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2019/07/07

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(95)  囘想(Ⅱ)


 日本がそれ等の性質を一の方向に如何に强く發達せしめ得たかは、ロシヤとの現今の戰爭[やぶちゃん注:日露戦争は本書が書かれた明治三七(一九〇四)年(八雲は同年九月二十六日没)の年初の二月八日に旅順攻撃で開戦しており、日本の勝利を決定づけた日本海海戦は同年五月であった。その直後に勧告された講和をロシアが受け入れて翌年九月五日に終わった。]が驚くべき證據を見せて居る。併し日本が斯く侵略の力を意想外に現はしたその背後に潜む道德的の力は、確に過去の長い訓練に負うて居るのである。日本國民が廿んじて變化に服從して居た爲めに覆ひか隱されてしまつた沈默せる精力、――四千萬人の此集團に透浸して居る自覺せざる勇氣、――陛下の一令で直に立つて建造にも破壞にも展開し得る壓搾された力、――は皮相の觀察の看破し得ざる處である。かくの如き軍事上及び政治上の歷史を有つ一國民の統率者達は、外交及び戰爭に於て最も重要なあらゆる能力をさぞかし表示する事と人は期待するかも知れない。併し集團の性格――風浪の如き偉大な力を以て命令の儘に動く物質が具備する性質――がなかつたならば、かくの如き能力も殆ど價値あるものとはならないであらう。日本の眞の力は其一般人民、――其農民や漁民、工人や勞働者、――田畠に勞働し、或は都市の裏路に最も卑賤な職に從事する辛抱强き溫和な人民――の道德的性質の中に今猶ほ存在して居る。此の人種のあらゆる自覺せざる壯烈な氣質は、これ等の人々の中に存する、また此人種のあらゆる素晴らしい勇氣、――人生に對する無頓着を意味せずして、死者の位階を昇進せしめる事をなす天皇の命ずるままに、生命を犧牲にする事を欲する勇氣――もこれ等の人々の中に存するのである。今戰爭に召集されて居る數萬の靑年にして、光榮を荷つて本國に歸らうと云ふ希望の言葉を洩らすものは一人もない、――口に出す希望は、天皇と祖國の爲めに死んだ者の靈が集まる處と信ぜられて居る招魂社――『靈を呼び起こす社』に祀られて、長く世人に記憶されようといふ事のみである。古來の信仰の、此戰爭の際ほど强い時はない、【註】そしてロシヤは、連發銃やホワイトヘツド魚形水雷よりも、此信仰を恐れなければならないのであらう。愛國の宗教としての神道は、充分にその力を發揮させれば、極東全部の運命に影響を及ぼすのみならず、文明の將來に影響すべき力である。日本人が宗教に無頓着であると說く位、日本人に就いての不合理な斷言はない。宗教は今迄のやうに、今も猶ほ日本人民の眞の生命であり、――彼等のあらゆる行動の動機でまた指導の力である。實行と忍苦の宗教であり、僞信と僞善のない宗教である。そしてそれによつて特に發達せしめられた諸〻の性質は、すなはちロシヤを愕然たらしめたその性質であつて、此後もまだロシヤに多くの苦しい驚愕を與へるかも知れないのである。【註二】ロシヤは子供のやうな潺弱[やぶちゃん注:「せんじやく(せんじゃく)」。見知らぬ熟語だが、水がさらさらと流れるような、如何にもなか弱さの謂いか。]を想像して居た場合に、驚くべき力を發見したのであつた。臆病と無氣力とを期待して居た場合に、勇猛に出會つたのであつた。

[やぶちゃん注:「ホワイトヘツド魚形水雷」原文「Whitehead torpedoes」。「Whitehead torpedo」(ホワイトヘッド魚雷)の複数形。ウィキの「ホワイトヘッド魚雷」によれば、『自走式もしくは「機関式」として最初に開発された魚雷で』、『オーストリア=ハンガリー帝国海軍のジョバンニ・ルピス』(Giovanni (Ivan) Biagio Luppis Freiherr von Rammer 一八一三年~一八七五年)『がデザインを考察し』、イギリス人エンジニア『ロバート・ホワイトヘッド』(Robert Whitehead 一八二三年~一九〇五年)『により』一八六六『年に完成した。多数の海軍機関が』一八七〇『年代にホワイトヘッド魚雷を入手し、その中にはアメリカ海軍が含まれる』。『この初期の魚雷は露土戦争の戦闘で試され』、一八七八年一月十六日に『トルコ軍艦艇「インティバー」は、ロシア帝国海軍の水雷艇が装備したホワイトヘッド魚雷によって撃沈された』。『トーピードーという語はトーピードーフィッシュ(シビレエイ目』(軟骨魚綱板鰓亜綱シビレエイ目 Torpediniformes)『)から来ており、このエイの一種は、行動不能とするため』に体内の発電器官によって『獲物に電撃を加える』ことに由来するとある。当時は戦艦・駆逐艦及び水雷艇から発射された(近代の潜水艦の開発はこの一九〇〇年代以降)。因みに、日本海軍も『日清戦争での水雷艇による威海衛夜襲の戦果と』(但し、この頃のものは低性能で、ネット上の記事では敵艦から百メートル以下まで接近して発射しないと命中しなかったという記載もあった)、この『日露戦争の日本海海戦夜戦における水雷艇と駆逐艦の活躍により』、『魚雷の有用性に注目して高性能な魚雷の』独自の『開発に』もその後、『力を注い』でいたが、この当時、使用されていたものは輸入品であったようだ。いろいろ調べてみて、サイト「太平洋戦争の記録」の「海軍水雷戦隊――太平洋を走破する駆逐艦の航跡(『 Japanese Destroyers 』大野景範&原進著)」でやっと記載を見出せた。『魚雷は英人ロバート・ホワイトヘッドによって一八六六年(慶応三年)に完成されたもので、当時のものは圧縮空気によってピストンを動かし、速力六ノット(時速約一一キロ)で約六〇〇メートルの射程をもっていた』。『日本海軍が日清戦争や日露戦争で使用した水上発射用の魚雷は、このホワイトヘッド式の改良型で』、『直径一八インチ(四五・七センチ)で速力約三〇ノット(時速約五五・六キロ)、炸薬量は五〇~八〇キロ、約四〇〇〇メートルの射程であった』とある。

 以下、註は全体が本文分四字下げでポイント落ち。区別するために前後を一行空けた。]

 

註一 第二回旅順口閉塞後、日本艦總司令長官東鄕海軍中將の功を嘉して[やぶちゃん注:「よみして」。良しとして。褒めて。]賜はつた勅語に對する中將の奉答文は、神道の特色を遺憾なく表はして居る。

『第二次旅順閉塞ノ擧ニ對シ優渥[やぶちゃん注:「いうあく(ゆうあく)」。懇ろで手厚いこと。]ナル勅語ヲ賜ハリ臣等感激ニ堪ヘザルノミナラズ之ニ死セル將卒ノ忠魂モ永ク戰地ニ止マリテ皇軍ヲ庇護スベキヲ覺ユ(臣等尙倍[やぶちゃん注:「ます」。]マス勇奮聖旨ニ副ヒ[やぶちゃん注:「そひ。]奉ラムコトヲ期ス)』一九〇四年三月三十一日發行『ジヤパン・タイムス』揭載の飜譯。

 勇敢な死者に對するかくの如き思想と希望とは、サラミスの海戰後にギリシヤの海將等も亦述べたかも知れない。ギリシヤ人を助けてペルシヤの侵入を防がしめた信仰と勇氣とは、現今日本を助けてロシヤに當たらしめて居る宗教的の壯烈勇武と正に同性質のものであつた。

[やぶちゃん注:「第二回旅順口閉塞」大日本帝国海軍が行ったロシア帝国海軍旅順艦隊の海上封鎖作戦の第二次旅順港閉塞作戦。同作戦は明治三七(一九〇四)年二月(第一次閉塞作戦は二月十八日で機関兵一名が死亡した)から五月(第三次は五月二日でこの時は多数の准士官・下士・兵卒らが戦死した)にかけて行われた。第二次は三月二十七日未明に決行された。四隻の閉塞船を投入して実行されたが、前回に続いてロシア軍に察知されて失敗した。この作戦で閉塞船福井丸を指揮した広瀬武夫少佐が戦死し、のちに軍神とされ、崇められた。また、杉野孫七上等兵曹他四名が戦死した。広瀬と杉野のエピソードは文部省唱歌「廣瀨中佐」で知られる。但し、孰れも旅順港を十分に封鎖するに至らなかった。ウィキの「旅順港閉塞作戦」によれば、『作戦後、東郷司令長官は「第三次閉塞作戦ハ概ネ成功セリ」と大本営に打電したが、旅順艦隊は依然』、『出入港可能な状態であり、当時日本が保有していた一千総トン以上の商船百九十七隻のうちの一割に当たる二十一隻もが『投入された本閉塞作戦は事実上の失敗に終わった』。『一方、ロシア側ではウラジオストク巡洋艦隊を派遣させ』、『連合艦隊の旅順からの引き離しを図るとともに、バルチック艦隊の回航を決定』、『独力での旅順艦隊の無力化に固執していた日本海軍であったが、度重なる閉塞作戦の失敗に加えてウラジオストク巡洋艦隊の通商破壊作戦』(以下に出る金州丸撃沈はその一つ)『への対処を余儀なくされただけでなく』、六『隻あった戦艦のうち「初瀬」「八島」を』五月十五日『に触雷によ』って『失い、更に困難な状況に陥った。バルチック艦隊到着までの時間的猶予は限られており、ついに海軍は旅順(旅順要塞)攻略を陸軍に要請』、『陸軍は乃木希典大将を司令官とする第三軍を編成し旅順攻囲戦を開始し、旅順の戦闘は陸上戦に移行した』のであったとある。

「サラミスの海戰」ペルシア戦争の最中の紀元前四八〇年九月、ギリシアのサラミス島近海で、ギリシア連合軍の艦隊とペルシア遠征軍の艦隊の間で行われた海戦。ヘロドトスの「歴史」第八巻に詳しい。詳細は参照したウィキの「サラミスの海戦」を見られたいが、『ヘロドトスによると、ギリシア側は、西翼にアテナイ艦隊、東翼にスパルタ艦隊を配置し、対するペルシア側の布陣は西翼にフェニキア艦隊、東翼にイオニア連合艦隊が展開するものであった』。『戦闘の始まりについてヘロドトスは複数の説を伝えている。アテナイ』から報告に『よれば、アテナイ船』一『隻が戦列を抜けてペルシア艦隊に突っ込み、他の艦船もこれを救援すべく突入したことで戦闘が開かれたとしている。また、アイギナ』からのそれ『によると、神霊をむかえてアイギナより来航したアイギナ三段櫂船がペルシア艦艇と最初の戦闘を行ったとしている。また、ギリシア軍の眼前に』一『人の女性が現れ、全軍を鼓舞激励したとも伝えている』という。ともかくも『この海戦でギリシア艦隊が勝利をおさめ、ペルシア戦争は新たな局面を迎えることにな』ったとある。]

註二 本年四月二十六日にロシヤ軍艦の爲めに擊沈された運送船金州丸乘組の將士の行動は、必らず敞をして深省する處あらしめたに違ひない。敵は考慮の時間を一時間與へたけれども、士卒は降服を肯んぜず、戰鬪艦に對して小銃を以て砲火を開いた。そして金州丸が水雷の爲めに眞二つに爆沈されるに先き立つて、多數の將卒は切腹した……。此の猛烈な昔の封建時代の精神の著しい發揚は、ロシヤが若し戰爭に勝つたとしたならば、如何に多大の犧牲を拂はなければならぬであらうかを示すものである。

[やぶちゃん注:「四月二十六日」諸資料では四月二十五日とする。確定し得る詳細記載を見出せなかったが、複数の記事を綜合すると、海軍の御用船であった金州丸が、旅順閉塞を受けて蠢動を開始したウラジオ艦隊に襲われ、降伏交渉の行き違いによって、船員・下士官・兵卒ら七十六名が自決・戦死し(一部の資料には陸軍歩兵一個中隊がこの船から上陸して索敵後に再び乗船していたともある)、船は撃沈され、交渉のためにロシア艦に赴いていた士官全員が捕虜になったという。]

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 無數限りない理由からして、(何時までも續くか誰れにも分からない)此の恐るべき戰爭は[やぶちゃん注:事実上、この年の五月二十七日から二十九日の三日に亙った「日本海海戦」に於いて、バルチック艦隊はその艦艇の殆んどを失い、司令長官も捕虜となって壊滅的な打撃を受けた。対する連合艦隊は喪失艦僅か水雷艇三隻という近代海戦史上例を見ない一方的圧勝に終わった。その結果、ロシアは急遽、講和へと舵を切り、アメリカが仲介役となったポーツマス条約によって翌明治三八(一九〇五)年九月五日に日露戦争は終結した。小泉八雲は明治三七(一九〇四)年九月二十六日(満五十四歳)で亡くなっていた。本書の刊行は亡くなった同年同月の刊行で、則ち、八雲は最終校正を終えたものの、上梓された刊本としてのそれを遂に手にすることなく逝ったのであった。さればこそ本書は彼を殺したとも言われるのである。死因は狭心症であった。]、言語に絕して遺憾千萬であるし、またその理由のうちには生產に關することも少からずある。戰爭は近代の國民の繁榮と致富に缺くべからざる、健全なる個人主義の發達に資するあらゆる傾向を一時必らず阻碍する。企業は生氣を失ひ、市場は麻痺し、製造は休止する。併し此の異常な人民の異常な場合には、戰爭の社會的結果が、或る程度まで利益となり得る可能性はある。戰爭に先き立つて數百年の經驗で建設された諸制度が、まだ時ならぬのに崩壞する傾向が見えて居た、――道德も或は崩壞せんとする重大なる虞れがあつた。其の大變化は今後に行はれるに相違ない事、――此國の將來の幸福が變化を要求する事、――は議論を挾む餘地がないやうに見えるであらう。併し、かくの如き諸變化が、漸次に遂げられる事、――國民の道德的組織を危險に陷れるが如き、時を得ざる急激を以てせずして遂げられる事は必要である。獨立の爲めの戰爭、――この民族をして其成行に總てを賭るやむなきに至らしめる戰爭、――は、昔の社會的羈絆の緊張、忠誠と義務の古來の感情の强い復活、保守の感情の增大等を起こすに相違ない。これは或る方面に於ける退步を意味するであらう、併しそれは又他方面の活氣を意味するであらう。ロシヤの脅威に當面して、大和魂は再び復活する。若し日本が勝てば、日本は以前よりも道德的に强くなつて此戰爭から切り拔けて來るであらう。そしてその時には自信の新しい觀念、獨立の新しい精神が、外國の政策と外國の壓迫に對する國民の態度に現はれて來るかも知れない。

[やぶちゃん注:以下、一行空け。]

 

 ――勿論、自信過大の危險はあらう。海陸共にロシヤの力を破り得る國民は、同樣に又彼等自身の領土内で、外國の資本と競爭し得ると、信ずるやうな心持ちになるかも知れない、そして政府を說得し或は威嚇して、外國人の土池所有權の問題に關して、不幸なる妥協を爲さしめるため、あらゆる手段が確に試みられるであらう。此方面の努力は、長年の間固執的に且つ組織的に行はれて來、日本の政治家の或る階級から幇助を受けて居たやうに思はれる。併しこれ等の政治家は、特權を有つた外國の資本のシンジケエトが、唯一つでもあれば、それが斯樣な國に於ては、如何に巨大な壓制を行ひ得るかを了解し得ないらしい。私の考へる處に依ると、日本全國に於ける金力の性質と、生活の平均狀態とを、極めて漠然とでも理解する人は、誰れに限らず、借地權を有つた外國の資本が、立法を支配する手段と、政府を左右する手段と、外國の利益の爲めに、此帝國が實際に支配されるに至る事態を招致する手段とを、必らず得るに至る事を認めるに違ひないと思ふ。日本が土地の購買權を外國の產業に對して與へる特には、日本は到底復活の見込みのない程に破滅してしまふといふ確信に、私は抵抗する譯には行かないのである。眼前の利益の爲めに誘はれて、かかる事を許す自身自惚れ心は、極めて不幸なものであらう。日本はロシヤの戰艦や銃剱を恐れるのとは比較出來ない程に、英米の資本を恐れなければならない。日本の戰爭の能力の背後には、一千年の訓練を經た經驗がひそんで居る。其產業的及び商業的の力の背後には、ただ半世紀の經驗があるのみである。併し日本は充分に警告を與へられて居た。そして若し日本が今後自ら進んで破滅を招くことになれば、それは忠告が缺けて居たからではあるまいと思ふ、――何となれば日本は【註】世界の最大賢人の忠告を得て居るからてある。

    註 ハアバアト・スペンサア

 此の文の讀者には、新たな社會組織の長所と弱點――その軍事的方面に於ける攻防兩運動の偉大な才能、及び他の方面に於ける比較的薄弱な點――が今や少くとも明白になつたに違ひない。結局、驚異すべきは、日本がこれほど立派に今迄其の位置を保ち得たといふ事であつて、その最初の覺束ない努力を、新規で危險な方面に導いたのは、確に尋常ならざる智能を以つてした事である。日本が今迄に成就した事を遣り遂げたその力は、確にその古の宗教上及び社會上の訓練から出たものである。新形式の統治と、新狀態の社會的活動の下に、日本が今猶ほ昔の訓練の多くを維持する事を得た爲めに、日本は續いて强力であり得たのである。併しさうとしても、日本が災禍を免れ得たのは、-―外國の壓迫の重荷の下に、全社會組織が分裂するのを免れ得たのは、ただ最も堅固な最も機敏な政策によつたからであつた。巨大な諸變化が行はれると言ふのは避くべからざる事であつたが、併しその變化が、國の基礎を危くする性質のものたるべからずといふ事も、同樣に避くべからざる事であつた。そして直接の必要に對して準備する一方、將來の危險に對しても用意を怠らないやうにするのは、特に必要な事であつた。人間の文化の歷史に於て、かかる巨大な、かかる錯雜せる、かかる動かし難き諸問題を、切り拔けるの巳むなきに至らしめられた統治者は恐らく決して無かつたであらう。そしてこれ等の問題のうち、その最も動かし難きものが、まだ解けずに殘つて居る。日本のあらゆる成功は今迄は、義務と從順といふ古來の神道の理想によつて支持された非利己的な集合的行動に原因したのであるけれども、日本の產業的將來は、全然反對した種類の自我的の個人行動に依賴しなければならぬといふ事實が、すなはちそれである。

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