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2019/07/08

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(96)  囘想(Ⅲ)



 然らば古來の道德――古來の祭祀――はどうなるのであらうか。

 ――今の此の瞬間は事態が常規を逸して居る。併し常態にあれば、古來の家族の關係は漸次に弛むで行く事が確であらうと思はれる。そしてこの事は猶ほ此の上にも崩壞を招致するであらう。日本人自身の證明によると、此の崩壞は、現時の戰爭に先き立つて、大都市の上流及び中流階級の間に迅速に擴がつて居た。農村の人々の間、竝びに田舍の都會に於てさへも、事物に關する古來の道德的秩序はまだ餘りに影響を受けずに居る。そして崩壞に對して働きをして居るものの内には、立法的變化或は社會的必要の外に、他の影響もある。昔よりも知識が廣まつた爲めに古來の信仰は亂暴に動搖されてしまつた。二萬七千の小學校では[やぶちゃん注:『文部省年報』によれば、本書が書かれた時より十九年も前の明治一八(一八八五)年の時点で、小学校数は実に二万八千二百八十三校もあった。因みに平成三〇(二〇一八)年度の文部科学省の公式データを見ると、現在の日本の小学校数は国公立・私立総てをひっくるめて二万九五校(公立の分校を含む)しかない。]、新時代の少年等が、科學の初步と宇宙に關する近代の槪念とを教へられて居る。須彌山の幻奇なる繪を描いた佛教の宇宙論は既にお伽噺となつてしまつた。昔の支那の自然哲學は餘り教育のない者か、封建時代の生殘者の間にのみ信仰者を有つて居る。そして極小さい小學生も、星座は神でもなく、遠距離にある太陽の群である事を學んで居る。一般の人も最早  Milky  Way  を『天の河』として想像に描く事は出來なくなつて、織女と牽牛と鵲の橋の傳說も今はただ子供に聞かせる話となつてしまつた。そして若い漁夫は彼の父と同じやうに星の光りを目當てとして船を行つては居ても、最早北の空に妙見菩薩の姿を認める譯にはゆかなくなつてしまつた。

[やぶちゃん注:「妙見菩薩」「北辰妙見の宮」等とも呼び、仏教に於ける天部の一人。ウィキの「妙見菩薩」によれば、『妙見信仰は、インドに発祥した菩薩信仰が、中国で道教の北極星信仰と習合し、仏教の天部の一つとして日本に伝来したもので』、中国の神としては、『北の星宿の神格化』されたもので、『玄天上帝ともいう』とある。]

 併し昔の或る階級の信仰の衰微、若しくは目に見える社會的變化の傾向は、誤解され易いものである。如何々る事情の下に在つても、宗教は徐々に衰微して行く。而して最後に崩壞を受けるものは、宗教の最も保守的な形式のものである。祖先祭祀が、今までに如何なる種類の影響たるを問はず、人が感知し得る程の影響を、外界から受けて來たと想像する事、或は、その存續は神聖になつた習慣の力にのみ據るので、大多數が今猶ほ信仰して居る故ではないと想像するのは重大な誤謬である。どんな宗教でも、それを作り出した人種の愛着心を、かく突然に失つてしまふ事はあり得ないであらう、――特に死者を祭る宗教に在つてはさういふ場合は最も少いのである。他の方面に於レてさへも、新しい懷疑主義は、表面的のものである。それは事物の核心まで透徹して擴がつた譯ではなかつた。なるほど或る種類の懷疑を有つべき事が一種の流行となり、過去を輕侮する風を裝ふ靑年等の一階級が、實際段々と擡頭して來ては居る。併しこれ等の者の間にあつてさへ、家庭の宗教に關して不敬の言を放つものは決してなかつた。古來の孝道に對する抗議、家庭の束縛の益〻加はるその重壓に對する不平は聞こえる事もあるが、併し祖先祭祀を輕んずる言葉は決して聞かれないのである。神道の社會的及び其の他の公的形式に就いては、神社の數が續いて增加する事實が、其の勢力の盛んなのを證するに足るのである。一八九七年[やぶちゃん注:明治三十年。]には、十九萬千九百六十二の神道の社があつたが、一九〇一年にはそれが十九萬五千二百五十六に增して居る。

 近き將來に起こるに違ひないと思はれる變化は、恐らくは宗教的のものよりも、寧ろ社會的のものであらう。そしてかかる變化が、種々の方面に於て、如何に孝道を弱める傾向があるとしても、祖先祭祀そのものに重大な影響を與へるやうな變化があると信ずべき理由は殆どないのである。漸次增加して行く生活難と、生活費との爲めに、重くなつて行く家庭の束紡の重壓は、個人に對しては漸次輕減されて行くかも知れない、併し如何なる立法も、死者に對する義務の感情を廢止する譯には行かないのである。その感情が全然なくなる時が來れば、國民の心臟は既に鼓動を止めてしまつて居るであらう。『神』として昔の神を信仰する心は、徐々に消えて行くかも知れないが、併し神道は祖國の宗教として英雄及び愛國者の宗教として存在を續けるであらう。そしてかかる將來の變化が起こり得ベき事は、多くの新しい神社の紀念碑的の性質をもつ事によつて示されて居る。。

 ――近年日本は無暗に『個人主義の福音』を要求して居ると斷言された事が屢〻あつた、(これは圭に、パアシヷル・ロウヱル氏の『極東の精神』“Soul  of  the  Far  East”[やぶちゃん注:既出既注。]が與ヘた深い印象の故であつた)そして多くの敬虔な人々は、此の國を基督教國に改宗せしめれば、個人主義を生ずるに足りるであらうと假定して居る。此の假定は、數千年の間に徐々と形作られた一國民の習慣も感情も、ただ一つの信仰條令によつて、突然變化され得るといふ古來の迷信以外には、何等の基礎をももつて居ない考へである。昔からの秩序を今よりも以上に崩壞せしめ、その崩壞を普通の狀態の下に行はせて、今よりも高い社會上の力を起こさうとするには、それは只だ產業主義に據る他はない、――競爭的企業と商業の膨脹を、强ひて行はしめる諸〻の必要事項を働かせるより以外に安全な方法はない。併しかかる健全な變化には長い平和が必要であらう。而して獨立した進步的な日本は、其時宗教上の變化の問題を、政治的の利害得矢の立脚㸃から考察する事であらう。日本の經世家[やぶちゃん注:政治家。]の海外に於ける觀察と硏究とは、彼等に過大な印象を與へてしまつた、『金錢には一つの宗教が有る』――『資本は新教徒である』――世界の力と富と智的精力とは、【註】羅馬の束縛を投棄して、中世の信條から脫出した人種に屬する、――とミシエレエ[やぶちゃん注:フランスの歴史家でロマン主義史学の代表者たるジュール・ミシュレ(Jules Michelet 一七九八年~一八七四年)。民衆を愛し、フランス革命の精神を擁護し、ナポレオンⅢ世によってコレージュ・ド・フランスの教授職から追放された。引用元は私は不明。]があんなに力を籠めて云つた半眞理を、彼等もすつかり信仰してしまつた。日本の某政治家は、日本人が『基督教の方に急速に流されて行く』と近頃公言したといふ事である。貴顯大官の言として新聞が報ずる事は、信用の出來ない場合が多い、併し此の場合の報道は恐らく確實であらう、そして其の言は可能性を暗示する爲めに云はれたものである。日英同盟の公布[やぶちゃん注:日本とイギリスとの間の軍事同盟(攻守同盟条約)。本書が書かれた二年前の明治三五(一九〇二)年一月三十日にロシア帝国の極東進出政策への対抗を目的として調印された。その後、第二次(一九〇五年)・第三次(一九一一年)と継続更新されたが、大正一〇(一九二一)年の「ワシントン海軍軍縮会議」によって調印された「四カ国条約」成立に伴って一九二三年八月に失効した。]以來、政府が西洋の宗教に對して以前支持した安全な保守主義の態度に著しい軟化が起つて來た……。併し日本國民が政府の獎勵の下に、外國の信仰を採用するか否かの問題に就いては、社會學的の答が明白であると私は思ふ。社會の基本的構成を何程かでも理解すれば、急激な變化を企てる事の愚かと、それを成就する事の不可能な事が、同樣明白になるであらう。少くとも、現在だけは、日本に於ける宗教問題は、社會保全の問題であつて、變化を自然の過程によらずに、性急に成就せんとする努力は、ただ反動と紊亂とを齎すに過ぎないのである。日本が今迄非常に立派に役に立つて來たその細心熟慮の政策を抛棄する事を敢てし得る時節はまだ遠い事と私は信ずる。日本が西洋の信仰を採用する時は、その連綿たる皇統も斷絕する日であると私は信ずる。そして日本が外國の資本に、その土地の縱令一反步でも讓り渡す時は、その生得權を合意上手放す事なので、到底再び囘復の見込みはないと私は恐れざるを得ないのである。

[やぶちゃん注:私はここを読みながら、敗戦後、日本語を文化的程度が低劣であるから、それを捨てて、桑原武夫がフランス語を、高橋義孝がドイツ語を公用語にすべきと大真面目にぶち上げたクソのような事実を思い出していたし(今やそんなことがあったことさえ知らぬ人が多いだろう)、この最後の部分では『今の沖縄だ』と感じたものである。

 以下、底本では全体が本文分四字下げポイント落ち。]

註 日本の宗數團體に對する政府の外見上の態度からは、信憑すべき推論はとても抽き出し難いのである。近年の政策は、外見上は、西洋の宗教のうちの他宗を排斥する心の多い種類を獎勵するやうに思はれた。此態度に對して寄妙な對照をして居るのが祕密共濟組合(フリイメイスンリ)の排斥である。治外法權の廢止以來、開港場に居る外國人り共濟組合は、或る條件で存在する事を許された(或は寧ろ放任してあつた)けれども、嚴格に云へば、祕密共濟組合は日本では許可されなかつた。歐米に居る日本人は、自由に共濟組合員となれるが、日本では組合員となる事は出來ないのである。日本ではあらゆる會合の行爲は公然官邊の監督に任されなければならないのである

[やぶちゃん注:「他宗を排斥する心の多い種類」具体的に何を指しているのかよく判らない。ロシア正教とかユダヤ教のことか。識者の御教授を乞う。

「祕密共濟組合(フリイメイスンリ)」「Freemasonry」。現行では「Freemason」の綴りで「フリーメーソン」と表記されることが多い。「ブリタニカ国際大百科事典」も「Freemasonry」を後に掲げなながら、持見出しは「フリーメーソン」である。それによれば、自由な友愛を求め、十八世紀初頭より結成された国際的な親善団体。中世の石工(メーソン)のギルド(guild:中世ヨーロッパの都市で発達した商工業者の独占的排他的な同業者組合。十三~十四世紀には各都市の政治・経済を支配したが、十六世紀以降、衰退した)の流れをくみ、一七一七年、ロンドンに結成されたのが始まりで、全ヨーロッパからアメリカに急速に広がった。「ロッジ」(Lodge)と呼ぶ集会を基礎的組織単位とし、一地域乃至一国内の数ロッジが集って上級の大ロッジを形成する。ヒューマニズムとコスモポリタニズムを信条とする会の原理に忠実である限り、原則的には民族・階級・社会的地位・宗教によって会員の資格は制限されない。入会の際、象徴的神秘主義的な儀式が行われ,会員は定められた合図・合言葉・符丁によって認知し合う。ロッジ内部にはギルドの徒弟・職人・親方の三身分が投影された三つの基本的位階があり、大ロッジは独立性を保ちつつ、大連合を形成する。フリーメーソンは 十八世紀の合理と進歩を重んじる啓蒙主義的な時代思潮の担い手でもあり、個人主義的な倫理を信条とする中産階級、特に知識人が構成メンバーの中心となった。従って、宗教に関しては寛容であったのに対し、反動的な政治に対しては自由を主張したため、本来は秘密結社ではなかったにも拘わらず、教会や政府の弾圧を受け、陰謀団体・革命結社のように危険視された時期があった(これは現在も都市伝説として時々蘇ってくる)。アメリカ独立革命・フランス革命や、十九世紀後半の自由・統一運動には、フリーメーソンの活躍は無視出来ないが、急進的共和主義や社会主義とは縁遠かった。現在ではその役割と意義は微弱になっているとある。]

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