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2019/07/08

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(97)  囘想(Ⅳ)


西洋の侵入と極東の宗教との關係に於て、極東の宗教に關する一般的の數言を費やして、此の說明の企圖を完了するのは適當であるかと思はれる。

 ――極東のあらゆる社會は、日本と同じく祖先禮拜にその基礎を置いて居る。此の古來の宗教は、種々な形式に於て、其の社會の道德的經驗をあらはして居る。そして現今他宗を排斥しながらゝその教へを說いて居る基督教の輸入に對して、極めて重大な種類の障碍を與へて居る。基督教に自己の生命の指導を託して居る人々には、基督教を攻擊する事は、最大の凌辱で、最も許すべからざる罪惡のやうに見えるに違ひない。その仲間の各人が命令ままに死ぬ事を自分の義務と信ずる宗教は、則ち自分がその爲めには喜んで鬪ふ處の宗教である――その宗教に對する攻擊を、その者が如何に忍び得るかは、その智力とその訓練の性質に依るであらう。極東のあらゆる民族が、日本人のやうな聰明さを有つて居る譯ではない。日本人は幾時代の軍事訓練の結果、周園の事情に彼等の行爲を適合させて行く事が出來るが、他の民族はそれ程立派な訓練を受けては居ないのである。特に支那の農民には、自己の宗教を攻擊される事は耐へ難いのである。彼の祭祀はいつも彼の所有物中の最も貴重なもので、社會的の曲直のあらゆる事柄に於て、それはいつも彼の最も優れた指導者である。東洋はその社會の基礎さへ攻擊しなければ、あらゆる信仰を寬容して來た。それで若し西洋の傅道師等が、これ等の基礎に觸れずに居る程に――佛教の行つたやうに祖先祭祀を取扱つて、他の方面に於て同じ寬容の精神を示す程に――賢明であつたならば非常に大規模に基督教を輸入する事は極く容易い事であつたらう。若しさうなれば、其の結果は西洋の基督教とは著しく異つた基督教となつた事は明らかであるけれども、――極東の社會の組織は急激の變化を許さないからであるが、――併し社會の反對を起こさしめず、人種に對する嫌惡などは猶ほ更起こさしめないで、教義の精髓は廣く宣傳し得たかも知れなかつたのである。今日に及んでは、異說排斥の效果少き勞力に依つて既に果たし得た處のものをやめて、元に還す事は恐らく不可能である。支那と其の近隣諧國に於ける基督教に對する憎惡は、必要もないに[やぶちゃん注:「ないのに」の脱字と思われる。]祖先祭祀の上に加へられた假借なき攻擊に原因するのは疑ひ無い處である。支那人或は安南人に祖先の位牌を破棄せよと要求するのは、イギリス人或はフランス人に對して、基督教尊信の證據として、母の墓石を破棄せよと要求すると同じである。否、遙かに不人情な事である、――何故かと言ふと、ヨオロツパ人は、死んだ親の名を記してある筒單な位牌に對して東洋人が抱くやうな、それ程な神聖な觀念を以て墓石などを見ては居ないからである。溫順で平和な社會の家庭の信仰に、かうした攻擊を加へた場合には、其の結果は虐殺を惹起す[やぶちゃん注:「る」の脱字であろう。]事に昔から定まつて居た、そして若し飽くまで續けて行けば、彼等に戰ふ力がある限りは、殺戮を起こし續けて行くであらう。外國の宗教的侵略に對して、土着の者の宗教的侵略が如何に對應したか、如何に、基督教の武力が、外國人の犧牲者のために、十倍程の屠殺と猛烈な掠奪とを以て復仇[やぶちゃん注:「ふくきう(ふっきゅう)」。復讐。]したかは、此處に記す必要はないのである。傳道師の異說排斥の結果、惹起された騷擾の返報として、屠殺され、貧困に陷れられ、或は征服されてしまつた祖先祭祀の人民があつたのは、近年に限つた次第ではなかつた。併し西洋の貿易や商業が、これ等の報復によつて直接の利益を得て居る一方、西洋の輿論は憤慨、激怒、挑發の權利(異教人のする)或は報復の正邪に就いて議論を許さないのである。他宗を寬容する心の少い宗教團體は、道德的權利(異教の人の)の問題を起すのさへも邪惡なことと云ふのである。そして聲を舉げて抗議する事を敢てする公平な觀察者に對して、狂信者は恰も彼が人類の敵であるかの如く猛烈に攻擊してかかるのである。

 社會學的の見地から考へると、全部の傳道師制度は、宗旨信條に論なく、昔の型のあらゆる文明を敵視し、これに對して一般的に攻擊してかかる點に於て、西洋文明の小競合の力を代表して居る、――卽ちそれは最も强大で最も進化した社會が、自己よりも弱い進化して居ない社會を攻擊する前進窓動の第一線である。これ等の鬪士の自覺せる仕事は、宣教師や教師の事業であり、彼等の無自覺の仕事は工兵や駆逐艇のそれである。薄弱な民族の服從は殆ど想像されない程度まで、彼等傳道師の仕事によつて助けられて來た。そして此の服從は他の如何なる手段を盡くしても、かく速にかく確に成就する事は出來なかつたであらう。破壞を行ふ爲めには、彼等は一種の自然力のやうに自覺せずに働いて居る。併しそれかと云つて基督教は感知し得る程に發展はしないのである。彼等は死を辭せぬ。そして彼等は軍人以上の勇氣を以て、生命を抛つのである、併しそれは彼等が希望するやうに、東洋が今猶ほ必然拒絕するに相違ない教義の傳播を助ける爲めではなくして、產業上の企業と西洋の擴大とを助ける爲めである。傳道の眞の公言された目的は、社會學的の眞理に對して飽くまでも無頓着な爲めに破壞されて居る。そして基督教國民は、基督教の精神とは根本的に反對した目的を達する爲めに、殉難と犧牲とを利用して居るのである。

[やぶちゃん注:以下、一行空け。]

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