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2019/07/04

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(82)  近代の抑壓(Ⅳ)

 

 上記の諸例は今猶ほ幾百の形で、維持されて居る昔の社會組織の特性を示すに足るであらう。此の共同主義は、集團の間に於ける以外には、競爭を抑制した、併しそれは良い仕事をなし得た。そして職人の爲めに安樂な生活狀態を得させたものであつた。缺乏といふやうな事の無い、そして今猶ほ決定されて居ない原因の爲めに、重大な壓迫を生ずる數字上の水平線下に、一般の人々がいつも止まつて居たやうに思はれる、さうした鎖國の時代に在つては、これは最高の制度であつた……。今一つの興味あるものが殘存にて居るが、それは年季幸公の現存狀態である、――これもまた族長組織に原由し々狀態で、競爭に對して 種の制限を課したものであつた[やぶちゃん注:空欄はママ。脱字と考えてよい。ここの原文は「other kind of restraint」であるから、「別種」の脱字であろう。平井呈一氏も『別の種類』となっている。]。舊制度の下にあつては、奉公は大抵は無給でやつたものであつた。商賣見習ひの爲めに商家に奉公にやられた子供、或は親方の下に附けられた徒弟等は、彼等の保護者によつて、食事も、宿も、衣服も、教育さへも受けて居たのであつて、望みによつては、生涯その家に居てよかつたのである。併し彼等は、主人の仕事か商賣かを習得して、自身の商賣か或は仕事場を管理する事が、充分に出來るまでは、給料は貰へなかつた。これ等の狀態は今猶ほ商業の中心地では著しく行はれて居る――商人や親方は、今では小僧或は徒弟を通學させる必要は餘り無いけれども。大商店の多數は經驗を積んだ者にのみ給料を拂ふ。他の雇人は彼等の年季が終はる迄、訓練され世話を受けるのみである。年季が明けると彼等の中の最も有能なのは、熟練家として再び傭はれ、他の者は主人の助力を得て、獨立で商賣を始める。同樣に、徒弟の年季が盡きると、彼は職人として再び傭ひ入れられるかも知れない、或は常傭の口を見附けるかも知れないが、親方は矢張り彼の爲に助力して遣るのである。主人と傭人との間のこれ等の親子兄弟的の關係は、生活を愉快にし、勞働を元氣好くする助けとなつて居る。であるから今後これ等の關係が消減する時には、あらゆる生產品の質に大いに影響する處があるであらう。

 普通の家庭に奉公する場合も、族長制度は殆ど想像も出來ない程度迄に今猶ほ行はれて居る。そして此の問題は通り一遍に書いてしまふ譯には行かないのである。私は特に婦人の奉公に就いて述べ度いのである。昔の習慣によると、下女はその主人に對して主に責任がある譯ではなく、自分の家族に對して責任があるのである。彼女の奉公の條件はその當人の家族と取り極めなければならない。そしてその家族は娘の善行を誓約するのである。通例、しかとした娘は給料を貰ふ爲めに家庭の奉公を求めるのではなく(今では給料を拂ふ習慣になつて居るが)、また生活の爲めでもなくて、主に嫁入の準備をする爲めに奉公をするのである。而して此の準備は、彼女の未來の夫の家庭の一員として、よく適應して行く爲めであると同時に、彼女自身の家庭の名譽となる爲めに希望するのである。最も好い下女は田舍娘であつて、彼等は時とすると極若いうちに奉公に出される。兩親は注意して娘が斯く泰公に出る家庭を選ぶ、彼等は娘が禮儀作法を見習ふ事の出來る家である事を特に希望する――それ故昔の禮儀に從つて物事のきまりの附いて居る家を望むのである。善良な娘は傭女としてよりも、泉ろ手助けとして取扱はれる事を望む――親切な思ひやりをして貰ひ、信用を受け、好かれ度いと期待して居る。古風な家庭では、下女は實際さういふ取扱ひを受けて居る、そしてその關係は短いものではない、――三年から五年までが普通の契約年限である。併し十一二で奉公に出されると、其の娘は恐らく八九年は勤め續けるであらう。給金の外に、彼女は、主人から年に二度、仕着せの衣服と、身に着ける必要品を貰ふ事になつて居る、又數日の休みを取る事にもなつて居る。彼女が受ける給金なり金の貰ひ[やぶちゃん注:褒美。心付け。]なりで、段々と立派な支度も出來るやうになるわけである。何か非常な不運にでも會はない限りは、娘の親は娘の給金を要求するやうな事は爲ないが[やぶちゃん注:「しないが」。]、併し娘はいつも兩親には服從する事になつて居る。そして嫁入口の爲めに家に呼び戾される場合には、彼女は歸らなけれなならない。彼女の奉公の期間には、雇主は娘の家族の奉仕をも氣儘に求める事が出來るのである。娘の面倒を見て居るからと言つて、主人の方から別に恩を賣る事はしなくとも、何か恩がへしは必らずされるであらう、若し下女が百姓の娘ならば、野菜、果物、果樹、庭木、若しくは他の田舍の物產を、慣例で定まつて居る折々に主家に持つで來るであらう、――若し兩親が工人階級のものならば、感謝のしるしとして、多分何か立派な細工物を持つて來るであらう。親の有誰く思ふ點は、娘が貰ふ給金や着物ではなくて、娘の受ける實際的教育と、一時的の主家の養子として、娘を道德上にも物質上にも面倒を見て吳れた點である。傭主は又親がかうやつて氣を附けて來る返しとして、娘の嫁入支度に何物かを添加してやる事もあらう。それで、此の關係は全然兩家族の關係で、一個人同志のものでない事が分かるであらう。そしてそれは永久の一關係なのである。かくの如き關係は、封建時代に於ては、幾代も通じて續く事があり得たのである。

[やぶちゃん注:以下、一行空け。]

 

 今日猶ほ歿存して居るこれ等の事が例示する族長的狀態は、生活を容易に且つ愉快にする助けとなつた。唯だ近代的見地からそれ等の狀態に批難を加へる事は出來る。それ等に就いて下し得る批難の最も惡るい[やぶちゃん注:ママ。]點は、その道德的價値が主に保守的であつて、新方面に於ける努力を抑壓する傾向のあつた事である。併しそれ等が今猶ほ續いて行はれて居る處では、日本の生活のその昔の面白味の幾分を保留して居る。そしてそれ等が消滅した處では、その魅力は永久に消失してしまつたのである。

[やぶちゃん注:以下、一行空け。]

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