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2019/11/07

小泉八雲 天狗の話 (田部隆次訳) / 作品集「霊の日本」電子化注~全完遂

 

[やぶちゃん注:本篇(原題Story of a Tengu)は一八九九(明治三二)年九月にボストンの「リトル・ブラウン社」(LITTLE,BROWN AND COMPANY)から出版された作品集IN GHOSTLY JAPAN(「霊的なる日本にて」。来日後の第六作品集)の十三話目に置かれた作品である。本作品集は“Internet Archive”こちら(出版社及びクレジット(左ページ)及び献辞の入った(右ページ)を示した)で全篇視認できる(本篇はここから)。活字化されたものは“Project Gutenberg”こちらで全篇が読める。実は、本話は私が二〇一六年六月に電子化した『柴田宵曲 續妖異博物館 「佛と魔」(その1)』で柴田氏が梗概を述べておられ(この小泉八雲の再話後に就いてのエピソードも添えられておられて必見である)、その私の注で英文原文を電子化し、原拠である「十訓抄」の「第一 可定心操振舞事」(心の操(みさを)を定むべき振舞(ふるまひ)の事」の中の一条を三種の諸本を参考に私が独自に読み易く操作したものも示してあるので参照されたい。

なお、この前に配すべき「小泉八雲 因果話 (田部隆次訳)」は、既に先行して電子化注と原拠の提示を終えている。底本は異なるが、現在の底本と校合してみたところ、有意な異同を認めない。但し、今回、原拠とほぼ同じと推定される「百物語」を国立国会図書館デジタルコレクションで発見したので、篇末の原拠をそれと校合し、完全にリニューアルした。ご覧あれ。

★また、本篇の後に配されてある本作品集掉尾の名作「焼津にて」も、既に「小泉八雲 燒津にて 大谷正信譯 附・やぶちゃん注」で電子化注を終えている。底本は異なるものの、有意な異同はない)。従って、★本篇を以って――作品集「霊の日本」の総ての電子化注を終る――こととなる。

 底本は英文サイト“Internet Archive”のこちらにある、第一書房が昭和一一(一九三六)年十一月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第七巻の画像データをPDFで落として視認した。

 田部隆次(たなべりゅうじ 明治八(一八七五)年~昭和三二(一九五七)年)氏については先に電子化した「人形の墓」の私の冒頭注を参照されたい。

 傍点「ヽ」は太字に代えた。

 小泉八雲は標題ページの下部に注して以下のように述べている(英文原文注は『柴田宵曲 續妖異博物館 「佛と魔」(その1)』に添えたそれを見られたい)。

   *

 この物語は、「十訓抄(じっくんしょう[やぶちゃん注:「じゅっきんしょう」以外にこうも読む。])」と呼ばれる、とても古い珍しい日本の書物に、まずは見出すことが出来るものである。これと同じ伝説は、「大会(だいえ)」と呼ばれるまことに面白い能狂言の主題にも用いられている。

    天狗は、日本の通俗の絵画では、通常、鳥の嘴(くちばし)のような形をした鼻と翼を持った男たち、又は猛禽類のように描かれる。天狗にはいろいろと異なった種類があるが、孰れも山に棲んでいる精霊であり、さまざまな形態に変ずることができ、時には烏、鳶、または鷲となって現れるものと想像されている。 仏教では天狗をマラカイカス族[やぶちゃん注:平井呈一氏は『魔瀬界道』と訳しておられる。]に分類しているようである。

   *

狂言「大会」は「大槻能楽堂」のこちらの解説がよい。私は見たことがないが、明らかに、「十訓抄」のそれを種本としたものであることが判る。「大会」(歴史的仮名遣は「だいゑ」)は大規模な法会の事を指すが、ここは特異的に釈迦の霊鷲山での説法を指す。なお、そこでは天狗の幻術を破るのは帝釈天である。]

 

 

  天狗の話

 

 後冷泉天皇の時、京都に近い比叡山の西塔寺に聖い僧がゐた。或夏の日にこの聖い僧が都を訪れて歸る途中、北の大路で幾人かのこどもが鳶を虐めて居るのを見た。そのこども等は羂(わな)[やぶちゃん注:「罠」に同じい。]で捕へたその鳥を棒で打つてゐた。僧は同情して叫んだ、――『可愛さうに、――どうしてそんなに虐めるのだ』一人のこどもは答へた、――『殺して羽を取るのです』僧は慈悲心を起して、携へてゐた扇と交換に、その鳶を自分に渡す事を說いた、それからその鳥を放つてやつた。鳥はひどく怪我もしてゐなかつたので、飛び去る事ができた。

[やぶちゃん注:「後冷泉天皇の時」後冷泉天皇の在位は寛徳二(一〇四五)年から治暦四(一〇六八)年。

「比叡山の西塔寺」は比叡山延暦寺の本堂に相当する釈迦堂を中心とする区域。「延暦寺」公式サイト内のこちらに各堂や院の簡単な解説と地図がある。]

 

 この功德を行うた事を嬉しく思うて、僧はその途を續けた。餘り遠く行かないうちに、彼は路傍の竹藪から異樣の法師が步み出て、自分の方へ急いでるのを見た。法師は恭しく、彼に挨拶して云つた、――『御憐憫によつて命を助かりました。それで今相當の感謝の意を表はしたうございます』かう云はれて驚いた僧は答へた、

『實は前に、御見受け申した覺えはない、どなたでせうか聞かせて下さい』『こんな姿ではお分りにならないのも道理』法師は答へた、『私は北の大路で、あの惡童等に虐められでゐた鳶でございます。おかげて命は助かりました、この世で命より貴い物はございません。それでどうかして御親切を今返したうございます。もし何かあなたが、見たい、知りたい、得たいと御望みになる物がございましたら、――つまり私にできる事なら何なりとも、――どうか云つて下さい、實は私は小さい程度で、六つの神通力をもつて居りますから、御望みの願は大槪かなへられます』この言葉を聞いて、僧は天狗と話して居る事を知つた、それで明らさまに答へた、――『私はもう長い間この世の事には頓着しなくなつて居る、もう七十だから、――名聞も娛樂も私には用はない.ただ後生の事だけが氣にかかるが、それも誰にも助けて貰へない事柄だから、かれこれ考へても無駄であらう。實は、願つて見る事をただ一つしか考へられない.私は釋迦如來の時分に印度にゐて、聖い耆闍崛山[やぶちゃん注:「ぎじやくつせん(ぎじゃくっせん)」。後注参照。]大集會に列しなかつた事を一生の恨みと思つて居る。朝晚の勤行の時に、この恨みを思い出さない日は一日もない。あ〻、もし菩薩のやうに、時間空間を超越して、その不可思議な會合を見る事ができたなら、どんなに嬉しからう』――『さあ』天狗は叫んだ、『その信心深いあなたの願を滿足させる事はたやすくできませう。私は靈鷲山の會合をよく記憶してゐます、それでありのままに、そこにあつた事を何でも、あなたの前に現れるやうにする事ができます。こんな聖い事を表はすのはこの上もない喜ばしい事です。……さあ一緖にこちらへ來て下さい』

[やぶちゃん注:「耆闍崛山」原文“the holy mountain Gridhrakûta”。サンスクリット語「Gŗdhrakūţa(グリドラクータ)」の漢音写。「霊鷲山」(りょうじゅせん)などとも漢訳する。古代インドのマガダ国の首都王舎城、現在のラージギルの東北あるSaila-giri(グーグル・マップ・データ)の南面の山腹にあって、今はチャタ(Chata)山と呼ばれており、ここは釈尊が「大経」や「法華経」を説いた山としてとみに知られる。]

 それから僧は坂の上の松林の間へ導かれた。『さあ』天狗は云つた、『暫らく眼を閉ぢて待つてゐて下さい。佛が法の道をお說きになる聲が聞えるまで眼を開かないで下さい。それから御覽になれます。しかしあなたが佛の樣子が見えても、決して有難さに心を動かされてはなりません、――お辭儀をしたり、祈つたり、或は「如何にも」とか、或は「有難うございます」と云ふやうなそんな嘆聲を發してはなりません。決して聲を出してはなりません。何か有難いやうな少しのしるしでも表はしたら。何か餘程不幸な事が私に起りさうですから』僧は喜んでこの戒めに從ふ事と約束した、そして天狗はその觀ものを用意するかのやうに急ぎ去つた。

 

 日は傾いて消えた、そして暗黑が來た、老僧は眼を閉ぢで樹の下に忍耐して待つてゐた。たうとう、不意に聲が上の方から、――大きな鈴の鳴るやうな深い澄んだ不思議な聲、――法の道を說き給ふ釈迦牟尼佛の聲が響いた。それから僧は眼を開けると非常に輝いて、一切の物が變つて居る事に氣がついた、場所は聖い印度の靈鷲山であつた、そして時は妙法蓮華經を設き給ふ時であつた。今は𢌞りに松の樹はなかつた、ただ七重寶珠の果實と葉をもつた不思議なな輝いた樹があつた、――そして大地は天から降る曼陀羅華、曼珠沙華の花で蔽はれてゐた、――そして夜は香ばしい、花やかな、美しい大音聲で滿たされた。そして世界の上に輝く月のやうに、中空に輝ける世尊が、獅子の座に坐してゐ給ふのを僧は見た、右には普賢、左には文殊、――それからその前には、――星の洪水のやうに、數へられぬ程一面に、菩薩摩訶薩の群衆が、雲霞のやうな『諸天、夜叉、龍、阿修羅、人、非人』の大衆を率ゐて集まつた。舍利弗も見えた、迦葉、阿難陀、その外如來の弟子達も悉く見えた、――諸天の王達も、火の柱のやうな四方の王達も、――大龍王達も、――乾達婆も迦樓羅も、――日と月と風の神達も、――それから梵天の空に輝ける無數の光も見えた。それからこれ等の數へきれない榮光の集團よりも遙か向うに、――時のはてまでも貫くやうに大釈迦牟尼佛の額から出て居る一條の光明によつて照されて、百八十萬の東の方の佛の畠[やぶちゃん注:仏が在住し教化する仏国土のこと。]とそこに住んで居る物、――それから六道の生存狀態の一々にある物、――それから涅槃に入つて、寂滅した諸佛の姿までも見えた。これ等、及び諸神、及び夜叉悉く、獅子の座の前に低頭して居るのを僧は見た、それから無數の群集が、――世尊の前に、海のうなりのやうに、――法華經を唱へて居るのを聞いた。その時彼は約束を忘れて、――愚かにも、自分は正しく佛の前に居ると想像して、――感謝隨喜の淚を流して禮拜のためにうつ伏して、大きな聲で『有難い佛樣……』と叫び出した。……

[やぶちゃん注:「摩訶薩」(まかさつ)はサンスクリット語「マハーサットヴァ」で「般若経」に頻出する。必ず。「菩薩(ボーディサットヴァ)」と一緒に「菩薩摩訶薩」という形で使われており、ウィキの「」によれば、『その意味は、菩薩は「覚りを求める衆生」であり、摩訶薩は「偉大な衆生」である』。本来、「般若経」成立以前の、『般若経典編纂者たちの』所謂、『小乗仏教時代の』「菩薩」という『用語は、成道以前の釈迦の称号であったが』、「般若経」では『『覚りを求める衆生』と意味が拡張され、大乗仏教の立場で覚りを求める意義を強調するために摩訶薩を付加するようになった』とあるので、菩薩と同義の如来となるための修行者のことを指す。

「舍利弗」(しやりほつ(しゃりほつ))は釈迦十大弟子の一人。インドのマガダ国に生まれ、釈迦に師事し、その布教を助けた。「智慧第一」と称された。

「迦葉」(かせふ(かしょう))も釈迦十大弟子の一人。婆羅門(バラモン)出身で、釈迦の入滅後、教団を指導し、第一回経典結集(けつじゅう)を執行したことで知られる。「頭陀第一」と称された。「大迦葉」「摩訶迦葉」とも呼ばれる。

「阿難陀」(あなんだ)も釈迦の十大弟子の一人。記憶力に勝れ、第一回経典結集の際には多くの経説を復唱したとされる。師の説法を最も多く聞き、「多聞第一」と称された。「阿難」とも呼ぶ。

「乾達婆」(けんだつば)であるが一般には「乾闥婆」と記す。サンスクリット語「ガンダルヴァ」の漢音写。通常は「食香」「尋香」「香神」などと意漢訳す。仏法護持の八部衆の一人で、帝釈天に仕え、香だけを食し、伎楽を奏する神で、「法華経」では観音三十三身の一つに数えている。

「迦樓羅」(かるら)サンスクリット語「ガル(ー)ダ」の漢音写。「金翅鳥」(こんじちょう)とも漢意訳する。想像上の大鳥で、翼は金色、口からは火を吐き、龍を好んで食うとされる。天龍八部衆の一神で、密教では、仏法を守護し、衆生を救うために梵天が化したものとする。]

 直ちに地震のやうな打擊と共にこの洪大な觀ものは消えた、そして僧は山腹の草の上に跪いて暗黑のうちにただ一人ゐた。それから僧は、このまぼろしの消えた事と、思慮が足りないで約束を破つた事とのために、名狀のできない悲しさに襲はれた。悲しさうに足を歸り路に向けると、再び不思議な山法師が現れて、彼に苦痛と非難の調子で云つた、

 「あなたが私に約束なさつた事をお守りにならないで、無分別にもあなたの感情を洩らされたので、敎法の守護役である護法天童が突然天から私共のところへ舞ひ下つて、非常に怒りを發して、「どうして汝等はこんなに信心深い人を欺かうとするのか」と云つて、私共を打ちさいなみました。それで、私が雇ひ集めた法師等も恐れて逃げました。私も、翼が一つ折れたので、――今飛ぶ事ができなくなりました』かう云つて天狗は永久に消え失せた。

 

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