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2019/07/03

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(79)  近代の抑壓(Ⅰ)

 

  近代の抑壓

 

 近代の日本を漠然とでも理解せんとするには、前章に記した三種の社會的强制の結果を、個人の精力及び技能に於ける制限として考へて見る事が必要であらう。此の三つは凡て昔の宗教的責任の遺物を代表して居るものである。私は順序を反對にして下からの壓迫を初めに論じようと思ふ。

[やぶちゃん注:以下、一行空け。]

 

 日本に於ける眞の力は、上から働いて來るのでなくして、下から働いて來るのだといふ事を、外國の觀察者は屢〻斷言した。此の斷言には幾分の眞理もあるが、悉〻く眞理を說破[やぶちゃん注:「論破」に同じい。]したものではない、狀態は餘りに複雜して居て、一般的の敍述では、とても說明し盡くし得るものではない。高位のものの權威は、常に下からの抵抗を受ける傾向がある爲めに、多少抑制されたといふ事は否認すべからざる點である……。たとへば、農民は彼等の生活に課せられたあらゆる屈辱的規定のあつたにも拘らず、日本の歷史に於ては、彼等は如何なる時代にあつても、過度の壓迫に備へる手段を全然奪はれて居たといふ譯ではなかつた。彼等は自村の法律を作る事と、彼等の納税の可能額を見積もる事と、苛税誅求[やぶちゃん注:ママ。まあ、意味は判るけれど、やっぱり「苛斂誅求」として欲しかった。]に對しては――上役人を通じて――抗議する事とを許されて居た。彼等は出來るだけの額を拂はせられた、併し彼等は破產にも餓死の憂き目にも會はなかつた、そして彼等の所有物は、家附きの財產の賣却或は讓渡を禁ずる法律によつて、彼等の爲めに大抵安全にされて居た。かくの如きは少くとも一般の通則てあつた。併しながら極度の殘酷を以て所領の農民を取扱ひながら、しかも苦情や抗議が上司に達する事な妨害する方法を知つて居た惡大名もあつた。かかる壓制の結果は殆ど一揆ときまつて居た。そして壓制者は此の騷動の罪を問はれて處罰された。理論上では否定されて居たが、壓制に對して謀叛する農民の權利は。[やぶちゃん注:句点儘。]實際上には尊重されて居た。亂民は罰せられたが、壓制者も亦同樣に罰せられた。大名は新たな課税或は强制的勞働に關しては、領内の農民の事情をも考慮するやうに餘儀なくさせられた。平民は武家階級(士族)に服從させられたけれども、大都市に於ては、工商は强力な組合を作る事が出來て、それによつて武士の壓制を阻止し得た。何處でも普通の方面に行はれた權威に對して一般人民は恭敬を盡くしたと同時に、他の方面に於て行はれた權威に對しては、何等躊躇する處なくこれを無視した。

 宗教と統治、道德と慣習とが實際上同一物であつた社會が、有司に對する抵抗の著しい例を出したのは、奇と云へば奇であるかも知れないが、併し宗教上の事實それ自身が說明を與へて居るのである。極太古の時代から、權威に盲從するのが、あらゆる普通の事情に於ては、一般の義務であるといふ確信が人民の心に堅く根づいて居た。併し此確信に今一つの確信が結合して居た、――卽ち、權威に抵抗するのも(最上の治者たる天皇の神聖な權威を除いて)非常な場合には同樣にまた一の義務であるといふ確信があつた。そして外觀上反對したこれ等二つの碇確信は、實際上では矛盾したものではなかつた。統治が慣例に從つて居る限りは、――その命令が縱令如何に苛酷であつても、感情や傳統と衝突しない限りは、――人民は其統治を宗教的と考へ 、[やぶちゃん注:空白はママ。「て」の脱字が疑われる。]絕對的に服從して居た。併し統治者が無分別な殘酷の精神或は貪婪の精神で、道德的慣例の破棄を敢てする時は、――その時には人民は自發的殉難のあらゆる熱意を籠めて、それに抵抗するのを、宗教的義務と感じたと云つても差支ない。あらゆる種類の地方的壓制に取つての危險區域は、慣例から離れる事であつた。攝政や皇族の行爲さへ、彼等の臣下の輿論により、また或る種類の專斷な行爲は、暗殺を招く虞れがあるといふ事を知つて居る事に依り、大いに抑制されたのであつた。

 臣下の感情を尊敬する事は、昔から日本の統治者にとつて必要な政策であつた、――不必要な壓迫によつて惹起される危險のみならず、從屬者が自己の努力が正當に考慮される事を確信する時のみ、職務が充分に行はれる事、竝びに突然に不必要な變化を行つて、彼等の不利を起こさせるやうな事のないといふ事を認めた事が、遙かに多くこの政策の原因をなして居た。此の古來の政策は、今猶ほ日本の施政の特性をなして居る、そして高位の權威者が集團の竟見を尊敬する事は、外國の觀察者を驚かせ困惑させる。外國の觀察者は、從屬者の群がもつて居る感情の上の保守的の力が、西洋人が考へて、社會の進步に對して缺く可からざるものとする規律ある狀態に、全く反對して居るに拘らず、それでうまく行つて居る事のみを認める。昔の日本に於て一地方の統治者が、其人民の行爲に對して責任を持たせられて居たやうに、今日、新日本に於ても、一つの役所を監督して居る各官吏は、事務の圓滑な運轉に對して責任があるとされて居る。併しこれは、官吏が事務の能率に對してのみ責任があるといふ譯ではないので、官吏はまた自己の部下、或は少くとも彼の部下の多數のものの意志を、満足させ得なかつたといふ事に對しても、同樣に責任を問はれる事を意味するのである。若し彼等の大臣、知事、社長、支配人、課長、監督が此多數の者の氣に入らなければ、其事實は行政上の無資格の證據と考へられるのである……。恐らく教育界は責任に就いての此古來の觀念の最も奇異な例を與へて居る。學生の騷動は、學生が制し難いものではなくして、監督者或は教師が自己の仕事を心得ないからだと普通に想像されて居る。それ故學校の校長は、その統治が學生の多數に滿足を與へるとの條件でのみ自分の位置を保つて居るのである。高等の官立學校では、各教授講師はその講義の成功に對して責任を負はせられる。他の方面に於てその才能は、縱令優秀であらうとも、學生の氣に入る事の不得手な官立學枚の教師は、誰れか有力な保護者が、その爲めに調停して呉れなければ、簡單な辭令で免職させられてしまふであらう。其人の努力は世人の承認して居る優秀の標準では(官邊では)判斷されないであらうし、――彼等の眞價で決して評價されないであらう、【註】彼等は普通の人の心に映じた直接の結果に從つてのみ考量されるであらう。殆ど到る處に昔のこの責任の制度は維持されて居る。國務大臣は、民衆の感情によつて、彼の施政の結果に對して責任を負はせられるのみならず、同樣に、彼の省内に疑獄や面倒が起こる時は、彼がそれを防ぎ得たか否かの問題には關係なく、それに就いて責任を負はせられるのである。それ故に、極度に究極の力が下方にあるといふ事が眞實である。最高官吏は或る方面に彼の一個の意志を働かせれば必らず咎を受けるのである、そして、今の處暫くは、彼の力が斯く抑制されて居るのは、恐らく却つてよい事であらう。

[やぶちゃん注:以下の註は底本では全体が本文分四字下げでポイント落ちである。本文と区別するために前を一行空けした。]

註 (此の政策は西洋のものとは極めて相違せる道德的狀態を確に假定してかかるもので)、西洋の讀者には不當なものと見えるかも知れないけれども、新規定の下では、それは恐らく一時は此上なく良いものであつたらう。教育制度に突然行はれた非常な變化を考へて見ると、二十年前には、教師が其の教授を生徒に好まれるやうにする技能のみに、恐らく教師の直接價値が認められた事であらう。また若し教師が生徒の平均能力より以上に、或は以下に教へようとすれぱ、或はまた、新知識を渴望しながら、其の習得の方法を知らない者に歡迎されないやうな教授をすれば、生徒は自己の意志で教師の意志で無經驗を正す事が出來たのである。

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