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2019/09/26

小泉八雲 蟲の硏究 蟻 一  (大谷正信訳)

 

[やぶちゃん注:本篇(原題“ANTS”)は明治三七(一九〇四)年四月にボストン及びニュー・ヨークの「ホートン・ミフリン社」(BOSTON AND NEW YORK HOUGHTON MIFFLIN COMPANY)から出版された、恐らく小泉八雲の著作の中で最も日本で愛されている作品集「怪談」(原題“KWAIDAN: Stories and Studies of Strange Things”。来日後の第十作品集)の最後に配された「蝶」・「蚊」・「蟻」三篇からなる第十八話“INSECT STUDIES”の作品集の掉尾となる第三番目の話である。なお、小泉八雲はこの年の九月二十六日に五十四歳で心臓発作により急逝した。

 同作品集はInternet Archive”のこちらで全篇視認でき(リンク・ページは挿絵と扉標題。以下に示した本篇はここから)、活字化されたものは“Project Gutenberg”のこちらで全篇が読める本篇はここ)。

 底本は上記英文サイトInternet Archive”のこちらにある画像データをPDFで落とし、視認した。これは第一書房が昭和一二(一九三七)年一月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第八巻全篇である。

 訳者大谷正信氏については、「小泉八雲 燒津にて 大谷正信譯」の私の冒頭注を参照されたい。

 傍点「ヽ」は太字に代えた。大谷氏は全体に「!」の後を空けていないが、特異的に挿入した。

 全七章と長いので、分割して示す。]

 

 

  

 

 

        

 

 今朝の空は、昨夜の嵐の後で、眩しい程眞つ靑である。空氣は、――その美妙な空氣! は――强風に吹き折られて散らばつて居る、無數の松の枝が放つ芳ばしい松脂の香に充ちて居る。近くの竹藪には、妙法蓮華の經を讚へる鳥の笛のやうな啼き聲がきこえ、大地は南風の爲めに甚だ靜かである。今や長い間手間取つた夏が實際遣(や)つて來て居る。珍らしい日本色彩の蝶が翔け𢌞つて居り、蟬がゼイゼイ鳴いて居り、蜂がブンブン唸つて居り、蚊が日の光に躍つて居り、そして蟻がいためられたその住み家を忙しく修繕して居る。……自分は不圖、或る日本の詩を思ひ出す。

[やぶちゃん注:「蚊が日の光に躍つて居り」これは前の「蚊」で小泉八雲が問題にした、吸血性で夜を好む「蚊」ではなく、正の走光性を持ち、昼間でも飛翔する、刺しもしない、「蚊」を大きくしたように見える双翅(ハエ)目糸角(カ)亜目ガガンボ下目ガガンボ上科ガガンボ科 Tipulidae のガガンボ類か、或いは、やはり刺さないカ下目ユスリカ上科ユスリカ科 Chironomidaeユスリカ類の「蚊柱」(一匹のユスリカの♀と多数の♂で作られる「群飛」)ではないか、特に後者ではないかと私は思う。

 

    行衞無き蟻の住家や五月雨  曉 臺

[やぶちゃん注:「曉臺」加藤暁台(きょうたい 享保元(一七三二)年~寛政四(一七九二)年)は尾張生まれ。本姓は岸上、名は周挙、通称は平兵衛、別号に他朗・買夜・暮雨巷(ぼうこう)など。武藤巴雀・白尼(はくに)父子に入門し、のち暮雨巷一門を起こした。蕉風復興を目指して天明中興俳諧の中心となり,「去来抄」などを翻刻した。この句、こちらの「曉臺句集 上」(PDF)の「夏之部」の「五月雨」のパートには、

 行方なき蟻のすまひや五月雨

の表記で載る。暁台の句は個人的に好きである。]

 

 だが、自分の庭に居るあの大きな黑蟻は、何等同情を要しさうに思へぬ。大きな樹木が根こぎにされ、家屋が粉な微塵に吹飛ばされ、道路が水に洗はれて無くなつたりする間に、彼等は想像も及ばぬ許りにその嵐に堪へて來て居る。でも、その颱風前に、その地下の都市の門戶を塞ぐだけで、何等眼に見える用心を彼等はしなかつた。そして今日彼等が意氣揚揚と働いて居る眺めは、蟻の題の隨筆を書くことを自分に强ひる。

 出來ればこの自分の論文の前書きに何か昔の日本文學から得來たつたものを――何か感情的な或は哲理的な物を置きたかつたのである。が、此題目に就いて自分の日本の友人達が見つけることの出來たものは――あまり價値の無い僅かの詩を除いて――凡て支那のものであつた。この支那の材料は主としていくつかの妙な物語から成つて居つた。處が、そのうちの一つは引用の價値があるやうに思へる。――他にいいものが無いから。

[やぶちゃん注:「――他にいいものが無いから。」訳では判らないが、原文はここは“— faute de mieux.”フランス語で「他にもっと良いものがないのだから・仕方なく・止む無く」で、英語にそのまま慣用語として採り入れられているフレーズである。]

 

 支那の臺州といふ國に信心深い或る男が居て、數年の間、每日熱心に或る女神を信心した。或る朝のこと、御祈禱をして居ると、黃色い著物を著けた美しい婦人がその部屋へ入つて來て、その男の前へ立つた。非常に驚いて、何が欲しいのか、どうして案内もされずに入つたのかとその男が訊ねた。その女の答へるには『私は女ではありません。私はあなたがあんなに長い間あんなに忠實(まめやか)に信心して下さる女神です。あなたの信心が無效では無かつたといふことを、あなたに證明をしに今來たのです。……あなたは蟻の言葉が分りますか』その信心者が答へるに『私は卑しい、もので、また無學な人間であります。――學者ではありません。優れた人達の言葉さへ、私はちつとも分りません』その言葉を聞くと女神は微笑して、その懷から香箱のやうな形をした小さな笛を取り出した。其箱を開けて、指をそれに浸して、膏のやうなものをそれから取り出して、それをその男の兩耳に塗つた。『さあ』とその女神がその男に『蟻を見付けなさい。そして見つかつたら、しやがんで、注意して、その談話を聰いて御覽なさい。解るでせうから。そして何かあなたの利益(ため)になることを御ききになるでせう……だが、一つよく記憶しておいでなさい、蟻を嚇したり又は困らせたりしてはいけません』かう云つて、その女神は姿を消した。

 その男は直ぐと蟻を探しに表へ出た。門口の閾をまたぐが早いか、その家の柱の一本を支へて居る石の上に蟻を二匹見つけた。彼はそれへ身體を屈めて、耳を欹てて[やぶちゃん注:「そばだてて」。]聰いた。そして、その談話(はなし)聲がきこえ、云ふことの意味が解るのに驚いた。『もつと暖かい處を見つけようぢや無いか』と二匹のうちの一匹が提儀した。『どうしてもつと暖かい處を』と片方が訊ねた、『此處がどうだと言ふのだ』『下(した)があまり濕つてて冷たい。大層な寳が此處に埋めてある。それで日が當つてもこのあたりの地面は暖たまらぬ』と口をきいた蟻が云つた。それからその二匹の蟻は連れ立つて他處へ行つたから、その話を聴いた男は鍬を取りに走つて行つた。

 その柱のあたりを掘つて見るといふと、やがてのこと、金貨の一杯入つてる大きな壺が幾つも見つかつた。この寳を發見したので、その男は非常な富有者(かねもち)になつた。

 その後、何度か蟻の會話を聽かうとして見た。然しもう二度とその談話を聞くことが出來なかつた。女神の膏塗りは、蟻の不思議な言語にたつた一日の間だけ耳を開けて吳れたのであつたから。

[やぶちゃん注:少し手こずったが、原拠を発見した。「四庫全書」の「説郛巻一百十七上」(陶宗儀撰)に、唐の傅亮(ふりょう)撰とする「霊応録」からとして以下が載っていた。

   *

   台州民

台州有民、姓王、常祭厠神。一日至其所見着黄女子。民問、「何許人。」。答云、「非人厠神也。感君敬我、今來相報。」。乃曰、「君聞螻蟻言否。」。民謝之、「非惟鄙人自古不聞此。」。遂懷中取小合子、以指少膏如口脂塗民右耳下、戒之曰、「或見蟻子、側耳聆之、必有所得。」良久而滅。民明日一見柱礎下羣蟻紛紜、憶其言乃聽之、果聞相語云、「移穴去暖處。」、傍有問之、「何故。」、云、「其下有寳甚寒、住不安。」。民伺蟻出訖、尋之獲白金十鋌卽。此後不更聞矣。

   *

「厠神」(便所の神)というのは小泉八雲が流石に避けたものらしい。]

 

 ところで自分は、この支那の信心者同樣に、甚だ無學な男であり、本來、蟻の會話を聽くことの出來ぬ男だと自白せざるを得ぬ。然し科學の仙女が時折、自分の耳と眼とを其杖で觸(さは)つて吳れる。すると一寸の間、きこえぬ事がかこえ、見えぬことが見えるのである。


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