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2019/10/23

小泉八雲 日本の病院に於て  (田部隆次訳) / 作品集「日本雑記」全電子化注~了

 

[やぶちゃん注:本篇(原題“In a Japanese Hospital ”(「日本の病院にて」))は一九〇一(明治三四)年十月にボストンの「リトル・ブラウン社」(LITTLE,BROWN AND COMPANY)から出版された作品集“A JAPANESE MISCELLANY”(「日本雑記」。来日後の第八作品集)の第一パート“Strange Stories”(「奇談」・全六話)・第二パート“Folklore Gleanings”(「民俗伝承拾遺集」・全三篇)に次ぎ、最後の三番目に配された“Studies Here and There”(「ここかしこに関わる研究」。底本では「隨筆ここかしこ」)の最終話第六話である(本篇を以って本作品集の本文は終わっている)。本作品集は“Internet Archive”のこちら(出版社及びクレジットの入ったページを示した)で全篇視認できる(本篇はここから)。活字化されたものは、整序されたものは見当たらない(同前の“Internet Archive”には本作品集のフル・テクスト・ヴァージョンはあるにはあるのであるが、OCRによる読み込みで、誤まり多く、美しくなく、読み難く、また、味気ない)。

 底本は英文サイトInternet Archive”のこちらにある、第一書房が昭和一一(一九三六)年十一月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第七巻の画像データをPDFで落として視認した。

 田部隆次(たなべりゅうじ 明治八(一八七五)年~昭和三二(一九五七)年)氏については先に電子化した「人形の墓」の私の冒頭注を参照されたい。

 傍点「ヽ」は太字に代えた。

 なお、底本の田部隆次氏の「あとがき」に、本篇は『二男の巖君が書生につれられて散步中、過つて怪我をしたので、ヘルンがつれて番町の木澤病院に赴いた時の話である。この時から木澤院長を信じて、子供の病氣でも、女中の病氣でも、自分の齒痛でも外科專門の木澤院長にかかるやうになつた。最後に心臟病で亡くなつた時も木澤』敏『院長にかかつたのであつた。『この人にかかつてなら死んでも遺憾ない』と云つてゐた』とある。また、瞥見した銭本健二氏が担当された小泉八雲の年譜(一九八八年恒文社刊「ラフカディオ・ハーン著作集 第十五巻」所収)によれば、この事故は明治三二(一八九九)年十二月四日のことで、富久町内の崖から落ちて腕を挫いたとも、乳母車から転落して肩甲骨脱臼したともされるとある。

 

 

   日本の病院に於て

 

 

       

 

 ……その晚の最終の患者が、――未だ四つにはならない男の兒が、――看護婦や外科醫達に微笑とやさしいちやほやで迎へられたのだが、それには彼は少しも應じない。……彼は恐れ、且つ、怒つて居る――殊に怒つて居る――今夜こんな病院に來たので。誰か無分別な人が、芝居に連れて行くのだと云つて聞かせた、――彼は途中、嬉しさの餘り、腕の痛みも忘れて歌を歌つた、――ところでここは芝居ではない。ここには醫者が居る――人に痛い事とする醫者が居る。……彼はびくびくしないで、裸にされて、診察を受けた、しかし電燈の下の、何だか低い臺の上で、橫にならねばならないと云はれ時に、彼は甚だ烈しく『いや――』と叫ぶ。……彼の祖先から遺傳した經驗は、敵らしい者の面前に橫になる事は宜しくない事を彼に敎へて居る、それから同じ遺傳の智慧によつて、その外科醫の微笑は欺く目的である事を判じた。……『この臺の上はようございますよ』――すかすやうに若い看護婦は云ふ、――『綺麗な赤いきれを御覽なさい』『いや――』とこの小さい人はくりかへす――こんな風に美的情操に訴へられたのでただ益〻警戒するやうになつたのである。……そこで彼等は――外科醫が二人、看護婦が二人、――手をかけて、巧みに彼を抱き上げて、――赤いきれのかかつて居る臺のところへもつて行く。そこで彼は彼の小さい戰の叫びをあげる、――彼に戰士の祖先の血が流れて居る、――そして腕に怪我をして居るにも拘らず、最も勇敢に戰つて、一同を驚かせる。しかし、見よ、一枚の白いぬれたきれが、彼の眼と口にかかる、――彼は叫ぶ事ができない、――それから鼻腔のあたりには妙に氣もちのよい香がする、――そして人の聲や電燈の光は遠く、ずつと遠くへ浮んで行つた、――そして彼は沈んで、沈んで、波のやうな暗がりへ沈んで行く。……小さな手足は力がなくなる、――この痲藥の力に反對しようと肺が戰ふために、しばらく胸が速く上る、それから一切の運動が止まる。……そこできれが除かれる、顏は再び現れる――怒りと苦痛はそこから悉く消えて居る。そのやうに、死人の眠りを見守つて居る小さい佛達が微笑して居る。……手早く折れた骨の兩端はことんと合された、―-繃帶と脫脂綿とギブス、それから又繃帯は熟練な手によつて速かに施された、――顏や小さい手は海綿で洗はれた。それから未だ知覺のない患者は毛布に包まれて、そこから連れ出された。……入場から退場までの間、十二分半。

 

 始めて見られた物としては一つも平凡な物はない、そしてその出來事の眞に苦痛のない詳細事――その叫びの壓抑、意志の突然の痲痺、それからあとその小さい顏の蒼白なる靜穩――は陰暗な風に想像を動かすやうに、悲劇らしく見えた。……毒刄の一擊は、沈默と微笑の眠りとの全く同じ結果を生じたであらう。過去の救へきれぬ時代に於て、數へきれぬ程度々それと同じ事が行はれたに相違ない、――數へきれぬ程度々、激情に驅られた人が、倒れた人の突然の激情の去つたあとの美を見て、その行爲の永久の結果を認めたに相違ない。……『天の盡(つく)るまで目覺めず睡眠(ねむり)をもさまさざるなり』『天の盡るまで』譯者註――しかしそのあとは。その以後は――或は。しかし決して同一ではない。……

譯者註 約百紀十四章十二節

[やぶちゃん注:「譯者註」は最後に字下げポイント落ちで附されてあるが、ここへ移動した。「約百紀」(「紀」はママ)は「ヨブき」と読む。私が唯一旧約聖書の中で偏愛するものである。]

 しかし私はその個性、自我の不意の停止によつては感動よりはむしろ驚愕した、――それによつて現れた神祕のためである。一瞬時に、――或藥品の吸入のために、――聲、運動、意志、思想、凡ての快樂苦痛及び記憶が存在しなくなる。蕾のやうな感覺の全生命、――無數の年代からの或は貴い遺傳を有せる小さい頭腦のかよわい機關、――は正しく死に觸れられたやうに、窒息して止まつたのである。そしてそこに殘つた物は、どこ見ても、ただの形、見せかけの物、――偶像のかすかな無意識の微笑をもつた彫塑的肉體の人形である。…

[やぶちゃん注:最後の三点リーダはママ。後にも出るのでママとした。]

 

 路傍、或は墓石の上に夢みる小さい石佛の顏は、日本の子供の柔かな魅力を有して居る。それは眠つた子供の顏に似て居る、――そして讀者は、日本の子供の寢顏を見て、淸澄な容貌の不思議な美、――眼蓋と唇の線の朧ろにやさしいところ、――を理解したに相違ない。佛師の技術に於て、その神々しい平和な容貌は、眠れる子供を美しくして居るその影のやうな微笑から暗示されたのである。

 

 

       

 

 偶像の記憶は、當然偶像がただ象徵するその力を想ひ出させた、そしてやがて私は、神の眼から見れば、人間の一生の全行路は、私が今目擊した事件と餘程似て居るやうに考へた、――來る、叫ぶ、もがく、それから死の痲藥のために急に人性が消える。(私は宇宙大の神霊について云つて居るのではない、その神靈から見れば、太陽の燃え出して消滅するまでの間は、夜の螢の光ほど程短かく見えるだらう、私はただ擬人の神を意味するのである)――ハーバート・スペンサーに隨へば、小さい蚊の意識は、一秒の一萬分の一から一萬五千分の一までの間の時間を識別する事ができる。蚊と人間の割合程、人間よりも精神的に優れた生類に取つては、一時代もただ一瞬時に見えないだらうか。こんな生類に取つては、人類の存在は、發芽と凋落、――速かにしてたえざる出現と消滅の連續、――冷却して行く行星[やぶちゃん注:「かうせい(こうせい)」。惑星の異称。]の表面に固有なる醱酵の單なる現象、――としての外は、苟くも認められる事があるだらうか。勿論、私供が顯微鏡の下で醱酵を硏究するやうに、この優れた生類が多少その現象を詳細に硏究するとすれば、小兒の笑が直ちに髑髏の笑と變るとは見ないだらう、――しかし、私は想像するに、最初の薔薇色の筋肉の微笑と、最後の骨の不景氣な笑との間に、心理學的にどんな事が起るとしても、それは私共に取つて一秒間に蚊の翼が一萬囘もしくは一萬五千囘振動するのが識別できないと同じやうに、その優れた生類に取つて識別できないだらう。宇宙の神、或はただ一つの世界の神、或はただ一つの世界の神でも、私共が小さい一滴の腐敗した水の中に動いて居る生命に同情する以上に、私共の情緖に同情ができるかどうかを私は疑ふ。…

[やぶちゃん注:「薔薇色」は底本では「薇薔色」である。一般的な語順に特異的に代えた。

「ハーバート・スペンサー」小泉八雲が心酔するイギリスの哲学者で社会学の創始者の一人としても知られるハーバート・スペンサー(Herbert Spencer 一八二〇年~一九〇三年)。私の『小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第十五章 狐 (一五)』の私の注を参照されたい。私がこのブログ・カテゴリ「小泉八雲」で完遂した「神國日本」(戸川明三訳。原題は“Japan: An Attempt at Interpretation”(「日本――一つの試論」)。英文原本は小泉八雲の没した明治三七(一九〇四)年九月二十六日(満五十四歳)の同九月にニュー・ヨークのマクミラン社(THE MACMILLAN COMPANY)から刊行された)もスペンサーの思想哲学の強い影響を受けたものである。]

 

 しかし、再び土に朽ちて歸る前に、ただ一瞬時明るいところで泣いて笑ふために、土から出て來るやうに思はれるこの人間は、神の眼から見て何であらう。一億年の間に、何か形のない一點の原始的粘泥から進化して來た形である。しかし、こんな風に進化して來た事を知つてゐても、少しも人生の祕密その物、――その數百萬世紀の間、破壞に反抗して戰つた意識の祕密、――死滅に抵抗しようとして、愈々益〻驚くべき複雜なる本質、愈々益〻さらに驚くべき複雜なる心意を工夫して造り上げ、――そしてたうとう、最初の一瞬時の期限から、百年の人間の生命が可能になるまで、その生命の期間を延ばす事ができた――その祕密を說明してゐない。意識は謎のうちの謎である。思想は感覺の複合であると說明されて居る。しかし知覺し得べき最も簡單なる感覺も、それ自身複合の複合或は結果である、――或る融合のおどろき、――混淆のひらめきである、――そして生命の神祕は依然として謎のうちの最も不可解な、最も恐ろしい、最も凄まじい物である。

 

 その神祕の恐怖から、私共の祖先はつぎのやうな恐ろしい命令を發して、彼等の世界を救はうとした、――『劒と火の苦痛を受けぬやう、――永久の死の危險を冒かさぬやう、――汝は考ふる事勿れ

 しかし東洋のもつと古い智慧は宣言した、

 『下界の子よ汝に生を與へし海について考ふる事を恐るる事勿れ汝が生れ出でて汝が再び融けて歸るべき混沌を見て汝は汝の實在は無窮にして又永久に一なる事を知れ。……』

 

[やぶちゃん注:最後の二つの引用元は私は不詳。識者の御教授を乞うものである。]

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