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2019/07/06

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(88)  官憲教育(Ⅳ) / 官憲教育~了

 

 近代教育の他の事實の内には、昔の生活の如何に多くが、新狀態の下に隱れて居るか、また考への高い人々のうちに、日本人の特性が、如何にしつかりと固着して居るかを、一段と强く暗示するものが今猶ほあるのである。私は主として海外に於ける日本人の教育、――ドイツ、イギリス、フランス、アメリカの諸大學に於ける一種の高等特別教育の結果を言ふのである。或る方面に於ては、これ等の諸結果は、少くとも外國人の觀察には、殆ど消極的に見える。巨大な心理的の相違、――心の構造と習慣の全く反對――を考へると、日本の學生が外國の大學で實際に行つて來たそれ等の事をよく爲し得たのは驚くべき事である。日本の文化によつて形作られ、漢學で充滿し、漢字を詰め込んだ心で、歐米の名ある大學を卒業するといふのは、目醒しい手柄である。アメリカの學生が、支那の大學を卒業する事が若しあつたとした處で、これ等の日本の學生はこれに遜色はなからう。海外留學生は秀才の故に詮衡[やぶちゃん注:「せんこう」。人物の適不適・能力などを調べて、選び出すこと。「銓衡」とも書き、「選考」に同じい。]を重ねた結果であるのは確な事で、此の使命を果たすに缺く可からざる必要條件は、普通の西洋人の記憶とは比較の取れぬ程に優秀で、其の質からいふと全然相違した記憶力、――詳細を悉〻く諳んじ[やぶちゃん注:「そらんじ」。]得る記憶力――である、併しそれは兎に角として此の手柄は人を呆然たらしむるに足るものである。併しこれ等の若い學者が、日本に歸朝すると共に、彼等の專攻學科が偶〻純粹に實用上の科目でなければ、其の方面の努力は其儘で終つてしまふのが普通である。これは西洋の學問の場合には、彼等が獨立して硏究が出來ない事を意味するのであらうか、獨創的思想に對する無能、構造的想像の缺乏、嫌惡感或は冷淡なのであらうか。日本人種があれ程長く服從させられたあの恐るべき精神上及び道德上の訓練の歷史は、近代の日本人の心にかかる能力の缺乏のあるのを確に暗示するであらう。恐らくこれ等の問題は、――私の想像する處では、自明で且つ率直に表現されて居る冷淡といふ事に關する以外には――未だ答へる事は出來ないのである。併し能力とか或は適不適とかの問題とは離れて、考量すべきかういふ問題がある、――卽ち本國での硏究には適當な奬勵がまだ與へられて居なかつた事である。底を割つた眞相は、靑年學者を外國の學問の本場に送るのは、心理學、言語學、文學、或は近代哲學の硏究に、彼等の一生を如何に捧げるかを學ぶ爲めではないのである。留學の目的は、政府の仕事をする爲めに、純學者の位置よりも一層高い處に坐るに適せしめんが爲めである。そして彼等の留學は、彼等の官歷中の一の强制的挿話に過ぎないのである。各人は西洋人が或る方面に於て如何に硏究し、思考し、感ずるかを學び、またそれ等の方面に於ける教育上の進步の範圍を確めることによつて、特殊の務に對する自分の資格を作らなければならないのである。併し彼は西洋人の如く考へたり、或は感じたりするやうに命令されては居ないのである、――そんなことは、どういふことがあつても彼には不可能な事であらう。彼れ一個としては、應用科學の範圍外には、西洋の學問には何等深い興味を有たないのである、また恐らく有ち得ないであらう。彼の仕事は、かかる事柄を西洋人の見地からでなくて、日本人の見地から如何に理解すべきかを學ぶことである。併し彼は役を充分に果たし、命ぜられた處を正確に行ひ、それ以上をすることは稀である。彼が自己に命ぜられた範圍の經驗を得た爲めに、政府が彼に與へる價値は二倍にも四倍にもなる、併し本國に於ては――教授として或は講師として義務年限を果たす間の他は――彼は恐らく、その經驗をただ一種の心理的禮服――役目上着る必要の起つた時にのみ着る、一種の心の制服として用ふるであらう。

 外科醫學、醫學、軍事の特殊硏究等の如き、理解と記憶のみならず、手先きと眼との生得の敏速を要する科學の硏究の爲めに留學させられる者の場合は譯がちがふ。凡そ日本の外科醫の平均能率を凌駕する者が、他にあるかどうか私はそれを疑ふものである。戰術の硏究は、國民の心と性格とが傳來の得手として居ろものなる事は、私が述べるまでもない。併し、單に外國の學位を得る爲めに留學させられ、義務年限の後は高官に上る事にきまつて居る人達は、その外國で得た知識を重視しては居ないやうに思はれる。が併し彼等が歸國後更に努力して、西洋諸國に名聲を轟かす事が出來たとしても、その努力は重大な金錢上の犧牲を拂つて初めてなし得る事であらうし、その結果に至つてはまだ充分に自國人に認められるやうにはなつて居ないのである。

[やぶちゃん注:以下、一行空け。]

 

 若し昔のエジプト人や昔のギリシヤ人が、現時の西洋文明の如き文明――單に名だけを羅列しても一册の辭書が出來る程の諸〻の科學及び更に細日に亙つた硏究科目とを加へた應用數學の文明――と突然危險な接觸をする事となつたならば、彼等はどうするであらうと、時折考へる人が西洋にはある。近世日本の歷史は、祖先禮拜に基づいた一種の文明を有つて居る賢明な國民はいづれも、その場合に應じて、どんな事を爲したであらうかといふ事を、極めて明瞭に暗示して居ると私は考へる。則ち彼等は突然の危險に備へる爲めに、彼等の族長的社會を速に改造したであらう。彼等は自己の使用し得るあらゆる科學的の機械を、驚く程上手に採用したであらう。彼等は强大なる陸軍と極めて能率の高い海軍とを創造したであらう。彼等は外國の慣例を學ぶ爲め、及び外交的の任務を行ふ資格を得る爲めに、若い貴族を海外に留學せしめたであらう。彼等は教育の一新制度を設立し、彼等の子供等を强制して、多くの新事物を學ばしめたであらう、――併しその外國文明の高尙な、情緖的な、そして知的な生活の方向には、當然關せず焉[やぶちゃん注:「我(われ)、關(かん)せず焉(えん)」の略。「焉」は断定や語調安定のための助字。「自分は関係がなく、その物事には全く関心を持たずに超然としている様子を指す語。]の態度を示すであらう。外國の最も傑出した文學も、その哲學も、その異說を寬容する宗教の廣い諸形式も、彼等の道德上及び社會上の經驗に、何等深く訴へる事は出來なかつたのである。

[やぶちゃん注:これを以って第二十章の「官憲教育」は終わっている。]

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