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2019/07/08

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(99)  追錄(全)

 

[やぶちゃん注:【2019年7月9日:本注及び本文差し込みの私の注の一部を改稿した。】以下、底本にある「追錄」(Appendix)という後書きは、私は、今回、初めて読む(読みながら電子化した)。私が若き日より馴れ親しんだ恒文社版(一九七六年刊)の平井呈一氏訳にはこれは附帯していないからである。当初、私はこれが本作の小泉八雲自身による「追記」であると疑わなかった。しかし、だったら何故、平井氏は外したのかという疑問とともに、どうも何か、違和感があった。昨日、これを公開してより、今朝、メールを開くと、私の諸電子化注の疑問や誤りにいつも御指摘を戴いているT氏よりメールがあった。氏は、一九〇四年九月刊行の本書「Japan: An Attempt at Interpretation」初版の本文最後(「INTERNET ARCHIVE」の当該書の当該ページ画像)の右(「神國」とのみ印刷)ページをクリックすると「Appendix」が存在しないこと、次に翌一九〇五年十月の再版には「Appendix」がある(「INTERNET ARCHIVE」の当該書の「Appendix」開始ページ。左をクリックして行くと、「Appendix」標題ページと「神國」と本文最終ページが現れる。因みに、私は誤りが少ないと判断して原典確認として一九一〇年版(再版の九刷か)を使用してきた)こと、ところが、不思議なことに当該再版冒頭の「Contents」(目次)にはこの「Appendix」は存在しないことをお伝え下さった。そして、『ところで、この「Appendix」は小泉八雲の文でしょうか?』と疑義を呈され、『八雲は明治三七(一九〇四)年九月二十六日で一九〇五年は没後です』。『且つ「Appendix」の最後の段落は「日本海海戦」(明治三八(一九〇五)年五月二十七日~五月二十八日)が記載されており、「少なくとも」最後の段落の相当部分は「小泉八雲」が書いたものではありません』とご指摘されてあった。そうだ、迂闊にも気づかなかった違和感はここにあったと私はやっと腑に落ちたのであった。それにしても、この文章はおよそ戸川秋骨氏の訳の文体を読む限りに於いては、小泉八雲が書いたようしか読めず、戸川氏もそう認識されて訳しておられるものと思う。調べてみたが、どういう経緯で、誰がこの「追記」を書き、挿入したものかを調べ得なかった。識者の御教授をに乞うものである。
【2019年7月11日:追記】T氏より新たなメールが、本日、齎された。結論から言うと、この文章は、やはり小泉八雲自身が書いたものであった。但し、最後の部分は、恐らく、出版元であるマクミラン社の編集者がその後の日露戦争の展開を踏まえて、書き変えをしたものであるようだ。T氏の考証経過を押さえて戴くために、同氏のメールを転写する。

   《引用開始》

「追錄」(appendix)の原稿が「富山大学」の「ヘルン文庫」で公開されており、ここには「Japan: An Attempt at Interpretation」の原稿の全てがあります。
「Appendix」の原稿を添付します。[やぶちゃん注:上記の「ヘルン文庫」からリンクで飛んだ「富山大学学術情報リポジトリ」のこちらの「Appendix.pdf」でダウン・ロード出来る。]

「appendix」の原稿と刊行版とを比較して見ると、僅かですが、違いがあります。

最後の段落の
「唯だ一隻の船も失はずに强大な露國艦隊を潰滅せしめ」
の部分は
『「露國戦艦」の無力化』
です。

(海戦名は書かれていませんが、旅順港閉塞作戦(一九〇四年五月二日迄)を指しているのではないかと思います。八月の黄海海戦は「?」です。)

「鴨綠江上で三萬の露軍を潰走せしめた。此の間の日本軍の勝利……」(変更なし)
これは一九〇四年四月三十日から五月一日の「日露戦争」最初の陸戦(Battle of the Yalu River)を指しています。

最後の
「……。次の時代が來たら、日本は、その保守主義の多くを棄てても危險はなからう。併し、現在一時だけは、日本は、保守主義を救濟の力を賴まなければならないのである。」
は原稿と異なります。

原稿は

〉〉 Time will prove whether

〉〉  the new sehool of Japanese
〉〉  statesmen have been wiser
〉〉  than Herbert Spencer.

(刊行版よりも、日本にポジティブな感じです)

私の推測では、原稿を五月末頃に書き上げ、出版社の送付したもの思われます。

「Appendix 」が最初に現れたのは一九〇五年十月です。
版元の編修者が「日本海海戦」(Battle of 
Tsushima)を連想させる「强大な露國艦隊を潰滅」に変更したと思われます。
「相当部分」ではなく、時期に合わせた僅かの修正と云う事のようです。

   《引用終了》   

なるほど! そうだったのだ! T氏にまたしても教えられた。深く感謝申し上げます!!!]

 

  追 錄

 

 五年程以前の事、當時東京に居住して居たアメリカ人の教授が、私に話した事がある。それは、日本が獨立を維持せんとならば、如何なる政策に據るべきかを、日本の某政治家に教へたハアバアト・スペンサアの手簡が、此の哲學者の死後公表されるであらうといふのであつた。がその後何等音沙汰も聞かなかつた。併し『第一原理』(一七八節)にある日本の社會の崩壞に關する說を想起して、氏の忠言なるものは極保守的な種類のものであらうと、私はかなり確信して居た。處が實際は私の想像にも增して激しい保守的のものであつた。

 スペンサアは一九〇三年十二月八日の朝死んだ(其の時本書は丁度出版の準備中であつた)、そして。一般の人々が既によく知つて居る事情の下に、金子堅太郞に宛てた此の手紙は一九〇四年一月十八日の『倫敦タイムス』に揭載された。

[やぶちゃん注:「金子堅太郎」(嘉永六(一八五三)年~昭和一七(一九四二)年)は政治家。元福岡藩士。司法大臣・農商務大臣・枢密顧問官を歴任し、最終栄典は従一位大勲位伯爵。第一代内閣総理大臣伊藤博文の大臣秘書官として伊東巳代治・井上毅らとともに「大日本帝国憲法」の起草に参画し、皇室典範などの諸法典をも整備した。日本法律学校(現在の日本大学)初代校長。「男」は男爵の意。この当時は未だ男爵であった(憲法起草による受爵)。彼は、かの明治四(一八七一)年の「岩倉使節団」に同行した藩主黒田長知の随行員となり、そのまま團琢磨とともにアメリカに留学し、最終的にハーヴァード大学法学部(ロー・スクール)に入学したが、その折り、まさにこのイギリス人社会学者ハーバード・スペンサーの下で学んでいた。

「一般の人々が既によく知つて居る事情」一九〇二年の「日英同盟」締結、及び、一九〇四年一月の「日露戦争」開戦直前の経緯・事態を指す(T氏より)。]

 拜啓 小生の【註】書簡二通の飜譯を新首相伊藤伯に御送附のお心組みの由拜承欣懷至極に有之、喜んで御承諾仕候。 

    註 此の二通はまだ公表されて居ない。 

 なほ後の貴問へ對しては御返事左の如くに御座候、先づ一般的に申し上ぐれば、日本の採るべき政策は、歐米諸國を出來得る限り遠ざけ置く事と存じ候 貴國に比して强大なる諸國に面しては、貴國は常に危險の位置に有之候故、外國に對しては能う[やぶちゃん注:「あたう」。]限り足掛りを與へざる樣御注意專一と愚考仕候。

 貴國が許可有之で利得を招き得る交通の種類は唯一種のみと考へ候、そは物品の交換に對して――と申すも精神的及び肉體的の產物の輸出入の意に候が、――缺く可からざる交通のみに有之べく候。異人種の人民、特に貴國よりも强大なる諸國の人民には、上記の目的の遂行に絕體的必要なるよえい以上の特權は許可相成る間敷き事に御座候。貴國は歐米諸國との條約の改正によりて、『外國の資本に對して全國を開放する』事を提案致され居る樣相見え候が、小生はこれを貴國の安危に關する者として寒心に堪へず候。此の結果が恐らく如阿なる者を齎すかは、印度の歷史を見て明らかなるべく候。强大なる民族の一をして、一度立脚地を得せしめば、歲月を經る間には必らず侵略的政策を生じて、其の結果は日本人との衝突を來たす事と相成るべく候、然る上はこれ等の攻擊は日本人の加へたる攻擊と詐稱せられ、その場合に應じて必らず復仇を受くべく候、領土の一部は占領せられて外國植民地として割讓の要求を受くべく、その結果終に日本全土の服從と相成るべく候。貴國は如何なる場合に於ても此の運命を避くる事は甚だ困雖と存候へ共、小生が指摘せる事項以外に、外人に對して何等かの特權を許可有之事と相成候はば、此の運命は容易に來る事と信じ申候。

 第一の貴問に對するお返事として、かく一般的に指摘仕候愚考を御サ採用相成候節は、外國人の土地所有を禁止相成るべきのみならず、彼等に土地の貸與をも拒絕相成るべく、一年契約の借地としてのみ居住する事を御許可相成るべくと申添へ度く候。

 第二の貴問に對しては、政府所有或は政府經營の鑛山の經營を外人に嚴禁あり度き事を申述べ度く候。此の場合に於ては、鑛山經營に從事したる歐米人と政府との間に諍論の論據となるものが明らかに生ずる虞れ有之べきかと存候、此の爭の結果としては、歐米の經營者は其の權利を貫徹せしめんが爲め、勢ひ英米政府或は他の强國の援助を請ふに至るべく候、凡そ文明國民間の常習として海外在留の自國の代理人或は賣捌人より來る報告はすべてこれを信用する事に有之候へば

[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。]

 第三に、小生が申し述べたる政策を遂行せらる〻に常つては、貴國は洽岸貿易を常に自國の手に收めて、外人のこれに從事するを御禁止有之べく候。此の沿岸貿易は、承認すべき唯一のものとして、小生が指示仕候要件――商品の輸出入に便宜を與ふる要件――中に含まれざるは明らかに御座候。他國より日本に輸入したる商品の分配は、日本人の手に委ね、外人には禁止して然るべきかと被存候、こは、此場合に行はる〻各種の取引は、また多くの爭の種と相成引いては侵略の理由とも相成るべきが故に御座候。

 貴下が、『我が學者政治家中に現今甚だ沸騰せる』一一と申し越され、また、『最も困難なる問題の一』と申し居らる〻内外人間の雜婚に關する最後の御質問に對しては、合理的なる御返事を致す事とすれば、何等難かしき事なしと申し上げて差支なきやう小生には披存候。そは斷然御禁止あるべきものに有之候。これは根本に於て社會哲學の問題には無之、根本は生物學の問題に有之候。混淆せる異種類のものが、或る僅少の程度以上に分岐する時は、年月を經る間には終に必らず惡結果を來たすと[やぶちゃん注:底本では傍点「ヽ」であるが、実は「必」には附かず、最後の「と」に附いている。これはルビの誤植字と断じ、特異的に、かくした。]いふ例證は、人間の異種族結婚及び動物の雜種繁殖が豐富に提供致居候。小生自身も過去多年に亙りて此の事實に關する證據を不斷に注視致し居候が、小生のこの確信は多數の原因よう得たる多數の事實に基づくものに御座候。小生は此の確信の立證をこの半時間内に得申候、と申すは小生が唯だ今偶然にも、家畜の異種族繁殖に豐富の經驗を有し居らる〻著名の某氏と田舍に滯在致し居る故に有之候、氏は小生の問に答へて、例へば羊の變種に於ては相違の甚だしき種類の異種繁殖ある時は、其の結果は、特に二代目に於ては惡結果を生じ――混合せる特性と混沌的組織とも稱せらるべきものの生ずる事を談り、小生の信念を確證致され候。人間に在つても同樣に有之、印度の歐亞混血兒、亞米利加の雜種などはこれを例證致し居候。此の經驗の生理的基礎は、生物は如何なる變種と雖も、代々相傳する間に、その生活の特殊形式に或る素質的適應性を得、また他のあらゆる雜種は同樣にそれ自身の特殊の適應性を得る事に在る樣に相見え候。其の結果としては以下の如く相成るべく候。若し甚だ相違せる生活狀態にそれそれ適應するに至りたる、二つの甚だ相違せる種類の素質を混合すれば、兩者のいづれの生活狀態にも適應せざる一つの素質、――卽ち、如何なる一定の狀態にも適合せざるが故に、適當の作用を營み得ざる一の素質を生ずる事と相成るべく候。故に、日本人と外國人との雜婚は必らず斷然禁止すべきものと存候。

[やぶちゃん注:この謂い、いやはや、大笑いだね。]

 上記の理由により、小生はアメリカに於て定められたる文那移民制限の規定を全然賛成致すものに御座候、若し小生に力あらば、小生は出來得る限りの小數に支那移民を制限致し度く存候。小生がかかる決心を致す理由は下記の二つの事實の一が必らず起こると考ふる故に御座候。若し支那人が米國全土に亙つて廣く土着するを許さる〻場合、若し彼等が米人と雜婚する事なければ、終には、よし奴隷とは相成らずとするも、奴隷に近き階級の位置を占むる一の從屬種族を形成仕るべく、又若し雜婚をなす曉には彼等は必らず不良の雜種を形成するに至るべく候。いづれの場合に在ても、移民が多數なれば、社會的弊害は巨大なるべく、終には社會の瓦解を來たすに至るべく候。歐米人が日本人と著しく雜婚する場合にも同樣の弊害を生ずべく候。

 かるが故に、小生の進言はあらゆる方面に於て激烈に保守的なるを御覽の事と存候、小生はまた本書簡の起句を以て結尾と致度と存候、卽ち、他種族を能う限り遠ざくべしといふ事に御座候。

 本書簡はただ御參考として貴覽に供する爲めのものにして他見を憚り候間、漏洩公表の虞ひ[やぶちゃん注:「ひ」はママ。誤植か?]無之樣吳々も懇願仕候。兎に角小生存命中はかかる事無き樣御配慮願上候。かく申上候は小生同胞の怨嗟[やぶちゃん注:「ゑんさ」。怨み嘆くこと。「嗟」は底本では「※」=「忄」+「差」であるが、表示出来ないし、意味はこれしかないから、特異的に訂した。]を惹起するを避け度きが故に御座候。

                 敬 具

  ヰルトシヤ・ピユウシイ・フエアイルドにて

 一八九二年八月二十六日 ハアバアト・スペンサア

 

 追伸、前記の如く申上候ても、本簡の進言を伊藤伯にまで祕密に願ひ度しといふ意には勿論無之、小生はかへつて伯が此の事を考慮せらる〻機會を得ん事を翹望致居次第に御座候。

[やぶちゃん注:最後の発信地とクレジット及び署名はブラウザの不具合を考えて位置を引き上げてある。

「翹望」「げうばう(ぎょうぼう)」「翹」は「挙げる」の意で、「首を長く伸ばして待ち望むこと・その到来を強く望み待つこと」。

「ヰルトシヤ・ピユウシイ・フエアイルド」イングランド南部のウィルトシャー(Wiltshire)のピュージー(Pewsey)はここ(グーグル・マップ・データ。以下、同じ)。現在も田舎の村である。「フエアイルド」は原文「FAIRFIELD」、ピュージーの中心から直線で南西五キロメートルほどの位置にある Upavon(アップアヴォン)にFairfield(ここは住所表示を見るとピュージー内である)という通りを見出せた。ここであろう。

 以下、一行空け。]

 

 『タイムス』紙上に現はれた、此の手紙の批評を讀めば、ハアバアト・スペンサアが自國人の偏見を如何に充分に丁解して居たかが分かるが、これ等の批評は、イギリス人の保守的な心が、直接の利害に反した、新思想の與ヘる苦痛を憤つて罵詈を縱にする不條理な性質をその特色として居るものである。併し、此場合の眞相を多少知つて居れぱ、若し日本が今の此瞬間に一般の文明の爲めに、そして特にイギリスの利害の爲めに戦ふ事が出來るとすれば、それは、以前よりも賢明なる今の時代の、日本の爲政家等が、『タイムス』から『巨大なる主我主義』の證據といふ途方もない汚名を蒙つた此の手紙に示されたあらゆる文句に從つて、健全な保守主義を保持して居たといふ正に其の理由からである事を、『タイムス』にさへ確信させ得たに違ひないのである。

 此の進言自身が、政府の政策に影響を與へる直接の役に立つた事があつたかどうか私は知らない。併しそれは國民の自己保存の本能と充分に一致した事は、治外法權廢止唱道者が出會はなければならなかつた猛烈な反對の靈史により、また、ハアバアト・スペンサアの書簡に記されたその事實に關して施行された豫防的法律の性質によつて示されて居る。治外法權は(恐らく、勢ひ止むを得ず)廢止されたけれども、外國の資本は氣儘に此の國の富源を開發する事は許されなかつた。そして外國人の土地所有は許可されなかつた。【註】内外人の雜婚は決して禁止されなからたけれども、決して奬勵されはしなかつた。しかも特別な法律上の制限の下にのみ行ひ得るのである。若し外人が結婚によつて、日本の土地を保有する權利を得る事が出來たならば、多大な土地が直きに外人の手に入つてしまつたであらう。併し外人と結婚する日本婦人はそれが爲めに外國人となつてしまつて、かかる結婚から牛まれた子供は生涯外國人である事を法律が賢明に規定した。これに反して、結婚して日本の家庭に入籍した外國人は何人と雖も日本人となり、かかる場合の子供は、生涯日本人である。併し彼等も亦或る資格は與へられないのである。彼等は高官に上る資格はない。そして特別の許可ある他、陸海軍の士官となる事さへ出來ないのである。(此の許可は一二の場合に與へられたやうに見える)。終りに、日本はその沿岸貿易を自身の手に維持して來た事を注意しなければならない。 

    註 内外人雜婚の家庭の數は東京では百以上あるといふ。

  さうすると、大體から見て日本の政策は、スペンサアの進言中に提議された方針を著しく採用して居ると云つでよからう。併し私の意見では、スペンサアの提案にもつと嚴密に從ひ得なかつたのは、まことに遺憾の至りであると思ふ。此の哲學者が今に生きて居て、此の間の日本の勝利――唯だ一隻の船も失はずに[やぶちゃん注:既注の通り、軍艦としては連合艦隊は喪失艦僅か水雷艇三隻のみであった。]强大な露國艦隊を潰滅せしめ、鴨綠江上で三萬の露軍を潰走せしめた。此の間の日本軍の勝利――を聞く事が出來たとしても、彼は毫厘も彼の進言を變じなかつたらうと私は考へる。恐らく彼は、彼の人道主義の良心が許す限りは、日本人がかくも徹底的に新戰術を硏究し得た事を賞讃したであらう。彼は發揚された高邁な有氣と、古來の訓練の勝利とを稱揚したのかも知れない、――彼の同情は、保護國となるか、露國と戰ふか、いづれか一を選擇する事を餘儀なくされた國の側に傾いて居たであらう。併し若し彼が、勝利の場合に、將來の政策に就いて再び質問を受けたならば、彼は軍事上の能率は、產業上の力とは甚だ異つた者である事を問者に答へて、力を籠めて彼の警告を繰返したであらう。日本の社會の構造と歷史とを了解して居るので、彼は外國との接觸の危險を明らかに認める事が出來たのである。そして此の國の產業上の薄弱な利用せんとする企てが、恐らくどの方面からなされるかを明らかに認める事が出來たのであつた……。次の時代が來たら、日本は、その保守主義の多くを棄てても危險はなからう。併し、現在一時だけは、日本は、保守主義を救濟の力を賴まなければならないのである。



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