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2019/09/03

小泉八雲 夢魔觸 (岡田哲蔵訳)

 

[やぶちゃん注:本篇(原題は“NIGHTMARE-TOUCH”(「夢魔の接触」)は一九〇〇(明治三三)年七月にボストンの「リトル・ブラウン社」(LITTLE,BROWN AND COMPANY)から出版された作品集“SHADOWINGS”(名詞「shadowing」には「影」以外には「人影」・「影法師」・「影を附けること」・「尾行」などの意味がある。本作品集の訳は概ね「影」が多いが、平井呈一氏は「明暗」と訳しておられ、私も漠然とした「影」よりも、作品群の持つ感性上の印象としてのグラデーションから「明暗」の方が相応しいと思う。来日後の第七作品集)の第一パート“STORIES FROM STRANGE BOOKS”・第二パート“JAPANESE STUDIES”(「日本に就いての研究」)の次の最終第三パート“FANTASIES”の第五話目に配された作品である。本作品集は“Internet Archive”のこちら(出版社及びクレジットの入った扉表紙を示した)で全篇視認できる(本篇はここから)。活字化されたものは“Project Gutenberg”のこちらで全篇が読める(本篇はここから)。

 底本は「小泉八雲全集」第六巻(大正一五(一九二六)年十一月第一書房刊)の岡田哲藏氏の訳を用いた。私は同巻を所持していないが、「グーグルブックス」の無料の電子書籍のこちらPDFでダウン・ロードし、その本文「381」ページ以降の「夢魔觸」(「むまぶれ」と読んでおく。本文に単独で出る「觸」も「シヨク」ではなく、私は「ふれ」と読みたい)を視認した。

 訳者岡田哲藏(明治二(一八六九)年~昭和二〇(一九四五)年:パブリック・ドメイン)は英文学者。現在の千葉県佐倉市出身、東京帝国大学文科大学哲学科選科卒。通訳官として明治三七(一九〇四)年の日露戦争に従軍、その後。陸軍大学校教官・青山学院・早稲田大学講師などを務めた。英詩文をよくし、最初の「万葉集」の英訳として有名な“Three Handred Manyo Poems”などの著書がある(以上は日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」に拠った)。

 原題にある“nightmare”(ナイトメア)は「悪夢」・「悪夢のような出来事・不快な人(物)」・「恐怖感」の他に、「夢魔」、昔、睡眠中の人を襲ったり、窒息させると信じられた想像上の魔物(睡眠中の女性を犯すとされる性魔を“incubus”(インキュバス/インクブス)、男性を犯すそれを“succubus”(サッキュバス/スクブス)と呼ぶ)」の意があり、私は「ナイトメア」というと、この最後の性魔を想起するのを常とするし、ここでも小泉八雲を襲っている物の怪にはそうしたニュアンスを深層心理的(特に進化論的夢生成の解釈)精神分析学的(特に前記とも親和性のすこぶる強いユングの集合的無意識説的ニュアンスである。但し、ユングが「集合的無意識」を唱えるのは本書の刊行より十年ほど後のことである)に私は強く嗅ぎつけている。

 傍点「ヽ」は太字に代えた。今回は註位置を守り、その代り、ブラウザの不具合を考えて、早めに改行を施してある。註はポイント落ちだが、以上の仕儀で本文と紛れる心配がないので、本文と同ポイントで示した。一部に歴史的仮名遣の誤りや活用形のおかしな部分があるが、今回は五月蠅くなるだけなので、ママ注記を附さなかった。なお、リーダが六点と三点で混在しているのもママで、無論、原本にこのようなドット数の変化なく、これは訳者岡田氏の癖であるようだ。

 それにしても、小泉八雲自身の実際の幼少期の心霊体験の実録であるこれは、一抹もホラーの作為を感じさせない、孤独なメンタルなハラスメントを受けてトラウマを持った少年パトリック・ラフカディオ・ハーン(Patrick Lafcadio Hearn)へ、真摯にして哀愁に満ちた自身が捧げた「詩賦」のように思えてならない。しかも、彼の夢魔解析には、当時のそうして現代の日本の霊異譚に対する非科学的にして恣意的で半ば以上が単なる思いつきの類いに等しい似非民俗学的考察のそれが微塵も影響を与えていない進化論的な民族の恐怖の記憶の遺伝(伝承)を仮説している点で、非常に貴重な一篇と言える。いや! 何よりこれは――恐るべき、噂話でも都市伝説でも、売らんかなの有象無象の確信犯の似非作家の垂れ流す創作、でもない、作者自身による作者自身が体験した――しかもそれが小泉八雲という人格に決定的に作用することとなった――正真正銘の怪奇体験の稀有の実録――でもあるのである。【2019年11月1日:追記】注を大幅に改稿・追加した。

 

 

   夢 魔 觸

 

       

 

 幽靈を信ずる人達のうちに存する幽靈の恐怖は何か?

 すべて恐怖は經驗の結果、――卽ち各人又は種族の經驗、――現在の生命か、または忘られた多くの生命の經驗の結果である。知られざるものの恐怖とても此外に起原がある筈が無い。そして幽靈の恐怖は過去の苦痛の產物で無ければならぬ。

 思ふに幽靈の恐怖も、幽靈の信仰と共に、夢から起こつたものらしい。それは獨得の恐怖で、他にそれほど强烈な恐怖なく、またそれほど漠然たるものもない。かく容積の大きくて暗い感情は槪ね超個人的のものである――卽ち遺傳された感情――死者の經驗によつて我々のうちに作らる〻感情。

 何の經驗?

 何故に幽靈が恐ろしいか、その理由を明白に記述したものを私は讀んだ覺えが無い。幽靈を恐れた記憶ある知人のうち、何れの有識者なりと十人を選んで、何故に恐ろしかつたかと問ひ、恐怖の裏面の空想を定義せんことを求めて見よ、唯だ一人でもよくその問に答ふるものあるや疑はしい。民俗學の文書や傳說はこの問題に何等の光明を投ぜぬ。もとより化物に引き裂かれた人の種々の談などもあるが、か〻る粗大な想像で幽靈の恐怖の特質を說明し得ぬ。それは身體に及ぼす暴行の恐れでは無い。それは理由ある恐れでさへ無い、容易く說明さるべき恐れでない、――もしそれが身體の危險の明白なる觀念に原因するものならば、その說明の出來ぬ筈は無い。その上に、原始的の幽靈は裂いたり喰つたりするものと想像され得るとしても、幽靈に關する一般の觀念は慥にそれが觸れられぬ、そして殆ど重量の無いものとなつて居る。

 

    註 こゝに注意すべきは多くの古い
    日本の物語や歌に、幽靈が人の首を
    引き拔く力を有つて居るとしてある
    ことである。然し幽靈の恐怖の起原
    に關する限りに於て、かゝる談は何
    物をも說明せぬ、――何故なれば恐
    怖を起こし來たつた經驗は想像的の
    ものでなくて、眞實のものでなけれ
    ばならぬから。

[やぶちゃん注:私は首を引き抜く怨霊の例を幾らでも挙げることが出来る。私のブログ・カテゴリ「怪奇談集」にも数多く登場する。今、それを掲げる気は毛頭ない。そもそもが小泉八雲自身にその凄絶な一篇があるからである。A Japanese Miscellany”(「日本雑録」:明治三四(一九〇一)年刊)に載るOF A PROMISE BROKEN”(私のサイト版原文)が何よりも凄愴なそれだからである。「小泉八雲 破約(田部隆次訳)」の他、私のサイトの私の古い電子化である「破られし約束」・小泉八雲原作・藪野直史現代語訳(別に縦書版も作製してある)もある。]

 

 こ〻に大膽に私は幽靈の共通的恐怖は幽靈に觸れられる恐れであると稱へて見る。別の言[やぶちゃん注:「いひ」と訓じておく。]では、想像せられた超自然者は主として、それが觸れる力ありと想像さる〻故に恐れられるのであるといふのである。念を押しておくが、觸れるだけである、殺傷するので無い。

 然しこのの恐れそれ自らも經驗の結果であらう、それは私は思ふに、子供の暗[やぶちゃん注:原文“darkness”。「やみ」と訓じておく。]を恐れると等しく、遺傳によつて個人の上に積まれた出生前の經驗の結果であらう。それで誰れが、嘗て幽靈に觸れられた感覺を持ち得たらうかと問はれるならば、答へは簡單てある、――夢に幻影に捉へられたものは誰れでも然りと。

 原始的恐怖、卽ち人類よりも古き恐怖の要素は疑ひも無く子供の暗の恐怖のうちに入つて居る。然しもつと明確な幽靈の恐怖は夢の苦痛の遺傳的結果から、卽ち夢魔の昔の經驗から成ることは誤り無い樣である。そして超自然的觸の直覺的恐怖はかくして進化論的に說明が出來る。

 

 これより若干の模範的經驗を談つて[やぶちゃん注:「かたつて」。]私の理論の說明を試みやう。

 

        

 

 凡そ五歲の頃、私は罰として或る孤立の室[やぶちゃん注:「へや」と訓じておく。]に獨りで眠らせられた、その後この室を坊やの部屋と呼んだ。(其共頃私は殆ど名を呼ばれずに、ただ坊やといはれて居た)その室は狹いが餘程高く、一つの丈高い窓があつたが甚だ暗かつた。そこに爐があつたが火を燃やしたことは無い、それで坊やは煙突に魔がさして居るのかと思つた。

[やぶちゃん注:ウィキの「小泉八雲」から引いておくと、一八五〇年、当時イギリス保護領(現在はギリシャ)であったレフカダ島で生まれた小泉八雲(当時はパトリック・ラフカディオ・ハーン Patrick Lafcadio Hearn。「ラフカディオ」が一般的にファースト・ネームのようにして知られているが、実際はミドル・ネームである。アイルランドの守護聖人聖パトリックにちなんだファースト・ネームは、ハーン自身がキリスト教嫌いであったことから、この名は敢えて使用しなかったとされている)は、翌年、『父の西インド転属のため、この年末より』、『母と通訳代わりの女中に伴われ、父の実家へ向かうべく出立。途中パリを経て』一八五二年八月、『両親とともに父の家があるダブリンに到着』し、ここに『移住し、幼少時代を同地で過ご』した。父チャールス・ブッシュ・ハーン(Charles Bush Hearnn 一八一八年~一八六六年:アイルランド人で英国陸軍軍医補)が『西インドに赴任中の』一八五四年(彼は僅か四歳であった)、『精神を病んだ母』ローザ・カシマティ(Rosa Antonia Cassimati 一八二三年~一八八二年)『がギリシアへ帰国し、間もなく離婚が成立。以後、ハーンは両親にはほとんど会うことなく、父方の大叔母サラ・ブレナン』Sarah Brenane『に厳格なカトリック文化の中で育てられた。この経験が原因で、少年時代のハーンはキリスト教嫌いになり、ケルト原教のドルイド教に傾倒するようになった』。その後、『フランスやイギリスのダラム大学の教育を受けた後』、一八六九年にアメリカに渡り、『得意のフランス語を活かし』、二十『代前半からジャーナリストとして頭角を』現わし『始め、文芸評論から事件報道まで』、『広範な著述で好評を博』した。その後、各地を遍歴、一八九〇年(明治二十三年)に来日することとなったのである。]

 坊やは暗を恐れるとの理由だけて、夜その室に燈を置かぬことに定められた。彼の暗の恐れは嚴重な手術を要する精神上の疾患と判斷された。然し手術は却て疾患を增した。以前には私は燈の明かるい室で、乳母に世話されて眠る習慣てあつた。それが暗の中に獨りで寢る宣告を受けて恐ろしくて死ぬかと思つた。そして非常に殘酷だとその時思つたのは、家中の最も忌まはしい、その私の室に實に閉めこまれて[やぶちゃん注:「しめこまれて」。]錠をおろされたことであつた。每晚私は溫かに牀に就かせられてランプは持ち去られ鍵の音たてて錠はおろされ、そして保護の燈火も保護者の跫音も共に退き去つた。すると恐怖の苦痛は私を襲ふて來た。暗い空中に何物かが集つて、それが大きくなる樣で――(その大きくなる音が聞こえさへすると私は思つた)――遂に私は叫び出した。叫ぶと屹度罰が來る、然しその時燈も來るので、それが罰以上に慰[やぶちゃん注:「なぐさめ」。]であつた。此事が遂に判かつたので、坊やが叫んでも何等構ふなといふ命令が發せられた。

 

 何故私は狂ふばかりに恐ろしかつたか、一面には私は暗にはいつも恐ろしい物の形が充ちて居ると思つたからである。跡に戾り得る限りの記憶をたどると、私は嫌な夢に惱んだ、そして夢が醒めると、私はいつも夢に見た物の形が室の影に潜んで居るのが見えると思つた。此等の形はぢきに消えた、然し數分間は手で觸れられる實在の樣に見えた。しかもそれ等はいつも同じ姿であつた。……時には先づ夢を見ることもなくして、私は黃昏時にその姿を見た、それが室から室へと私に附き纏ひ、または階上にゆくに連れて奧深い階級の中間からずつと長い黑い手を私の方に差し出した。

 私がこの執念の姿に就て苦情を云ふと、決してそれ等に談しかけてはならぬこと、またそれ等は存在しては居らぬのだといふことを聞かさる〻ばかりであつた。私は家中の皆に苦情を云つた。すると家中の皆が同じことを私に云つた。然し私の目の證據があつた。その證據を否定するには唯だ二の方法があるばかり、卽ち物の姿は大人を恐れて、私が幼弱であるので私にのみ現はれたのか、または全家の者が何か嫌な理由で一致して、私に眞實でないことを云ふのか、何れかでなければならぬ。この第二の考への方が私にはさもありさうに思はれた、何故なれば私は誰れも傍に居らぬ時に度々物の姿を見た、――それで後に祕密を裝ふて居ることが、幻覺そのものが驚かしたに劣らず、私を驚かした。何故私は軋る階段の上や、搖らぐカアテンの後ろで、見たり、聞いたりさへしたことを談つてはならないのだらう?

 「何も御前を痛めはしない」――この無慈悲な答を私が夜獨りで居ない樣に訴へる度每に聞かされた。然し執念の姿は實に私を痛めた。唯だ、私が眠つてしまつて彼等の力に身を委ぬる迄待つてからさうした、何となれば彼等は私を起きたり動いたり叫んだりさせぬ不思議な手段を有つて居たから。

 私獨りを黑い室の中に此等の恐怖と共に閉ぢ込める策に就ては註解するの要は無い。私はその室で云ふにいはれぬ苦悶をした――數年間。それ故終に子供の寄宿學校へやられた時比較的に幸を覺えた、そこには執念の姿が出てくることは極めて稀であつた。

 

 彼等は私の今迄見た誰れとも似て居らぬ。彼等は影の樣な黑衣の姿で、途方もなく自己の體を歪めることが出來、例へば天井迄延び上り更にそれを橫切り、それから反對側の壁に沿ひて身を長くして頭を下にする。彼等の顏のみが判然として居るが、私はその顏を眺め樣としなかつた。私は唯だ私の夢のうちに、自分の指で眼瞼を引張つて目を覺まして、それで彼等を見なくなる樣にしようとした、またはさうする積りだと思つた、然し眼瞼は封印された樣に閉ぢて開かなかつた。……多年の後、私がはじめて見た、オルフィラ譯者註の「墳墓發掘誌」といふ書の中の插畫が子供の時の夢の恐怖を惱ましい思ひで再び考へさせた。然し子供の經驗を了解するにはオルフィラの畫をずつと生かして想像し、それが斷えず延びたり歪んだりして、何か怪異な畸形を呈して居ると思はねばならぬ。

 

    譚者註 オルフィラはMatthieu Joseph
     Bonaventure Orfia1787――1583
    といひ、フランスの醫者及び化學者にて
    毒藥學、法醫學の名著などありといふ。

[やぶちゃん注:この岡田氏の訳注はかなり誤りや問題がある。まず、彼の名の綴りは“Mateu Josep Bonaventura Orfila i Rotger”(カタルーニャ語:マテウ・ジョセップ・ボナベンチュラ・オルフィラ・イ・ロトガー/英語名でも“Mathieu Joseph Bonaventure Orfila”でやはりこの綴りと異なる)が原表記であり、彼はもとスペイン生まれのスペイン人で、後の一八一八年にフランスに帰化したのである。言わずがなだが、没年も一八五三年の誤り(誤植であろう)である。彼は当時、毒殺事件に頻繁に用いられた砒素(Arsenic)の分析法を飛躍的に向上させ、所謂、法医学上の毒物検出同定法の基礎を作った人物である。

Traité des Exhumés」オルフィラが一八三〇年に発表した“Traité des exhumations juridiques”(原本をフランス語サイトのこちらで視認した。平井呈一氏は『墳墓発掘志』これは「法(医)学的な遺体発掘に関する論考」ほどの意味であろうと私は推測する)。恐らく、小泉八雲が見たのは同書の巻末に添えられたミイラ状に変質した遺体描画四葉(ページ進行ボタン(右中央の上から二つ目)で総て見られる)である。小泉八雲の気持ちになってご覧あれ!!!

 

 然し其等の夢魔の顏を見ることのみが坊やの部屋の最惡の經驗では無かつた。夢はいつもの疑念からはじまつた、卽ち空中に何か重いものが有る感覺、――それが徐ろに意志を抑へて、――徐ろに私の動く力を萎微[やぶちゃん注:「ゐび」。萎縮に同じい。]させる。か〻る時に私は通常、燈の無いの大きな室に獨り居た、そしてはじめの恐怖感覺と殆ど同時に、室の空氣が、天井への央ば[やぶちゃん注:「なかば」。]まで、微かに物が見えるほどの暗黃色の光に充たされる、ただし天井はまだ眞暗である。これは光の眞相ではなくて、寧ろ黑い空氣が下から變色しつ〻あると見えた。…暴風雨の晚に入日の或る恐ろしい光景が、これと似たる氣味惡るき色の効果を呈す事がある。…直ぐと私は逃げようとする、(一步每に徒涉する樣な感じをして)そして時には室を過(よぎ)つて半途迄踠き[やぶちゃん注:「もがき」。]行くだけは出來る、――然しそこで立往生させられる、何か名狀し難い抵抗に麻痺させられる。次の室には樂しさうな聲が聞こえる――戶の上の欄間を漏れる光を見る、戶まで行き着かうとするけれど適はぬ、――そして私が一聲高く叫べば救はれるのだと思つて居た。然し狂ふ許りに努力しても囁きより高い聲が出ない……そしてこれ等一切の事は無名のものが來ることを意味するのみ、それが近づく、階段を上る。跫音が聞こえる、――包み太鼓の音の樣に陰に響く、――何故外の人には聞こえぬか不思議だ。執念の者が來るに長い、長い時がかかる、――氣味惡るい足踏みの一つ一つ每に意地惡るさうに立ち停まる。それから、軌る音も無く、錠をおろした室の戶が開く、――遲く、遲く、――そして其物が入つて來る、音無く喋る、――それから手を差し出す――私を摑む――私を黑い天井に投げ上げる――落ちて來る私を捕へてまた投げ上げる、又も、又も。…か〻る瞬間の感情は恐怖でない、恐怖其ものは最初に摑まれたとき感覺を喪つてしまつた。それは語に名の無い[やぶちゃん注:「ことばになのない」と訓じておく。「人間の言葉では名状し得る言葉が存在しない」の意。]感覺であつた。觸れられる每に苦痛よりは無限に惡るい或る物の激動を伴なふた、――それは私の内面祕密の存在に戰慄を與へるものであつた、――忌まはしい電氣の一種で感性の全くよく知られぬ部分にいまだ想像されなかつた苦しみを受くる力を發見したのだ。……これは通常私を苦しめるものが一人であるときの業[やぶちゃん注:「わざ」。]であつた、私は又一群のものに捕へられて、殆ど數十分間も、其一人から一人へと投げ渡された事を覺えて居る。

[やぶちゃん注:『暴風雨の晚に入日の或る恐ろしい光景が、これと似たる氣味惡るき色の効果を呈す事がある。』意味は概ね想像はつくものの、日本語としてこなれておらず、正直、悪訳である。原文は“Certain terrible aspects of sunset, on the eve of storm, offer like effects of sinister color....”で、小泉八雲は――それはちょうど、明日はすぐに嵐がやってくるという前日の夕方の、異様な静けさ、ある種、名状し難い不吉なもの凄さを感じさせるところの、不思議に綺麗過ぎる夕焼けの空の色が、恐ろしい一面を持っているように――と言っているのだと判る。所持する平井呈一氏の訳(一九七五年恒文社刊「日本雑記 他」所収の「明暗」(作品集“SHADOWINGSの訳)の「夢魔の感触」)では、『‥‥嵐がやってくるという前の晩などに、よく凄いような夕焼空が、これと同じような不気味な色彩効果をもたらすことがあるが‥‥』と訳されてある。

「包み太鼓」原文“a muffled drum”。音を殺したくぐもったドラムの音。皮を何かで覆ったような太鼓の鈍い音。]

 

        三

 

 か〻る姿の想像は何から起こつたか。私は知らぬ。多分最も幼い時の恐れの印象から來たれるかとも思ふ、また私の生とは別の生の恐怖の或る經驗から來たれるかと考ふ。その神祕は永遠に解かれぬ。然し觸を恐るく神祕は一定の假說をゆるす。

 第一に私は、感覺そのものの經驗が「唯だの想像」だとして度外視されぬことに注意することを許されたい。想像は頭腦の活動を意味する、その快苦は共に神經の作用から分離し得ぬ、そしてその身體的重要性はその生理的努力によつて十分證明される。夢の恐怖は他の恐怖の如く、人を殺すこともある、それ程に强い感情を硏究の價無しと考ふるは無理である。

 この問題に於て考へらるべき一の著しき事實は、夢中に捕へらる〻感覺は通常の覺醒生活に於て慣れた一切の感覺と全然異るといふ事である。何故に此差[やぶちゃん注:「このさ」。]あるか。戰慄の非常な重々しいことと深いこととを如何に說明するか。

 私は既に、夢みる者の恐怖は多分關係的經驗の反影では無くて、祖先以來の夢の恐怖の數へ切れぬ總數を代表するものであることを暗示しておいた。若し活動的生活の經驗の總量が遺傳するものならば、睡眠の生活の經驗の總量もまた傳はらねばならぬ。そして正規の遺傳に於てこの兩者の遺傳の各種は別々に殘るらしい。

 さて、この假說を許すとして、夢に捕へらる〻感覺は夢の意識の最初の段階にその起原を有したのであらう、――それは人間の世に生まれしよりずつと以前であつたらう。思考と恐怖とをなし得る最初の動物は、その自然の敵に捕へられたことを度々夢みたに相違無い。これ等の原始的の夢には多くの苦痛の想像は有り得なかつた。然し其後の動物に於ける神經の高等なる發展は夢の苦痛をもつと大いに感受する樣になしたらう。更に後になると、理性の發達と共に超自然の觀念が夢の恐れの性質を變化し、且つ之を强めたであらう。更に進化の一切の過程を通じて、遺傳はか〻る感情の經驗を集積したであらう。宗敎的信念の反動を通じて發展した想像的苦痛の、これ等の形式の下に野蠻なる原始的恐怖が朧げに存續を固執したらう、そしてまた、この下に、もつと朧な、然し比較にならぬ程に深い昔の動物恐怖の深層が存續したのであらう。現代の子供の夢には此等の潜在が盡く刺戟を與へる、――層の下に他の層ありて、――測りがたく――夢魔の襲來とその生長と共に。

 或る特殊の夢魔の幻影は、それがその中に動く頭腦よりも古き歷史を有すといふことは或は疑はるかも知れぬ。然し觸の恐れは、影の如き捕捉に關する全人類の經驗と夢中に接觸するる點を示すと思はれる。自我の深奧――太陽の生命からの光がいまだ達せぬ深淵――は不思議に眠の中に攪き亂されるのかも知れぬ、そしてその暗黑の中より、百萬の年を以てすら數へがたき記憶の振動が直接に之に應答するのであらう。


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