フォト

カテゴリー

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 吾輩ハ僕ノ頗ル氣ニ入ツタ教ヘ子ノ猫デアル
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から
無料ブログはココログ

« 小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(97)  囘想(Ⅳ) | トップページ | 小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(99)  追錄(全) »

2019/07/08

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(98)  囘想(Ⅴ) / 囘想~了

 

 民族と民族とが互に侵略し合ふ事は、爭鬪――適者のみが存續するあの永續的爭鬪――の一般法則と充分に一致する事は言を俟たない。劣等民族は高等民族の奴隷となるか、高等民族に壓迫されて消滅するかである。そして餘りに窮屈で進步の出來ない昔の型の文明は、更に能率あり、更に複雜した文明に服從しなければならない。此の法則は無情冷酷でまた明々白々である。その作用は人間の考慮に依つて、慈悲心を以て緩和されるかも知れないが、併し決して防止する譯には行かないのである。

 併し如何に寬大に考へる人も、この内に合まれて居る道德的問題を、斯樣に容易に決着さしてしまふ事は出來ない。免れ難き運命は、道德的に定まつて居るものであると吾々が主張しても、其の主張には正當の理由が無い、――況んや高等民族が、偶〻世界の爭鬪の勝者となつて居たからと云つて、力が權利を構成し得ると主張するのは、決して正常の理由ではないのである。人間の進步は强者の法則を否定する事により、――獸類の世界を支配する弱肉强食の衝動、星辰の運行と同じく自然の秩序と一致して居る弱肉强食の衝動と鬪ふ事によつて――今迄成し遂げられて來たのである。文明を可能ならしめるあらゆる美德や抑制は、白然の法則を犯して發達し來たつたものである。最も優秀な民族は、最高の權力は忍耐を行ふ事によつて得られるものであり、自由は弱者を保護し、不正を强壓する事に依つて、最もよく維持せられる事を、最初に學んだ民族である。かくして得た道德的經驗の全部を否定する心を常に有つて居るのでなければ、――またその道德的經驗を、今迄高唱して居た宗教は、特殊な文明の信條に過ぎない者で、人道の宗教ではないと斷言する事を欲するのでなければ、――基督教と啓蒙といふ名で、外國人に向つて行つえ居た侵略に對して、これを道德上正當なものであると承認するのは困雖であらう。かかる侵略の支那に於ける結果は、確に基督教でも啓蒙でもなく、反亂、虐殺、厭ふべき慘虐――都市の破壞、州郡の荒廢、數萬の人命の損傷、億萬の金錢の誅求であつた。若しすべてかうした事が權利であるならば、力は實際上權利である、そして西洋で人道と正義の宗教と公言して居るものは、いづれの原始的祭祀と同じく排他的のもので、同じ社會の人間の間にのみ、行爲を調節する目的をもつたものなる事が分かるのである。

 併し少くとも進化論者の眼には、此の事は極めて相違した映じ方をして居る。社會學の明白に教へる處は、高等人種が繊弱な人種を取扱ふ際に、道德上の經驗を投棄して、しかもその報のないと云ふ事はあり得ざる事と、西洋文明は、その壓制行爲に對して充分なる罰を早晚蒙るであらうといふ事である。國内で宗教上の異說排斥に耐へる事を拒絕しながら、外國に於て宗教上の異說排斥を鞏固に維持し得る國民は、數百年の殘虐な努力を費やしてはじめて獲得した知的自由の權利を終に失ふに違ひない。罰が來る時代は恐らく餘り遠い事ではあるまい。全ヨオロツパが好戰の狀態に復歸すると共に、必らず人類の自由を脅威する廣大な宗教上の復活が始まつて來て、中世の精神が復び廣布する虞れがある、そして反セミテイツクの感情が、実際上大陸の三强國の政治の要素となつて來て居る……。

[やぶちゃん注:「反セミテイツク」「anti-semitism」。「反セム主義」「反ユダヤ人主義」ヒトラーはによるナチス・ドイツの擡頭は本書刊行から二十九年後のことであった。]

 ――宗教的確信に反對を試みた上でなければ、何人もその確信の力を評價するを得ないとは云ひ得て妙である。傳道の惡意の掩蔽砲臺から狙はれる迄は、恐らく何人も傳道の問題に關する傳統の、邪惡な方面を想像し得ないであらう。併し傳道政策の問題は、その問題を起こす者を祕密に中傷しても公然罵詈しても、それを解決する事は出來ないのである。今日では、それは世界の平和と商業の將來と、竝びに文明の利害とに關する間題となつたのである。支那の保全もそれに依るのである、現在の戰爭もそれに無關係といふ譯ではない。本書には多數の缺點は勿論あらうけれども、極東の社會組織は、西洋の宗教の從來行ひ來たつたやうな傳道に對して、打勝ち難き障碍を與へる事、これ等の障碍は、現今では以前の如何なる時代に於けるよりも、もつと注意深き人情味のある考察を要求して居る事、彼等に對する妥協心なき態度を、今後も不必要な位に維持して行く事は、災禍以外何物をも齎さないといふ事に就いて、思慮深い人々には恐らく必らず確信を與へた事と思ふ。祖先の宗教は數千年前はどういふものであつたにせよ、今日では極東全部に在つては、それが家庭の愛情と義務の宗教となつて居る。そして西洋の熱狂者が人道を外づれで此の事實を無視すれば、その齎す結果は、必らずまた數次の『拳匪』の亂である。支那からの危險を世界に强ふる(ロシヤは今はその機會を失つたやうだが)眞の力を、異說排斥分說く目的で、宗教上の異說容認を要求する人々に授けて置いてはならないのである。獨斷主義が、改宗者に向つて、家族と社會と政府とに對する彼の古來の義務を否定せん事を要求し、――その上また、祖先の位牌を破壞し、自分に生命を與へた人々の靈を凌辱して、以て外國の信條に對するその熱心を證せん事を固執する間は、東洋は決して基督教に改宗しないであらう。

[やぶちゃん注:まさに小泉八雲が言うような国家規模でのそうした壮大な〈宗教的政治的実験〉としての「ロシア革命」は本書刊行から十三年後の一九一七年、中華人民共和国成立は四十五年後の一九四九年であった。

「『拳匪』の亂」原文は「“boxer uprisings」。清朝末期の光緒二六(一九〇〇)年に勃発した「義和団の乱」を指す。日清戦争での敗退後、「扶清滅洋」を叫ぶ宗教的秘密結社「義和拳教」が、生活に苦しむ農民を集めて起こした排外主義の運動が展開され、各地で外国人やキリスト教会が襲われた。ところが、西太后はこの年、この叛乱を支持し、義和団は北京の列国大公使館区域を包囲攻撃、同年六月二十一日、清は欧米列国に宣戦を布告し、遂に国家間戦争へと拡大した。しかし、それから二ヶ月も経たないうち、北京公使館員や居留民保護を名目に日・英・米・露・独・仏・伊・墺の八ヶ国連合軍が北京に侵入(中でも日本は最大の兵八千名を投入した)、瞬く間に鎮圧、講和を定めた「北京議定書」によって、中国の植民地化はさらに強まってしまった。

 これをもって本書の本文の最終章(第二十二章)は終わっている。但し、底本ではこの後に「Appendix」(追記)、訳では「追錄」が続く。

« 小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(97)  囘想(Ⅳ) | トップページ | 小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(99)  追錄(全) »