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2019/07/04

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(84)  近代の抑壓(Ⅵ)/近代の抑壓~了

 

 若し政府が賢明ならば、現今の如き自己犧牲の要求を、無限に維持する事の行ふ可からざるを認めるに相違なく――公明正大な競爭を勸誘し、健全なる自主主義を刺激するに足る程に大きな生活上の報酬を懸けて、人材を登用する必要を認めるに相違ないと、多くの人には思はれるであらう。併し政府は外觀に顯はれて居るよりも、もつと賢明に行動して居たといふ事も考へられる。數年前或る日本の一官吏が、私の前でかういふ奇態な事を云つた、『我が政府は必要以外には競爭を奬勵し度く思つて居ない。人民には競爭に應ずる支度が出來て居ない。若しそれを强く奬勵すれば、性格の最も惡るい[やぶちゃん注:ママ。]方面が表面に出て來るであらう』と。此の話が一種の政策を、どれ程まで實際言ひ現はして居るのか私には分からないが、併し、西洋の自由競爭が、現時のやうに比較的人情味のあるものになり得るまでには、如何なる經驗を吾々が積まなければならなかつたかを、吾々は忘れ勝ちであるけれども――あらゆる人は、自由競爭が戰爭に劣らず、殘酷に無慈悲になり得る事を知つて居る。數百年間あらゆる利己的の競爭を、犯罪的のものと見倣すやうに訓練された一國民の間には、純粹に一個人の利益の爲めに努力するといふ事を、突然に刺激する事の拙策と思はれるのは尤もの次第である。十二三年前西洋式の自由政治を行ふ事に對して、國民が如何に準備がなかつたかといふ證據は、初期の地方選擧の歷史及び第一議會の歷史がこれを示して居る。非常に多數の人命を損したあの度々の猛烈な選擧競爭に於ても、實際個人的の怨恨といふものはなかつた。その亂暴を以て外人を驚かした議會の論諍[やぶちゃん注:「ろんじやう(ろんじょう)」。言い争うこと。論争。「諍論」の方が一般的。]の内にも、個人的の敵意といふものは認められなかつた。政治上の爭は實際個人間のではなくして、藩の利害關係とか、黨派の利害關係とかの間のものであつた、或は各黨の從屬者達は、新しい政治を以て唯だ一種の新たな戰爭――首領の爲めに戰ふ忠義の戰――正邪曲直といふ抽象的觀念に依つて左右さるべきものでない、一種の戰爭として了解したのであつた。一國民が主義に就いての節義よりてち、寧ろ人に對する節義――結果如何は問ふ處なき自己犧牲の義務を含むものとしての節義――に就いて考へる事を常の習はしとして居たと想像すれば、議會政治に就いて、かかる國民が行ふ最初の實驗は、西洋の意味に於ける公明(フエア)な勝負(プレイ)に就いて何等の理解もあらはさないのは明白な事である。やがてはその理解も來るかも知れないが、併しそれは速に來る事ではあるまい。これは政治の話であるが、政治以外の萬般の事に於ても、各人が自身の確信に從ひ、自己の利益の爲めに、その屬して居る群とは獨立して行動する權利がある事を、かかる國民に納得させ得たとしても、その當座の直接の結果は幸な事ではないであらう、――何となれば個人の道德的責任の觀念は、集團の關係より以外には、今迄まだ充分に養成されて居なかつたからである。

[やぶちゃん注:「非常に多數の人命を損したあの度々の猛烈な選擧競爭に於て」これは本書刊行の十二年前の明治二五(一八九二)年二月十五日に行われた日本の帝国議会の第二回衆議院議員総選挙を指している。ウィキの「第二回衆議院議員総選挙」によれば、この選挙では『各地で民党』(みんとう:当時の、自由民権運動を推進した自由党や立憲改進党などの民権派各党の総称)『候補及び支持者と警察との衝突が発生し、自由党が強い高知県で政府公式発表で死者』十『名・負傷者』六十六『名という流血の惨事が発生した他、全国で』二十五『名の死者を出した』とあって、以下のデータが列挙されている。

高知県 死者十名 負傷者六十六名 知事 調所広丈(薩摩藩出身)

佐賀県 死者八名 負傷者九十二名 知事 樺山資雄(薩摩藩出身)

福岡県 死者三名 負傷者六十五名 知事 安場保和(肥後藩出身)

千葉県 死者二名 負傷者 四十名 知事 藤島正健(肥後藩出身)

熊本県 死者二名 負傷者三十九名 知事 松平正直(越前藩出身)

『大規模な死傷者が出た府県の知事には』、『薩摩藩あるいは隣国でつながりが深い肥後藩出身者が多く、薩摩出身の松方首相を支持し、地元県会では民党議員と激しく対立していた。こうした地元の事情が実力行使を伴う干渉を引き起こす一因となった。ただし、知事の出身などの属性では説明がつかないという批判もある』。『実際、高知県知事調所広丈は「暴走」した知事として描かれてきたが、実際には「難治県」高知に手を焼き、何度も首相に任地替えを懇願していたし、佐賀県の樺山資雄も内閣交代後ではあるが、選挙干渉には批判的だったことを内相に伝えている』とある。『高知と佐賀では死傷者が多く出ただけでなく、警察が林有造(高知』二『区)と松田正久(佐賀』一『区)』の『自由党有力議員に対し』、『投票日以降も逮捕を狙った』。『二人とも難を逃れて無事であったが、これは投票日後の逮捕によって、当選した場合でも議会に出席できないことを狙ったものであり、第』一『議会で森時之助が不逮捕特権を適用されず』、『一度も出席することなく辞職した前例を踏まえたものであった。しかも、佐賀では内務省の大浦兼武が、文部大臣大木喬任の意を受けて選挙工作に従事していた司法人脈の中村純九郎と古賀廉造を通し』、『佐賀出身の高木秀臣東京控訴院検事長に松田拘引を働きかけた』。『結局、司法省が干渉に消極的で』、『拘引は認められなかった』とある。また、「選挙干渉」の項には、『この選挙』『は内務省(品川弥二郎内相・白根専一次官)による選挙干渉によって』、『死者まで出したことで知られているが、実際には複雑な経過を辿っている』として以下のようにある。『明治天皇は解散前から難航する議会運営に懸念を強めて』おり、前年末の十二月二十六日、『徳大寺実則侍従長は』、元首相『伊藤博文』(この翌年の夏には再び首相(第二次)となった)に、『天皇が「同一の議員を再選致候而は幾度も解散不祥の結果を生すへくやと深御憂慮被遊」と、来る選挙で同じ議員が再選されると解散の連続になることを憂慮していると伝え』ており、さらに二十八日には、『松方正義首相から品川弥二郎内相に宛てた手紙によると、天皇に改選の手続きを奏上した際に、天皇から「精々今般之選挙尽力相成、良結果に至り候様再三御沙汰拝承仕候」と、この選挙一回で尽力して良い結果を出すように言われたことを伝えた。良い結果とは「同一の議員」ではない新たな勢力が多数派となること、つまり自由党・改進党以外の議員が多数派となることであった。そして、選挙の見込みを品川から報告すると奏上したので、「近日中御参朝之上細事御奏上」することを指示した』。『それを受けた品川は、それまで』、二回三回の『解散は望まない』ものの覚悟をしていたのであったが、ここで『態度を変え』、『度々』、『天皇に報告に行っている。天皇は品川からの報告だけでなく、知事から侍従を通じて詳細な状況報告を上げさせた。そして、松方首相自身も「大奮発」し、仮面を脱して「政府党」を活動させる意向をしめし』、『極秘に側近の九鬼隆一帝室博物館館長を各地に派遣して独自の選挙工作を行わせ』、『また、吏党候補の擁立と支援を行った』。『天皇の意向が示された後、松方正義首相と品川内相は相次いで府県知事に内諭を出して、中正の人物を当選させることを指示した。直後に松方・品川・白根に加えて平山成信書記官長・小松原英太郎警保局長・大浦兼武警保局主事らによる選対本部が極秘に組織されて、政府系候補への選挙支援策が協議された。また、首相に対して金子堅太郎と佐藤暢から選挙対策案が献言され、内容として藩閥全体で対応すべきという金子案と内務省主導で行う佐藤案という特徴がある』。『これまで、実力行使を含めた選挙干渉を指示した命令類が発見されていないこと、逆に複数の知事から』、『政府に対して民党進出を阻止するために警察力の行使を求める意見が寄せられていることから、選挙干渉の発案が内務省側なのか、府県知事側の突き上げなのかについては明らかではないといわれてきた』但し、『天皇の意向が首相・内相に伝わり、一回の選挙で良い結果を出すことを求められていることから、方法を問わず』、『良い結果を出すことを政府の至上命題としたという説が成り立つ(系統的指令説)』とある。

 以下、一行空け。]

 

 此の眞相は恐らく、現時までの政府の力は、主として昔の方法の墨守と、崇敬的服從の昔の精神の殘存とに依つたものであるといふ事にあるのである。後に至れば、大變化が確に行はれなければならないであらうが、それ迄の間は多くの事を勇敢に忍ばなければならない。法律的には自由の狀態の下にありながら、封建時代に行はれたやうな官府の奴役[やぶちゃん注:「どえき」。奴隷のように酷使すること。 ]を廿んじて受け――今猶ほ封建的の精神で、あらゆる犧牲を受納して居る政府に對して服從する事を、單に特權と考へて、その爲めに、彼等の才能、彼等の力、彼等の極度の努力、彼等の生命までをも――當然の事として――國民の義務として――滿足して提供して居るそれ等の幾千萬の日本の愛國者の辛抱强い勇氣よりも、もつと悲壯なものの記錄は、近代文明の將來の歷史には恐らくない處であらう[やぶちゃん注:八雲先生、それは本書の中で唯一、あまりにもあまりにも甘い考えでした……太平洋戦争……福島原発メルト・ダウン……普天間…………]。そして實際、犧牲は國民の義務として提供されて居るのである。日本はイギリスの恐るべき友情と、ロシヤの恐るべき怨恨との間に處して、危險に瀕して居る事、――國の貧乏な事、――軍備維持の爲めにその財源が逼迫して居る事、――出來るだけ僅少なものを以て甘んずるのが各人の義務である事を――國民は皆知つて居る。それ故不平は多くないのである……。又一般國民の單純な從順は矢張り氣の毒な感情を催さしめるものがある、――特に、西洋の知識を習得し、西洋の言語を習ひ、西洋の風習を模倣せしめんとする意志から、恐らく發せられた詔勅に關しての人民の從順には、哀切の深きものがある。蓋し過度の勉學の爲めに自ら死を招く事を、普通の種類の死と同視した忠誠なる熱心、――子供等を驅つてその小さい頭には餘りに困難な仕事(極東の心理を何等心得ない顧問等が案出した、日的だけは確に良い仕事)[やぶちゃん注:少し判り難いが、この「仕事」を平井呈一氏は『学課』と訳しておられるのを言い添えれば、ここが無批判に受け入れられてしまった西欧式の教科科目(その教授法及びカリキュラムを含む)総体を指していることがお判り戴けるであろう。]に通曉せんとする努力で、彼等の健康を損ふまでにも至らしめた熱情的な從順、――地震や大火の際に、少年少女は破壞した自家の瓦を、學校用の石盤とし、落ちた漆喰を石筆の代りに使つたといふやうな不思議な不撓不屈な勇氣、――それ等の事を談ずる資格を有するものは一八九〇年代の初めの間、若しくはそれ以前に日本に住居した人々のみである[やぶちゃん注:先に示した通り、小泉八雲が横浜に上陸したのは明治二三(一八九〇)年四月四日である。八雲自身の非常に強い日本理解への自負(しかもそこから急速に畏敬すべき日本人の原精神が急速な西欧文明崇拝によって有意に萎んでしまったことへの哀感をも激しく含みつつ)が示されていることを見逃してはいけない。]。大學に於ける高等教育の生活に就いてすら實に悲慘な事實を私は話し得るのである。――それは立派な頭腦をもつたものが、ヨオロツパの普通の學生の腦力が堪へ得る以上に詰め込む學問の重壓に堪へ兼ねて挫折してしまふ事に就いて――死と當面しながら贏ち得た勝利に就いて、――恐ろしい試驗の時に學生から受ける奇態な別辭に就いての話等である、此の別辭の一例としては、私の受持の學生がこんな事を云つた事がある、『先生、私の答案は出來が惡るいだらうと思ひます。私は病院から來て試驗を受けたのですから――私は心臟に故障があるのです』(彼は卒業證書を手に入れてから一時間も經たないで死んでしまつた)……。而して此の努力――硏學の困難と鬪ふ努力のみならず、大抵の場合には貧困、榮養不良、生活の不自由と鬪ふ努力――は唯だ義務の爲め、生きんが爲めの手段であつたのである。彼の屬する人種の經驗とは全然異れる西洋の感情や觀念を彼が理解し得ぬ事と、彼の陷る誤謬と、彼の行ふ失敗とを見て、日本の學生を評價するのは、淺薄者流の誤である、彼を正しく判斷せんが爲めには、先づ力めて[やぶちゃん注:「つとめて」。]彼が發揮し得る沈默した道德的勇氣を知つて置かなければならない。

[やぶちゃん注:以上を以って第十九章の「近代の抑壓」は終わっている。]

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