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2019/10/24

「今昔物語集」卷第二十七 人妻死後會舊夫語第二十四

 

[やぶちゃん注:底本は歴史的仮名遣の読みの確認の便から、「日本古典文学全集」第二十四巻「今昔物語集 四」第四版昭和五四(一九七九)年(初版は昭和五一(一九七六)年)刊。校注・訳/馬淵和夫・国東文麿・今野達)を参考に切り替える。但し、恣意的に漢字を概ね正字化し、漢文脈は訓読し、読み易く、読みの一部を送り仮名で出し、読みは甚だ読みが振れるか、或いは判読の困難なものにのみとした。参考底本の一部の記号については、追加・変更も行い、改行も増やした。□は原本の意識的欠字。]

 

「今昔物語集」卷第二十七 人の妻(め)死にて後(のち)、舊(もと)の夫(をうと)に會ふ語(こと)第二十四

 

 今は昔、京に有りける生侍(なまさぶらひ)、年來(としごろ)、身、貧しくして、世に有り付く方も無かりける程に、思ひ懸(か)けず、□の□と云ひける人、□の國の守(かみ)に成りにけり。

 彼の侍、年來、此の守を相ひ知りたりければ、守の許(もと)に行きたりければ、守の云はく、

「此くて京に有り付く方も無くて有るよりは、我が任國(にむごく)に將(ゐ)て行きて、聊かの事をも顧みむ。年來も、糸惜(いとほ)しと思ひつれども、我れも叶はぬ身にて過ぐしつるに、此くて任國に下れば、具せむと思ふは、何(いか)に。」

と。侍、

「糸(いと)喜(うれ)しき事に候ふ也。」

と云ひて、既に下らむと爲る程に、侍、年來、棲みける妻(め)の有りけるが、不合(ふがふ)は堪へ難かりけれども、年も若く、形(かた)ち・有樣も宜しく、心樣(こころざま)なども勞(らう)たかりければ、身の貧しさをも顧みずして、互ひに去り難く思ひ渡りけるに、男、遠き國へ下りなむと爲るに、此の妻を去りて、忽ちに、便り有る他(ほか)の妻を儲(まう)けてけり。

 其の妻、萬(よろづ)の事を繚(あつか)ひて出だし立てければ、其の妻を具して國に下りにけり。國に有りける間、事に觸れて便り付けにけり。

 此くて思ふ樣にて過ぐしける程に、此の京に棄て下りにし本(もと)の妻の、破無(わりな)く戀しく成りて、俄かに見ま欲(ほし)く思(おぼ)えければ、

「疾(と)く上りて彼れを見ばや。何にしてか有らむ。」

と、肝身(きもみ)を剝(そ)ぐ如く也ければ、萬(よろ)づ、心すごくて過ぐしける程に、墓無(はかな)く月日も過ぎて、任(にむ)も畢(は)てぬれば、守の上りける共(とも)に、侍も上りぬ。

『我れ、由無く本の妻を去りけり。京に返り上らむまゝに、やがて行きて棲まむ。』

と思ひ取りてければ、上るや遲きと、妻をば家に遣りて、男は旅の裝束(しやうぞく)乍ら、彼(か)の本の妻(め)の許に行きぬ。

 家の門(かど)は開きたれば、這ひ入りて見れば、有りし樣(やう)にも無く、家も奇異(あさまし)く荒れて、人、住みたる氣色も、無し。

 此れを見るに、彌(いよい)よ、哀れにて、心細き事、限り無し。九月(ながつき)の中(なか)の十日許りの事なれば、月も極(いみ)じく明(あか)し。夜冷(よさむ)にて、哀れに心苦しき程也。

 家の内に入りて見れば、居たりし所に、妻(め)、獨り、居たり。

 亦、人、無し。

 妻、男を見て、恨みたる氣色も無く、喜氣(うれしげ)に思へる樣(やう)にて、

「此れは。何(い)かで御(おは)しつるぞ。何(い)つ上り給ひたるぞ。」

と云へば、男、國にて、年來、思ひつる事共を云ひて、

「今は此くて棲まむ。國より持て上ぼりたる物共も、今日・明日、取り寄せむ。從者(じうしや)などをも呼ばむ。今夜(こよひ)は只(ただ)此の由許(よしばか)りを申さむとて、來つる也。」

と云へば、妻(め)、喜(うれ)しと思ひたる氣色にて、年來の物語などして、夜(よ)も深更(ふけ)ぬれば、

「今は、去來(いざ)、寢(ね)なむ。」

とて、南面(みなみおもて)の方に行きて、二人、搔き抱(いだ)きて臥しぬ。

 男、

「此(ここ)には、人は、無きか。」

と問へば、女、

「破無(わりな)き有樣にて過ぐしつれば、仕(つか)はるる者も、無し。」

と云ひて、長き夜に、終夜(よもすがら)語らふ程に、例よりは身に染(そ)む樣(やう)に哀れに思ゆ。

 此(かか)る程に、曉(あかつき)に成りぬれば、共に寢入りぬ。

 夜の明くらむも知らで、寢たる程に、夜も明けて、日も出にけり。

 夜前(やぜん)、人も無かりしかば、蔀(しとみ)の本(もと)をば立て、上をば下(おろ)さざりけるに、日の鑭々(きらきら)と指し入りたるに、男、打ち驚きて見れば、搔き抱きて寢たる人は、枯々(かれがれ)として、骨と皮と許りなる死人也けり。

「此(こ)は何(いか)に。」

と思ひて、奇異(あさま)く怖しき事、云はむ方無ければ、衣(ころも)を搔き抱きて、起き走りて、下に踊り下りて、

「若し、僻目(ひがめ)か。」

と、見れども、實(まこと)に死人(しにん)也。

 其の時に、忩(いそ)ぎて、水干袴(すいかんはかま)を着て、走り出でて、隣りなる小家(こいへ)に立ち入りて、今、始めて、尋ぬる樣(やう)にて、

「『此の隣りなりし人は、何(いづ)こに侍るか』と聞き給ふ。其の家には人も無きか。」

と問ひければ、其の家の人の云はく、

「其の人は、年來の男の去りて、遠き國に下りにしかば、其れを思ひ入りて歎きし程に、病み付きて有りしを、繚(あつか)ふ人も無くて、此の夏、失せにしを、取りて棄つる人も無ければ、未だ然(さ)て有るを、恐れて、寄る人も無くて、家は徒(いたづら)にて侍る也。」

と云ふを聞くに、彌(いよい)よ怖しき事、限り無し。然(さ)て、云ふ甲斐無くて、返りにけり。

 實(まこと)に、何に怖ろしかりけむ。

 魂(たましひ)の留(とど)まりて、會ひたりけるにこそは。

 思ふに、年來の思ひに堪へずして、必ず、嫁(とつ)ぎてむかし。

 此(かか)る希有(けう)の事なむ、有りける。

 然(しか)れば、然樣(さやう)なる事の有らむをば、尙ほ、尋ねて行くべき也、となむ語り傳へたるとや。

 

□やぶちゃん注(注には底本の他に池上洵一編「今昔物語集」(岩波文庫二〇〇一年刊)の「本朝部 下」も一部参考にした)

●本篇はその前半部は遠く「伊勢物語」の第二十四段の所謂、「梓弓」の話や、その前の第二十三段の知られた「筒井筒」の流れを汲みつつ、後半、死者との肉の交わりを持つという「今昔物語集」でも、かなり正統派の怪奇談に仕上がっている。言わずもがな、これは後代の上田秋成の「雨月物語」の「浅茅が宿」に於いて美事に蘇生している(私は原拠と言ってよいと考えている)。なお、小泉八雲は、この話の杜撰な再話本をもとに、「和解」(原題“ The Reconciliation ”)という小説を書いている。それは、この後で電子化注する。

・「生侍(なまさぶらひ)」若くて身分の低い侍。

・「世に有り付く方」生計を立てるべく身を寄せる職。

・「國の守(かみ)」以下、見る通り、京にあって肩書きの遙任国守ではなく、現地に実際に赴いた受領(ずりょう)階級の実務国守。

に成りにけり。

・「糸惜(いとほ)しと」外見、気の毒なことだと。

・「叶はぬ身にて」経済的に不如意な身で。そなたを雇う余裕はなかったというのである。

・「棲みける妻(め)」妻問い婚で通い結ばれていた妻。

・「不合(ふがふ)」原義から転じて「思うように行かなぬこと・不幸せなこと」から、ここは具体的に「貧しいこと・貧乏」の意。

・「勞(らう)たかりければ」漢字なら「﨟たし」がいい。「愛らしく可愛いかったので」。

・「忽ちに、便り有る他(ほか)の妻を儲(まう)けてけり」掌を返すように、「便り」=家政能力や経済上のゆとりを持っていた別な家の女を、急遽、妻としたことを指す。

・「其の妻」以下で「萬(よろづ)の事を繚(あつか)ひて」(旅立ちに際しての諸費用を出してまめに世話して面倒を見)「出だし立てければ」(出発の物的な準備を万端整えて呉れたので)「其の妻を具して國に下りにけり」と続くので、元の妻ではなく、俄か妻の法を指す。

・「事に觸れて」何かにつけて。次の語句から「経済的な場面・状況にあっては」の条件を指す。

・「便り付けにけり」経済的に豊かになった。

・「思ふ樣にて」物質的には満足して。

・「破無(わりな)く」「破」は借字で「理(ことわり)」の「わり」。無茶苦茶に。常軌を逸する如く。

・「肝身(きもみ)を剝(そ)ぐ如く」参考底本注に『悲痛な感情の形容。体内の内臓とを剥ぎ分けるような、という意であろう』とある。

・「心すごくて」如何なる物や対象によっても満たされない、心情の虚ろな感じを示す。

・「やがて」「軈て・頓て」。「そのまま」或いは「直ぐに・直ちに」。私は後者で採る。

・「思ひ取りてければ」予め心に決めていたので。

・「上るや遲きと」『京へ上るのが時間がかかって遅い!』とさえ思うままに。則ち、京へ着くや否や、「直ぐに」の意。

・「妻をば家に遣りて」この妻は二番目(本話で)の妻。逆にまた、掌を返すように彼女を実家へ戻してしまったのである。一貫して男はこの女の良さを口にしていないから、経済力はあったものの、連れ合いとしての魅力には全く欠いていたものらしい。

・「九月(ながつき)の中(なか)の十日」九月二十日。新暦では十月の中下旬に相当する。

・「例よりは身に染む樣(やう)に哀れに思ゆ」嘗つて貧しいながらも、ともに暮らしていた頃の慕わしさに比べると、よほど身に染みごと、哀れを感じた。

・「蔀(しとみ)の本(もと)をば立て。上をば下(おろ)さざりけるに」蔀は上下二枚の雨戸のような大きな板からなる建具。当時は下は日常でも固定しておき、上の部分だけを釣り戸にしてあったものが多い。ここではその上蔀が下げて閉鎖されていなかった、上部が開放されていたことを言う。

・「鑭々(きらきら)と」「鑭」(音「ラン」)は光り耀くさまを指す。

・「打ち驚きて」驚いたのではない。「目を覚まして」の意である。

・「衣(ころも)」男自身の衣服。

・「僻目(ひがめ)か」「見間違いであったか?」。

・「忩(いそ)ぎて」「忩」(音は「ソウ」)は「窓(まど)」・「慌てる」・「纏める」の意。正字は「悤」。

・「水干袴(すいかんはかま)」これで一語と採る。糊を使わずに水張りにして干した絹で作った狩衣(かりぎぬ)の一種で、男子の平服。上衣(水干部)は盤領(まるえり)の懸け合わせを組紐で結び留めるのを特色とし、袖付けなどの縫い合わせ目が綻びぬように組紐で結んで菊綴(きくとじ)とし、裾を袴の内に着込むが、ここはその水干と袴とが一対(セット)になったもの。

・『「『此の隣りなりし人は、何(いづ)こに侍るか』と聞き給ふ。其の家には人も無きか。」』やや衍文が疑われるが、善意に解釈すれば、「さても、ちょっと、『ここのとなりにいた人は、どこにおらるるか』とお聞き申します。そこの家には、誰も、おらぬのか、ね?」でもおかしくはない。何気ない、気にもしていないという風を含んだ迂遠な謂いとして有り得る。

・「繚(あつか)ふ人」ここは日常の世話をする人や看病をする人の意。

・「取りて棄つる」どこぞへ遺体を葬ってやる。

・「未だ然(さ)て有る」遺体を放置したままにしていることを言う。遺体がごろごろ転がっているのは、末法の世とされた平安後期の荒廃した京では、頗る日常的な風景である。

・「家は徒(いたづら)にて侍る」遺体もそのままであれば、死後、誰も住まず(「徒」は無人の謂い)、空き家のままであったことを言う。

・「嫁(とつ)ぎてむかし」枕を交わした(つるんだ)のに違いない。

・「然樣(さやう)なる事の有らむをば、尙ほ、尋て行くべき也、となむ語り傳へたるとや」参考底本注には、『最後緒教訓的語句であるが、「そういう希有のこともあるから、やはり長い間』、『御無沙汰した所で』あっても(或いは、あればこそ)、『尋ねて行くのがよい」ということで、単なる宗教的とか道義的とかいう以上に、猟奇的な精神がのぞいているようである』とある。「猟奇的」という部分は微妙に留保したいが、確かに「今昔物語集」の最終評言としてかなり奇異な部類に属するものであることは疑いない。

 

□やぶちゃん現代語訳(参考底本の訳を一部で参考にはしたが、基本、オリジナル訳である。改行をさらに増やしており、記号も多用した)

 

「今昔物語集」巻第二十七 人の妻、死して後(のち)、もとの夫に会う語(こと) 第二十四

 

 今となっては……もう……昔のこととなってしまったが、京におった若き身分の低い侍、長年、貧しくして、世を渡る相応の職にもありつくことが出来ずにおったところが、思ひがけず、何の傍(なにがし)という人が、何とかという国の国守となった。

 かの侍は、ずっと長いこと、この国守となった人物をよく知っていたので、その国守のもとを訪ねたところ、国守の言うことに、

「かくも京にあって職に就くことも出来ずにおるよりは、我が任国にともに従い行きて、僅かばかりの面倒を見てやることも出来ようかと思うのだ。この長年、そちのことを気の毒とは思うておったれど、我れ自身も勝手不如意にて過ごしておったのだが、かく、任国に下ることとなったれば、連れて参ろうと存ずるが、如何に?」

とのこと。されば、侍も、

「それは! まっこと! ありがたいことで御座いまする!」

と肯んじ、いよいよ任国へ向けて下ろうということとなった。

 さてもしかし、この侍には、長年、連れ添うて御座った妻があった。長年月の貧乏暮しは堪えがたいものであったけれども、彼女は年も若く、見目・形もよろしく、心映えも如何にも優美であったによって、互いの身の貧しさをも顧みず、ともに去りがたく思って暮らしてきたのであった。

 が、侍は、このたび、遠国へと下ることとなったところが、あろうことか、この妻を捨て、俄かに、裕福なる他(ほか)の女を妻としてしまった。

 その新しい妻が、何くれとなく下向の用意を、これ、万端、調えて送り出そうとしてくれたことから、侍は、その妻を連れて、かの国へと下ったのであった。

 国にあった間は、何かにつけ、暮らしは豊かにはなって行った。

 かくも思い通りに満足のゆく暮らしを送ってはいたが、侍は、どこかで、心に虚ろな感じがしていた。

 その理由(わけ)は、かくも京で捨てて下向したもとの妻のことが、何故か、無性に恋しくなったからであった。

 さすれば、俄かに、かのもとの妻に見たい、逢いたいという思いが募ったによって、

「早く京に上って、かの女に逢いたい! 今頃、一体、どうしておるであろう?!」

と、骨身を削るような掛恋(けんれん)の情に襲われ、何につけても、心の鬱々として過ぎるうちに、何時しか、月日も過ぎて、かの某(なにがし)の国守の任も終わったので、国守が京に上るのに従い、ともに侍も京へ帰った。

『我れは、理に適った理由もなしに、もとの妻を捨ててしまったのだった! 京に帰り着いたら、そのまま直ちに、かの女のもとへ行き、ともに暮らそうぞ!』

と、決心していたによって、京に到着するや否や、今まで一緒にいた妻をば、実家へと老い帰して、男は、旅の装束のまま、かのもとの妻のもとに訪ねて行ったのであった。

 家の門(もん)は開いていたので、中に入って見ると、在りし日とはさま変わりて、家も呆れんばかりに荒れ果てて、およそ、人の住んでいるような気配さえもないのであった。

 この荒廃した様子を見るに、いよいよ、ものの哀れを覚え、言いようもないほどに心細くなったのであった。

 九月(ながつき)の二十日ばかりのことであったから、月もたいそう明るい。夜の気配は冷え冷えとし、激しい哀れさが胸を打つほどであった。

 ところが!――

 家の内に入って見ると、彼女が嘗つて座っていたところに、妻は、ただ独り、同じように座っていた!――

 他に、人影は、ない。――

 妻は、男を見て、恨んでいる気色(けしき)も見せず、嬉しそうに思っている様子で、

「これは! また、どうしてここにお出でになられましたか?! 何時(いつ)、京へお上りなさいました?!」

と言うので、男は、かの任国に於いて、ずっと思い続けてきたことどもを語り、

「これからは、一緒に住もうな。任国から持って参った物どもなども、今日・明日中にはとり寄せる! 従者などをも呼ぼうぞ! 今夜(こよい)は、ただ、このことばかりを申そうとて、来たのだよ!」

と言うと、妻は、さも、嬉しいと思っている様子で、互いに、別れる前の思い出や別れてからの侘しさなんどを物語りなどして、夜(よ)も更けたので、

「さあ、さ! 伴寝しよう!」

と、家の南面(みなみおもて)の方に行き、二人、抱(だ)き合って横になった。

 男は、

「……ここには……人は……おらんのか?」

と問うと、女は、

「このように貧しい有様のままに暮らして御座いましたれば、召し使わるる者なども、おりません。」

と言った。

 秋の夜の長きに、終夜(よもすがら)、語り合ううち、男は、嘗つて、一緒に暮らした貧しかった頃よりも、ずっと身に染みて哀れに感ずるのであった。

 かくするうち、暁(あかつき)方になったので、ともに寝入った。

 夜が明くるのも知らずに寝ていたか、夜もすっかり明けて、日も、出ていた。

 昨夜は、召し使いもおらずなれば、蔀(しとみ)の下戸(しもと)ばかり立てて、上戸(うへど)は下(おろ)していなかったのであるが、そこから、日の光りがきらきらと指し入ってきたので、男は――ふっと――眼を覚ました。……

――かき抱いて寝たはずの妻は……

――すっかり枯々(かれがれ)に干乾びた……

――骨と皮ばかりの……

――死人――なのであった。……

「……こ、これは!……なんということだッツ!!……」

と、驚くと同時に、あまりの怖しさに、言いようもなければ、脱いだ自分の衣服を慌ててかき抱いて、起き、走って、縁から庭に踊り下って、

「……も、もしや……見間違えたか?」

と、振り返って見たけれども、……

――真(まこと)に死人(しにん)なのであった。

 そこで、急ぎ、水干袴(すいかんばかま)を着、走り出で、隣りの小家(こいえ)に立ち寄って、あたかも今、始めてここに尋ねて来たようにして、

「一つ、お聞き致します、……この隣りにおられた人は、何処(いづこ)におられますか?……あそこの家には、誰も住んではおりませんか?……」

と訊ねた。

 すると、その家の人が言うことには、

「そこな人は、長年連れ添うておった男が、そこな人を捨てて、遠き国に下ったによって、その悲しみがため、深く思い込み、歎くうち、病みつきておったを、世話する人ものぅ、……そうさ、この夏、亡くなってしもうたじゃ。……じゃが、その骸(むくろ)をとって葬る人もなければの、未だ、そも、そのまんま、あるじゃて。……じゃが、皆、怖がっての、寄る人もなく、家は、まだ、空き家のまんまで御座いますじゃ。……」

と、答えた。

 その謂いを聴くだに、男は、いよいよ、言いようもなく怖ろしくなった。さればこそ、何のしようもなくて、男は帰ったのであった。

 本当に、如何ばかりか、怖ろしかったことであろうぞ。

 これは、まさしく、魂(たましい)が、この世に留(とど)まり続け、男に会ったに、これ、相違ない!

 思うに、長き年月、妻の霊魂は、男への思いに堪えかねて、必ずや、この夫と、枕を交わしたのでもあったろう。

 かくも希有(けう)の不思議が、これ、あるものなのである!

 さればこそ、さようなこともあるのであるからして、まず、長い年月、無沙汰致いておっても、その人を訪ねに行くのは、当然のことなのだ、と、かく語り伝へているということである。

 

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