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2019/10/20

小泉八雲 日本の子供の歌  (大谷正信訳) 四(「物語の歌」)

 

[やぶちゃん注:本篇については、『小泉八雲 日本の子供の歌  (大谷正信訳) 序・一(「天気と天象との歌」)』を参照されたい。]

 

 

   

 

   物語の歌

 

おらが隣の 千松は、

近江の軍(いくさ)に 賴まれて、

一年經つても まだ來ない、

二年經つても まだ來ない、

三年經つたら 首が來た。 (銚子)

[やぶちゃん注:「近江の軍」最も古くで、関東から派兵された戦さとしては、まずは源義仲と源頼朝が派遣した東国諸将との間で近江国粟津において戦われた「粟津の戦い」(寿永三(一一八四)年一月二十日)であろう。「平家物語」などで物語性の強い万民の知る「戦さ」としては、これが群を抜くものと思う。その後、南北朝プレ期の建武政権期の延元元/建武三(一三三六)年九月中旬から二十九日にかけて、近江国で建武政権の新田義貞・脇屋義助らと、足利方の小笠原貞宗・佐々木導誉らとの間で行われた文字通りの「近江の戦い」はある。その後だと、永禄一一(一五六八年)九月十二日に足利義昭を奉じて上洛の途にあった織田信長と近江守護六角義賢・義治父子との間で行なわれた、信長の「天下布武」が実践された最初の戦いにして、戦国時代最後の合戦とされる「観音寺城の戦い」(別称「箕作(みつくり)城の戦い」)がある。また、三年経って首だけが帰ってきたというのは、相当に大規模な知られた大きな戦さであることを考えれば、「関ヶ原の戦い」の前哨戦となった近江国大津城を巡って争われた「大津城の戦い」(慶長五(一六〇〇)年九月七日から同月十五日)が挙げられる。千葉氏などの房総の関東豪族が支配した民が、関西方面の戦さに駆り出されること自体は、「大津の戦い」以降、全く問題はない。]

 

向うの山に

猿が三匹とうまつて、

前なる猿は物知らず。

後(あと)の猿も物知らず。

中の小猿がよう物知つて、

ござれともだち花見に行こや!

花はどこ花?

地藏の前のさくら花。

一と枝折ればパツと散る。

二た枝折ればパツと散る。

三枝がさきかに日が暮れて、

どつちの紺屋(こうや)に宿とろか?

束の紺屋に宿とろか?

南の紺屋に宿とろか?

殿さんの紺屋に宿とつて、

晝は短し 夜は長し。

あかづき起きて空見たら、

ぎつこのばつこのきいせんご。

船どもさらへて帆を掛けつ。

帆掛船のつりものは、

白織、赤織、赤地の

交じつた つばかたな。 (出雲)

 

附記 一行を爲し得なかつたのがある。ギツコノバツコノキイセンゴである。多分文句が訛つたのであらう。この唄と同種類のが澤山に在る。こんな種類のをランドンネの不完全な形式のもの――發展の初期のランドンネ――と言つてよくはなからうか。

[やぶちゃん注:「あかづき」は原文のママの音写。暁。

「ぎつこのばつこのきいせんご」は艪を漕ぐオノマトペイア(擬音語)、或いは漕ぐ際のそれに基づく掛け声であろう。

「ランドンネ」先に出たフランス語の(chanson)“randonnée”で、一種のエンドレスに循環するような唄のこと。]

 

やれ腹が立つ! 立つならば、

硯と筆とを 手に持つて、

思ふことをば 書き置いて、

紫川へ 身を投げた!

下(した)から雜魚が つ〻くやら、

上(うへ)から鴉が つ〻くやら!

つ〻いた鴉は 何處へ行(い)た?

森木の下へ麦蒔きに!

何石(なんごく)何石蒔いて來た?

二千石 蒔いて來た!

二千石の 能(のう)には、

寺の前で 子を產んだ!

住持の衣へ 血がついて、

雨垂水で 洗つて、

香爐の火で 炙つて、

香爐の火が 足らいで、

油火で 炙つて、

油火が 足らいで、

竃(くど)の火で 炙つて、

竃の火が 足らいで、

炬燵の火で 炙つて。 (出雲)

 

附記 自殺をする前にその動機を說明する手紙を書く習慣が詠み込んである。炬燵は四角な物で、四方と上とは木の棒で出來て居り、下には金屬製の火鉢か鍋を置き、それへ炭火を入れる。上へは重い布團を掛ける。その布團の下へ膝を入れて幾人もがそのまはりに坐つて暖まることが出來る。大きさは一呎[やぶちゃん注:「フィート」(単数なのでここは“foot”)。三十・四八センチメートル。]平方から二呎平方に至る。辭書は不合理にもこれを「一種のハース」と書いて居る。これはハースでは無い。が、西部日本では西洋のハースが占めて居る地位をその家で占めてゐる――一家の者が冬の夜そのまはりに集まるから。

[やぶちゃん注:「紫川」不詳。調べたが、出雲にはないと思われる。異名か。なお、原文は“murasaki-ga”であるから、「紫河」とも思われるが、音数律が悪いので「gawa」の小泉八雲の脱字か。平井呈一氏も『むらさき川』とする。

「ハース」“hearth”。原義は「炉床・暖炉に敷かれた石や煉瓦の床」。転じて家庭の団欒の中心である「炉辺」や「家庭」の意でも用いる。]

 

猫が桑名へ 參るとて、

桑名の道で 灯が消えて、

とぼしてもとぼしてもとぼらいで、

茶屋の緣へと 腰かけて、

水を一パイお吳れんか?

水をやるのは 易いけど、

釣瓶の底が 拔けました。

やれやれきつい 姉さんぢや!

お茶を一ぷく お吳れんか?

御茶をやるのは 易いけど、

茶釜の底が 拔けました。

やれやれきつい 姉さんぢや!

煙草を一ぷく お吳れんか?

煙草をやるのは 易いけど、

煙管(きせる)の首が 拔けました。

やれやれきつい 姉さんぢや!

 ひい――ふう――みい――いつ――むう――なな――やあ――

 この――とう! (伊勢)

 

附記 『姉さん』は宿屋の女中に向つて今なほ用ひられて居る敬稱。アネサンの略のネイサンといふを一層屢〻使用する。ひいふうの數はこの歌と共に行ふ遊戲に關係のあるもの。

 

 固よりの事上記の物語に述べて居る猫は化猫――多樣な姿に身を現じ得る力を有つて居る猫――である。それが人間の姿をして旅をして居る。が其假相は茶屋の女中の看破する所となつて女中はそれに答へるのに化物に對して答へる道を以てする。……化物若しくは幽靈が桶か他の容物(いれもの)かを乞ふなら直接それを拒むのは宜しくない。それを與へる前に忘れずに其容物(いれもの)の底を拔かなければならぬ、――で無いと其結果は取り返しのつかぬ物である。

 それで想ひ出すが、蛙や鳥が美しい少女に戀をしたり、種類の異つた動物が結婚したりする、ことを語つて居る西洋のお伽噺に關して、時折皮相な批評を下す者がある。そんな途方も無い不合理な物語は兒童の讀み物には不適當であり、なほまた藝術的價値を全く失はせる、といふのである。が、そんなお伽噺の多數は、その起原を溯つて東洋に求めることが出來るものである。ところが、東洋人の心には――動物の中で意の儘に人間の姿に現じ得るものが澤山あると信ぜられて居ることだから――人間と人間ならぬものとの結婚、といふ考には少しも不合理なところは無いのである。極東人の信仰では、一切の生はであつて、それを包んで居る形態はただ一時の狀態である。極東人の信仰に就いて幾分かの知識を有つて居ないでは、日本のお伽噺の眞の妙味は了解が出來ぬ。兎に角、飜譯でそれを讀む折は、必らず日本の藝術家の圖解のあるので讀まなければならぬ。ただの本文だけでは不可解に終はることを、その圖解が大いに說明して吳れるであらう。

 

附記 この信仰は佛敎よりも古い。が、佛敎は餘程それを承認して居る。佛門に入らんと欲する者に對して、以前問ふことになつて居た問の一つは、「毘奈耶」に據ると、斯うであつた。『お前は人間か?』

[やぶちゃん注:「一生の生はであつて」の「一」の下線太字は底本では傍点「◦」である。
「毘奈耶」「びなや」。サンスクリット語(ラテン文字転写:vinaya)の漢音訳。「律と」訳す。比丘・比丘尼に関する仏が制定した禁戒を指す。漢訳されたものに「四分律」・「五分律」・「十誦律」・「摩訶僧祇律」の四つがあり、未伝の「迦葉遺部律(かしょういぶりつ)」を加えて、「五分律」という。]

 

 次記の歌には蛇が或る人の娘の姿を執つて居る話がある。蛇女や龍女の話は日本文學に甚だ多い。多分この歌も前の歌も、古い小說か戲曲かを懷ひ出して作つたものであらう。

 

向うの小澤に 蛇(じや)が立つて、

八幡長者の 末娘(おとむすめ)。

巧(よ)くも立つたり 企(たく)んだり。

手には二本の 珠(たま)を持ち、

足には黃金(こがね)の 靴を穿(は)き、

あ〻呼べ、かう呼べと、言ひながら、

山くれ町くれ 行つたれば、

草刈殿御に 行きあつて、

帶を下され 殿御さま!

帶も笠も 易い事、

己(おれ)の女房に なるならば、

朝は起きて 髮結うて、

花の咲くまで 寢て持ちよ! (信濃)

 

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