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2019/10/19

小泉八雲 日本の子供の歌  (大谷正信訳) 三(「種々な遊戯歌」)

 

[やぶちゃん注:本篇については、『小泉八雲 日本の子供の歌  (大谷正信訳) 序・一(「天気と天象との歌」)』を参照されたい。]

 

       

 

      種々な遊戲歌

 

 遊戲歌は――戶外或は戶内の種々な遊戲と共にうたふ歌は――その數頗る多い。自分が蒐めたものだけでも二百以上を含んで居る。物語の體(てい)のもあり、問答になつて居るのもある。佛蘭西人が『かぞへうた(シヤンソン・ニヌメラテイフ)』若しくは『循環うた(ランドンネイ)』と呼んで居るあの部類に類するのもある。分類の不可能なのも少しある。そして最も顯著なものの中に頗る奇怪なのがあつて――西洋の子供がうたふどんな物とも全く類を異にして居るから――澤山の註釋の助を藉りても、日本人の生活を知つて居られぬ讀者には、了解が出來なからうと思ふほどである。が、次に記載する一聯の見本は乙の範疇(カテゴリ)に屬する子供歌の珍妙さと多方面とを示して餘あることと思ふ。

[やぶちゃん注:「かぞへうた(シヤンソン・ニヌメラテイフ)」原文“chanson énumérative”。音写するなら「エニメルティーヴ」(私は一応、大学では第一外国語をフランス語でとった。もうすっかり忘れたが)。男性形では「énumératif」、小泉八雲の示したのは女性形。「chanson」が女性名詞だからである。意味は「列挙された」という形容詞である。

「循環うた(ランドンネイ)」原文(chanson)“randonnée”。音写するなら「ルンドネエ」で、原義は「狩り立てられた獲物がぐるぐると逃げ回ること・小旅行・遠出・遠乗り」の意の名詞である。ここは一種のエンドレスに循環する唄の謂いであろう。]

 

泣き蟲、毛蟲!

はさんで棄てろ! (泣く子に向つて歌ふ)

 

附記 百足蟲、毛蟲その他の不快な訪客は日本では鐡のチヨプ・ステッキか火箸で棄てる。

[やぶちゃん注:「チヨプ・ステッキ」原文は“chop-sticks”だから、「チョップ・ティック」で「鉄製の箸」である。但し、「ステッキ」は英語では「stick」であるから、問題ない。いやいや、咬まれたり、刺されたりするのは勘弁だから、尖端と距離のある「鉄製のゴミばさみ」の方がいいと思うよ。]

 

歸(い)のる、いのる!

いながさきに鬼(おに)が居る!

あと見りや蛇(じや)が居る! (家を出るのを恐がる子に向つて歌ふ)

[やぶちゃん注:「いのる」これは「去(い)ぬる」の訛りで、古語の「来る」「行く」の意。]

 

蓮華の花開(ひい)らいた!

ひいらいた、ひいらいた!

ひいらいたと思つたら、

やつとこさとつぼんだ! (踊歌)

 

附記 この蓮華の歌は、皆手かつないで、内側へ向いて圓を卽ち踊の環を造つて居る一組の子供が歌ふ。歌が始まるとその圓が次第に擴かる。が、「ヤツトコサ」といふ言葉で、みんな一緖に走り込んで、同時に手を引つぱつてその環を閉づる。

 

梅干さえといふ人は、

足から顏まで皺よつて、

        皺よつて、

あれは酸い、これは酸い、

        すい、すい、すい! (遊戲歌)

 

チンカン、チンカラ、鍛冶屋の子、

裸で飛び出す風呂屋の子…… (遊戲歌)

 

附記 いろんな商賣の名をあげての或る「數へ歌」の斷片のやうである。

 

鍛冶どん、かぢどん、

火一つごしやれ!

火は無い無いや!

あの山越えて。

この山越えて、

火は此處ここに在る! (遊戲歌)

 

附記 この歌は或る器用なそしてむつかしい指の遊びに伴なふて歌ふ。英國の「ダンス・サムキン・ダンス!」の子供遊に全然似ないでも無いが、もつと込み入つて居る。兩手を使ふ。

[やぶちゃん注:「ダンス・サムキン・ダンス!」“Dance, Thumbkin, dance!”(「踊って、親指さん、踊って!」)。サイト「うたまっぷ.com」のこちらで英文と訳(全ひらがな)が載り、あかり氏のブログ「英語はともだち、むずかしくないよ!あかりんの英語子育てブログ」のこちらを見るに、指(指人形)遊びであることが判る。You Tube のVarious Artists - Topic氏の「DANCE THUMBKIN DANCE(えいごであそぼ)」で歌が聴ける。平井呈一氏は恒文社版の「日本のわらべ歌」のこの唄の後に訳注を附され、小泉八雲の採録したこの唄の指遊びについて、『よくわからないが、両手の指を逆に組みあわせ、上に出した親指と人さし指で相手の指を強く押し締めて、「ぬるいか、熱いか」といって遊ぶ指遊びがある。あれに似たものではないかと思う』と記しておられる。検索したところ、サイト「ASOPPA!」のこちらに「手あそび歌あそび」として「あついかな ぬるいかな」が図解されて説明されているが、平井氏の言っているものとは異なり、一人遊びである。]

 

中(なか)の、中の小佛は

なぜまたがゞんだ?

親の日に蝦たべて、

それでまたかゞんだ!  (踊歌)

 

附記 親の命日と盆とには善良な佛敎信者は魚はどんな魚も食はぬ。

 

なはりなはりの小佛は

なぜ丈(せ)が低い?

親の日に魚(とと)食つて、

それで丈(せ)が低いそな! (前のと同種)

[やぶちゃん注:平凡社「世界大百科事典」の「回りの小仏」に(コンマを読点に代えた)、『日本の伝統遊戯の一つ。〈まわりまわりのこぼとけ〉〈なかのなかのこぼとけ〉〈なかのなかのじぞうさん〉、あるいは単に〈こぼとけ〉ともいう。〈かごめかごめ〉と同様の遊びで、子どもたちが手をつないで輪をつくり、その輪の中に目隠しをした小仏(地蔵あるいは小坊とも)が』、一人、入って、『まわりを子どもたちがはやしことばを歌いながらめぐり、歌が終わってかがんだところを小仏がその』一『人をつかまえ』、『名を当て、当てられたものが小仏となる。はやしことばは地方によって違いがあるが、東京地方では〈まわりまわりの小仏はなぜせいがひくい、親の日にとと食ってまま食って、それでせいがひくいな、うしろにいるものだあれ〉とはやす。元来は小仏のほうも〈線香、抹香』『、花抹香、しきみの花でおさまった〉といいながら』、『任意のところから外の人を数え、その最後の者が次に中に入って小仏となった。肉親の忌日には精進』『せよとのいましめの意味を含むものと思われ』宝暦一〇(一七六〇)年の『土御門泰邦の』「東行説話」では、『転輪蔵(一切経をおさめる回転式書架)を』一『回転すれば』、『経文を読んだことに相当する功徳(くどく)があるという故事に起源するという』とある。You Tube のfurusatomonogatari氏の「中の中の小仏は」小泉八雲の示した「蝦」で歌っている。また、柳田國男の「こども風土記」(昭和一七(一九四二)年朝日新聞社刊)の「中の中の小仏」と、続く「地蔵あそび」に以下のようにある(「ちくま文庫」版全集第二十三巻(一九九〇年刊)に拠った)。

   *

   中の中の小仏

 西洋の子どもの中にも、まだ幾種かの当てもの遊び(Guessing Games)[やぶちゃん注:「当てっこ(推理)遊び」。]が残っていることは、こういうことを書いた本によくいうが、あちらではもうその起りを説明することができなくなっている。日本ならそれが簡単にわかるのである。

 子供が手を繋いで輪になって、ぐるぐる廻る遊び、全国どこにもある「中の中の小仏(こぼとけ)」というものなどは、鹿の角を幾分か複雑にして、たくさんの児が一緒に楽しめるようにしただけで、やはり問答が中心であった。六十年も前に私などが唱となえていた詞(ことば)は、

   中の中の小坊さん なァぜに背が低い

   親の逮夜(たいや)にとゝ食くうて それで背が低い

[やぶちゃん注:「逮夜」は「大夜」などとも書き、本来は葬儀の前夜を指したが、現在では、年忌などの前夜のことを言う。ここは両義で採るべきであろう。]

というのであったが、この文句は皆さんの覚えておられるのと、多分は大同小異であろう。あるいは魚の代りに「海老(えび)食うて」という者もあるようだが、いずれにしたところで父母の命日に、そんな物を食べる人は昔は一人もいなかった。それがおかしいので何遍も何遍も、同じ歌ばかりをくり返していたけれども、大阪でも東京でも、そのあとに添えて、

   うしろにいる者だァれ

または「うしろの正面だァれ」といって、その児の名を当てさせるものが多かった。或いは目隠しをさせ、もしくは顔を両手で掩(おお)わせて、正面に踞(しゃが)んだ児を誰さんと、いわせることにしていたかとも思われる。鹿児島県の田舎などでは、それでこの遊戯をマメエダレとも呼んでいた。マメエダレはすなわち真前誰[やぶちゃん注:「ま(ん)まえだれ」。]である。

 遊びは後に少しずつ改良せられている。中の小坊の手にお盆を持たせて、誰それさん御茶あがれと言わせたり、または一つ一つ手を繫いだところを探って、ここは何門と尋ねる問答を重ね、答えによってそこを切って出るような遊び方もあった。いずれも小児が自分たちで考え出したもので、そんなことに世話を焼く成人はいなかったろうと思う。それから蓮華(れんげ)の花は開いたといい、または「かごめ・かごめ」という文句に取り換えたりしたのも、あんまり上手だから別に作者があったように考える人もあるか知らぬが、私たちは、なお、かれらの中の天才が興に乗じて言いはじめた言葉が、自然に採用せられて伝わったものと思っている。遊びはもともと輪を作って開いたり莟(つぼ)んだり、立ったり屈(かが)んだりするのが眼目であった。そうして歌は、またその動作と、完全に間拍子があっている。作者がほかにあったろうと思われぬのである。

   *

   地蔵あそび

「中の中の小坊さん」は、私などは弘法様(こうぼう)さまのことかと思っていた。これを小仏と唱えていた子供の、近所にあることも知っていたのである。山梨県ではそれをまた、

   中の中の地蔵さん

とうたい、その「中の地蔵」が後で周囲の子の頭を叩きまわって、

   外の外の小僧ども なぜ背が小さいな云々

といっていたそうである。茨城県で地蔵遊びといったのもこれで、一人をまん中にかがませて目かくしをさせ、周囲の輪の子供が廻りながら、やはり「なぜに背が低い」を唱える。そうしてその運動をやめるや否や、中の地蔵が一人をとらえてだれさんと名をあてる。それが的中すると地蔵が代ることは盲鬼(めくらおに)の一種とよく似ている。福島県海岸地方の地蔵遊びのことは、前に『日本の伝説』の中にも述べておいた。これは輪の子どもが口を揃そろえて「中の中の」の代りに、

   お乗りやァれ地蔵様

という言葉を唱える。乗るとはその児へ地蔵様に乗り移って下さいということであった。そうするうちにまん中の児は、次第次第に地蔵様になってくる。すなわち自分ではなくなって、色々のことを言い出すのである。そうなると他の子どもは口々に、

   物教えにござったか地蔵さま 遊びにござったか地蔵さま

と唱え、皆で面白く歌ったり踊ったりするのだが、元は紛失物などの見つからぬのを、こうして中の中の地蔵様に尋ねたこともあったという。

 古い『人類学雑誌』に出ていたのはもとは仙台附近の農村で、田植休みの日などに若い男女が集まって、大人ばかりでこの地蔵遊びをしていたそうである。これとても遊びで、信心からではなかったが、まん中にややお人よしというような若い者を坐らせ、ほかの者が輪になって何か一つの文句をくりかえしくりかえし唱えていると、しまいには今いう催眠状態に入って、自分でなくなって色々の受返事をする。いずれ男女の問題などの、罪もない笑うようなことを尋ねて、それに思いがけない答えがあるので面白かったのであろうが、それが今一つ山奥の村へ入って行くと、まじめな信心者だけで集まって、この中座(なかざ)のいうことを聴いていた。それが昔の世にひろく行なわれた神の口寄せというものの方式だったので、つまりは子どもがその真似をくりかえして、形だけでも、これを最近まで持ち伝えていてくれたのであった。

   *

この柳田國男の最後のシャーマニズム起原説は非常に承服出来るものである。遊びの原型は恐らく悉くがそこに濫觴すると私は考えている。]

 

ゆらすや百足蟲(むかで)!

頭(あたま)は 茶臼、

尾(を)はヒコヒコよ! (紀伊。百足蟲踊)

附記 この百足蟲踊は銘々がその前の人の帶を捉へて居て、一列に並んで居る大勢の子供がやる。その先頭の者は手に、百足蟲の頸のつもりの、何か茶臼に似ら恰好の物を恰好の物を持つて居る。本當の茶臼では遊戲には重過ぎよう。

 

地藏さん、地藏さん、

おまへの水を、

どんどと汲んで、

松葉に入れて、

まつくりかへた! (出雲。踊歌)

 

附記 これは普通小さな女の子供が歌ふ。歌を歌ふ者は、二人づつ、歌ひながら手を持ち合うて、面と向かひ合つて立つ。「マツクリカヘタ」で、背中向きになるやうに、手ははづさずに、轉ずる。

 

一がさいた! 二がさいた!

三がさいた! 四がさいた!

五がさいた! 六がさいた!

七がさいた! 蜂が刺いた!

熊蜂がさいた! とかげが刺いた! (手遊歌)

 

附記 ハチは發音では「八」とも 「蜂」とも意味する。

[やぶちゃん注:謂わずと知れるが、「熊蜂」(くまばち)の「く」が「九」、「とかげ」の「と」が「十」に通ずる。原本では英訳の間に間に手遊びの方法が記されてある(ここの左上の中部。英文は記号がごちゃついて読み難いので示さない)。しかし、平井呈一氏はそれを纏めて唄の後に訳して出しておられる。以下である。

   《引用開始》

 この歌は、「一が刺いた」で、一方の子が右手を相手の右手の上におき、「二が刺いた」で、左手を右手の上に、「三が刺いた」で、左手を左手の上に、「四が刺いた」で、下の右手を上に出しておき、「五が刺いた」で、相手が同じしぐさをし、「六が刺いた」「七が刺いた」とつづいて、「蜂が刺いた」で、いちばん上におかれた手が相手の手をピシャリと打つ。「熊蜂」ではしっぺ返しをし、「トカゲが刺いた」では力強くしたたかに打つ。

   《引用終了》

また、百ページもある強力な「兵庫県のわらべ歌」(PDFの九十ページに、伊丹市採取の、酷似した手遊び唄が載る。

   *

一が刺した 二が刺した 三が刺した

四が刺した 五が刺した 六が刺した

七が刺した 蜂が刺した ブ~ン

   *

これについて、後に遊び方が書かれてあり、『県下全域で歌われている指遊びの歌です。歌にあわせて手の甲を順につまんでいき、8(蜂)の番で強くつねります。そのとき「蜂ブンブン」といって蜂のように両手で飛ぶまねをします』とある。]

 

此處は何處(どこ)の細道ぢや?

天神さまの細道ぢや。

一寸(ちよつと)通して下しやんせ!

御用の無いもの通しません!

天神さんへ願かけて、

御札納めに參ります。

おまへの家(うち)は何處ぢやいな?

箱根のお關で御座ります。

そんなら通りやれ、通りやれ!

行きはよいよい、歸りは恐い! (遊戲歌)

 

附記 箱根には古昔武人の番所があつて、どんな旅人も其處で、通る前に、身の上を語らなければならなかつた。

 

こな子よい子だ、何處の子だ?

問屋八兵衞(とんやはちべゑ)の末娘(いもむすめ)!

なんとよい子だ、器用(きよう)な子だ!

機巧(きよう)に育つて來たほどに、

親に十貫、子に五貫、

せめておばばに四十五貫。

四十五貫のお金を何にする?

廉い米買うて船に積み、

船は白金(しろかね)、艪は黃金(こがね)、

あさあ、押せ押せ、都まで!

都もどりに何もろた?

一にかんざし、二に鏡、

三に更紗の帶もろた!

絎(く)けてくだされ、おばばさん!

くけうくけうと思へども、

帶に短し、たすきに長し、

山田藥師の鐘の緖に! (出雲。遊戲歌)

 

附記 一貫は古昔は銅錢千に當つて居た。祖母に澤山な贈物をする事が、日本の家庭では子供の若い時分の仕附けは祖父母に、殊に祖母に普通に任せられてゐたことを思ひ出させる。更紗は一種のキヤラコ或はチンツ。タスキといふは仕事をする時の間日本の長い袖を後ろへ結はへるに使ふ紐。ヤクシはバイシヤギヤラガの日本名。(バイシヤギヤラガは文字通りでは「醫王」の意味)ヤクシ卽ちヤクシニヨライは日本の非常に人氣のある佛で、醫治の佛として特に人が祈る。

[やぶちゃん注:「問屋八兵衞(とんやはちべゑ)」「はち」の「ち」のルビは底本では見えない。原本に従った。

「末娘(いもむすめ)」これ原文は“otomusumé”である。平井呈一氏は『乙(おと)娘』と訳しておられる「乙娘」は「次女以下の娘のこと」である。これだろう。大谷氏の「いも」は意訳である。

「絎(く)けて」「絎ける」「絎け縫いをする」の意。絎け縫いとは、布の端を折り込んで表側に縫い目が見えないようにする縫い方を指す。

「山田藥師」日本三大薬師の一つである西予市宇和町西山田にある「山田薬師」(善福寺)。後の二つは出雲市の「一畑薬師」、及び久留米市の「永勝寺」である。出雲の遊戯歌であるから、「一畑薬師」を如何にもな品物を適当に収めるというのは畏れ多いというのは判らぬではないが、それでは「山田薬師」に失礼だろうに、と思ってしまう私がいる。

「キヤラコ」平織綿織物の一種。キャリコ(英語:calico)の俗称。インドで初めて生産され、集産地のカリカット Calicut から輸出されたことから、この名がある。インド更紗はこのキャラコに捺染(なつせん)したもの。イギリスでは白綿布をキャラコと称し、アメリカでは一般の綿布や捺染した綿布を広義にキャラコと呼んでいる。日本ではイギリスから最初に輸入されたキャラコが漂白品であったので、キャラコ、則ち、漂白品となっている。キャラコは織り上げた後、漂白し、仕上げ糊をつけて織り目を潰し、平滑な表面に仕上げる。光沢に富み、地は薄いが、耐久力がある。古くより足袋などに,無地染のものは着物や夜具の裏地に使われている(平凡社「世界大百科事典」に拠る)。

「チンツ」英語でインド更紗を「chintz」と呼ぶ。

「バイシヤギヤラガ」原文“Bhaiṣagyaraga”。現行の薬師如来のサンスクリット語ラテン文字転写は「Bhaiṣajyaguru」で、カタカナ音写は「バイシャジヤグル」である。]

 

小僧、小僧、子一人ごしやれ!

どの子が欲しけりや?

その子が欲しいわ!

何添へて養う?

鯛そへてやしなはう!

それは骨があつていけね!

そんなら鯛が骨なら、

烏賊そへてやしなはう!

それはむしの大毒!

それなら殿樣の二階で、

毛氈(もうせん)敷いて手習さしよぞ!

手がよごれていけぬ!

そんなら殿樣の二階で、

毛氈敷いて砂糖餅!

そんなら遣るぞ! (遊戲歌)

[やぶちゃん注:「それはむしの大毒!」不審。「疳の虫」の大毒なら願ってもないわけだが、小泉八雲の英訳文のそこを見ると、“cuttle-fish”は“That would be very bad for the stomach of the child.”となっており、「胃に非常に良くない」と言っている。弱った胃には頭足類は消化悪いかなぁ? そんなことはないが、イカに多く寄生するアニサキスは確かにヤバいわな。

「砂糖餅」讃岐地方の名産らしい。黒砂糖を細かく砕いて、それを持ちを搗く際に投入したもの(投入する砂糖の量は茶碗一杯が標準とも)らしい。]

 

千艘や萬艘!

お船がぎつちりで、

ぎつちりぎつちり漕げば、

お惠比須か、大黑か、

こちや福の神! (新年の歌)

 

  古昔の東京の盆踊歌

 

   

 

盆の十六日 遊ばせぬ親は

木佛(きぶつ)金佛(かなぶつ) 石佛(いしぼとけ)、

      石佛(いしぼとけ)!

 

 

   

 

盆、盆、盆の十六日

お閻魔樣へ、

參ろとしたら、

數珠の緖が切れて、

鼻緖が切れて、

南無阿彌如來!

手で拜む、手で拜む!

[やぶちゃん注:四行目であるが、底本では「草履の緖が切れて、」で次行と何だかダブって面白くないな、と思って、原文を見ると(原文では五行目。ここ(右ページの最終行))、“Zuzu no o ga kirété,”だぞ!? 大谷先生? 「ずず」を「ぞうり」の誤記と誤認されたのではありませんかね? これ、数珠でしょう! 特異的に訂しました。因みに平井呈一先生はちゃんと『数珠(じゅず)の緒が切れて、』と訳しておられます!]

 

 

   

 

お盆が來たら、髮結うておくれ!

島田がよいか? 唐子(からこ)がよいか?

島田もいやよ! 唐子もいやよ!

お江戶ではやるおさげ髮!

 

附記 シマダは花嫁の結ふ髷。カラコワゲは古風な髷で、その名の示す如く支那來のものであらう。文字通りでは「唐の子の髷」[やぶちゃん注:句点なしはママ。]サゲガミとはだらりと垂らした髮。太古に貴婦人がその髮をしてゐた。

[やぶちゃん注:「唐子」髻(もとどり)から上を二つに分け、頭上で二つの輪に作ったもの。本来は元服前の子どもの髪形であったが、近世以後、輪が一つとなって婦人の髪形にもなった。引用したネットの「精選版 日本国語大辞典」の挿絵を見られたい。]

 

 

   

 

一の丸越えて、二の丸越えて、

三の丸先きへ、掘井戶掘つて、

堀は掘井戶、釣瓶は黃金(こがね)、

黃金の先きへ 蜻蛉がとまつて、

やれそれ蜻蛉! それそれとんぼ!

飛ばなきや羽を きりぎりす!

きりこが燈籠、きろこが燈籠!

きりこが燈籠! どなたの細工?

御(み)あかし樣の 御(お)手細工!

 

附記 日本の城のまはりの防禦線に内から外へかぞへる。きりこ燈籠は一種の四角又は多角形の提燈。

[やぶちゃん注:「御(み)あかし樣の」大谷の確信犯の変更。原本は“O-Akasi Sama no”である。しかし、「御燈明樣」は「みあかしさま」が穏当ではある。しかし、孰れにしても、意味がよく分らぬそもそもが御灯明は神仏に供える灯火であるから、それから転用して神仏自らが造ったというのでは――ナンジャラホイ?――だろう? 判らぬ。識者の御教授を乞う。

 

 

   

 

長い、長い! 兩國橋長い!

長い兩國橋 納凉(すずみ)に出たら、

お子樣がたが、屋形(やかた)の船で、

彈くや語るや、やれ面白や!

やれ面白や! 盆踊!

 

   

 

柳の下(した)の 鴛鴦樣(さん)は、

朝日に照らされてお色が黑い!

お色が黑けりやがんぐり傘おさし!

がんぐり傘 いやよ!

がんぐり傘 いやよ!

お江戶ではやる蛇の日傘!

        蛇の日傘!

 

附記 どんな傘をガングリガサといふのか自分は知らぬ。ジヤノメガサとは、頂から四五吋[やぶちゃん注:「インチ」。十センチメートル強から十三センチメートル弱。]の處につけたバンドを殘して餘は黑く塗つた紙張の傘。だから開くと、黑い圓を取り卷いて居るこの白い環が、形が蛇の目に似る。

[やぶちゃん注:「ガングリガサ」不詳。思うに、何かを繰り抜いたような、ただ柿渋紙をドーム状に貼った畳めない起きっぱなしの傘なのではなかろうか?]

 

 

   

 

こなたの屋敷は 綺麗な屋敷!

奧の間で三味線、中(なか)の間で踊、

臺處までち笛太鼓 笛太鼓!

 

おほやまの、おほ山の お紺さんは、

何處へ行つた? お隣へ、

お薯(いも)をたべに 行きました!

お〻可笑し、お〻可笑し! (東京の遊戲歌)

[やぶちゃん注:ここに本作品集冒頭に配された本唄の挿絵(扉の前。ここ)を掲げておく。これは底本のPDFからトリミングしたものである。絵の作者は右下の落款から浮世絵師宮川春汀(みやがわしゅんてい 明治六(一八七三)年~大正三(一九一四)年)である。画中右上の題箋は「子供風俗」か。落款の脇の雅号揮毫は「春汀畫日人」であろう。ウィキの「宮川春汀」によれば、『洗圭、春汀、漁史と号し、Sとも記す。三河国(現・愛知県)渥美郡畠村(現・田原市福江町)に廻船業と薬種問屋を営んでいた豪商・渡辺家に生まれた。名は守吉』。明治一一(一八七八)年に『母が絶家となっていた宮川家を継いだため、守吉も宮川を名乗る』。十二『歳の時、敷知郡誠明教育会主催の展覧会で作文・図画の一等賞を受賞』、十四歳の時には『漢書の筆写を好んで』、『絵を模写』した。明治二三(一八九〇)年、『得意としていた画業を志し』て『上京、富岡永洗について絵を学んだ』。『春汀が画家となった理由は不明だが、同郷の日本画家・渡辺小華に憧れたからとする説がある。以来、写生を専らにして』、『浮世人物を究め、特に好んで柔らかいタッチの子供絵を描いたほか、美人画を得意としている』。『最初は師から「蓬斎洗圭」の名を与えられ』たが、明治二八(一八九五)年に『「宮川春汀」に改名した』。『作画期は』明治二〇(一八八七)年『代から亡くなる年までで』、明治二十年代から明治三十年代に『かけては「風俗通」、「美人十二ヶ月」、「風俗錦絵雑帖」などの風俗画の他、雑誌口絵、新聞挿絵を描いている。こうした画業の傍ら、柳田國男、田山花袋、国木田独歩、徳田秋声、桐生悠々ら多くの若い文人たちと交流を重ねていった』。『また』、『作家・巌谷小波と知り合い』、明治三一(一八九八)年五月には、『小波が主催する「木曜会」に入会し、彼らと作品を批評したり』、『句会を開いた』(小泉八雲の本作品集刊行は明治三四(一九〇一)年で、まさに彼の絶頂期であった)。しかし、明治三八(一九〇五)年、『最愛の長女が電車事故で亡くなった』『事が、生来』、『生真面目で神経質、そして多少の癇癪持ちだった春汀の心に、生涯重荷となってのしかかった。また』、大正二(一九一三)年には『院展出品を目指して制作に意欲を燃やすも、振るわず』、『次第に神経が蝕まれていく。翌年正月に発病、入院するも快方に向かわず』、『生涯を閉じた。享年は数えで』四十二であった、とある。彼の作品は「浮世絵検索」のこちらで三百三十一点をカラーで見ることが出来る(捜したが、本絵はない)。この原図も実際のそれは非常に美しいものであることがこれらからよく想像される。

Okonsan

 

向うの山の、

相撲取り花は、

エンヤラと引けば、

お手々が切れる、

お手々が切れた。

お藥 無いか?

赤いのもある、

白いのもある。

同じくなれば、

赤いのにしようよ。 (東京の遊戲歌)

[やぶちゃん注:「相撲取り花」キントラノオ目スミレ科 Violaceae のスミレ類、或いはスミレ属 Viola、或いはその中の一種であるスミレ Viola mandshurica を指す。距(キョ)と呼ばれるスミレの花の後ろにある突起部分を引っ掛けあって、切れるまで引っ張りっこをして遊ぶことに由来する異名である。

 

向うの山の、

かはづ鳴くが、

なして鳴くか?

寒うて鳴くか?

ひもじて鳴くか?

ひもじきや田つくれ!

田つくりやきたない!

きたなきや洗へ!

洗や つめたい![やぶちゃん注:「洗や」は「あらうや」。]

つめたきや 暖(あた)れ!

あたりや 熱い!

あつきや 退(しざ)れ!

しざりや蚤が食ふ!

蚤が食(く)や殺せ!

殺しや可哀(かは)い!

可愛(かは)域や抱いて寢(ね)!

抱いて寢りや蚤が食ふ!

蚤が食(く)や殺せ!

…………………… (出雲の問答歌)

[やぶちゃん注:最後の「問答歌」で判る通り、これは一行が台詞で二人(或いはそれ以上)の人物のやり取りの形式を実は採っている。原本を見れば一目瞭然で、一行が総て“ ”で括ってあるのである。ここは大谷氏は煩を厭わず、全行に『 』を附すべきであったと考える。平井呈一氏はちゃんと全行に「 」を附しておられる。]

 

 

 自分が蒐集した此の部類のものの中で特に最も奇異なものは、子供が遊戲歌としてうたふ一種の哲學的問答の歌である。多分これは子供の敎育が主として佛敎僧侶の手に委ねられてゐた時代、そして殆ど寺といふ寺がすべて兼ねてまた學校であつたか、或はそれに附屬して居る學校を有つてゐたか、した時代からして殘存して居るものであらう。作品そのものには甚だしく珍らしい處はない。西洋人の心にこれを奇異だと思はせるのは、その題目の選擇に――遊戲歌としては驚くべき題目たるに――在るのである。

 この題目は、その溫顏を殆ど到る處の路傍に、また數限りない佛敎の墓地に、見ることの出來る彼(あ)の地藏菩薩(ボダィサットヷ・クシティガルバ)の無限無窮(インフイニテイ)である。屢〻十字路に於て、またなほ多く墓地に於て、一體の地藏で無くして、各〻の像(すがた)が一々異つら神祕的表號を有つて居る、一列の六體を見るであらう。この六體の地藏卽ちロクヂザウは、地藏菩薩は自己を幾體にも增して、同時に六道の一切衆生を――卽ち、宇宙全界を――能化し給ふといふ敎(をしへ)を象徵したものである。が、より高等な儒敎敎理に據ると『佛陀のほかに實在無く、實在のほかに佛陀無』しである。一切の諸佛一切の菩薩は實はただである[やぶちゃん注:「」は傍点「◦」である。以下も同じ。]。――一切の物質、一切の生、一切の心はただである。だから六道の地藏といふもを多樣に表現しただけのものであるばかりか、彼も亦絕對である。……そんな思想が子供の遊戲歌に具體化されて居るのはや〻驚嘆すべきである。が、古い通俗な佛敎文學には全くこれと同樣に驚くべきものが數々あるのである。

[やぶちゃん注:「地藏菩薩(ボダィサットヷ・クシティガルバ)」“Bodhisattva Kshitigarbha”。地蔵菩薩のサンスクリット語ラテン文字転写の一つの現行表記は「Bodhisattva Kṣitigarbha」である。釈迦の入滅後から五十六億七千万年の後に弥勒菩薩が如来となって世に現れて総ての衆生を救うまで間、無仏の世に住み、六道の衆生を教え導くことを誓いとした菩薩である。中国では唐末、日本では平安中期から盛んに信仰された。

「無限無窮(インフイニテイ)」“infinity”。「無限・無限大・無限遠・無数・無量」の意。]

 

橋の下(した)の地藏、

鼠に頭(あたま)を囓じられて、

鼠こそ地獄だ!

鼠 地獄だら、

何しに猫に捕られべな?

猫こそ地藏よ!

猫は地藏だら、

何しに犬に捕られべな?

犬こし地獄よ!

犬は地獄だら、

何しに狼に捕られべな?

狼こそ地藏よ!

狼 地藏だら、

何しに火にまかれべな?

火こそ地藏よ!

火は地獄だら、

何しに水に消されべな?

水こそ地藏よ!

水は 地藏だら、

何しに人に飮まれべな?

人こそ地獄よ!

人は地藏だら、

何しに地獄拜むべな?

眞の地獄は六地藏! (陸奥)

[やぶちゃん注:この論理は――確かに――凄絶であり――私は正鵠を射ていると感ずる……。

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