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2019/07/01

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(67) 封建の完成(Ⅴ)

 

 德川の統治の一般の性質は、上述の事實から或る程度迄は推測が出來る。二百五十年間平和を强ひ產業を奬勵した此統治は、如何なる意味に於ても、恐怖時代ではなかつたのである。國民の文化はあらゆる手段を盡くして抑壓され、切り剪まれ[やぶちゃん注:「はさまれ」。「原義は「鋏で切る」。]、刈り込まれたけれども、同時にそれは養育され、洗鍊され、力を强められた。此永い平和は帝國中に、以前には決して存在しなかつたもの――卽ち、一般に行き渡つた安固[やぶちゃん注:]しっかりと安定しているさま。]の感じ――を確立した。個人は法律と習慣とでそれ迄よりも以上に束縛されたが、併し彼はまた一方に保護もされたのである、則ち個人は其の東緯が許す限りの程度まで心配なく行動し得た。個人は仲間の爲めに强制されたけれども、一方又仲間は彼を助けて元氣よく其の强制に堪へる事を得せしめた。義務を遂行し、組合の生活の重荷を支へて行く爲めに、各人は相互に助け合つた。それ故に世態は、一般の繁榮の爲めになるのみならず、一般の幸福の爲めになつたのである。當時にあつては、生存の爲めの苦鬪努力といふものは無かつた、――少くとも吾吾近代人の考へるやうな意味に於ては無かつた。生活の要求は容易に滿足させられた。あらゆる人は自己の爲めに供給を受け、或は保護を與へる主人を有つて居た。競爭は抑壓され若しくは止めさせられた。種類の如何を問はず最高の努力をもする必要はなかつた――如何なる能力をも强調させる必要もなかつた。其上、努力して得んとするものも殆どなかつた。或は全然なかつた。人民の大多數に取つては獲得すべき獲物がなかつたのである。位階や收入は固定し、職業は世襲的であつた。そして任意に金錢を使用せんとする富者の權利を制限した規定のために、富を蓄積せんとする世人の願は阻碍され或は麻痺せられてしまつた。大大名と雖も――將軍自身さへも――自分の欲するままを行ふ事は出來なかつた。普通の人――農夫、工人、商人――は如何なる者と雖も、自分の欲するやうな家を建てる事も、又自分の好む通りに、それを造作する事も出來ず、また嗜好上買ひ度いと思ふやうな贅澤品を買ふ譯にも行かなかつた。かういふ方面に耽ける事を望んだ大分限の平民は、自分より上の階級の習慣を模倣し、或はその特權を僣取するのは法度である事を、直ぐに思ひ知る樣な目に遇はされたのである。彼は或る種類の者を自家用に注文して作らせる譯には行かなかつた。美的趣味を滿足させる爲めに贅澤品を作り出した工匠又は美術家は、下層の人々からの委託を引受ける心持ちは殆どもつて居なかった、彼等は公卿や大名の爲めに仕事をしたのであって、自分等の愛護者(公卿大名)の不興を買ふやうな危險は殆ど出來なかつた。あらゆる人の快樂は、社會に於けるその者の地位によつて、大抵は定められて居た。そして下級から上級に移るのは、容易な事ではなかつた。異常な人は、大官顯貴の恩顧を身に受けて、時にはさういふ事をする事も出來た。併しかかる出世には、多大の危險が伴なつて居た。而して平民の取つた最も賢明な政策は、自己の位置に滿足して落着いて居て、法律が許す限りの範圍に於て、人生の幸福を得ようと試みる事であつた。

 個人の野心はかく抑壓され、生活費は吾々西洋人の考へで必要額だと思はれるよりも遙かに最小限度まで減少させられた爲めに、奢侈禁制の規定があつたにも拘らず、文化の或る形式に對しては、非常に好都合な狀態が實際確立された。生活の單調に對する慰藷を求める爲めに、國民の心は餘儀なく娯樂か硏學かどちらかに向ふやうにされたのであった。德川の政策は文學と美術の方向に想像を半ば縱にする[やぶちゃん注:「ほしいままにする」。]餘地を與へて置いた――美術といつても下級のものではあるが、かくして抑壓されて居た個性は、是等二方面のうちに發揚の手段を見出し、空想は創造的になつた。が、斯の如き種類の知的耽縱[やぶちゃん注:「たんしよう(たんしょう)」。思うままのことに耽(ふけ)ること。]にさへも幾分危險の量は伴つて居た。そして此の危除を冒していろいろの事が實際行はれた。併しながら美的趣味は抵杭の最も少い方面を選んで進んで行つた。觀察は、日常生活の興味の上に――窓から見得る、或は庭園中で硏究される出來事の上に――種々の季節に自然があらはす目馴れた事象の上に、――樹木、花卉、魚鳥の上に、――昆蟲とその習慣の上に、――あらゆる種類の詳細、纖細な些事、而白い珍らしい事物の上に集中した。日本人種特有の天才が今猶ほ西洋の蒐集家を悅ばせる奇態な骨董品の大多數を製產したのも當時であつた。畫家、牙彫師[やぶちゃん注:「げてうし(げちょうし)」。動物の牙、特に象牙を用いた細工物を作る工芸師。奈良時代からみられたが、江戸末期に根付け細工として盛行した。明治時代には高度に彫刻的な作品も作られた。「げぼりし」とも読む。]、裝飾家は、小さい仙女の繪畫、絕妙な奇古のもの、金屬とでエナメルと金蒔繪の、奇蹟とも思はれる程の極小美術品を、製出するのには、殆ど何の制限も受けずに氣儘にまかせられた。かくの如き小事に於ては、彼等は束縛を受けずに、感情の上に自由を得たのである。そしてその自由の結果が、今日ヨオロツパとアメジカの博物館で珍重されて居るのである。美術の多數が(殆どすべてが支那傳來のものであるが)德川時代以前に著しく發達したのは事實である。併しそれ等が美的の滿足を普通の人の鑑賞し得る範圍内に置いたああいふ廉價な形を採り始めたのは其の時の事であつた。奢侈禁制の法、或は節儉を奬勵する統治は、高價な製產品の使用と所有に對しては猶ほ適用され得たであらう。併し形を賞翫して樂しむ事には適用され得ないのである。而して紙で造られたにせよ、或は象牙細工にせよ、粘土にせよ、黃金にせよ、美しきものはいつも文化をすすめる一つの力である。紀元前四世紀に於ける希臘の一都市では、あらゆる家庭道具が、もつとも些細な品に至るまで、意匠の點では美術品であつたといふ事である。そしてそれとは全然別種で、又西洋人の眼にはもつと目馴れない風ではあるけれども)、日本の家庭のあらゆる道具の場合にも同樣な事實を見るのである。靑銅の蠟燭立、眞鍮の燭臺、鐡鍋、紙行燈、竹簾、木枕、木盆等は、教育ある人の眼には、西洋の安物には全然見られない美と用途適合の感じを具へるであらう。此の美の感じが日常生活に於てあらゆるものに滲み込み始めたのは特に德川時代の間であつた。それからまた挿繪の技術も發達した、また現今富裕な好事家が極めて熱心に蒐集して居るあの驚くべき色刷木版畫(如何なる時代或は如何なる國に於ても決して製作され得なかつた程に美麗なもの)が作られ始めた。文學も亦美術の如く、唯だ上流階級の樂しみだけではなくなつた、それは非常に多數の通俗の形式を發達させた。此の時代は通俗小設の時代、廉價本の時代、通俗劇の時代、老幼の爲めの物語の時代であつた……。吾々は德川時代を以て此の國民の長い一生のうちで最も幸福な時代であつたと稱し得るかも知れない。文學上及び美的の事に喚起された一般の興味を考への内に入れないとしても、人口と富との增加のみを見ても其の事實を證明するに足るであらう。それは大衆の享樂時代であつた。また一般の修養と社會的文雅の時代であつた。

 慣習は社會の頂上から下方に擴がつた。德川時代の間に、以前には上流社會にのみ流行して居た種々の娯樂や藝事が一般のものとなつた。是等のうちの三つは高尙な程度の文雅をあらはす種類のものであつた、卽ち、歌合せ、茶の湯、及び生花の複雜した技術がそれである。すべてこれ等は德川時代よも餘程以前に日本の社會に入つて來たものであつた――歌合せの流行の如きは、日本の信ずるに足る歷史が始まつた時と時代を同じうして居るに違ひない。併しかかる娯樂や藝事が國民的となつたのは、德川幕府の下であつた。その時から茶の湯が全國に亙つて女子教育の一特性となつた。茶の湯の難かしい特性は、多數の繪の助を藉りてのみ說明が出來る、そしてその技術を卒業するには多年の練習と實習が必要である。しかも此の術の全體も細目も、共に一個の茶碗で茶を立て、それを客に薦める事を意味するに他ならないのである。併しながらそれは實際の美術である――極めて秀美な美術である。實際に茶を立てる事は、それだけでは何でもない事である、その極めて重大な要件は、その動作を出來るだけ極めて完全な、極めて丁寧な極めて優雅な、極めて魅力のある方法で行ふ事である。炭のつぎ方から茶の薦め方に至る迄――あらゆる事を至上の禮法に從つて行はなければならぬ。充分にこれに通曉するには、大きな忍耐のみならず生來の優雅な態度が必要である。故に茶の湯を習ふ事は、今猶ほ禮儀、克己、優雅の練習――擧止の訓練であると思はれて居る……。生花の技術も矢張りこれに劣らずこみ入つたものである。流派は澤山あるけれども、各流の目的は、ただ出來るだけ美しい方法で葉と花の枝を見せ、『自然』自身の、不規則にしてしかも雅致ある趣を、くづさずに見せる事だけである。此の技術も亦習得に多年を要する。そしてその修業は美的價値のみならず、一種の道德的價値を有つて居る。

[やぶちゃん注:以下、一行空け。]

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