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2019/08/06

大和本草卷之十三 魚之上 金魚

 

金魚 昔ハ日本ニ無之元和年中異域ヨリ來ル今

 世飼者多シ小時黑色長乄紅ニ。老テ白シ白キヲ銀

 魚ト云孑〻蟲ヲ餌トス或麪餅ヲ食ス藻ノ内ニ

 子ヲ生ス

○やぶちゃんの書き下し文

金魚 昔は日本に、之れ、無し。元和年中、異域より來たる。今世、飼ふ者、多し。小なる時、黑色、長〔(ちやう)〕じて、紅〔(くれなゐ)〕に、老ひて、白し。白きを銀魚と云ふ。孑〻蟲(ほうふりむし)を餌(えば)とす。或いは、麪餅(むぎもち)を食す。藻(も)の内に子を生ず。

[やぶちゃん注:フナの突然変異を人為的に選択し、観賞用に交配を重ねた結果生じたコイ目コイ科コイ亜科フナ属キンギョ亜種キンギョ Carassius auratus auratus。近年、DNA分析のによって東アジアの温帯域を原産地とするフナ属ギベリオブナ Carassius gibelio が起原種であることが判明した。

「元和年中」一六一五年~一六二四年。江戸前期。ウィキの「キンギョ」によれば、『日本では鎌倉時代にはその存在が知られていたが、金魚そのものは室町時代に中国から伝来した。後述の』「金魚養玩草(きんぎょそだてぐさ)」によれば、文亀二(一五〇二)年に『和泉国堺(現在の大阪府堺市)に渡来したとある』。『ただ当時はまだ飼育方法や養殖技術等が伝わっておらず、定着には至らなかった』。『江戸時代に大々的に養殖が始まったが、その初期においてはまだまだ奢侈品であった。江戸前期、大坂の豪商である淀屋辰五郎は、天井にとりつけた舶来物のガラス製の大きな水槽の中に金魚を泳がせ、下から眺めることにより暑気払いをしたと伝えられている。江戸中期にはメダカとともに庶民の愛玩物として広まり、金魚売りや金魚すくいなどの販売形態も成立した。俳句においては夏の季語となっている』(本「大和本草」の刊行は宝永六(一七〇九)年で江戸中期の最初期に当たる)。『金魚愛好が広まったのは』、延享五(一七四八)年に『出版された金魚飼育書である安達喜之』の「金魚養玩草」の『影響が大きいといわれている』。『ただ当時は現代のような飼育設備もなかったために、屋敷に池を持っているような武士・豪農・豪商でもなければ金魚を長く生かし続けることは不可能で、庶民は金魚玉と呼ばれるガラス製の球体の入れ物に金魚を入れ』、『軒下に吊るして愉しんだり』、盥(たらい)や『陶器・火鉢などに水を張って飼育したりしたようである。ガラスが普及する前は桶などに入れていたため、金魚を上から見た見た目が重要視された』。『化政文化期には現在の三大養殖地で大量生産・流通体制が確立し、金魚の価格も下がったことから』、『本格的な金魚飼育が庶民に普及する。品評会が催されるようになったほか、水槽や水草が販売され始めるなど飼育用具の充実も見られた。このころには歌川国芳の戯画「金魚づくし」(天保年間)をはじめ、当時の浮世絵や日本画の画題としても広く取り上げられている。幕末には金魚飼育ブームが起こり、開国後日本にやってきた外国人の手記には、庶民の長屋の軒先に置かれた水槽で金魚が飼育されているといった話や金魚の絵などが多く見られる』とある。

「孑〻蟲(ほうふりむし)」言わずと知れた、蚊の幼虫であるボウフラ。

「餌(えば)」「えさ」の古称。「餌食(えば)み」の略。

「麪餅(むぎもち)」麦の粉を水で湿らせて小さく丸めたもの。]

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