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2019/07/03

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(76) 遺風(Ⅲ)

 

 古人は今や登錄されて、法律に對し直接に責任ある者となり、一方に全家族がその一員の行爲に對する古の責任から免れるやうになりはしたが、家族は矢張りその族長的組織と、その特殊な祭祀とを保留して居て、今猶ほ實際上社會の單位となつて居る。近代の立法家が此の家庭の宗教を保護したのは賢明な遣り方であつた、此時に於てその束縛を弱くする事は、國民の道德的生活の基礎を弱める事であつた、――社會的組織の最も根抵深き建造物中に崩潰を挿入する事であつた。新法典は家を繼承して家長となつた者が其家を廢する事を禁止して居る、その者は祭祀を廢棄する事を許されて居ないのである。すべて一の家族の法律土の假定相續人は、養子或は夫として他家に入る事は出來ない、【註】また彼は自身の獨立の家族を作る爲めに、親の家を出る事は出來ない。異常な場合に適應して行く爲めに規定が設けられはしたが、併し如何なる個人も、立派な充分な理由なくしては、祖先祭記が課するそれ等の傳統的義務から脫する事を得ないのである。養子に就いては、新法律は、養子は養父母よりも年少なるべしといふ簡單な條件で、何人と雖も成年のものには、養子をする事を許可し、家族の宗教を保守するために、新たなこの條件をつけて古の精神を維持して居る。新離婚法は子の無いといふ計りで妻を離別する事は許さない(そしてかかる原因での離婚は、日本人の感情で既に長い間非難されて居たのであつた)、併し養子に對して與へられた便宜の爲めに、此の改革は祖先祭祀の繼續を危險に陷れるといふ事はなかつた。法律が今猶ほ祖先崇拜を保護して居る方法の一例として面白いのは、或る家族の最後の代表者が老寡歸であつて、しかも子の無い場合、その歸人は嗣子無くして居る事を許されないといふ事實である。その婦人は若し出來れば、男子を養子にしなければならぬし、若し貧困の故とか、或は他の理由でそれが出來なければ、地方の有司はその婦人の爲めに子息を世話してやるのである――卽ち、家族の禮拜を維持して行く爲めに男子の嗣子を世話してやるのである。かかる官憲の干涉は西洋人には壓制的に思はれるかも知れない。併しそれは單に親としての事であつて、東洋の信仰が、今猶ほ最大の不幸と思ふもの――家の祭祀(家)を斷絕させる事――を避けさす爲めに、子に死なれた者を保護する目的で作られた昔の規定の續行をあらはして居るのである……。他の點では近代の法典は、前時代の一向知らなかつた個人の自由を許して居る。併し普通の人は、普通の意見に反對する法律上の權利の要求を企てる事は夢想だもしないであらう。家族と公共的の感情は、今猶ほ法律よりも有力である。日本の新聞は、屢〻結婚の妨害や夫婦仲を裂いた事から起こる悲劇を掲載して居る、そして是等の悲劇は、大抵の靑年は、法律に訴へれば或は好結果を得るかも知れない場合にも、家族の決定に反對して、我意を通すよりも、寧ろ自殺[やぶちゃん注:「心中」のこと。]をさへ選ぶ場合があるといふ事實の力强い證明となるのである。

[やぶちゃん注:以下の註は底本では全体が本文分四字下げでポイント落ちである。本文と区別するために前後を一行空けした。]

註 此の意昧は、法律上ではその家族と絕緣する譯には行かないが、別居は隨意といふのである。家族が段々に崩潰する傾向をもつて居るのは、近年になつて生じ來たつた一の習慣を見れば明らかである、――それは特に東京に多いが、結婚の條件として、婿の親と同居する事を新婦に强制せざる事を要求する習慣である。此の習慣は猶ほ或る階級のみに限られて、反對論が盛んである。結婚の際に、親とは別居して獨立の世帶を始める若い人も中々多い、――法律上、親の家にいつまでも屬して居るのは勿論であるけれども……。かうした場合には祭祀はどうするか、といふ疑問が恐らく起こるであらうが、祭祀は親の家に殘つて、親が死んだ場合には、先祖の位牌は別居した子息の手に渡るのである。

 

 强制を加へる社會上の形式は、大都會では明臼に現はれる事が比較上少い、併し到る處でそれは或る程度までは續いて居る、そして農業地方では、それは實に盛んなものである。新狀態と舊狀態との間には、自己の地方の壓迫に堪へない者は、其の土地から逃げ出る事が今は出來るが、五十年前には、それが出來なかつたといふ差異がある。併し逃れる事は逃れても、矢張り殆ど同種類の服從の狀態に入るのである。併しながら、近時の此の行動の自由は、充分に利用されて居た、每年幾千の人々が都會に群らがつて行く、又他の幾千の人々は一地方から他の地方へと渡り步いて、甲の地に一年とか一季節とか仕事をして、それから他に遷つて行く、併しこれとても變化の經驗を得るよりも、殆ど他に望む事も出來ないのである。移民も亦大規模に行はれて來た、併し、少くとも移住者の普通階級の者にとつては、移住の利益は、主として本國に居るよりも高い賃金を得る機會のあるといふ事にあるのである。【註】日本の海外移住者の團體は家庭計畫に基づいて組織を立てて居る。そして個々の移住者は、カナダでも、布哇[やぶちゃん注:「ハワイ」。]でも、フイリツピン群島でも、その故鄕に於けると同樣の團體の强制の下に立つて居るのである。外國に於ては、かかる强制は、社會組織が保證して與へる援助と保護とによつて償はれてあまりある事は言を俟たない。併し本國に在つて動搖せる精神のものが斷えず增加して行くに伴なひ、また日本人の海外移民の經驗が斷えず廣がり行くと共に、强制的に共同作用を奬勵する團體の力は、近き將來に著しく薄弱にされる事が必らずありさうに思はれるのである。

[やぶちゃん注:以下の註は底本では全体が本文分四字下げでポイント落ちである。本文と区別するために前を一行空けした。]

 

註 恐らく、其の團體の祭祀に關する點だけは例外である。家族の祭祀は矢張り共に移されて行く。家族を連れて海外に行く移民は、先祖の位牌も共に持つて行くのである。移民の團體中に、その團體としての祭祀がどれ位確立されたか、私はまだ知る事を得ない。併し或る移民地に『氏神』が無いのは、金錢上の困難の爲めに神社を建造する事も、資格ある役員を扶持する事も出來ないといふ事實で、全く說明がつくのである。たとへば、臺灣では、日本移民の家庭では、各家族の祖先祭祀は行はれて居るけれども、『氏神』はまだ設定されて居ないのである。併し、政府は既に數多の重要な神社を建設した。そして、日本人の人口が增加して來て、是等の神社の幾つかを氏神にする理由が出來れば、恐らくさうするだらうといふ話を聞いた。

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