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2019/10/30

小泉八雲 群集の神秘  (岡田哲蔵訳)


[やぶちゃん注:本篇(原題“A Mystery of Crowds”)は一九〇〇(明治三三)年七月にボストンの「リトル・ブラウン社」(LITTLE,BROWN AND COMPANY)から出版された作品集“SHADOWINGS”(名詞「shadowing」には「影」以外には「人影」・「影法師」・「影を附けること」・「尾行」などの意味がある。本作品集の訳は概ね「影」が多いが、平井呈一氏は「明暗」と訳しておられ、私も漠然とした「影」よりも、作品群の持つ感性上の印象としてのグラデーションから「明暗」の方が相応しいと思う。来日後の第七作品集)の第一パート“STORIES FROM STRANGE BOOKS”・第二パート“JAPANESE STUDIES”(「日本に就いての研究」)の次の最終第三パート“FANTASIES”の二話目に配された作品である。本作品集は“Internet Archive”のこちら(出版社及びクレジットの入った扉表紙を示した)で全篇視認できる(本篇はここから)。活字化されたものは“Project Gutenberg”のこちらで全篇が読める(本篇はここから)。

 底本は英文サイト“Internet Archive”のこちらにある、第一書房が昭和一一(一九三六)年十一月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第七巻の画像データをPDFで落として視認した。

 訳者岡田哲藏氏については先行する「小泉八雲 夜光蟲(岡田哲蔵訳)」の私の冒頭注を参照されたい。

 傍点「○」(これのみ)は太字に代えた。]

 

 

   群集の神祕

 

 楯の欄干に倚り下の流の皺や靨[やぶちゃん注:「えくぼ」。水面の潮流の干渉で生じた窪んだ部分。]を眺めたことのある人は、其水は瞬間每に變はりながら微動する表面の姿はいつも變らぬことに心惹かれなかつたものは無からう。此光景の神祕に魅力がある、そしてそれを考究する價がある。それ等の振動する型は我々の存在の謎の象徴である。我々のうちに於ても物質は絕えず無限の流と過ぎて變はりゆく、然るに形は、常に種々内に椙鬩ぐ[やぶちゃん注:「あひせめぐ」。]力に激せられながら、多年に亘りそのま〻に殘る。

 また或る大都の街路に注ぎては脈搏つ人間の流を觀て誰れか同じく魅せられぬものがあらう。これもまたその流と反流と渦卷を有つ、――それらは都の勞作の海のさす潮と引く潮とにより或は强く或は弱くなる。然し我々にとつてより大なる光景の引力は實は運動の神祕ではなくて、寧ろ人間の神祕である。外面の觀察者としては我々は主として過ぎ行く形や顏に――それ等が人格を暗示し、それらが同情または反感を思はせることに感興を有つ。まもなく我々は一般の流を思はなくなる。何故ならば人間の流の原子は我々の目に見え、我々は彼等の步むを見、彼等の運動は我々自らの步行の經驗で十分說明せらると考へる。然るに目に見ゆる個人の運動は、いつも見えぬ水の分子のそれより一層神祕である。――私は運動の一切の形式はつまり不可解であることは忘れて居らぬ、私はただ意志に賴ると想像されて居る運動に就ての我々の普通の關係的知識は、水流の原子の行動に關して我々の有ち得る關係的知識よりも、もつと少いといふ事實に言及して居るだけである。

 

 大都會に往んだ人は誰れでも、人通りの多い大通を過ぐる人間の流を調節する運動の或る法則の有ることに氣がついて居る、(我々は日前の目的の爲めには、馬蹄や車輪の音喧しき[やぶちゃん注:「かまびすしき」或は「やかましき」。]、生命ある川の複雜な中流に就て考へなくともよい、私は唯だ側方の流に就てのみ談らうとする)そのどちらかの步道にて、群集は自然に上りと下りの二つの流に別かれる。一方に行く人々は右側を通り、他方に行く人々は左側を通る。此等二つの流の何れかと共に動けば速かに進めるが、我々はそれに反對しては行かれぬ、唯だ醉漢や狂人のみがそんなことをする。二つの流の間には、壓力の理によつて、個人が互に左に右に斷えず自己俳除を行つて居る。かく讓り且つ逸れる樣は、二重の流を畫くときに上りと下りとの電光形の中間線で示されやう。この不斷の讓步がありてこそ進行は可能になる、それが無くては相反する兩流が忽ち側面の壓力の爲めに互に立ち止まりになる。然しこの系統的な自己排除が硏究の價あるところは街の角に於ての如く二つの群集の流が相互に交錯する點である。誰れでもこの現象を認めるが、それに就て考へる人は少い。誰れなりと本氣に之を考へる人は其處に神祕の存することを見出すであらう、――それは如何なる個人の經驗も十分には說明し得ぬ神祕。

 

 大都會の人の群れる街路の何れにても、幾千の人々が互に擦れ違ふ爲めに左に右に斷えずわきに寄る。か〻る群中、二人の人間が反對方向から向かひ合つて來るとき次の三の場合の何れかが起こる、――卽ち、相互に讓るか、一人が他の爲めに讓るか、または兩方とも調和するつもりで同時に同方向に步み出で、その誤を改めるとてまた直ぐ誤を反覆し、互に人を遮りつづけて、そのうちに其愚を悟つた方が立ち留まるか、または稍〻激昂した方が相手を一方に押し退ける。然しか〻る誤は比較的に少く、槪して必要な讓步が速かに正しく行はれる。

 勿論すべて此の自己排除を調節する或る一般法則がなければならぬ、――それは最小抵抗の方向に於ける運動の普汎の法則と一致する法則である。我々はこの事を覺るには何れの人の群れる街路でも半時間も注目せば足る。然し法則はさう容易に見出されまたは形造られぬ、この現象には種々の謎がある。

 

 我々が群集運動を嚴密に硏究すれば、相逢うて一人が道を讓る場合は、二人共に道を讓る場合よる場合より餘程少いことを認めるであらう。然し少し反省すると、相互讓步の場合でも一人の方が必らず相手より早く讓るに相違ない、――但し聳動[やぶちゃん注:「しようどう(しょうどう)」。驚かし動揺させること。また、恐れ動揺すること。]表現の時の差は――屢〻然る如く――全く判からぬ程であらう。蓋し身體上及び精神上の性格の總量は二人の人間に於て精密に同一であり得ぬからである。如何なる二人も知覺と意志の能力が全く同じであることはない、また精神上及び身體上の活動に現はる〻經驗の性質が全く同じであることも無い。故に一見すれば相互讓步と見ゆる場合にも、讓步は實は連續的であつて同時では無い。こ〻に『個人方程式』と呼ばる〻事が、相互讓步のあらゆる場合に一人は必らず他人よりさきに讓ることを證明するとも、それで讓步が相互的で無い場合の個人の聳動の神祕を毫も說明せぬ、我々は或る時は自分に向つて來る人に讓步させ、また他の時には此方で讓步せねばならなくなるのは何故なるかをそれは說明せぬ。この感情の起原は何か。

[やぶちゃん注:「個人方程式」これは原文では“the "personal equation"”で、これは現行では一般的には個人差(個人誤差)と訳される。平井呈一氏は恒文社版(一九七五年刊)の本篇の訳「人ごみの神秘」のここでは、『かりに「個人方程式」と名づけるものがあったとしたら、相互譲歩のあらゆる場合に、一方がかならず相手よりも先に譲歩することが立証されるかもしれない。』と訳しておられる。しかし、小学館「日本大百科全書」の「個人差」の中に「個人差研究の歴史」があり、そこには『その科学的研究は19世紀から始まった。天文学者F・W・ベッセルは1816年にグリニジ天文台の観測記録を調べているうち、1796年に同天文台助手の1人が観測の時間誤差が大きい(およそ0.8秒)ために解雇されるという事件に気づいた。この事実を研究した結果、観測者ごとに恒常的な誤差があることを発見し、個人差を表す式を』「個人方程式」と名付けた、とあるのである。『その後、F・ゴルトンは、遺伝研究のために身体的・精神的諸特性の計測法を考案した。さらにJ・M・キャッテルは1890年に個人差測定の方法を心理検査(メンタルテスト)と名づけた。さらに1905年にA・ビネーが知能検査を作成して以来、知能、適性、学力、興味、人格など』、『各種の心理検査が作成されるようになった。また、個人差とその要因を研究する差異心理学はW・シュテルンによって1900年、11年、21年に体系化された』とあった。従って、これは決して批判的な比喩で小泉八雲が勝手に造語したものではないということが判った。]

 曾て一人の友が此問題をば、街路の群中、相逢ふ各〻の二人間に眼の決鬪が行はれるといふ巧妙な說で解決せんと試みた。然し彼の說は千のか〻る場合のうち五六の場合の心理的事實を說明するにも足らぬと思ふ。濃厚な群中相互に急ぎ合ふ人々の大多數は人の顏を見ることは稀である、唯だ無關心の閑人[やぶちゃん注:「ひまじん」。]のみがそんなことをする時を有つて居る。幾百の人が實際眼を路面に注いで街路を過ぎて行く。要するに急いで行く人は容貌を瞬時に見て、それによつて行動する樣なことは無い、――彼れは通常彼れ自らの思ひに沈んで居る。……私は自己の場合を反覆して硏究した。群中にあつて私は人の顏を見ることは稀で、それで何等の意識的觀察なくして、私は何時道を讓るべきか、また何時我に向かひ來る人が道を讓つてくれるかを知ることが出來る。私の知識はたしかに直覺的である――唯だの感情の知識である、そして私は、あの盲目的能力、それによつて眞の暗の中で、人が未だ手を觸れずして巨きな物の近接するを知る能力以外、それと比較すべきものを知らぬ。私の直覺は殆ど誤る事は無い。若し私が之に從ふことを躊躇すれば必らず衝突の結果を來たす。

 更に、私の自動的または少くとも半意識的行動が理性的行爲に變はる時、――もつと明らかに云へば、何時でも私が自分の運動を考へ始めるときは、必らず間違ひをする。何か外の事を考へて居るときのみ、――私が殆ど自動的に行動して居るときのみ、私は群衆の中を容易に縫つて行かれる。實際、私一個の經驗によれば濃厚な群衆の中を迅速に、且つ安全に通らせるのは、全く意識的觀察によらず、ただ理性的ならぬ直覺的知覺に由ることを悟る。然るに何れの直覺的行爲も遺傳的知識、卽ち過去の生命の經驗を代表するものであるが、此場合にはそれが無數の過去の生命の經驗である。

 全然數へられぬ程……何故私はさう考へるか、それは群中に自己を直覺的に指導する此能力は人間とずつと劣等の動物と共通のものであるので、それが人間よりも極めて古き能力でなければならぬ進化的の證據である。牛や鹿や羊の群は相互讓步の同一現象を我々に示すではないか。また鳥の群、特に群居性の鳥、烏や雀や、野鳩もさうではないか。また魚の群も、蜂、蟻、白蟻の樣な蟲の中に於てすら我々は直覺的自己排除の同一法則を學び得る。讓步は何れの場合にも想像もされぬ程に古い遺傳の經驗を尙ほ代表するに相違ない。か〻る遺傳の全過程の跡をたどる事が出來れば、我々は此地球上の感覺ある生命の最初に溯るにとどまらず、尚ほ遙かに、無感覺物質の歷史にまでも、更に元素の原子中に蓄へらる〻神祕傾向の原始的進化までも戾らねばなるまい。か〻る原子は多數抵抗の點として、不可解の力の不可解な組み合はせとしてのみ我々は知る。原子の諸傾向すら疑も無く遺傳の集積を示す――然しここに至れば無限の謎の永遠の障壁に突き當たつて思考は停止する。

 

[やぶちゃん注:非常に面白い考察である。私は小泉八雲のそれがある意味で遺伝子のレベルで伝えられている原型理論、生物は遺伝子のヴィークル(乗り物)に過ぎないという現在の遺伝子生物学の核心にさえ通底するもののように読めるのである。因みに、精神分析学でユングが「集合的無意識」を主張するのは、本書の刊行より十年ほど後のことである。恐らく小泉八雲が今に生きていたなら、怪しげなユングの対人間に仮定される仮説などよりも、遙かに、最先端の過激な分子生物学の方にこそシンパシーを寄せる気がしてならないのである。]

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