャ、鞄を下す。

アリョーシャ「途中までお供します。」

兵士「あぁ……」

兵士「ありがとう、あぁ、ありがとう。」

アリョーシャ「お宅までお送りしますよ!」

兵士「駅まで迎えが来るんだ――」

アリョーシャ「奥さん?」

兵士「……そう、妻だ。……」

兵士(後方左を振り返って)「鞄を見てて呉れ。電報を打ってくる。」

兵士、今来た通路のホーム側にある「ПOЧTA TEЛEГPAФ」(左柱にあり、「郵便局」と「電信局」の意)の「BXOД」(上部にある。「入口」の意)へと向かって入って行く(カメラはパンしながら後を追ってやや正面左手で止まる。ここでカットが入るが、次のシーンの頭は、直ぐに左から通行人がインして、ワイプのような効果を出しており、カメラ位置も入口正面と殆んど変わらない。これは上手い編集である)。

[やぶちゃん注:「ボリソフ」現在のベラルーシのミンスク州ボリソフ(Барысаў)地区にある都市。ここ(グーグル・マップ・データ)。]

 

□13 ホームの電信局の前

正面のホーム側に、アリョーシャ、兵士の鞄の上に腰を降ろし、待つ。

アリョーシャ、ふと、雑嚢を開けると、さっき買ったプラトークを出して眺め、微笑む。(その最後の部分にオフで汽車の汽笛の音がかぶり)

 

□14 ホーム(乗客をなめて一点透視で)

奥から近づいてくる機関車、人々は乗る準備に動く。(前からの汽笛の音に機関音)

左から右へ乗るために移動するホームの人々。(モブのざわめき)

最初のカメラ位置で到着する機関車と、ホーム上を急ぐ人々。(機関音とざわめきがダブる)

 

■やぶちゃんの評釈

 「13」の2ショット目は人々の背後にホームの線路の向う側が見えており、配置上では全体が反転していないとおかしいのだが、恐らくこれは、汽車が来るそれと、人々の進行するそれのベクトルを全く同じ向きにすることによって、この後のシークエンスでアリョーシャが襲われることになる焦燥感を読者に強調するための確信犯と思われれる。

 

□15 ホーム

左からインする機関車と、下方に吹き出す蒸気。中央に立ち上っているアリョーシャ。汽車が着いてしまったのに、兵士が戻って来ないことに焦った表情で、後ろの電信局の方を振り返る。彼の鞄を取り、茫然と汽車の方を見る。

汽車から降りる乗客。ひどく、ごった返している。

身を翻すアリョーシャ(頭部のみのアップからカメラが引いて電信局から乗り遅れまいとして走り出す群衆へパン)、手前にちょっと立ち止まったアリョーシャ、汽車を見返り、電信局の入り口へ体を戻すと、人を吐き出している、そこに向かって、がむしゃらに突進する。

 

□16 電信局の内部(郵便局があってその奥にそれがあるという設定か)

人気は少ない。窓口の列を左奥に向かってなめて、画面右手一番手前の窓口に、あの兵士が松葉杖を一本置き、口の辺りに右手の拳を当てて、ピクリとも動かずにいる。その顔の直ぐ下方の窓口に台上には、電信紙らしきものが見える。

奥の扉を突き開くように入ってくるアリョーシャ。兵士の背後に立って口を尖らすように、息せき切って叫ぶ。

アリョーシャ「どうしたんですかッツ?! 列車が来てますよッツ!」

兵士(静かに、アリョーシャを見るでもなく、カメラ正面に軽く顏を振った感じで)「どうしたって?……」

アリョーシャ「『どうした』って?! みんな、もう乗り込んでるんですよッツ!」

兵士「……俺は置いて……置いて行ってくれ……」

アリョーシャ、茫然とする。気持ちを落ち着けて、兵士の背に優しく左手を添えて、

アリョーシャ「……どうかしたんですか?……」

兵士(右手を口から離して開き、アリョーシャを振り返って、強く叫ぶ)「お前はどうして欲しいって言うんだッツ! 俺に構うなッツ! ほっといてくれッツ!!」

この激しい声に、兵士の影になっていてここまで全くその存在が見えなかった、中景の窓口に座っていたらしい若い婦人が立ち上がって二人の方(兵士の方)へ視線を向け、見詰め始めるのが見えるようになる。

兵士、鬱々とした表情のまま、松葉杖に手を置いて向き戻る。

アリョーシャ(如何にも少年らしい素直な不満の雰囲気を以って、悲しげに)「……人に鞄を頼んでおいて……いいですよ、僕は行きます……」

兵士(鞄を持ち上げかけたアリョーシャの右の二の腕を右手で握って、穏やかに)「悪かった、怒るな……辛いんだよ…………」

兵士(握ったアリョーシャの腕を穏やかに握り握りしつつ、電信紙に目を落して)「電文を書いた……(振り返ってアリョーシャを見詰めて)『カエラナイ』って…………」

アリョーシャ「どうして……」

兵士「仕方がないんだ……(アリョーシャからカメラ下方向に目を落として)彼女は美人で、俺は嫉妬深い……(アリョーシャを見詰めて)戦争の前も上手くいってなかったのさ……」

ここでカットが入り、先の中景の窓口の女性の、窓口の外からのやや上を切ったバスト・ショットとなり、それに、

(オフで)兵士「俺はそれ、このありさまなんだ! 俺には判ってる。」

が被る。女性は黙ってそれを聴いている。悲愴な眼を下に落とす。[やぶちゃん注:この「俺はそれ、このありさまなんだ!」という台詞は或いは「俺は片輪だ。」という現行では差別用語である謂いである可能性があるらしいが(入手した私家版字幕)、ロシア語字幕で見てもそうした単語を見出せなかったので、諸重訳から、かく訳しておいた。]

前の二人の位置に戻るが、フレームはより近寄っていて電信紙などは見えず、

兵士「……彼女は俺の面倒を見てくれる……しかし……それはもう、『生活』じゃあ、ないんだ……(ここでアリョーシャを見る)だろ?」

アリョーシャ「……僕には……分りません……」

兵士「……あぁ……(一人合点し、眼を落として)……馬鹿な話さ…………」

兵士、松葉杖を執り、中景の彼女のいる窓口へと向かう(窓口は幾つもあるが、今はもう電信係は彼女独りだけなのであろう)。その後ろから、

アリョーシャ「……あの……」

兵士(振り返る)「どうした?」

アリョーシャ「……これから、どうするんですか?」

兵士「……ロシアは、広いさ……」

兵士、窓口に向き、電信紙を差し出す。

フレーム、左半強を兵士の背と右顔側面とし、右に電信係の女性。

電信係の女性「弱虫! 弱虫!! 金輪際! 電報なんて打ちません!!……そんな電報、卑怯よ! 卑劣よ、卑劣過ぎるわ!!!」(彼女はそのまま座って泣き崩れる)

俯瞰アップで右半分強を兵士の正面でピント、左奥にアリョーシャがぼけて配され、兵士は黙ったまま、項垂れてしまう。そこに発車の汽笛がオフで入り、アリョーシャが左に顔を向け、口を軽く開いて『ああ、行ってしまった』という感じの表情をする。そこに、列車の動いてゆく影が映り込む。

切り返して、左手前にアリョーシャ、中景に兵士、右奥に右手で頭を押さえて泣いている電信係の女性を配し、その向うの壁の上方に、ホーム側の窓の丸くなったシルエットが映り、列車客車の天井の突起(通気乞孔か)の列の影が、ゆっくりと動いてゆく。

また、前に切り返し、フレームが接近し、兵士が右手を挙げて、持った電信紙をゆっくりと握りつぶす(音有り)。それを今度はかなりピントが合った状態で、それを左背後で、下し見るアリョーシャから、フレームはその電信紙を握り潰した兵士の手に下がってゆく。握り潰したその手は指を開いて、新しい電信紙をまさぐる。遠ざかり行く列車の音。F・O・。

■やぶちゃんの評釈

 以下、相当する「文学シナリオ」を示す。

   《引用開始》

 アレクセイは駅に走って行く。彼はトランクやバッグをもった人々を追い越して行く。みんな急いで行く。

 アレクセイの前を、危なげに松葉杖にすがりながら一本足の傷兵がとぼとぼ歩いて行く。松葉杖がトランクを持って歩くのを邪魔する。彼は止まって、トランクを地面に置き、額から汗をぬぐう。

 彼に追いつくと、アレクセイは笑顔で申し出る。

 ――お手伝いさせて下さい。

 彼は傷兵のトランクを持ち上げる。その人は、妨げることなく彼の申し出を受け入れる。

 ――どこヘ行くのですか。

 アレクセイは歩きながら聞く。

 ――ボリソフへ。

 ――家へ帰るのですか。

 ――そうです。復員したのです……。

 ――私も休暇で家に帰るのです。それは運が良かった。

 アレクセイは、単刀直入に朗らかに話した。

 傷兵は注意深く彼を眺めた。

 ――運がいいって。

 ――そうです。まったく不思議なくらい巧く行くのです。我々はボリソフまで同行するということです。……

 二人はプラットホームに入った。こっちは人々で溢れていた。

 突然、彼はアレクセイに言った。

 ――ちょっと、ここで待って下さい。電報を打たねばなりません。電報を打って来ます。

 そして松葉杖を鳴らしながら、駅の建物に入って行った。

 アレクセイは彼の後ろ姿を見送り、トランクを降ろして待っていた。彼の傍らを、興奮した旅客が右往左往していた。彼は彼らを観察した。

 ……プラットホームの動揺は激しくなった。みんなが、プラットホームの端を見つめていた。そこから汽車が現れた。アレクセイも心配になってきた。彼はそわそわ落ち着きなく、傷兵が消えて行った駅の建物の扉と汽車を代わる代わる眺めた。

 ……乗車が始まった。旅客始まった客車に殺到した。これ以上待つことは出来なかった。トランクを取り上げると、アレクセイは傷兵を探しに行くことに決めた。彼は群れをなした旅客をかき分けて行った。人々は彼を扉から遠のけた。彼に罵詈雑言を浴びせた。しかし彼は、ホールの中の人々を押し分けて行った。ベンチや床の上に腰掛けた人々の傍らを通って、出札口の人々の塊を押し退けて。とうとう〈郵便・電報〉と書いた板がつるされた扉にたどり着いた。

 アレクセイは扉を開けた。

 電報室の空々しい部屋の中に、長い机があり、その端のベンチに傷兵が座っていた。彼は深刻な顔付きで思いに沈んでいた。彼退ける前の机には、頼信紙が置かれていた。何枚かクチャクチャに丸められた用紙が散らばっていた。

 ――どうしたんですか。あなた! 汽車は到着しました。みんな乗車しています。どうするんですか!

 傷兵はゆっくりと頭を持ち上げた。アレクセイは彼の目を見た。その目は、空しく、何とも言えぬ悩みに溢れていた。

 ――どうしてですか。

 傷兵は静かに聞いた。

 ――行かねばならないのです……。私はあそこであなたのトランクを預かっていたのです。そして、あなたは……。

 傷兵はずっと静かに聞いていた。

 ――行って下さい。私は乗りません。

 やっと口を開いて彼は言った。そうして、頭を垂れると、堅く握った拳を頭に乗せた。

 アレクセイは行くことも出来ず、じりじりしていた。

 ――あなたはどうするんですか。

 彼は傷兵の肩に手をかけ、心配して聞いた。

 傷兵はきっと顔を向けて叫んだ。

 ――何の必要があるんです!……何で私に言い掛かりをつけるんです。早く行って下さい。

 彼はそっぽを向いた。

 小窓に通信士の顔が現れた。

 アレクセイは腹を立ててぶつぶつ言った。

 ――早く〈行け〉だって……。私はトランクを持ってあそこにいたんです。しかし、あなたは……。よろしい、私は行こう。

 しかし傷兵は突然振り向いて彼の手をつかまえ、激しく言った。

 ――許して下さい。親切な人! 私は辛いのです。ここで妻に帰らないと電報を打つのです。彼女に会わないように、彼女が私を待たないように。

 ――何故ですか。

 ――そうしなければならないのです。

 窓の外で合図の鐘が鳴り、汽笛が響いた。壁に沿って、列車の影が動き出した。

 ――彼女は美しく、我が儘です。戦争が始まるまでも、私たちの間はうまくいかなかったのです。しかも、今、私は……。

 彼は松葉杖を顎で示した。アレクセイは何か言おうと思った。

 ――黙って! 私はすべて分かっている。彼女は善良です。将来も私と生活するでしょう。しかしそれは、もう生活というようなものではないでしょう。分かりますか。一度にケリを付けた方がいい! 一回の精神的打撃で。そうすれば彼女も幸せになるだろう。私も駄目にならないだろう。分かりましたか。

 アレクセイは沈黙した。

 ――ロシアは広大です。どこへ行っても、仕事を発見し、生活できるでしょう。

 傷兵は横を向きながら話した。

 ――私は分からない。

 アレクセイは言った。そうして考えた。彼の顔を影が揺れて行く。走り過ぎて行く列車の姿が窓に映っていた。

 傷兵は長い間座っていたが、最後に結論を出すように話した。

 ――これがすべてです………こうするのが一番よいのです。

 彼はうなづくと、机から頼信紙を取り、受付口に歩いて行った。がらんとした部屋の静寂にコツコツコツと三度、彼の松葉杖が鳴った。

 彼は小窓に頼信紙を差し出した。

 ――お願いします。

 不器量な若い女の通信手は、興奮しながら頼信紙を取ると、それを手に持ったまま、突然、よく聞き取れぬ声で言った。

 ――私はこの電報を打ちません。

 ――何だって。

 意味が飲み込めない傷兵は、静かに聞き返した。

 通信手は立ち上がった。

 ――私はこの電報を打ちません!……あなたは、全く嘘つきです。それは卑劣です。卑劣です。そう考えるなんて卑劣です。 彼女の目には涙があふれていた。

 ――あなたをみんなが待っています。みんな苦しんでいます。それなのに、あなたは……。それは卑劣です。こんな! こんな! こんな! さあ! 何とでも私にして下さい。

 最後の言葉を繰り返しながら、彼女は頼信紙をちりぢりに引きちぎった。

 彼女は黙りこくった。

 傷兵はこの攻撃に仰天し、動揺して顔をしかめ、頭を伏せた。

 ――そうです!

 アレクセイの嬉しそうな叫び声が、静寂を破って甲高く響いた。彼は通信手に手を伸ばした。

 ――頼信紙を下さい……書き換えます。会えるように!……。

   《引用終了》

本作の最初の忘れ難いクライマックスは、ほぼシナリオ通りに再現されていることが、これで判るのである。

 

 

大和本草卷之十三 魚之上 河鯔 (ボラの幼魚の別種誤認)

 

【同】[やぶちゃん注:前と「同」で「和品」。訓読では正規に直した。]

河鯔 シクチト別ナリ海鯔ヨリ圓ク色少赤シ不腥海鯔

 ヨリ味美シ河魚ノ佳品トス

○やぶちゃんの書き下し文

【和品】

河鯔 「しくち」と別なり。海鯔より圓(まろ)く、色、少し赤し腥〔(なまぐさ)から〕ず。海鯔より、味、美〔(よ)〕し。河魚の佳品とす。

[やぶちゃん注:条鰭綱ボラ目ボラ科ボラ属ボラ Mugil cephalus の幼魚個体。彼らがしばしば大群を成して河川の淡水域を遡上するのを別種と見た誤り。益軒はボラの成魚を「海鯔」として完全な別種の海水魚と誤認しており、ずっと後にならないと、その正真の成魚のボラ(標記項目名「鰡魚(ナヨシ)」)は出てこない。

「しくち」ボラ科メナダ属メナダ Liza haematocheilus前条参照。]

大和本草卷之十三 魚之上 シクチ (メナダ)

 

【和品】

シクチ 河鯔ニ似タリ大河ニアリ又其形頗海鯔ノ如シ

 頭ハ海ホラヨリ薄ク身モ海鯔ヨリセハシ大ナリ長

 四尺ニ至ル目紅シ四時捕病人食之無傷河魚ノ上

 品ナリ小ナルヲヱブナト云アカメト云一尺餘ナルヲ

 ヤスミト云地ニヨリテ形味カハル大池泥河ニ生スルハ

 肉赤ク脂多キ叓 海鯔ノ如シ味厚ク美シ病人ニ不

 宜沙石多キ河ニ生スルハ肉白ク脂少ク味淡美病人

 食ツテ無害

○やぶちゃんの書き下し文

【和品】

しくち 「河鯔(〔かは〕ぼら)」に似たり。大河にあり。又、其の形、頗る「海鯔」のごとし。頭は「海ぼら」より薄く、身も「海鯔」より、せばし。大なり。長さ四尺に至る。目、紅し。四時、捕る。病人、之れを食〔ふも〕傷〔つくること〕無し。河魚の上品なり。小なるを「ゑぶな」と云ひ、「あかめ」と云ふ。一尺餘りなるを、「やすみ」と云ふ。地によりて、形・味、かはる。大池・泥河に生ずるは、肉、赤く、脂〔(あぶら)〕、多き叓〔(こと)〕[やぶちゃん注:「事」の異体字。]、「海鯔」のごとし。味、厚く美〔(うま)〕し。病人に宜からず。沙石多き河に生ずるは、肉、白く、脂、少く、味、淡美〔なり〕。病人、食つて、害、無し。

[やぶちゃん注:条鰭綱ボラ目ボラ科メナダ属メナダ Liza haematocheilus。漢字表記は「目奈陀」「目魚」。内湾や汽水域及び河川をある程度まで遡上する。ウィキの「メナダ」によれば、『日本(九州以北)、中国、朝鮮半島、沿海州からアムール川にかけて分布』し、『体長は』一メートルにも達する『大型』魚で、『背面は青色で、腹面は銀白色となる。同属の近縁種との違いとして、上唇が下方に曲がっており、口を閉じると』、『外部に露出してみえること、脂瞼(しけん)と呼ばれるコンタクトレンズ状の器官が発達していないことが挙げられる』。『産卵期は』十月とある。「ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑」の「メナダ」によれば、『産卵期は西日本では春』とし、『ボラに非常に似ている。本種に馴染みのない関東ではボラと混同しかねない』。『有明海では明らかに高級魚のひとつ』で、『瀬戸内海でも非常に好まれている』。『ボラの旬は寒い時期だが、本種は夏に味が』良く、『有明海では明らかに夏の魚である』また、異名が多く、益軒が挙げたもの以外にも「シュクチ(ボラ)」(これは「朱口」で「シクチ」はその転訛であろう)「エビナゴ」「エビナ」「ヤスミ」「ナヨシ」「ミョウキチ」「メアカ」「アカメゴ」「アラハダ」「イセゴイ」「イチ」「コスリ」「タイノムチ」「チクラ」「ツブラ」「トウブシ」「ドオセイ」「ドウナイ」「ナカセ」「バイ」「バンバ」「フルカマギ」「マイオ」「マメツブラ」「ミョウゲツ」「メクサリ」等があり、出世魚として(エビナゴ→エビナ→アカメ→ヤスミ→ナヨシ)、(コスリ→トウブシ→メナダ)が示されてある。

「河鯔(〔かは〕ぼら)」「海鯔」こうした別種がいるのではなく、海水魚であるボラ科ボラ属ボラ Mugil cephalus の幼魚の個体群が、大群を成して淡水域に遡上するのを前者で言っているだけのことである。但し、標準和名カワボラ、ボラ科カワボラ属カワボラ Cestraeus plicatilis が実は存在するが、これは西表島のみの固有種であるので論外である。]

明恵上人夢記 80

 

80

一、十二月の夜、夢に又、馬、有り。嶮難を能く過ぎ、道を知りて、外(そと)より此の住房に來る。不具の人、此の馬好相の、かく道を知れるが故に、苦しみ有るべからずと思ふ。

[やぶちゃん注:これは直前の「79」を受けてこその「夢に又」であるから、承久二(一二二〇)年十二月のある夜の夢と採ってよい。なお、「此の馬好相」の「好相」は「此の馬」の左に小さく打たれてあると採った。底本では行が詰まっていて、次の「81」条の日付(「十二月三四日」の「三四」)の右に附されているようにも見えるが、日付にかく附すのはおかしいし、次の「81」の内容とも「好相」は合わないので、かく処理した。ここで注してしまうと、「好相」は「かうさう(こうそう)」或いは「がうさう(ごうそう)」と読み、「将来、良いことがあることを示す立派な姿」或いは「良い事のある前兆」又は「悟りが得られる兆し」を意味する。ここは――この馬がそのような瑞兆の相を具備している――という補注(訳では【 】で示した)であると私は採るのである。

「不具の人、此の馬の、かく道を知れるが故に、苦しみ有るべからずと思ふ」これは夢の中に「不具の人」が登場し、しかも以下のように思っているなどという意味に採ることは無理がある。明恵の今までの夢記述の筆記法ではそのような荒っぽい簡略や圧縮は殆んど見られない。であれば、この一文全体は謂わば、夢の中で明恵がその馬の来訪と様態を見ながら、観想した心内語と採るべきものと考える。それでこそ「79」夢に続いて正法(しょうぼう)が明恵に感得させた真理として腑に落ちるのである。而してその観想を思うなら、この「不具の人」とは狭義の身体の不自由な人ではあり得ず、まさに正法を未だ知ることが出来ずにいるはずの多くの衆生を指しているのであり、そうした衆生が――「此の馬の、かく道を知れる」のと同様に「苦しみ」を感ずることなしに、私とともに正法の世界へと導かれるのであるという正覚(しょうがく)を夢の中の明恵が感じていると読むべきものと私は思う。]

□やぶちゃん現代語訳

80

 承久二年十二月の或る夜、こんな夢を見た――

 前月二十日に見のと同じく、夢の中に、またしても、馬がいる。

 馬は、嶮(けわ)しく危い尾根を如何にも軽々と過(よ)ぎって――まさに正しき「道」を知って――この私のいる寺の外界より、この私の修行している住房へと、現にやって来ている、のである。

 その時、私は瞬時に、

『そうだ! 正法(しょうぼう)を未だ知らぬ人々も――この馬【如何にも瑞兆を示す好相を示している馬なのであった】が、かくも道を知ってやって来たように――何らの苦しみを怖れることなく――何らの苦しみを少しも感ずることなどなく――ここにともに「在る」ことが出来るのだ!』

と確かに思ったのである。

 

2019/07/23

甲子夜話卷之六 2 定家卿詠歌

 

6-2 定家卿詠歌

同上云。定家卿を世に歌人とのみ思へり。歌は其苴餘にて、志のありし人とこそ思はるれ。

 苔の下に埋れぬ名を殘すとも

      はかなの事や敷嶋の道

これを以て其懷抱おしはかるべきなり。杜少陵の、名豈文章サンヤ、官老病と云も、詩人の詩には非ず。近時袁倉山が、每ㇾ飯不ㇾ忘竹帛、立ルハㇾ名最小ナリ是文章など作りしも、亦其流亞なり。

■やぶちゃんの呟き[やぶちゃん注:2019年7月26日全改稿。]

なお、袁枚の詩の「唯」の「〻」は、底本では踊り字「〱」であるが、私の判断で「〻」に代えた。近代以前の踊り字は通用の統一的規則はないから、これは静山の好みのそれであったと判断する。

「同上云」「同上に云はく」。前条の「林子、古歌を辨ず」を指すので、話者は林述斎。

「苴餘」「しよよ(しょよ)」。見かけない熟語である。「苴」は当初、最悪の卑意である「塵・芥」かとも思ったが、それでは一世の歌人の彼にして自らかく比喩するのは、余りに哀しい。「詠草」と言うように、歌に草を掛けて「苴」の原義である「下草」の意で採るならば、謙遜としての「もて遊びの、詠み捨ての、価値のない、下萌えの雑草」、「余りものの、どうということのない戯れ、一抹の余技」というような意味ではないかと思われる(そう採っておく)。

「志のありし人とこそ思はるれ」ウィキの「藤原定家」の「政治家として」の項によれば、『定家は藤原道長の来孫(』五『代後の子孫)にあたる。だが、摂関家の嫡流から遠く、院近臣を輩出できなかった定家の御子左流は他の御堂流庶流(中御門流や花山院流)と比較して不振であり、更に父・俊成は幼くして父を失って一時期は藤原顕頼(葉室家)の養子となって諸国の受領を務めていたことから、中央貴族としての出世を外れて歌道での名声にも関わらず官位には恵まれなかった』。『定家自身も若い頃に宮中にて、新嘗祭の最中に源雅行と乱闘したことで除籍処分を受ける』『など』、『波乱に満ち』ており、『長年』、『近衛中将を務めながら頭中将にはなれず』、五十一『歳の時に』、『漸く公卿に達したが』、『それさえも姉の九条尼が藤原兼子(卿二位)に荘園を寄進したことによるものであった。それでも定家は九条家に家司として仕えて摂関の側近として多くの公事の現場に立ち会って、有職故実を自己のものにしていくと共に、反九条家派の土御門通親らと政治的には激しく対立するなど、政治の激動の場に身を投じた。定家が有職故実に深い知識を有していたことや』、『政務の中心に参画することを希望していたことは』、「明月記」などから『窺い知ることは可能である。そして』寛喜四(一二三二)年一月、『定家は二条定高の後任として』、七十一『歳にして念願の権中納言に就任する。当該期間の』「明月記」の記述は、『ほとんど現存しないものの、他の記録や日記によって』、『定家がたびたび』、『上卿の任を務め、特に石清水八幡宮に関する政策においては主導的な地位にあったことが知られている。また、貞永改元や四条天皇の践祚などの重要な議定にも参加している。だが、九条道家との間で何らかの対立を引き起こしたらしく』、『同年の』一二月十五日には『「罷官」(更迭)の形』『で権中納言を去ることになっ』でしまっている。『こうして、定家が憧れて夢にまで見たとされる』(「明月記」安貞元年九月二十七日の条)『藤原実資のよう』な『政治的な要職に就くことは』遂に『適わなかった』。『また』、二『代にわたる昇進に関する苦労から、嫡男とされた為家の出世にも心を砕いており、嘉禄元』(一二二五)年七月には、『同じく嫡男を蔵人頭にしようとする藤原実宣と激しく争って敗れている。だが、この年の』十二『月に実宣の子公賢の後任として為家が蔵人頭に任ぜられ、一方の公賢は翌年』一『月に父が自分の妻を追い出し』、『権門の娘を娶わせようとしたことに反発して出家してしまった。定家は自分も実宣と同じようなことを考えていた「至愚の父」であったことを反省している』。『その後は、為家を公事・故実の面で指導しようと図った。定家が歌道のみならず』、「次将装束抄」や「釋奠次第」など、『公事や有職故実の書を著した背景には』、『自身のみならず、子孫の公家社会における立身を意図したものがあったと考えられている』とあるのは、静山の意味深長な謂いが、決していい加減な憶測ではないことを物語っているように読める。

「苔の下に埋れぬ名を殘すともはかなの事や敷嶋の道」「拾遺愚草」の一五八三番(冷泉為臣編「藤原定家全歌集」一九七四年国書刊行会刊の番号)に、

 苔のしたにうつまぬ名をはのこすとも

    はかなのみちやしきしまの哥

とある。

「杜少陵」詩聖杜甫(七一二年~七七〇年:享年五十九)の号。

「名豈文章サンヤ、官老病」杜甫の五言律詩「旅夜書懷」(旅夜、懷(くわい)を書す)の頸聯。所持する岩波文庫版「杜詩」(第五冊所収)によれば、七六五年(数え五十四)の秋、忠州より長江を下った旅中の作とする。杜甫は先立つ七五八年に、宰相の房琯(ぼうかん)を弁護したことで粛宗の怒りを買い、華州(現在の陝西省渭南市。洛陽の西二百七十キロメートル)司功参軍に左遷され、同年末に洛陽に一時戻るが、翌年、洛陽を中心とした関中一帯が飢饉に見舞われたことから、遂に官を捨て、食を求めて秦州(甘粛省天水市)を経て同谷(甘粛省隴南市成(せい)県)に移るが、餓えますます甚だしく、橡栗(ドングリ)や黄独(山芋の一種)などを食って凌いだ。翌七六〇年、蜀の桟道を越えて成都に赴き、杜甫草堂を建てる。七六四年、厳武の推薦によって節度参謀・検校工部員外郎となったが、心楽しまず、暇を願い出て草堂へ帰った。翌年であるこの七六五年一月には職を辞し、五月には草堂を離れ、雲安へと至ったが、病いのためにそこに留まった。その後も各地を遍歴、七七〇年、飢えた一族郎党を連れ、襄陽・洛陽を経、長安に帰らんとしたが、湘江の舟中で客死した。岩波の「杜詩」の詩形で示す。

   *

   旅夜書懷

 細草微風岸

 危檣獨夜舟

 星垂平野闊

 月湧大江流

 名豈文章著

 官應老病休

 飄飄何所似

 天地一沙鷗

   旅夜に懷ひを書す

  細草 微風の岸

  危檣(きしやう) 獨夜の舟

  星 垂れて 平野 闊(ひろ)く

  月 湧きて 大江 流る

  名は 豈に文章に著(あらは)れんや

  官は 應(まさ)に老病に休(きふ)すべし

  飄飄(ひやうひやう) 何の似たる所ぞ

  天地 一沙鷗(いつさおう)

   *

静山の「名豈文章サンヤ、官老病」ならば、

名は 豈に文章に著さんや

官は 因りて老病に休す

と訓読しており、その意は(岩波「杜詩」を一部参考にした)、

私のような者がどうして詩文によって名声を得られようか。〈反語〉

私のような老病人は官職を退いて休むのが身分相応というものだ。

「云も」「いふも」。

「詩人の詩には非ず」「この謂いは、ただの文人趣味の御目出度い詩人、似非詩人の詩句、感懐表出ではない」という意であろう。中国文学は古代から一貫して「仕官の文学」であり続けた。そこでインキ臭い「載道」(道に載っとる)と交互に波形を描いた一方の思想的潮流は、また「言志」(志しを言ふ)でもあった。道家的で自由自在に見える李白や李賀の生涯を見ても、「仕官としての文学」がその出発点であることは明白な事実であり、その志しの大半の挫折が遊仙的思想へと赴いて行ったのであったのを考えれば、ここで静山が言っている意味も腑に落ちる。

「袁倉山」清代の文学者で、「随園食単」で食通として知られる袁枚(えんばい 一七一六年~一七九八年)の別号。浙江省銭塘の人。貧乏士族の出身であったが、一七三九年、進士に及第し、江蘇省の諸県の知事を歴任して治績を挙げた蛾、一七五五年、三十八歳の時、父の喪に遇って官を辞し、江寧の小倉山(しょうそう)に屋敷を手に入れ、「随園」と名づけた。以後、豪奢な生活を送りつつ、在野の詩人として活躍した。詩は真情の発露を重んじる性霊説(せいれいせつ:個性を尊重し、人の性は自由に流露するときにこそ霊妙な働きを持つとするもの。清新軽俊を詩風として掲げ、袁枚の在野の立場が反映し、広範な階層の間に行われた)を唱えて、格律を重んじる古文辞派の流れを継ぐ宮廷派(格調派)の沈徳潜(しんとくせん)と詩壇を二分した。文は古文・駢文(べんぶん)ともに優れた。人生半ばにして早々と官職を離れた彼ではあったが、静山は彼もまた、詩文というものの本質〈士大夫の詩〉を持ち続けた人物であったと静山は言っているようである。

「每ㇾ飯不ㇾ忘竹帛、立ルハㇾ名最小ナリ是文章」は、

飯(めし)每(ごと)に忘れず 唯(た)だ竹帛

名を立つるは 最も小なり 是れ 文章たり

静山の「〱」は「ただ」の「た」のただの繰り返しを示す踊り字と採った。いつも情報を戴くT氏の御指摘によって、「隨園詩話」の「巻一四」に以下のように出ることが判った(中文サイト「中國哲學書電子化計劃」のこちらに基づく(一部加工)。見出し№「134」条)。

   *

餘幼「詠懷」云、「每飯不忘惟竹帛、立名最小是文章。」。先師嘉其有志。中年見查他山贈田間先生云、「語雜詼諧皆典故、老傳著述豈初心。」。近見趙雲松「和錢嶼沙先生」云、「前程雲海雙蓬鬢、末路英雄一卷書。」。皆同此意。

   *

これを少なくとも静山は、「餘」=余(袁枚)が幼き時に詠んだ「詠懷」という詩の一節との謂いで採っている。「餘幼」を詩人の名とも取れるが、よく判らぬ。「竹帛」(ちくはく)は「歴史に名を残すこと」を意味する。中国では紙の発明以前、竹簡や布帛に文字を記し、書(特に史書)を記したことに拠る。なお、T氏は上記の「隨園詩話」のそれが「唯」ではなく「惟」であることに着目され、静山は「唯」と記したものの、この字でよいかどうか疑問であったために、「〱」を圏点として附し、後で確認するつもりだったのではないかという推理をされておられる。また、「惟」ならば「ただ」ではなく、

飯(めし)每(ごと)に忘れず 惟(こ)れ 竹帛

で強調限定となり、その方が腑には落ちる。

「流亞なり」『杜甫のその〈仕官の文学〉〈士大夫の心意気を忘れない詩人〉としての流れを「亞」(つ)ぐものである(無論、定家もまた)』の謂いか。

◆やぶちゃんの追記

 私は当初、全体の解釈の内、杜甫と袁枚を静山が貶めた存在として批判したというトンデモない解釈をしていた。T氏の情報とその解釈への疑問の指摘を受けて、以上を全面的に書き改めた。これは恐らく、私が激しい短歌嫌いであり、これまた、特に、現実の凄惨な俗社会と超越して乖離していることを当然の立場としていた藤原定家を激しい嫌悪対象としていることに始まった曲解であったことは明白である。T氏に心より感謝申し上げるものである。

譚海 卷之三 柳澤吉保朝臣の事

 

柳澤吉保朝臣の事

○柳澤甲斐守吉保朝臣、其家中興の人にて、和歌をも殊に好(このま)れ、靈元(れいげん)法皇の勅點を賜(たまはり)たるほどの事なり。其妾(しやう)は正親町(おほぎまち)大納言殿妹にて、和歌有職(いうそく)に達し、松陰日記(まつかげにつき)とて筆記せるものあり。甲斐守殿生涯殊寵(しゆちやう)、幷(ならびに)度々(たびたび)御成ありし事、致仕に至るまでをしるしたり、源氏物語りの體(てい)を模し、秀才の筆也。

[やぶちゃん注:「柳澤吉保」(万治元(一六五九)年~正徳四(一七一四)年)は上野国館林藩士の長男として江戸に生まれた。延宝八(一六八〇)年、館藩主徳川綱吉が第五代将軍となると、つき従って幕臣となった。元禄元(一六八八)年十一月には小納戸上席から、将軍親政のために新設された側用人に就任した。やがて老中となり、宝永元(一七〇四)年十二月に綱吉の後継として甲府徳川家の綱豊が決まると、甲府十五万石を領する譜代大名となった。後、大老(宝永三(一七〇六)年一月)。文治政策を推進したが、綱吉の失政の責任を一身に負わされ、綱吉死後は六義園に隠棲した。後代の実録本やドラマ等では悪辣な策謀家との風評が流布したが、綱吉に誠実に仕え、その意に従った側近であり、家中に荻生徂徠らの学者を召し抱えて、自らも北村季吟について古今伝授を受けた和歌好きであった。

「靈元法皇」霊元天皇(承応三(一六五四)年~享保一七(一七三二)年/在位:寛文三(一六六三)年~貞享四(一六八七)年)は歌人で能書家でもあった。譲位後の期間が長い。また、法皇となったのは正徳三(一七一三)年八月であるが、彼が史上最後の法皇となった。

「其妾は正親町大納言殿妹」ウィキの「柳沢吉保」によれば、『吉保の正室は、幕府旗本で柳沢氏と同じく甲斐源氏の一族であった曽雌』(そし)『氏の子孫である曽雌定盛の娘(曽雌定子)。側室は吉保生母・了本院(佐瀬氏)の侍女。飯塚氏(飯塚染子)、公家・正親町実豊もしくは正親町公通』(きんみち)『の娘(正親町町子』(延宝三(一六七五)年?~享保九(一七二四)年)『)がいる』とあり、ウィキの「正親町町子」には、『歌人』にして『文学者』という肩書を添えてあり、『出自については権大納言・正親町実豊と側室の田中氏との間の娘とする説があり、正親町公通の異母妹とされる。一方で』、『正親町公通を実父とし、公通と水無瀬氏信の娘の間の子とする説もある』。十六歳で『江戸に下り、将軍徳川綱吉の側近である柳沢保明(のち吉保)の側室となる。一大名の側室としては家格が高すぎるため、母方の姓である田中氏を名乗ったという。吉保との間に柳沢経隆・柳沢時睦の二男がいる』。『町子の実父を正親町公通にする説に立つと、公通は霊元天皇の使者として』、『たびたび江戸へ赴いており、柳沢吉保は霊元天皇から和歌の添削を受け、六義園十二境を定められ』、『参禅録の題を授けられるなど、霊元天皇は吉保に文芸面において影響を及ぼしている』。『また、この場合に町子の母となる水無瀬氏信の娘は新上西門院房子(鷹司房子)の侍女として「常磐井」を名乗り、房子の伯母にあたる浄光院殿信子(鷹司信子)が将軍綱吉の御台所として江戸へ下向すると、常磐井は「右衛門佐局」と改名して信子に従』って『江戸へ赴き、江戸条大奥総取締役を務めている』。『このため、正親町公通を町子の実父とする説に立つと、町子はこうした両親の縁を背景に吉保の側室となったとも考えられている』。『なお、享保末年』(二一(一七三六)年)『以降に成立した』「柳営婦女伝系」では、『町子の出自について、右衛門佐局』((う)えもんのすけのつぼね 慶安三(一六五〇)年~宝永三(一七〇六)年:江戸前・中期の大奥女中(途中で紀州家に務めとして移っていた時期がある)。貞享四(一六八七)年に江戸城へ戻り、綱吉付き筆頭上﨟御年寄として大奥の総取締を担った)『の養子となった浪人の田中半蔵(のちに桃井内蔵助と改名)が後妻の姪を養女にしたもので、実父も分からない妓女であると記述されている』。『町子は公家的な教養を』持った『文学者としても知られ、吉保一代の半生を平安朝の』「源氏物語」に『倣って記した日記文学』「松蔭(まつかげ)日記(松家気(まつかげ))」を書いている。これは『江戸時代から秘本として知られて』いて、『江戸時代における宮廷文化の残滓として注目されている。「松家気(松かげ)」は松と松に絡みつき』、『花を咲かせる藤を指し、天皇や将軍・吉保など一連の人物を』、『松の木と藤に』喩え、『繁栄を願った意図があると考えられている』とある。]

大和本草卷之十三 魚之上 鱸 (スズキ)

 

河鱸 海鱸ト形狀同シ味甚美ナリ海鱸ニマサレリ夏

 秋尤多シテ味ヨシ其大者三四尺計其小者六七寸

 アルヲセイゴト云一尺内外ナルヲハクラト云甚美ナリ

 小者性カロシ中夏松江ノ鱸モ河鱸也長數寸本草

 ニイヘリセイゴトハ松江ナルヘシ

○やぶちゃんの書き下し文

河鱸〔(かはすずき)〕 海鱸〔(うみすずき)〕と形狀同じ。味、甚だ美なり。海鱸にまされり。夏・秋、尤も多くして、味、よし。其の大なる者、三、四尺計り[やぶちゃん注:九十一センチから一メートル二十一センチ。]。其の小なる者、六、七寸[やぶちゃん注:十八~二十一センチ。]あるを「せいご」と云ふ。一尺内外なるを「はくら」と云〔ひ〕、甚だ美なり。小者〔は〕性〔(しやう)〕、かろし。中夏〔(ちゆうか)〕、松江(だん〔ごう〕)の鱸も河鱸なり。長さ數寸と「本草」にいへり。「セイゴ」とは松江(せうごう)なるべし。

[やぶちゃん注:条鰭綱棘鰭上目スズキ目スズキ亜目スズキ科スズキ属スズキ Lateolabrax japonicus。多くの海水魚が分類学上、スズキ目 Perciformes に属することから、本スズキを海水魚と思っている方が多いが、海水域も純淡水域も全く自由に回遊するので、スズキは淡水魚であると言った方がよりよいと私は考えている(海水魚とする記載も多く見かけるが、では、同じくライフ・サイクルに於いて海に下って稚魚が海水・汽水域で生まれて川に戻る海水魚とは言わないし、海水魚図鑑にも載らないウナギ・アユ・サケ(サケが成魚として甚だしく大きくなるのは総て海でであり、後に産卵のために母川回帰する)を考えれば、この謂いはやはりおかしいことが判る。但し、生物学的に産卵と発生が純淡水ではなく、海水・汽水で行われる魚類を淡水魚とする考え方も根強いため、誤りとは言えない。というより、淡水魚・海水魚という分類は既に古典的分類学に属するもので、将来的には何か別な分類呼称を用意すべきであるように私には思われる)ウィキの「スズキ」によれば、『冬から春に湾奥(干潟、アマモ場、ガラモ場、砂浜海岸)や河口付近、河川内の各浅所で仔稚魚が見られ』、『一部は体長』二センチメートル『ほどの仔稚魚期から』、『純淡水域まで遡上する』。『この際、遡上前の成長がより悪い個体ほど』。『河川に遡上する傾向がある』。『仔稚魚は遊泳力が非常に弱いため、潮汐の大きな有明海では上げ潮を利用して』、『潮汐の非常に小さい日本海では塩水遡上を利用して河川を遡上する』。『若狭湾で、耳石の微量元素を指標にして調べた結果によれば』、『純淡水域を利用する個体の割合は』三『割強に上る』。『仔稚魚はカイアシ類や枝角類などの小型の生物から、アミ類、端脚類などの比較的大型の生物へとを主食を変化させながら成長』し、『夏になると』、『河川に遡上した個体の一部が』、五センチメートル『ほどになり』、『海に下る』。ところが、特に春から秋にかけての水温の高い時期には、本種の浸透圧調整機能も高いことから、成魚期以降でもかなりの個体が河川の純淡水域の思いがけない上流域まで遡上する(益軒が「夏・秋、尤も多くして」と叙述するのと合致する)。堰の無かった昔は、琵琶湖まで遡上する個体もいたとされるのである。但し、種としてのスズキは、冬には沿岸及び湾口部・河口などの外洋水の影響を受ける水域で産卵や越冬を行ない、また純淡水域のみでは繁殖は出来ない。則ち、少なくともライフ・サイクルの産卵・発生・出生期には絶対に海水・汽水域が必要なのである私自身、例えば、横浜市の戸塚駅直近の柏尾川(途中で境川に合流し江ノ島の北手前で相模湾にそそぐ。河口からは実測で十四キロメートル以上はある)で四十センチメートルを優に超える大きな成魚の数十尾以上の群れが遡上するのを何度も目撃している。以下に以上の生態上の事実を真面目に判り易く述べても、スズキを純粋に海の魚に決まってると思っている人はなかなか信じて呉れず(こういう頑なな人は存外、多い)、私の作った都市伝説だと思われる始末で、ほとほと困るのだが。

「河鱸〔(かはすずき)〕」「海鱸〔(うみすずき)〕と形狀同じ」当然です。同種ですから。益軒は同じ類の別種として見ていたようだが、上記のように現代人の多くが、「海の魚」と信じて疑わない事実に照らせば、遙かに益軒先生の方が「まとも」と言える。但し、条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目スズキ目スズキ亜目スズキ上科 Percoidea に属する、広義の「スズキ」の仲間で、海産のメバルによく似ている(事実、姿は海水魚にしか見えない)、

スズキ上科ペルキクティス科Percichthyidae オヤニラミ属オヤニラミ Coreoperca kawamebari

がいるから、「河鱸」ってえのはそれじゃないの? と言われる御仁もあろうが、そういうツッコミをされる方に限って私の過去記事を読んでいない。残念ながら、益軒先生は「オヤニラミ」をとうに本巻の別項で既に記載し終えているのである。「大和本草卷之十三 魚之上 水くり(オヤニラミ)」を参照されたい。従って、益軒がスズキとオヤニラミを混同している可能性はゼロである。

「六、七寸あるを「せいご」と云ふ。一尺内外なるを「はくら」と云」御存じの通り。スズキは出生魚で、地方によってサイズと呼称が異なる。

セイゴ(コッパ)→フッコ→スズキ→オオタロウ(ニュウドウ)

セイゴ→ハネ→スズキ(関西)

セイゴ→マダカ →ナナイチ→スズキ(東海)

ハクラコ→ハクラ→ハネ→スズキ(佐賀)

異名の詳細は「ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑」の「スズキ」のページの最後の「地方名・市場名」が詳しい。

「小者〔は〕性〔(しやう)〕、かろし」「カロシ」の「ロ」は底本も国立国会図書館デジタルコレクションの画像も確認したが、版本の刷りが悪く、読めなかった。ところが、瓢簞から駒で、次注の「松江(だん〔ごう〕)」の特殊な読みを調べる内、藤井統之氏の論文「松江と鱸」(平成二四(二〇一四)年・PDF)で電子化されてあるのを見出し、かく読めた。さて、「かろし」は「輕し」であろうが、これは思うに、味ではなく、身体性能のことを指しているのではないかと私は思う。ここでは小さな個体はと限定しているが、大型個体でもスズキはよくジャンプするのである。よく知られた話としては「平家物語」巻第一の「鱸」の末尾の一節である(引用は流布本に拠る)。

   *

 抑(そもそも)、平家かやうに繁昌せられけることは、偏へに熊野權現の御利生(ごりしゃう)とぞ聞こえし。その故は、淸盛未だ安藝守たりし時、伊勢阿濃津(あのつ)[やぶちゃん注:現在の三重県津市南部の地。]より、舟にて熊野へ參られけるに、大きなる鱸の船へ躍り入りたりければ、先達(せんだち)[やぶちゃん注:案内の水主(かこ)。]申しけるは、

「昔、周の武王の舟にこそ、白魚(はくぎよ)は、躍り入りたりけるなれ。如何樣(いかさま)にもこれは權現の御利生と覺え候ふ。參べし。」

と申しければ、さしも十戒(じつかい)を保ち、精進潔齋の道なれども、みづから調味てうび)して、わが身、食ひ、家子(いへのこ)・郎等(らうどう)どもにも食はせらる。その故にや、吉事(きちじ)のみ打ち續いて、わが身、太政大臣に至り、子孫の官途も、龍(りよう)の雲に上(のぼ)るよりは、猶ほ速(すみや)かなり。九代(くだい)の先蹤(せんじよう)を超え給ふこそ目出たけれ。

   *

水主の台詞にあるのは、「史記」の「周本紀」にある、

武王渡河、中流、白魚躍入王舟中、武王俯取以祭。

(武王、河を渡る。中流、白魚、躍りて王の舟中に入る。武王、俯(ふ)して取りて、以つて祭る。)[やぶちゃん注:「俯す」のは単なる動作ではなく、天に礼するさまを指すのであろう。]

とあるのに基づき、「十戒」は殺生・偸盗・邪淫・妄語・悪口(あっく)・両舌・綺語・貪欲・瞋恚(しんに)・愚癡)を戒めること。熊野詣でであるから、潔斎が肝要で、魚を食らうのは殺生戒を犯すことになる。

「中夏」夏の半ば。陰暦五月。グレゴリオ暦で五月下旬から七月上旬頃。

「松江(だん〔ごう〕)」島根県松江の宍道湖のこと。これを「だんごう」と読むのは、中国の地名に由来する。小学館「日本大百科全書」の「松江(市)」の解説に、地名「松江」の由来として、宝暦(一七五一年~一七六四年)年間に懸かれた地誌「雲陽大数録」によれば、『松江ト府名ヲ付ル事、圓成寺開山春龍和尚ノ作ナリ。唐土ノ松江鱸(ズンゴウすずき)魚ト蓴菜(じゆんさい)ト有ルガ故、名產トス。今、城府モ其(ソレ)松江ニ似タレバ、松江ト稱スト云々」とあり、スズキやジュンサイを産し、湖江に面し、風光明媚にして、中国の松江(しょうこう)に似たところから、近世初期に松江に本拠を定めた堀尾吉晴によって松江と命名されたといわれる、とある。「圓成寺」(えんじょうじ)は現在の松江市栄町にある臨済宗鏡湖山円成寺で(グーグル・マップ・データ)、「しまね観光ナビ」の同寺の記載によれば、慶長一六(一六一一)年、堀尾吉晴が『富田(とだ)城下(能義郡広瀬町)にあった城安寺を洗合(あらわい)(松江市国屋町)に移して瑞応寺』『とし、旧領遠州浜松から春龍を請じて開山とした。京極忠高が入国するに及び、瑞応寺』『をこの地に移し、堀尾忠晴の法号』「円成寺殿雲隠両州太守拾遺高賢世肖大居士」に『ちなんで、円成寺と改称した』とある寺である。さて、この『中国の松江(しょうこう)』或いは「松江(ずんごう)」というのは、「呉松江」(現代中国音音写:ウーソォンヂィァン)・「呉江」(同前:ウーヂィァン)のことと思われ、これは太湖の東岸の現在の江蘇省蘇州市呉江区附近のことかと思われる(グーグル・マップ・データ)。発音が違うじゃないか、と言われそうだが、多量の僧侶が亡命した南宋(一二七六年に元によって滅ぼされた)のあった広州で使用された広東語では「呉江」は「ンーゴォン」で「ズンゴウ」と発音が酷似するのである。

『長さ數寸と「本草」にいへり』李時珍の「本草綱目」の巻四十四の「鱗之三」の「鱸魚」には、

   *

[釋名]四鰓魚。時珍曰、黑色曰盧。此魚白質黑章、故名淞人名四鰓魚。

[集解]時珍曰、鱸出吳中、淞江尤盛、四五月方出。長僅數寸、狀微似鱖而色白、有黑點、巨口細鱗、有四鰓。楊誠齋詩頗盡其狀、云、鱸出鱸鄉蘆葉前、垂虹亭下不論錢、買來玉尺如何短、鑄出銀梭直是圓。白質黑章三四點、細鱗巨口一雙鮮。春風已有真風味、想得秋風更逈然。「南郡記」云、吳人獻淞江鱸鱠於隋煬帝。帝曰、金虀玉鱠、東南佳味也。

[氣味]甘平有小毒。宗奭曰、雖有小毒不甚發病。禹錫曰、多食、發痃癖瘡腫、不可同乳酪食。李廷飛云、肝不可食、剝人面皮。詵曰、中鱸魚毒者、蘆根汁解之。

[主治]補五臟、益筋骨、和腸胃、治水氣。多食宜人、作鮓尤良。曝乾甚香美(嘉定)。益肝腎(宗奭)。安胎補中作鱠尤佳(孟詵)。

   *

これを見てみると、時珍の言っているのは本当にスズキなのかどうか疑わしくなってくる。「肝不可食、剝人面皮」というのは高級脂肪酸やビタミンAの過剰摂取による症状で、大型の中・深海性魚類では肝臓だけでなく、身にも前者が含まれ、顔どころか全身がズル剥けになるのを想起させ、スズキらしくない。そんな疑問を解消してくれたのが、先の藤井統之氏の論文「松江と鱸」であった。そこに(一部の活字と記号を修正或いは変更・追加した)、

   《引用開始》

「本草」とは、明の著名な医家李時珍の『本草綱目』のことで1596年に南京で上梓されている。現代版本草の『中薬大辞典(1986)』には、≪李時珍は鱸が松江の四鰓魚 (杜父魚科松江鱸魚 Trachidermus fasciatus Heckel)だと見做しているが、その根拠とした“状は鱸魚にやや似て色白、黒点あり、巨口細鱗”等の特質は、まさに鮨科の鱸魚で、松江鱸魚ではない。≫とある。鮨はヒレか魚名のハタ。鮨科はSerranidae で、英和辞書ではスズキとあるが専門用語としてはハタ科となる。杜父魚科はカジカ科。中国語Wikipedia『維基百科』には≪松江鱸 Trachidermus fasciatus(ヤマノカミ、山の神(両者とも原文))≫とある。松江鱸=山の神であるが、中国が鱸形(スズキ)目 Perciformesであるのに対して、日本ではカサゴ目 Scorpaeniformes。松江鱸は明人が混同し、「綱目」は今もこれだから、益軒が戸惑うのも無理はない。益軒は筑前生まれの福岡藩士である。絶滅危惧種とされる山の神が今唯一棲む有明海に筑後川が流れ込む。筑後川上流の別称上座川に、川鱸これありと自著『筑前国続風土記』に載る。別項に杜父魚はハゼに似るという記述もある。山の神も見たに違いないが、目に山の神=松江鱸の図式なく、看過したようだ。「松江」命名者の見え方も益軒と同じであろう。ところでスズキ目の科レベルの多様化はジュラ紀と白亜紀との境界付近で起きたらしいから、鱸と松江鱸が分岐したのがその頃か、また山の神がカサゴ目なら恐竜時代か。

 『大和本草』から一世紀ほど下った小野蘭山(1729~1810)の『本草綱目啓蒙(1803)』巻四十に、「鱸魚 スジュキ スヾキ〔一名〕松江魚」という見出しで松江の名称の由来が書かれている。≪江鱸(寧波府志)ト云。正字通ニ、天下之鱸皆両鰓、惟松江鱸四鰓ト云。(……)然レドモ惟雲州松江鱸名産ナリ。味モマサレリ。(……)、雲州ノ鱸魚ヲ産スルコト尚シ。雲州ノ城下ヲ松江卜云、マタ呉松城トイフ。鱸魚ニヨリテ呉ノ松江ノ名ヲトレルモノナリ。≫(東洋文庫)既に江戸初中期を代表する碩学、新井白石(1657~1725)の覚書及び談話を編集した『白石先生紳書』巻七には、「今の松江の城をば縄張して鱸の名所也とて松江と名付しは甫庵也」の一文がある。甫庵とは松江城築造の全工程の指揮をとった参謀、小瀬甫庵(オセホアン)のことである。甫庵は儒医で武略文才の人。「甫庵版」と呼ばれる原書の刊行にも力を入れ、明の虞搏撰『新編医学正伝』などを出版(1597)。これは明の嘉靖刊本を、甫庵が最新技術の木活字をもって翻印したもので、『本草綱目』が南京で出版された翌年である。そこまで出版事情に通じた甫庵なら『本草綱目』(渡来 1607?)を「松江」命名の 1607 年(島田前掲書)までに入手し読んでいてもおかしくない。後に、『太閤記』や『信長記』という刊本のベストセラーを著わすほどの甫庵なら、漢籍に載る松江鱸やその逸話はもとより、本朝は『平家物語』巻一熊野詣の舟に飛び込んだ鱸の瑞兆譚に至るまで精通していたに違いない。

   《引用終了》

なお、勘違いしては困るのだが、ここに出た漢名「松江鱸」、則ち、標準和名「ヤマノカミ」は、中国大陸の黄海と東シナ海に流入する河川や朝鮮半島に分布するが、本邦では九州の有明海に注ぐ福岡・佐賀両県の河川だけに分布し、宍道湖にはいない。ここでハタ類が揚がってくると、先に私の言った中毒がばっちり当てはまるし、ハタ類には別に熱帯海洋性プランクトンが産生するシガテラ(ciguatera)毒もある。しかし、「ヤマノカミ」と「スズキ」は凡そ似ていないので、私はこれも益軒が混同している可能性はゼロであると私は考えている。

 さて、ここで「本草綱目」を引きながら、スズキを語った寺島良安の「和漢三才圖會 卷第四十九 魚類 江海有鱗魚」の「鱸」をも見ておこう(リンク先は私の電子化注。そこから訓読文のみを示す。古い電子化なので、少し手を加えておいた)。

   *

すずき   四鰓魚

ロウ

【和名、須々木。小なる者、波禰〔(はね)〕と名づく。尚を〔→ほ〕小さき者を世伊古〔(せいご)〕と名づく。】

「本綱」に、『鱸、凡そ黑色を盧〔(ろ)〕と曰ふ。此の魚、白質黑章、故に之れを名づく。淞江(スンコウ)、尤も盛んにして、四、五月、方〔(まさ)〕に出づ。長さ僅かに數寸。狀〔(かたち)〕・類、鱖(あさぢ)に似て、色、白く、黑點有り。巨〔(おほ)〕きなる口、細鱗、四つ〔の〕鰓有り。其の肝、食ふべからず。人の面皮を剥ぐ。

肉【甘、平。】 小毒有り【然れども甚だしくは病を發せず。但し、多食すべからず。】。鱸魚の毒に中〔(あた)〕る者〔には〕、蘆-根〔(だいこん)[やぶちゃん注:大根のこと。]〕汁、之れを解く。』と。

 「新六」          衣笠内大臣

  夕なぎに藤江の浦の入海に

     鱸釣りてふあまの乙女子

川鱸は脂多く、味、美なり。海鱸は脂少なく、味、淡し。其の三、四寸なる者、「世比古〔(せひご)〕」と稱し、六、七寸〔より〕尺に近き者、「波祢〔(はね)〕」と名づく。一尺以上二、三尺に至る者、「須受岐〔(すずき)〕」と名づく。諸國・四時共に、之れ、有り。雲州〔=出雲〕の松江に最も多くして、夏月、特に之れを賞す。

「古事記」に云ふ、『天孫降臨の時、事代主〔(ことしろぬし)〕、出雲國の小濵に於いて天御饗〔(あまつみあへ)〕を獻ずる時、櫛八玉〔(くしやだま)〕、鱸を釣りて、之れを獻じれりと云云。』と。

   *

以上には私の注も附してあるので参照されたいが、そこで私も既に(初公開は二〇〇七年)「本草綱目」の「鱸」を「スズキ」ではなく、「ヤマノカミ」に同定している

『「セイゴ」とは松江(せうごう)なるべし』先の藤井統之氏の論文「松江と鱸」では、『セイゴは出世魚スズキの幼少時の呼び名であるが、益軒は名前を松江』(セウゴウ)『から来たとする。小なる者であるが』、『鱸に変わりないと考えたのであろう』しかし、『松江鱸』(ここはヤマノカミを指す)『の大きさは』十五センチメートル『以下だから』、六、七『寸あるセイゴは大きすぎ』と述べておられる。]

2019/07/22

芥川龍之介 義仲論 藪野直史全注釈 / 三 最後 ~ 芥川龍之介「義仲論」正字正仮名正規表現・オリジナル注釈 完遂

 

      最 後

 

鳳闕の礎空しく殘りて、西八條の餘燼、未暖なる壽永二年七月二十六日、我木曾冠者義仲は、白馬金鞍、揚々として、彼が多年、夢寐の間に望みたる洛陽に入れり。超えて八月十日、左馬頭兼伊豫守に拜せられ、虎符を佩び皐比に坐し、號して旭日將軍と稱しぬ。今や、彼が得意は其頂點に達したり。彼は其熱望したるが如く遂に桂冠を頂けり。壽永の革命はかくして彼が凱歌の下に其局を結びたり。然りと雖も、彼と賴朝とが、相應呼して、獵し得たる中原の鹿は、果して何人の手中にか落ちむとする。若し彼にして之を得む乎、野心滿々たる源家の吳兒にして焉ぞ、手を袖にして、傍觀せむや。若し賴朝にして之を得む乎、固より火の如き血性の彼の默して止むべきにあらず。双虎一羊を爭ふ、彼等が劍を橫へて陣頭に相見る日の近きや知るべきのみ。しかも、シシリーに破れたるカルセーヂは、暫く蟄して大ローマの轅門に降ると雖も、捲土重來、幢戟南伊太利の原野に滿ちて、再カンネーに會稽の恥を雪がずンばやまず。鳳輦西に向ひて、西海に浮びたる平氏は、九州四國の波濤の健兒を糾合して、鸞旗を擁し征帆をかゝげ、更に三軍を從へて京師に迫るの日なくンばやまず。風雪將に至らむとして、氷天霰を飛ばす、義仲の成功と共に動亂の氣運は、再洪瀾の如く漲り來れり。

[やぶちゃん注:「鳳闕」「ほうけつ」。禁裏。漢代、宮門の左右にある高殿に銅製の鳳凰を飾ったところから王宮の門を指したものから転じた。瑞鳥鳳凰については私の「和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鳳凰(ほうわう)(架空の神霊鳥)」を参照されたい。

「壽永二年七月二十六日」治承七年。一一八三年。ユリウス暦八月十五日、グレゴリオ暦換算八月二十二日。この前日、七月二十五日に平家は都落ちしていた。

「夢寐」「(むび)「の間に」眠って夢を見ている間さえ。

「虎符」「こふ」。古代中国の虎の形に作った銅製の割符。参戦する将軍が兵を徴発する際の証明として天子から与えられた。

「皐比」「かうひ(こうひ)」。「皐」は虎、「比」は皮革の意で、原義は「虎の毛皮」。転じてそれを敷く将軍の座や地位を指す。

「旭日將軍」「征東大将軍」の異名。「二 革命軍」の最初の段落の「旭の出づる方」の私の注を参照。

「吳兒」三国時代の呉国の若者。後に出るように侵略する魏の曹操を美事に赤壁で破った若武者たち或いはそれを献策指揮した呉の軍師周瑜(当時三十三歳)で、ここは義仲を指す。ところが、筑摩書房全集類聚版注が、これを『頼朝をさす』としているのは甚だ不審である。ここは後の部分と対句表現になっているので、「若し彼にして之を得む乎……」は当然、「若し賴朝にして之を得む乎……」の対なのであって、屋上屋や畳掛けであろうはずがないのである。思うに注した人物は「傍觀せむや」に引かれて誤読したものと思われる。これは自分が京を無血開城したのに、それを源家嫡流にして東国で旗揚げをして東海道を西下して平家を滅ぼさんとしつつある頼朝の別働隊の配下扱いに成り下がって、これから後を「傍觀」していられるなどということは逆立ちしても出来る相談じゃない、と言っていると読むべきであろう。

「シシリー」(現在のイタリア共和国内の地中海最大の島であるシチリア島(イタリア語: Sicilia)のこと)「に破れたるカルセーヂは、暫く蟄して大ローマの轅門」(「ゑんもん」:軍門)「に降ると雖も、捲土重來、幢戟』(とうげき:軍旗と旗矛)『南伊太利の原野に滿ちて、再カンネーに會稽の恥を雪がずンばやまず」「カルセーヂ」は紀元前八一四年から紀元前一四六年まで、現在のチュニジア共和国の首都チュニスに程近い湖であるチュニス湖東岸にあった古代都市国家カルタゴ(ラテン語: Carthāgō 又は Karthāgō/英語: Carthage)のこと。カルタゴは強力な海軍力を有しており、その進出と覇権の拡大は、地中海中央部で確固たる勢力をもつギリシア・ローマとの対立を増大させ、特にカルタゴの玄関口に当たるシケリア(シチリア島)の覇権がその戦争の焦点となった。この「シケリア戦争」は実に紀元前六〇〇年から紀元前二六五年の間、継続的に戦われた。「シケリア戦争」はかなり複雑な経緯を辿っており、簡単には概要が摑めないが、ウィキの「シケリア戦争」を読む限り、芥川龍之介が言っているのは紀元前二一二にシケリアが完全に共和政ローマの属州となったことと、同時期から後の、ローマとカルタゴとの間で紀元前二一九年から紀元前二〇一年にかけて戦われた「第二次ポエニ戦争」に於いて、カルタゴの将軍ハンニバル・バルカ(「一 平氏政府」で既出既注)がイタリア半島の大部分を侵略し、多大な損害と恐怖をローマ側に残したことを言っている。「カンネー」アプリア地方(現在のイタリア南部のプッリャ州(Puglia))のカンナエ(カンネー(英語:Cannae))で、ここで紀元前二一六年八月二日に行われた、「第二次ポエニ戦争」における会戦の一つ「カンネー(カンナエ)の戦い」。ウィキの「カンナエの戦い」によれば、『ハンニバル率いるカルタゴ軍が、ローマの大軍を包囲殲滅した戦いとして戦史上』『名高』く、二『倍の敵を包囲・殲滅した衝撃的な勝利であった』とある。

「鳳輦」(ほうれん)屋形の上に金銅の鳳凰を飾りつけた輿。土台に二本の轅を通し、肩で担ぐ。天皇専用の乗り物で、通常は即位・大嘗会・節会など、晴れの儀式の行幸に用いた。なお、この時、後鳥羽天皇(治承四(一一八〇)年~延応元(一二三九)年/在位:寿永二(一一八三)年八月二十日~建久九(一一九八)年)が安徳天皇が退位しない状態で即位しているため、ここから元暦二/寿永四(一一八五)年三月二十四日の壇ノ浦での安徳の入水と平家滅亡までの一年七ヶ月の間、天皇が重複している。ここは無論、安徳天皇の載るそれを指す。

「鸞旗」(らんき)上記の飾りを施した天子の車駕に立てる旗。架空の瑞鳥「鸞」については私の「和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鸞(らん)(幻想の神霊鳥/ギンケイ)」を参照されたい。

「洪瀾」(こうらん)大波。]

 

然り、彼は成功と共に失敗を得たり。彼が粟津の敗死は既に彼が、懸軍長驅、白旗をひるがへして洛陽に入れるの日に兆したり。彼は、其勃々たる靑雲の念をして滿足せしむると同時に、彼の位置の頗る危險なるを感ぜざる能はざりき。彼は北方の强たる革命軍を率ゐて洛陽に入れり、而して、洛陽は、彼等が住すべきの地にはあらざりき。劍と酒とを愛する北國の健兒は、其兵糧の窮乏を感ずると共に、直に市邑[やぶちゃん注:「しいう(しゆう)」。]村落を掠略したり。彼等のなす所は飽く迄も直截にして、且飽く迄も亂暴なりき。彼等は、馬を靑田に放つて秣ふ[やぶちゃん注:「まぐさかふ」。]を憚らざりき。彼等は伽藍を壞ちて[やぶちゃん注:「こぼちて」。]、薪とするを恐れざりき。彼等は、彼等の野性を以て、典例と儀格とを重ンずる京洛の人心をして聳動せしめたり。而して天下は、彼等を指して「平氏にも劣りたる源氏なり」と嘲笑したり。是、實に彼が入洛と共に、蒙りたる第一の打擊なりき。しかも獨り彼等の狼藉に止らず、悍馬に跨り長槍を橫へ、圍を潰し將を斬るの外に、春雨に對して雲和を彈ずるの風流をも、秋月を仰いで洞簫を吹くの韻事をも解せざりし彼等は、彼等が至る所に演じたる滑稽と無作法とによつて、京洛の反感と冷笑とを購ひ得たり。

[やぶちゃん注:「粟津」現在の滋賀県大津市南部の地名。同市粟津町(あわづちょう)はここ(グーグル・マップ・データ)。

「聳動」(しようどう(しょうどう))恐れ動揺すること。

「圍を潰し」(ゐをつぶし)公私有地の垣を破って侵入し。

「平氏にも劣りたる源氏なり」「平家物語」では百二十句本の巻第八の「法住持合戦」の前に『平家に源氏はおとりたり』と出、「源平盛衰記」の「古 巻第三十三」の終りに『人倫の所爲とも覺ず、遙かに替へ劣りたる源氏也』(国立国会図書館デジタルコレクションではここ。右ページの最後から四行前)とある。但し、私は以前からこの乱暴狼藉には疑問を持っていた。今回、個人サイト「朝日将軍木曽義仲洛中日記」の『「平家物語」の木曽義仲軍の乱暴説は捏造』を拝読、溜飲が下がった。そこには、

   《引用開始》

 「平家物語」によると、木曽義仲軍は京都での乱暴などの悪評により、鎌倉の頼朝・義経軍に討たれた事になっている。九条兼実の日記「玉葉」にも義仲軍の乱暴の記述がある。しかし、九条兼実の弟で僧侶の慈円による歴史書「愚管抄」の記述には、平家軍の京都からの退却の時、平家屋敷に火事場泥棒が発生した。さらに法皇・貴族が比叡山に退避した時、一般市民などが互いに略奪した。そして義仲軍等の入京後は乱暴や略奪は無い。公家の日記「吉記」にも僧兵や一般市民などが放火や略奪をした記述がある。最近では二00三年イラクの首都に米軍が進攻し、フセイン軍が撤退した時や、被災地の治安が悪い時など、一般市民が略奪に走るのを見た。同様の略奪事件が起きたようだ。平家物語には、このような火事場泥棒や一般市民の略奪の記述は無い。

 「平家物語」は琵琶法師による庶民への語り物として広まった。その庶民の前で火事場泥棒や庶民の略奪を語る事は出来ない。木曽義仲軍の京都での乱暴説は「平家物語」の捏造(ねつぞう、作り話)であり、「玉葉」による伝聞の大袈裟(おおげさ)な表現による。真犯人は元平家軍将兵(後の鎌倉軍将兵)、僧兵、一般市民である。

 「平家物語」は多くの歴史研究者が指摘するように史書ではなく単なる文学作品である。例えば歴史小説の記述は事実かと問うのと同じである。平家物語では他の史料と比較して史実上のミス、又は創作が指摘されている。

 原作者は案外事実を忠実に記述したかもしれない。しかし琵琶法師の伝承の過程で、一般市民の略奪などの聴衆に不都合な場面は削除された。原作本が紛失し、後日、再度文書化されたときは、かなり史実と異なる諸本が多く残ったようである。

 「勝てば官軍、負ければ賊軍」の時代である。当時の権力者である鎌倉の頼朝や京都の朝廷の批判は困難である。負けた平清盛や木曽義仲だけが悪く、頼朝や義経は正しいと表現せざるを得ない。義経でさえ美男子だったかもしれないのに「色白で反っ歯の小男」と表現されている。もっともこれは最後まで義仲に味方した山本義経という武将の容貌が誤って伝えられた、又は、わざと誤報を流したという説もある。朝廷の後白河法皇や鎌倉の頼朝の良くない表現は当然有り得無い。

 歴史は勝者に都合の良いように記録される。敗者の善行は語られないが、勝者の善行は大いに語られる。敗者の悪事は大袈裟に捏造され語られるが、勝者の悪事は大事でも秘密にされる。

 後世の小説家や歴史解説者の多くが「平家物語」と「玉葉」の一部の記述を鵜呑(うの)みにして義仲軍だけが乱暴を働いたと解説しているが、実は平家物語や玉葉にも平家軍・頼朝軍ともに乱暴の記述がある。「吾妻鏡」には平家滅亡後、京都に駐留する鎌倉軍や義経追討の名目で全国に配置した「守護」「地頭」に任命された鎌倉武士の乱暴の記述が多数ある。

   《引用終了》

とあるのである。同サイトの「目次」の他の幾つかのページでは、具体的な資料を掲げてある(但し、現代語訳)ので一見をお薦めする。

「雲和」名琴(きん)の一種。「雲和材式」。「Facebook」の伏見无家氏の記事に(所属しなければ見られないのでリンクは張らない。引用元には図入りの漢籍の画像が添えられてある)、

   《引用開始》

雲和とは地名(今の中国浙江省麗水市に位置する雲和県)で、そこは最良の琴材を産出し、それで琴を作ればその音は清亮、すなわち透きとおってよく通るといいます。雲和の材で製した琴は、冬至の日に円形の壇(圜丘)にて奏する琴であり、また空桑(河南省東部、安徽省北部あたり)の地で製した琴は夏至の日に沢の中の四角い壇(方丘)にて奏し、龍門(河南省洛陽市)の材で製せられた琴は宗廟(みたまや)で奏す琴だということです。なぜなら雲和の木は天と相い応じ、空桑の木は大地と相い協[かな]い、龍門の木は鬼神と相い和すからです。雲和式琴の額の両脇にある丸については不明です。また徽の位置の意味についてもわかりません。これは琴の裏面の図ではないかと思います。かつて、唐代の詩人蕭祐[しょうゆう]はこの琴を弾きました。蕭祐、別名蕭祜[しょうこ]は琴の名手で書画にも精妙な作があり、名人高士の友人たちを集めてよく山林に遊んだ文人です。

   《引用終了》

とある。

「洞簫」(どうせう(どうしょう))。所謂、「簫の笛」。中国・朝鮮の縦笛で、指孔は前面五孔・背面一孔。竹管の上端の一部を内側に斜めに削(そ)いでエッジとした縦笛で、外側に削ぐ日本の尺八とはエッジの附け方が相違している。長短種々あり、短いものは「短簫」という。唐代にはこれを「尺八」と称し、それが日本の古代の尺八(正倉院現存)の先駆である。近世日本の尺八を「洞簫」と雅称することがある(「ブリタニカ国際大百科事典」)。以上の記載を考えると、筑摩書房全集類聚版注の『尺八の類』というのは正しい注とは言えない。

「韻事」(ゐんじ(いんじ))詩歌を作って楽しむ風流な遊び。]

 

加ふるに此時に當りて西海に走れる平軍は、四國の健兒を麾いて[やぶちゃん注:「さしまねいて」。]、瀨戶内海の天塹に據り、羽林の鸞輿を擁するもの實に十萬餘人。赤旗將に八島の天に燃えむとす。平氏は、眞に海濤の勇士なりき。「坂東武者は馬の上にてこそ口はきき候へども、船軍をば、何でふ修練し候ふべき、たとへば魚の木に上りたるにこそ候はむずらめ」とは、彼等が僞らざる自信なりき。而して平門の周郞たる、新中納言知盛は、絕えず宗盛を擁して、囘天の大略を行はむと試みたりき。是、豈、彼が勁敵の一たるなからむや。内にしては、京洛の反感をかひ、外にして平氏の隆勢に對す、かくの如くにして革命軍の將星は、秋風と共に、地に落つるの近きに迫り來れり。彼が嘗つて、北越七州の男兒を提げ、短兵疾驅、疾風の威をなして洛陽に入るや、革命軍の行動は眞に脫兎の如く神速なりき。而して翠華西に向ひて革命軍の旗、翩々[やぶちゃん注:「へんぺん」。]として京洛に飜るや、其平氏に對する、寧ろ處女の如くなるの觀を呈したりき。

[やぶちゃん注:「天塹」(てんざん)敵の攻撃を防ぐに足る天然の塹壕様の凹地形や堀のこと。

「羽林」近衛中将・少将の唐名。

「鸞輿」(らんよ)先の「鳳輦」と同じく天子の乗る輿。

「坂東武者は馬の上にてこそ口はきき候へども、船軍をば、何でふ修練し候ふべき、たとへば魚の木に上りたるにこそ候はむずらめ」「平家物語」巻第十一の「遠矢」での、平家方の藤原悪七兵衛景清の台詞。かなり近い流布本(この後がじきに「先帝入水」である)を示す。

   *

「それ坂東武者は、馬の上にてこそ、口はきき候はんずらめ、船軍(ふないくさ)をば、いつ調練し候ふべき。譬へば、魚の木に上つたるにこそ候はんずらめ。一々に取つて、海に漬けなんものを。」

   *

「周郞」三国時代の呉の名将周瑜(しゅうゆ 一七五年~二一〇年)の渾名。字は公瑾。廬江 (安徽省) の人。早くから孫権に従った。二〇八年、華北をほぼ平定した曹操が南下しようとした際、呉では降伏論が盛んであったが、瑜は戦いを主張し、軍を率いて曹操の大軍を赤壁で破った(「赤壁の戦い」)。さらに逃げるのを追って南郡を平定し、南郡太守に任ぜられている。後、孫権に益州(四川)攻略の計を献じて入れられたが、事が進まぬうちに病に倒れた(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠る)。

「處女の如くなる」恥じらう乙女のように手控えに動かなくなる。]

 

彼は自ら三軍を率ゐて平氏を征するを欲せざりき。何となれば、彼を疎んじたる朝廷の密謀は、彼を抑ふるに源兵衞佐を以てせむとしたれば也。彼は之が爲に、其後を襲はるゝを恐れたれば也。しかも、彼が北陸宮をして、天日の位につけ奉らむと試みしより以來、彼と快からざる後白河法皇は、賴朝に謳歌して彼を除かむと欲し給ひしを以て也。彼が馬首西を指して、遠駕、平賊と戰ふ能はざりしや、知るべきのみ。然れども、院宣は遂に彼をして、征西の軍を起こして、平氏を水島に討たしめたり。北陸の健兒由來騎戰に長ず、鐵兜三尺汗血の馬に鞭ちて、敵を破ること、秋風の落葉を拂ふが如くなるは、彼等が得意の擅場[やぶちゃん注:「せんじやう」。]也。彼等は日本のローマ戰士也。彼等は山野の霸王也。然りと雖も、水上の戰に於ては、遂にカルセーヂたる平氏が、獨特の長技に及ばざりき。恰も長江に養はれたる、吳の健兒が、赤壁に曹瞞八十萬の大軍を鏖殺し、詩人をして「漢家火德終燒賊」と歌はしめたるが如く、瀨戶内海に養はれたる波濤の勇士は、遂に、連勝の餘威に乘じたる義仲の軍鋒を破れり。源軍首を得らるゝもの三千餘級、白旄地に委して、平軍の意氣大に振ふ。彼が百勝將軍の名譽は、此一敗によつて汚されたり。彼は、更に精鋭を率ゐて平軍と雌雄を決せむと欲したり。然れども、彼は、賴朝の大擧、彼が背を討たむとするを聞きて危機既に一髮を容れざるを知り、水島の敗辱を雪ぐに遑[やぶちゃん注:「いとま」。]あらずして、倉皇として京師に歸れり。是實に壽永二年十一月十五日、法住寺の變に先つこと僅に三日。彼は京師に歸ると共に、直に賴朝に應戰せむと試みたり。

[やぶちゃん注:「三軍」古兵法で先陣・中堅・後拒、又は左翼・中軍・右翼を指す兵法用語であるが、転じて全体の軍隊。全軍。

「北陸宮」(ほくろくのみや 永万元(一一六五)年又は仁安二(一一六七)年~寛喜二(一二三〇)年)は本名未詳であるが、以仁王の第一王子である。ウィキの「北陸宮」によれば、治承四(一一八〇)年五月、『父が平氏との合戦で敗死すると、出家して乳母の夫・讃岐前司重秀に伴われて越前国へ逃れた。以仁王の王子である宮には追っ手がかかる可能性があったが』、九『月には信濃国で以仁王の令旨をかかげた木曾義仲が挙兵』し、『宮はその庇護を受けるかわりに、義仲軍の「錦の御旗」に奉じられることとなった。義仲は越中国宮崎に御所をつくらせると、そこで宮を還俗させると同時に元服させた。この知らせには鎌倉の源頼朝も動揺したようで、これに対抗して意図的に「以仁王は生存しており』、『鎌倉で匿われている」という流言を広め』たりしている。寿永二(一一八三)年七月、『平家を都落ちさせた義仲の軍勢がついに入京を果たした』が、『この軍中に北陸宮の姿はなく、宮はこの頃』、『加賀国に滞在していた。義仲は親しかった俊堯僧正を介し』、『宮を皇儲』(こうちょ:天皇の世継ぎ)『にと後白河法皇に働きかけたが、法皇はこれに耳を傾けること』なく、八月二十日に『安徳天皇の異母弟・四ノ宮を皇位に即けた(後鳥羽天皇)』。宮は九月十八日に『なって京都に入り、法皇とともに法住寺殿に身を寄せていたが、義仲が』「法住寺合戦」に『踏み切る前日の』十一月十八日に逐電、その後は『行方知れずとなった』。『宮が再びその姿をみせるのは』二『年後の文治元年』(一一八五年)十一月の『ことで、頼朝方の庇護のもとに帰洛を果たしている。法皇に賜源姓降下を願ったが』、『許されず、その後』、『嵯峨野に移り住んで中御門宗家の女子を室に迎えた。後に土御門天皇の皇女を養女にし、持っていた所領の一所を譲ったという』とある。義仲の後白河への進言は実は論理的には非常に正当である。しかし、法皇も公卿も一人としてそれを聴かなかった。山猿としか思っていない義仲ふぜいが皇嗣を云々することに激しい忌避感を感じたからであろう。

「天日の位」(てんじつのくらゐ)天皇(日継ぎ)の位。

「水島」寿永二年閏十月一日(ユリウス暦一一八三年十一月十七日)に源義仲軍と平氏軍との間で現在の備中国水島(現在の倉敷市玉島)で行われた「水島の戦い」。ウィキの「水島の戦い」によれば、『当時、平氏軍の拠点は讃岐の屋島にあった。平氏を追討するため』、寿永二(一一八三)年九月二十日に『義仲軍は都を出発して屋島方面へ進軍していったが』、この日、『四国へ渡海する前に、水島付近で平氏軍に敗れた。義仲軍を率いていたのは、義仲の同族である武将足利義清・足利義長兄弟と海野幸広(海野氏)であ』ったが、『平氏は、軍船同士をつなぎ合わせ、船上に板を渡すことにより、陣を構築した。源平両軍の船舶が接近し、互いに刀を鞘から抜いて、今にも白兵戦を始めようかという時、平氏の射手が義仲軍へ矢を浴びせかけて戦闘が開始した。平氏軍は船によく装備された馬を同乗させており、その軍馬とともに海岸まで泳いで上陸した。最終的に平氏軍は勝利し、義仲軍は足利義清・海野幸広の両大将や足利義長(義清の弟)、高梨高信、仁科盛家(仁科氏)といった諸将を失い』、『壊滅、京都へ敗走することになった。この勝利により』。『平氏軍は勢力を回復し、再入京を企て摂津福原まで戻り』、「一ノ谷の戦い」を『迎えることとな』った。『なお、この戦いの最中に』九十五%『ほど欠けた金環食が起こったことが、「源平盛衰記」等の資料によって確認されて』おり、『当時、平氏は公家として暦を作成する仕事を行っていたことから、平氏は日食が起こることを予測しており、それを戦闘に利用したとの説がある』という。

「鐵兜三尺」(てつとう/さんじやく)この「三尺」(九十センチ)は「三尺の秋水(しゅうすい)」(「秋水」は研ぎ澄まされた刀身」の光沢の意)で刃長(はちょう:柄を含めず鍔から先の刀身部分)が約九十一センチメートルある大刀の意であろう。現代の分類では刃長六十センチメートル以上のもの「太刀」と称し、それ以下は太刀として作られたものでも「脇差」と呼ぶ。

「汗血の馬」(かんけつのうま)駿馬が走る際、血のような汗を流すとされるところから「駿馬」の意。

「カルセーヂたる平氏」既に注で述べた通り、カルタゴは強力な海軍力で地中海の覇権を握っていた。一方、平氏も前段で芥川龍之介が引用しているように、『清盛は、若い頃から西国の国司を歴任し、父から受け継いだ西国の平氏勢力をさらに強化していた。大宰大弐を務めた時は日宋貿易に深く関与し、安芸守・播磨守を務めた時は瀬戸内海の海賊を伊勢平氏勢力下の水軍に編成して瀬戸内海交通の支配を強めていった』(ウィキの「平氏政権」より引用)経緯があって、やはり優れた水軍としての能力集団を擁していたのである。「驕る平氏」やら、壇ノ浦に至るまでのイメージを哀れな潰滅的敗走といった認識で押さえてしますと、とんだ誤りをしでかす。

「曹瞞」(さうまん(そうまん))は曹操の幼名。これを使うこと自体が、驕った曹操を卑下してるいることは言うまでもない。

「鏖殺」(あうさつ(おうさつ))皆殺しにすること。

「漢家火德終燒賊」清の詩人袁枚(えんばい 一七一六年~一七九七年:詩は格式に捉われず、自己の感懐を自由に表現すべきものとする「性霊(せいれい)説」を主張した。「随園食単」で食通としても知られる)の七律「赤壁」の一節。

   *

 赤壁

一面東風百萬軍

當年此處定三分

漢家火德終燒賊

池上蛟龍竟得雲

江水自流秋渺渺

漁燈猶照荻紛紛

我來不共吹簫客

烏鵲寒聲靜夜聞

 一面の東風 百萬の軍

 當年此の處 三分を定む

 漢家の火德 終(つひ)に賊を燒き

 池上の蛟龍 竟(つひ)に雲を得たり

 江水 自ら流れ 秋 渺渺(べうべう)

 漁燈 猶ほ照す 荻 紛紛(ふんぷん)

 我れ來りて共にせず 吹簫(すゐせう)の客

 烏鵲(うじやく)の寒聲 靜夜に聞く

   *

訳は個人ブログ「一五一会の音色に乗せて」の「長江紀行、赤壁を想う」がよい。

「地に委して」地に捥(も)ぎ捨てられて。

「法住寺の變」寿永二年十一月十九日(ユリウス暦一一八四年一月三日)、義仲が院御所であった法住寺殿(ここ(グーグル・マップ・データ)。三十三軒堂の東隣り)を襲撃して北面武士及び僧兵らと戦って後白河法皇と後鳥羽天皇を幽閉、政権を掌握した軍事クーデタである「法住寺合戦」。ウィキの「法住寺合戦」より、事件に至る経緯(かなり長い)の一部を省略して引く。義仲入城後の京中の騒擾や治安悪化に業を煮やした後白河は十九日に『義仲を呼び出し、「天下静ならず。又平氏放逸、毎事不便なり」』『と責めた。立場の悪化を自覚した義仲はすぐに平氏追討に向かうことを奏上し、後白河は自ら剣を与え』、『出陣させた。義仲にすれば、失った信用の回復や兵糧の確保のために、なんとしてでも戦果を挙げなければならなかった』。その『義仲の出陣と入れ替わるように、関東に派遣されていた使者・中原康定が帰京する。康定が伝えた頼朝の申状は、「平家横領の神社仏寺領の本社への返還」「平家横領の院宮諸家領の本主への返還」「降伏者は斬罪にしない」と言うもので、「一々の申状、義仲等に斉しからず」』『と朝廷を大いに喜ばせるものであった。その一方で頼朝は、志田義広が上洛したこと、義仲が平氏追討をせず』、『国政を混乱させていることを理由に、義仲に勧賞を与えたことを「太だ謂はれなし」と抗議した』。これを受けて十月九日、『後白河は頼朝を本位に復して赦免』、十四『日には寿永二年十月宣旨を下して、東海・東山両道諸国の事実上の支配権を与え』た。『ただし、後白河は北陸道を宣旨の対象地域から除き、上野・信濃も義仲の勢力圏と認めて、頼朝に義仲との和平を命じた』。『高階泰経が「頼朝は恐るべしと雖も遠境にあり。義仲は当時京にあり」』『と語るように、京都が義仲の軍事制圧下にある状況で義仲の功績を全て否定することは不可能だった。頼朝はこの和平案を後白河の日和見的態度と見て、中原康定に「天下は君の乱さしめ給ふ(天下の混乱は法皇の責任だ)」と脅しをかけ』、『義仲の完全な排除を求めて譲らなかった』。『一方、義仲は西国で苦戦を続けていた。閏』十月一日の「水島の戦い」では『平氏軍に惨敗し、有力武将の矢田義清を失う。戦線が膠着状態となる中』、『義仲の耳に飛び込んできたのは、頼朝の弟が大将軍となり』、『数万の兵を率いて上洛するという情報だった』、『義仲は平氏との戦いを切り上げて、閏』十月十五日『に少数の軍勢で帰京する。義仲入洛の報に人々の動揺は大きく「院中の男女、上下周章極み無し。恰も戦場に交るが如し」』『であったという。後白河と頼朝の橋渡しに奔走していた平頼盛はすでに逃亡しており』、『親鎌倉派の一条能保・持明院基家も相次いで鎌倉に亡命した』。『義仲の帰京に慌てた院の周辺では、義仲を宥めようという動きが見られた。藤原範季は「義仲は、法皇が頼朝と手を結んで自分を殺そうとしているのではないかと疑念を抱いている。義仲の疑念を晴らすため、また平氏追討のために法皇は播磨国』(この時義仲の西討本陣が置かれていた)『に臨幸すべきである」という案を出す』。『高階泰経・静憲も賛同するが、この案が実行に移されることはなかった』。同二十日、『義仲は君を怨み奉る事二ヶ条として、頼朝の上洛を促したこと、頼朝に寿永二年十月宣旨を下したことを挙げ、「生涯の遺恨」であると後白河に激烈な抗議をした』。『義仲は、頼朝追討の宣旨ないし御教書の発給』、『志田義広の平氏追討使への起用を要求するが、後白河が認めるはずもなかった。義仲の敵はすでに平氏ではなく』、『頼朝に変わっていた』。この前日の十九『日の』義仲側の『源氏一族の会合では』、『後白河を奉じて関東に出陣するという案が飛び出し』、二十六『日には興福寺の衆徒に頼朝討伐の命が下された』。『しかし、前者は行家、源光長の猛反対で潰れ、後者も衆徒が承引しなかった。義仲の指揮下にあった京中守護軍は瓦解状態であり、義仲と行家の不和も公然のもの』であった。十一月四日、『義経の軍が布和の関(不破の関)にまで達した。義仲は頼朝の軍と雌雄を決する覚悟をしていたが』、七『日になって義仲を除く行家以下の源氏諸将が院御所の警護を始める。頼朝軍入京間近の報に力を得た院周辺では、融和派が逼塞し』、『主戦派が台頭していた』。「愚管抄」に『よると、北面下臈の平知康・大江公朝が「頼朝軍が上洛すれば義仲など恐れるに足りない」と進言したという。特に知康は伊勢大神宮の託宣を受けたと称するなど』、『主戦派の急先鋒だった』。八『日、院側の武力の中心である行家が、重大な局面にも関わらず』、『平氏追討のため』、『京を離れた。後白河と義仲の間には緊迫した空気が流れ、義仲は義経の手勢が少数であれば入京を認めると妥協案を示した』。十六『日になると、後白河は延暦寺や園城寺の協力をとりつけて』、『僧兵や石投の浮浪民などをかき集め、堀や柵をめぐらせ』、『法住寺殿の武装化を進めた。摂津源氏の多田行綱、美濃源氏の源光長らが味方となり、圧倒的優位に立ったと判断した後白河は義仲に対して最後通牒を行う。その内容は「ただちに平氏追討のため』に『西下せよ。院宣に背いて頼朝軍と戦うのであれば、宣旨によらず』、『義仲一身の資格で行え。もし京都に逗留するのなら、謀反と認める」という、義仲に弁解の余地を与えない厳しいものだった』。『これに対して義仲は「君に背くつもりは全くない。頼朝軍が入京すれば戦わざるを得ないが、入京しないのであれば西国に下向する」と返答した。兼実は「義仲の申状は穏便なものであり、院中の御用心は法に過ぎ、王者の行いではない」としている』。『義仲の返答に後白河がどう対応したのかは定かでないが』、十七『日夜に八条院』、翌日には『上西門院、亮子内親王が法住寺殿を去り、北陸宮も逐電、入れ替わるように』、『後鳥羽天皇、守覚法親王、円恵法親王、天台座主・明雲が御所に入っており、義仲への武力攻撃の決意を固めたと思われる』。十九日午の刻(午後零時頃)、『兼実は黒煙を天に見た。申の刻(午後』四『時頃)になって入った情報は「官軍悉く敗績』(はいせき:敗れて今までの功績を失う意。戦いに敗れること)『し、法皇を取り奉り了んぬ。義仲の士卒等、歓喜限り無し。即ち法皇を五条東洞院の摂政亭に渡し奉り了んぬ」というもので、兼実は「夢か夢にあらざるか。魂魄退散し、万事覚えず」と仰天した。この戦いで、明雲、円恵法親王、源光長・光経父子、藤原信行、清原親業、源基国などが戦死した』。「吉記」は『「後に聞く」として「御所の四面、皆悉く放火、其の煙偏に御所中に充満。万人迷惑、義仲軍所々より破り入り、敵対するあたわず。法皇御輿に駕し、東を指して臨幸。参会の公卿十余人、或いは馬に鞍し、或いは匍這う四方へ逃走。雲客以下其の数を知らず。女房等多く以て裸形」と戦場の混乱を記している。記主の吉田経房は「筆端及び難し」と言葉を濁しているが、慈円は』「愚管抄」に『明雲・円恵法親王について詳細に記している。兼実は「未だ貴種高僧のかくの如き難に遭ふを聞かず」』『と慨嘆し』ている。院御所の襲撃は「平治の乱」で『前例があるが、藤原信頼の目的はあくまで信西一派の捕縛だった。今回の襲撃は法皇自らが戦意を持って兵を集め、義仲もまた法皇を攻撃対象とし、院を守護する官軍が武士により完膚なきまでに叩き潰されたと言う点でかつてないものであり、およそ』この四十年後の「承久の乱」に『先駆けるものであった』。十一月二十(或いは二十一)日、『五条河原で源光長以下百余の首がさらされ、義仲軍は勝ち鬨の声を挙げ』、二十一日、『義仲は松殿基房と連携して「世間の事松殿に申し合はせ、毎事沙汰を致すべし」』『と命じ』、二十二日には『基房の子・師家を内大臣・摂政とする傀儡政権を樹立した。基房は師家の摂政就任を後白河に懇願して断られた経緯があり』、『娘の伊子を義仲に嫁がせて復権を狙っていた』のであった。二十八日、『新摂政・師家が下文を出し、前摂政・基通の家領八十余所を義仲に与えることが決定された。これについて兼実は「狂乱の世なり」としている』。『同日、中納言・藤原朝方以下』四十三人が解官されている、とある。]

 

此時に於て、彼をして此計畫の斷行を止めしめしものは、實に、十郞藏人行家の反心なりき。行家はもと賴朝と和せずして、義仲の軍中に投ぜしもの、情の人たる義仲は、一門の長老として常に之を厚遇したり。彼が北陸の革命軍を提げて南を圖るや、行家亦、鑣[やぶちゃん注:「くつわ」。]を彼と並べて進みたりき。彼が、緋甲白馬、得々として洛陽に入るや、行家亦肩を彼と比して朝恩に浴したりき。行家の義仲に於ける交誼かくの如し。而して多恨多淚、人の窮を見る己の窮を見るが如き、義仲は、常に行家を信賴したり。信賴したるのみならず、帷幄の密謀をも彼に漏したり。然れ共、行家は、一筋繩ではゆかぬ老奸雄なりき。彼は革命軍の褊裨を以て甘ぜむには、餘りに漫々たる野心と、老狐の如き姦策とに富みたりき。彼は、義仲の法皇を擁して北越に走らむとするを知るや、竊に之を法皇に奏したり。而して法皇の、人をして、義仲を詰らしめ給ふや、彼は平氏追討を名として、播磨國に下り、舌を吐くこと三寸、義仲の命運の窮せむとするを喜びたりき。義仲が相提携して進みたる行家は、かくして彼の牙門を去れり。しかも、東國を望めば、源軍のリユーポルト、九郞義經は、源兵衞佐の命を奉じて、帶甲百萬、鼓聲地を撼して[やぶちゃん注:「ゆるがして」。]將に洛陽にむかつて發せむとす。彼の悲運、豈、憫むべからざらむや。

[やぶちゃん注:「行家」(永治元(一一四一)年から康治二(一一四三)年頃~文治二(一一八六)年)は何度か注しているが、ここで再度、注しておく。源為義の子で、頼朝の叔父に当たる(頼朝より四~七歳ほど、義仲より十一~十四歳ほど年上)。本名は義盛。「保元の乱」で父為義が敗れて後、熊野新宮に隠れ、新宮十郎と称した。治承四(一一八〇)年、以仁王を奉ずる源頼政に召し出され、名を行家と改め、山伏姿となって諸国の源氏に以仁王の令旨を伝えた。まもなく、以仁王と頼政は敗北し、行家は尾張・三河などで兵を結集し、平氏と戦った。鎌倉の頼朝に所領を請うたが、いれられず、やがて行家は義仲と結んだ。義仲とともに入京して後白河法皇に謁し、従五位下備前守となった。しかしその後、義仲と対立するに至り、紀伊に退いた。平氏滅亡後は頼朝と不和となった源義経に味方し、頼朝追討の宣旨を得た。自ら出陣した頼朝に対して、西海に赴こうと義経ともども摂津大物浦(兵庫県尼崎市)をたったが、大風にあって遭難、和泉に隠れたが、翌年、関東の討手常陸房昌明(しょうみょう)に攻められ、赤井河原で斬られた(小学館「日本大百科全書」に拠る)。

「褊裨」(へんぴ)大将の補佐。副将 。

「リユーポルト」イングランドの軍人で初代カンバーランド公及び初代ホルダネス伯ルパート(Prince Rupert 一六一九年~一六八二年)。プファルツ選帝侯兼ボヘミア王フリードリヒⅤ世と妃エリザベス・ステュアート(イングランド王ジェームズⅠ世(スコットランド王ジェームズⅥ世)の娘)の三男としてボヘミア王国のプラハに生まれた。後、イングランドに渡り、王党派(騎士党)の中心的存在となり、清教徒革命(イングランド内戦)では叔父チャールズⅠ世率いる国王軍の指揮官を務めた。但し、形勢不利となり、議会派との和睦を主張したが、徹底抗戦を貫くチャールズⅠ世から遠ざけられ、一六四六年に大陸へ戻っている(一六六〇年に共和政が終わってチャールズⅡ世の王政復古がなるとイングランドに戻り、そこで亡くなった。詳しくは参照したウィキの「ルパート(カンバーランド公)」を見られたい)。]

 

かくの如くにして彼は步一步より、死地に近づき來れり。然れ共彼は猶、防禦的態度を持したりき。彼は猶從順なる大樹なりき。然り、彼は猶、陰謀の挑發者にあらずして、陰謀の防禦者なりき。しかも、彼をして、弓を法皇にひかしめたるは、實に、法皇の義仲に對してとり給へる、攻擊的の態度に存したりき。而して、法皇をして義仲追討の擧に出でしめたるは、輕佻、浮薄、無謀の愚人、嘗て義仲の爲に愚弄せられたるを含める斗筲の豎兒、平判官知康なりき。事を用ふるを好み給へる、法皇は、知康の暴擧に贊し、竊に、南都北嶺の僧兵及乞食法師辻冠者等をして、義仲追討の暴擧に與らしめ[やぶちゃん注:「あづからしめ」。]給へり。而して十一月十八日仁和寺法親王、延曆寺座主明雲、亦武士を率ゐて法住寺殿に至り、遂に義仲に對するクーデターは行はれたり。法皇は事實に於て、義仲に戰を挑み給へり。彼の前には唯、叛逆と滅亡との兩路を存したり。燃ゆるが如くなる、血性の彼にして、焉ぞ手を袖して誅戮を待たむや。彼は憤然として意を決したり、あらず、意を決せざるべからざるに至れる也。彼は劍を按じて絕叫したり。「いかさまこは鼓判官がきようがいと覺ゆるぞ。軍能うせよ、者共。」而して白旗直に法住寺殿を指し、刀戟霜の如くにして鐵騎七千、稻麻の如く御所を圍み亂箭を飛ばして、天臺座主明雲を殺し、院側の姦を馘るもの[やぶちゃん注:「くびきるもの」。]一百十餘人、其愛する北國の勇士、革命の健兒等をして凱歌を唱へしむる、實に三たび。木曾の野人のなす所はかくの如く不敵にして、しかもかくの如く痛激なり。彼は其云はむと欲する所を云ひ、なさむと欲する所を爲す、敢て何等の衒氣なく何等の矯飾なかりき。然り彼は不軌の臣也、然れども、彼は不軌の何たるかを知らざりし也。

[やぶちゃん注:「斗筲」(とさう/としやう(とそう/としょう))。一斗を入れる枡と、一斗二升を入れる竹の器の意で、転じて「度量の狭いこと。器量の小さいこと」を謂う。

「平判官知康」(生没年未詳)は北面の武士。壱岐守平知親の子。検非違使・左衛門尉。鼓の名手で「鼓の判官(ほうがん)」と呼ばれた。参照したウィキの「平知康」によれば、『北面武士で、後白河院の信任篤く近臣となる』。『義仲が』『入京すると、法皇の使いとして幾度か義仲を訪れている』。「平家物語」では『兵の乱暴狼藉を鎮めるよう求めたところ、義仲から「和殿が鼓判官といふは、万(よろず)の人に打たれたか、張られたか」と尋ねられて面食らい、法皇に義仲討伐を進言したとされる』。『知康は院御所の法住寺殿に兵を集めて、公然と義仲に対決姿勢を示した。法皇方は義仲に洛外退去を要求し、応じねば追討の宣旨を下すと通告した。怒った義仲は』、『法住寺殿を攻撃、知康が防戦の指揮を執るが、さんざんに敗れて、後白河院は義仲に捕らえられ』、『幽閉されてしまった』。『敗れた知康は解官される』。元暦二(一一八五)年には『検非違使に復官、在京していた源義経に接近』したが、『平家滅亡後に、源頼朝と義経が不和になり、義経が都落ちすると、知康は再び解官されてしまう』。元暦三(一一八六)年、『この弁明のために鎌倉へ下向すると』、第二代将軍『源頼家の蹴鞠相手として留め置かれ、その側近とな』った。十七年後の建仁三(一二〇三)年、『頼家が追放され』、『伊豆国修禅寺に幽閉されると、知康は』帰京を命ぜられている。その後の事蹟は不明。

「仁和寺法親王」守覚法親王(しゅかくほっしんのう 久安六(一一五〇)年~建仁二(一二〇二)年)。父は後白河天皇。真言宗仁和寺第六世門跡。永暦元(一一六〇)年に覚性入道親王に師事して出家、仁安三(一一六八)年、伝法灌頂。翌嘉応元年、覚性入道親王が没した跡を継ぎ、仁和寺門跡に就任した。高倉天皇の第一皇子言仁親王(後の安徳天皇)誕生の際には出産の祈禱を行っている。建仁二(一二〇二)年、仁和寺喜多院で死去した。和歌に優れ、家集に「守覚法親王集」「北院御室御集」がある。また、仏教関係の著書多く、日記「北院御日次記」も残る。「平家物語」「源平盛衰記」の「経正都落」の条には、平経正が都落ちの際、仁和寺に立ち寄り、先代覚性法親王より拝領した琵琶「青山」を返上した折り、別れを惜しみ、歌を交わした記事が残る(以上はウィキの「守覚法親王」に拠った)。

「延曆寺座主明雲」(みょううん 永久三(一一一五)年~寿永二(一一八四)年)は天台座主で六条・高倉・安徳各天皇の護持僧、後白河天皇・平清盛の戒師。父は源顕通で、梶井門跡最雲法親王の弟子となった。仁安二(一一六七)年、快修を追放して天台座主となる。安元三(一一七七)年四月、後白河上皇の近臣藤原師光(後の西光)の子で加賀国国司であった藤原師高と弟の目代師経が、白山中宮涌泉寺を焼いたことから、白山の本寺延暦寺衆徒が日吉・白山神輿を奉じて、師高・師経と師光の追放を迫り、朝廷は師高を尾張国に配流したが、擾乱のかどで明雲の座主職を解任し、知行寺務を没収、還俗の上、伊豆国に流罪とした。護送中、瀬田の辺りで延暦寺衆徒の手で奪回されたが、直後に「鹿ケ谷の謀議」の露見が発生、西光・師高が処刑されたため、流罪は沙汰止みとなり、明雲は大原に籠居した。治承三(一一七九)年十一月、清盛が院の近臣の官を解き、院政を停止すると、同時に明雲は僧正に任ぜられ、再び座主に就任、同四年には四天王寺別当、養和元(一一八一)年には白河六勝寺別当となり、同二年、大僧正に任じられた。後白河上皇の法住寺殿に参内中、義仲の兵の流れ矢に当たり、没した。「平家の御持僧」(「愚管抄」)と称され、清盛の信任厚く、内乱時に延暦寺の反平氏勢力を抑える役割を果たしたが、平氏の盛衰とともに運命を共にした形となった(以上は「朝日日本歴史人物事典」に拠った)。なお、既に注で述べた通り、在任中の天台座主が殺害されたのは明雲が最初である。

「遂に義仲に對するクーデター」(フランス語:coup d'État:一般には暴力的な手段の行使によって引き起こされる支配階級内部での政変闘争事態を指す。フランス語で「国家に対する一撃」を意味し、発音はカタカナ音写するなら「クゥ・デタ」である。私は昔から「クーデタ」と表記することにしている。ここで面白いのは芥川龍之介の謂いである。現行、一般な史的記載では「法住寺合戦」は〈義仲のクーデタ〉として記される。しかし、この経緯を仔細に見るとき、後白河が義仲に反意を持ち、一方的に兵を集め固めて臨戦態勢を成したによって、正規に認められた将軍である義仲が自身を敵視する不条理なその行動に対処せざるを得なくなったのであり、クーデタを起こしたのは、芥川の言う通り、義仲ではなく、後白河側なのである。少なくともこの認識で読まないと、後もおかしくなるので注意されたい。

「いかさまこは鼓判官がきようがい」(凶害:讒言)「と覺ゆるぞ。軍能うせよ、者共。」「平家物語」巻第八「法住寺合戦」の義仲出陣の際の一節。纏まりの良い「百二十句本」で示すと、

   *

 すでに院の御氣色あしうなるよし聞こえしかば、今井の四郞兼平、木曾殿に申しけるは、

「さればとて、十善の帝王に向かひまゐらせて、いかでか弓をひかせ給ふべき。ただ兜をぬぎ、弓をはづし、降人(かうにん)に參らせ給へかし。」[やぶちゃん注:「十善の帝王」は後白河法皇を指す。前世で十の善を成した者はその果報で帝王となれるとされた。]

と申せば、木曾殿のたまひけるは、

「われ、信濃の國橫田川の軍(いくさ)よりはじめて、北國・礪波・黑坂・志保坂・篠原・西國にいたるまで、度々(どど)のいくさにあひつれども、いまだ一度も敵にうしろを見せず。『十善の帝王にてましませば』とて、義仲、降人にえこそは參るまじけれ。これは鼓判官が凶害(きようがい)とおぼゆるぞ。あひかまへてその鼓め、打ち破つて捨てよ。」

とぞのたまひける。

   *

芥川龍之介の「軍能うせよ、者共」の部分は、流布本の台詞の最後に、

「……打ち破つて捨てよ。且(かつう)は兵衞佐賴朝が還り聞かんずる所[やぶちゃん注:伝え聞くであろうこと。]もあり。軍(いくさ)、ようせよ、者ども。」

とある。

「不軌」法律や規則などに従わないこと、或いは、謀反を企てること。無論、後者。]

 

今や彼は、劍佩の響と共にクーデターに與りたる[やぶちゃん注:「あずかりたる」。]卿相四十餘人の官職を奪ひ、義弟藤原師家をして攝政たらしめ、賴朝追討の院宣と征夷大將軍の榮位とを得、壯心落々として賴朝と戰はむと欲したり。然れ共彼が此一擧は、遂に盜を見て繩を綯ふ[やぶちゃん注:「なふ」。]に類したりき。魚に臨ンで網を結ぶに類したりき。何となれば、反心を抱ける行家は、既に河内によりて義仲に叛き、九郞義經の征西軍は早くも尾張熱田に至り、鎌倉殿の號令一度下らば、「白日秦兵天上來」の勢を示さむとしたれば也。是に於て彼は懼然として恐れたり。出でて賴朝と戰はむ乎、水島室山の戰ありてより連勝の餘威を恃める平氏が、龍舟錦帆、八島を發し鸞輿を擁して京洛に入らむとするや、火を見るよりも明也。退いて洛陽に拒守せむ乎、鞍馬の頑兒と、蒼髯の老賊とが、鼙鼓を打つて來り迫るや知るべきのみ。彼の命運や窮したり。勇名一代を震撼したる旭日將軍もかくして、日一日より死を見るの近きにすゝめり。しかも、彼の平氏に對して提したる同盟策が、濶達勇悍の好將軍知盛によつて、拒否せらるゝや、彼が滅亡は漸く一彈指の間に迫り來れり。

[やぶちゃん注:「義弟藤原師家」松殿師家(まつどのもろいえ 承安二(一一七二)年~嘉禎四(一二三八)年)。ウィキの「松殿師家」を引く。関白『松殿基房の三男。官位は正二位・内大臣、摂政』。『母方の花山院家は後白河院・平清盛の双方と繋がりがあり、両者の勢力均衡の上に立って大きな影響力を保持していた。その花山院家への配慮から、父・基房は師家を三男ながら正嫡として遇しており、治承』三(一一七九)年には僅か』八『歳にして権中納言に補任される。しかし、これは師家の従兄である近衛基通を超越しての昇進であり、摂関家の正統な後継者を基通から師家に変更することを意味する措置であった。基通の父近衛基実は平清盛の娘の平盛子と婚姻しており、基実の死後は盛子を名義人として清盛が摂関家領を管理していた。盛子の死後は』、『やはり清盛の女婿である基通を通じて摂関家領の管理を継続することを望んでいた清盛が』、『この人事に激怒したことが、治承三年の政変のもっとも重大な契機となった。基房・師家父子は官職を奪われ、基房は出家に追いこまれた。基房が務めていた関白には基通が補任された』。四『年後の』寿永二(一一八三)年、『平家西走と源義仲の上洛という局面を迎えると、基房は失地回復のための行動に打って出る。娘(藤原伊子とされる)を義仲の正室として差し出して姻戚関係を結び』、『同年』十一『月、摂政基通を解任し、僅か』十二『歳の師家を後任の摂政とした』。『しかし翌年』一『月、源範頼・義経らと戦って義仲が滅亡すると、基房一族は再び失脚してしまう。師家は在任数ヶ月にしてその地位を失って退隠し、以降』、『官に復することもなかった』。

「賴朝追討の院宣と征夷大將軍の榮位とを得」「法住寺合戦」の翌月十二月一日、義仲は院御厩別当となり、左馬頭を合わせて、軍事の全権を掌握し、同十日には、源頼朝追討の院庁下文を発給させ、形式上の官軍の体裁を整えた。寿永三(一一八四)年一月六日、鎌倉軍が墨俣(すのまた)を越えて美濃国へ入ったという噂を聞き、恐懼した彼は、同月十五日、自らを「征東大将軍」(「征夷大将軍」ではないことは既注済み)に任命させている(ウィキの「源義仲」に拠る)。

「壯心落々」この「落々」は「心が広くゆったりとして小事に拘らないさま」の意。

「白日秦兵天上來」筑摩書房全集類聚版注は出典未詳とするが、これは晩唐の詩人許渾(きょこん 七九一年~八五四年?)の「楚宮怨 二首」の「其一」の結句である。

   *

  楚宮怨 二首

 其一

十二山晴花盡開

楚宮雙闕對陽臺

細腰爭舞君沉醉

白日秦兵天上來

 其二

獵騎秋來在内稀

渚宮雲雨溼龍衣

騰騰戰鼓動城闕

江畔射麋殊未歸

   *

戦国時代、楚が秦に圧迫されて衰微し、紀元前二二三年に滅びた、それを懐古するもの。「白日 秦兵 天上より來たる」と訓じておく。

「懼然」「くぜん」。怖れるさま。

「室山の戰」寿永二(一一八三)年十一月二十八から二十九日に播磨国室山(現在の兵庫県たつの市御津町(みつちょう)室津(むろつ)(グーグル・マップ・データ)の港の背後にある丘陵)でそこに陣を張った平氏軍に対し、源行家軍が攻撃して敗れた戦い。

「鞍馬の頑兒」義経。

「蒼髯の老賊」行家。

「彼の平氏に對して提したる同盟策が、濶達勇悍の好將軍知盛によつて、拒否せらるゝ」驚天動地の内容だが、これは既に「一 平氏政府」の「弓矢とる身のかりにも名こそ惜しく候へ」で電子化した「源平盛衰記」の「榎巻 第三十四」の「木曾平家に与(くみ)せんと擬(ぎ)す竝びに維盛歎き事」の冒頭部である。しかし、事実とは到底、思えない。当時の状況を総合的に冷静に見て仮想してみても、今の今までさんざん殺戮し合った義仲軍と平家軍が合作するというのは、これ、実現しようがないと私は思う。]

 

壽永三年正月、彼が、股肱の臣樋口次郞兼光をして行家を河内に討たしむるや、兵を用ふること迅速、敏捷、元の太祖が所謂、敵を衝く飢鷹の餌を攫むが如くなる、東軍の飛將軍、源九郞義經は、其慣用手段たる、孤軍長驅を以て、突として宇治に其白旄をひるがへしたり。同時に蒲冠者範賴の大軍は、潮の湧くが如く東海道を上りて、前軍早くも勢多に迫り、義仲の北走を拒がむ[やぶちゃん注:「ふせがむ」。]と試みたり。根井大彌太行親、今井四郞兼平、義仲の命を奉じて東軍を逆ふ。其勢實に八百餘騎、既にして兩軍戈[やぶちゃん注:「ほこ」。]を宇治勢多に交ふるや、東軍の精鋭當るべからず。北風競はずして義仲の軍大に破れ、士卒矛をすてて走るもの數百人、東軍の軍威隆々として破竹の如し。是に於て壯士二十人を從へて法皇を西洞院の第に守れる彼は、遂に法皇を擁して北國に走り、捲土重來の大計をめぐらすの外に策なきを見たり。而して彼、法皇に奏して曰「東賊、既に來り迫る、願くは龍駕を擁して醍醐寺に避けむ」と、法皇從ひ給はず。彼憤然として階下に進み劍を按じ眦[やぶちゃん注:「まなじり」。]を決して、行幸を請ふ、益々急。法皇止む事を得ずして將に六馬行宮[やぶちゃん注:「あんぐう」。]を發せむとす。時に義仲の騎來り報じて曰「東軍既に木幡伏見に至る」と。彼、事愈危きを知り、遂に一百の革命軍を從へて、決然として西洞院の第を出でぬ。赤地の錦の直垂に唐綾縅の鎧きて、鍬形うつたる兜の緖をしめ、重籐の弓のたゞ中とつて、葦毛の駒の逞しきに金覆輪の鞍置いて跨つたる、雄風凛然、四邊を拂つて、蹄聲戞々、東に出づれば、東軍の旗幟既に雲霞の如く、七條八條法性寺柳原の天を掩ひ戰鼓を打ちて閧をつくる、聲地を振つて震雷の如し。義仲の勢、死戰して之に當り、且戰ひ、且退き、再、院の御所に至れば、院門をとぢて入れ給はず、行親等の精鋭百餘騎、奮戰して悉く死し、彼遂に圍を破つて勢多に走る、從ふもの僅に七騎、既にして、今井四郞兼平敗殘の兵三百餘を率ゐて、粟津に合し、鑣[やぶちゃん注:「くつわ」。]をならべて北越に向ふ。時實に壽永三年正月二十日、粟津原頭、黃茅蕭條として日色淡きこと夢の如く、疎林遠うして落葉紛々、疲馬頻に嘶いて悲風面をふき、大旗空しく飜つて哀淚袂を沾す[やぶちゃん注:「うるほす」。]。嘗て、木曾三千の健兒に擁せられて、北陸七州を卷く事席[やぶちゃん注:「むしろ」。]の如く、長策をふるつて天下を麾ける[やぶちゃん注:「さしまねける」。]往年の雄姿、今はた、何處にかある。嘗て三色旗を陣頭に飜して加能以西平軍を破ること、疾風の枯葉を拂ふが如く、緋甲星兜、揚々として洛陽に入れる往年の得意、今、はた、何處にかある。而してあゝ、翠帳暖に春宵を度るの處、膏雨桃李花落つるの時、松殿の寵姬と共に、醉うて春に和せる往年の榮華、今はた、何處にかある。是に於て彼悵然として兼平に云つて曰「首を敵の爲に得らるゝこと、名將の恥なり、いくさやぶれて自刄するは猛將の法なりとこそ聞き及びぬ」と、兼平答へて曰「勇士は食せずして饑ゑず、創を被りて屈せず、軍將は難を遁れて勝を求め死を去つて恥を決す、兼平こゝにて敵を防ぎ候はむ、まづ越前の國府迄のがれ給へ」と、然れども多淚の彼は、兼平と別るゝに忍びざりき。彼は彼が熱望せる功名よりも、更に深く彼の臣下を愛せし也。而して行く事未幾ならず[やぶちゃん注:「いまだいくばくならず」。]、東軍七千、喊聲を上ぐること波の如く、亂箭を放ち鼙鼓を打つて、彼を追ふ益々急也。彼、兼平を顧み決然として共に馬首をめぐらし、北軍三百を魚鱗に備へ長劍をかざして、東軍を衝き、向ふ所鐵蹄縱橫、周馳して圍を潰すこと數次、東軍摧靡[やぶちゃん注:「さいび」。]して敢て當るものなし。然れ共從兵既に悉く死し僅に慓悍、不敵の四郞兼平一騎を殘す、兼平彼を見て愁然として云つて曰「心靜に御生害候へ、兼平防矢仕りてやがて御供申すべし」と、是に於て、彼は、單騎鞭聲肅々、馬首粟津の松原を指し、從容[やぶちゃん注:「しようよう」。]として自刄の地を求めたり。しかも乘馬水田に陷りて再立たず、時に飛矢あり、颯然として流星の如く彼が内兜を射て鏃[やぶちゃん注:「やじり」。]深く面に入る。而して東軍の士卒遂に彼を鞍上に刺して其首級を奪ふ。兼平彼の討たるゝを見て怒髮上指し奮然として箭八筋に敵八騎を射て落し、終に自ら刀鋒を口に銜み[やぶちゃん注:「ふくみ」。]馬より逆[やぶちゃん注:「さかさま」。]に落ちて死す。

[やぶちゃん注:「壽永三年正月」一一八四年。この四月十六日に元暦に改元。但し、平家方ではこの元号を使用せず、寿永を引き続き、使用。

「股肱」(ここう)「股」は「腿」、「肱」は「肘(ひじ)」で「手足」の意。主君の手足となって働く、最も頼りになる家来や部下。腹心。

「樋口次郞兼光」(?~元暦元年二月二日(ユリウス暦一一八四年三月十五日/グレゴリオ暦換算三月二十二日))は義仲の育て親中原兼遠の次男。今井兼平の兄。義仲四天王の一人。ウィキの「樋口兼光」によれば、『信濃国筑摩郡樋口谷(現・木曽町日義)に在して樋口を称した』。『乳母子として義仲と共に育ち、弟の兼平と共に忠臣として仕え』、『義仲挙兵に従って各地を転戦』、「倶利伽羅峠合戦」『などで重要な役割を果たし』、寿永二(一一八三)年七月、『義仲と共に入京』、九月に『後白河法皇の命により、義仲は水島の戦いで西国へ下るが、京の留守を兼光に命じ、法皇の監視に当たらせている。法皇と義仲が対立した』「法住寺合戦」(同年十一月十九日(一一八四年一月三日))『で法皇を拘束するなど義仲軍の中心人物として活躍した』。元暦元(一一八四)年正月、『義仲に離反した源行家』『を討伐するため、河内国石川へ出陣するが、その間に鎌倉軍が到着し、敗れた義仲は粟津の戦いで討ち死にした。翌日、義仲の死を知った兼光は京へ戻る道中で源義経の軍勢に生け捕られた』。二十六日、『義仲らの首と共に検非違使に身柄を引き渡され』、二月二日に『斬首された』。「吾妻鏡」に『よれば、兼光は武蔵国児玉党の人々と親しい間であったため、彼らは自分達の勲功の賞として兼光の助命を訴え、義経が朝廷に奏聞したが、兼光の罪科は軽くないとして許されなかったという』以下に「平家物語」巻第九の「樋口被斬」に於ける『兼光の最期の様子を記す』。『樋口は源行家を紀伊国名草に向かっていたが、都に戦ありと聞いて取って返したところ、大渡の橋で今井兼平の下人に会い、木曾義仲も兼平も既にこの世にないことを知った。樋口は涙を流し、「これを聞きたまえ方々、主君に志を思い参らす人々は、これより早くいづこへも落ち行き、いかような仏道修行をもして、主君の菩提を弔いたまえ。兼光は都へ上り討ち死にし、冥途でも主君に面謁し、今井をももう一度みたいと思うためである」と述べて都へ上った。鳥羽離宮の南の門を過ぎるときに、その勢はわずか二十余騎になっていた。その後、何とか命ばかりは助けようと考える児玉党の説得に応じ、児玉党に降った。源範頼と義経は院に伺いをたてたところ、院中の公卿、局の女房、女童までも「木曾が法性寺を焼き滅ぼし、多くの高僧が亡くなったのは今井と樋口によるものであり、これを助けることは口惜しい」と述べたため』、『死罪が決まった。義仲と他五人の首が大路を渡される際、供をつとめることを頻りに申し出、藍摺の直垂と立烏帽子の姿で従い、その次の日に斬られた』とある。

「をして行家を河内に討たしむるや」「河内」ではなく、紀伊でなくてはいけない。ここは「討たせに行かせた」の意。この時に行家は討たれてはいないので注意(それは筆者芥川龍之介も承知している。後文で判る)。行家は既に注した通り、義仲と離反した後は紀伊に退いた。平氏滅亡後、今度は頼朝と対立した義経に協力し、頼朝追討の院宣を得、さらに四国の地頭に補せられるも、文治二(一一八六)年、頼朝に追われ、隠れ住んだ和泉で捕まり、殺されている。

「元の太祖」チンギス・カン(漢字:成吉思汗 一一六二年~一二二七年)。

「源九郞義經」(平治元(一一五九)年~文治五年閏四月三十日(一一八九年六月十五日)。享年三十一歳。敢えて注したのは前の注と並ぶからである。私は同一人物説は都市伝説の類いとして退けるものの、義経が大陸へ渡航して逃げた可能性は否定出来ないとは考えている。しかし、当時のかの地での造船・操船技術では辿り着くことが出来ずに難破した可能性が大であるとも思っている。ウィキの「義経=ジンギスカン説」はかなり詳しい。

「蒲冠者範賴」(かばのかじや(かじゃ)のりより 久安六(一一五〇)年?~建久四(一一九三)年?)は義朝の六男。頼朝の異母弟にして義経の異母兄。ウィキの「源範頼」によれば、『遠江国蒲御厨(現静岡県浜松市)で生まれ育ったため蒲冠者(かばのかじゃ)、蒲殿(かばどの)とも呼ばれる。その後、藤原範季に養育され、その一字を取り「範頼」と名乗る。治承・寿永の乱において、頼朝の代官として大軍を率いて源義仲・平氏追討に赴き、義経と共にこれらを討ち滅ぼす大任を果たした。その後も源氏一門として、鎌倉幕府において重きをなすが、のちに頼朝に謀反の疑いをかけられ』、『伊豆国に流された』。最後の部分は、建久四(一一九三)年五月二十八日、富士の巻狩りの晩に「曾我兄弟の仇討ち」が起こった際、鎌倉に『頼朝が討たれたとの誤報が入ると、嘆く政子に対して範頼は「後にはそれがしが控えておりまする」と述べた。この発言が頼朝に謀反の疑いを招いたとされる。ただし』、『政子に謀反の疑いがある言葉をかけたというのは』「保暦間記」にしか『記されておらず、また』、『曾我兄弟の事件と起請文の間が二ヶ月も空いている事から、政子の虚言、また陰謀であるとする説もある』。八月二日、『範頼は頼朝への忠誠を誓う起請文を頼朝に送る。しかし頼朝はその状中で範頼が「源範頼」と源姓を名乗った事を過分として責めて許さず、これを聞いた範頼は狼狽した』。十『日夜、範頼の家人である当麻太郎が、頼朝の寝所の下に潜む。気配を感じた頼朝は、結城朝光らに当麻を捕らえさせ、明朝に詰問を行うと』、『当麻は「起請文の後に沙汰が無く、しきりに嘆き悲しむ参州(範頼)の為に、形勢を伺うべく参った。全く陰謀にあらず」と述べた。次いで範頼に問うと、範頼は覚悟の旨を述べた。疑いを確信した頼朝は』、『十七日に範頼を伊豆国に流した』(「吾妻鏡」)。八月十七日、『伊豆国修禅寺に幽閉され』たが(この起請文の経緯は「北條九代記 範賴勘氣を蒙る 付 家人當麻太郎」の私の注で「吾妻鏡」を引用しながら詳しく見てあるので是非、参照されたい)、「吾妻鏡」では『その後の範頼については不明』で、「保暦間記」などに『よると誅殺されたという。ただし、誅殺を裏付ける史料が無いことや子孫が御家人として残っていることから』(以下略。それを根拠とした仮説はリンク先を読まれたい)、謀殺説は怪しく、没年も不明である。

「勢多」現在の滋賀県瀬田(グーグル・マップ・データ)。

「根井大彌太行親」「二 革命軍」の私の注の中で既注。

「今井四郞兼平」仁平二(一一五二)年~寿永三(一一八四)年:義仲より二歳年上)は私の注では何度も出たが、ここで注しておく。ウィキの「」を引く。『父は中原兼遠。木曾義仲の乳母子で義仲四天王の一人。兄に』先に注した『樋口兼光、弟に今井兼光、妹に』義仲の妾となった女武将『巴御前がいる』(但し、これは「源平盛衰記」の記載。「源平闘諍録」(「平家物語」読み本系の異本の一つ。特異的に漢文表記)では樋口次郎兼光の娘としており、これらは後代に設定されたものであり、彼女は単に女丈夫の召使いと考えるべきである。なお今一人、款冬(やまぶき)という女性もいたが、こちらは倶利伽羅合戦で討ち死にしたとされる)。『信濃国今井』『の地を領して今井を称した』。『義仲の乳母子として共に育ち、兄の兼光と共に側近として仕える』。義仲の『挙兵に従い、養和元』(一一八一)年五月の「横田河原の戦い」で城助職を破り、寿永二(一一八三)年の「般若野の戦い」「倶利伽羅合戦」「篠原の戦い」で平氏軍を破って、『義仲と共に入京』、十月、「福隆寺縄手の戦い」で平家方の妹尾兼康を破った。十一月、『後白河法皇と義仲が対立した法住寺合戦では、兼平・兼光兄弟の活躍が著しかった。元暦元』(一一八四)年一月二十日、『鎌倉軍に追われ』、『敗走する義仲に従い』、「粟津の戦い」で討ち死にした義仲の後を追って自害した』。享年三十三であった』。『その壮絶な最期は、乳兄弟の絆の強さを示す逸話として知られる』。「平家物語」の『「木曾殿最期」の段の義仲と兼平の最期は、悲壮美に満ちている。また、この場面の兼平の矛盾した言い方や、「弓矢取りは、年頃日頃如何なる高名候へども、最後に不覚しぬれば、永き瑕(きず)にて候なり。(武士は、常日頃からいかなる名誉を得たとしても、最後に不覚を取っては、後世長い間にわたり名に傷がつきます)」の武士たる心構えを伝える言に、その情況に応じての、兼平の義仲への苦しいいたわりの気持ち、美しい主従の絆が書かれている』。『「日頃は何とも覚えぬ鎧が、今日は重うなったるぞや(いつもは何ともない鎧が、きょうは重くなったぞ)」と言う義仲に対し』、『「それは御方(みかた)に続く勢が候はねば、臆病でこそさは思し召し候らめ。兼平一騎をば、余の武者千騎と思し召し候べし。ここに射残したる矢七つ八つ候へば、暫く防矢(ふせぎや)仕り候はん。あれに見え候は、粟津の松原と申し候。君はあの松の中へ入らせ給ひて、静に御自害候へ(それは殿に続く軍勢がないので、臆病になられたのでしょう。兼平一騎を、殿の武者千騎と思ってくださいませ。ここに矢の七本や八本が残ってございますので、これでしばらくは防ぎ矢を放つこともできましょう。あちらは粟津の松原と申します。殿はあの松原の中に入られ静かに御自害なさいませ)」と述べ』、『義仲が「所々で討たれんより、一所でこそ討死もせめ(ばらばらで討ち死にするより、一緒に討ち死にしよう)」と言うと』、『「弓矢取りは、年頃日頃如何なる高名候へども、最後に不覚しぬれば、永き瑕(きず)にて候なり。御身も労(つか)れさせ給ひ候ひぬ。御馬も弱って候。云ふ甲斐なき人の郎等に組み落とされて、討たれさせ給ひ候ひなば、さしも日本国に鬼神と聞こえさせ給ひつる木曾殿をば、某が郎等の手に懸けて、討ち奉ったりなんぞ申されん事、口惜しかるべし。唯』だ『理』(り)『を枉』(ま)『げて、あの松の中に入らせ給へ(武士は、常日頃からいかなる名誉を得たとしても、最後に不覚を取っては、後世長い間にわたり名に傷がつきます。殿はお疲れでございます。御馬も弱ってございます。ふがいない者が郎党に組み落とされて、討たれたりしたら、さしも日本国に鬼神と言われた木曽義仲を、だれかの郎党の手にかかって討ち取ったりと言われることは悔しいことです。そこは無理を承知であの松原にお入りくださいませ)」と述べた』。『義仲が討たれると、「今は誰をかかばはんとて、軍をばすべき。これ見給へ、東国の殿ばら、日本一の剛の者の自害する手本よ(いまは誰をかばうために戦をすべきであろうか。東国の武士どもよ、これを見よ。日本一の剛の者の自害の仕方よ)」と言い、太刀の先を口の中に含み、馬上から飛び降り、太刀に貫かれ』、『自害した』。『(現代語簡訳:戦前は義仲に「武士らしく強気になれ」と助言をし、戦中は死を共にしようとする義仲に「疲れているのだから潔く自害しなさい」と冷静に助言し、義仲が自害する時間稼ぎをした。義仲が討ち取られたと知った直後、「東国の方々、これが日本一の強者の自害する手本だ」と言った。)』(ウィキの筆者は流布本を参考にしているようである)。

「逆ふ」「さかふ」と読んでおく。敵として対峙する。

「東軍の精鋭當るべからず」鎌倉方である東軍の精鋭が取り立てて先陣に出るまでもなかく。

「北風」北から南へ進撃する鎌倉方の比喩。

「壯士二十人を從へて……」筑摩書房全集類聚版注には、『この部分からは「大日本史」の構文を敷衍し』、『適当に書きかえてある』とある。これは「巻之二百三十」の「列伝第百五十七 叛臣四」の冒頭の「義仲」のここ(国立国会図書館デジタルコレクション。左ページ最終行)から次の次のコマ(間に兄兼光の条を挟む)の左ページの兼平の条(同ページ十二行目まで)が相当部である但し、この国立国会図書館デジタルコレクション版は全漢文で返り点のみ附されたものである。芥川龍之介は飾るに、「平家物語」の巻第九「兼平」の知られた名文「木曾の最後」(授業でよくやったよねぇ)の前後も効果的に使用している。

「西洞院の第」筑摩書房全集類聚版注に、『京都』の『西洞院の屋敷。大膳大夫成忠の宿所』とする。「大膳大夫成忠」は平業忠(永暦元(一一六〇)年~建暦二(一二一二)年)。ウィキの「平業忠」によれば、父『信業』(のぶなり)『と共に後白河法皇に院近臣として仕え』、治承二(一一七八)年、『従五位下に叙爵されるが、法皇と平清盛の対立による』「治承三年の政変」で解官されている。寿永二(一一八三)年の法皇と源義仲の対立による「法住寺合戦」の後は、この『六条西洞院の業忠の邸が法皇の御所とされた。「平家物語」「河原合戦」の章段では』、業忠が、『義仲によって法皇が幽閉された御所内から土塀に登って様子をうかがい、源義経率いる鎌倉源氏軍が来たことに喜び、転倒しながらも』、『法皇に鎌倉軍の到着を伝えた場面が描かれている』。『長きに』亙って『左馬権頭の官職にあったが、文治元年』(一一八五)年十一月、『義経謀反への荷担を理由として、源頼朝の要請により』、『左馬権頭を解官され』ている。文治四(一一八八)年一月には『大膳大夫に任ぜられ』(従ってここにその職を冠するのはおかしい)、建久三(一一九二)年三月十三日、上北面の職に『あったが、後白河院崩御にあたり』、『入棺役を務め』ている。最後に『相撲による負傷が原因で』死去したとある。現在の京都府京都市下京区西洞院町はここ(グーグル・マップ・データ)。

「六馬」(りくば)中国神話で天帝の息子が乗る六頭の馬車を引く馬のこと。ここは法皇の輿。

「木幡伏見」現在の京都府宇治市から伏見区にかけて。後の伏見桃山城附近(グーグル・マップ・データ)。

「重籐」(しげどう)「滋籐」とも書く。弓の竹を籐(単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科トウ連 Calameae:熱帯性で蔓性の種が多い。東南アジア・中国南部・台湾などに分布するが、本邦には植生しない)の蔓で何度も何度も巻いたもの。

「戞々」(かつかつ)。堅い物の触れる音を表わすオノマトペイア。

「法性寺」(ほつしやうじ)現在は京都府京都市東山区本町にある浄土宗大悲山。延長三 (九二五) 年に藤原時平の発願によって創建され、寺名は当時の、菅原道真の怨霊を鎮めたとされる天台宗十三世延暦寺座主法性房尊意の名に由来する。嘗つてこの寺は法性寺大路の名の残る鴨川の東・九条の南にあったが(現在位置の鴨川対岸の南西のこの辺りか(グーグル・マップ・データ))、「応仁の乱」で兵火に遇い、ここに移ったものらしい。

「柳原」京都市上京区のこの附近(グーグル・マップ・データ)。木曾追討の義経軍はこの描写に從うなら、京に東と北から侵攻したことになる。

「壽永三年正月二十日」ユリウス暦一一八四年三月四日(グレゴリオ暦換算:三月十一日)。義仲。享年三十一。

「黃茅」(くわうばう(こうぼう))枯れて黄色くなった茅(かや)。

「加能」(かのう)加賀国・能登国。現在の石川県相当。

「星兜」(せいとう)星兜(ほしかぶと)。平安中期頃に発生した兜の一形式。ウィキの「星兜」によれば、『兜本体(鉢)を形成する鉄板を接ぎ留める鋲の頭を、鉢の表面に見せたもの。鋲の頭を星と呼ぶところから星兜の名が付いた』。『平安時代には』十『数枚の鉄板から成り』、『星が大きい厳星兜(いがぼしかぶと)が大鎧に付く兜として流行したが、時代が下るにつれ』、『板数は増し』、『星が小型化した小星兜(こぼしかぶと)に変化した。筋兜の流行により室町時代前期に一時衰退するが、戦国期に再び使用されるようになり』、『江戸時代に至る』とある(リンク先に小星兜の画像有り)。

「翠帳」(すいちやう)「暖」(あたたか)「に春宵」(しゆんしやう)「を度」(わた)「るの處、膏雨」(かうう:恵みの雨。潤いを与える雨)「桃李花落つるの時」白居易の「長恨歌」の、玄宗が初めて楊貴妃を招いた夜の、

芙蓉帳暖度春宵

 芙蓉の帳(とばり)暖かくして 春宵を度る

と、玄宗が貴妃亡き後、帰洛したの折りの、寂寞を描く、

春風桃李花開夜

 春風 桃李 花開くの夜(よ)

を捻ったものと思われる。

「松殿」松殿(藤原)基房。既注。

「悵然」(ちやう(ちょうぜん))悲しみ嘆くさま。がっかりして打ちひしがれるさま。

『兼平に云つて曰「首を敵の爲に得らるゝこと、名將の恥なり、いくさやぶれて自刄するは猛將の法なりとこそ聞き及びぬ」と、兼平答へて曰「勇士は食せずして饑ゑず、創を被りて屈せず、軍將は難を遁れて勝を求め死を去つて恥を決す、兼平こゝにて敵を防ぎ候はむ、まづ越前の國府迄のがれ給へ」と』「源平盛衰記」の「伝巻第三十五」の「粟津合戦の事」の一節。ここ(国立国会図書館デジタルコレクション。左ページの二行目から)。

   *

「敵の爲めに得らるる事、名將の恥なり。軍(いくさ)敗れ、自害するは、猛將の法なり。」

と申ければ、兼平、申けるは、

「勇士は食(しよく)せず、飢ゑず、疵(きず)を被(かうむ)りて屈せず、軍將は難を遁れて勝つことを求む、死を去つて、辱(はぢ)を決す、就中(なかんづく)、平氏、西海(さいかい)に在(ま)す。軍將、北州(ほくしう)に入り給はば、天下、三つに分かち、海内(かいだい)發亂せんか、先づ、急いで越前國府まで遁れ給へ。兼平、此(ここ)にて敵を相ひ禦(ふせ)ぐべし。」

と云ひて旗を擧(あ)ぐ。

   *

「魚鱗」「ぎよりん」。戦さに於ける陣立ての一つ。中心が前方に張り出し、両翼が後退した陣形。「△」の形に兵を配する。底辺の中心に大将を配置し、そちらを後ろ側として敵に対する。戦端が狭く、遊軍が多くなり、また後方からの奇襲を想定しないため、駆動性の高い平野の会戦には適さないが、山岳・森林・河川などの地形要素が複雑な本邦では、戦国時代によく使われた。全兵力を完全に一枚の密集陣に編成・集合するのではなく、数百人単位の横列隊(密集陣)を単位とすることで、個別の駆動性を維持したまま、全体としての堅牢性を確保することが出来る。多くの兵が散らばらない状態で局部の戦闘に参加出来、また、一陣が壊滅しても、次陣をすぐに繰り出せるため、消耗戦に強い。一方で、横隊を要素とした集合であるため、両側面や後方から攻撃を受けると、混乱が生じ易く、弱い。また、包囲もされ易く、複数の敵に囲まれた状態の時には用いない。特に、敵より少数兵力の場合、正面突破には有効な陣形である。対陣の際、前方からの防衛に強いだけでなく、部隊間での情報伝達が比較的容易であることから、駆動性能も優れる(ここはウィキの「陣形」に拠った)。

『不敵の四郞兼平一騎を殘す、兼平彼を見て愁然として云つて曰「心靜に御生害候へ、兼平防矢仕りてやがて御供申すべし」と是に於て、彼は、單騎鞭聲肅々、馬首粟津の松原を指し、從容として自刄の地を求めたり。しかも乘馬水田に陷りて再立たず、時に飛矢あり、颯然として流星の如く彼が内兜」(うちかぶと:兜の眉庇(まびさし)の内側。覆いのない額(ひたい)部分)「を射て鏃深く面に入る。而して東軍の士卒遂に彼を鞍上に刺して其首級を奪ふ。兼平彼の討たるゝを見て怒髮上指し奮然として箭八筋に敵八騎を射て落し、終に自ら刀鋒を口に銜み馬より逆に落ちて死す』「源平盛衰記」の「伝巻第三十五」の「粟津合戦の事」の一節。ここ(国立国会図書館デジタルコレクション。右ページ最終行から次のコマの六行目まで)。私の好きな忘れ難い優れたシークエンスなれば、前後や芥川龍之介がカットしてしまった部分も含めて電子化する。

   *

 木曾殿、鐙(あぶみ)踏ん張り、弓杖(ゆんづゑ)衝(つ)きて、今井に宣ひけるは、

「日來(ひごろ)は何と思はぬ薄金(うすがね)が、などやらん、重く覺ゆるなり。」

と宣へば、兼平、

「何條(なんでう)去る事侍(はんべ)るべき、日來に金(かね)もまさらず[やぶちゃん注:普段の金鎧(かねよろい)と変わりなく。]、別(べち)に重き物をも附けず、御年三十七、御身(おんみ)盛りなり。御方(みかた)に勢(せい)のなければ、臆し給ふにや、兼平一人をば、餘(よ)の者千騎萬騎とも思(おぼ)し召し候ふべし、終(つひ)に死すべき物故(ゆゑ)に、わるびれ見え給ふな[やぶちゃん注:お恥ずかしく思われなさるな。]、あの向ひの岡に見ゆる一村(ひとむら)の松の下に立ち寄り給ひて、心閑(しづか)に念佛申して御自害候へ。其の程は防矢(ふせぎや)仕(つかまつ)りて、軈(やが)て御伴(おんとも)申べし。あの松の下(した)へは、廻(まは)らば、二町、直(すぐ)には一町にはよも過ぎ侍らじ、急ぎ給へ。」[やぶちゃん注:一町は百九メートル。]

と泣々(なくなく)淚を押さへ、詢(くど)きければ、木曾は遺(なご)りを惜みつつ、

「都にて如何にも成るべかりつれども、此(ここ)まで落ちきつるは、汝と一所にて死なんとなり。何迄も同じ枕に討死にせんと思ふなり。」

と宣へば、今井、

「いかに角(かく)は宣ふぞ。君、自害し給はば、兼平、則ち、討死になり。是れをこそ一所にて死ぬるとは申せ、兵(へい)の剛(がう)なると申すは、最後の死を申すなり。さすが、大將軍の宣旨を蒙むる程の人、雜人(ざふにん)の中に打ち伏せられて首をとられん事、心憂かるべし。疾々(とくとく)落ち給ひて御自害(ごじがい)あるべし。」

と勸めければ、木曾、

『誠に。』

と思ひ、向ひの岡、松を指して馳せ行けり。

 今井は木曾を先き立(だ)てて、引き返し引き返し、命も惜しまず、戰ひけり。

 木曾は今井を振り捨てて、畷(なはて)に任せて步ませ行く。

 比(ころ)は元曆(げんりやく)元年正月廿日の事なれば、峯の白雪(しらゆき)深くして、谷の氷も解けざりけり。向ひの岡へ直違(すぢかひ)にと志す。

 つらら[やぶちゃん注:薄氷り。]むすべる田を橫に打つ程に、深田(ふかだ)に馬を馳せ入れて、打てども打てども、行かざりけり。

 馬も弱り、主(ぬし)も疲れたりければ、兎角すれども、甲斐ぞなき。

 木曾は、『今井やつゞく』と思ひつつ、後ろへ見返へりたりけるを、相摸國の住人、石田の小太郞爲久[やぶちゃん注:三浦氏の一族。]が、能(よ)つ引(ぴ)いて放つ矢に、内甲(うちかぶと)を射させて、間額(まつかふ)を馬の頭(かしら)に當てて、俛(うつぶ)しに伏しにけり。

 爲久が郞等二人、馬より飛んで下(お)り、深田に入りて、木曾を引き落とし、やがて、首をぞ、取りてける。

 今井、是れを見て、

「今ぞ、最後の命(いのち)なる、急ぎ御伴(おんとも)に參らん。」

とて、進み出でて申しけるは、

「日比(ひごろ)は音にも聞きけん、今は目に見よ、信濃國の住人中(ちう)、三權頭(さんごんのかみ)兼遠が四男、朝日將軍の御乳母子(おんめのとご)、今井四郞兼平なり。鎌倉殿までも知ろし召したる兼平ぞ。首取つて見參(げんざん)に入れよや。」

とて、數(す)百騎の中に蒐(か)け入つて、散々(さんざん)に戰ひけれども、大力(たいりき)の剛(がう)の者成りければ、寄つて組む者はなし。唯だ、開きて遠矢(とほや)にのみぞ、射ける。去れども、冑(よろひ)よければ裏(うち)かかず、あきまを射ねば、手も負はず。

 兼平は、箙(えびら)に胎(のこ)る八筋(やすぢ)の矢にて、八騎、射落としける。

 太刀を拔いて申しけるは、

「日本一(にほんいち)の剛の者、主の御伴に自害する。見習へや、東八箇國の殿原(とのばら)。」

とて、太刀の切鋒(きつさき)口にくはへ、馬より逆(さかさま)に落ち貫ぬきてぞ、死にける。

 兼平自害して後(のち)は、粟津の軍(いくさ)も無かりけり。

   *]

 

嗚呼、死は人をして靜ならしむ、死は人をして粉黛[やぶちゃん注:「ふんたい」。]を脫せしむ、死は人をして肅然として襟を正さしむるもの也。卒然として生と相背き、遽然として死と相對す、本來の道心此處に動き、本然の眞情此處にあらはる、津々として春雨の落花に濺ぐ[やぶちゃん注:「そそぐ」。]が如く、悠々として秋雲の靑山を遶る[やぶちゃん注:「めぐる」。]が如し。夫[やぶちゃん注:「それ」。]鳥の將に死せむとする其鳴くや哀し、人の將に死せむとする、其言や善し。人を見、人を知らむとする、其死に處するの如何を見ば足れり。我木曾冠者義仲が其燃ゆるが如き血性と、烈々たる靑雲の念とを抱いて何等の譎詐なく、何等の矯飾なく、人を愛し天に甘ンじ、悠然として頭顱を源家の吳兒に贈るを見る、彼が多くの短所と弱點とを有するに關らず、吾人は唯其愛すべく、敬すべく、慕ふべく、仰ぐべき、眞個の英雄兒たるに愧ぢざるを想見せずンばあらず。嶽鵬擧の幽せらるゝや、背に盡忠報國の大字を黥し、笑つて死を旦夕に待ち、項羽の烏江に戮せらるゝや、亭長に與ふるに愛馬を以てし、故人に授くるに首級を以てし、自若として自ら刎ね、王叔英の燕賊に襲はるゝや、沐浴して衣冠を正し南拜して絕命の辭を書し、泰然として自縊して死せり。彼豈之に恥ぢむや。彼の赤誠は彼の生命也。彼は死に臨ンで猶火の如き赤誠を抱き、火の如き赤誠は遂に彼をして其愛する北陸の健兒と共に從容として死せしめたり。是實に死して猶生けるもの、彼の三十一年の生涯は是の如くにして始めて光榮あり、意義あり、雄大あり、生命ありと云ふべし。

[やぶちゃん注:この段落、筑摩書房全集類聚版も新全集も改行しないが、従わない。

「遽然」(きよぜん(きょぜん))俄かであるさま。「突然」に同じい。

「譎詐」(きつさ(きっさ))偽り。

「矯飾(けうしよく(きょうしょく))上辺(うわべ)を取り繕って飾ること。

「頭顱」(とうろ)頭部。首。

「嶽鵬擧」南宋の名将岳飛(一一〇三年~一一四二年)の字(あざな)。ウィキの「岳飛」によれば、『元々は豪農の出であったが、幼い頃に父を亡くし、生母の由氏に育てられたという。やがて』二十一『歳の時、北宋末期の』一一二二『年に開封を防衛していた宗沢が集めた義勇軍に参加した。岳飛は武勇に優れ、その中で金との戦いなどに軍功を挙げて頭角を現し』一一三四『年には節度使に任命された』。しかし、日増しに高まる名声が、北宋の宰相秦檜(しんかい)のグループの『反感と嫉視を招くことになる』。一一四〇『年に北伐の軍を起こすと、朱仙鎮で会戦を行い、金の総帥斡啜』(オジュ)『の率いた軍を破って開封の間近にまで迫るが、秦檜の献策により』、『友軍への撤退命令が出され、孤立した岳飛軍も撤退を余儀なくされた(但し、これは「宋史」の記録で、「金史」には『この会戦の記録はない』)。『その後、秦檜により』、『金との和議が進められる。それに対して、主戦派の筆頭で』『民衆の絶大持った岳飛は危険な存在であり』、一一四一年、『秦檜は岳飛、岳飛の子の岳雲、岳家軍の最高幹部である張憲に対し、冤罪を被せて謀殺した(表向きは謀反罪であった。軍人の韓世忠が「岳飛の謀反の証拠があるのか」と意見したが、秦檜は「莫須有(あったかもしれない)」と答えている)。この時、岳飛は』三十九『歳、岳雲は』二十三『歳だった。その背には母親によって彫られたとされる黥(入れ墨)「尽(精)忠報国」の』四『文字があったという』とある。

「黥し」(げいし)刺青(いれずみ)をし。

「王叔英」(?~一四〇二年)明の学者で高級官僚。筑摩書房全集類聚版注には、『名は原采。燕の賊兵に対抗しようとしてできず』とあるのみでよく判らない。中文ウィキの「王叔英」はあるが、中国語が読めないのでこれもよく判らない。ただ、そこに書かれた年から、これは明王朝初期の政変(内乱)である「靖難(せいなん)の変」(一三九九年~一四〇二年:華北の燕王朱棣(明の第三代皇帝となる永楽帝)が挙兵し、一四〇二年六月に南京を陥落させた事件に関わる人物である。

「彼の三十一年の生涯」満二十九か三十。因みに――芥川龍之介は三十五歳と五ヶ月足らずであった。]

 

かくして此絕大の風雲兒が不世出の英魂は、倏忽として天に歸れり。嗚呼靑山誰が爲にか悠々たる、江水誰が爲にか汪々たる。彼の來るや[やぶちゃん注:「きたる」。]疾風の如く、彼の逝くや朝露の如し。止ぬるかな[やぶちゃん注:「やんぬるかな」。]、止ぬるかな、革命の健兒一たび逝きて、遂に豎子をして英雄の名を成さしむるや、今や七百星霜一夢の間に去りて、義仲寺畔の孤墳、蕭然として獨り落暉に對す。知らず、靑苔墓下風雲の兒、今はた何の處にか目さめむとしつつある。

[やぶちゃん注:「倏忽」(しゆくこつ(しゅくこつ))忽ち。俄かに。

「汪々」(わうわう(おうおう))水域の広く深いさま。

「止ぬるかな」(やんぬるかな)今となっては、どうしようもないことだ!

「豎子」頼朝。

「義仲寺」(ぎちゆうじ)現在の滋賀県大津市馬場にある天台宗朝日山義仲寺(グーグル・マップ・データ)。ウィキの「義仲寺」によれば、『この寺の創建については不詳であるが、源義仲(木曾義仲)の死後、愛妾であった巴御前が義仲の墓所近くに草庵を結び、「われは名も無き女性」と称し、日々供養したことにはじまると伝えられる。寺は別名、巴寺、無名庵、木曽塚、木曽寺、また義仲寺と呼ばれたという記述が、すでに鎌倉時代後期の文書にみられるという。戦国時代に荒廃したが』、天文二二(一五五三)年頃、『近江守護の六角義賢によって再興された。当初は石山寺の配下であったが、江戸時代には園城寺に属した』。『俳人松尾芭蕉はこの寺と湖南のひとびとを愛し、たびたび滞在した。無名庵で句会も盛んに行われた。大坂で亡くなった芭蕉だが、「骸(から)は木曽塚に送るべし」との遺志により』、元禄七(一六九四)年十月、『義仲墓の横に葬られた。又玄(ゆうげん)の句「木曽殿と背中合わせの寒さかな」が有名。その後、再び荒廃した同寺だが、京都の俳僧蝶夢法師が数十年の歳月をかけて明和』六(一七六九)年に『中興』し、寛政五(一七九三)年には『盛大に芭蕉百回忌を主催した』とある。

 以下、底本では一行空け。ここでは二行空けた。]

 

 

彼は遂に時勢の兒也。欝勃たる革命的精神が、其最も高潮に達したる時代の大なる權化也。破壞的政策は彼が畢生の經綸にして、直情徑行は彼が一代の性行なりき。而して同時に又彼は暴虎馮河死して悔いざるの破壞的手腕を有したりき。彼は幽微を聽くの聰と未前を觀るの明とに於ては入道相國に讓り、所謂佚道を以て民を使ふ、勞すと雖も怨みず、生道を以て民を殺す、死すと雖も怨みざる、治國平天下の打算的手腕に於ては源兵衞佐に讓る。而して彼が壽永革命史上に一頭地を抽く[やぶちゃん注:「ぬく」。]所以のものは、要するに彼は飽く迄も破壞的に無意義なる繩墨と習慣とを蹂躙して顧みざるが故にあらずや。

[やぶちゃん注:「暴虎馮河」(ぼうこひようが)虎に素手で立ち向かい、黄河を徒歩で渡ろうとすること。血気にはやって無謀なことをすることの譬え。「論語」の「述而」で愛弟子子路の蛮勇を窘(たしな)めた孔子の言葉。

「佚道」(いつだう(いつどう))民を安らかに楽しませるやり方。「孟子」の「尽心 上」に出る語に基づく。この場合の「佚」は「気儘にのんびりする」の意。]

 

彼は眞に革命の健兒也。彼は極めて大膽にして、しかも極めて性急也。彼は手を袖にして春風落花に對するが如く、悠長なる能はず。靑山に對して大勢を指算するが如く幽閑なる能はず。炎々たる靑雲の念と、勃々たる霸氣とは常に火の如く胸腔を炙る。彼は多くの場合に於て他人の喧嘩を買ふを辭せず。如何なる場合に於ても膝をつき頭をたれて哀を請ふ事をなさず。而して彼は世路の曲線的なるにも關らず、常に直線的に急步せずンば止まず。彼は衝突を辭せざるのみならず、又衝突を以て彼の大なる使命としたり。彼が猫間中納言を辱めたる、平知康を愚弄したる、法住寺殿に弓をひきたる、皆彼が此直線的の行動に據る所なくンばあらず。水戶の史家が彼を反臣傳中の一人たらしめしが如き、此間の心事を知らざるもの、吾人遂に其餘りに近眼なるに失笑せざる能はざる也。彼は身を愛惜せず、彼は燎原の火の如し。彼は己を遮るすべてを燒かずンば止まざる也。すべてを燒かずンば止まざるのみならず、彼自身をも燒かずンば止まざる也。彼が法皇のクーデターを聞くや、彼は「北國の雪をはらうて京へ上りしより一度も敵に後を見せず、假令十善の君にましますとも甲を脫ぎ弓の弦をはづして降人にはえこそまゐるまじけれ」と絕叫したり。若し兵衞佐賴朝をして此際に處せしめむ乎。彼は如何なる死地に陷るも、法住寺殿の變はなさざりしならむ。賴朝は行はるゝ事の外は行ふことを欲せず。彼は、其實行に關らず、唯其期する所を行はむと欲せし也。是豈彼が一身を顧みざるの所以、彼が革命の使命を帶びたる健兒たるの所以、而して賴朝が甘じて反臣傳に錄せらるゝをなさざりし所以にあらずや。

[やぶちゃん注:「猫間中納言」藤原光隆(大治二(一一二7)年~建仁元(一二〇一)年)。ウィキの「藤原光隆」によれば、官位は正二位・権中納言。屋敷があった地名から壬生・猫間を号しており、「猫間中納言」と称された』。「『平家物語」巻第八「木曾猫間の対面」においては、寿永二(一一八三)年に、入洛した『源義仲を訪問した光隆が、義仲によって愚弄される逸話が紹介されている。義仲の家で光隆は、高く盛り付けられた飯や三種のおかず、平茸』(     菌界担子菌門ハラタケ綱ハラタケ目ヒラタケ科ヒラタケ属ヒラタケ Pleurotus ostreatus)『の汁などの多量の食事を出され、椀が汚らしいのに辟易したところ、「それは仏事用の椀だ」と説明されて、仕方なく少しだけ口にしたところ、義仲に「猫殿は小食か。猫おろし(食べ残し)をしている。遠慮せずに掻き込みなさい」などと責められて興醒めし、話をせずに帰った、というものである』とある。以下。

   *

 木曾は都の守護にてありけるが、みめよき男にては候ひしかども、たちゐ、ふるまひ、もの言うたる言葉のつづき、かたくななることかぎりなし。

 あるとき、猫間の中納言光隆の卿といふ人、のたまひあはすべきことありておはしたれば[やぶちゃん注:相談なさりたいことがおありになられたので。]、郞等ども、

「猫間殿と申す人の、『見參(げんざん)申すべきこと候ふ』とて、入らせ給ひて候ふ。」

と申せば、木曾、これを聞き、

「猫もされば、人に見參することあるか、者ども。」

とのたまへば、

「さは候はず。これは『猫間殿』と申す上﨟にてましまし候。『猫間殿』とは、御所の名とおぼえて候ふ。」

と申せば、そのとき、

「さらば。」

とて入れたてまつりて對面す。

 木曾、なほ「猫間殿」とはえ言はいで、

「猫殿はまれにおはしたるに、ものよそへ[やぶちゃん注:食事の支度をせよ。]。」

とぞのたまひける。

 中納言、

「ただいま、あるべうも候はず。」[やぶちゃん注:「今は食事時にてはあらっしゃいません」。当時の公家は一日二食で昼食を食べる習慣はなかったが、武士は三食であった。]

とのたまへば、

「いやいや、いかんが、飯時におはしたるに、ただやあるべき。」

なにも、あたらしきは無鹽(ぶえん)といふと心得て[やぶちゃん注:当時は多くの食材を保存を高めるために塩漬けにしていた。ここは塩を用いていない新鮮な食材を指す。]、

「ここに無鹽の平茸やある。とくとく。」

と、いそがせけり。

 根の井の小彌太といふ者の急ぎて陪膳す。田舍合子(ゐなかがふし)[やぶちゃん注:如何にも田舎っぽい粗野な蓋付きの漆塗りの椀。]の荒塗りなるが、底深きに、てたてしたる飯[やぶちゃん注:新潮社「日本古典集成」の注には『洗米していない籾まじりの飯のことか』とする。]をたかくよそひなし、御菜三種(さんじゆ)して、平茸の汁にて參らせたり。

 木曾殿のまへにもすゑたりけり。木曾は箸をとり、これを召す。

 中納言も食されずしてはあしかりぬべければ、箸をたてて食するやうにし給ひけり。

 木曾は同じ體(てい)にてゐたりけるが、殘り少なくせめなして、

「猫殿は少食(せうじき)におはしけるや。召され給へ。」

とぞ、すすめける。

 中納言は、のたまひあはすべき事どもありておはしたりけれども、この事どもに、こまごまとも、のたまはず、やがていそぎ歸られぬ。

   *

以上は「三百二十本」であるが、流布本では、最後が、

   *

 中納言は餘りに合子のいぶせさに[やぶちゃん注:汚なさに不快を催して。]召さざりければ、木曾、

「きたなう思ひ給ひそ。それは義仲が精進合子[やぶちゃん注:精進潔斎する際の清浄な椀。]で候ふぞ。疾う疾う。」

と勸むる間、中納言、召さでもさすが惡しかりなんとや思ひけん、箸取つて召す由して[やぶちゃん注:一度は食べようとするポーズをして。]さし置かれたりければ、木曾、大きに笑つて、

「猫殿は小食にておはすよ。聞ゆる『猫おろし』し給ひたり。かい給へ、かい給へ。」[やぶちゃん注:「そら、名の通り、猫がようする「食べ残し」をなさっとる。それ! かっこみなされ! もそっつと召されよ!」。]

とぞ、責めたりける。

 中納言殿は、かやう事に、萬(よろ)づ興さめて、宣ひ合はすべき事ども、一言(ひとことば)も言ひ出さず、急ぎ歸られけり。

   *

と終始、テツテ的に猫間を愚弄し続けている。

「平知康を愚弄したる」既注。

「水戶の史家」「大日本史」編纂指揮者である水戸光圀。

「此間の心事を知らざるもの、吾人遂に其餘りに近眼なるに失笑せざる能はざる也」黄門嫌いの私(藪野直史)は激しく同感する。

「北國の雪をはらうて京へ上りしより一度も敵に後を見せず、假令十善の君にましますとも甲を脫ぎ弓の弦をはづして降人にはえこそまゐるまじけれ」既に出した「平家物語」巻第八の「鼓判官」の一節であるが、それは、

   *

「われ、信濃の國橫田川の軍(いくさ)よりはじめて、北國・礪波・黑坂・志保坂・篠原・西國にいたるまで、度々(どど)のいくさにあひつれども、いまだ一度も敵にうしろを見せず。『十善の帝王にてましませば』とて、義仲、降人にえこそは參るまじけれ。これは鼓判官が凶害(きようがい)とおぼゆるぞ。あひかまへてその鼓め、打ち破つて捨てよ。」

   *

といったもので、諸本を縦覧して見ても、この引用文の表現とぴったりくるものを見出せなかった。発見し次第、追記する。]

 

彼は彼自身、彼を信ずる事厚かりき。彼は、其信ずる所の前には、天下口を齊うして[やぶちゃん注:「ひとしうして」。]之に反するも、猶自若として恐れざりき。所謂自反して縮んば千萬人と雖も、我往かむの氣象は欝勃として彼の胸中に存したりき。さればこそ彼は四郞兼平の諫[やぶちゃん注:「いさめ」。]をも用ひず、法住寺殿に火を放つの暴行を敢てせしなれ。彼の法皇に平ならざるや、彼は「たとへば都の守護してあらむずるものが馬一疋づゝ飼ひて乘らざるべきか、幾らともある田ども刈らせて秣にせむをあながちに法皇の咎め給ふべきやうやある」と憤激したり。彼は彼が旗下幾萬の北國健兒が、京洛に行へる狼藉を寧ろ當然の事と信じたり。而して此所信の前には怫然として、其不平を法皇に迄及ぼすを憚らざりき。請ふ彼が再次いで鳴らしたる怨言を聞け。「冠者ばらどもが、西山東山の片ほとりにつきて時々入取せむは何かは苦しかるべき。大臣以下、官々の御所へも參らばこそ僻事ならめ」彼は、彼に對するクーデターの理由をかゝる見地を以て判斷したり。而して、彼に一點の罪なきを信じたり。既に靑天白日、何等の不忠なきを信ず、彼が刀戟介馬法住寺殿を圍みて法皇を驚かせまゐらせたる、豈偶然ならずとせむや。

[やぶちゃん注:「自反して縮」(なほく)「んば」自分で内省してみても、そのことが確かに正しいと認知し得たならば。「孟子」の「公孫丑 上」に出る孟子が引用する曾子(そうし)が弟子の子㐮を諌めるのに挙げた孔子の言葉。

   *

子好勇乎。吾嘗聞大勇於夫子矣。自反而不縮、雖褐寬博、吾不惴焉。自反而縮、雖千萬人吾往矣。

(子、勇を好むか。吾れ、嘗つて大勇(たいゆう)を夫子(ふうし)に聞きけり。『自(み)づから反して縮(なほ)からずんば、褐寬博(かつくわんはく)と雖も、吾れ、惴(おそ)れざらんや。自づから反して縮ければ、千萬人と雖も、吾れ、往ゆかん』と。)

   *

この「褐寬博の輩」の「褐」は粗末な服、「寛博」は運動性能がよい広く緩やかな着物。転じて身分の卑しい無頼漢どもを指す。ここは「そんな奴らが挑発してきても私は恐れることなく、決してことを成さぬ」というのである。

「たとへば都の守護してあらむずるものが馬一疋づゝ飼ひて乘らざるべきか、幾らともある田ども刈らせて秣にせむをあながちに法皇の咎め給ふべきやうやある」「冠者ばらどもが、西山東山の片ほとりにつきて時々入取せむは何かは苦しかるべき。大臣以下、官々の御所へも參らばこそ僻事ならめ」既に引用した「平家物語」巻第八「法住寺合戦」の義仲出陣の際の冒頭であるが、芥川龍之介は流布本のそれを引いている。煩を厭わず同パートを示す。

   *

 たとへば都の守護してあらんずる者が馬一疋づつ飼うて參らざるべきか。幾らもある田ども刈らせ、秣(まぐさ)にせんを强ちに法皇の咎め給ふべきやうやある。兵粮米盡きぬれば冠者ばらあどもが西山東山の片邊(かたほと)りについて、時々入り取(ど)り[やぶちゃん注:徴用。]せんはなじかは苦しかるべき。大臣以下(いげ)、宮々の御所へも參らばこそ僻事(ひがごと)ならめ、如何樣、これは鼓判官が凶害と覺ゆるぞ。その鼓め、打ち破つて捨てよ。今度(こんど)は義仲が最後の軍(いくさ)にてあらんずるぞ。且(かつう)は兵衞佐賴朝が還り聞かんずる所もあり 。軍、ようせよ、者ども。」

とて、打ち出でけり。

   *]

 

彼は、如上の性行を有す、是眞に天成の革命家也。輕浮にして輕悍なる九郞義經の如き、老猾にして奸雄なる藏人行家の如き、或は以て革命の健兒が楯戟[やぶちゃん注:「じゆんげき」。]の用をなす事あるべし。然れども其楯戟を使ふべき革命軍の將星に至りては、必ず眞率なる殉道的赤誠の磅薄として懷裡に盈つる[やぶちゃん注:「みつる」。]ものなくンばあらず。然り、狂暴、驕悍のロベスピエールを以てする尙一片烈々たる殉道的赤誠を有せし也。

[やぶちゃん注:「磅薄」(は(ば)うはく(ほ(ば)うはく)広がり蔓延(はびこ)ること。]

 

彼は唯一の赤誠を有す。一世を空うするの[やぶちゃん注:「むなしうするの」。]霸氣となり、行路の人に忍びざるの熱情となる、其本は一にして其末は萬也。夫大川の源を發す、其源は溪間の小流のみ。彼が彼たる所以、唯此一點の靈火を以て全心を把持する故たらずとせむや。彼は赤誠の人也、彼は熱情の人也、願くは賴朝の彼と戰を交へむとしたるに際し、彼が賴朝に答へたる言を聞け。「公は源家の嫡流也。我は僅に一門の末流に連り、驥尾に附して平民を圖らむと欲するのみ。公今干戈を動かさむとす、一門相攻伐するが如き、是源氏の不幸にして、しかも平氏をして愈々虛に乘ぜしむるもの也。我深く憂慮に堪へず。」と。何ぞ其言の肝膽を披瀝して、しかも察々として潔きや。辭を低うして一門の爲に圖つて忠なる、斯くの如し。啻に辭を低うするに止らず、一片稜々の意氣止むべからずして愛子を賴朝の手に委したる[やぶちゃん注:「まかしたる」。]が如き、赤誠の人を撼す、眞に銀河の九天より落つるが如き槪あり。

[やぶちゃん注:「公は源家の嫡流也。我は僅に一門の末流に連り、驥尾に附して平民を圖らむと欲するのみ。公」/「今」/「干戈を動かさむとす、一門相』(あひ)『攻伐するが如き、是源氏の不幸にして、しかも平氏をして愈々虛」(きよ:「うっかり油断すること」で「無駄に安心させる」ことか?)「に乘ぜしむるもの也。我深く憂慮に堪へず。」筑摩書房全集類聚版注に『出典未詳』とする。今回、いろいろ調べて見たが、確かに見当たらない。識者の御教授を乞うものである。「驥尾」(きび)は「驥尾に附す」で成句。「優れた人に従って行けば、それなりに何かは成し遂げられる」で、「先達を見習って行動すること」を遜(へりくだ)った気持ちで言う言葉。青蠅が「驥」=駿馬の「尾」につかまって一日で千里の遠方へと行ったという「史記」の「伯夷伝」の故事に基づく。出現するとすれば,義高を人質に差し出す直前でないと、後文の「啻に辭を低うするに止らず、一片稜々の意氣止むべからずして愛子を賴朝の手に委したる」と齟齬するし、頼朝の木曾追討軍が進発する前にはとてものことに余裕も何もあったもんじゃない。「源平盛衰記」が一番怪しいのだが、やはり見当たらない。そもそもが、「源氏の不幸」とか「虛」とか「憂慮に堪へず」とか、どうも私には時代的も義仲の直文としても、何やらん不自然な語の用法が気になる。

「察々」潔(いさぎよ)く清いこと。邪念がなく澄んでいるさま。]

 

再云ふ彼は眞に熱情の人也。實盛の北陸に死するや、彼其首級を抱いて泫然として泣けり。水島の戰に瀨尾主從の健鬪して仆るゝや、彼「あつぱれ强者や。助けて見て。」と歎きたりき。陣頭劍を交ふる敵を見る尙かくの如し。彼が士卒に對して厚かりしや知るべきのみ。彼が旗下は彼が爲に「死且不辭」の感激を有したりき。彼敢て人を容るゝこと光風の如き襟懷あるにあらず。敢て又、人を服せしむる麒麟の群獸に臨むが如き德望あるにあらず。彼の群下に對する、唯意氣相傾け、痛淚相流るゝところ、烈々たる熱情の直に人をして知遇の感あらしむるによるのみ。彼が旗下の桃李寥々たりしにも關らず、四郞兼平の如き、次郞兼光の如き、はた大彌太行親の如き、一死を以て彼に報じたる、是を源賴朝が源九郞を赤族し、蒲冠者を誅戮し、藏人行家を追殺し、彼等をして高鳥盡きて良弓納めらるゝの思をなさしめたるに比すれば、其差何ぞ獨り天淵のみならむや。

[やぶちゃん注:「泫然」涙がはらはらとこぼれるさま。さめざめと泣くさま。

『瀨尾主從の健鬪して仆るゝや、彼「あつぱれ强者や。助けて見て。」と歎きたりき』「瀨尾」は「せのを」で平氏方の武将妹尾兼康(せのおかねやす 保安四(一一二三)年或いは大治元(一一二六)年~寿永二(一一八三)年)。姓は瀬尾とも呼ばれた。ウィキの「妹尾兼康」によれば、『出生については謎が多く』、『鳥羽上皇とその官女であった妹尾保子との間に京都八条の平忠盛』(清盛の父)『邸にて生まれたという説』がある。『早くから平氏に仕え』、「保元物語」「平治物語」「平家物語」などに『平家方の侍としてその名が記されている』。治承四(一一八〇)年には、『南都で蜂起した僧兵たちの鎮圧を任せられたが、本格的な武装を禁じられたため』、『多くの死傷者を出し』ており、『このことが』同年末の『平重衡らによる』「南都焼き討ち」(治承四年十二月二十八日(一一八一年一月十五日)に)『へとつながっている。その後』、寿永二(一一八三)年の「倶利伽羅合戦」でも『平家方で参戦するも、源義仲軍に敗れ』、(ここからはより詳しいウィキの「福隆寺縄手の戦い」を主文として引く)。『兼康は木曾義仲方の武将倉光成澄に捕らえられる。義仲は兼康の武勇を惜しんで助命し、身柄を成澄の弟倉光成氏に預けた。兼康は義仲に従いながらも、反撃の機会を伺っていた』。『同年』七『月に平家一門は都を落ち、兼康は』十『月に平家を追討すべく西国へ向かった義仲軍に加わる』。「水島の戦い」で『義仲軍が敗れたのち、兼康は自領である備前国妹尾荘に案内すると成氏を誘い出して殺害』、『出迎えた嫡子妹尾宗康や』、『備前・備中・備後三ヶ国で現地に残っていた平家方の武士たちをかき集め』、実に『軍勢二千余人をもって福隆寺縄手の笹の迫(笹が瀬川の流域、坊主山と鳥山の間の』津島笹が瀬付近。グーグル・マップ・データ)『に要塞を構え、木曾軍に反旗を翻した』。『兼康方は木曾軍の猛攻に激しく抵抗するが、寄せ集めの勢であり、木曾の大軍の前に城郭は攻め落とされる。妹尾兼康は落ち延びようとするが、取り残された子の宗康』(「平家物語」によれば、二十歳ほどであったが、著しい肥満の大男であったため、走ることも困難であったとし、一度は逃げ遅れた)のために引き返し、今井兼平の軍勢に突入して討ち死にした。義仲は備中国鷺が森にかけられた兼康主従三人の首を見て』、「あはれげの者かな、いま一度助けで」(助けてやりたかった)と『その武勇を惜しんだという』。「覚一本」の最善本とされる「龍谷大学本」ではここの義仲の台詞は「あつぱれ、剛(かう)の者かな。是れをこそ一人當千(いちにんたうぜん)の兵(つはもの)ともいふべけれ。あつたら者どもを助けて見で。」とある。

「死且不辭」(死すら且つ辭せず)は、これもさんざんやったねぇ、「史記」の「鴻門の会」の圧縮だ。元犬殺しの強者樊噲(はんかい)が、宴席に踊り入って、大杯の酒を一気に飲み乾し、出された硬い豚の肩の生肉を肴に食って、項羽に「壯士なり。能く復た飮むか。」と訊ねたその最初の台詞だよ。「臣、死且不避、卮酒安足辭。」(臣、死すら且つ避けず。卮酒(ししゆ)安(いづくん)ぞ辭するに足らん。)。原文は実際、「避」でなく、「辭」を使っているものもある。

「光風」(くわうふう(こうふう))は雨あがりなどの、日をあびた草木に吹く風。また、春の日がうららかに照っている時、爽やかに吹く風を言うが、ここはそのようなさっぱりとした爽やかな性質(たち)の比喩。

「襟懷」(きんくわい(きんかい))心の中。胸の内。

「桃李」自分が推挙した人材。自分がとりたてた弟子や家臣。中唐の詩人で政治家の劉禹錫(りゅううしゃく)の詩「宣上人遠寄和禮部王侍郞放榜後詩因而繼和」(「宣上人、和禮部王侍郞の放榜の後の詩を遠く寄す、因りて繼いで和す」か)の、

一日聲名徧天下

滿城桃李屬春官

 一日 聲名 天下に徧(あまね)く

 滿城の桃李 春官に屬(しよく)す

に基づく。詩の原義は科挙で試験官が採用した優れた学生(桃李)で、教師が優れた門下生を世に輩出させることの比喩である。

「寥々」(れうれう(りょうりょう))数少なく寂しいさま。

「源九郞」義経。

「赤族」(せきぞく)大修館書店「新漢和辞典」(昭和五〇(一九七五)年改訂四版)に、『①一族ことごとく殺されること。赤は空。②一族の者全部』とある。「空」とは「クウ」で、「赤」には「虚しい・何もない」の意があるからであるが、但し、「赤」には別に「滅ぼす・皆殺しにする」の意がある(同辞典の「赤」の意味で前者が④番目、後者がその後の⑤番目に出るから、⑤は④から派生した意味として「空」を挙げるか。⑤の意でよいと思うのだが。但し、この熟語、多くの辞書は所収しない。ネットで調べても、使用例を見ない。現在では死語に近いようである。

「高鳥盡きて良弓納めらる」「史記」の「淮陰侯(韓信)列伝」の一節。忠臣であった韓信が疑い深い劉邦に謀反人の冤罪を受けて捕縛された際、「狡兎死、良狗烹、高鳥盡、良弓藏、敵國破 謀臣亡。」(「狡兎(こうと)死して良狗(りやうく)烹(に)られ、高鳥(こうてう)盡きて良弓(りやうきゆう)藏(かく)れ、敵國敗れ、謀臣亡ぶ」と言う故事を呟いたことに基づく。「高鳥」は高く飛ぶ捕獲し難い敏捷にして高貴な鳥がいなくなれば、それを射落とせる勝れた強弓(ごうきゅう)も仕舞われて顧みられなくなるという比喩。

「天淵」(てんえん)天と淵(ふち)で、天地。転じて、非常にかけ離れていること。]

 

三たび云ふ、彼は眞に熱情の人也。彼が將として成功し、相として失敗したる、亦職として之に因らずンばあらず。百難を排して一世を平にし、千紛を除いて大計を定む、唯大なる手の人たるを要す。片雲を仰いで風雪を知り、巷語を耳にして大勢を算す、唯大なる眼の人たるを要す。相印を帶びて天下に臨む、或は一滴の淚なきも可也。李林甫の半夜高堂に默思するや、明日必殺ありしと云ふが如き、豈此間の消息を洩すものにあらずや。然りと雖も、三軍を率ゐて逐鹿を事とす、眼の人たらざるも或は可、手の人たらざるも亦或は可、唯若し淚の人たらざるに至つては、斷じて將帥の器を以てゆるす可からず、以て大樹の任に堪ふ可からず。彼は此點に於て、好個の將軍たるに愧ぢざりき。而して彼に歸服せる七州の健兒は、彼の淚によりて激勵せられ鼓吹せられ、よく赤幟幾萬の大軍を擊破したり。しかも彼の京師に入るや、彼は其甲冑を脫して、長裾を曳かざる可からざるの位置に立ちたりき。彼は冷眼と敏腕とを要するの位置に立ちたりき。彼は唱難鼓義の位置より一轉して撥亂反正の位置に立ちたりき。約言すれば彼は其得意の位置よりして、其不得意の位置に立ちたりき。然れども彼は天下を料理するには、餘りに溫なる淚を有したりき。彼は一世を籠罩するには、寧ろ餘りに血性に過ぎたりき。彼は到底、袍衣大冠[やぶちゃん注:「はういたいくわん」。]して廟廊の上に周旋するの材にあらず、其政治家として失敗したる亦宜ならずとせむや。壽永革命史中、經世的手腕ある建設的革命家としての標式は、吾人之を獨り源兵衞佐賴朝に見る。彼が朝家に處し、平氏に處し、諸國の豪族に處し、南都北嶺に處し、守護地頭の設置に處し、鎌倉幕府の建設に處するを見る、飽く迄も打算的に飽く迄も組織的に、天下の事を斷ずる、誠に快刀を以て亂麻をたつの槪ありしものの如し。賴朝は殆ど豫期と實行と一致したり。順潮にあらずンば輕舟を浮べざりき。然れども義仲は成敗利鈍を顧みざりき、利害得失を計らざりき。彼は塗墻に馬を乘り懸くるをも辭せざりき。かくして彼は相として敗れたり。而して彼が一方に於て相たるの器にあらざると共に、他方に於て將たるの材を具へたるは、則ち義仲の義仲たる所以、彼が革命の健兒中の革命の健兒たる所以にあらずや。

[やぶちゃん注:「李林甫の半夜高堂に默思するや、明日必殺ありしと云ふ」李林甫(六八三年~七五三年)盛唐の宰相。唐の宗室出身で諸官を歴任したが、「口に蜜あり,腹に剣あり」と評された佞臣であった。七三四年、宰相となると,政敵を次々に退ける一方、玄宗の寵姫の武恵妃や寵臣の宦官高力士に取り入って玄宗のお気に入りとなり、権勢を揮った。権勢維持のために大軍を率いる節度使に異民族を登用したが、安禄山もその一人で、これが「安史の乱」の遠因となった。没後、楊国忠には生前に突厥と結んで謀反の企みがあったとされ、官爵を剥奪されて子供は流罪となっている(ここは「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。ここでの表現が何を出典としているかは判らなかったが、要はウィキの「李林甫」にあるように、七四六年から七四七年にかけては、『李林甫の謀略により、皇太子李璵』(りよ:後の粛宗)『の周辺の人物や李林甫が嫌っていた人物を中心が数多く陥れられた。杜有隣らは処刑され、韋堅・皇甫惟明』(こうほ いめい)『・李邕』(りよう)『・裴敦復』(はいとんふく)『らは左遷させられた上で殺され、李適之・王琚が自殺に追い込まれた。裴寛・李斉物』(りさいぶつ)『・王忠嗣らも左遷させられている。李林甫のために働いた楊慎矜』(ようしんきょう)『も玄宗の意にかなってきたため、冤罪により』、『自殺に追い込まれた。その後も皇太子の引きずりおろしに腐心し、楊釗』(ようしょう)『らに皇太子に関係する人物を弾劾させ、罪をかぶせられた家は数百家にものぼった』という粛清の嵐の中の凄然残忍たる予告シーンなのであろう。

「大樹」近衛大将・征夷大将軍の唐名。大樹将軍。後漢の時代、諸将が手柄話をしているときに馮異(ふうい)はその功を誇らず、大樹の下に退いたことに由来する(「後漢書」の「馮異伝」)。

「七州」義仲が掌握した北陸道七州(若狭・越前・加賀・能登・越中・越後・佐渡)を命数として数え得るが、ここは必ずしも「七」に拘らず、彼に従った「多くの国衆」の謂いであろう。

「唱難鼓義」(しやうなんこぎ(しょうなんこぎ))筑摩書房全集類聚版注に、『(為政者に対して)難を唱え』、『正しい道を説く』とある。次との対句表現であるから、恐らく出典は漢籍にありそうだが、調べ得なかった。

「撥亂反正」(はつらんはんせい)乱れた世を治め、本来の正しい状態に戻すこと。「春秋公羊伝」の哀公十四年(紀元前四八一年)の条の「撥亂世反諸正、莫近諸春秋」(亂世を撥(をさ)めて、諸(これ)を正に反(かへ)すは、春秋より近きは莫し)に由る。

「籠罩」(ろうたう(ろうとう))「罩」も「こめる・入れ込む」の意であるから、「総てを一つにする・統一すること」の意。

「守護地頭の設置」文治元(一一八五)年。現行では一般に「鎌倉幕府の」事実上の「建設」はこの全国の支配権の獲得を以ってする見解が有力であるが、厳密には、

・治承四(一一八〇)年十月七日/頼朝が鎌倉に入って、実質上の東国の支配者となり、侍所を設置する。

・寿永二(一一八三)年十月/頼朝が後白河法皇から宣旨を受け、東海・東山両道の国衙領支配権を認められる。

・元暦元(一一八四)年十月六日/公文所・問注所を設置し、ここに実際の幕府の政治行政機構が始まった。

・文治元(一一八五)年十一月/守護・地頭が設置され、頼朝の権力は西国まで及ぶ。

・建久元(一一九〇)年十月/頼朝上洛、権大納言・右近衛大将(このえのだいしょう)に任ぜられる(同年十二月に辞任)。この年、その居館を初めて「幕府」と称した。

・建久三(一一九二)年七月十二日/頼朝が征夷大将軍に任ぜられる(これはその任官に反対していた後白河の死去から四ヶ月後のことであった)。

の十二年間に成立したとするのが論理的には正しい。

「塗墻」(としやう(としょう))築地(ついじ)。]

 

彼は野性の兒也。彼の衣冠束帶するや、天下爲に嗤笑[やぶちゃん注:「ししやう」。]したり。彼が弓箭を帶して禁闕を守るや、時人は「色白うみめはよい男にてありけれど、起居振舞の無骨さ、物云ひたる言葉つきの片口なる事限りなし」と嘲侮したり。葡萄美酒夜光盃、珊瑚の鞭を揮つて靑草をふみしキヤバリオルの眼よりして、此木曾山間のラウンドヘツドを見る、彼等が義仲を「袖のかゝり、指貫のりんに至るまでかたくななることかぎりなし」と罵りたる、寧ろ當然の事のみ。しかも彼は誠に野性の心を有したりき。彼は常に自ら顧て疚しき所あらざりき。彼は自ら甘ぜむが爲には如何なる事をも忌避するものにはあらざりき。彼は不臣の暴行を敢てしたり。然れども、彼が自我の流露に任せて得むと欲するを得、爲さむと欲するを爲せる、公々然として其間何等の粉黛の存するを許さざりき。彼は小兒の心を持てる大人也。怒れば叫び、悲めば泣く、彼は實に善を知らざると共に惡をも亦知らざりし也。然り彼は飽く迄も木曾山間の野人也。同時に當代の道義を超越したる唯一個の巨人也。猫間黃門の彼を訪ふや、彼左右を顧て「猫は人に對面するか」と尋ねたりき。彼は鼓判官知康の院宣を持して來れるに問ひて「わどのを鼓判官と云ふは、萬の人に打たれたうたか、張られたうたか」と云ひたりき。彼の牛車に乘ずるや、「いかで車ならむからに、何條素通りをばすべき」とて車の後より下りたりき。何ぞ其無邪氣にして兒戲に類するや。彼は「田舍合子[やぶちゃん注:「ゐなかがふし」。]の、きはめて大に、くぼかりけるに飯うづたかくよそひて、御菜三種して平茸の汁にて」猫間黃門にすゝめたり。而して黃門の之を食せざるを見るや、「猫殿は小食にておはすよ、聞ゆる猫おろしし給ひたり、搔き給へ給へや」[やぶちゃん注:「搔き給へ給へや」の「給へ」の二度目は底本では踊り字「〱」であるが、正字化した。ここのみで使用されている。]と叫びたりき。何ぞ其頑童の號叫するが如くなる。かくの如く彼の一言一動は悉、無作法也。而して彼は是が爲に、天下の嘲罵を蒙りたり。然りと雖も、彼は唯、直情徑行、行雲の如く流水の如く欲するがまゝに動けるのみ。其間、慕ふべき情熱あり、掩ふ可からざる眞率あり。換言すれば彼は唯、當代のキヤバリオルが、其玉盃綠酒と共に重じたる無意味なる禮儀三千を縱橫に、蹂躙し去りたるに過ぎざる也。彼は荒くれ男なれ共あどけなき優しき荒くれ男なりき。彼は所詮野性の兒也。區々たる繩墨、彼に於て何するものぞ。彼は自由の寵兒也。彼は情熱の愛兒也。而して彼は革命の健兒也。彼は、群雄を駕御し長策をふるつて天下を治むるの隆準公にあらず。敵軍を叱咜し、隻劍をかざして堅陣を突破するの重瞳將軍也。彼は國家經綸の大綱を提げ[やぶちゃん注:「ひつさげ」。]、蒼生をして衆星の北斗に拱ふ[やぶちゃん注:「むかふ」。]が如くならしむるカブールが大略あるにあらず。辣快、雄敏、鬻拳の兵諫を敢てして顧みざる、石火の如きマヂニーの俠骨あるのみ。彼は壽永革命の大勢より生れ、其大勢を鼓吹したり。あらず其大勢に乘じたり。彼は革命の鼓舞者にあらず、革命の先動者也。彼の粟津に敗死するや、年僅に三十一歲。而して其天下に馳鶩したるは木曾の擧兵より粟津の亡滅に至る、誠に四年の短日月のみ。彼の社會的生命はかくの如く短少也。しかも彼は其炎々たる革命的精神と不屈不絆の野快とを以て、個性の自由を求め、新時代の光明を求め、人生に與ふるに新なる意義と新なる光榮とを以てしたり。彼の一生は失敗の一生也。彼の歷史は蹉跌の歷史也。彼の一代は薄幸の一代也。然れども彼の生涯は男らしき生涯也

[やぶちゃん注:最後の太字は底本では傍点「ヽ」。ここのみで使用されている。

「色白うみめはよい男にてありけれど、起居振舞の無骨さ、物云ひたる言葉つきの片口なる事限りなし」流布本「平家物語」の巻第八の「猫間」の冒頭に出る。

   *

 康定、都へ上がり、院參して、御坪(おつぼ)の内に畏まつて、關東の樣(やう)を具さに奏聞申したりければ、法皇、大きに御感ありけり。公卿も殿上人も、笑壺(ゑつぼ)に入らせおはしまし、如何なれば、兵衛佐は、かうこそゆゆしうおはしせしか。當時、都の守護して候はれける木曾義仲は、似も似ず惡(あ)しかりけり。色白う眉目(みめ)は好い男(をのこ)にてありけれども、起居(たちゐ)のふるまひの無骨さ、もの言ひたる詞續(ことばつづ)きの頑(かたく)ななる[やぶちゃん注:賤しくみっともない。]事、限りなし。理(ことわり)かな、二歳より三十に餘るまで、信濃國木曾と云ふ片山里(かたやまざと)に住み馴れておはしければ、何(なじ)かはよかるべき。

   *

「葡萄美酒夜光盃」よくやったねぇ、私の好きな「唐詩選」の王翰の「涼州詞」だ。

   *

葡萄美酒夜光杯

欲飮琵琶馬上催

酔臥沙場君莫笑

古來征戰幾人囘

 葡萄の美酒 夜光の杯

 飮まんと欲すれば 琵琶 馬上に催す

 酔(ゑ)ひて沙場に臥す 君 笑ふこと莫かれ

 古來 征戰 幾人か囘(かへ)る

   *

「キヤバリオル」Cavaliers。音写するなら「キャヴァリアーズ」。「騎士党」と訳される(もとは「婦人に親切な男・婦人に付き添う男」で古語で「騎士」を指す)。ウィキの「騎士党によれば、『イングランド内戦』(「清教徒革命」)『期から空位期、王政復古期』(一六四二年~一六八〇年)にかけて、『イングランド王チャールズ』Ⅰ『世・チャールズ』Ⅱ『世父子に忠誠を誓い』、『支持した人々を指す用語であり、敵対者である』「議会派」(Parliamentarians。「円頂党」とも)により卑称として『使われた。チャールズ』Ⅰ『世の甥で』、『国王軍の中心的な軍司令官だったルパート・オブ・ザ・ラインがその典型と言われる』。『「キャヴァリアー(Cavalier(s))」は、俗ラテン語で「騎士」を意味する「caballarius」、またそのスペイン語形である「caballero」に由来する』が、先だって、ウィリアム・シェイクスピアは史劇「ヘンリーⅣ世」の第二部(一五九六年から一五九九年の間の書かれたとされ、一六〇〇年には書籍出版業組合に記録されてある)の『中で、「cavaleros」という語を「威張り散らす洒落者」という意味で使って』おり、『この言葉はその後、イングランド内戦で議会と対立するチャールズ』Ⅰ『世の支持者たる王党派を、議会派が非難、侮蔑する文脈で使うようになった』とある。

「ラウンドヘツド」Roundheads。前注の「議会派」=「円頂党」のこと。ウィキの「円頂党」によれば、『イングランド内戦』に於いて『議会を支持した人々を指し』、『絶対君主主義や王権神授理論を標榜するイングランド王チャールズ』Ⅰ『世とその支持者である王党派(騎士党)と敵対した』。『円頂党の政治的な目標は、議会(立法府)による行政組織の完全な支配を実現させることであった』。『大多数の円頂党員は立憲君主制を望んでいたが』、一六四九『年に第二次イングランド内戦(英語版)が終わる頃には』、『オリバー・クロムウェルを始めとする共和派の指導者が権力を握り、王制を完全に廃止してイングランド共和国(コモンウェルス)を樹立した。第一次イングランド内戦』『における円頂党の最高司令官だったトーマス・フェアファクス卿や、第』二『代マンチェスター伯爵エドワード・モンタギューら円頂党指導層の大半は立憲君主体制の支持者であり続けた』。『円頂党は主にピューリタンや長老派から構成され』ていたが、『少数の政治的な徒党も含まれていた』。『当時、議会派に属する清教派の一部は頭を短く刈り上げていたが、この髪型はロンドン宮廷の派手好みな男性たちに流行していた長い巻き髪とは対照的であった』ことから、『このピューリタンの丸刈り頭が円頂党(ラウンドヘッド)の語源』となった、とある。

「袖のかゝり、指貫のりんに至るまでかたくななることかぎりなし」やはり「平家物語」の巻第八の「猫間」の猫間がほうほうの体で義仲の元を逃げ出した後のパートの一節。流布で示す。

   *

 その後(のち)、義仲、院參(ゐんざん)しけるが、官(くわん)加階したる者の直垂(ひたたれ)にて出仕せんこと、あるべうもなしとて、にはかに布衣(ほうい)[やぶちゃん注:布製の狩衣。]取り、裝束(しやうぞく)、冠際(かぶりぎは)、袖のかかり[やぶちゃん注:着方。]、指貫(さしぬき)[やぶちゃん注:袴の一種。裾を括(くく)るようになっている。]の輪(りん)[やぶちゃん注:袴の裾を別の布で輪状に縁(へり)どったもの。]にいたるまで、頑ななること限りなし。鎧取つて着、矢搔き負ひ、弓押し張り、兜の緖を締め、馬(むま)に打ち乘つたるには、似も似ず、惡しかりけり。されども車に屈(こが)み乘んぬ。

 牛飼ひは屋島の大臣(おほいとの)[やぶちゃん注:宗盛。]の牛飼ひなり。牛車(うしくるま)もそ[やぶちゃん注:指示語。もと宗盛のもの。]なりけり。逸物(いちもつ)なる牛の、据ゑ飼うたるを[やぶちゃん注:大切に車を引かせることもなく飼ったものを。]、門(かど)出づるとて、一楉(ひとずばえ)[やぶちゃん注:一鞭(ひとむち)。]當てたらうに、何(なじ)かはよかるべき。牛は飛んで出づれば、木曾は車の内にて、仰向(あふのき)に倒(たふ)れぬ。蝶の羽根を廣げたる樣に、左右(さう)の袖を廣げ、手をあがいて、起きん起きんとしけれども、何(なじ)かは起きらるべき。木曾、牛飼ひとは、え云はで、

「やれ、子牛健兒(こうしこでい[やぶちゃん注:「こでい」は「こんでい」の転訛で雑事に使役した者のこと。])よ、やれ、子牛健兒よ。」

と云ひければ、『「車を遣れ」と云ふぞ』と心得て、五、六町[やぶちゃん注:約五百四十六~六百五十五メートル。]こそ足搔かせけれ。

 今井の四郞、鞭鐙を合はせて追つ付き、

「何とて御車(おんくるま)をば、かやうには仕るぞ。」

と言ひければ、

「餘りに御牛(おうし)の鼻が恐(こは)う候うて。」[やぶちゃん注:「鼻が恐い」で進まんとする勢いが強いことを指す。]

とぞ述べたりける。

 牛飼ひ、木曾に仲直(なかなほ)りせんとや思ひけん、

「それに候ふ手形(てがた)と申まうすものに、取り付かせ給へ。」[やぶちゃん注:「手形」牛車の榜立(ぼうだて:前後の口の左右にある板)につかまる時の手掛かりとする彫られた孔のこと。]

と言ひければ、木曾、手形にむずと摑み付いて、

「あつぱれ支度(したく)や、子牛健兒が計らひか、殿の樣(やう)か。」[やぶちゃん注:宗盛大臣がかくも考案したものか。]

とぞ問うたりける。

 さて院の御所へ參り、門前にて、車かけ外(はづ)させ、後ろより下りんとしければ、京の者の雜色(ざつしき)に召し使はれけるが、

「車には召され候ふ時こそ、後ろよりは召され候へ。下りさせ給ふ時は、前まへよりこそ下りさせ給ふべけれ。」

と言ひければ、木曾、

「いかでか車ならんがらに[やぶちゃん注:公卿の牛車だからと言って。]、なんでふ、素通どほりをばすべき。」[やぶちゃん注:「乗降を一方通行せねばならん理由があるかっつ!」]

とて、遂つひに後ろよりぞ下りてげる。

 その外を可笑かしきことども多かりけれども、恐れてこれを申まうさず。

 牛飼ひは終(つひ)に斬られにけり。

   *

「公々然」(こうこうぜん)。「公然」の強調形。おおっぴらであるさま。

「猫間黃門の彼を訪ふや、……」原文電子化は既注。「黃門」は中納言の唐名。

「田舍合子の、……」同じく原文電子化は既注。

「眞率」(しんそつ)真面目で飾りけがないこと。

「隆準公」(りゆうせつこう(りゅうせつこう))。「りゅうじゅん」の読みは誤り。一般名詞で「鼻柱の高い人」であるが、ここは漢の高祖劉邦の別称。

「重瞳」(ちやうどう(ちょうどう))「將軍」項羽のこと。項羽は生まれつき瞳孔が重なって二重にあったとされる。ウィキの「重瞳」によれば、症例として実在し、先天性と、事故など物理的衝撃を受けて「虹彩離断」が著しく悪化した後天的なものとがあり、「虹彩離断」の場合は通常は物が二重に見える症状を呈するため、外科的手術が必要となる。但し、作家で歴史家でもあった『郭沫若は、「項羽の自殺」という歴史短編で、重瞳とは「やぶにらみ」のことであろうと言って』おり、また、『作家の海音寺潮五郎は、徳川光圀、由井正雪などについても重瞳であったという説を紹介した上、「ひとみが重なっている目がある道理はない。おそらく黒目が黄みを帯びた薄い茶色であるために』、『中心にある眸子がくっきりときわだち、あたかもひとみが重なっている感じに見える目を言うのであろう」と論じている』とある。私は、項羽の場合は、この海音寺の説であるように感じている。

「カブール」ガリバルディ及びマッツィーニと並ぶ「イタリア統一の三傑」と称される、サルデーニャ王国首相・イタリア王国首相(初代閣僚評議会議長)・同初代外務大臣を歴任したイタリアの政治家カヴール伯爵カミッロ・パオロ・フィリッポ・ジュリオ・ベンソ(Camillo Paolo Filippo Giulio Benso 一八一〇年~一八六一年)は、「カミッロ・カヴール」や「コンテ・ディ・カヴール(conte di Cavour:カヴール伯爵)」の通称で知られる。「ブリタニカ国際大百科事典」によれば、ピエモンテの名門貴族出身で、トリノ士官学校を卒業したが、自由主義思想を抱いて、一八三一年、軍役を退き、フランスとイギリスへの旅に出、自由主義経済と議会主義に深い確信を持って帰国、広大な領地に資本主義的大農場経営を導入して農業改革に努め、工業化の課題に取組むため、銀行設立・鉄道敷設の事業を熱心に進めた。 一八四七年、新聞『イル・リソルジメント』(Il Risorgimento:イタリア語の「再び・生まれる・事」の合成語で、フランス語の「ルネサンス」(Renaissance)と同意義となる)を創刊して政治的経済的な自由主義の主張を掲げ、翌一八四八年には、新たに開設されたサルジニア王国議会の議員となり、政治活動に足を踏み入れた。中道右派の立場に立ってM.アゼリオ内閣で農商工相や財務相を務め、中道左派の指導者U.ラタッツィと連合を結び,一八五二年、自ら首相の地位を得た。以後、一八五九年七月まで、産業振興策を積極的に推進し、自由貿易主義の見地に立つ低関税政策と英仏両国との通商拡大、金融信用制度の充実などを成し遂げた。その自由主義的政策は当時のイタリア各国の亡命者を惹きつけ、ピエモンテを「リソルジメント運動」の中心地とする効果を齎した。外交政策では、一八五八年にナポレオンⅢ世と「プロンビエルの密約」を結んでオーストリアに対する独立戦争の準備を進め、一八五九年に戦端が開かれて勝利の見通しが強まったとき、突如として「ビラフランカの和議」がなされたため、これに抗議して、彼は同年七月、首相を辞任した。しかし、一八六〇年一月に復帰し、同年三月には中部イタリアの併合に成功、続いてシチリアとナポリに遠征したG.ガリバルディと対抗しつつ、 十月に南イタリアを併合、イタリアの統一と独立に貢献した。一八六一年三月、「イタリア王国」の成立が宣言されて初代首相に任ぜられたが、山積する課題を残して六月に急死した、とある。

「辣快」(らつくわい(らつかい))「辣」「快」も孰れも「激しい」の意であるから、以下の「雄敏」との並列から見て、激しく厳しいやり方で物事をてきぱきと処理すること、「辣腕」と同じであろう。

「鬻拳」(いくけん ?~紀元前六七五年)は春秋時代の楚の大夫で、時に、巴と黄の侵略に戦いを挑んで一度破れ、意気消沈していた文王を諌めるに、剣を抜いて脅迫して意気を鼓舞させた。その直後、彼は「君王に対して自分のしたことは大罪である」として自分の両足を自らたたき切った名臣。ネットには日本語の記載が少ないが、大田牛二氏作の小説「春秋遥かに」の「第三章 天下の主宰者」の「鬻拳」が非常によい。

「マヂニー」フランスの軍人で第一帝政下の元帥であったアンドレ・マッセナ(André Masséna 一七五八年~一八一七年)。ナポレオン戦争では主に方面軍司令官を務め、スイス戦役や半島戦争などに従事した。ウィキの「アンドレ・マッセナ」によれば、『ニースの貿易商の息子に生まれた。幼い頃に両親を失い、石鹸製造業を営む叔父に引き取られたが』、十三歳の『時に家出し、武装商船(一種の私掠船、海賊)の船員になった』。一七七五年、『船員を辞め、一兵卒としてフランス陸軍に入隊し、ロイヤル・イタリアン連隊に配属された。下士官の最高位である曹長(准尉)まで昇進したものの、貴族出身者以外にはそれ以上の昇進の見込みがなかったため』、一七八九年に『除隊した。その後、密輸業を営んでいたが』、一七九一年に『再び軍に入隊した。かつての軍歴が評価され』、翌『年までに大佐に昇進した』。『フランス革命戦争が進行する中、マッセナはイタリア方面軍で着実に功績を上げ』、二年で『将軍まで昇進した』。一七九四年八月の「サオルジオの戦い」で『最初の勝利を挙げ』、翌年八月三日に「ロナートの戦い」において、『オーストリア軍を破ったことは、彼にとって初の著名な勝利となった。また、この戦いで初めてナポレオン・ボナパルトと対面した』。一七九六年、『ナポレオンが新任のイタリア方面軍司令官となると、マッセナは彼の指揮下に入り、イタリア遠征を進めていった』。翌年一月十四日の「リヴォリの戦い」で、『マッセナは驚異的な機動によってオーストリア軍の後背をつき、勝利の立役者となった』。一七九九年、『マッセナはスイス方面軍司令官に任命され、第二次対仏大同盟に基づいてヘルヴェティア共和国(スイスに樹立されたフランスの傀儡国家)へ侵攻してきたロシア・オーストリア同盟軍と戦った』。同年九月二十五日から二十六日に『かけて行われた第二次』の「チューリッヒの戦い」でも『同盟軍を破り、大いに名声を高めた』。同年の「ブリュメールのクーデタ」に『よってナポレオンが第一執政とな』ると、一八〇〇年、『マッセナはイタリア方面軍司令官に任じられ、イタリアに派遣された。しかし、数で勝るオーストリア軍の攻勢の前に、フランス軍は防戦に回らざるをえなくなった。また、フランス軍は盛んに略奪を働いたため、現地人の不満を招いた。同年』三『月、ジェノヴァで包囲され』、三ヶ月に亙る『篭城戦の後』、六月四日に降伏した。このため、マッセナ軍は』六月十四日の「マレンゴの戦い」には『参加できなかった。その後、マッセナは一時』、『軍籍を離れ、立法院議員を務めた』。一八〇四年、『皇帝に即位したナポレオンは、マッセナを軍務に復帰させ、合わせて元帥に昇進させた』。翌『年、再びイタリア方面軍司令官に任命され、ヴェローナを制圧してオーストリア軍の進軍を阻み、さらに同年』十月三十日の「カルディエロの戦い」で『オーストリア軍を破って多数の捕虜を得た』。一八〇六年、『ナポレオンの兄ジョゼフがナポリ王になると、マッセナはナポリ軍の指揮権を与えられた。しかし、このときも略奪を働いたために現地人の反感を買っ』ている。一八〇九年、第五次の「対仏大同盟」が『結成されると、マッセナは第』四『軍団司令官となり、オーストリアへ侵攻した』。「アスペルン・エスリンクの戦い」で『フランス軍の前衛が敗退したとき』には、マッセナの第四軍団が『友軍を救援し、さらに橋頭堡を守り抜いた。この功績と、続く』「ヴァグラムの戦い」で『上げた功績により』、彼は『エスリンク大侯爵に叙せられ』ている。一八一〇年、『マッセナはポルトガル方面軍司令官に任命され、半島戦争に加わ』り、同年九月二十七日、「ブサコの戦い」で『初めて同盟軍と衝突した。イギリス軍司令官の初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーは、決戦を避けて同盟軍をトレス・ヴェドラス線まで後退させた。マッセナ軍はトレス・ヴェドラス線を抜けないまま、徐々に消耗して』ゆき、一八一一年、『イギリス軍の援軍が到着すると戦況』が逆転、同年三月五日の「バロッサの戦い」、同年五月三日の「フェンテス・デ・オニョーロの戦い」などで『フランス軍は敗退を繰り返し』、『マッセナは軍司令官を解任され、マルセイユの司令官に降格された』。『その後、ナポレオンが退位し』、ルイXVIII世に『よって王制が復古されても、マッセナはマルセイユ司令官を務め続けた。エルバ島からナポレオンが脱出し、いわゆる』「百日天下」が『始まると、マッセナは彼を支持したが、軍に加わることはなかった』。「ワーテルローの戦い」(一八一五年六月十八日)で『ナポレオンが敗北した後、王制を支持しなかったことを理由に、全ての軍務を解任され』、二年後の一八一七年四月四日、『パリで死亡した』。満五十八であった。『マッセナは独占欲が強く、貪欲な人柄であったとされている。また、戦場に男装させた愛人を連れて歩くほどの女好きでもあった。その性格からしばしば問題を起こし、特にイタリアやスペインでの大々的な略奪行為は批判されている』。『一方』、『軍事指揮官としては非常に優秀な人物であり、特に』「リヴォリの戦い」に『見られたような機動戦を得意とした。マッセナをナポレオン麾下の元帥の中で最優秀と評価する歴史家もいるほどである。ナポレオンも彼の能力を高く評価しており、一時は軍務を離れていたマッセナを、即位後』、『直ちに元帥に復帰させたことはその表れといえるだろう。半島戦争で敵となったウェリントンも、マッセナの後任司令官となったスールトと比較し、マッセナの力量の方が上であると評価している』とある。

「馳鶩」(ちぶ)馬を走らせる。「鶩」も「馳せる」の意。]

 

彼の一生は短かけれども彼の敎訓は長かりき。彼の燃したる革命の聖檀の靈火は煌々として消ゆることなけむ。彼の鳴らしたる革命の角笛の響は嚠々[やぶちゃん注:「りうりう」。]として止むことなけむ。彼逝くと雖も彼逝かず。彼が革命の健兒たるの眞骨頭は、千載の後猶殘れる也。かくして粟津原頭の窮死、何の憾む所ぞ。春風秋雨七百歲、今や、聖朝の德澤一代に光被し、新興の氣運隆々として虹霓[やぶちゃん注:「こうげい」。]の如く、昇平の氣象將に天地に滿ちむとす。蒼生鼓腹して治を樂む、また一の義仲をして革命の曉鐘をならさしむるの機なきは、昭代の幸也。

[やぶちゃん注:底本では最後に改行して下インデントで『(明治四十三年二月、東京府立第三中學校學友會誌)』(明治四十三年は一九一〇年)あるが、これは全集編者によるものであるので、ここに示した。

「眞骨頭」(しんこつとう)は「真骨頂」に同じい。

「原頭」(げんとう)野原のほとり。

「春風秋雨七百歲」これはただの私の直感なのだが、これは、義仲を深く尊崇して死後もその傍らに自らの墓を作らせた松尾芭蕉の、かの「奥の細道」の平泉の金色堂での元禄二年五月十三日(グレゴリオ暦一六八九年六月二十九日)の名吟「」に続く句、

 五月雨を降りのこしてや光堂

の前句形である、

 五月雨や年々降りて五百たび(初期形)

 五月雨や年々降るも五百たび(推敲形)

の句のイメージを漢文調に書き換えたもので、本「義仲論」発表の明治四三(一九一〇)年から溯る義仲の死(寿永三年一月二十日(ユリウス暦一一八四年三月四日/グレゴリオ暦換算:三月十一日)までの七百二十六年を「五百たび」に合わせて「七百歳」に切り下げて表現したものではないかと推理している。

なお、以上の句形推敲については、私の『今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 31 平泉 夏草や兵ものどもがゆめの跡 / 五月雨を降りのこしてや光堂』を参照されたい。

「德澤」恩恵。

「光被」(こうひ)光が広く行きわたること。君徳などが広く世の中に行き亙ること。

「昭代」聖代或いは「当代」の美称。ここはこの論文を書いた今現在をその当代に利かせたものと私は読む。

 なお、以上三分割で完成に十三日を要したため、途中で歴史的仮名遣と現代仮名遣の読みの表示方式を変えたりなどしたが、溯って統一することはしていない。悪しからず。引用リンクも多数になったので、当初秘かに考えていたサイト一括版は作成しないことにした。その強力な語彙力と博覧強記の十七歳の芥川龍之介に完全に脱帽であるが、私としては満足出来るものとはなったと考えている。ネット上には本作の注釈したものはおろか、正字による正規表現の電子テクストさえ見当たらない。芥川龍之介が生涯で最初に書いた本格的評論として自負している本作を、かく公開出来たことを私は内心、誇りに思っている。]

2019/07/21

僕は

僕は今日、其の宰相の畫像を見乍ら、何時か「土口氣泥臭味」の語を思ひ出してゐた――

2019/07/18

芥川龍之介 義仲論 藪野直史全注釈 / 二 革 命 軍

 

        革 命 軍

 

賴政によりて刺戟を與へられ、更に以仁王の令旨によりて擧兵の辭を與へられたる革命軍は、百川の旭の出づる方に向つて走るが如く、刻一刻により、平氏政府に迫り來れり、而して此焦眉の趨勢は遂に、平氏政府に於て福原の遷都を喚起せしめたり。請ふ吾人をして福原の遷都を語らしめよ。何となれば此一擧は、入道相國が政治家としての長所と短所とを、最も遺憾なく現したれば也。

[やぶちゃん注:「百川」「ひやくせん」。あらゆる河川。「旭の出づる方」東はこの折りの京より東の主に関東の源氏勢力を暗示させるのであろうが、同時に後に義仲が入洛後、後白河法皇が与えた「征東大将軍」の異名「朝日将軍(旭将軍)」の称号をも遠く利かせているように読める。なお、「征東大将軍」については、ウィキの「木曾義仲」の注釈の「1」に、従来は「吾妻鏡」などを『根拠に、義仲が任官したのは「征夷大将軍」とする説が有力で』、「玉葉」に『記されている「征東大将軍」説を唱えるのは少数派だったが』、「三槐荒涼抜書要」所収の「山槐記」建久三(一一九二)年七月九日の『条に、源頼朝の征夷大将軍任官の経緯の記述が発見された。それによると、「大将軍」を要求した頼朝に対して、朝廷では検討の末、義仲の任官した「征東大将軍」などを凶例としてしりぞけ、坂上田村麻呂の任官した「征夷大将軍」を吉例として、これを与えることを決定したという。こうして義仲が任官したのは「征東大将軍」だったことが同時代の一級史料で確認できたため、今日ではこちらの説の方がきわめて有力となっている(櫻井陽子「頼朝の征夷大将軍任官をめぐって」』(『明月記研究』第九号・二〇〇四年)とあるのに従った。]

 

彼は、一花開いて天下の春を知るの、直覺的烱眼を有したりき。而して又彼が政治家としての長所は、實に唯此大所を見るの明に存したりき。吾人は、彼が西海を以て其政治的地盤としたるに於て、彼の家人をして諸國の地頭たらしめしに於て、海外貿易の鼓吹に於て、音戶の瀨戶の開鑿に於て、經ケ島の築港に於て、彼が識見の宏遠なるを見る、未嘗て源兵衞佐の卓識を以てするも武門政治の創業者としては遂に彼の足跡を踏みたるに過ぎざるを思はずンばあらず。(固より彼は多くの點に於て、賴朝の百尺竿頭更に及ぶべからざるものありと雖も)見よ、彼は瀨戶内海の海權に留意し、其咽喉たる福原を以て政權の中心とするの得策なるを知れり。彼は南都北嶺の恐るべき勢力たるを看取し、若し、彼等にして一度相應呼して立たば、京都は其包圍に陷らざるべからざるを知れり。而して彼が此胸中の畫策は、源三位の亂によりて、反平氏の潮流の滔々として止る[やぶちゃん注:「とむる」。]べからざるを知ると共に、直に彼をして福原遷都の英斷に出でしめたり。彼が治承四年六月三日、宇治橋の戰ありて後僅に數日にして、此一擧を敢てしたる、是豈彼が烱眼の甚だ明、甚だ敏、甚だ弘なるを表すものにあらずや。福原の遷都はかくの如く彼が急進主義の經綸によつて行はれたり。然れども彼は此大計を行ふに於て、餘りに急激にして、且餘りに强靭なりき。約言すれば、福原の遷都は彼が長所によつて行はれ、彼が短所によつて、破れたりき。

[やぶちゃん注:「音戶の瀨戶の開鑿」広島県呉市にある本州と倉橋島の間の海峡(グーグル・マップ・データ)。ウィキの「音戸の瀬戸」によれば、『音戸という地名の由来の一つに「隠渡」がある。これはこの海峡を干潮時に歩いて渡ることができたことから隠渡と呼ぶようになったという』。『伝承によれば音戸には、奈良時代には人が住んでいたと伝えられている』。『当時海岸はすべて砂浜で、警固屋』(けごや:地名。広島県呉市警固屋(グーグル・マップ・データ))と僅か幅三尺(約九十センチメートル)の『砂州でつながってい』たので、人々は『その付近の集落を』「隠れて渡る」ようにしたことから、『隠渡あるいは隠戸と呼んだ』とし、『ここを通行していた大阪商人が書きやすいようにと隠渡・隠戸から音戸を用いだしたのが』、『この名の始まりであるという』。『その他にも、平家の落人が渡ったことから、あるいは海賊が渡ったことから、呼ばれだしたという伝承もある』。『瀬戸内海を横切る主要航路は、朝廷によって難波津から大宰府を繋ぐものとして整備された』もので、『古来の倉橋島南側の倉橋町は「長門島」と呼ばれ』『その主要航路で』「潮待ちの港」が『存在し、更に遣唐使船がこの島で作られたと推察されているほど』、『古来から造船の島であった』。『音戸北側に渡子』(とのこ)『という地名があり』(現存。広島県呉市音戸町(ちょう)渡子(グーグル・マップ・データ)、これは七世紀から九世紀に『交通の要所の置かれた公設渡船の』「渡し守(場)」に『由来することから、古来からこの海峡には渡船があったと推定されている』。『つまり、遅くとも奈良時代には倉橋島の南を通るルート、そして北であるこの海峡を通るルートが成立していたと考えられている』。『この海峡で有名なのは永万元年』(一一六五年)旧暦七月十日に『完成した平清盛が開削したとする伝説である』。『この海峡はつながっていて、開削するに至った理由は、厳島神社参詣航路の整備として、荘園からの租税運搬のため、日宋貿易のための航路として、海賊取り締まりのため、など諸説言われている』。『この地に着いた時、短気な清盛は倉橋島を大回りするのをバカバカしく思い』、『ここを開削すると下知した。家臣は人力では無理ですと答えた。清盛は「なに人力に及ばすとや、天魔をも駆るべく、鬼神をも役すべし、天下何物か人力に依りて成らざるものあらんや、いでいで清盛が見事切り開いて見すべきぞ」と工事を決行した』。『工事には連日数千人規模で行われ莫大な費用を要した』が、『工事は思ったように進まなかった』。工事が『あと少しで完成』せんとした折り、日が沈み、『観音山の影に隠れた。そこで清盛は山の小岩の上に立ち』、『金扇を広げ「かえせ、もどせ」と叫ぶと』、『日は再び昇った。これで工事は完成した』とか、『沈む夕日を呼び戻し』て一『日で開削したとする伝説もある』。また、「清盛の『にらみ潮』伝説」というのもある。『清盛は厳島神社の巫女に恋慕していた。巫女は神社繁栄のため』、『清盛に、瀬戸を開削したら意に従う、と思わせぶりな返答をした。清盛は完成にこぎつけたが、巫女は体を大蛇に変えこの瀬戸を逃げた。清盛は舟で追ったが』、『逆潮で進まなかった。怒った清盛は船の舳先に立って海を睨みつけると』、『潮の流れが変わり』、『船を進めた』というものである。また、『工事安全祈願のために人柱の代わりに一字一石の経石を海底に沈めたと』も『言われ、その地に石塔を建立、これが清盛塚である』とある。『音戸とはこの清盛の』『塔が由来とも言われて』おり、『他にも、警固屋』『はこの工事の際に飯炊き小屋=食小屋が置かれたことから』、『音戸町引地は小淵を掘削土で埋めた場所』から『と』も『言われている』。また、清盛の死(治承五(一一八一)年)は、この日招きが祟ったもの『とも言われている』。但し、『この話は古くから真偽』が『疑われている』。その大きな理由の一つは、『当時の朝廷の記録および清盛の記録にこの工事のことが全く記されていないためである』。しかし、『清盛が安芸守であったこと、厳島神社を造営したこと、大輪田泊(現神戸港)や瀬戸内の航路を整備した事実があり、この海峡両岸一帯の荘園』「安摩荘」は『清盛の弟である平頼盛が領主であった』『ことから、この海峡に清盛の何らかの影響があった可能性は高』く、『記録がないのは、源氏による鎌倉幕府が成立して以降平氏の歴史が消去されていったためと推察されて』おり、『地元呉市ではこの伝説は事実として語られている』。『一方で、偽説であるとする根拠はいくつかある』。『地理学的に考察すると』、『そもそもつながっていなかったとする説があ』り、また仰天の「日招き伝説」は『日本全国に点在』しているが、その起源は前漢の皇族で学者の劉安撰になる「淮南子」に載る『説話で、そこから広まったことが定説となっている』。「にらみ潮」も、やはり「淮南子」の『中に同じような話がある』。また、『人柱の代わりに小石に一切経を書いたという伝承は』、「平家物語」では『経が島のことである』。『文献で見ると』、康応元(一三八九)年の今川貞世の「鹿苑院殿厳島詣記」に、『この海峡を通過した情景は書かれている』ものの、『清盛のことは一切書かれておらず、現在もこの地に残る清盛塚にある宝篋印塔が室町時代の作であることから、この伝説が単なる作り話であるならば』、『室町ごろに成立したものと考えられている』。『時代が下』って、天正八(一五八〇)年の厳島神社神官棚守房顕が記した「房顕覚書」に『「清盛福原ヨリ月詣テ在、音渡瀬戸其砌被掘」』と出、『安土桃山時代に書かれた平佐就言』(ひらさなりこと(と読むか?):毛利輝元家臣)の「輝元公上洛日記」には『「清盛ノ石塔」が書かれて』はある。結論から言うと、『この話が広く流布したのは江戸時代後期のことで、評判の悪かった清盛が儒学者によって再評価される流れとなったことと』、『寺社参詣の旅行ブームの中でのことである』。『中国山地壬生の花田植にこの伝説の田植え歌があることからかなり広い範囲で伝播していたことがわかっている』。『この地の地名起源と清盛(平家)伝説とが結びついた話は』、『こうした中で文化人や地元民が創作したものと推定されている』。『ただ近代では、清盛伝説は大衆文化での人気題材にはならなかったこと、代わって軍人など新たなヒーローが好まれたことなどから、この伝説は全国には伝播しなかった』とある。なお、これ以降の中世にあって、『瀬戸内海の島々は荘園化が進められ、畿内に租税が船で運ばれていった』。『航路の難所では、航行の安全を確保するとして水先人が登場しそして警固料(通行料)を取るようになった』。『これが警固衆(水軍)の起こりである』とある。

「經ケ島の築港」ウィキの「経が島」を引く。『日宋貿易の拠点である大輪田泊(摂津国)に』、『交易の拡大と風雨による波浪を避ける目的で築造された人工島』。承安三(一一七三)年竣工。その広さは「平家物語」に『「一里三十六町」とあることから』、三十七『ヘクタールと推定されている。経ヶ島・経の島とも書く』。『塩槌山』(しおづちやま:この中央附近にあったか(グーグル・マップ・データ))『を切り崩した土で海を埋め立てた。工事の際、それが難航したため』。『迷信を信じる貴族たちが海神の怒りを鎮めるために人身御供をすることにな』ったとも言う。『一説には、平清盛は』、『何とか人柱を捧げずに埋め立てようと考えて、石の一つ一つに一切経を書いて埋め立てに使』い(前注に出た「経石」)、『その後、事故などもなく』、『無事に工事が終わったためにお経を広げたような扇の形をしたこの島を「経が島」と呼ぶようになったとされる』。『ただし、実際の工事は清盛生存中には完成せず、清盛晩年の』治承四(一一八〇)年には、『近隣諸国や山陽道・南海道に対して人夫を徴用する太政官符が出され』ており、『最終的な完成は平家政権滅亡後に工事の再開を許された東大寺の重源によって』建久七(一一九六)年に『なされたとされている』。「平家物語」では、『清盛自身、死後に円實という僧によって経が島に埋葬されたと記述されている』。『現在では、度重なる地形変化等により』、この島の位置は『特定できずにいるが、おおよそ神戸市兵庫区の阪神高速』三『号神戸線以南・JR西日本和田岬線以東の地であるとみられており、松王丸の石塔が伝えられている兵庫区島上町の来迎寺(築島寺)周辺とする説もある』とある。前者は先の地図のやや南に動かした位置、後者は先の地図の西の「古代大輪田泊(おおわだのとまり)の石椋(いわくら)」のある近く。

「百尺竿頭」「百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)に一歩を進む」の略。「既に到達した極点よりもさらに向上の歩を進めること」を言う。これは唐代の禅僧長沙景岑(けいしん)のもので(石霜和尚と長沙景岑禅師の百尺の竿頭についての問答中のもの)、「景徳伝燈録」(宋代の仏教書。全三十巻。道原著。一〇〇四年成立。禅宗の伝灯(正法を伝える意味)の法系を明らかにしたもので、過去七仏から始めてインド・中国歴代の諸師千七百一人の伝記と系譜を述べ、中国禅宗史研究の根本資料とされる)の「第十」の中の「百尺竿頭須ㇾ進ㇾ歩、十方世界是全身」(百尺竿頭に須(すべか)らく歩を進むべし、十方(じつぱう)世界、是れ、全身)に拠るとする辞書が多い。その原文は「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」のこちらで見られ(寛永一七(一六四〇)年版本。訓点附き)、その偈に、

百丈竿頭不動人 雖然得入未爲眞

百丈竿頭須進步 十方世界是全身

 百丈の竿頭 人を動ぜず

 然も得入(とくじゆ)すと雖も 未だ眞たらず

 百丈の竿頭 須らく步を進むべし

 十方(じつぱう)世界 是れ 全身

とある。また、これはそれを受けた少し後の「無門関」(宋代の僧無門慧開(一一八三年~一二六〇年)が編んだ公案集。私には遠い昔の仕儀で暴虎馮河の「無門関 全 淵藪野狐禅師訳注版」がある)の「四十六 竿頭進歩」にも、

石霜和尚云、百尺竿頭、如何進步。又古德云、百尺竿頭坐底人、雖然得入未爲眞。百尺竿頭、須進步十方世界現全身。

(石霜和尚云く、「百尺の竿頭、如何が步を進めん。」と。又、古德云く、「百尺の竿頭、坐して底(てい)する人、入り得て然ると雖も、未だ眞と爲さず。百尺の竿頭、須らく步を進めて、十方世界に全身を現ずべし。」と。)

ともある。「厳しい修行の修行の末に悟りを開いたとしても、修行の道に終わりはない、さらに一歩を進めよ」の意。

「經綸」「けいりん」。国家の秩序を整え、治めること。或いは、その方策。]

 

彼は、より無學にして、しかも、より放恣なる王安石也。彼は常に一の極端より他の極端に走りたりき。彼は今日計を定めて、明日其效を見るべしと信じたりき。詳言すれば彼は理論と事實との間に、幾多の商量すべく、打算すべく、加減すべき摩擦あるを知らざりき。而して又彼は、彼が信ずる所を行はむが爲には、直線的の突進を敢てするの執拗を有したりき。彼の眼中には事情の難易なく、形勢の可否なく、輿論の輕重なく、唯彼の應に[やぶちゃん注:「まさに」。]行はざる可からざる目的と之を行ふべき一條の徑路とを存せしのみ。王安石は云へり、「人の臣子となりては、當に四海九州の怨を避くべからず」と。彼をして答へしめば、將に云ふべし、「一門の榮華を計りては、天下の怨を避くべからず」と。然れども彼の刈りたるは、僅に彼の蒔きたるものゝ半ばに過ぎざりき。彼は其目的を行はむには、餘りに其手段を選ばざりき。餘りに輿論を重んぜざりき、餘りに、單刀直入にすぎたりき。彼は、疲馬に鞭ちて、百尺の斷崖を越えむと試みたり。而して、越え得べしと信じたりき。是豈、却て疲馬を死せしむるものたらざるなきを得むや。

[やぶちゃん注:「王安石」(一〇二一年~一〇八六年)は北宋の政治家。下級地方官の家に生まれ、一〇四二年の進士科に高位で及第したが、中央のポストには就かず、自ら望んで地方官を歴任して行政の経験を積んだ。仁宗(在位:一〇二二年~一〇六三年)の末年に中央に帰ると、十数年の体験を纏めた長文の報告書「万言の書」を皇帝に提出し、政治改革の必要性を説いたが、当時は大臣たちに相手にされなかった。その後、江寧(現在の南京)に帰って母の喪に服し、喪が明けた後もここに留まっていたが、一〇六七年、青年皇帝神宗が即位すると、皇帝の政治顧問である翰林学士に任命されて朝廷に召され、国政改革を委ねられた。一〇六九年に参知政事(副宰相)に上り、年来の抱負を実行に移すことになった。先ず、皇帝直属の審議機関である制置三司条例司を設けて、ここに少壮官僚を集めて新政策の立案に当たらせ、出来上がったものから発布して行った。一〇七〇年に同中書門下平章事(宰相)に上ると、条例司は必要がなくなり、廃止された。彼の新政策は、まとめて「王安石の新法」とよばれ、均輸法に始まり、青苗(せいびょう)法・農田水利法・市易法・募役法・保甲法・保馬法など多数に上り、これらによって北宋中期以来の財政赤字を解消し、国力を増強することを当面の目的とした。これらの新法に対し、従来甘い汁を吸っていた大地主・官僚・豪商らは猛然と反対の声を挙げたが、神宗の強力な支持を得て遂行され、効果を上げた。ただ、新法は富国強兵のみを目的としたのではなく、究極においては、士大夫の気風を一新し、実務に堪能で政治に役だつ人材を養成することにあり、その方策として、官吏に法律を学ばせ、学校教育を重視し、三舎法を定めて、卒業者をそのまま官僚に任命する制度をも作った。一〇七六年に引退し、江寧の鍾山(しょうざん)に住み、余生を送った。彼は学者・文人としても当代一流で、経学では、政治改革の理想とする「周礼(しゅらい)」に自ら注釈を加えた「周官新義」を著はし、学校のテキストとして用いて、新法の指針とした。散文は欧陽脩を師とし、警抜な発想を以って明晰で迫力ある文体を創り、唐宋八大家の一人に数えられている。詩も高い評価を受けてきたが、鍾山に隠棲してからの、自然を詠じた作品が特に優れているとされる(以上は小学館「日本大百科全書」に拠った)。筑摩書房全集類聚版注には、「乃公(だいこう)出でずんば、天下の草生を如何」(この俺が出てやらなければ、他の者には何が出来るものか)の語は有名とある。

「人の臣子となりては、當に四海九州の怨を避くべからず」筑摩書房全集類聚版注は『出典未詳』とするが、中文サイトの「続資治通鑑」の「宋紀」の「七十一」に、安石の弟で官吏であった安国の言葉として、「安國曰、『非也。吾兄自以爲人臣不當避怨、四海九州之怨悉歸于己、而后可爲盡忠于國家。』とあるのがそれらしい。]

 

彼が遷都の壯擧を敢てするや、彼は、桓武以來、四百年の歷史を顧みざりき。彼は「おたぎの里のあれやはてなむ」の哀歌に耳を傾けざりき。一世の輿論に風馬牛なる、かくの如くにして猶遷都の大略を行はむと欲す、豈夫[やぶちゃん注:「あに」「それ」。]得べけむや。果然、新都の老若は聲を齊うして[やぶちゃん注:「ひとしうして」。]、舊都に還らむことを求めたり。而して彼の動かすべからざる自信も是に至つて、聊か欹傾せざる能はざりき。彼は始めて、舊都の規模に從つて福原の新都を經營するの、多大の財力を費さゞる可からざるを見たり。而して此財力を得むと欲せば、遷都の不平よりも更に大なる不平を蒙らざる可からざるを見たり。しかも頭を囘らして東國を望めば、蛭ケ小島の狡兒、兵衞佐賴朝は二十萬の源軍を率ゐて、既に足柄の嶮[やぶちゃん注:「けん」。]を越え、旌旗劍戟岳南の原野を掩ひて、長驅西上の日將に近きにあらむとす。彼の胸中にして、自ら安ずる能はざりしや、知るべきのみ。加ふるに嫡孫維盛の耻づべき敗軍(治承四年十月)は、東國の風雲益[やぶちゃん注:「ますます」。]急にして、革命の氣運既に熟せるを報じたるに於てをや。是に於て、彼は福原に退嬰するの平氏をして、天下の怨府たらしむる所以なるを見、一步を退くの東國の源氏をして、遠馭長駕の機を得しむるを見、遂に策を決して、舊都に還れり。嗚呼、彼が遷都の英斷も、かくの如くにして、空しく失敗に陷り了りぬ。

[やぶちゃん注:「おたぎの里のあれやはてなむ」「平家物語」巻第五の「都遷(うつ)し」(福原遷都。治承四年六月二日(ユリウス暦一一八〇年六月二十六日)に移ったが、僅か半年後の十一月二十三日(十二月十一日)には京都へ還都した。京都還幸は源氏の挙兵に対応するために清盛が決断したとされる)の章で、旧の京の都の内裏の柱に記されてあったとして出る、二首の落首の最初の一首の下句。二首目も後段で掲げられるので二首とも示す。

   *

百年(ももとせ)を四(よ)返りまでに過ぎ來にし

   愛宕(をたぎ)の里の荒れや果てなむ

咲き出づる花の都を振り捨てて

   風ふく原の末(すゑ)ぞ危ふき

   *

「百年(ももとせ)を四(よ)返り」平安京は延暦十三年十月二十二日(七九四年十一月二十二日)に桓武天皇によって長岡京から遷都しているから、この福原遷都は数えで三百八十七年後となる。「愛宕」は平安京のあった山城国愛宕(おたぎ)郡。「平家物語」ではかくするが、歴史的仮名遣でも「おたぎ」でよい。

「岳南」富士山麓の現在の静岡県側。

「嫡孫維盛の耻づべき敗軍(治承四年十月)」故重盛の嫡男維盛(平治元(一一五九)年~寿永三(一一八四)年:享年二十六)は「富士川の戦い」(治承四年十月二十日(一一八〇年十一月九日)及び「倶利伽羅合戦」(寿永二年五月十一日(一一八三年六月二日))の二大決戦で、ろくな戦闘も無き無面目の潰走(次段にも出る前者)と後者の壊滅的な敗北を喫した。既に注した通り、鬱状態が昂じ、平氏一門の都落ちの途中に屋島の戦線から離脱(脱走)してしまい、那智の沖で入水して死んだと伝えられる(生き延びて相模で病死したとする別説もある)。

「退嬰」「たいえい」。進んで新しいことに取り組もうとする意欲を欠くこと。]

 

今や、平氏の危機は目睫の間に迫り來れり。維盛の征東軍、未一矢を交へざるに空しく富士川の水禽に驚いて走りしより、近江源氏、先響[やぶちゃん注:「まづ」、「ひびき」。]の如く應じて立ち、別當湛增亦紀伊に興り、短兵疾驅、莊園を燒掠する、數を知らず。園城寺の緇衣軍、南都の圓頂賊、次いで動く事、雲の如く、將に、旗鼓堂々として、平氏政府を劫さむとす[やぶちゃん注:「おびやかさむとす」。]。是豈、烈火の如き入道相國が、よく坐視するに堪ふる所ならむや。然り、彼は舊都に歸ると共に、直に天下を對手として、赤手をふるひて大挑戰を試みたり。彼が軌道以外の彗星的運動は、實に是に至つて其極點に達したりき。如何に彼が破壞的政策にして、果鋭峻酷なりしかは、左に揭ぐる冷なる日曆之を證して餘りあるにあらずや。

[やぶちゃん注:「近江源氏」

「別當湛增」前の「一 平氏政府」の最終段落の注を参照。

「短兵疾驅」「短兵」は短い刀剣類を指すので、軽装備で身軽にすばしっこく走り回る武人・兵士を指している。

「園城寺の緇衣軍」現在の滋賀県大津市園城寺町にある天台宗園城寺(おんじょうじ:通称・三井寺)は、延暦寺と対立を繰り返してきた(元は宗門内の対立で、平安中期の比叡山は円珍の門流と慈覚大師円仁の門流との二派に分かれており、円珍派が比叡山を下りて園城寺に移った)ことからも想像がつくように(比叡山宗徒による園城寺の焼き討ちは中世末期までに大規模なものだけで十回、小規模なものまで含めると五十回にも上る)、園城寺も強力な「緇衣軍」(しいぐん)=僧兵団を有していた。源氏は、かの源頼義が「前九年の役」で園城寺に戦勝祈願をしたことから、歴代の尊崇が篤く、源頼政が平家打倒の兵を挙げた時にもこれに協力し、平家滅亡後、源頼朝は当寺に保護を加えている。

「赤手」何の武器も持たないこと。素手。ここはしっかりした準備も計画性もなしに以下に列挙するような蛮行を敢えて行使したことを指していよう。

「果鋭」果断にして気性の鋭いこと。

「峻酷」非常に厳しく情け容赦がないこと。

 以下の丸印附きの箇条部は全体が二字下げでポイント落ち。区別するために、前後を一行空けた。なお、芥川龍之介は何を元にしたのか(「平家物語」と「源平盛衰記」の幾つかを見てみたが、孰れとも合わない)、一部に重大な日付の誤り(或いは現在知られている史実日時)があるので、各条の後に注を挿し入れた。なお、筑摩書房全集類聚版注はそれを指摘していない。]

 

○治承四年十月二十三日 入道相國福原の新都を去り、同二十六日京都に入る。

[やぶちゃん注:既に示した通り、福原から京への還都は治承四(一一八〇)年十一月二十三日の誤りであり、以下の条より後のこととなる。但し、記載から見て芥川龍之介はこの誤った時系列に沿って本文を書いていることが判る。]

○十二月二日 平知盛等を東國追討使として關東に向はしむ。

[やぶちゃん注:「平知盛等を東國追討使として關東に向はしむ」「東國追討使」は大将軍(総大将)に故重盛の嫡男維盛、それに清盛の異母弟忠度と、清盛の四男知盛(仁平二(一一五二)年~文治元(一一八五)年)平治元(一一五九)年八歳で従五位下、治承元 (一一七七)年従三位。同四年挙兵した源頼政を「宇治川の戦い」で破った。寿永元(一一八二 年、従二位権中納言。翌年、源義仲に追われ、一門とともに西走、解官された。同三年、「一ノ谷の戦い」で奮戦したが、敗れて屋島に逃れ、翌文治元(一一八五)年の「屋島の戦い」で義経に敗れ、「壇ノ浦の合戦」で、安徳天皇始め一門の女性とともに入水した)を将とする三名が選出され、これに平家の侍大将藤原(伊藤)忠清らの平家家人が加わった大軍であった。但し、追討使本軍は九月二十二日に福原京を出発、翌二十三日に旧都平安京に到着したが、ここの出発日の吉凶を巡ってトラブルが発生し、九月二十九日になってやっと進発するという致命的な遅れを犯してしまっている(芥川龍之介の日付は全くの誤り)。この辺りから関東での源氏を中心とした勢力の膨脹と西進に就いては、およまる氏のブログ「ひとり灯(ともしび)のもとに文をひろげて」の「東国追討使の派遣【治承・寿永の乱 vol.48】」が非常に詳しく、読ませる。]

○同十日 淡路守淸房をして、園城寺をうたしむ。山門の僧兵園城寺を扶けて、平軍と山科に戰ふ。

 同日 淸房園城寺を火き、緇徒を屠る。

[やぶちゃん注:「淡路守淸房」平清房(?~寿永三(一一八四)年)は清盛の八男。治承三年のクーデタで淡路守に任官した。寿永三年の「一ノ谷の戦い」では、兄知盛の指揮下に入り、生田の森の陣を警備したが、源範頼軍に陣を突破され、覚悟を決め、従兄弟の経俊や義弟の清貞とともに三騎で敵陣に突入し、討ち取られた。なお、彼の指揮による園城寺焼き討ちは「玉葉」「山槐記」の十二月九日から十二日の条に記載があるので概ね正しい(十一日。次注参照)ものと思われる。]

○同二十五日 藏人頭重衡をして、南都に向はしむ。

○同廿八日 重衡、兵數千を率ゐて興福寺東大寺を火き、一宇の僧房を止めず、梟首三十餘級。

○同廿九日 重衡都へ歸る。

[やぶちゃん注:「重衡」平盛の五男重衡(保元二(一一五七)年~文治元(一一八五)年:

享年二十九)。ウィキの「平重衡」を見ると、彼は清房の園城寺焼き討ちにも参加してらしく、十二月十一日に『園城寺を攻撃し寺を焼き払うと』、十二月二十五日には、『大軍を率いて南都へ向かった。興福寺衆徒は奈良坂と般若寺に垣楯・逆茂木を巡らせて迎え』打ったが、『河内方面から侵攻した重衡の』四『万騎は興福寺衆徒の防御陣を突破し、南都へ迫』り、二十八日、『重衡の軍勢は南都へ攻め入って火を放ち、興福寺、東大寺の堂塔伽藍一宇残さず焼き尽し、多数の僧侶達が焼死した。この時に東大寺大仏も焼け落ちた』。「平家物語」では、『福井庄下司次郎太夫友方が明りを点ける』ため『に民家に火をかけたところ』、『風にあおられて延焼して大惨事になったとしているが』、延慶本「平家物語」では、『計画的放火であった事を示唆』する書き方になっている。『放火は合戦の際の基本的な戦術として行われたものと思われるが、大仏殿や興福寺まで焼き払うような大規模な延焼は、重衡の予想を上回るものであったと考えられる』とあり、『この南都焼討は平氏の悪行の最たるものと非難され、実行した重衡は南都の衆徒からひどく憎まれた』その後、寿永二(一一八三)年)二月の「一ノ谷の戦い」(『平氏は源範頼・義経の鎌倉源氏軍に大敗を喫し』た)、の負け戦さの最中、『重衡は馬を射られて捕らえられた。重衡を捕らえたのは』、「平家物語」では『梶原景季と庄高家』、「吾妻鏡」では『梶原景時と庄家長とされる。重衡は京へ護送され』、『土肥実平が囚禁にあたった。後白河法皇は藤原定長を遣わして重衡の説得にあたるとともに、讃岐国・屋島に本営を置く平氏の総帥・平宗盛に三種の神器と重衡との交換を交渉するが、これは拒絶された。しかし』「玉葉」の二月十日の条に『よると』、『この交換は重衡の発案によるものであり』、『使者は重衡の郎党だった』という。同年三月、『重衡は梶原景時によって鎌倉へと護送され、頼朝と引見した。その後、狩野宗茂(茂光の子)に預けられたが、頼朝は重衡の器量に感心して厚遇し、妻の北条政子などは重衡をもてなすために侍女の千手の前を差し出している。頼朝は重衡を慰めるために宴を設け、工藤祐経(宗茂の従兄弟)が鼓を打って今様を謡い、千手の前は琵琶を弾き、重衡が横笛を吹いて楽しませている』。「平家物語」では、その『鎌倉での重衡の様子を描いており、千手の前は琵琶を弾き、朗詠を詠って虜囚の重衡を慰め、この貴人を思慕するようになった』とする。元暦二(一一八五)年三月、「壇ノ浦の戦い」で『平氏は滅亡し、この際に平氏の女達は入水したが、重衡の妻の輔子』(ほし/すけこ)『は助け上げられ』、『捕虜になっている』。『同年』六月九日、焼き討ちを『憎む南都衆徒の強い要求によって、重衡は南都へ引き渡されることになり、源頼兼の護送のもとで鎌倉を出立』、二十二日に『東大寺の使者に引き渡された』。「平家物語」には、『一行が輔子が住まう日野の近くを通った時に、重衡が「せめて一目、妻と会いたい」と願って許され、輔子が駆けつけ、涙ながらの別れの対面をし、重衡が形見にと額にかかる髪を噛み切って渡す哀話が残されている』。「愚管抄」にも『日野で重衡と輔子が再会したという記述がある』。二十三日、『重衡は木津川畔にて斬首され、奈良坂にある般若寺門前で梟首された。享年』二十九であった。『なお、斬首前に法然と面会し、受戒している』。なお、彼は美少年として知られ牡丹の花に喩えられたという。

「山門」比叡延暦寺。ここで僧兵らは往年の敵とともになって全面的に平氏に向かったのである。]

 

彼が駕を舊都に還してより、僅に三十餘日、しかも其傍若無人の行動は、實に天下をして驚倒せしめたり。彼は、時代の信仰を憚らずして、伽藍を火くを恐れざりき。然れども彼は僧徒の橫暴を抑へむが爲に、然かせるにあらず。内、自ら解體せむとする政府を率ゐ、外、猛然として來り迫る革命の氣運に應ぜむには、先、近畿の禍害を掃蕩するの急務なるを信じたるが爲めのみ。而して彼は、此一擧が平氏政府の命運を繫ぎたる一縷の糸を切斷せしを知らざる也。彼が此破天荒の痛擊は、久しく平氏が頭上の瘤視[やぶちゃん注:「りゆうし(りゅうし)」。]したる南都北嶺をして、遂に全く屛息し去るの止むを得ざるに至らしめたりと雖も、平氏は之が爲に更に大なる僧徒の反抗を喚起したり。啻に僧徒の反抗を招きたるのみならず、又實に醇篤なる信仰を有したる天下の蒼生をして、佛敵を以て平氏を呼ばしむるに至りたりき。形勢、既にかくの如し。自ら蜂巢[やぶちゃん注:「はうそう(そうそう)」。]を破れる入道相國と雖も、焉ぞ奔命に疲れざるを得むや。時人謠ひて曰く「咲きつゞく花の都をふりすてて、風ふく原の末ぞあやふき」と、然り眞に「風ふく原の末ぞ」あやふかりき。平氏は、福原の遷都を、掉尾の飛躍として、治承より養和に、養和より壽永に、壽永より元曆に、元曆より文治に、圓石を萬仞の峯頭より轉ずるが如く、刻々亡滅の深淵に向つて走りたりき。

[やぶちゃん注:「屛息」「へいそく」。恐れて縮こまり、息を殺して凝っとしていること。

「醇篤」純粋でしっかりしていること。

「蒼生」「さうせい(そうせい)」。注で既出既注。「人民」の意。

「奔命」主君の命を受けて奔走すること。転じて、忙しく活動すること。ここは後者。

「時人」「じじん」、当時の民。

「咲きつゞく花の都をふりすてて、風ふく原の末ぞあやふき」既出既注。「平家物語」巻第五の「都遷(うつ)し」(福原遷都)の章の、旧の京の都の内裏の柱に記されてあったとして出る、二首の落首の二首目。「咲き出づる花の都を振り捨てて風ふく原の末ぞ危ふき」の相似歌。諸本の異同か。

と、然り眞に「風ふく原の末ぞ」

「治承」安元三年八月四日(ユリウス暦一一七七年八月二十九日)から治承五年七月十四日(一一八一年八月二十五日)。但し、頼朝の関東政権では、この先の養和・寿永の元号を使わず、治承を引き続き、使用した。

「養和」治承五年七月十四日から養和二年五月二十七日(一一八二年六月二十九日)まで。

「壽永」養和二年五月二十七日から寿永三年四月十六日(一一八四年五月二十七日まで。但し、ウィキの「寿永」によれば、『源氏方ではこの元号を使用せず』、『以前の治承を引き続き使用していたが、源氏方と朝廷の政治交渉が本格化し、朝廷から寿永二年十月宣旨が与えられた』寿永二(一一八三)年以降は、『京都と同じ元号が鎌倉でも用いられるようにな』った。反して、『平家方では都落ちした後も』、『次の元暦とその次の文治の元号を使用せず、この寿永を』、『その滅亡まで引き続き』、『使用した』とある。

「元曆」寿永三年四月十六日から元暦二年八月十四日(一一八五年九月九日)まで。なお、加工データとした「青空文庫」の「木曾義仲論」はここを『天暦』(遥か前の九四七年から九五七年)としている。ママ注記も一切ないから、恐らく入力の誤りであろう。注意されたい。「青空文庫」はもう永く誤りを通知出来るシステムを休止している。これは老舗の権威的電子テクスト・サイトとしては頗る致命的であると言わざるを得ない。

「文治」元暦二年八月十四日から文治六年四月十一日(一一九〇年五月十六日)に建久に改元するまで。

 以下、底本では本文で初めて一行空けが施されている。ここでは二行空けた。]

 

 

將門、將を出すと云へるが如く、我木曾義仲も亦、將門の出なりき。彼は六條判官源爲義の孫、帶刀先生義賢の次子、木曾の山間に人となれるを以て、時人稱して木曾冠者と云ひぬ。久壽二年二月、義賢の惡源太義平に戮せらるゝや、義平、彼の禍をなさむ事を恐れ、畠山庄司重能をして、彼を求めしむる、急也。重能彼の幼弱なるを憫み、竊に[やぶちゃん注:「ひそかに」。]之を齋藤別當實盛に託し、實盛亦彼を東國にあらしむるの危きを察して、之を附するに中三權頭兼遠を以てしぬ。而して中三權頭兼遠は、實に木曾の溪谷に雄視せる豪族の一なりき。時に彼は年僅に二歲、彼のローマンチツクなる生涯は、既に是に兆せし也。

[やぶちゃん注:遂に木曾義仲が語られ始める。丁度、論文全体の真ん中少し前に当たる。

「將門、將を出すと云へるが如く」ここは個人名でのそれではなく、「しやうもん(しょうもん)」で、「大将の家柄・将軍を出すところの一門」の意なので、注意。以下の二つの注も参照。

「六條判官源爲義」源為義(永長元(一〇九六)年~保元元(一一五六)年)は義家の孫で、父は義親。叔父の義忠暗殺後に河内源氏の棟梁を称した。これは広義の武家集団の中の頭(大将)と言える。なお、父は源義家で、源義親と義忠は兄にあたるという説もある。頼朝・義経らの祖父。「保元の乱」で崇徳上皇方の主力として戦ったが敗北し、後白河天皇方についた長男義朝の手で処刑された。

「帶刀先生義賢」「たちはきのせんじやう(じょう)よしかた」(「たてはき」でもよい)と読む。生年不詳で久寿(きゅうじゆ)二(一一五五)年没。保延五(一一三九)年に後の近衛天皇となる東宮躰仁(なりひと)親王を警護する帯刀の長となったことから、「東宮帯刀先生(とうぐうたちはきのせんじょう)」と呼ばれた。これは皇太子護衛官である武官集団の指揮官であるから、やはり広義の「大将」と言ってよいであろうウィキの「源義賢」によれば、『翌年、滝口源備』(みなもとのそなう)『殺害事件の犯人を捕らえるが、義賢がその犯人に関与していた』(犯人を匿ったとされる)『として帯刀先生を解官され』、『その後藤原頼長に仕える』。康治二(一一四三)年には『頼長の所有する能登国の預所職となるが』、久安三(一一四七)年年、『貢未納により罷免され、再び頼長の元に戻り、頼長の男色の相手になってい』たらしい(「台記」久安四年一月五日の条に拠る)。『京堀川の源氏館にいたが、父・為義と不仲になり』、『関東に下っていた兄・義朝が』、仁平三(一一五三)年に『下野守に就任し』て『南関東に勢力を伸ばすと、義賢は父の命により』、『義朝に対抗すべく北関東へ下った。上野国多胡を領し、武蔵国の最大勢力である秩父重隆と結んで』、『その娘をめとる。重隆の養君(やしないぎみ)として武蔵国比企郡大蔵(現在の埼玉県比企郡嵐山町)に館を構え、近隣国にまで勢力を』伸ばした。久寿二(一一五五)年八月(芥川龍之介の「二月」は誤りか)、『義賢は義朝に代わって鎌倉に下っていた甥・源義平』(永治元(一一四一)年~永暦元(一一六〇)年:義朝の長子で頼朝・義経らの異母兄。父とともに戦って敗れた「平治の乱」後に逃走し、清盛の暗殺を狙ったが、翌年、捕えられて六条河原で処刑された。享年二十歳)『に大蔵館を襲撃され』、『義父・重隆とともに討たれた。享年は』三十『前後とされる』(この戦いは、秩父一族内部の家督争いに端を発したものに、源氏内部の争いが結びついたものであった)。『大蔵館にいた義賢の次男で』二『歳の駒王丸は、畠山重能』(しげよし 生没年未詳:武蔵国大里郡畠山荘(現在の埼玉県深谷市)の豪族。桓武平氏の流れを汲む秩父氏の一族で畠山氏の祖。晩年まで平家方にあったが、嫡男畠山重忠は初期に頼朝を追討するも、開幕後は有力御家人となった(但し、北条時政の謀略により滅ぼされた)『・斎藤実盛』(?~寿永二(一一八三)年:芥川龍之介の「芋粥」で知られる藤原利仁の子孫。出身は越前であるが、武蔵国播羅(はら)郡長井(現在の埼玉県熊谷市)に移った。この時、幼い義賢の遺児義仲を助け、信濃の豪族中原兼遠(かねとお)に託した。初め、源為義・義朝に仕え、「保元・平治の乱」では義朝に従ったが、「平治の乱」で義朝が敗れ、東国に逃れる途中で別れ、その後は平氏に従い、頼朝が挙兵した際にも、「石橋山の合戦」でこれと戦い、次いで平維盛に属して「富士川の戦い」にも出陣している。寿永二年、やはり維盛に従って北陸に出陣、かつての養い子である義仲と戦ったが、「加賀の篠原の戦い」で手塚光盛に討たれた。その際、老年を隠すため、鬢髪を黒く染めて出陣した話はよく知られる)『らの計らいによって信濃木曾谷(木曽村)の中原兼遠に預けられ、のちの源義仲(木曾義仲)とな』り、『京にいたと思われる嫡子の仲家は、源頼政に引き取られ』て『養子となっている』とある。

「中三權頭兼遠」「ちゆうざうごんのかみかねとう」。前注に出た通り、信濃国木曾地方に本拠とした豪族中原兼遠(?~治承五(一一八一)年?)。右馬少允中原兼経の子。木曾義仲の乳母父。ウィキの「中原兼遠」によれば、『木曾中三(中原氏の三男)を号した』。『朝廷で代々大外記を務めた中原氏』から続く『系図がある。父の兼経は朝廷で正六位下・右馬少允に叙任された後、信濃国佐久郡に移住し牧長を務めたとされる』。『平安時代末期には兼経の長男である木曾中太が』「保元の乱」で『源義朝・源為義に従軍している』。先の事件の後、『駒王丸を斎藤実盛の手から預かり、ひそかに匿って養育』した。『この時、信濃権守であったという。駒王丸は兼遠一族の庇護のもとで成長し、木曾義仲と名乗って』、「治承・寿永の乱」に『おいて平家や源頼朝と戦う。兼遠の子である樋口兼光・今井兼平はともに義仲の重臣となっている』。「源平盛衰記」では、『巴御前は兼遠の娘で義仲の妾となっており、また一説によると』、『もう一人の娘は義仲の長男義高を生んでいると』も言う。]

 

吾人は、彼の事業を語るに先だち、先づ木曾を語らざるべからず。何となれば、彼の木曾に在る二十餘年、彼の一生が此間に多大の感化を蒙れるは、殆ど疑ふべからざれば也。請ふ吾人をして源平盛衰記を引かしめよ。曰、

[やぶちゃん注:以下「所にあらずと。」までは底本では全体が一字下げ。区別するために前後を一行空けた。]

 

木曾と云ふ所は究竟の城廓なり、長山遙に連りて禽獸稀にして嶮岨屈曲也、溪谷は大河漲り下つて人跡亦幽なり、谷深く棧危くしては足を峙てゝ步み、峯高く巖稠しては眼を載せて行く、尾を越え尾に向つて心を摧き、谷を出で谷に入つて思を費す、東は信濃、上野、武藏、相模に通つて奧廣く、南は美濃國に境道一にして口狹し、行程三日の深山也。縱、數千萬騎を以ても攻落すべき樣もなし、況や、棧梯引落して楯籠らば、馬も人も通ふべき所にあらずと。

[やぶちゃん注:「源平盛衰記」巻第二十六の「木曾謀叛の事」のここ(国立国会図書館デジタルコレクションの当該部の画像。左の十行目から十四行目部分。別伝本を底本としたか、「嶮岨屈曲也、溪谷は」などはないが、他には有意な異同は認められない。読みがないと、かなり読み難いが、注で挟むと五月蠅くなるので、ここでは本文では附さずに、以下に必要と私が判断した箇所に読みを添えたものを再掲することとする。

   *

木曾と云ふ所は究竟(くきやう)の城廓なり、長山(ちやうざん)遙に連りて禽獸稀にして嶮岨屈曲也、溪谷は大河漲り下つて人跡亦幽(かすか)なり、谷深く棧(かけはし)危(あやし)くしては足を峙(そばだ)てゝ步み、峯高く巖(いはほ)稠(きびしう)しては眼(まなこ)を載せて行く、尾を越え尾に向つて心を摧き、谷を出で谷に入つて思(おもひ)を費(つひや)す、東は信濃、上野(かうづけ)、武藏、相模に通(とほ)つて奧廣く、南は美濃國に境(さかひ)道(みち)一にして口(くち)狹(せば)し、行程(ゆくほど)三日の深山(みやま)也。縱(たとひ)、數(す)千萬騎を以ても攻落(せめおと)すべき樣もなし、況や、棧梯(せんてい)引落(ひきおと)して楯籠(たてこも)らば、馬も人も通ふべき所にあらずと。

   *

「眼を載せて行く」というのは、桟道を行く際の目も眩む危うさを言っていよう。なお、底本は「相模」であるが、諸本はここを「相摸」とする(律令時代の公文書では「相摹」であるから正規表現は「相摸」ではある)。しかし私の校合した「源平盛衰記」は「相模」である。新全集は「相摸」だが、校訂表に変更したとする記載がない。そもそもが新全集は新字体を用いているのだから、ここだけ使用漢字にしたのだとしても実体全体のテクストとしては何ら意味を成さないと思うと言っておく。]

 

是、東海の蜀道にあらずや。惟ふに函谷の嶮によれる秦の山川が、私鬪に怯[やぶちゃん注:「けふ(きょう)」。]にして公戰に勇なる秦人を生めるが如く、革命の氣運既に熟して天下亂を思ふの一時に際し、昂然として大義を四海に唱へ、幾多慓悍なる革命の健兒を率ゐ、長驅、六波羅に迫れる旭日將軍の故鄕として、はた其事業の立脚地として、恥ぢざるの地勢を有したりと云ふべし。然り、彼が一世を空うする[やぶちゃん注:「むなしうする」。]の霸氣と、彼が旗下に投ぜる木曾の健兒とは、實に、木曾川の長流と木曾山脈の絕嶺とに擁せられたる、此二十里の大峽谷に養はれし也。然らば彼が家庭は如何。麻中の蓬をして直からしむものは、蓬邊の麻也。英雄の兒をして英雄の兒たらしむるものは其家庭也。是ハミルカルありて始めてハンニバルあり、項梁ありて始めて項羽あり、信秀ありて始めて信長あるの所以、鄭家の奴學ばずして、詩を歌ふの所以にあらずや。思うて是に至る、吾人は遂に、彼が乳人にして、しかも彼が先達たる中三權頭兼遠の人物を想見せざる能はず。彼の義仲に於ける、猶北條四郞時政の賴朝に於ける如し。彼は、より朴素なる張良にして、此は、より老猾なる范增なれども、共に源氏の胄子を擁し、大勢に乘じて中原の鹿を爭はしめたるに於ては、遂に其歸趣を同くせずンばあらず。

[やぶちゃん注:「麻中の蓬をして直からしむものは、蓬邊の麻也」「麻中(まちゆう(まちゅう))の蓬(はう(ほう))をして直(なほ)からしむものは、蓬邊(はうへん)の麻(あさ)也(なり)」と読んでおく。「軟弱で曲がり易い蓬(よもぎ)のような草でも、真っ直ぐに伸びる習性を持った麻(あさ)の中に入って育てば、曲がらずに伸びる」、則ち、「人は善良な人と交われば自然に感化を受け、だれでも善人になる」という喩え。「荀子」の「巻第一 勧学篇第一」にある「蓬生麻中、不扶而直、白沙在涅、與之俱黑」(蓬(はう)も麻中に生ずれば扶(たす)けずして直(なほ)く、白沙も涅(どろ)に在れば、之れと俱(とも)に黑し)の前半部に基づく。

「ハミルカル」カルタゴの将軍ハミルカル・バルカ(Hamilcar Barca(s) 紀元前二七五年頃~紀元前二二八年)。ウィキの「ハミルカル・バルカ」によれば、『家族名のバルカはフェニキア語の「バラク』『(電光)」に由来』するとある。『第一次ポエニ戦争(紀元前二六四年~紀元前二四一年)の際』、『ローマ軍と戦い、シチリア島での戦いでは陸と海でローマ軍を挟みうちにし』て『ローマを苦しめたが、本国カルタゴが敗れ、ローマとの講和を余儀なくさせられた』。『ハミルカルにより約束されていた』傭兵らの『報酬は、大ハンノを中心とするカルタゴ政府内の反ハミルカル勢力により反故にされ、傭兵たちは反乱を起こしてしまう。危機感を募らせたカルタゴ政府はハミルカルに反乱の鎮圧を要請、紀元前』二三七年、『ハミルカルは傭兵の反乱を鎮圧に成功する。これによりハミルカルのアフリカでの名声と影響力を世に知らしめる』。『反乱鎮圧の後、ハミルカルの影響は強まり、彼の政敵は日増しに力を増す彼に抗する事ができなかった。この名声を背景に彼は自分の軍隊を募る。軍には』『各地からの傭兵を集めて訓練を施し、ヒスパニアへ出征してカルタゴ政府からの干渉を受けない』、『自らの王国を築く事を決意する。新天地の開拓により、シチリア島を失ったカルタゴを支援できうると考えての行動であった。また遠征には息子ハンニバルも随行した。幼き日の息子ハンニバルを神殿に連れて行き、打倒ローマを誓わせた逸話は非常に有名』とある。

「ハンニバル」カルタゴの将軍ハンニバル・バルカ(Hannibal Barca 紀元前二四七年~紀元前一八三年又は紀元前一八二年)。ハミルカル・バルカの長子。ウィキの「ハンニバル」によれば、『第二次ポエニ戦争を開始した人物とされており、連戦連勝を重ねた戦歴から、カルタゴが滅びた後もローマ史上最強の敵として後世まで語り伝えられていた』。二千『年以上経た現在でも、その戦術は研究対象として各国の軍隊組織から参考にされるなど、戦術家としての評価は非常に高い』とある。

「鄭家の奴」「ぢやうけのど」。後漢の学者鄭玄(じょうげん 一二七年~二〇〇年)の家の使用人。鄭玄は各地を遊学後、四十を過ぎて郷里高密(山東省)に帰った。清貧をよしとし、農耕しつつ、諸生に教授したという。その学徳を慕って来たり学んだ者は一千人に達した。権勢に近づかず、朝廷や貴戚の徴召を断って、ひたすら研究に専念した「純儒」で、漢代経学の集大成者であり、すこぶる業績に富む(以上は平凡社「世界大百科事典」に拠った)。五経の一つである「詩経(毛詩)」は現在、完全に伝わっているものは、毛氏の解釈にこの鄭玄が補注を加えた「毛伝鄭箋」だけである。

「乳人」「ちひと」。乳母。ここは乳母親の意。

「胄子」「ちゆうし(ちゅうし)」家督を継ぐことになっている子。後継ぎ。「胄」は「世継・血筋」の意。

「歸趣」物事が最終的に落ち着くこと。行き着くところ。「帰趨」に同じい。]

 

義仲が革命の旗を飜して檄を天下に傳へむとするや、彼は踊躍して、「其料にこそ、君をば此二十年まで養育し奉りて候へ、かやうに仰せらるゝこそ八幡殿の御末とも思させましませ」と叫びたりき。「立馬吳山第一峯」の野心、此短句に躍々たるを見るべし。始め、實盛の義仲をして彼が許に在らしむるや、彼は竊に「今こそ孤にておはしますとも、武運開かば日本國の武家の主ともなりや候はむ。いかさまにも養立てて、北陸道の大將軍ともなし奉らむ」と獨語したりき。彼が、雄心勃々として禁ずる能はず、機に臨ンで其驥足を伸べむと試みたる老將たりしや知るべきのみ。年少氣鋭、不盡の火其胸中に燃えて止まざる我義仲にして斯老の膝下にある、焉ぞ其心躍らざるを得むや。彼が悍馬に鞭ちて[やぶちゃん注:「むちうちて」。]疾驅するや、彼が長弓を橫へて雉兎を逐ふや、彼は常に「これは平家を攻むべき手ならひ」と云へり。かゝる家門の歷史を有し、かゝる溪谷に人となり、而してかゝる家庭に成育せる彼は、かくの如くにして其烈々たる靑雲の念を鼓動せしめたり。彼は實に木曾の健兒也。其一代の風雲を捲き起せるの壯心、其眞率にして自ら忍ぶ能はざるの血性[やぶちゃん注:「けつしやう」。]、其火の如くなる功名心、皆、此「上有橫河斷海之浮雲、下有衝波逆折之囘川」の木曾の高山幽壑の中に磅礴したる、家庭の感化の中より得來れるや、知るべきのみ。吾人既に彼が時勢を見、既に彼が境遇を見る、彼が如何なる人物にして、彼が雄志の那邊に向へるかは、吾人の解說を待つて之を知らざる也。

[やぶちゃん注:「其料にこそ、君をば此二十年まで養育し奉りて候へ、かやうに仰せらるゝこそ八幡殿の御末とも思させましませ」「平家物語」巻第六の「義仲謀叛」の冒頭部の一節。

   *

そのころ、信濃國に、木曾の冠者(くわんじや)義仲といふ源氏ありと聞こえけり。これは故六条判官(はんぐわん)爲義が次男、帶刀(たてはき)の先生(せんじやう)義賢が子なり。父義賢は久壽二年八月十六日、武藏國大倉にて、甥の惡源太義平(あくげんだよしひら)がために誅せられたり。そのとき、義仲二歳なりけるを、母、泣く泣くいだいて、信濃に越えて、木曾の中三(ちゆうざう)兼遠がもとへ行き、

「いかにもしてこれを育て、人になして見せ給へ。」

と言ひければ、兼遠、請けとつて、かひがひしう二十餘年、養育す。

 やうやう人となるままに、力も世(よ)にすぐれて强く、心も並ぶ者なし。つねには、

「いかにもして平家を滅ぼして、世を取らばや。」

と申しける。兼遠よろこんで、

「その料(れう)にこそ[やぶちゃん注:そのためにこそ。]、君(きみ)をばこの二十四年、養育申し候へ。かく仰せられ候ふこそ、八幡殿[やぶちゃん注:義家。]の御末(おんすゑ)とも思(おぼ)えさせ給へ。」

と申しければ、木曾、心、いとどたてくなつて、根の井の大彌太(おほやた)滋野(しげの)の幸親(ゆきちか)[やぶちゃん注:生年未詳で元暦元(一一八四)年没か。義仲四天王の一人。佐久郡根々井の住人。根井(ねのい)国親の子。「滋野」は氏(うじ)正確にはその庶流である望月氏の出。「保元の乱」では源義朝に従って活躍したとされる。この治承四年に信濃国小県郡丸子の依田城で挙兵して以後、義仲に従い、各地に転戦したが、元暦元(一一八四)年一月二十日の「宇治川の戦い」で、子の楯親忠(たてのちかただ:義仲四天王の一人で行親の六男。義仲と父に従って「横田河原の戦い」や「倶利伽羅合戦」などに参戦し、活躍した)や源義広らとともに三百余騎で宇治の防衛に当たったが、二万五千騎の義経軍に突破された。この時、一族の武将らと前後して敗死したとされ、同年一月二十六日、義仲・今井兼平・高梨忠直らとともに東洞院の北にある獄門の木に梟首された。]をはじめとして、國中(こくちゆう)の兵(つはもの)をかたらふに、一人もそむくはなかりけり。上野國(かうづけのくに)には、故帯刀先生義賢のよしみによつて、那波(なは)の廣澄をはじめとして、多胡(たこ)の郡(こほり)の者ども、皆、從ひつく。

「平家、末(すゑ)になる折りを得て、源氏年來(ねんらい)の素懷をとげん。」

と欲す。

   *

「立馬吳山第一峯」金(一一一五年~一二三四年:中国北半を支配した女真族の王朝)のの太祖阿骨打(アクダ)の庶長子である遼王斡本(オベン)の次男で第四代皇帝となった。女真名は迪古乃(テクナイ)、漢名は亮。殺害後に廃位され、海陵郡王に落とされたことから、「海陵王」と史称される。これは彼の詠じた七言絶句の結句。参照したウィキの「海陵王」によれば、『宗室の子である』ことから一一四〇年の奉国上将軍となったのを皮切りに宰相格の重職を歴任した。『堂々たる容貌であり、文官としても武将としても優れた才能を発揮し』たが、『一方で大いなる野心を抱い』ていた。一一四九年、『皇帝であった従兄の熙宗が奢侈や粛清などの暴政を繰り返して人望を失っているのを見て、自派の重臣ら』『と謀って熙宗を殺害し、自ら皇帝に即位した。即位後、腹心に「金の君主となる」「宋を討ってその皇帝を自分の膝下にひざまずかせる」「天下一の美女を娶る」という』三『つの夢を打ち明けている』。『金の建国後に生まれた海陵王は、若い頃から漢文化に親しんで優れた教養を持ち、即位後は漢文化の奨励を行った。その一方で、猜疑心が強く残忍な性格で』、『一一五二年には、皇帝の独裁権を強化するために、左丞相兼中書令の阿魯(宗本)と烏帯(宗言)ら大叔父・太宗の子孫』七十『余人と、族父(父の従兄)の秦王・粘没喝(宗翰)の子孫(乙卒ら)』五十『余人など』、『金の宗室系の諸王ら一族の実力者と、目障りな元勲の子孫たちを次々とまとめて粛清し』、『さらに、彼らの妻妾を奪取して後宮に入れ』ている。その後も残忍な粛清を続けた。一一六一年には周囲の反対を押し切って、『南宋に遠征した』が苦戦し、しかも『留守中の本国』では『海陵王の反対派が従弟に当たる葛王烏禄(世宗)を擁立し』、海陵王は『南征中の陣中で』『部下』『の軍隊によって殺害された』。詩は以下。南宋を征服せんとする意気込みを詠んだ一篇である。

   *

萬里車書一混同

江南豈有別疆封

提兵百萬西湖上

立馬吳山第一峰

 萬里の車書(しやしよ) 盡く混同

 江南 豈に 疆封(きやうほう)の別(べつ) 有らんや

 兵 百萬を提(す)ぶ 西湖の上(ほとり)

 馬を立てん 呉山(ござん)の第一峰

   *

訓読は漢詩サイト「詩詞世界 碇豊長の詩詞」の同詩に拠った。御注も豊富なのでそちらを見られたい。

「今こそ孤にておはしますとも、武運開かば日本國の武家の主ともなりや候はむ。いかさまにも養立てて、北陸道の大將軍ともなし奉らむ」「孤」は「みなしご」。筑摩書房全集類聚版注は『出典未詳』とするが、これは「源平盛衰記」の「濃巻 第二十六」の一節であろう。但し、芥川龍之介はこれを斉藤別当実盛の心内語として以下も叙述しているが、そこでは、実盛の慫慂を受け、母が駒王丸を信濃に連れて来て、中原兼遠に保護を懇請した際の、兼遠の心内語である。国立国会図書館デジタルコレクションの画像のここ(心内語は九行目から始まる)。読み易く書き換えて示す。芥川の引用とは一部異なるが、以下に示す通り、後には「これは平家を攻むべき手ならひ」もあるので、間違いない。なお、後の部分をかなり引いたが、そこの後に先に示した芥川龍之介の引用の「木曾と云ふ所は究竟の城廓なり……」の部分が直に続くのである。

   *

兼遠、

『哀れ。』

と思ひける上、

『此の人は正(まさ)しく八幡殿には四代の御孫(まご)なり。世の中の淵は瀨となる喩へもあり。今こそ孤子(みなしご)にて御座(おはし)ますとも、知らず、世の末には、日本國の武家の主とも成りやし給はん。如何樣(いかさま)にも養ひ立てて、北陸道の大將軍になし奉つて、世にあらん。』

と思ふ心有りければ、憑(たの)もしく請け取りて、木曾の山下と云ふ所に隱し置きて、二十餘年が間、育(はごく)み養ひけり。

 然(しか)るべき事にや、弓矢を取つて人に勝れ、心、甲(がふ)に、馬に乘りて能(よし)、保元・平治に、源氏、悉く亡びぬと聞こえしかば、木曾、七、八歲のをさな心に安からず思ひて、

『哀れ、家を討ち失うて世を取らばや。』と思ふ心あり。

『馬を馳せ、弓を射るも、是れは平家を責むべき手習ひ。』

とぞあてがひける。

 長大の後、兼遠に云ひけるは、

「我は孤(みなしご)なりけるを、和殿(わどの)の育(はご)くみに依つて成人せり。懸かるらよりなき身に、思ひ立つべき事ならねども、八幡殿の後胤として、一門の宿敵を徐(よそ)に見るべきに非ず。平家を誅して世に立たばやと存ず、いかゞ有るべき。」

と問ふ。兼遠、ほくそ咲(ゑ)みて、

「殿を今まで育(やしな)ひ奉る本意(ほんい)、偏へに其の事にあり。憚り候ふ事なかれ、と云ひければ、其の後(のち)は、木曾、種々(しゆじゆ)の謀(はかりごと)を思ひ廻らして、京都へも度々忍び上(のぼ)つて伺ひけり。片山陰(かたやまかげ)に隱れ居て、人にもはかばかしく見知れられざりければ、常は六波羅邊(へん)にたゝずみ、伺ひけれども、平家の運、盡きざりける程は、本意を遂げざりけるに、高倉の宮の令旨を給はりけるより、今は憚るに及ばず、色に顯はれて謀叛を發(おこ)し、國中の兵を駈(か)り從へて、既に千萬騎に及べりと聞こゆ。[やぶちゃん注:以下略。というより、ここに芥川龍之介]

   *

「驥足」(きそく)「を伸べむ」「驥足を展ばす」「驥足」は「名馬の脚力」のこと。「一日に千里を走る駿馬が、さらに脚力を発揮して前進する」ことから、「優れた人物がその才能を十分に発揮する」ことの喩え。「三国志」の「蜀書」の「龐統(ほうとう)伝」に基づく。

「老將」「斯老」(しらう(しろう):かくも老練なる人物)孰れも前に注した通り、芥川龍之介は誤認した斉藤実盛を指して言っている。

「上有橫河斷海之浮雲、下有衝波逆折之囘川」李白の楽府題の「蜀道難」の一節に、

上有六龍囘日之高標

下有衝波逆折之囘川

 上には六龍(りくりよう)囘日(くわいじつ)の高標(かうへう)有り

 下には衝波(しようは)逆折の囘川(くわいせん)有り

訓読は漢詩サイト「詩詞世界 碇豊長の詩詞」の同詩に拠った。その注に訳が示されてあり『上の方には、(太陽神というべき羲和が太陽を載せた)六匹の龍が挽(ひ)く車でも太陽を(載せて)迂回する高峰があり』とされた後、改訳されて、『上の方には、六頭立ての龍車に乗って運行する太陽でさえも道を譲らなければ高い山の峰があり』とあり、次の句は『下の方には、激しい真っ直ぐな流れの波に、逆方向に折れ曲がって流れる渦巻く川がある』とある。芥川龍之介のそれは、調べて見たところ、グーグルブックスの中文の「李白詩全集」の「蜀道難」に、この前の句が一本では、

上有橫河斷海之浮雲

とあるとあった。これだと、

 上には橫河(わうが)斷海(だんかい)の浮雲有り

で、「上野方には、大いなる黄河に悠々と相並んで大海をも断ち切って在る浮雲が流れ」といった謂いか。個人的には意味に於いて、比喩の河川が出て次句の実景のイメージとのダブりがあるそれより、知られた「上有六龍囘日之高標」の方が遙かによいと思う。

「幽壑」「いうがく(ゆうがく)」。奥深い渓谷。

「磅礴」「はうはく(ほうはく)」。「ぼうはく」(現代仮名遣)とも読む。ここは「広がり満ちること」の意。]

 

今や、跼天蹐地の孤兒は漸くに靑雲の念燃ゆるが如くなる靑年となれり。而して彼は滿腔の霸氣、欝勃として抑ふべからざると共に、短褐孤劍、飄然として天下に放浪したり。彼が此數年の放浪は、實に彼が活ける學問なりき。吾人は彼が放浪について多く知る所あらざれども、彼は屢京師に至りて六波羅のほとりをも徘徊したるが如し。彼は、恐らく、此放浪によりて天下の大勢の眉端に迫れるを、最も切實に感じたるならむ。恐らくは又、其功名の念にして、更に幾斛[やぶちゃん注:「いくこく」。]の油を注がれたりしならむ。想ふ、彼が獨り京洛の路上に立ちて、平門の貴公子が琵琶を抱いて落花に對するを望める時、殿上の卿相が玉笛を吹いて春に和せるを仰げる時、はた入道相國が輦車を驅り、兵仗を從へ、儀衞堂々として、濶步せるを眺めし時、必ずや、彼は其胸中に幾度か我とつて代らむと叫びしなるべし。然り、彼が天下を狹しとするの雄心は、實に此放浪によつて、養はれたり。彼が靈火は刻一刻より燃え來れり。彼は屢、長劍を按じたり。然れども、彼は猶、機を窺うて動かざりき。將に是、池中の蛟龍が風雲の乘ずべきを待ちて、未立たざるもの、唯機會だにあらしめば、彼が鵬翼の扶搖を搏つて[やぶちゃん注:「うつて」。]上ること九萬里、靑天を負うて南を圖らむとする日の近きや知るべきのみ。思ふに、彼は、鹿ケ谷の密謀によりて、小松内府の薨去によりて、南都北嶺の反心によりて、平賊の命運、既に旦夕に迫れるを見、竊に莞爾として時の到らむとするを祝せしならむ。然り、機は來れり、バスチールを壞つ[やぶちゃん注:「こぼつ」。]べきの機は遂に來れり。天下は高倉宮の令旨と共に、海の如く動いて革命に應じたり。而して、彼が傳家の白旗は、始めて木曾の山風に飜されたり。時に彼、年二十七歲、赤地の錦の直垂に、紫裾濃の鎧を重ね、鍬形の兜に黃金づくりの太刀、鷗尻に佩き反らせたる、誠に皎として、玉樹の風前に臨むが如し。天下風[やぶちゃん注:「かぜ」。]を仰いで其旗下に集るもの、實に五萬餘人、根井大彌太行親は來れり、楯六郞親忠は來れり、野州の足利、甲州の武田、上州の那和、亦相次いで翕然として來り從ひ、革命軍の軍威隆々として大に振ふ。圖南の鵬翼既に成れり。是に於て、彼は戰鼓を打ち旌旗を連ね、威風堂々として、南信を出で、軍鋒の向ふ所枯朽を摧くが如く、治承四年九月五日、善光寺平の原野に、笠原平五賴直(平氏の黨)を擊つて大に破り、次いで鋒を轉じて上野に入り、同じき十月十三日、上野多胡の全郡を降し、上州の豪族をして、爭うて其大旗の下に參集せしめたり。是實に賴朝が富士川の大勝に先だつこと十日、かくの如くにして、彼は、殆ど全信州を其掌中に收め了れり。

[やぶちゃん注:「跼天蹐地「きよくてんせきち」。「詩経」の「小雅」の「正月」に基づくもので「天は高いにも拘わらず、背を縮めてしまい、地は厚いのに、抜き足差し足で歩くこと」を指し、転じて「肩身が狭く、世間に気兼ねしながら暮らすこと」の意。

「吾人は彼が放浪について多く知る所あらざれども、彼は屢京師に至りて六波羅のほとりをも徘徊したるが如し」芥川龍之介が前段の注で私が引用した「源平盛衰記」の終りの方を参考にして述べていることが判然とする。

「輦車」「れんしや」。平安以来、特に大内裏の中を貴人を乗せて人力で引く車を指す。宮城門から宮門までの間を乗用した。大内裏外の交通は一般には牛車・乗馬で、ここで輦車を乗用するにはそのための「輦車の宣旨」が必要で、東宮以下、大臣を始め、大僧正が乗ることを許され、また女御や一部の更衣にも許された。輦車は、方形の屋形(やかた)に付属する轅(ながえ)の中央に車輪が附いたもので、数人の者が車の前後から轅を持って手で引き、運行させた(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠る)。

「兵仗」「ひやうぢやう(ひょうじょう)」武器を持った武官である随身(ずいじん)、及び内舎人(うどねり:文官であるが、武装して皇族らの雜役や警護に当たった。嘗つては五位以上の子弟から召したが、後には諸家の侍、特に源氏・平氏の中から選ばれた)などの称。

「儀衞」「ぎゑい」。天子や要人の警護をすること、及びその者。儀仗兵。

「鵬翼の扶搖を搏つて上ること九萬里、靑天を負うて南を圖らむ」知られた「荘子」の冒頭「逍遙游第一」の一節。

   *

窮髮之北有冥海者、天池也。有魚焉、其廣數千里、未有知其脩者、其名爲鯤、有鳥焉、其名爲鵬、背若太山、翼若垂天之雲、摶扶搖羊角而上者九萬里、絕雲氣、負靑天、然後圖南、且適南冥也、斥鷃笑之曰、「彼且奚適也。我騰躍而上、不過數仞而下、翱翔蓬蒿之間、此亦飛之至也、而彼且奚適也。」、此小大之辯也。

   *

窮髮の北[やぶちゃん注:極北の地。]に冥海有るは、天池なり。魚、有り、其の廣さ數千里、未だ其の脩(なが)さを知る者有らず、其の名を「鯤(こん)」と爲す。鳥、有り、其の名を「鵬」と爲す。背は太山のごとく、翼は垂天の雲のごとし。扶搖(ふえう)[やぶちゃん注:旋風(つむじかぜ)。]に摶(はねう)ち、羊角して[やぶちゃん注:羊の角のように激しい螺旋を描いて。]上(のぼ)る者(こと)九萬里、雲氣を絕(こ)え[やぶちゃん注:「超え」。]、靑天を負ひて、然る後に南を圖(はか)り、且(まさ)に南冥に適(ゆ)かんとするなり[やぶちゃん注:成層圏を突きぬけて大空を背負うと、そこで初めて南方を目指して、南の海の果てを目指して天翔(あまが)けんとするのである。]。斥鷃(せきあん:沢に住む雀に似た小鳥)之れを笑ひて曰はく、「彼、且に奚(いづ)くに適(ゆ)かんとするや。我れ、騰躍(とうやく)[やぶちゃん注:跳躍。]して上るも、數仞(すうじん)に過ぎずして下(お)ち、蓬蒿(はうこう)[やぶちゃん注:蓬の草叢。]の間に翱翔(こうしやう)す[やぶちゃん注:飛び回るんだ。]。此れも亦、飛ぶの至りなり[やぶちゃん注:これだって他の鳥に比べりゃ、大した飛び方なんだ。]。而るに、彼、且に奚くに適かんとするや。」と。此れ、小・大の辯(わかち)なり[やぶちゃん注:人の矮小なる知性では広大無辺な宇宙の真智は想像もつかない大きさであることを謂う。]。

「バスチールを壞つべきの機は遂に來れり」「フランス革命」の始まりとされる一七八九年七月十四日にフランス王国パリの民衆が、同市内の「バスティーユ牢獄」を襲撃した「バスティーユ監獄の襲撃」(prise de la Bastille)。王府がここに武器弾薬を多量に集積させていたのを奪取するためと、政治犯解放が目的であったが、実際には政治犯はおらず、騒擾の罪で収監されていた老人が七人いただけであったという。

「高倉宮の令旨」以仁王の令旨。彼の邸宅は三条高倉にあったことから、別に「高倉宮」と称された。

「紫裾濃の鎧」「むらさきすそご」鎧縅(よろいおどし)の一つ。全体に紫色であるが、上方は薄く、下方になるにつれて濃くなるように組んだ鎧。

「鷗尻」太刀の尻を有意に上へ反らせて佩くこと。水上の鷗の尾が上へ撥ね上がっている形に似るところからの呼び名。

「皎として」「かう(こう)として」。眩しく白く輝くようで。

「玉樹」美しい木だが、風姿の高潔な人の比喩に使うので、それを利かせたもの。

「根井大彌太行親」私の注で既出既注。

「楯」(たて)「六郞親忠」(ちかただ)は義仲四天王の一人で行親の六男。同前。

「上州の那和」筑摩書房全集類聚版注に、『那和太郎弘澄。藤原秀郷の子孫』とのみある。義仲マニ屋」の「木曽軍武将」に、『藤原姓足利氏』(これは確かに秀郷の後裔である)『淵名氏流。那波、名和とも。太郎。源義賢家人』とし、『上野国那波郡(淵名庄)に住した』。「保元の乱」に『源義朝方に那波太郎の名が見える(父の名だと思われる)』。但し、『父・秀弘、娘婿の大江政広も那波太郎を称しているので注意が必要』とする。『佐位氏(高山党)・桃井氏と交流があったと思われ、各氏と並び』、『横田河原合戦に参戦。木曽義仲が京を落ちる途中の六条河原合戦まで』、『近くに付き従っているが、その後』、『消息不明』とある。

「翕然」「きふぜん(きゅうぜん)」多くの対象が一つに集まり合うさま。

「南信」信州南部。

「善光寺平」長野盆地。

「笠原平五賴直(平氏の黨)」治承四(一一八〇)年九月七日に行われた「市原合戦」の義仲の相手。ウィキの「市原合戦」によれば、「善光寺裏合戦」とも呼ばれ、『史料上に初めて現れる源義仲が関与した戦いである。『平家に与する信濃の豪族・笠原平五頼直』(『中野市笠原が支配地域と考えられる』)『が源義仲討伐のため、木曾への侵攻を企てた』。『それを察した源氏方(信濃源氏の井上氏の一族)の村山七郎義直』『と栗田寺別当大法師範覚(長野市栗田)らとの間で』『濃国水内郡市原』『付近で』『戦いが行われた』。『勝敗は中々決着せず、ついに日没に至』り、『矢が尽きて劣勢となった村山方は、源義仲に援軍を要請した。それに応じて大軍を率いて現れた義仲軍を見て、笠原勢は即座に退却し』、『越後の豪族・城氏の元へと逃げ込んだ』(「吾妻鏡」同日の条)。『このため』、『城資職』(じょうのながもと)『が源義仲軍の討滅を期して大軍を率いて信濃国に侵攻した。そして川中島への千曲川渡河地域となる雨宮の渡しの対岸に当たる横田城に布陣した』。これがその後の「横田河原の戦い」(後段で注する)へと『続くこととなった』とある。

「上野多胡」(たご)郡は現在の群馬県高崎市と藤岡市に相当する旧郡域。

 以下、底本では一行空け。ここでは二行空けた。]

 

 

革命軍の飛報、頻々として櫛の齒をひくが如し。東夷西戎、並び起り、三色旗は日一日より平安の都に近づかむとす。楚歌、蓬壺をめぐつて響かむの日遠きにあらず。紅燈綠酒の間に長夜の飮を恣にしたる平氏政府も、是に至つて遂に、震駭せざる能はざりき。如何に大狼狽したるよ。平治以來、螺鈿を鏤め金銀を裝ひ、時流の華奢を凝したる、馬鞍刀槍も、是唯泰平の裝飾のみ。一門の子弟は皆、殿上後宮の娘子軍のみ、之を以て波濤の如く迫り來る革命軍に當らむとす、豈朽索を以て六馬を馭するに類する事なきを得むや。今や平氏政府の周章は其極點に達したり。然れ共、入道相國の剛腸は猶猛然として將に仆れむとする平氏政府を挽囘せむと欲したり。彼は、東軍の南海を經て京師に向はむとするを聞き、軍を派して沿海を守らしめたり。彼は西海北陸兩道の糧馬を以て、東軍と戰はむと試みたり。彼が、困憊、衰殘の政府を提げて、驀然として來り迫る革命軍に應戰したるを見る、恰も、颶風の中に立てる參天の巨樹の如き槪あり。吾人思うて是に至る、遂に彼が苦衷を了せずンばあらず。關東に源兵衞佐あり、木曾に旭日將軍あり、而して京師に入道相國あり、三個の風雲兒にして各々手に唾して天下を賭す。眞に是れ、靑史に多く比を見ざるの偉觀也。しかも運命は飽く迄も平氏に無情なりき。平宗盛を主將とせる有力なる征東軍が羽檄を天下に傳へて、京師を發せむとするの前夜(養和元年閏二月一日)天乎命乎、入道相國は俄然として病めり。征東の軍是に期を失して發せず、越えて四日、病革りて[やぶちゃん注:「あらたまりて」。]祖龍遂に仆る。赤旗光無うして日色薄し、黃埃散漫として風徒に[やぶちゃん注:「いたづらに」。]肅索、帶甲百萬、路に滿つれども往反の客、面に憂色あり。嗚呼、絕代の英雄兒はかくの如くにして逝けり。平門の柱石はかくの如くにして碎けたり。棟梁の材既になし、かくして誰か成功を百里の外に期するものぞ。見よ見よ西海の沒落は刻々眉端に迫れる也。

[やぶちゃん注:「三色旗」「フランス革命」に始まる現在のフランス国旗。ここでは源氏勢力による歴史的革命的趨勢を象徴的に言ったもの。

「楚歌」項羽の「四面楚歌」の故事。周縁に湧き起こる平氏打倒の兵鼓の雄叫びを比喩した。

「蓬壺」蓬萊山と方壺山(方丈山とも)。これに瀛洲を加え、古代中国に於ける東方渤海の果てにあるとされた仙人が住むとされた三神山。ここは禁中・内裏の比喩。

「紅燈綠酒」不夜城の華やかな灯明と緑色に澄んだ高級な美酒。歓楽と飽食に明け暮れること。

「一門の子弟は皆、殿上後宮の娘子軍のみ」「娘子軍」「ぢやうしぐん(じょうしぐん)」。武家であることを忘れて軟弱になった平氏に対する芥川龍之介の蔑笑的換喩。

「朽索」(きうさく(きゅうさく))」を以て六馬」(ろくば)「を馭するに類する」腐った縄で六頭の馬を操るようなこと。非常に困難で危険なことの喩え。「書経」の「五子之歌」に基づく。

「驀然」「ばくぜん」。まっしぐらに進むさま。俄かに起こるさま。

「颶風」「ぐふう」。暴風。台風。

「靑史」歴史。歴史書。記録。紙の無かった時代、青竹の札を炙ったものに文字を記したことに由る。

「羽檄」「うげき」。急ぎの徴兵の触れ文(ぶみ)。昔、中国で国家有事の際、急いで徴兵する場合などに用いた檄文は、木簡に書いて鳥の羽根を附け、急を要する意を示したことに由る。

「平宗盛」(久安三(一一四七)年~文治元年六月二十一日(一一八五年七月十九日)は清盛の三男。同腹の妹徳子が高倉天皇の中宮となったことから、重盛に次ぐ昇進をして仁安二(一一六七)年には公卿となり、治承元(一一七七)年には重盛の左大将と並んで、右大将となり、平氏の栄華を天下に誇った。同三年に重盛が亡くなってからは平氏長者としてその総帥となったが、同四年に以仁王の反乱が、続いて、東国で源氏の反乱が起きると、父清盛を説得して都を福原から戻し、翌年一月には畿内近国の軍事組織である惣官職を設置して惣官となり、「墨俣川(すのまたがわ)の戦い」で東国軍を破った(墨俣川は現在は長良川の別称であるが、かつては木曾・長良・揖斐(いび)三川その他の中小河川が美濃国安八(あんぱち)郡墨俣(洲股)で合流して大河となり、濃尾の国境を成しており、軍事上の要衝として、度々、東西両勢力が接触する戦場となった。養和元(一一八一)年三月、頼朝の叔父源行家と頼朝の弟義円が率いる尾張・三河の軍勢と、平重衡以下の平氏軍が、この川を挟んで東西に対峙したが、平氏の先制夜襲により、源氏軍は惨敗を喫し、平氏方に久方ぶりの勝利を齎すとともに、これ以後、暫くの間は東海道方面の戦線は膠着状態に陥った)。清盛の死後は、後白河法皇の復活を認めつつ、反乱軍に対応したが、折からの飢饉に悩まされて畿内近国からの兵糧[やぶちゃん注:「ひやうらうまい(ひょうろうまい)」。]米の徴収もままならず、寿永元(一一八二)年に内大臣になるも、具体的な政治的な方針を示すことが出来ないまま、翌年四月に北陸に送った源義仲追討軍が惨敗し、遂に七月に「平家都落ち」となって、安徳天皇を擁し、西海に逃れた。その後、源氏の内紛もあって、勢力を盛り返したこともあったが、元暦元(一一八四)年の「一の谷の戦い」に続き、讃岐の屋島、長門の壇の浦と次々と敗れ、壇の浦で身を海に投じた。しかし、捕らえられて鎌倉に送還され、後、京都に送り返される途中で謀殺的に斬首された。「平家物語」は宗盛について厳しい評価を与え、無能で器量なし、としている。また、「源平盛衰記」は時子の実子ではないとの異説も載せている。ただ、兄重盛や弟知盛との対照性から、そうした役割を与えられた面が色濃く、実像は不明な部分が多いという。以上は「朝日日本歴史人物事典」に拠ったが、しかし私は芥川龍之介の評言の通り(次段参照)、平氏の中で唯一、彼を全くの無能にして存命をのみ求めた最下劣な人間としか思っていない。

「養和元年閏二月一日」現在、清盛の没日は養和元年閏二月四日(ユリウス暦一一八一年三月二十日/グレゴリオ暦換算三月二十七日)とされている。症状から見て、重度の熱性マラリアと推定される。

「天乎命乎」「てんかめいか」。天がかく判じて断罪したものか? 単に命数が尽きただけか? まあ、そのようにインク臭く採らず、三英雄揃い踏みのこの時ににして彼が逝ったことへの、芥川龍之介の限りない慨嘆の表現とした方がよかろう。

「赤旗光無うして日色薄し、黃埃散漫として風徒に肅索」これは白居易の「長恨歌」で玄宗の蒙塵の途上、馬嵬坡で楊貴妃が縊り殺されたシークエンスの直後の部分、

黃埃散漫風蕭索

雲棧縈紆登劍閣

峨嵋山下少人行

旌旗無光日色薄

 黃埃(かうあい) 散漫 風 蕭索

 雲棧(うんさん)縈紆(えいう) 劍閣を登る

 蛾媚山下 人 行くこと 少(まれ)に

 旌旗(せいき) 光 無く 日色薄し

を真似たものである。私もこの詩なら、十七歳の時に暗誦したものだったし、このシークエンスは飛びっきりに好きなところだった。やっと自分の年齢と一致する場面に遭遇した感じがした。]

 

入道相國逝いて宗盛次いで立つ。然れども彼は不肖の子なりき。彼は經世的手腕と眼孔とに於ては殆ど乃父[やぶちゃん注:「だいふ」。]淨海の足下にも及ぶ能はざりき。彼は興福東大兩寺の莊園を還附し、宣旨を以て三十五ケ國に諜し興福寺の修造を命ぜしめしが如き、佛に佞し[やぶちゃん注:「ねいし」]僧に諛ひ[やぶちゃん注:「へつらひ」。]、平門の威武を墜さしむる、是より大なるは非ず。彼は直覺的烱眼に於ては乃父に劣る事遠く、天下の大機を平正穩當の間に補綴し、人をして其然るを覺えずして然らしむる、活滑なる器度に於ては、重盛に及ばず。懸軍萬里、計を帷幄の中にめぐらし、勝を千里の外に決する將略に於ては我義仲に比肩する能はず。しかも猶、其不學、無術を以て、天下の革命軍に對せむとす。是、赤手を以て江河を支ふるの難きよりも、難き也。泰山既に倒れ豎子台鼎の重位に上る、革命軍の意氣は愈昂れり[やぶちゃん注:「たかまれり」。]。しかも、此時に於て平氏に致命の打擊を與へたるは、實に其財政難なりき。平家物語の著者をして「おそらくは、帝闕も仙洞もこれにはすぎじとぞ見えし」と、驚歎せしめたる一門の榮華は、遂に平氏の命數をして、幾年の短きに迫らしめたり。夫[やぶちゃん注:「それ」。]水蹙れば[やぶちゃん注:せばまれば」。]魚益躍る。是に於て平氏は、恰も傷きたる猪の如く、無二無三に過重なる收斂を以て、此窮境を脫せむと欲したり。平氏が使者を伊勢の神三郡に遣りて、兵糧米を、充課したるが如き、はた、平貞能の九州に下りて、徭を重うし、賦を繁うし、四方の怨嗟を招きしが如き、是、平氏の財力の既に窮したるを表すものにあらずや。あゝ大絃急なれば小絃絕ゆ、さらぬだに、凶年と兵亂とに苦める天下の蒼生は、今や彼等が倒懸の苦楚に堪ふる能はず、齊しく立つて平氏を呪ひ、平氏を罵り、平氏に反き、空拳を以て彼等が軛[やぶちゃん注:「くびき」。]を脫せむと試みしなり。是に於て、靄の如く天下を蔽へる蒼生は、不平の忽にして、革命軍の成功を期待するの、盛なる聲援の叫となれり。しかも此危險に際して、猶諸國に命じて南都の兩寺を修せしめしが如き、傘張法橋の豚犬兒が、愚なる政策は、此聲援をして更に幾倍の大を加へしめたり。入道相國逝いて未三歲ならず、胡馬洛陽に嘶き、天日西海に沒せる、豈宜ならずとせむや。

[やぶちゃん注:「懸軍萬里」(けんぐんばんり)は軍隊の一部が本隊と遠く離れて進軍するさま、軍隊の一部が本隊と連絡が取れないままに敵地の奥に入り込んで行くさまを謂う。但し、ここはフラットな意味で、前線部隊と遠く離れていても、的確な戦術・戦略を立て、それを指揮出来る才能を指している。

「赤手を以て江河を支ふる」素手で長江と黄河の流れを支える。

「台鼎」(たいてい)「の重位に上る」「台鼎」は天皇を補佐する太政大臣・左大臣・右大臣の総称。前に注した通り、宗盛は三十六歳で寿永元(一一八二)年十月三日に内大臣にはなっている。しかし、但し、これは令外官の一つで左大臣・右大臣に次ぐ官職でしかなく、太政大臣・左右大臣の「三公」を「三台星」と呼ぶのに対し、「かげなびく星」とも呼ばれる、本来は左大臣及び右大臣の両人が欠員の場合や、何らかの事情のために出仕不能の場合に、代理として政務・儀式を司った役職であって、「重職」ではあるが、「台鼎」ではない。

「おそらくは、帝闕も仙洞もこれにはすぎじとぞ見えし」「平家物語」巻第一の「我が身の榮華」の掉尾の一文。

   *

日本秋津嶋(につぽんあきつしま)は纔(わづか)に六十六箇國、平家知行(ちぎやう)の國(くに)三十餘箇國、既に半國に超えたり。その外、莊園・田畠(でんばく)、いくらといふ數(かず)を知らず。綺羅(きら)[やぶちゃん注:華麗なる衣装。]、充滿して、堂上(たうしやう)花(はな)の如し。軒騎(けんき)[やぶちゃん注:車馬。]、郡集(くんじゆ)して、門前、市(いち)をなす。楊州(やうしう)の金(こがね)、荊州(けいしう)の珠(たま)、吳郡(ごきん)の綾(あや)、蜀江(しよくかう)の錦(にしき)、七珍萬寶(しつちんまんぼう)、一つとして闕(か)けたる事なし。歌堂舞閣(かたうぶかく)の基(もとゐ)、魚龍爵馬(ぎよりようしやくば)の翫(もてあそび)もの、恐らくは帝闕(ていけつ)も仙洞(せんとう)も[やぶちゃん注:宮城も、上皇の御所も。]、是れにはす過ぎじとぞ見えし。

   *

「伊勢の神三郡」(しんさんぐん)伊勢神宮では古くから伊勢国多気郡と度会郡を神領として寄せられていたが、後に飯野郡を加えて特にこれを神三郡と称した。伊勢神宮を中心に志摩半島の根の部分の南北広域に当たる。

「平貞能」(さだよし 生没年不詳)は平氏家人(けにん)の武将。清盛の「専一腹心者」とされ、政所家令を務め、筑前・肥後守などの受領を歴任。「保元の乱」「平治の乱」に参戦し、源平争乱では侍大将として近江・美濃の追討に従事した後、養和元(一一八一)年には肥後の菊池隆直らの反乱の鎮圧に当たり、平定に成功した。寿永二(一一八三)年、九州の兵を率いて上洛したが、義仲の入洛によって一門とともに都落ちした。その際、貞能は一旦、再入洛し、平重盛の墓に詣でたという。彼は平氏一門の太宰府から屋島への脱出には従わず、出家し、平資盛とともに豊後の武士に捕らえられたともされる。文治元(一一八五)年、宇都宮朝綱を頼って源頼朝に降伏し、助命されて朝綱に預けられたが、その後の消息は不明。貞能は重盛やその子息たちと密接な関係を持ち、西走後の独自の行動も一門内で孤立した重盛の子の資盛らの立場と関係していたという(以上は「朝日日本歴史人物事典」に拠る)。

「徭」公民に賦課した税としての労役。これが出ているので、後の「賦」は狭義の物品による賦課税。

「大絃急なれば小絃絕ゆ」琴や琵琶などの弦を張る際、太い弦を強く懸ければ、小弦は切れてしまうことから、「民を治めるには寛容が大切であり、過酷な政治を行なえば、民を疲れさせ、国を滅ぼす元となるだけである」という喩え。

「倒懸の苦楚」「たいけんのくそ」。「倒懸」は、人の手足を縛って逆さまに吊るすことで、「苦楚」は苦痛(この「楚」は「打つ・痛む」の意)。そのような非常な苦しみの喩え。

「傘張法橋の豚犬兒」「源平盛衰記」の「衛巻 第四十三」の「知盛船掃除附(つけたり)海鹿(いるか)を占ふ竝(ならびに)宗盛取替子事」には「壇ノ浦の戦い」の終りに醜態を晒す息子を見た時子が「宗盛は清盛と自分の子ではない」と言い、「清盛との間にできた子が女子であったため、男子を望んでいた清盛のことを考え、京の傘売りの子と実子を取り替えた」と驚天動地の述懐をするシーンがある。ここ(国立国会図書館デジタルコレクションの当該ページ画像。右ページの六行目から)に出る。

   *

二位殿は今を限りにこそと聞き給ひければ、

「宗盛は入道大相國の子にも非ず、又、我が子にもなし。されば小松内府(だいふ)が心にも似ず、思ひおくれたるぞとよ、海に入り、自害などもせで、虜(いけどら)れて憂き目などをや見(み)んずらん、心憂くこそ覺れ。」

とぞ宣ひける。宗盛、入道の子に成りける故は、二位殿、重盛を嫡子に儲けて後、又、懷姙したりけるに、入道、

「弓矢取る身は男子(なんし)こそ寶よ、嫡子に一人あれば心苦し、必ず弟儲けて給へ、とぎにせさせん。」[やぶちゃん注:最後は「一生、可愛がってやるから」の謂いか。]

と云ふ。二位殿、斜(なの)めならず、佛神(ぶつじん)に祈り申し、月、滿(まん)じて生れたれば、女子(によし)なり。

「音(こゑ)なせそ。如何がせん。

とて、方々(はうばう)、取り替へ子を尋ねける程に、淸水寺の北の坂に、唐笠(からかさ)を張りて商ふ僧あり。憖(なまじひ)に僧綱(そうがう)[やぶちゃん注:僧官と僧位の総称。僧正・僧都・律師と及び法印・法眼(ほうげん)・法橋(ほっきょう)。]に成りたりければ、異名(いみやう)に「唐笠法橋(からかさほつけう)」と云ひける者が許(もと)に、男子を產みたりけるに取り替つゝ、入道に男子儲けたる由、告げたれば、大に悅こんで、產所(さんしよ)もはてざりけれども、嬉しさには穢(きたな)き事も忘れて、女房の許に行き、

「あゝ、目出たし、目出たし。」

とぞ悅び給ひける。入道、世に有りし程は、露(つゆ)の言葉にも出だし給はず、檀の浦にてぞ、初めて角(かく)語り給ひける。

   *

無論、これは「源平盛衰記」にのみ出る話で、同書の作者の悪趣味な創作に過ぎぬであろう。ウィキの「大原御幸」の「畜生道について」にも、「源平盛衰記」は他にも、『徳子と宗盛の姦淫を都落ち以前にまで遡及させ、安徳天皇を宗盛の子としたり、徳子と義経の姦淫もあったと記す。これらは他本にはなく』、同書の『加筆と判断して間違いない』。「源平盛衰記」は『荒唐無稽な話を多く挿入し、全体的に暴露趣味・露悪趣味といった傾向がある。零落した元中宮・国母に対して卑俗な視線を注いだ編者がいたことを示すものといえる』とある。

「胡馬洛陽に嘶き」古く中国で北・西方の未開民族を「胡」と呼び、名馬を産した。ここは反平氏軍が京へと陸続と進撃してくるさまを指す。

 以下一行空け。ここでは二行空けた。]

 

 

吾人をして、再、我木曾義仲に、かへらしめよ。天下を麾いで[やぶちゃん注:「さしまねいで」。]既にルビコンを渡れる彼は、養和元年六月、越後の住人、城四郞長茂が率ゐる六萬の平軍と、橫田川を隔てて相對しぬ。俊才、囊中の錐の如き彼は、直に部將井上九郞光盛をして赤旗を立てて前ましめ[やぶちゃん注:「すすましめ」。]、彼自らは河を濟り[やぶちゃん注:「わたり」。]、戰鼓をうつて戰を挑み、平軍の彼が陣を衝かむとするに乘じて光盛等をして、赤旗を倒して白旗を飜し、急に敵軍を夾擊せしめて大に勝ち、遂に長茂をして越後に走らしめたり。是實に、淮陰侯が、井陘に成安君を破れるの妙策、錐は遂に悉く穎脫し了れる也。越えて八月、宗盛、革命軍の軍鋒、竹を破るが如きを聞き、倉皇として北陸道追討の宣旨を請ひ、中宮亮平通盛、但馬守平經正等を主將とせる征北軍を組織し、彼が奔流の如き南下を妨げしめたり。然れども、九月通盛等の軍、彼と戰つて大に敗れ、退いて敦賀の城に拒ぎしも[やぶちゃん注:「ふせぎしも」。]遂に支ふる能はず、首尾斷絕して軍悉く潰走し、辛くも敗滅の耻を免るゝを得たり。是に於て、革命軍の武威、遠く上野、信濃、越後、越中、能登、加賀、越前を風靡し、七州の豪傑、嘯集して其旗下に投じ、劍槊霜の如くにして介馬數萬、意氣堂々として已に平氏政府を呑めり。薄倖の孤兒、木曾の野人、旭將軍義仲の得意や、知るべき也。北陸既に定まり、兵甲既に足る。彼は速に、遠馭長駕、江河の堤を決するが如き勢を以て京師に侵入せむと欲したり。而して大牙[やぶちゃん注:「たいが」。]未南に向はざるに先だち、恰も關八州を席の如く卷き將に東海道を西進せむとしたる源兵衞佐賴朝によつて送られたる一封の書簡は、彼の征南をして止めしめたり。書に曰、

[やぶちゃん注:「ルビコン」ルビコン川(ラテン語:Rubico:ルビコー)は、共和政ローマ末期にイタリア本土と属州ガリア・キサルピナの境界になっていた川。ローマ内戦開戦時、ユリウス・カエサル(シーザー)が元老院の命令を犯して紀元前四十九年、「賽(さい)は投げられた」と叫んで、この川を渡ってローマに進軍、ポンペイウスを追放して政権を握った。

「養和元年六月」一一八一年。鎌倉方では治承五年。

「城四郞長茂」城長茂(じょうのながもち 仁平二(一一五二)年~建仁元(一二〇一)年)初諱は助茂(すけもち)或いは助職(すけもと)で後に長茂に改称した。ウィキの「城長茂」によれば、『越後平氏の一族で城資国の子、資永(助長)の弟』。治承五年二月、『平氏政権より』、『信濃で挙兵した木曾義仲追討の命を受けていた兄の資永が急死したため、急遽、助茂が家督を継ぎ、この頃、「長茂」と改称した』。『同年』六『月、惣領家の平清盛の命を受けて信濃に出兵した。長茂は同族の平家から絶大な期待を寄せられていたが、長茂は短慮の欠点があり、軍略の才に乏しく』、一『万の大軍を率いていながら』、三千『ほどの義仲軍の前に大敗した(これが以下に示す「横田河原の戦い」である)。『その直後、長茂は奥州会津へ入るが』、『奥州藤原氏の攻撃を受けて会津をも追われ、越後の一角に住する小勢力へと転落を余儀なくされる』。同年八月十五日、『惣領家の平宗盛による義仲への牽制として越後守に任じられ』たが、『都の貴族である九条兼実や吉田経房は、地方豪族である長茂の国司任官・藤原秀衡の陸奥守任官を「天下の恥」「人以て嗟歎す」と非難している』。『しかし越後守となるも』、『長茂は国衙を握る事は出来』ず、寿永二(一一八三)年七月の『平家都落ちと同時に越後守も罷免された』。『その後の経歴はほとんどわかっていないが』、元暦二(一一八五)年に『平氏が滅亡して源頼朝が覇権を握ると、長茂は囚人として扱われ、梶原景時に身柄を預けられる』。後、文治五(一一八九)年の「奥州合戦」で、『景時の仲介により』、『従軍することを許され、武功を挙げる事によって御家人に列せられた』。『頼朝の死後』、「梶原景時の変」(正治元(一一九九)年十月二十五日~正治二年一月二十日)で『庇護者であった景時が滅ぼされると』、一『年後に長茂は軍勢を率いて上洛し、京において幕府打倒の兵を挙げ』、正治三(一二〇一)年、『軍を率いて景時糾弾の首謀者の』一『人であった小山朝政の三条東洞院にある屋敷を襲撃した上で、後鳥羽上皇に対して幕府討伐の宣旨を下すように要求したが、宣旨は得られなかった。そして小山朝政ら幕府軍の追討を受け、最期は大和吉野にて討たれた』(「建仁の乱」)。享年五十であった。『身長は七尺(約二メートル十二センチ)の大男であったという』とある。

「城四郞長茂が率ゐる六萬の平軍と、橫田川を隔てて相對しぬ」「横田河原の戦い」。なお、「平家物語」(巻第六「城の四郎官途」)では寿永元(一一八二)年九月十一日とし、「吾妻鏡」も同年十月九日として載せるが、孰れも誤り。「吾妻鏡」は後年に編集した際、一部で「平家物語」を始めとした語り物系の記載を参考資料としたことによる誤謬と思われる。治承五(一一八一)年六月のこととして「玉葉」に記されているのが正しい(「源平盛衰記」は「於 巻第二十七」の「信濃横田川原軍(いくさ)の事」で正しく治承五年六月(二十五日と日付まで入れる)とするが、痛いことにそこでは城助茂を「資職」「後には資永と改名す」という兄の名と混同する痛い誤りをしてしまっている(国立国会図書館デジタルコレクションのこちら)。以下、ウィキの「横田河原の戦い」を引く。『信濃で挙兵した源義仲らの諸源氏に対して平氏方の越後の城助職が攻め込んで発生した戦い』。治承四(一一八〇)年九月『頃には源(木曾)義仲、源(岡田)親義、井上光盛などの信濃の源氏が以仁王の令旨を報じて挙兵した。これを受けて市原(現長野市若里市村)の渡し付近で平氏方の笠原氏と源氏方の村山氏や栗田氏との間で前哨戦があったが』、『決着が付かなかった』(「市原合戦」)。『それに対して、平氏は信濃に隣接する越後の実力者城助職をもって対抗させようとし』、翌治承五(一一八一)年六月、『城助職は大軍を率いて信濃国に侵攻し、雨宮の渡しの対岸に位置していた川中島平南部の横田城に布陣する。それに対して義仲は上州に隣接する佐久郡の依田城を拠点に、木曽衆・佐久衆(平賀氏等)・上州衆(甲斐衆とあるが、甲斐衆は頼朝・北条時政方として黄瀬川に参陣しているため誤記と思われる)を集結して北上』、六月十三日、『横田河原において両者が激突する。その際、千曲川対岸から平家の赤旗を用いて城軍に渡河接近し、城本軍に近づくと赤旗を捨てて源氏の白旗を掲げるという井上光盛の奇策が功を奏した』(ここを芥川龍之介は詳述している)。『また』、『越後軍には長旅の疲れや油断もあって』九千『騎余が討たれたり逃げ去り、兵力では城軍に遥かに劣る信濃勢が勝利を収め』た(「平家物語」でも城・平家方の軍勢は四万余騎で、芥川龍之介の「六萬」というのは先に引いた「源平盛衰記」の記載に拠ったものと思われる。ここまで読んでくると、芥川龍之介は我々の馴染んでいる「平家物語」諸本ではなく、多くを「源平盛衰記」の叙述に基づいて記していることが判然としてくるのである)。『助職は負傷して』三百『騎ばかりで越後に逃げ帰るが』、『敗戦後は離反者が相次ぎ、奥州会津へと撤退することを余儀なくされる。その後、助職は会津にて奥州藤原氏の攻撃を受けそこも撤退させられ、一連の戦いの後、城氏は一時』、『没落を余儀なくされ』た。『一方』、『勝利を収めた義仲は越後国府に入り、越後の実権を握る。この信濃勢の勝利の後、若狭、越前などの北陸諸国で反平氏勢力の活動が活発になり』、『義仲は後に倶利伽羅峠の大勝を得て』、『北陸を制覇する基盤を獲得することになる』。『また、平氏は北陸の味方を失い』、この『治承・寿永の乱で不利な立場に立たされることとなった』とある。

「囊中の錐」「なうちゆう(のうちゅう)のきり」。袋の中の錐は、その先が袋の外に突き出るところから、「勝れた人は多くの人の中にいても、その才能が自然に外に現れて目立つこと」の喩え。錐の嚢中に処(お)るが若(ごと)し。「史記」の「平原君伝」の「夫賢士之處世也、譬若錐之處囊中、其末立見」(夫(そ)れ、賢士の世に處(を)るや、譬へば錐の嚢中に處るがごとく、其の末(すゑ)立(たちどこる)に見(あら)はる)に基づく。

「井上九郞光盛」(?~元暦元(一一八四)年)信濃国高井郡保科を発祥とする土豪保科党を率いた。頼季流清和源氏で信濃源氏の代表格とされる。「横田河原の戦い」の後は義仲の上洛には従軍せず、源頼朝に従ったらしいが、甲斐源氏の一条忠頼(?~暦元(一一八四)年:「一 平氏政府」で既注)されたとともに頼朝に危険視され、駿河国蒲原(かんばら)駅(現在の静岡県静岡市清水区蒲原)で誅殺された。「吾妻鏡」元暦元(一一八四)年七月十日の条に、

   *

十日。丙申。今日。井上太郎光盛於駿河國蒲原驛被誅。是依有同意于忠賴之聞也。光盛日來在京之間。吉香船越輩含兼日嚴命。相待下向之期。討取之云々。

○やぶちゃんの書き下し文

丙申。今日、井上太郎光盛、駿河國蒲原驛に於て誅せらる。是れ、忠賴に同意するの聞え有るに依つてなり。光盛、日來(ひごろ)、在京の間、吉香(きつか)・船越(ふなこし)の輩(やから)、兼日の嚴命を含み[やぶちゃん注:既に兼ねてより幕府からの誅殺の厳命を受けていたことから。]、下向の期を相ひ待ち、之れを討ち取ると云々。

   *

とある。「吉香・船越」は地名及び当地の豪族。前者は現在の静岡県静岡市清水区吉川(きっかわ)、後者は同清水区船越。

「赤旗を立てて前ましめ、彼自らは河を濟り、戰鼓をうつて戰を挑み、平軍の彼が陣を衝かむとするに乘じて光盛等をして、赤旗を倒して白旗を飜し、急に敵軍を夾擊せしめて大に勝ち、遂に長茂をして越後に走らしめたり」先の「源平盛衰記」のここ(国立国会図書館デジタルコレクション)。左ページの最終行から次のコマへと進まれたい。但し、そこでは名が『井上九郞光基(みつもと)』となっている。

「淮陰侯」前漢の高祖劉邦の勇将韓信(?~紀元前一九六年)。当初、項梁・項羽に従ったが重用されず、高祖の軍に寝返り、蕭何(しょうか)の推薦によって大将となった。戦略に勝れ、高祖の覇業は彼の献策や戦績に負うところが多い。初め斉王に封ぜられたが、漢の統一後は異姓諸侯王圧迫策のために楚王に移され、次いで淮陰侯に左遷され、後、反逆の疑いで呂后(りょこう)に処刑された。

「井陘に成安君を破れるの妙策」「井陘(せいけい)の戦い」のこと。ウィキの「井陘の戦い」を引く。『楚漢戦争の中で漢軍と趙軍とが井陘(現在の河北省石家荘市井陘県)にて激突した戦い。韓信と常山王張耳ら率いる漢軍が背水の陣という独創的な戦術を使って趙軍を打ち破った』。『劉邦軍の別働軍として進発した韓信軍は、まず魏を降し、代を降して趙へとやってきていた。趙を攻めるに先立ち、兵力不足の劉邦本軍は韓信に対して兵を送るように命令し、韓信はこれに答えて兵を送ったために韓信軍の兵力は少なく、三万程度しかなかった』。『一方、趙は趙王歇』『と宰相の成安君陳余が二十万と号した大軍を派遣して韓信軍を撃退しようとしていた。趙に李左車と言う将軍がおり、陳余に対し、太行山脈の合間を通る「井陘口」という馬車を並べて走ることも出来ないような狭い谷間を利用して、ここを韓信が通っている間に出口を本隊が塞ぎ、別働隊を使って韓信軍の後方の食料部隊を襲い、さらに挟撃する作戦を提案した。しかし陳余は「小数相手に大軍が策を弄しては、趙の兵は弱いと諸侯に侮られる」と正攻法にこだわり』、『これを却下した』。『陳余は項羽軍に在籍して章邯を説得して項羽に降伏させるなど弁舌での功績は挙げていたが、自ら軍を率いた経験は少なかった。ただ外交面で考えれば、漢と楚、当時の二大強国のどちらとも敵対的だった趙としては、攻めさせない必要が高かったので妥当な判断でもある』。『韓信は井陘口の手前で宿営して趙軍の内部を探らせていた。用心深く無理な戦いをしない韓信は、もしここで攻められれば』、『ひとたまりもないことを察していたのであるが、李左車の策が採用されなかったことを大喜びし、安心して井陘の隘路を通った』。『そして、傅寛』(ふかん)、『張蒼に命じて二千の兵を分け、これに漢の旗を持たせて、裏側から趙の本城を襲うように指示した。また』、『兵士に簡単な食事をさせた後に、諸将に対して「今日は趙軍を撃ち破ってからみなで食事にしよう」と言ったが、諸将は誰も本気にしなかった』。『井陘口を抜けた韓信軍は、河を背にして布陣し』、『城壁を築いた』。「尉繚子天官編」には『「背水陳爲絶地」(水を背にして陳(陣)すれば絶地(死に場所)となる)とある。水を前にして山を背に陣を張るのが布陣の基本であり、これを見た趙軍は「韓信は兵法の初歩も知らない」と笑い、兵力差をもって一気に攻め滅ぼそうと』、『ほぼ全軍を率いて出撃、韓信軍に攻めかかった』。『韓信は初め』、『迎撃に出て負けた振りをしてこれをおびき寄せ、河岸の陣にて趙軍を迎え撃った。趙の城に残っていた兵も、味方の優勢と殲滅の好機を見て、そのほとんどが攻勢に参加した。兵力では趙軍が圧倒的に上であったが、後に逃げ道のない漢の兵士たちは必死で戦ったので、趙軍は打ち破ることができなかった』。『趙軍は韓信軍、さらに河岸の陣ごとき容易に破れると思いきや、攻めあぐね』、『被害も増えてきたので嫌気し、いったん城へ引くことにした。ところが城の近くまで戻ってみると、そこには大量の漢の旗が立っていた。城にはごくわずかな兵しか残っておらず、趙軍が韓信軍と戦っている隙に支隊が攻め落としたのであ』った。『大量にはためく漢の旗を見て』、『趙兵たちは「漢の大軍に城が落とされている」と動揺して逃亡を始め、さらに韓信の本隊が後ろから攻めかかってきたので、挟撃の恐怖にかられた趙軍は総崩れとなり』、『敗れた』。『陳余は張蒼によって捕虜となり、泜水』(ちすい)『で処刑され、逃亡した趙王歇も襄国(現在の河北省邢台市邢台県)で処刑された。また李左車は韓信によって捕らわれるが、韓信は上座を用意して李左車を先生と賞し、燕を下す策を献じてもらった。そして李左車の策に従い』、『燕を労せず下すことに成功した。ちなみに、韓信に尋ねられた李左車は、初め自分の考えを述べることに躊躇したが、そのときに彼が放った「敗軍の将、兵を語らず」』(「史記」の「淮陰侯列伝」)『という言葉は有名である』。『後にこの布陣でなぜ勝てたのかと聞かれた韓信は、「私は兵法書に書いてある通りにしただけだ。即ち『兵は死地において初めて生きる(「之れを往く所無きに投ずれば、諸・劌の勇なり(兵士たちをどこにも行き場のない窮地に置けば、おのずと専諸や曹沬』(そうばつ:魯の荘公に仕えた将軍。身分の低い出であったが、戦術に長けた)『のように勇戦力闘する)」』(「孫子」の「九地篇」)『と答えている。これが背水の陣である』。『現在でも「背水の陣」は、退路を断ち(あるいは絶たれ)決死の覚悟を持って事にあたるという意味の故事成語となっているが、韓信はそれだけでなく』、『わざと自軍を侮らせて敵軍を城の外へ誘い出し(調虎離山)、背水の陣で負けない一方、空にさせた城を落として最終的に勝つための方策も行っているのである』。『城塞に籠った場合、兵力が少なくても突破されないし、瞬時の相対する兵力は互角以上である。これに城壁の優位性と兵の死力が加われば、兵力差が絶大でも相当戦うことができる。しかし相手が自軍を侮らず普通に攻め続ければ』、『さすがにいつか落ちるから、相手が嫌気して引き返すことも当初から意中にあったのであろう』。『これが単なる賭けではない点は、事前に間者を多く放ち』、『情報収集しているところにも見ることができる。韓信が希代の名将と言われるゆえんである』。「背水の陣」の故事は十四『世紀まで日本では無名であったが、文学作品として初めて、「太平記」が『物語に取り入れたという』。「太平記」巻第十九の、「青野原の戦い」(延元三/暦応元(一三三八)年一月)で、『後醍醐天皇方北畠顕家に足利方が負けると、婆娑羅大名として名高い佐々木道誉らが足利方へ援軍に来たが、その』時、『道誉の進言で黒地川(黒血川)を背にして背水の陣を敷いたのが、日本の戦史上における初見である』。『ただし、これは文学作品的な誇張表現であって、黒地川を背に陣取ったのは地形的な必然で、歴史的事実としては「背水の陣」という故事を意識して敷くほど足利方が劣勢にあったわけではないようである』。『その後、伊勢宗瑞(北条早雲)や吉川元春を始めとする戦国武将が』「太平記」の『研究に励み、同書が戦国時代の戦術に影響を与えたのは周知の通りである』とある。

「穎脫」「えいだつ」。才智が人より抜きん出ること。「穎」は稲の穂先に突き出る尖った芒(のぎ)のこと。

「倉皇」「さうくわう(そうこう)」。「蒼惶」とも書く。慌てふためくさま。慌ただしいさま。

「平通盛」(みちもり 久寿二(一一五五)年頃?~元暦元(一一八四)年)は清盛の異母弟教盛の嫡男。弟に猛将教経がいる。「一の谷の合戦」で討死した。「平家物語」では治承四(一一八〇)年の南都攻撃では副将軍、寿永二(一一八三)年の北国追討には大将軍として発向、都落ち直前には宇治橋を固め、都落ち以後も西国で戦うさまが描かれている。また、愛人小宰相があとを追って入水する悲話が描かれ、二人の馴れ初めも描かれる。ふたりの恋は「建礼門院右京大夫集」にも載る(ここは「朝日日本歴史人物事典」に拠った)。

「平經正」(?~寿永三(一一八四)年)清盛の異母弟経盛の長男。かの敦盛の兄。和歌・琵琶に秀でた。若年で仁和寺宮守覚法親王に師事し、親王秘蔵の琵琶「青山」を賜わった。寿永二(一一八三)年の平家一門の都落ちに際しては、名器「青山」が戦乱で喪失するのを虞れ、仁和寺宮を訪れて返却し、別れに数曲を弾いたところ、聴く者の涙を誘ったという。翌年、「一ノ谷の戦い」に敗れ、自刃した(ここは「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。

「九月通盛等の軍、彼と戰つて大に敗れ、退いて敦賀の城に拒ぎしも遂に支ふる能はず、首尾斷絕して軍悉く潰走し、辛くも敗滅の耻を免るゝを得たり」養和元(一一八一)年九月、追討軍の将通盛は越前国国府にいたが、同国には賊徒が乱入して各地に放火、彼が京へ「国中が従わない状態になっている」と報告した直後、越前国水津(すいづ:現在の福井県敦賀市杉津(すいづ))で義仲の軍(厳密には先陣していた根井太郎行親の軍)と戦い、敗退、国府を放棄して津留賀城(金ケ崎城。別名敦賀城であるが、戦国期の敦賀城とは異なる山城。ここが遺跡(グーグル・マップ・データ)。所謂後の「敦賀城」の東北一・六キロメートル位置にあった)へ退却した。彼はそこで京に援軍を求め、平教経・行盛らが送られることが決まったが、支えきれなくなった通盛は城を放棄して山林を敗走、十一月になってやっと帰京を果たした。これを以って北陸道は義仲に制圧されてしまったのである。寧ろ、この事実は「敗滅」ならざる敗走の「耻」と謂うべきであろう。

「嘯集」「せうしふ(しょうしゅう)」。人々を呼び集めること。

「劍槊」「けんさく」。剣と矛。

「介馬」「かいば」。馬鎧を装着した兵馬。

「書に曰」これは「源平盛衰記」の「俱巻 第二十八」のここ(国立国会図書館デジタルコレクション。右ページの三行目以降)。

 以下「誅し奉るべし。」までは、底本では全体が一字下げ。前後を一行空けた。]

 

平家朝威を背き奉り、佛法を亡すによりて、源家同姓のともがらに仰せて、速に追討すべき由、院宣を下され了ンぬ。尤も夜を以て日についで、逆臣を討ちて、宸襟をやすめ奉るべきのところ、十郞藏人私[やぶちゃん注:「くらうど」、「わたくし」。]のむほんを起し、賴朝追討の企ありと聞ゆ。然るをかの人に同心して扶持し置かるゝの條、且は一門不合[やぶちゃん注:「ふがふ」。]、且は平家のあざけりなり。但、御所存をわきまへず、もし異なること仔細なくば、速に藏人を出さるゝか、それさもなくば、淸水殿(義仲の子淸水冠者義高)をこれへ渡し玉へ、父子の義をなし奉るべし。兩條の内一も、承認なくンば、兵をさしつかはして、誅し奉るべし。

[やぶちゃん注:先のリンク先の本文と比べても大きな異同はない。言わずもがなであるが『(義仲の子淸水冠者義高)』は芥川龍之介による附注である。

「十郞藏人」(永治元(一一四一)年から康治二(一一四三)年頃~文治二(一一八六)年:頼朝より六~七歳年上)源為義の十男。義朝の弟で頼朝の叔父。「保元の乱」に敗れて父が殺されると熊野に潜み続け、治承四(一一八〇)年、源頼政の召に応じて名を行家と改め、以仁王の令旨を東国の源氏に伝えた。養和元(一一八一)年、美濃に拠って、平重衡らと墨俣川で戦ったが、敗れ、既に鎌倉にあった頼朝を頼って所領を求めたが、拒まれたため、信濃の源義仲と結んだ。寿永二(一一八三)年七月、義仲とともに入京し、後白河法皇に拝謁して従五位下備前守となった。後、義仲とも対立し、紀伊に退いた。平氏滅亡後は、今度は頼朝と対立した義経に協力し、頼朝追討の院宣を得、さらに四国の地頭に補せられた。しかし、頼朝に追われ、隠れ住んだ和泉で捕まり殺された(ここは「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。

「淸水殿(義仲の子淸水冠者義高)」源義高(承安三(一一七三)年?~元暦元(一一八四)年四月二十六日(ユリウス暦六月六日/グレゴリオ暦換算六月十三日))は義仲の長男。母は今井兼平の娘。寿永二(一一八三)年、ここに示された通り、父と頼朝の和睦のため、頼朝の長女大姫(治承二(一一七八)年~建久八(一一九七)年)と婚約、鎌倉に入った。しかし翌年、父が討たれ、自分も殺害されることを知り、大姫とその侍女及び近習らの手引き(蔭で頼朝の妻政子も黙認していたものと私は信ずる)によって四月二十二日(元暦元(一一八四)年。寿永三年は四月十六日に改元されている)の未明、鎌倉を脱出したが、四日後、武蔵入間川の河原で、頼朝の命を受けた討手によって殺された。当時、僅か十二歳前後であった。この討手は流人時代からの頼朝の直参の家来である堀藤次(ほりのとうじ)親家の郎党藤内(とうない)光澄であったが、大姫はこれを知って半狂乱となり、水も飲まなくなって様態が悪化した。これに政子が頼朝に激怒し、驚くべきことに頼朝は仕方なく光澄を晒し首にしているのである(これが私の義高逃走不作為犯の政子共犯説の一証である)。大姫は当時僅か六歳であったが(誕生を溯らせて九歳とする新説もある)、これによって重度の PTSDPost Traumatic Stress Disorder:心的外傷後ストレス障害)と思われる症状を発症し、激しい抑鬱状態が生涯、続いた。後の縁談も拒み、後鳥羽天皇への入内も持ち上がったが、実現することなく、僅か二十歳で夭折した。私が鎌倉史の中で一番に挙げる悲恋である。私の「北條九代記 木曾義仲上洛 付(つけたり) 平家都落」及び「北條九代記 淸水冠者討たる 付 賴朝の姫君愁歎」で詳しい注(特に後者では事件の子細を記す「吾妻鏡」の電子化もしてある)を附してあるので、是非、読まれたい。

 

是、實に彼にとりては不慮の云ひがかりなりし也。蓋し、賴朝の彼に平ならざる所以は、啻に、賴朝と和せずして去りたる十郞藏人行家が、彼の陣中に投じたるが爲のみにあらざりき。始め、賴朝の關八州をうちて一丸と爲さむとするや、常陸の住人信太三郞先生義廣、獨り、膝を屈して彼の足下に九拜するを潔しとせず、走つて義仲の軍に投じぬ。「爲人不忍」の彼は、義廣の枯魚の如くなる落魄を見るに堪へず、喜ンで彼をして其旗下に止らしめたり[やぶちゃん注:「とどまらしめたり」。]。是實に賴朝の憤れる所なりき。しかも義仲、已に霸を北陸に稱す、汗馬刀槍、其掌中にあり、鐵騎甲兵、其令下にあり。彼にして一たび野心を挾まむ乎、帶甲百萬、鼙鼓を擊つて鎌倉に向はむの日遠きにあらず、是實に賴朝の畏れたる所なりき。加ふるに義仲と快からざる、武田信光が、好機逸すべからずとして、彼を賴朝に讒したるに於てをや。三分の恐怖と七分の憤怨とを抱ける賴朝は、是に於て、怫然として書を彼に飛ばしたり。而して自ら十萬の逞兵を率ゐて碓日を越え、馬首東を指して彼と雌雄を決せむと試みたり。今やかくの如くにして、革命軍の双星は、戟を橫へて茫漠たる信の山川に其勇を競はむとす、天下の大勢は彼が一言に關れり。彼は直に諸將を集めて問へり。「戰はむ乎否乎」と、諸將躍然として答へて曰「願くは戰はむ」と、彼、默然たり。諸將再切齒して曰「願くは、臣等の碧蹄、八州の草を蹂躙せむ」と、然れども、彼は猶答へざりき。彼は遂に情の人也。彼は、戈を逆にして一門の血を流さむには、餘りに人がよすぎたり。彼は此無法なる云ひがかりに對しても、猶、賴朝を骨肉として遇したり。而して彼は、遂に義高を送りて、賴朝の怒を和め[やぶちゃん注:「なごめ」。]たりき。然り、彼は遂に情の人也。彼は、行家義廣等の窮鳥を獵夫の手に委すに忍びざりき。彼は豆を煮るに、豆莢を燃やすを欲せざりき。彼は兒女の情を有したり。彼は行路の人に忍びざる情を有したり。あゝ「如此殺身猶洒落」なるもの、豈、獨り西楚の霸王に止らむや。請ふ吾人をして恣に推察せしめよ。若し彼にして決然として、賴朝の挑戰に應ぜしならば、木曾の眠獅と蛭ケ小島の臥龍との敢戰は、更に幾倍の偉觀をきはめしなるべく、天下は漢末の如く三分せられしなるべく、而して中原の鹿誰が手に落つべき乎は未俄に斷ずべからざりしなるべし。かくして、春風は再、兩雄の間に吹けり。賴朝は、旌旗をめぐらして鎌倉に歸れり。而して彼は遂に、久しく其豫期したるが如く、豼貅五萬、旗鼓堂々として南に向へり。

[やぶちゃん注:「信太三郞先生義廣」源為義の三男で行家の兄である源義広(?~元暦元(一一八四)年)。別名志田(信太)三郎先生(しださぶろうせんじょう)。「先生」は義仲の父義賢の注で既注であるが、再掲しておくと、「東宮帯刀先生」(とううぐうたれわきせんじょう:皇太子護衛官指揮官)で、義広のが若き日に受けた官位に基づく通称である。ウィキの「源義広(志田三郎先生)」によれば、『義広は初め』、『同母の次兄』で義仲の父であった『義賢と親しく、義賢とほぼ同時期に関東に下向した』。仁平三(一一五一)年十二月、『常陸国に志田庄を立荘する。この時の志田庄の本所は美福門院、領家は藤原宗子(後の池禅尼)であり、その立荘を斡旋したと思われる常陸介が宗子の息子の平頼盛であった』。『この時点において義広が平頼盛に接近していたことが窺え』、『一方』、『義賢は』久寿二(一一五五)年の「大蔵合戦」で『義朝の長男・源義平に討たれた』「保元の乱」(一一五六年)に『際しては、金刀比羅宮本』「保元物語」では、『為義・為朝らと崇徳上皇方に加わったとするが、義広の名を記さない本も何系統かあり』、公家平信範の日記「兵範記」にも『義広参戦の事は見えない。また続く』「平治の乱」に『おいても』、『一時上京していたという説もあるが、具体的にどのような行動を取ったのかは不明である。以後、平清盛の平氏政権が栄華を極めるのを横目にしながらも、特にこれに反抗する様子もなく』、二十『余年の間』、『信太荘を動くことはなかった』。「平家物語」では、治承四(一一八〇)年五月の『以仁王の挙兵の際、末弟の源行家が甥の源頼朝に以仁王の令旨を伝達したのち、義広の元に向かったとし』、「吾妻鏡」では同年八月に『頼朝が挙兵したのち』、十一月の「金砂城(かなさじょう)の戦い」(治承四(一一八〇)年十一月四日に常陸国金砂城(現在の茨城県常陸太田市金砂郷地区)で行われた頼朝率いる軍と常陸佐竹氏との戦い。頼朝軍が勝った)の『後に義広が行家と共に頼朝に面会したとするが、合流する事はなく、その後も常陸南部を中心に独自の勢力を維持した』ようである。寿永二(一一八三)年二月二十日、『義広は鹿島社所領の押領行為を頼朝に諫められたことに反発し、下野国の足利俊綱・忠綱父子と連合』、二『万の兵を集めて頼朝討滅を掲げ常陸国より下野国へと進軍した。しかし、鎌倉攻撃の動きは頼朝方に捕捉され、下野国で頼朝軍に迎え撃たれることとなる』。『下野国の有力豪族小山朝政は』、『始め』、『偽って義広に同意の姿勢を見せて下野国野木宮(現栃木県野木町)に籠もっていたが』、二十三『日、油断した義広の軍勢が野木宮に差し掛かった所を突如』、『攻めかかり、激しい戦いとなった。義広軍は源範頼・結城朝光・長沼宗政・佐野基綱らの援軍を得た朝政に敗れ、本拠地を失った』(「野木宮合戦」)。『その後、同母兄』である『義賢の子』『木曾義仲』の『軍に参加する。常陸国から下野国へ兵を進めたのも、義仲の勢力範囲を目指した行動であったと見られる。義広の鎌倉の頼朝攻撃の背景には、義仲の存在があった』ことがこれで判明する。『このことが義仲と頼朝との対立の導火線となるが、義仲は義広を叔父として相応に遇し、終生これを裏切ることはなかった。以降、義広は義仲と共に北陸道を進んで一方の将として上洛し、入京後に信濃守に任官され』ている。元暦元(一一八四)年一月の「宇治川の戦い」では、『頼朝が派遣した源義経軍との戦いで防戦に加わるが』、「粟津の戦い」で『義仲が討ち死にし、敗走した義広もまた逆賊として追討を受ける身となる。同年』五月四日、『伊勢国羽取山(三重県鈴鹿市の服部山)に拠って抵抗を試みるが、波多野盛通、大井実春、山内首藤経俊と大内惟義の家人らと合戦の末、斬首された』とある。

「爲人不忍」読めない? さんざんやった「史記」の「鴻門之会」でやったじゃないか。劉邦を殺そうとしない項羽に痺れを切らした范増が項羽の従弟である項荘を秘かに呼び出して、「剣舞にかこつけて殺(や)っちまえ!」と命ずる台詞の頭のところさ。「君王爲人不忍。」(君王、人(ひと)と爲(な)り、忍びず)だよ。「項羽様は残忍なことがお出来にならない御気性だ。」だよ。

「鼙鼓」「へいこ」。戦場で用いる鼓。攻め太鼓。「へいく」とも読む(「く」は「鼓」の呉音)。

「武田信光」(応保二(一一六二)年~宝治二(一二四八)年?)は源新羅三郎義光を始祖とする甲斐武田氏の第五代当主。伊豆守・甲斐国・安芸国守護。ウィキの「武田信光」によれば、『甲斐国八代郡石和荘に石和館を構えて勢力基盤とし、石和五郎と称する』。『馬術・弓術に優れた才能を発揮し、小笠原長清、海野幸氏、望月重隆らと共に弓馬四天王と称された』。「吾妻鏡」に拠れば、治承四(一一八〇)年の『頼朝が挙兵したことに呼応して父と共に挙兵し、駿河国にて平氏方の駿河国目代橘遠茂と戦い、これを生け捕りにするという軍功を挙げたという』(「鉢田の戦い」)。『甲斐源氏の一族は逸見山や信光の石和館で頼朝の使者を迎え』、『挙兵への参加を合意し、治承・寿永の乱において活躍する。信光は頼朝の信任が篤く、源義仲とも仲が良かったことから、義仲の嫡男に娘を嫁がせようと考えていたが、後に信濃国の支配権を巡って義仲と不仲になって』、『この話は消滅した。後に頼朝が義仲の追討令を出したのは、この信光が義仲を恨んで讒訴したためであるとも言われている。元暦元年』(一一八四年)、『義仲追討軍に従軍して功を挙げ、直後の』「一ノ谷の戦い」でも『戦功を挙げた』。『父の信義は駿河や甲斐の守護に任じられていたとする説もあるが、この時期には甲斐源氏の勢力拡大を警戒した頼朝による弾圧が行われており、一族の安田義定、一条忠頼、板垣兼信らが滅亡している。信光は武田有義(左兵衛尉、逸見氏の出自か)や加賀美遠光らの兄弟や従兄弟にあたる小笠原長清らとともに追及を免れているが、信義も謀反の疑いを掛けられており』、文治二(一一八六)年には『父信義が隠居している』(但し、「吾妻鏡」では死没とする)。『信光は家督を継いで当主となり、鎌倉で起こった』「梶原景時の変」(正治元(一一九九)年十月二十五日~正治二年一月二十日)では、それに『乗じて有義を排斥』している。文治五(一一八九)年には『甲斐源氏の一党を率いて奥州合戦に参加し、このときに安芸国への軍勢催促を行っていることから』、『この時点で安芸国守護に任じられていたとも考えられている』(ずっと後の承久三(一二二一)年ともされる)。『その後も幕府に仕え』、建久四(一一九三)年には『小笠原長清と、頼朝の富士の巻狩に供している。阿野全成の謀反鎮圧にも携わり、甲斐の御家人も分裂して争った』、建保元(一二一三)年の『和田合戦でも鎌倉へ参陣して義盛追討軍に加わっている。乱では都留郡を治めた古郡』(ふるごおり)『氏が和田方に属して滅ぼされており、信光は恩賞として同郡波加利荘(大月市初狩)などを与えられており』、『甲斐源氏が都留郡へも勢力を及ぼしている』。承久三(一二二一)年の「承久の乱」においても、『長清とともに東山道大将軍として』五『万の兵を率いており、同年』七月十二日『には都留郡加古坂(籠坂峠、南都留郡山中湖村)において藤原光親を処刑している』。『安芸守護任命をこのときの恩賞とする説もあり、一時は安芸国へも在国している』。暦仁二・延応元(一二三九)年、『出家して鎌倉の名越に館を構え、家督を長子の信政に譲っている。このとき、伊豆入道光蓮と号した』。「吾妻鏡」によれば、仁治二(一二四一)年には『上野国三原荘をめぐ』って『海野幸氏と境争論を起こして敗訴し、執権北条泰時に敵意を抱いたとする風説が流れているが、同年』十二月二十七日『には次男の信忠を義絶する形で服従している』。『信光の死後に武田氏に関する史料は減少し、信光の孫の代には甲斐国に残留した石和系武田氏と安芸国守護職を継承した信時系武田氏に分裂している』とある。

「怫然」「ふつぜん」。怒りが顔に出るさま。「憤然」に同じい。

 

「逞兵」「ていへい」。逞(たくま)しく勇ましい兵士。

「碓日」「うすひ」。長野県と群馬県の境にある旧の碓氷峠。「平家物語」の「巻台七 平家北国下向」では、頼朝が寿永二年二月頃に、信濃へ発向し、今井兼平が会い、弁解するが、却って頼朝の憤りを買い、討手が差し向けられるも、義仲が嫡子義高を差し出したので鎌倉へ連れて帰り、事なきを得たとあるが、これは嘘だろう。「吾妻鏡」にそんなことは全く書いてないし、この時期に頼朝が鎌倉を離れることはちょっとありそうもない。但し、調べたところ、「長野県立歴史館」公式サイト内の「キッズ・ページ」(笑ってはいけない!)の「信州と源頼朝」のページに、『その昔、善光寺には源頼朝の像があって、この像を武田信玄が甲斐』『国(山梨県)に移した』。『この源頼朝像は現在も残っているし、頼朝は善光寺を復興した功労者としても知られている』。さらに、『頼朝の家来、相良』(さがら)『氏が記した古文書には』、後の建久八(一一九七)年『の法要に頼朝が善光寺を訪れたことが書かれて』おり、『これらのことから頼朝の善光寺参拝は、歴史的事実だと考えられる』とある。確かに。「吾妻鏡」は頼朝生存時の附近に意図的な欠損があるしね。その頃の開幕の安定期なら、彼が善光寺に行ったとしても少しも不思議じゃない。因みに、芥川龍之介、やはりこの辺りも「源平盛衰記」の記載(国立国会図書館デジタルコレクション。左ページの九行目から次のコマまで)を元に、かなりノリノリになって脚色している感じが濃厚だ。

「信」信州。信濃国。

「碧蹄」「へきてい」。(軍)馬の蹄(ひづめ)。

「彼は豆を煮るに、豆莢を燃やすを欲せざりき」「古文真宝」などに出る、「七歩詩」(「應聲而作詞」(「聲に應じて作詞す)に基づく。魏の文帝曹丕(そうひ 一八七年~二二六年)が何時も苛めていた弟の東阿王曹植(そうち 一九二年~二三二年)に向かって、

七步中作詩、不成行大法。

(七步の中に作詩せよ、成さずんば大法を行ふ。)

と言い放つと(後半は「国法に従って処刑する」の意)、即座に詩を作って、

煮豆燃豆萁

豆在釜中泣

本是同根生

相煎何太急

 豆を煮るに 豆萁(まめがら)を燃やさば

 豆は釜の中に在りて 泣く

 本(もと)是れ 同根に生ぜしに

 相ひ煎(に)ること 何ぞ太(はなは)だ急なる

芥川龍之介の「豆莢」は「とうきやう(とうきょう)」とも「まめざや」とも読める。

「如此殺身猶洒落」筑摩書房全集類聚版注は『出典未詳』とするが、これは、清の七律「烏江項王廟」の第八句の引用の誤り(或いは異表記か。しかし、調べる限りでは「灑」が正しい)ではないかと思われる。全詩はこちらの中文サイトで見つけた。

   *

 烏江項王廟    清 蔣士銓

暗鳴獨滅虎狼秦

絕世英雄自有真

俎上肯貽天下笑

座中維覺沛公親

等閒割地分強敵

慷慨將頭贈故人

如此殺身猶灑落

憐他功狗與功臣

   *

蔣士銓(しょうしせん 一七二五年~一七八五年)は清代の詩文家で劇作家。字は心余、苕生。号は清容、蔵園。江西鉛山の人で一七五七年に進士となり、翰林院編修となった。後に紹興の蕺山(しゆうざん)書院や杭州の崇文書院、揚州の安定書院の山長を歴任し、国史館纂修官となっている。詩は古文辞、戯曲は湯顕祖の作風を学んだ。乾隆期の劇作家の第一に推され「一片石」「四絃秋」などの「蔵園九種曲」の作があるという(平凡社「世界大百科事典」のに拠る)。訓読は判らないが、

此くのごとく身を殺(さつ)し 猶ほ灑落(さいらく)するがごとし

か。しかも、「灑落」は「さっぱりしていて物に拘らないこと」の意で、本邦ではこれを慣用音で「しゃらく(しゃらく)」と読むから、芥川龍之介はこれに「洒落」を当てたとしても強ち誤りとは言えまい。私の愛する項羽の死にざまは、確かに「灑落」と言うに相応しい。

「西楚の霸王」項羽の異称。

「敢戰」決死の覚悟で戦うこと。必死の戦闘。

「漢末の如く三分せられしなるべく」「黄巾の乱」を契機として後漢の支配力は完全に失われ、各地に群雄が割拠し、華北を平定した曹操、江南に拠る孫権、蜀に入った劉備によって三国が鼎立した。

「豼貅」「ひきう(ひきゅう)」。元は「史記」の「五帝紀」に出、古代の伝説に見える猛獣の名で虎或いは熊に似ると言い、「豼」が牡、「貅」が牝とし、飼い馴らして戦争に用いたとする幻獣。後に、それを描いた旗の名で兵車に立てたことから、転じて、勇猛な兵士、強者(つわもの)の意となった。]

 

老いても獅子は百獸の王也。革命軍の鋭鋒、當るべからざるを聞ける宗盛は、是に於て、舞樂の名手、五月人形の大將軍右近衞中將平維盛を主將とせる、有力なる征北軍を組織し、白旄黃鉞、肅々として、怒濤の如く來り迫る革命軍を、討たしめたり。平軍十萬、赤旗天を掩ひ精甲日に輝く。流石に、滔天の勢を以て突進したる我北陸の革命軍も、平氏が此窮鼠の如き逆擊に對しては、陣頭の自ら亂るゝを禁ずる能はざりき。我義仲が、富樫入道佛誓をして守らしめたる燧山城の要害、先[やぶちゃん注:「まづ」。]平軍の手に歸し、次いで林六郞光明の堅陣、忽ちにして平軍の擊破する所となり、遂に革命軍が血を以て購へる加賀一州の江山をして、再び平門の豎子が掌中に收めしむるの恨事を生じたり。既に源軍を破つて意氣天を衝ける平軍は、是に至りて三萬の輕鋭を分ちて志雄山に向はしめ、大將軍、維盛自らは、七萬の大軍を驅つて礪波山に陣し、長蛇捲地の勢をなして、一擧、革命軍を越中より、掃蕩せむと欲したり。然りと雖も、平右近衞中將は、決して我義仲に肩隨すべき將略と勇氣とを有せざりき。越後にありて革命軍の敗報を耳にしたる義仲は、直ちに全軍を提げて越中に入れり。越中に入れると共に直ちに、藏人行家をして志雄山の平軍を討たしめたり。志雄山の平軍を討たしむると共に、直ちに鼓噪して黑坂に至り維盛と相對して白旗を埴生の寒村に飜せり。數を以てすれば彼は實に平軍の半にみたず、地を以てすれば、平軍は已に礪波の嶮要を擁せり。彼の之を以て平軍の鋭鋒を挫き、倒瀾を既墜にめぐらさむと欲す、豈難からずとせむや。然れ共、彼は、泉の如く湧く敏才を有したりき。彼は、其夜猛牛數百を集め炬を其角に縛し、鞭ちて之を敵陣に縱ち、源軍四萬、雷鼓して平軍を衝きぬ。角上の炬火、連ること星の如く、喊聲鼓聲、相合して南溟の衆水一時に覆るかと疑はる。平軍潰敗して南壑に走り、崖下に投じて死するもの一萬八千餘人、人馬相蹂み[やぶちゃん注:「ふみ」。]、刀戟相貫き、積屍陵をなし、戰塵天を掩ふ。維盛僅に血路をひらき、殘軍を合して加賀に走り、佐良岳の天嶮に據りて、再革命軍を拒守せむとしたるも、大勢の赴く所亦如何ともなすべからず。志雄山の平軍既に破れ、義仲行家疾馳して平軍に迫る、無人の境を行くが如く、安宅の渡を涉りて篠原を襲ひ、遂に大に征北軍を擊破し、勇奮突破、南に進むこと、猛虎の群羊を驅るが如く、將に長驅して京師に入らむとす。かくして、壽永二年七月、赤幟、洛陽を指して、敗殘の平軍、悉く都に歸ると共に、義仲は北陸道より近江に入り、行家は東山道より大和に入り、革命軍の白旗、雪の如く、近畿の山河に滿てり。

[やぶちゃん注:「白旄黃鉞」「はくばうくわうえつ(はくぼうこうえつ)」。旗の白毛の総と黄金で飾った斧。天子の軍が用いる。

「滔天」「たうてん(とうてん)」。天まで漲(みなぎ)ること。勢いが非常に盛んなこと。

「富樫入道佛誓」「とがしのにゆうだうぶつせい」。富樫泰家(とがしやすいえ 生没年未詳)は当時の義仲に従った武将。後に鎌倉幕府御家人となった。ウィキの「富樫泰家」によれば、富樫氏第六代当主。かの「義経記」の安宅の関の関守富樫介や能「安宅」の富樫の何某、歌舞伎「勧進帳」の『富樫左衛門に比定される』人物である。『富樫氏は藤原北家・藤原利仁を祖とする家系だといわれている』。寿永二(一一八三)年の『源義仲の平氏討伐に』対し、『平維盛率いる大軍と』、『加賀国・越中国国境の倶利伽羅峠にて対陣』し、『燃え盛る松明を牛の角に結びつけ、敵陣に向けて放ち、夜襲をかけ』、『この大胆な戦略が功を奏して大勝』(「倶利伽羅合戦」)。寿永三(一一八四)年に『義仲が』、『頼朝の命を受けた源範頼・義経に討たれた後は加賀守護に任ぜられ』ている。文治三(一一八七)年、兄『頼朝から追われ、山伏に扮して北陸道を通り、奥州平泉』『を目指していた義経一行を追及し、義経本人であることを確信しつつ、武士の情と』、『武蔵坊弁慶の読み上げる「勧進帳」に感心し、義経一行を無事に通過させたという』しかし、『そのことにより』、『頼朝の怒りを買い、守護の職を剥奪された。後に剃髪し』、『法名を仏誓とし、名を富樫重純(成澄)と改め、一族と共に奥州平泉に至り』、『義経と再会を果た』した。『その後』は『しばらく平泉に留まったが、後に野々市』(ののいち:石川県中部。現在、野々市市)『に戻り、天寿を全うした』という。

「燧山城」「ひうちやまじやう」。現在の福井県南条郡南越前町(ちょう)今庄(いまじょう)のここ(グーグル・マップ・データ)にあった火打(ひうち)城での戦い。ウィキの「火打城の戦い」によれば、『越前・加賀の在地反乱勢力とそれを追討すべく出撃した平氏との寿永年間における戦いのうちの緒戦である。火打城は燧城、燧ヶ城の表記もある』。『養和元年』(一一八一年)『夏頃、北陸在地豪族たちの反平氏の活動が活発化していた。それに対して平氏は平通盛・平経盛らが率いる軍を派遣するが、活発化した反乱勢力を鎮圧することができずに都に引き返した(養和の北陸出兵)』。翌養和二年は『養和の大飢饉の影響が深刻化したなどの要因もあり』、『鎮西以外への出兵はされなかった』が、寿永二(一一八三)年に入って『飢饉はようやく好転し、平氏は東国反乱勢力活動を再開する。その矛先の第一は兵糧の供給地たる北陸道の回復であった』。寿永二(一一八三)年四月十七日、『平氏は平維盛を大将として北陸に出陣』、四月二十六日『には平家軍は越前国に入った』。二十七日、『越前・加賀の在地反乱勢力が籠もる火打城を取り囲むが』、『火打城は川を塞き止めて作った人工の湖に囲まれており、そのため』、『平氏側は城に攻め込むことができなかった。数日間』、『平氏は城を包囲していたが、城に籠もっていた平泉寺長吏』(白山の別当寺であった天台宗霊応山平泉(へいせん)寺(現在の福井県勝山市平泉寺町平泉寺にある平泉寺白山神社)の総管理職)『斉明』(さいめい:越前の河合斎藤氏(芥川龍之介の「芋粥」に出る藤原利仁の後裔一流)の一族)『が平氏に内通』、『人造湖の破壊の仕方を教え』、『平氏は得た情報を元に湖を決壊させて』、『城に攻め入り、火打城を落とした』。『その後』、『平氏は加賀国に入った』。『なお、この寿永の北陸の追討の宣旨は「源頼朝、同信義、東国北陸を虜掠し、前内大臣』『に仰せ追討せしむべし」という内容であったということが』「玉葉」に『記されており、源義仲が当初から追討の目的であったという認識は当時の都の人々にはなかった』とある。この解説には「富樫入道佛誓」の名はないが、「平家物語」巻第七「火打合戦(ひうちがっせん)」の冒頭の義仲の命を受けた武将の中に、「平泉寺の長吏斎明威儀師(「威儀師」は法会の指揮役の職名)として彼の名がある。

「林六郞光明」(みつあきら)。北加賀で最も勢力を有した武士団林氏の棟梁で、やはり、前注の引用の途中に出た、斉明と同じく藤原利仁の後裔で、同じく「平家物語」巻第七「火打合戦(ひうちがっせん)」の冒頭の義仲の命を受けた武将の中に、「林の六郞光明」と彼の名がある。

「輕鋭」敏捷で強いこと。

「志雄山」「しをやま(しおやま)」。石川県羽咋(はくい)郡宝達(ほうだつ)志水町の東部にある宝達丘陵の別名。県境の臼ケ峰を越えて富山県氷見市へ向かう山道が通じる。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「礪波山」「となみやま」。富山・石川県境にある砺波山地。北方の宝達丘陵と南方の両白山地との間にあり、最高標高は二百七十七メートル。越中と加賀を結ぶ通路が開け、倶利伽羅峠は軍事の要衝でもあった。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「平右近衞中將」維盛。彼の最終官位は蔵人頭・右近衛権中将・従三位であった。

「鼓噪」「こさう(こそう)」。戦場で戦いの開始や士気を高めるために太鼓を鳴らすこと。

「黑坂」「源平盛衰記」の「屋 巻第二十九」の「礪竝山合戰事」冒頭(国立国会図書館デジタルコレクションのここの左ページ)に『木曾は礪竝山黑坂の北の麓、埴生八幡林より、松永、柳原を後ろにして、黑坂口に南に向かつて陣を取る。平家は倶利伽羅が峠、猿の馬場、塔の橋より始めて、是れも黑坂口に進み下つて、北に陣を取る』とあるので、現在の矢立山と砺波山の尾根筋の坂を謂うか。グーグル・マップ・データの矢立山を見ると、東北位置に富山県小矢部市埴生と同地区内に護国八幡宮があり、矢立山南下に松永の地名(矢立山自体が現在の富山県小矢部市松永である)を見出せる。現在、猿ヶ馬場が倶利伽羅古戦場・平家軍本陣跡とされている。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「倒瀾」(たうらん(とうらん):何もかも打ち倒すような大波)「を既墜」(きつい)「にめぐらさむ」筑摩書房全集類聚版注に、『傾いた大勢を元にもどす』とする。「墜」は「土を落とす」の意であるから、津波によって崩された陸を「既」(つまるところ)元に戻すの謂いであろうか。

「彼は、其夜猛牛數百を集め炬』(きよ(きょ):松明(たいまつ))『を其角に縛し、鞭ちて之を敵陣に縱ち、源軍四萬。雷鼓して平軍を衝きぬ。角上の炬火、連ること星の如く、喊聲鼓聲、相合して南溟」(南方の大海。但し、「南」とする意味は私にはよく判らない)「の衆水一時に覆るかと疑はる。平軍潰敗して南壑」(「なんがく」。ここは倶利伽羅山を指す)「に走り、崖下に投じて死するもの一萬八千餘人、人馬相蹂み、刀戟相貫き、積屍陵をなし、戰塵天を掩ふ」所謂、知られた「火牛(かぎゅう)の計」のシークエンス。「源平盛衰記」の先の次のコマ「67」の右ページの五行目から「70」コマ目まで続く(途中に挿絵有り)。但し、私はこれは事実ではないと考えている。何より、これだけの頭数(「源平盛衰記」には『四五百疋』(!)とある)の牛を現地で徴用することは無理だと思うからである。ウィキの「倶利伽羅峠の戦い」にも、『平家軍が寝静まった夜間に、義仲軍は突如大きな音を立てながら攻撃を仕掛けた。浮き足立った平家軍は退却しようとするが退路は樋口兼光に押さえられていた。大混乱に陥った平家軍』七『万余騎は唯一敵が攻め寄せてこない方向へと我先に逃れようとするが、そこは倶利伽羅峠の断崖だった。平家軍は、将兵が次々に谷底に転落して壊滅した。平家は、義仲追討軍』十『万の大半を失い、平維盛は命からがら京へ逃げ帰った』(この戦術は現実的で事実として受け入れられる)。『この戦いに大勝した源義仲は京へ向けて進撃を開始し、同年』七『月に遂に念願の上洛を果たす。大軍を失った平家はもはや防戦のしようがなく、安徳天皇を伴って京から西国へ落ち延びた』と記すも、「源平盛衰記」には、『この攻撃で義仲軍が数百頭の牛の角に松明をくくりつけて敵中に向け放つという、源平合戦の中でも有名な一場面がある。しかしこの戦術が実際に使われたのかどうかについては古来史家からは疑問視する意見が多く見られる。眼前に松明の炎をつきつけられた牛が、敵中に向かってまっすぐ突進していくとは考えにくいからである。そもそもこのくだりは、中国戦国時代の斉国』(紀元前三八六年~紀元前二二一年)『の武将・田単が用いた「火牛の計」の故事を下敷きに後代潤色されたものであると考えられている。この元祖「火牛の計」は、角には剣を、尾には松明をくくりつけた牛を放ち、突進する牛の角の剣が敵兵を次々に刺し殺すなか、尾の炎が敵陣に燃え移って大火災を起こすというものである』とある。

「佐良岳」加賀国宮腰佐良岳浜。恐らくは地勢から見て、現在の石川県金沢市金石(かないわ:犀川河口右岸。リンクはグーグル・マップ・データ)にあった砂丘状の小丘陵と思われる。ここ

「安宅の渡」義経の北向のエピソードで知られる、現在の石川県小松市安宅町(あたかまち)の梯(かけはし)川の渡し。「勧進帳」の舞台とされた関所跡はここ(グーグル・マップ・データ)。

「篠原」筑摩書房全集類聚版注は『石川県加賀市片山津』とする。ここ(グーグル・マップ・データ)。安宅との位置関係からは問題ない。

「壽永二年七月」治承七年。一一八三年。この七月二十五日に平家の都落ちが決せられた。ユリウス暦八月十四日、グレゴリオ暦換算八月二十一日のことであった。]

 

此時に於て、平氏と義仲との間に橫はれる勝敗の決は、一に延曆寺が源平の何れに力を寄すべき乎に存したりき。若し、幾千の山法師にして、平氏と合して、楯を源軍につきしとせむ乎、或は革命軍の旗、洛陽に飜るの時なかりしやも、亦知るべからず。然れども延曆寺は、必しも平氏の忠實なる味方にはあらざりき。延曆寺は平氏に對して平なる能はざる幾多の理由を有したりき。平氏が兵糧米を山門領に課せるが如き、嚴島を尊敬して前例を顧みず、妄に高倉上皇の御幸を請ひたるが如き、豈其の一たるなからむや。反平氏の空氣は山門三千の、圓頂黑衣の健兒の間にも充滿したり。彼等は恰も箭鼠の如し、彼等は撫づれば、撫づるほど其針毛を逆立たしむる也。淸盛の懷柔政策が彼等の氣焰をして却つて、高からしめたる、素より偶然なりとなさず。今や、山門は、二人の獵夫に逐はれたる一頭の兎となれり。二人の花婿に戀はれたる一人の花嫁となれり。而して平氏は、其源軍に力を合するを恐れ、平門の卿相十人の連署したる起請文を送りて、延曆寺を氏寺となし、日吉社を氏神となすを誓ひ、巧辭を以て其歡心を買はむと欲したり。然れども山門は冷然として之に答へざりき。同時に義仲の祐筆にして、しかも革命軍の軍師なりし大夫坊覺明は、延曆寺に牒して之を誘ひ、山門亦之に應じて、明に平氏に對して反抗の旗をひるがへしたり。是、實に平氏が蒙りたる最後の痛擊なりき。山門既に平氏に反く、平氏が、知盛、重衡等をして率ゐしめたる防禦軍が、遂に海潮の如く迫り來る革命軍に對して、殆ど何等の用をもなさざりしも豈宜ならずや。かくの如くにして、革命の激流は一瀉千里、遂に平氏政府を倒滅せしめたり。平氏は是に於て最後の窮策に出で至尊と神器とを擁して西國に走らむと欲したり。龍駕已に赤旗の下にあらば又以て、宣旨院宣を藉りて四海に號令するを得べく、已に四海に號令するを得ば再天日の墜ちむとするを囘らし、天下をして平氏の天下たらしむるも敢て難事にあらず。平氏が胸中の成竹は實にかくの如くなりし也。しかも、機急なるに及ンで法皇は竊に平氏を去り山門に上りて源軍の中に投じ給ひぬ。百事、悉、齟齬す、平氏は遂に主上を擁して天涯に走れり。翠華は、搖々として西に向ひ、霓旌は飜々として悲風に動く、嗚呼、「昨日は東關の下に轡をならべて十萬餘騎、今日は西海の波に纜を解きて七千餘人、保元の昔は春の花と榮えしかども、壽永の今は、秋の紅葉と落ちはてぬ。」然り、平氏は、遂に、久しく豫期せられたる沒落の悲運に遭遇したり。

   ふるさとを燒野のはらとかへり見て

      末もけぶりの波路をぞゆく

[やぶちゃん注:最後の一首は一行ベタ書きであるが、ブラウザ上の不具合を考え、下句を改行して字下げで配した。

「嚴島を尊敬して前例を顧みず、妄に高倉上皇の御幸を請ひたる」治承四(一一八〇)年三月、高倉上皇は清盛の強い要請により、厳島神社へ参詣している(三月二六日御幸、四月八日還御)。『しかし上皇の最初の参詣は、石清水八幡宮・賀茂社・春日社・日吉社のいずれかで行うことが慣例だったため、宗教的地位の低下を恐れる延暦寺・園城寺・興福寺は猛然と反発した。三寺の大衆が連合して高倉院・後白河院の身柄を奪取する企ても密かに進行していた』とウィキの「後白河天皇にある。

「箭鼠」「せんそ」。ハリネズミ(哺乳綱 Eulipotyphla 目ハリネズミ科ハリネズミ亜科 Erinaceinae のこと。

「平門の卿相十人の連署したる起請文を送りて、延曆寺を氏寺となし、日吉社を氏神となすを誓ひ、巧辭を以て其歡心を買はむと欲したり。然れども山門は冷然として之に答へざりき」「源平盛衰記」の「摩 巻第三十」の「平家延暦寺願書の事」にかくある(国立国会図書館デジタルコレクション。左ページから。願書全文が載る)。

「大夫坊覺明」「たいふばうかくみやう(たゆうぼうかくみょう)」。「一 平氏政府」に出た「西乘坊信救」と同一人物。そちらの注を参照されたい。

「延曆寺に牒して之を誘ひ、山門亦之に應じて、明に平氏に對して反抗の旗をひるがへしたり」「源平盛衰記」の「摩 巻第三十」の木曽山門牒状の事」から「覚明山門に語を語らふ事」と「山門僉議牒状の事」に続く三章に詳しい(国立国会図書館デジタルコレクション。牒状全文と受諾した叡山側の書状まで総てが載る)。

「至尊」安徳天皇。都落ち当時、満五歳にさえなっていない。壇ノ浦に入水した当時は、歴代天皇最年少の数え年八歳、満六歳と四ヶ月であった。

「法皇は竊に平氏を去り山門に上りて源軍の中に投じ給ひぬ」都落ちの意図を察知した後白河法皇はその当日七月二十五日の未明、秘かに二名の近習だけを連れて輿に乗り、法住寺殿を脱出し、鞍馬路・横川を経て、比叡山に登り、東塔円融坊に着御した(ウィキの「後白河天皇」に拠る)。

「翠華」「すいくわ(すいか)」。中国で天子の旗を翡翠(かわせみ)の羽で飾ったことから、 天子の御旗。

「霓旌」「げいせい」。羽毛を五色に染めて綴った旗。天子の儀仗旗。「霓」は龍の名、自然現象の虹を中国では古来、その雄が「虹」、雌が「霓」だとする。

「昨日は東關の下に轡をならべて十萬餘騎、今日は西海の波に纜を解きて七千餘人、保元の昔は春の花と榮えしかども、壽永の今は、秋の紅葉と落ちはてぬ。」「平家物語」巻第七「平家一門都落ち」の掉尾「福原落ち」の一節。

   *

 平家、福原の舊里に一夜を明かれける。をりふし、秋の月は下(しも)の弓張(ゆみはり)なり。深更(しんがう)の空夜[やぶちゃん注:更けきった深夜の月の未だ出ぬ空。]、閑(しづ)かにして旅寢の床(とこ)の草枕、淚も露もあらそひて、ただもののみぞ悲しき。いつ歸るべきともおぼえねば、故入道相國(しやうごく)の造りおき給ひし、春は花見の岡の御所、秋は月見の濱の御所、雪見御所、萱(かや)の御所とて見られけり。馬場殿、二階の棧敷(さじき)殿、人々の家々、五條大納言邦綱卿の造りまゐられし里内裏(さとだいり)、いつしか三年(みとせ)に荒れはてて、舊苔、道をふさぎ、秋草(しうさう)、門(かど)を閉ど、瓦に松生ひ、垣に蔦しげり、臺(うてな)かたぶいて、苔むせり。松風のみや通ふらん。簾、絕えて、閨(ねや)あらはなり。月かげのみぞやさし入りけん。

 明くれば、主上をはじめまゐらせて、人々、御船に召されけり。都を立ちしばかりはなけれども[やぶちゃん注:嘗つて福原京として離れた折りほどではなかったが。]、これも名殘は惜しかりけり。海士(あま)のたく藻の夕煙(ゆふけぶり)、尾上(をのへ)[やぶちゃん注:ここは播磨国加古郡高砂の尾上。]の鹿のあかつきの聲、渚々(なぎさなぎさ)に寄る波の音、袖に宿借(か)る月の影、千草(ちくさ)にすだくきりぎりす[やぶちゃん注:コオロギ。]、すべて目に見え、耳にふるること、一つとして、哀れをもよほし、心をたたましめずといふことなし。昨日は東山の麓に轡(くつばみ)を並べ[やぶちゃん注:出陣の用意を指す。]、今日は西海の波の上に纜(ともづな)をとく。雲海、沈々として、靑天(せいでん)、まさに暮れなんとす。孤島(こたう)に霧へだたつて、月、海上に浮かぶ。極浦(ぎよくほ)[やぶちゃん注:遠い浦。]の波を分けて、潮に引かれて行く船は、なか空の雲にさかのぼる。

 修理大夫(しゆりのだいぶ)經盛の嫡子皇后宮亮(くわうごうぐうのすけ)經正、行幸(ぎやうがう)に供奉すとて、泣く泣く、かうぞ、のたまひける。

  行幸(みゆき)する末も都とおもへども

     なほなぐさまぬ波のうへかな

 平家は、日數(ひかず)を經(ふ)れば、山川ほどを隔てて、雲井のよそにぞなりにける。「はるばる來ぬる」[やぶちゃん注:「伊勢物語」の東下りの章段の引用。以下もあれを踏まえる。]と思ふにも、ただ盡きせぬものは淚なり。波の上に白き鳥の群れゐるを見ては、「かの在原のなにがしが、隅田川にて言(こと)問ひし、名もむつまじき[やぶちゃん注:懐かしい。]都鳥かな」とあはれなり。

 壽永二年七月二十五日、平家都を落ちはてぬ。

   *

・「五條大納言邦綱卿」は藤原邦綱(保安三(一一二二)年~養和元(一一八一)年:この時既に故人)。文章生蔵人雑色(もんじょしょうくろうどざつしき)という低い身分であったが、関白藤原忠通に家司として仕え、周到な気配りで重用された。忠通死後はその息子の関白基実に仕え、蔵人頭・参議・右京大夫となり、その間、遠江権守を始めとして壱岐・和泉・越後・伊予・播磨・周防の国守などを歴任して財力を蓄えた。仁安元(一一六六)年、基実の死に当たっては平清盛の娘で基実の妻であった盛子に広大な摂関家領の大半を相続させるように計らい、自身は盛子の後見役となった。息子の清邦を清盛の猶子とし、財力を基盤に「清盛の片腕」として政界で活躍した。治承元(一一七七)年には正二位・権大納言に上りつめた。同四年の福原遷都にも携わった。清盛と同月に死去しており、同じ死因(熱性マラリア)かともされる(ここは主文を「朝日日本歴史人物事典」に拠った)。

・「修理大夫經盛」(天治元(一一二四)年~文治元(一一八五)年)は平忠盛の三男で清盛の異母弟。平敦盛らの父。歌人としてはよく活動した。

・「皇后宮亮(くわうごうぐうのすけ)經正」既出既注。

「ふるさとを燒野のはらとかへり見て末もけぶりの波路をぞゆく」先の「平家物語」巻第七「平家一門都落ち」の「福原落ち」の前の「和歌述懐」に出る前注した平経盛の一首。

   *

 平家は小松の三位中將維盛のほかは、大臣殿以下、みな、妻子を具し、そのほか、行くも、止まるも、たがひに袖をしぼりけり。夜がれをだにも嘆きしに、後會(こうくわい)その期を知らず[やぶちゃん注:嘗つては夜の通いが途絶えることすら嘆いていたものが、今ではこの後、再会することが出来ることがどうかも判らず。]、妻子を捨ててぞ、落ち行きける。相傳譜代のよしみ、年ごろの重恩、いかでか忘るべきなれば、若きも、老いたるも、ただうしろをのみかへり見て、さらに[やぶちゃん注:少しも。]先へはすすまざりけり。おのおのうしろをかへり見て、都の方は、かすめる空の心地して、煙(けぶり)のみ心細くぞ立ちのぼる。そのなかに、修理大夫經盛、都をかへり見給ひて、泣く泣く、かうぞ、のたまひける。

  ふるさとを燒け野の原とかへり見て

     末もけぶりの波路をぞゆく

薩摩守忠度、

  はかなしや主(ぬし)は雲井にわかるれば

     あとはけぶりと立ちのぼるかな

まことに、故鄕(ふるさと)をば、一片の煙塵(えんぢん)にへだて、前途萬里の雲路におもむき給ひけん、人々の心のうちこそ悲しけれ。ならはぬ磯邊の波枕、八重の潮路に日を暮らし、入江こぎゆく櫂(かい)のしづく、落つる淚にあらそひて、袂もさらに乾しあへず。駒に鞭うつ人もあり、あるいは船に棹(さを)さす者もあり、思ひ思ひ、心々に落ちぞ行く。

   *

・「薩摩守忠度」(ただのり 天養元(一一四四)年~元暦元(一一八四)年)は清盛の弟。「一ノ谷の戦い」で討たれた。少年期より藤原俊成について和歌を学んだ。「平家物語」の「忠度都落ち」で、平家一門の運命を自覚した忠度が都落ちに当たって今生の思い出として俊成に詠草一巻を託し、勅撰集への入集を乞うという執心の話はよく知られる。その中の一首、

さざ波や志賀の都はあれにしを昔ながらの山さくらかな

は「千載和歌集」に「よみ人知らず」として載る。]

2019/07/14

芥川龍之介 義仲論 藪野直史全注釈 / 一 平氏政府

 

[やぶちゃん注:本作は明治四三(一九一〇)年二月十日発行の『東京府立第三中學校學友會誌』第十五号に掲載されたものである。当時、芥川龍之介は東京府立第三中学校(現在の都立両国高等学校の第四学年の終わり(当時の旧制中学の修業年限は五年)に当たる。彼は三月一日生まれなので、満十八歳になる直前であるが、執筆は前年の十二月六日以前(龍之介は、当時、この雑誌の編集委員を務めており、この日に編集を終えていることに拠る)であるから、十七歳の若書きである。全三章から成る四百字詰原稿用紙換算で九十枚に及ぶ力作であり、龍之介自身が後に『一番始めに書いて出して見た文章』(「小説を書き出したのは友人の煽動に負ふ所が多い」大正八(一九一九)年一月発行の『新潮』掲載)と名実ともに作家以前の作として自負する評論である。

 底本は一九七八年岩波書店刊の「芥川龍之介全集」第十二巻を基礎底本とした。但し、加工用データとして「青空文庫」版の新字旧仮名の「義仲論」(入力:j.utiyama氏/校正:かとうかおり氏/一九九九年一月三十日公開/二〇〇四年二月二十六日修正版。但し、そこでは標題が『木曾義仲論』となっている。これは現行の諸資料の「義仲論」という題名と齟齬する。当該電子データは底本が昭和四三(一九六八)年筑摩書房刊の「現代日本文学大系」第四十三巻「芥川龍之介集」を底本(底本の親本の記載なし)としていることに拠るものと思われるが、現在の正規の芥川龍之介の書誌では総て「義仲論」であり、これは甚だ奇怪と言わざるを得ない)を使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。なお、一九九七年岩波書店刊の「芥川龍之介全集」第二十一巻(底本を私の拠った旧全集とするが、漢字は新字。但し、原稿及び初出及び芥川龍之介旧蔵の同誌(山梨県立文学館蔵)の書入れと校合した結果、三十五箇所の新たな校訂が行われている)によって一部を修正したが(煩雑になるので、一部を除き、その部分を指示はしていない。気持ちの悪い新字旧仮名の新全集を求められよ)、改行等、校訂リストに載らない疑問の箇所もあり、必ずしも総てに無批判に従ってはいない)

字配・ポイント落ち等もなるべく底本の旧全集に合わせてある。段落の冒頭字下げがないはママである。但し、注を附した関係上、見易くするために各段落の後(注がある時はその後)を一行空けた。

 本篇にはルビは全くない。一部難読漢字もあるので、各段落末で(一部、短い読みだけのものは文中に)私の躓いた箇所を中心に若い読者を意識しつつ、注を附した(但し、初出部に注した後に同語が出ても読みは一部の難語附さないのでそこで覚えて頂きいたい)。当初、「ストイックに注した」と書いたのだが、結局、第一章の半ばにあって、何時もの私の悪い癖で、あれもこれもとなって膨大な注になってしまったので書き変えた。但し、人物については知られた人物は概ね(本文との絡みで詳細に注した例外はある)注さないか、生没年のみにした。正直、後の文豪とはいえ、十七歳の若造の文章で判らないというのは自分が情けなくなるという内心がかくさせたものであることを自白しておく。そこでは一部、筑摩書房全集類聚版「芥川龍之介全集」第八巻(昭和四六(一九七一)年刊)の「義仲論」にある注を特に参考にさせて頂いた。但し、この注は既に古くなっており、誤りや誤認と思われる部分も散見される。不遜乍ら、一部ではそれをも指摘しておいた。【二〇一九年月日藪野直史】]

 

 

  義 仲 論

 

        平氏政府

 

  祇園精舍の鐘の聲、諸行無常の響あり。
  沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を現す。
  驕れる者久しからず、唯春の夜の夢の如し。

流石に曠世の驕兒入道相國が、六十余州の春をして、六波羅の朱門に漲らしめたる、平門の榮華も、定命の外に出づべからず。莊園天下に半して子弟殿上に昇るもの六十餘人、平大納言時忠をして、平門にあらずンば人にして人にあらずと、豪語せしめたるは、平氏が空前の成功也。而して平氏自身も亦其成功の爲に仆る[やぶちゃん注:「たふる」。]べき數を擔ひぬ。

[やぶちゃん注:新全集はここで改行していないが、従わない。冒頭の「平家物語」巻首のそれは底本では全文続いていて、全文二字下げ位置で示されているが、ブログ・ブラウザでの不具合を考え、かく改行した。

「曠世」「くわうせい(こうせい)」。世に稀れなこと。希代。

「驕兒」「きやうじ(きょうじ)」。驕(おご)り昂ぶった我儘な人間。

「平大納言時忠」(大治五(一一三〇)年~文治五(一一八九)年)は平時信の子で、清盛の妻時子及び後白河院妃建春門院滋子の兄。応保元(一一六一)年に妹滋子が生んだ憲仁親王(後の高倉天皇)を東宮に立てようと謀ったため、解官(右衛門権佐・右少弁・正五位下)され、出雲に流されたが、永万元(一一六五)年に許され、翌仁安元(一一六六)年に復位し、次第に昇進、同二年、参議正四位下、嘉応元(一一六九)年、権中納言へと昇り、清盛の側近として平氏政権を支える重要な役割を占めた。同年、院と平氏の微妙な対立から、再び流罪となったが、一月余りで召還され、承安元(一一七一)年には建春門院滋子の側近として活躍、寿永二(一一八三)年、権大納言となった。平氏滅亡後は壇ノ浦で源義経の捕虜となり、娘を薦めて身の安全を図ったが、頼朝によって能登に流され、そこで没した。

「平門にあらずンば人にして人にあらず」知られた文々であるが、これは「平家物語」の冒頭から直ぐの「禿童(かぶろ)」に(基本は昭和四七(一九七二)年講談社文庫刊の高橋貞一校注「平家物語(上)」(流布本底本)に拠るが、一部手を加えてある。以下同じ)、

   *

 かくて淸盛公、仁安三年[やぶちゃん注:一一六八年。]十一月十一日、歲五十一にて、病ひに侵され、存命の爲にとて、卽ち出家入道す。法名をば淨海とこそつき給へ。その故にや、宿病たちどころに癒えて、天命を全うす。出家の後も、榮耀(えいえう)は猶ほ盡きずとぞ見えし。おのづから人の從ひつくき奉る事は、吹く風の草木(くさき)をなびかすが如く、世の仰げる事も、降る雨の國土を潤すに同じ。六波羅殿の御一家(ごいつけ)の君達(きんだち)とだにいへば、華族も英雄も、誰(たれ)肩を雙(なら)べ、面(おもて)を向ふ者なし。又、入道相國の小舅(こじうと)、平(へい)大納言時忠の卿の宣ひけるは、「この一門にあらざらむ者は、皆、人非人なるべし」とぞ宣ひける。されば、如何なる人も、この一門に結ぼれんとぞしける。烏帽子のためやうより始めて、衣紋のかき樣に至るまで、何事も六波羅樣(やう)といひてしかば、一天四海の人、皆、これを學ぶ。

   *

とあるのに基づく。なお、ウィキの「平時忠」によれば、時忠は承安四(一一七四)年正月に建春門院の御給(ごきゅう)により従二位に叙せられたが、『平氏の栄華をたたえて「一門にあらざらん者はみな人非人なるべし」(現代語訳した「平家にあらずんば人にあらず」で有名な語)との発言をしたのはこの時期とされる』。『ただし、この「人非人」とは「宮中で栄達できない人」程度の比較的軽い意味だという説が有力である(当時の宮中人全般にとって、宮中人ではない下級武家や庶民が自分たちと同じ「人」ではないことはわざわざ言うもまでない自明の理であった)』とある。

「數」命数。運命。]

 

天下太平は武備機關の制度と兩立せず。生產的發展は爭亂の時代と並存せず。今や平氏の成功は、其武備機關の制度と兩立する能はざる天下太平を齎せり[やぶちゃん注:「もたらせり」。]。天下太平は物質的文明の進步を齎し、物質的文明の進步は富の快樂を齎せり。單に富の快樂を齎せるのみならず、富の渴想を齎せり。單に富の渴想を齎せるのみならず、又實に富の崇拜を齎し來れり。長刀短褐、笑つて死生の間に立てる伊勢平氏の健兒を中心として組織したる社會にして、是に至る、焉ぞ[やぶちゃん注:「いづくんぞ」。]傾倒を來さゞるを得むや。

[やぶちゃん注:「短褐」麻や木綿で作った丈の短い粗末な服。]

 

平氏が藤門の長袖公卿を追ひて一門廟廊に滿つるの成功を恣[やぶちゃん注:「ほしいまま」。]にせるは、唯彼等が剛健なりしを以て也。唯彼等が粗野なりしを以て也。唯彼等が菜根を嚙み得しを以て也。詳に云へば、唯彼等が、東夷西戎の遺風を存ぜしを以て也。彼等は富貴の尊ぶべきを知らず、彼等は官爵の拜すべきを解せず、彼等は唯、馬首一度敵を指せば、死すとも亦退くべからざるを知るのみ。しかも往年の高平太が一躍して太政大臣の印綬を帶ぶるや、彼等は彼等を圍繞[やぶちゃん注:「ゐねう(いにょう)」。]する社會に、黃金の勢力を見、紫綬の勢力を見、王笏の勢力を見たり。彼等は、管絃を奏づる公子を見、詩歌を弄べる王孫を見、長紳を拖ける月卿を見、大冠を頂ける雲客を見たり。約言すれば彼等は始めて富の快樂に接したり。富の快樂は富の渴想となり、富の渴想は忽に富の崇拜となれり。

[やぶちゃん注:「高平太」「たかへいた」平清盛の無位無官の少年時代(十四~十五歳)の「京童」(後出)のつけた蔑称。無粋な繩緒の「高」下駄を履いた「平」家の「太」郎(長男)の謂い。

「王笏」「わうしやく(おうしゃく)」。「笏」は「こつ」と読んでもよい。「笏」は束帯の際に威儀を正すために用いた長さ一尺二寸(約四十センチメートル)の板状のものであるが、ここはそれを持つ天皇以下の高級公家の喩え。

「拖ける」「ひける」。長紳(正装の際に附ける大帯)を後ろに「垂らして引いてゆく」ことを指す。]

 

海賊と波濤とを敵とせる伊勢平氏の子弟にして、是に至る、誰か陶然として醉はざるを得るものぞ。然り、彼等は泥の如くに醉へり。恰も南下漢人を征せる、拓跋魏の健兒等が、其北狄の心情を捨てゝ、悠々たる中原の春光に醉へるが如く、彼等も亦富の快樂に沈醉したり。於是、彼等は其長紳を拖き、其大冠を頂き、其管絃を奏で、其詩歌を弄び、沐猴にして冠するの滑稽を演じつゝ、しかも彼者自身は揚々として天下の春に謳歌したり。

[やぶちゃん注:「伊勢平氏」清盛の五代前の平安中期の武将平維衡(これひら 生没年不詳)が伊勢守となり、伊勢国に地盤を築き、伊勢平氏の祖となり、その子正度(まさのり)らの活動によって確固たる勢力を築いた。

「南下漢人を征せる、拓跋魏の健兒等」南下して侵略してくる漢民族を征討する北魏(三八六年~五三四年)の若武者たち。北魏は南北朝時代に鮮卑族(せんぴぞく:紀元前三世紀から六世紀にかけて中国北部にいた遊牧騎馬民族)の拓跋氏(たくばつし:中国北部からモンゴル高原にかけて勢力を持っていた鮮卑拓跋部の中心氏族。狭義には拓跋鄰の直系で、後に鮮卑を統一して北魏を建国した家系)によって建てられた。前秦崩壊後に独立し、華北を統一して五胡十六国時代を終焉させた。

「沐猴にして冠する」「もつこう(もっこう) にしてかん(或いは「かむり」)す」で、項羽が都とするのに適した関中の地を去って故郷に帰りたがったのを、ある者が「所詮、猿が衣冠をつけたようなもので、天下をとれる人物ではない」と嘲ったという「史記」の「項羽本紀」の「人言、楚人沐猴而冠耳、果然」に基づく故事成句。外見は立派でも内実がそれに伴わない人物の喩え、或いは、小人物が相応しくない任にあることを喩える。]

 

野猪も飼はるれば痴豚に變ず。嘗て、戟を橫へて、洛陽に源氏の白旄軍を破れる往年の髭男も、一朝にして、紅顏涅齒、徒に巾幗の姿を弄ぶ三月雛となり了ンぬ。一言すれば、彼等は武士たるの實力をすてゝ、武士たるの虛名を擁したりき。武士たるの習練を去りて、武士たるの外見を存したりき。平氏の成功は天下太平を齎し、天下太平は平氏の衰滅を齎す。

[やぶちゃん注:「野猪」基礎底本は「豪猪」(狭義にはヤマアラシ(哺乳綱齧歯(ネズミ)目ヤマアラシ上科 Hystricomorpha のヤマアラシ科 Hystricidae 及び アメリカヤマアラシ科 Erethizontidae)を指す。強いイノシシの積りで記したものであろう)。芥川龍之介自身の書入れで訂した。

「白旄」「はくばう(はくぼう)」。白毛の旗の総飾(ふさかざ)りで、白旗を旗印とした源氏を指し、その「軍を破れる」で「保元・平治の乱」を謂ったもの。

「涅齒」「でつし(でっし)」。お歯黒。鉄漿(かね)で歯を黒く染めることで、当時の公卿の習慣。

「巾幗」「きんくわく(きんかく)」。本来は女性の髪飾り(一説では女性が喪中に被る頭巾)を指すが、ここは「女性的」の意。]

 

彼等がかくの如く、長夜の惰眠に耽りつゝありしに際し、時勢は駸々として黑潮の如く、革命の氣運に向ひたりき。あらず、精神的革命は、既に冥默の間に成就せられし也。

[やぶちゃん注:「駸駸」「しんしん」。原義は「馬の進みの速いさま」で、転じて「時間・歳月などの早く進みゆくさま」「物事の進行の早いさま」を謂う。]

 

平氏の盛運は、藤原氏の衰運なりき。法性寺關白をして「此世をば我世とぞ思ふ」と揚言せしめたる、藤門往年の豪華は遠く去りて、今や幾多の卿相は、平氏の勃興すると共に、彼等が漸[やぶちゃん注:「やうやく」。]、西風落日の悲運に臨めるを感ぜざる能はざりき。嘗て彼等が夷狄を以て遇したる平氏は、却て彼等を遇するに掌上の傀儡[やぶちゃん注:「くわいらい」。]を以てせむとしたるにあらずや。嘗て彼等が、地下の輩と卑めたる平氏は、却て彼等をして其殘杯冷炙に甘ぜしめむとしたるにあらずや。而して嘗て屢々京童の嘲笑を蒙れる、布衣韋帶の高平太は、却て彼等をして其足下に膝行せしめむとしたるにあらずや。約言すれば、彼等は遂に彼等對平氏の關係が、根柢より覆されたるを、感ぜざる能はざりき。典例と格式とを墨守して、悠々たる桃源洞裡の逸眠を貪れる彼等公卿にして、かゝる痛烈なる打擊の其政治的生命の上に加へられたるを見る、焉ぞ多大の反感を抱かざるを得むや。然り、彼等は平氏に對して、はた入道相國に對して、漸くに抑ふべからざる反感を抱くに至れり。彼等は秩序的手腕ある大政治家としての入道相國を知らず。唯、鎌倉時代の遊行詩人たる琵琶法師をして、「傳へ承るこそ、言葉も心も及ばれね」と、驚歎せしめたる、直情徑行の驕兒としての入道相國を見たり。權勢攝籙の家を凌ぎ、一門悉、靑紫に列るの橫暴を恣にせる平氏の中心的人物としての入道相國を見たり。狂悖暴戾、餘りに其家門の榮達を圖るに急にして彼等が莊園を奪つて毫も意とせざりし、より大膽なるシーザーとしての入道相國を見たり。是豈彼等の能く忍ぶ所ならむや。

[やぶちゃん注:「法性寺關白」「ほつしやうじかんぱく(ほっしょうじかんぱく)」。平安後期の公卿藤原忠通(承徳元(一〇九七)年~長寛二(一一六四)年)のこと。忠実の長男で摂政・関白。美福門院と結んで父及び弟頼長と対立し、「保元の乱」の起因を作った。但し、ウィキの「藤原忠通」によれば、本来、『対抗勢力である鳥羽法皇や平氏等の院政勢力と巧みに結びつき、保元の乱に続く、平治の乱でも実質的な権力者・信西とは対照的に生き延び、彼の直系子孫のみが五摂家として原則的に明治維新まで摂政・関白職を独占する事となった』とある。

「此世をば我世とぞ思ふ」「法性寺關白をして」は誤り。筑摩書房全集類聚版「芥川龍之介全集」の注によれば、『この歌は忠通ではなく、法性寺摂政、御堂関白と称した』遙か前の、かの『藤原道長の作である』。「小右記』(しょうゆうき)『」寛仁二』(一〇一八)年『十月十六日の条』や「大日本史」に出ている』とある。この時、道長の娘威子(いし/たけこ)が後一条天皇の中宮となり、その立后の儀の後、道長の自宅で酒宴が開かれた際に詠んだもので、一首は、

 この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば

である。この誤認は芥川龍之介にして、ちと、痛い。

「殘杯冷炙」「ざんぱいれいしや(れいしゃ)」。そっけない扱いをされ、辱めをうけること。 「殘杯」は「他の人が口をつけて残した酒」、「冷炙」は「焼いたあと時間が経って冷めてしまった肉」の意。

「布衣韋帶」「ふいゐたい」。無位無官の貧しく身分の低い人を指す。「布衣」は「粗末な木綿の布で作った衣服」、「韋帶」は野蛮な「鞣(なめ)し革で出来た帯」のこと。「漢書」の「賈山伝」による故事成句。

「傳へ承るこそ、言葉も心も及ばれね」「平家物語」巻頭の「祇園精舍」の中間部の一節。

「攝籙」「せつろく」。「籙」は「符」の意。天子に代わって籙を摂(と)るの意から、摂政関白のことを指す。

「狂悖暴戾」「きやうはいぼうれい(きょうはいぼうれい)」と読む。「狂悖」は「非常識で不道徳な言動をすること」、「暴戾」は「荒々しく、道理に反する行いをすること」。]

 

彼等が平氏に對して燃ゆるが如き反感を抱き、平氏政府を寸斷すべき、危險なる反抗的精神をして、霧の如く當時の宮廷に漲らしめたる、寧ろ當然の事となさざるを得ず。かくの如くにして革命の熱血は沸々として、幾多長袖のカシアスが脈管に潮し來れり。是平氏が其運命の分水嶺より、步一步を衰亡に向つて下せるものにあらずや。しかも平氏は獨り、公卿の反抗を招きたるのみならず、王荊公に髣髴たる學究的政治家、信西入道が、袞龍の御衣に隱れたる黑衣の宰相として、屢謀を帷幄の中にめぐらしゝより以來、寒微の出を以て朝榮を誇としたる院の近臣も亦、平氏に對する恐るべき勁敵なりき。彼等は素より所謂北面の下﨟にすぎずと雖も、猶龍顏に咫尺して、日月の恩光に浴し、一旦簡拔を辱うすれば、下北面より上北面に移り、上北面より殿上に進み、遂には親しく、廟堂の大權をも左右するに至る。かくの如き北面の位置が、自ら大膽にして、しかも、野心ある才人を糾合したるは、蓋又自然の數也。而して此梁山泊に集れる十の智多星、百の霹靂火が平氏の跋扈[やぶちゃん注:「ばつこ(ばっこ)」。]を憎み、入道相國の專橫を怒り、手に唾して一擧、紅幟の賊を仆さむと試みたる、亦彼等が位置に、頗る似合たる事と云はざるべからず。しかも彼等は近く、平治亂に於て、源左馬頭の梟雄を以てするも、猶彼等の前には、敗滅の恥を蒙らざる可からざるを見たり。七世刀戟の業を繼げる、源氏の長者を以てするも、亦斯くの如し。平門の小冠者を誅するは目前にありとは、彼等が、竊に恃める所なりき。名義上の勢力に於ても、外戚たる平氏に劣らず、事實上の勢力に於ても莊園三十余州に及ぶ平氏に多く遜らざる彼等にして、かくの如き自信を有す。彼等が成功を萬一に僥倖して、劍を按じて革命の風雲を飛ばさむと試みたる、元より是、必然の事のみ。試に思へ、西光法師が、平氏追討の流言あるを聞いて、白眼瞋聲、「天に口なし人を以て云はしむるのみ」と慷慨したる當時の意氣を。傍若無人、眼中殆んど平氏なし。彼は院の近臣の心事を、最も赤裸々に道破せるものにあらずや。

[やぶちゃん注:「カシアス」共和政ローマ末期の軍人政治家ガイウス・カッシウス・ロンギヌス(ラテン語:Gaius Cassius Longinus 紀元前八七年又は紀元前八六年頃~紀元前四二年)。所謂、シーザー、ガイウス・ユリウス・カエサル(Gaius Iulius Caesar 紀元前一〇〇年~紀元前四四年)を暗殺した首謀者の一人。

「潮し來れり」「てうしきたれり(ちょうしきたれり)」表面に表わし来った。

「王荊公」宋の政治家にして詩人・文章家の唐宋八大家の一人王安石(一〇二一年~一〇八六年)の尊称。儒教史上に於いて新学「荊公新学」の創始者であることに因む。

「信西」(しんぜい 嘉承元(一一〇六)年~平治元(一一六〇)年)は藤原南家貞嗣流の公家で学者・僧侶。信西は出家後の法名で、号は円空、俗名は藤原通憲(みちのり)又は姓を高階とも。正五位下・少納言。中世国家の国制を固めた人物。父(大江匡房の「江談抄」の筆録をした藤原実兼)が早く亡くなったため、受領の高階経敏の養子となって世に出た。苦労して幾多の学問を修め、やがて政治への意欲を深めたが、鳥羽上皇・待賢門院の判官代から日向守になった段階で出世の壁に突き当たり、そこで出家を望んで藤原姓に戻って少納言を最後として出家したが、逆にその身軽な立場を利用して政治の中枢へと踏み込んだ。法体(ほったい)の鳥羽法皇に接近を図り、妻の紀伊(藤原朝子)が後白河天皇の乳母となっていたことから、自身は乳父となってその皇位継承を求めた。近衛天皇が亡くなり、次の天皇が問題になった際、鳥羽法皇の寵妃美福門院が養子の守仁親王(後白河天皇の実子。後の二条天皇)を推したのに対し、摂関家の藤原忠通と謀り、父を差しおいて子が帝位につくのは不当と訴え、遂に後白河の即位を実現させた。だが、崇徳上皇の勢力もあり、皇位も間もなく譲らなければなら