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2019/08/21

小泉八雲 門つけ (田部隆次訳)

 

[やぶちゃん注:本作(原題“A STREET SINGER”)は明治二九(一八九六)年にボストン及びニュー・ヨークの「ホートン・ミフリン社」(BOSTON AND NEW YORK HOUGHTON MIFFLIN COMPANY)から出版された作品集“KOKORO HINTS AND ECHOES OF JAPANESE INNER LIFE”」(「心 日本の内面的生活の暗示と影響」:来日後の第三作品集)の第三章(大見出しナンバー)に配された作品である。同作の原文は、原本初版画像)では「Internet Archive」のこちらから読め、活字化されたものは「The Project Gutenberg」のここの“III. A STREET SINGER”で読める。

 底本は、サイト「しみじみと朗読に聴き入りたい」の別館内のこちらにある、昭和二五(一九五〇)年新潮文庫刊の古谷綱武編「小泉八雲集 下巻」の田部隆次氏の訳の「門つけ」(PDF)を視認した。

 田部隆次(たなべりゅうじ 明治八(一八七五)年~昭和三二(一九五七)年)氏については先に電子化した「人形の墓」の私の冒頭注を参照されたい。

 なお、本文で「玉米 竹次郞」とあるのは、読者が「玉米竹次郞」という姓名と誤読する虞れを私は感じたので、特異的に一字空けを施したものである。これは原文に“Tamayoné and Takejiro”(斜体は原文のママ)とある通り、「玉米(たまよね)」という女の名(源氏名)と、男の名であるからである。転載される場合は字空けを詰められたい。

 また、その心中話の「』」で冒頭を示されてある(最終行のみ「』」有り)それは、その全体が三字下げであるが、ブログ・ブラウザでの不具合を考えて行頭まで引き上げた。転載される場合は、三字下げすることをお忘れなきよう。

 最後に少し気になった箇所について、オリジナルな注を附した。

 本電子化は、昨日の「人形の墓」との仄かな絡みを感ずるのための他に、たまたま、現在、私が唯一、サイト・ブログでの定期更新を通知している SNS である「ツイッター」を始めてから今日で八年目となるのを記念して公開することとした。【二〇一九年八月二十一日 藪野直史】]

 

 

    門  つ  け

 

 三味線を携へて七八つの男の子に手を引かれた女が私の家へ歌を歌ひに來た。彼女は農夫のなりをして、頭に靑い手拭を卷いてゐた。醜かつた、そしてもとよりの酷さが殘酷な疱瘡に襲はれたために一層ひどくなつたのであつた。子供は版にした流行歌の一束をもつてゐた。

 そこで近所の人々は私の表ての庭に集まつて來た、――多くは若い母親や背中に赤ん坊を負うた子守だが、爺さん媼さん――近所の隱居達――も同じく來てゐた。それから又つぎの町角にある帳場から車屋も來た、そしてやがて門の内にはもう餘地がなくなつた。

 女は私の入口の階段に坐つて、三味綜の調子を合せて伴奏の一節を彈いた。そこで一種の魅力が人々の上に落ちた、そして彼等は微笑しながら驚いてお互に顏を見合せてゐた。

 

 卽ちその醜い不恰好の唇から奇蹟のやうな聲、――若い、深い、透るやうに妙(たへ)なるところは名狀のできぬ程の感動を與へる聲が流れたりさざなみをうつたりして出たからである。一人の見物は『女か、それとも森の仙女か』と尋ねた。只の女であるが、甚だ甚だ偉大なる藝術家である。その樂器の取扱ひ方は最も熟練なる藝人をも驚かしたであらう。しかし、こんな聲はどんな藝人からも聞かれた事はなかつた、そしてこんな歌も。彼女は只農夫が歌ふやうにしか歌はなかつた、恐らく蟬や藪鶯から習つた聲の節で歌つた、そして西洋の樂譜に決して記された事のない聲の細(こまか)い、又その半分程の細い、その半分の半分程の細い調子で歌つた。

 そして彼女が歌つて居ると、聞いて居る人々は默つて泣き始めた。私には言葉の意味ははつきりしなかつた、しかし私は日本生活の悲しさと樂しさと苦しさが彼女の聲と共に私の心へ通つて行くのを覺えた、――決してそこにない何物かを悲しげに求めながら。目に見えない衷れさは私共の周りに集まつて震へて居るやうであつた、そして忘れられた場所と時問の感覺が、――人の記憶にある場所や時間の感情でない、もつと靈的な感情と混つて靜かに歸つて來た。

 その時私はその歌ひ手は盲目である事を見た。

 

 歌が終つた時私共は女を誘つてうちへ入れて身上を聞いて見た。昔は彼女のくらしが相應によかつたので小さい時に三味線を習つた。小さい子供は彼女の倅であつた。夫は中風であつた。彼女の眼は疱瘡のためにつぶれた。しかし彼女は强壯で遠くまで步く事ができた。子供が疲れて來るといつも彼女は背中に負うてやる。彼女は床についた夫と又子供とを養つて行かれる、それは女が歌ふ時、きく人は泣いて彼女に小錢と食物を與へるからである。……彼女の身上話はこんなであつた。私共は彼女にいくらかの金と食事を與へた、それから子供に手を引かれて彼女は去つた。

 

 私は近頃の心中に關する流行歌『玉米 竹次郞の悲しき歌、作者大阪市南區日本橋四丁目十四番屋敷竹中よね』と題する物を一部買つた。それはたしかに木版であつた、そして小さい繪が二つあつた。一つには若い男女が一緖に歎いて居るのを表はし、他方は『終りの繪』のやうになつて、机、消えかかつた燈火、開いた手紙、燒香、死人へ但物をする佛式に用ひられる聖い植物、樒(しきみ)のさしてある花瓶を示してあつた。たてに書いた速記のやうに見える妙な草書は、譯して見ると只こんな物になつた、

 

『評判名高き大阪の西本町一丁目――心中話の哀れさよ。

『十九歲の玉米を、――見て戀をせし若き職人竹次郞。

『二世も三世も變らじと誓ひし二人、――遊女を戀ひし悲しさよ。

『互に腕に彫りしは龍と竹の文字、――浮世の苦勞をよそにして。……

『女の身代五十五圓を拂はれぬ、――竹次郞の心の切なさよ。

『この世で添はれぬ兩人は、共に死なんと誓する。……

『囘向を朋輩に賴みしのち――露と消え行く二人の哀れさよ。

『死ぬ人々の誓する水盃を取り上ぐる。……

『心中する人の心の亂れ、――空しく消ゆる命の哀れさよ』

 

 要するに話には何も甚だしく變つた事はない。詩に著しいところは少しもない。その演奏の感嘆を博したのはその女の聲のためであつた。それにしてもその歌ひ手の行つたずつと後まで、その聲が未だ殘つて居るやうであつた、――不思議な聲の祕密を私は說明しようとしないでは居られない程、不思議な快感と悲哀感とを私の心に起させながら。

 そして私はつぎに書いた事を考へた、――

 

 凡ての歌、凡てのふし、凡ての音樂は只感情の原始的な自然の表現の或進化、――樂音によつて表はされる悲哀、喜悅、激情の自然の言葉に外ならない。外の言葉に變化のあるやうにこの音の結合の言葉にも變化がある。それ故私共を深く動かす音曲は日本人の耳には何の意味もない、そして私共に少しも觸れない音曲は靑色と黃色と違ふ程、私共と違つた精神生活をもつ人種の感情に力强く訴へるのである、……それでも私に分りもしないこの東洋の歌が、――この下層社會の一盲目の女のありふれた歌が、――外國人である私の心に深い感動を與へたのは何の理由であらう。必ずこの歌ひ手の聲に一人種の經驗の全體よりも大きな物、――人生程廣い物、そして善惡の知識程古い物に訴へる事のできる性質があつたからであらう。

 

 二十五年の前或夏の夕、ロンドンの或公園で一人の少女が誰か通りかかりの人に『お休み』と云つて居るのを聞いた。只その『お休み』と云ふ二つの小さい言葉だけ。その少女は誰であつたか私は知らない、私は彼女の顏を見もしなかつた、そして私はその聲を再びきかなかつた。しかし今もなほ、一百の季節の過ぎ去つたあとで彼女の『お休み』を思ひ出すと快感と悲哀感との不可思議な二重の剌戟を感ずる、――疑もなく私のでなく、私一生のでなく、前生の、前世界の快感と悲哀感とである。

 けだし、こんなに只一度きいた聲の魅力となつて居る物はこの世の物ではない。それは無限無數の忘れられた人生の物である。たしかに全く同じ性質をもつた二つの聲はなかつた。しかし愛の言葉のうちには、凡て人生の幾千億の聲に共通なやさしい音色がある。遺傳の記憶によつて生れたての赤子でもこの愛撫の調子の意味がよく分る。疑もなく、同情、悲嘆、衷憐の調子に關する知識もそれと同じく遺傳である。そしてそのわけで、極東のこの町に於ける一人の盲目の女の歌が西洋の人の心にも一個體よりももつと深い感情、――漠然たる物を云はない忘れられた悲哀の情、――覺えてゐない時代のおぼろげな愛の衝動、――を起させるのであらう。死人は決して全く死ぬと云ふ事はない。死人は疲れた心臟、忙しい頭腦の最も暗い小さい室に眠つて居る、そして稀に彼等の過去を呼び起す或聲の反響によつて目をさますのである。

 

[やぶちゃん注:底本では、最終行に一字上げインデントで『(田部隆次譯)』、次の行に同じインデントで『A Street Singer.Kokoro.)』とある。

 なお、本訳文ではダッシュによって示されるのみの心中話の詞章が、原文では、斜体と感嘆符によって効果的に浮き上がるようになっている(ここここ)。原本原文を可能な限りそのままに写してみる。

   *

   "In the First Ward of Nichi-Hommachi, in far-famed Osaka— O the sorrow of this tale of shinjū!

   "Tamayoné, aged nineteen,—to see her was to love her, for Takejirō, the young workman.

   "For the time of two lives they exchange mutual vows— O the sorrow of loving a courtesan!

   "On their arms they tattoo a Raindragon, and the character 'Bamboo'—thinking never of the troubles of life.  .  .  .

   "But he cannot pay the fifty-five yen for her freedom— O the anguish of Takejirō's heart!

   "Both then vow to pass away together, since never in this world can they become husband and wife.  .  .  .

   "Trusting to her comrades for incense and for flowers— O the pity of their passing like the dew!

   "Tamayoné takes the wine-cup filled with water only, in which those about to die pledge each other.  .  .  .

   "O the tumult of the lovers' suicide!—O the pity of their lives thrown away!"

   *

訳文とは、かなり印象が異なる。「玉米」と「竹次郞の悲しき歌、作者大阪市南區日本橋四丁目十四番屋敷竹中よね」(原文““The sorrowful ditty of Tamayoné and Takejirō,— composed by Takenaka Yoné of Number Fourteen of the Fourth Ward of Nippon-bashi in the South District of the City of Osaka.””。斜体はママ)とある作品の原文を見たいと思ったが、ネット上では全く掛かって来ない。気づくのは作者の姓名に二人の名が一字ずつ含まれてあることで、モデルとなった当時の心中事件があって、この作者が名を操作して創作したものででもあるのかも知れぬ。なお、この住所は現在の大阪府大阪市浪速区日本橋四丁目(グーグル・マップ・データ)に相当する。

「五十五圓」先の「人形の墓」でも挙げたが、「野村ホールディングス」と「日本経済新聞社」の運営になる、こちらの記事によれば、本作が発表された翌年(明治三〇(一八九七)年)頃で、『小学校の教員や』巡査『の初任給は月に』八~九『ぐらい』で、『一人前の大工』『や工場のベテラン技術者で月』二十『円ぐらいだったようで』、『このことから考えると、庶民にとって当時の』一『円は、現在の』二『万円ぐらいの重みがあったのかもしれ』ないとするから、玉米(たまよね)の身請けのそれは実に百十万円相当となる。

【2019年12月9日:追記】第一書房昭和一二(一九三七)年二月刊行「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)第五巻所収の第二作品集「心」(原題KOKORO; HINTS AND ECHOES OF JAPANESE INNER LIFE (心――日本の内的生活の暗示群と共鳴群)」)の「第三章 門つけ」にある本篇と同じ田部隆次訳には、『譯者註』が二つあったので、以下に注として追加した(底本は英文サイト“Internet Archive”のこちら)。

◎第一段落冒頭は「三味線を携へて七八つの男の子に手を引かれた女譯者註一が私の家へ歌を歌ひに來た」とあり、作品末尾にポイント落ち四字下げで、

譯者註一 明治二十八年三月チエバレン敎授に送つた手紙參照。

とある。私は書簡集を所持しない。しかし、それでも『もしや』とネットで調べたところ、グーグルブックスで、英語版の小泉八雲の書簡集“The Life and Letters of Lafcadio Hearn Including the Japanese Letters”のVolume II の一部が視認でき、しかも幸いなことにここで田部氏が指示しているものと考えられる同書簡の一部(冒頭にチェンバレン宛でまさに一八九五(明治二十九)年三月のクレジットがある)が可視化されており、辛うじて、英文で、近日、門付けの二人の女性を小泉八雲が家に迎え入れ、彼らが哀しいバラードを唄い、それに激しい感動を覚えた、といった主旨の書き出し部分(次の「331」ページの最後の段落開始箇所)が読めたのである。また、銭本健二氏が担当された小泉八雲の年譜(一九八八年恒文社刊「ラフカディオ・ハーン著作集 第十五巻」所収)の明治二八(一八九五)年三月の条に、『上旬、神戸の家の庭に二人の女(一人は盲目)が来て、十吉若菊』(心中した男女の名であろう)『京都疏水心中の門付け唄を唄う。これを近所の人々とともに聞いて感動し、家に呼び入れてもてなし、二枚つづき一組定価五厘の唄本二部を購入する』。『一部をチェンバレンに送り、翻訳者に五円以内で翻訳してもらうように依頼する。三月二十日付で翻訳、返送される』とあり、さらに四月に本篇『「門つけ」が発送される』とある。

◎最終段落末文中に「小さい室譯者註二」とし、前と同じ仕儀で、

譯者註二 小さい室、卽ち細胞の事。

とある。

【2019年12月21日:追記】前追記で記した家庭版小泉八雲全集の「あとがき」で田部隆次氏は、『著者は夫人にいつも話を聞くやうに、屑屋でも魚屋でも珍らしい經驗をも
つた人の話を尊重して聞くやうにと云つた』とされた上で、本篇について、『神戶で門つけを呼び入れて歌を聞いたあとで御馳走をしてできたのがこの一篇であつた。この』挿入されている『歌の原文は』実際には、『一つから二十まである數へ歌』であったとされ、『大阪の男女が京都の疏水で心中した事實を歌つた物』であったと記され、その歌の書かれた冊子には『女が遺書を書いて居るところと、二つの新しい墓の繪があるだけ』であるとされ、『歌の文句は「一つとせー、評判名高き西京の今度開けし疏水にて、浮名を流す情死の話」と云ふやうな物であつた。しかし十吉と云ふ男の名も、若菊と云ふ女の名も、印刷者發行人の名まで變へてある』と述べておられる。

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