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2019/10/07

小泉八雲 小說よりも奇  (田部隆次訳)

 

[やぶちゃん注:やぶちゃん注:本篇(原題“STRANGER THAN FICTION”(「(事実は)小説よりも奇なり」)は一九〇五(明治三八)年十月にボストン及びニュー・ヨークの「ホートン・ミフリン社」(HOUGHTON MIFFLIN AND COMPANY)刊の“THE ROMANCE OF THE MILKY WAY AND OTHER STUDIES & STORIES”(「『天の河の恋物語』そして別の研究と物語」。来日後の第十二作品集)の六番目に配されたものである。本作品集はInternet Archive”のこちら(目次ページを示した)で全篇視認でき(本篇はここから)、活字化されたものはProject Gutenberg”のこちらで全篇が読める(本篇はここから)。小泉八雲は、この前年の明治三七(一九〇四)年九月二十六日に心臓発作(狭心症)のため五十四歳で亡くなっており、このブログ・カテゴリ「小泉八雲」で完遂した「神國日本」(戸川明三訳。原題は“Japan: An Attempt at Interpretation”(「日本――一つの試論」)に次いで、死後の公刊となった作品集である。

 底本は上記英文サイトInternet Archive”のこちらにある画像データをPDFで落とし、視認した。これは第一書房が昭和一二(一九三七)年一月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第八巻全篇である。

 田部隆次(たなべりゅうじ 明治八(一八七五)年~昭和三二(一九五七)年)氏については先に電子化した「人形の墓」の私の冒頭注を参照されたい。なお、本作品集ではこれだけが田部氏の訳で、他は総て大谷正信氏の訳である。理由は不明であるが、これだけが本作品集の中で、若き日の小泉八雲(Patrick Lafcadio Hearn)の体験(彼は三十七歳の一八八七年から一八八九年にかけてフランス領西インド諸島マルティニーク島Martinique:現在もフランスの海外県。カリブ海に浮かぶ西インド諸島のなかのウィンドワード諸島(英語:Windward Islands:「風上の島々」の意)に属する島。リンクはグーグル・マップ・データ)に長い旅をしている)に基づく国外での体験に基づく特異点の一篇であること、元版の第一書房全集(小説・随筆・評論部等は全く家庭版も内容は同じ)の第二巻所収と同じロケーションである、一八九〇年の来日直前に刊行した作品集「佛領西インドの二年間」(Two Years in the French West Indies)の訳を大谷が担当していることと関係があるのかも知れぬ。寧ろ「そうだったら大谷氏の訳でいいのじゃないか?」とされる向きもあるかも知れぬが、或いはロケ地と異国の異なった雰囲気を訳文にも特異的に違った感じで出すために、敢えて大谷が田部に懇請して、ここだけがかく成ったとも言えるのではあるまいか?

 傍点「ヽ」は太字に代えた。

 なお、瞥見した銭本健二氏が担当された小泉八雲の年譜(一九八八年恒文社刊「ラフカディオ・ハーン著作集 第十五巻」所収)によれば、本篇は明治三五(一九〇二)年五月八日に執筆されたものであるらしい。]

 

 

  小說よりも奇

 

 本當の西印度日和であつた。私は友人の公證人と二人で島を橫斷してゐた。その道は熱帶の森林から雲まで屈曲して上り、それから再び籐、竹、甘蔗などのある、黃金色に綠の交つた斜面や、紫、靑、灰色の峯のある勝れた風景の地を環なりに下つて、貿易風の盛んに吹く海岸へ出る驚くべき道である。午前中は全部上りであつた、――勇ましい小さい騾馬のために、大槪は馬車のあとから步いた、――それから、海は私共の背後に上つて來て、最後に、たえず高くなつて來る地平線の下に、靑い、菫のやうに靑い、大きな海の壁のやうに見えて來た。暑さは蒸氣浴の暑さのやうであつた。しかし空氣は、その熱帶の香があるので、呼吸するのは愉快であつた、――その香は不思議な樹液の香、土から發する妙な芳ばしい香、香氣あるものの腐敗から起る蒸發、――などからできる香であつた。その上眺望は天國を硯くやうであつた。それからヘゴや竹の蔭になつた峽谷を騷がしく下つて行く激流を見るのも面白かつた。

[やぶちゃん注:「公證人」原文“notary”。契約その他の私権に関する事実を中心に、公的な証明を与える職にある者。法律関係を明確にして、紛争を予防する役割を果たす。その資格・権限などは国や時代によって多種多様で、ローマ法の影響の濃いラテン系に属するフランスなどでは、一般に法律の専門家として扱われている。

「籐」単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科トウ連 Calameae に属するトウ類。但し、原文は“cane”(ケイン)で、これは「籐・竹・棕櫚(シュロ)・サトウキビ(甘蔗)などの茎を総称」する語である。以下の「竹」や「甘蔗」もこの一語を意訳して延ばしたものである。

「騾馬」奇蹄目ウマ科ウマ属ラバ Equus asinus × Equus caballus。♂のロバと♀のウマの交雑種の家畜。両親のどちらよりも優れた特徴部分を有し、雑種強勢の代表例とされる。

「ヘゴ」原文“tree-fern”。「木生シダ」。「ヘゴ」は狭義には常緑性大形の木生シダであるシダ植物門シダ綱ヘゴ目ヘゴ科ヘゴ属ヘゴ Cyathea spinulosa を指す。後者の「ヘゴ」類ならば、本邦でも紀伊半島南部や八丈島を北限として四国・九州南部・屋久島より南等でよく見かける(日本では全六種が植生)。]

 紅白の蝶のやうな花の咲きみだれた生垣に沿うてできて居る門の前に、友人は馬車を止めた。『ここへ立ち寄らねばならないのだが』彼は云つた、――『一結に來ませんか』二人は馬車から下りた。友人は鞭の太い方で門をたたいた。門内には、樹蔭のある庭の一方に、母屋の玄關が見える。向うに椰子の竝樹[やぶちゃん注:「なみき」。]と、黃ばんだ甘蔗の幾分が見える。やがて帆木綿のずぼんと大きな麦稈帽[やぶちゃん注:「むぎわらぼう」。]の外、何もつけてゐない黑人が、びつこを引きながら門をあけに來た、――そのあとヘピヨピヨ鳴く雛(ひよこ)のむれ、驚くべきむれがついて來た。その大きな麥稈帽の下にある黑人の顏は見えなかつた。しかし、私は彼の手足や體が妙にしなびて、――干からびて、恰も竹のやうに見える事に氣がついた。私は、こんな氣味の惡い人間を見た事はない。それから雛(ひよこ)のついて來る事も不思議であつた。

 『やあ、お前の雛(ひよこ)はいつも元氣だね』公證人が叫んだ、『……フローラン夫人にお目にかかりたい』

[やぶちゃん注:「フローラン夫人」“Madame Floran”。「Floran」はフランス語で「花」。]

 『はい、かしこまりました』その怪物は西印度の土語で、嗄れ聲の返事をした。それから、私共の前をぴつこを引いて行つた。ふの干からびた踵のあとから、雛(ひよこ)が悉く跳んだりピヨピヨ鳴いたりしてつづいた。

『あいつは』私の友人は云つた、『八九年前に、毒蛇にかまれたんです。不思議に直つて、いや、先づ、半分直つてから、ずつとやせて骸骨のやうになつて居るのです。あのびつこを引くところを見給へ』

 その骸骨は家のうしろへ見えなくなつた。それから私共は、表玄關に暫く待つてゐた。それから蜂の色の頭巾を卷いて、あやめの色のきものをきた、見るからに立派な混血の女が、夫人は家があついから、庭で休んで下さるやうにと云はれましたと云ひに來た。そこで椅子と小さい卓が、蔭のある處へ置かれた。それから混血の女がレモンや、砂糖シロツプや、林檎液のやうな香のする透明な地作りのラム酒や、厚い赤い粘土製の素燒の壺に入れた氷のやうな冷水などを持つて來た。私の友人は、その飮料の世話をした。それから、女主人は挨拶に來て一緖に坐つた、――造幣局から出たばかりの銀貨のやうな色の髮をした、よい老婦人であつた。私共を歡迎してくれた時の、この微笑のやうな、やさしい微笑を私はこれまでに見た事はない。さうして、私は彼女の昔の西印度の少女時代の方が、果して今の彼女――やさしい皺、臼い髮、それから正直な黑い輝いた眼をした彼女――もつと綺麗であり得たかを訝る。……

 

 それからさきの會話は、何かの用件に關する事ばかりであつたので、私は加はる事ができなかつた。公證人はやがて整ふべき事は整へて、それから、その上品な婦人から別れのやさしい言葉を云はれたあとで、私共は出發した。再びみいらのやうな黑人が――小さい彌次馬のやうな雛(ひよこ)を悉く引きつれて――門をあけに私共の前をびつこを引いて行つた。私共が馬車に落着いてからも、その案山子[やぶちゃん注:「かかし」。]のやうな老物のあとを追ふ雛のピヨピヨが未だ聞えてゐた。

 『あれはアフリカの魔術ですかね』私は尋ねた。……『どうして、あの雛をだますのだらう』

 『妙――だね』公證人は、私共の車が走り出した時答へた。『あの黑人は、もう今では少くとも八十になる筈だ。しかしまだもう二十年は生きさうだ、――畜生』

 私の友人のこの言葉――『畜生』――を云つた調子に、餘程驚いたが、それは、この人ほど親切な同情のある、それから不思議に偏見と云ふもののない人はない事を、私は知つてゐたからであつた。これには何か話があるだらうと思つて、默つて待つてゐた。

[やぶちゃん注:「畜生」原文“wretch”(レェッチ)。原義は「哀れな人・みじめな人」であるが、卑称(罵詈雑言)で「恥知らず!・嫌われ者が!・こいつめ!」の意がある。]

 『君』暫くして、その農場を全く離れてから、公證人は云つた。「君の云ふあの老人の魔術使ひ、あれはあの土地で生れた生れながらの奴隷です。あの土地は、私共の訪問した夫人の夫のフローラン氏の財產でした。夫人はその人の從妹で、愛し合つて結婚したものです。結婚して二年程たつた時分に、一揆が起つた(幸に子供がなかつた)――一千八百四十八年の黑人の一揆です、農場の主人が多數殺されたが、フローラん氏は眞先に殺された人の一人でした。それで今日遇つたあの黑人、――君の謂はれたあの老魔術使ひ、――あれが畠を捨てて、一揆に加はつたのです。いゝですか』

 『なる程』私は云つた、『しかし暴民を恐れて、さうしたのかも知れない』

 『さうとも、外のものも皆同じ事をしたんだから。しかしフローラン氏を殺したのはあの男で、――何も理由がないのに、――彎刀で斬り殺したのです。襲はれた時は、フローラン氏が、――畠から一哩[やぶちゃん注:「マイル」。一マイルは約千六百九メートル。]程下つた處を、馬で家へ歸る途中でした。……白面(しらふ)ではフローラン氏に向ふ事などはとてもできない。それで奴は無論醉つて、――氣違ひのやうに醉ぱらつてやつたのです。大槪の黑人は、勇氣をつけると云つて、地蜂を中へ入れて、ラム酒を飮んだものです』

[やぶちゃん注:「彎刀」原文“cutlass”(カットレス)。反り身になった幅広の短剣。昔、船乗りが用いた。農業用具でもあり、カリブ海や中米の熱帯雨林やサトウキビ畑の収穫時にも使用される。同じ用途で、中南米の原住民が使う「マチェーテ」というより大きな鉈もある。]

 『しかし』私はさへぎつた。『その奴が未だフローラン家の農場に居るといふのはどうしたのかね』

 『待ち給へ。軍隊で暴民の取締ができた時、フローラン氏の殺害者をさがしたが、見つからない。奴は甘蔗畠の中に、――フローラン氏の甘蔗畠に、――野鼠のやうに、蛇

のやうに――隱れてゐたのだ。或朝、憲兵が未だ彼をさがして居る間に、家に驅け込んで、夫人の前に倒れて、泣いたり叫んだりして「あい、やい、やい、やい、――私は殺しました、――私は殺しました、――あい、やい」丁度此通りの文句を云つたのです。それからお慈悲を願つた。何故フローラン氏を殺したかと尋ねられた時、そんな事をさせたのは、惡魔の故だと云つたのです。……處で、夫八は彼を赦してやつた』

 『どうして、そんなことができたものですかね』私は尋ねた。

 『何しろ、夫人は始めから非常に信心深い、――眞面目に信心深い人でした。「今私がお前を赦して上げるやうに、神樣も私を赦して下さい」と云つただけで、召使達にその男を隱させたり、食物を運ばせたりして、たうとうその騷ぎの終るまで隱し通した。それから元通り仕事に出して、それ以來ずつとあの農場で働いて居るのです。勿論、今では年を取つたから畠では何の役にも立たない、――ただ雛(ひよこ)の世話をするだけですが』

 『しかし、どうして』私は頑張つた、『親類の人達が、夫人にあれを赦させたのですかね』

 『それは、夫人が主張したところでは、あの男は精神的には責任がない、――自分のやつて居る事は何だか分らずに人殺しをした氣の毒な馬鹿者に過ぎない、と云ふのです。それから自分でさへ赦す以上、外の人々はもつと容易に赦せるわけだと主張したのです。それで相談の結果、親類達は夫人の好きなやうに、この事件を處分する事にきめたのです』

 『しかし何故でせう』

 『あの惡者を赦してやると云ふ事に夫人が一種の宗敎的慰安――一種の宗敎的快樂――を見出して居る事を、皆が知つてゐたからですね。夫人は赦してやるばかりでなく、世話をしてやるのが、キリスト敎徒としての義務だと想像したのです。僕等はその考は間違だと思ふが――しかし、その考はよく分つた。……まあ、宗敎と云ふものは、どんな事を人にさせるものかと云ふ、一例になyりますな』……

 

 新しい事實に不意に出合ふ事や、前に想像もしなかつた事を何か不意に知覺する事は、心ならざる微笑を起させる事がある。友人が未だ話をして居る間に私は思はず微笑した。すると、善良なる公證人の顏はくもつた。

 『おや、君は笑ふね』彼は叫んだ、――『君はをかしいと思ふのですね。それはいけない、――それは間違つて居る。……しかし、君は信じない。君は、本當の宗敎、――本當のキリスト敎と云ぶものはどんなものか分らないのです』

 『失敬、君の話は一言一句疑はない。もし、知らずに笑つたとすれば、それは驚かざるを得ないものがあつたからですよ』……

 『何をさ』彼は眞面目になつて尋ねた。

 『その黑人の驚くべき本能に對してです』

 『あゝ、成程』彼は是認するやうに答へた。『さうです、さうです、動物の猾智、――野獸の本能でした。……廣い世界で、彼を救ふことのできる人は夫人だけであつた』

 『ところで、彼はそれを知つてゐた』私は附け加へて見た。

 『否(いや)――否(いや)――否(いや)』私の友は斷然反對した。――『それを知つてゐたわけはない。ただ感じたのです。……そんな本能は、知識も思想も理解も不可能な頭腦、人間の心ではなく動物の頭腦にあるのです』

 

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