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2019/10/19

小泉八雲 日本の子供の歌  (大谷正信訳) 序・一(「天気と天象との歌」)

 

[やぶちゃん注:本篇(原題“Songs of Japanese Children”。「植物と動物の仏教上での名称」)は一九〇一(明治三四)年十月にボストンの「リトル・ブラウン社」(LITTLE,BROWN AND COMPANY)から出版された作品集“A JAPANESE MISCELLANY”(「日本雑記」。来日後の第八作品集)の第一パート「奇談」(全六話)の次のパート“Folklore Gleanings”(「民俗伝承拾遺集」)全三篇の三番目に配されたものである。本作品集は“Internet Archive”のこちら(出版社及びクレジットの入ったページを示した)で全篇視認できる(本篇はここから)。活字化されたものは、整序されたものは見当たらない(今まで紹介していないが、同前の“Internet Archive”には本作品集のフル・テクスト・ヴァージョンはあるにはあるのであるが、OCRによる読み込みで、誤まり多く、美しくなく、読み難く、また、味気ない)。

 底本は英文サイトInternet Archive”のこちらにある、第一書房が昭和一一(一九三六)年十一月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第七巻の画像データをPDFで落として視認した。底本ではパート標題は「民間傳說拾遺」と訳してある。

 訳者大谷正信氏については、「小泉八雲 燒津にて 大谷正信譯」の私の冒頭注を参照されたい。

 傍点「ヽ」は太字に代えた。踊り字「〱」「〲」は正字化した。

 なお、全体に亙ってわらべ歌の引用や、それに末尾行末等に附された丸括弧注記及び後の「附記」とされたポイント落ちの解説は、全体が五字下げで行われいるが、総て頭まで引き上げ、丸括弧注記も「附記」も同ポイントとした。特にその仕儀によって讀み難くなったり、誤読する箇所は殆んどないと思われるが、その虞れがある箇所では注記した。

 また、本篇は長い(序と第「一」章から後書きを含む第「六」章まで)ので分割し、また、例外的に全電子化を速やかにすることを念頭に置き、まずは注はストイックに必要最小限度に留めることとした。後に気に掛かった箇所には追記をすることとして、である。

 

 

   日本の子供の歌

 

 二萬七千の小學校の影響を受けて、日本の古い民間文學は、物の本に載つて居ない歌と傳說との文學は、急速に人の記憶から消え去りつ〻ある。自分だけの追憶のうちにさへ、我が英國の子供部屋の文學に稍〻相當する、この口[やぶちゃん注:「くち」。]の上の文學の一種が、新規な物事の爲めに大なる影響を蒙つて居る。自分が初めて日本へ來た時は、――家庭の敎は普通祖父祖母に任されて居るから――子供達はその祖父祖母どもに敎はつた古い歌をうたつて居つた。ところが今日は、街路や寺院の庭で遊んで居る小さな者共はは、學校の敎室で敎はつた新しい歌を――西洋の音階に依つて書いた譜に合ふやうな歌を――歌つて居る。――だから、それよりか遙かに興味の多い明治前の歌は、今はただ稀にしか耳にすることが出來ぬ。

[やぶちゃん注:『文部省年報』によれば、本書が書かれた時より十六年も前の明治一八(一八八五)年の時点で、小学校数は実に二万八千二百八十三校もあった。因みに平成三〇(二〇一八)年度の文部科学省の公式データを見ると、現在の日本の小学校数は国公立・私立総てをひっくるめて二万九五校(公立の分校を含む)しかない。]

 ではあるが、そんな歌は――一つにはそんな歌の多數が急に癈止することの出來ぬ遊戲と離すことの出來ぬ關係がある爲めと――一つには一度もオルガンを彈ずる學校敎師に就いて學んだことが無く、その上子供達が古昔の小曲を歌ふのを聽くのが好きな、喜ばしい祖父祖母が幾百萬人とまだ生きて居る爲め――全然忘れられては居ない。が、そんな面白い老人達がその祖先の居場所へ呼び寄せられてしまへば、それが敎へた歌は歌はれなくなるであらうと思ふ。幸にも日本の民間傳說硏究家はそんな口傳の文學を保存するに努力して居る。そしてその勞苦が自分をしてこの一文を企て得さしたのである。

 

 自分の爲めに注意して筆寫しまた飜譯された、非常に澤山な舊時の子供歌及び無意味な詩歌[やぶちゃん注:原文“nonsense-verses”。「戲(ざ)れ歌」と訳したいところ。]のうち、次記の順序に六項目に類集して、可なり代表的な選擇をするやうにと力めた[やぶちゃん注:「つとめた」。]。

  一、天氣と天象との歌。

  二、動物に關した歌。

  三、種々な遊戲歌。

  四、物語の歌。

  五、羽子突歌と手毬歌。

  六、子守唄。

 

 この分類は、殊に第三類に關しては、甚だ漠として居る。が、作品の多くがその性質不思議にも不確實なものであるから、先づこれで宜いとしてよからうと思ふ。

 言ふまでも無く、その平易な英譯は、書物の頁の間に壓し乾かした花がその自然の環境に在つての生きた花を示すと同じ程度に於て、ただその日本の詩歌の槪念を與へ得るに過ぎぬ。脚韻の無い句の奇妙な節奏(リズム)、日本の言葉の飾り氣無さ、小鳥の囀の如くに記憶しにくい短い妙な節(ふし)、一緖に歌って居る多勢の子供聲の氣持ちのいい晴れやかさ、――これ等が手傳って原歌の妙趣を爲すのであるが、それがどれも同樣に寫し現はすことの出來ぬものである。

 自分のこの選擇のうちに餘程異國的(エキゾテイツク)な處が發見されるかも知れぬ。が、讀者はまた、既に熟知して居らる〻子供歌を懷ひ出させるやうな處を、何處か見出さる〻ことであらう。一體子供といふものは、全世界到る心、或る種の題目に對しては殆ど全く同じやうに考へまた感じるもので、似寄った經驗を詠じるものである。殆どどんな國でも、子供は日と月とに就いて――風と雨とに就いて――鳥と獸(けもの)とに就いて――花と木と小川とに就いて、それからまた、水を汲むとか火を熾(おこ)すとか料理するとか洗濯するとかいふやうな日常の家事に就いて、歌ふものである。でも、そんな範圍内に在つてすらも、日本の子供文學と他國の子供文學との差異の方が、類似の方より餘程興味がある。といふことが判かるであらう。

[やぶちゃん注:底本では以上で「509」ページ最終行(見開き右頁)であるが、左の「510」ページの頭には変則的位置(本来のページ版組ではあり得ない上部位置に『祖父祖母』(右にズレて)『る。』(改行して)『い老人』(改行して)るであ』(「あ」は下部が擦れて消えている)『て居』(「居」は右上部のみで推定判読)とある。しかし、原文を見ると、上記の訳の末尾とかっちりと合っていて終わっており、しかもこの文字列は前の本序の形式第二段落目の『喜ばしい祖父祖母が幾百萬人とまだ生きて居る爲め――全然忘れられては居ない。が、そんな面白い老人達がその祖先の居場所へ呼び寄せられてしまへば、それが敎へた歌は歌はれなくなるであらうと思ふ。幸にも日本の民間傳說硏究家はそんな口傳の文學を保存するに努力して居る。』(太字下線は私が附した)の部分と完全に一致することが判り、印刷時の誤転写であると断じた。]

 

 

   

 

  天氣と天象との歌

 

夕燒け、こやけ、

あした天氣になあれ。(東京。日暮の歌)

 

  附記 この短い歌は、笑しい夕燒の折、自分の近處で子供が今なほうたふ歌である。

[やぶちゃん注:「こやけ」は底本では「こうやけ」であるが、原文も“Ko-yaké!”となっており、「こうやけ」は或いは大谷の原音サーヴィス(「こーやけ」の長音部再現)のつもりなのかも知れないが、我々には激しい違和感があるので、特異的に「こやけ」に訂した。]

 

天狗さん、風おくれ、

風が紅茸や、錢おくれ。(伊賀。紙鳶揚げ歌)

 

附記 東京で紙鳶を揚げる折『風の神は弱いな』と歌ふ。出雲では「大山(だいせん)の山から大風(おほかぜ)吹いて來いよう」と歌ふ。

[やぶちゃん注:「紙鳶」は音は「シエン」であるが、「たこ」或いは「いか」と当て訓しておく。]

 

雨、雨、降りやめ!

お寺の前の

柿の木の下で

雉子の子が啼くぞ!(土佐。雨の歌)

 

雪はちらちら!

雲は灰だらけ!(伊豆。雪の歌)

 

雪や こんこや、

霰や こんこ!

お前(まへ)の背戶で、

團子も煮える、

小豆も煮える、

山人(やまど)は戾る。

赤子(あかご)はほえる、

杓子は見えず、

やれ、いそがしやな! (出雲)

[やぶちゃん注:「山人(やまど)」は広義の「山野で働く人」・「薪を採りに山に入る人」・「木樵(きこり)」の意の日本各地での方言であるが、ここは「赤子」の対表現であるから広義の最初の意味の野良仕事をしている大人たちを指すものと私は解する。

「杓子」はまず第一に仕事から帰れば、水を一杯ということか。]

 

星さん、星さん、

一つ星で出ぬもんぢや、

千も萬も出るもんぢや。(伊賀。星の歌)

附記 日沒後星のきらめkそめる時に歌ふ。

 

お月さま、

觀音堂下りて、

まんま あがれ!

まんまかいやなら、

あんもなら三つ吳れう! (信濃。月の歌)

[やぶちゃん注:最終行は、恒文社版(一九七五年刊)の平井呈一氏「日本のわらべ歌」の訳では、『餅(あんも)なら三つくりょう!』となっている。原文の表記は平井氏の方が正確で、小泉八雲は以下の英訳部(底本ではこの篇の「わらべ歌」に限らず、作品集総てに亙って詩歌のそれは完全にカットされている)で“a,mmochi”(「餡餅」)とし、さらにそれに注を附して“Rice-cakes stuffed with a mixture of sugaer and bean-flour.”(「砂糖と豆を粉にしたものをミックスしてそれを詰めたお餅」)とと至れり尽くせりしてある。小泉八雲が冒頭で危惧した通り、今の子どもたちの中には、この訳を見ても、「あんもってなんだ?」と首を傾げる者が有意にいるであろう。……八雲先生、先生の懼れておられた通り、日本は最早、日本ではなくなってしまいました…………

 

お月さま、いくつ

十三 ななつ、

そりやまだ若い、

若船へ乘つて、

唐(から)まで渡れ! (紀伊)

 

お月さま 桃色、

誰(だれ)が言うた、あまが言うた、

あまの口 引裂け! (土佐)

 

お月さま、お月さま、

もうし、もうし、

猫と鼠と位置升樽さげて、

冨士の山を今越えた。 (周防)

附記 雲が月の上か通る時歌ふ。猫と鼠といふは――子供の繪本に出て來るやうな――遊び好きの化物であること言ふまでも無い。この歌の目的は、――月に顏をまた出させやうといふのである。こんなののどんなものよりか面白い、出雲の月の歌が自分の『心』に載せてある。

[やぶちゃん注:最後に言っているのは、明治二九(一八九六)年に刊行した本邦での第三作品集「心」(“Kokoro”)に所収された小説“The Nun of the Temple of Amida”(「阿弥陀寺の尼さん」)の中に出るそれである。ここでは“Internet Archive”からPDF画像で入手した「小泉八雲全集」(第一書房元版)第四巻(昭和二(一九二七)年刊)所収の「第五章 阿彌陀寺の比丘尼」(石川林四郎訳)それを底本とした。

   *

ののさん(或はお月さん)いくつ。

十三 ここのつ。

それはまだ 若いよ、

わかいも 道理。

赤い色の帶と、

白い色の帶と、

腰にしやんと結んで、

馬にやる いやいや。

牛にやる いやいや。

   *

これに小泉八雲の原註が一つと、石川氏の複数の訳註が附しているのでそれも示す。

   *

註[やぶちゃん注:「赤い色の帶と、」に註記号。] 派手な色の帶は子供だけが締めるので斯ういふ。

譯者註一 「十三ここのつ」はありふれた「十三七つ」に比して口調も惡しく數の漢字も異樣ながら、出雲では今も斯く歌つてゐる由。

譯者註二 原文のローマ綴をその儘に譯せば「若いえも道理」となるが、原文の「いえ」の二音は松江の方言の「い」の間のびしたのを、著者がその儘に音譯したものである、との落合貞三郎氏の說明を附記して置く。

   *]

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