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2019/07/04

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(80)  近代の抑壓(Ⅱ)

 

 上から下へ、社會のあらゆる階級を通じて、上例と同樣な責任の制度、及び個人の意志の遂行に關する同樣な制限が、種々な形の下に固着して居る。。家底内部の狀態も、此の點に於て官省内の狀態と餘り異つては居ない、例へば如何なる家庭の主人も、彼自身の奴婢或は寄食者にさへも、或る定まつた制限以外に、自分の意志を强ふる事は出來ないのである。立派な婢僕たるものは、好意からでも、金錢のためでも、如何なる事があつても、誘はれて傳統的の習慣に背戾[やぶちゃん注:「はいれい」。背(そむ)くこと。逆らうこと。「悖戻」とも書く。]する事はしない、そして婢僕の價値は、かかる不屈の心によつて證せられるといふ昔からの意見は、數世紀の經驗から正當とされて居る。一般人民の感情はまだ保守的である、そして表面的の更新に對する外觀上の熱心は、生活の實際の事實を少しも指示するものでない。流行も、禮式も、家の内部も、街上の光景も、習慣も、方法も、生活のすべての外觀も變化した。併し昔ながらの社會組織は、これ等の表面の變化の下に固く執つて動かないで居る、そして國民性は、明治のあらゆる変化にも殆ど影響されずに居る。

[やぶちゃん注:以下、一行空け。]

 

 個人が服從させられて居る强制の第二種――斷體的强制、卽ち共同生活の强制――は、競爭の實際上の抑壓となるのであるから、近き將來に於て有害なものとなる恐れがある……。日本のいづれの都市の日常生活も、大衆が集團的に考へ、集團的に行動し續けて居る事を無數に示して居る。併し此の事實に就いて吾々に目馴れた、力ある例證を引かうとすれば、車屋則ち人力車曳きの規定に勝さるものはない。その條項によると、同方向に二臺の人力車が走る場合、後車が前車を驅け拔く事は禁じてある。旦那持ちの車夫――力と速さの點で特に選ばれ、その體力を極度に使ふ事を期待されて居る者――の爲めに例外が作られてあるが、これは止むを得ずして作つて居るのである。併し何萬人といふ振りの車夫の間には、若くて活氣のある者が、老年で弱い者を追ひ拔く事を得ず、また不必要に遲遲として怠惰な者をも追ひ拔く譯にゆかない規定がある。自己の優れた力を利用して競爭を强ふるのに、職業上の違犯であつて、必らず報いを受けるのである。今達者な車夫を傭つて足の續く限り騙けさせるとする、彼は素晴らしい勢で跳躍しながら騙け續けて行くが、偶〻出來る限り愚圖々々步いて居るやうな弱い車夫か、或は怠けものかに追ひ附く事がある。すると達者な車夫は跳びはねて追ひ越す事はせずして、忽ち遲い車の後に止まつて殆ど步くやうな緩慢な速力になつてしまふ。强壯で快速なものが、薄弱で遲々たる者を待つ規定の爲めに、かくして半時間も或はそれ以上も遲れる事になるかも知れない。他を追ひ拔く事を敢てする車夫に對しては弱者は怒つて苦情をつける、そして其の言葉の背後に潜んで居る考へは斯んな風に現はされ得るものである。『これは規則に外づれて居る事ぢやないか――お前の仲間の利益にならないやうな事をして居るのはお前にも解つて居るだらうぢやないか――車屋職業(しようばい)は隨分つらい職業(しようばい)なんだ、我が身の爲めばかり考へる競爭を止させる規定(きめ)がなけりや、己達はもつとつらい目を見なけりや生きて行けなくなるんだ!』勿論かかる規定は世上一般の職業の利害に如何なる結果を及ぼすかを考慮して作られたものではないのである。さて、車屋の此の道德の規定は、種々の變つた形で、日本の勞慟者の各階級に今迄常に課せられて來た『特別なる認可なくしては同輩を凌駕すべからず』といふ不文律の範例を示すと云つても間違ひではない……。出世の道は才能あるもののために開かれる、――併しながら競爭は禁ぜられる、といふわけである。

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