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2019/07/02

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(71) 神道の復活(Ⅱ)

 

 これ等の學者達が行つた知的の革命は、長い泰平の時代の間に在つてのみ準備され得たものであらう、また統治階級の人々の保護と愛顧とを蒙つて居る人々によつてのみ準備され得たものであらう.神道學者の努力を可能ならしめたさういふ獎勵と援助とを文學に初めて與へたのは、不思議な行きがかりであるが、德川家自身であつた。家康は學問を愛好し、後に靜岡に隱退して餘生を古書と寫本の蒐集に專にした。彼はその國學書を第八子尾張侯[やぶちゃん注:第九子の誤り。後注参照。]に遺し、漢籍を他の一子紀州侯に遺した。尾張侯は日本の古代文學に關する著書數種を編した人である。家康の子孫は文學を愛するその性質を受け繼いだ、孫の一人で第二世水戶侯であった光圀(一六二二―一七〇〇[やぶちゃん注:生没年は誤り。後注参照。])は、いろいろな學者の援助を得て、『大日本史』二百四十卷を編纂した、此の素晴らしい著作の出版費に宛てる爲めに、每年凡そ三萬磅[やぶちゃん注:ポンド。]に當たる金額を、自己の歲入から取り除けて置いた……。群書の蒐集家たる斯くの如き大諸侯の恩顧を受けて、新派の文學者が漸次に擡頭して來たが、これ等は支那文學を離れて日本の古典の硏究に志した人々であった。彼等は古代の詩集や年代記を再版し、豐富な註釋を施して神聖なる記錄を再刊した。彼等は宗教、歷史、及び言語の諸問題に關する書籍全部を著作し、文法及び辭書を作り、作歌法に關し、一般に行はれる誤謬に關し、神の性質に關し、政治に關し、古代の風俗習慣に關して論文を著した……。此の新しい學問の基礎は、神逍の神官であった荷田春滿及び眞淵が築いたものである。

[やぶちゃん注:「第八子尾張侯」尾張徳川家始祖徳川義直(慶長五(一六〇一)年~慶安三(一六五〇)年)。但し、家康の第九子の誤り。彼には六つ年上の同母兄である家康の第八子松平仙千代(せんちよ)がいた。家康の長男信康の傅役(もりやく)で「徳川十六神将」の一人平岩親吉(ちかよし)養嗣子となったが、享年六歳で夭折した。義直は彼が没した翌年に生まれている。

「紀州侯」家康第十子で常陸国水戸藩・駿河国駿府藩を経て、紀伊国和歌山藩藩主となった紀州徳川家の祖徳川頼宣(慶長七(一六〇二)年~寛文一一(一六七一)年)。]に遺した。尾張侯は日本の古代文學に關する著書數種を編した人である[やぶちゃん注:ウィキの「徳川義直」によれば、『領内では学問を好んで儒教を奨励し、孔子堂の建立や城内の尾張東照宮の建築を進めた。また、家康の形見分けで受け継いだ「駿河御譲り本」に自身で収集した書誌を合わせ』、「蓬左(ほうさ)文庫」(この名は大正期の命名。、「蓬左」は名古屋の別名。「蓬莱の宮(熱田神宮)の左側にある町」の意)を『創設し、「決して門外不出にすべからず」と現在の図書館の走りとなる文庫とした。歴史書「類聚日本紀」等も『著している』とある。

「第二世水戶侯であった光圀(一六二二―一七〇〇)」これだと、元和八年生まれで元禄十二年没となるが、生没年ともに西暦を誤っている。德川光圀は寛永五年六月生まれで、西暦では一六二八年七月、死没は元禄十三年十二月六日で西暦では一七〇一年一月十四日である。

「『大日本史』二百四十卷」最終完成作は全三百九十七巻。光圀の命により、明暦三(一六五七)年に水戸藩が江戸駒込の藩邸に史局を設けて(後の寛文一二(一六七二)年にはこれを小石川上屋敷に移し「彰考館」と命名した)、編纂に着手し、最終的には遙か二百四十九年後の明治三九(一九〇六)年に完成した(小泉八雲の本英文原本は小泉八雲の没した明治三七(一九〇四)年九月(二十六日(満五十四歳))月にニューヨークのマクミラン社(THE MACMILLAN COMPANY)から「Japan: An Attempt at Interpretation」の標題で刊行された。八雲自身は上梓された刊本を見ずに亡くなった。さればこそ本書の執筆は彼を殺したとも言われるのである(題名は訳すなら、「日本――一つの解釈の試み」であるが、原本中扉には書名冒頭の「JAPAN」だけが大きなポイントで記され、その上に一行、右から左へ「神國」(「神」はママ)と書かれてあるので、本訳書もそれを踏襲し、且つ、副題を省略している。本電子化注始動最初のこちらで述べた通り、私は個人的にはこの原文にはない「神國」というのが生理的に厭であるが、訳者自体がそう訳している以上、それに従うこととしたものである)ので、なんと、小泉八雲生前には未だ完成していなかったのであった。「本紀」全七十三巻と「列伝」全百七十巻(計二百四十三巻)は幕末にほぼ完成しており、幕末以後にそのパートが何度か刊行されていたので腑に落ちる巻数である。神武天皇から後小松天皇までの歴史を漢文の紀伝体で記述し、南朝を正統とし、幕末の勤王思想に大きな影響を与えた史書である。

「宮廷の作法の典禮に關する五百卷の一書」「礼儀類典」。朝廷の恒例・臨時の朝儀・公事に関する記事を抽出して分類し、部類分けをした書。目録一巻・恒例二百三十巻・臨時二百八十巻・附図三巻の計五百十四巻にも及ぶ大著。

「荷田春滿」(かだのあずままろ 寛文九(一六六九)年~元文元(一七三六)年)は江戸前・中期の国学者。京で神官の子として生まれた。本姓は羽倉(はくら)、初名は信盛、通称は斎宮(いつき)。尭延(ぎょうえん)入道親王に仕えた後、江戸で幕府所蔵の和書の鑑定などに従事し、享保八(一七二三)年、京都に戻って古典研究に取り組み、古学の領域を広げて、復古意識を明確にした。賀茂真淵は彼の弟子である。著作に「日本書紀神代巻抄」「万葉集僻案抄」等がある。]

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