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2019/11/12

小泉八雲 蟲の樂師 (大谷定信訳) / 「三」・「四」

 

[やぶちゃん注:本篇については『小泉八雲 蟲の樂師 (大谷定信訳) / 「一」・「二」』を参照されたい。]

 

       

 啼く蟲を常識の商賣にすることは比較的近代の起原のものである。東京ではその濫觴はやつと寬政年代(一七八九――一八〇〇年[やぶちゃん注:正確には一八〇一年の誤り。寛政十三年二月五日(グレゴリオ暦一八〇一年三月十九日)に享和に改元。])に溯るだけのことである。尤もその時代には將軍職の首府はまだ江戶といつて居つた。この事に關する完全な歷史――一部分は舊記から編纂し、一部分は幾軒かの有名な現在の蟲商人の家に保存されて居る言ひ傳へから作つた歷史――が近い頃自分の手へはひつた。

 

 東京での此商賣の元祖は、元越後から出て來たもので、十八世紀の後半に江戶の神田區に住居つてゐた、食べ物を賣り行く忠藏といふ男であつた。或る日のこといつもの町𢌞りをやつて居るうち、當時根岸の里に澤山に居たスズムシ卽ち鈴蟲を二三匹捉へて、それを家(うち)で養つて見ようとした。蟲は幽閉の中に殖えて、好い音を出して啼いた。そこで忠藏の近處の人達が、その美しい啼聲に魅せられて少しの御禮をするからスズムシを吳れないかと乞うた。此の偶然の手始めからして、鈴蟲の需用が俄に增して來たので、この食べ物賣は以前の職業を棄てて蟲賣にならうと決心した。

 忠藏は蟲を捉へて來て賣るだけであつた。之を飼養繁殖させれば、もつと利益にならうとは想像もしなかつた。ところが繁殖の事を間も無くその購客の一人――當時青山下野守に仕へて居た桐山といふ人――が發見した。桐山は忠藏から鈴蟲を幾匹か買ひ求めて、それを濕つた土を半分入れた壺に入れて飼つて居つた。蟲は寒さの時候に死んだが、翌年の夏、最初壺に閉ぢ込められて居たのが土の中へ殘して置いた、卵子から生まれ出たに相違無い、小さなのが澤山壺の中に今棲まつて居るのを見て驚き喜んだ。大事に育てた。すると、自分の歷史家の言ふ處に據ると、やがて『小き聲にて啼き初』めるのを聞いて大いに喜んだ。それから實驗を試みて見る事に決心した。そして、雌と雄とを持つて來て吳れた忠藏の力を藉りて、單に鈴蟲ばかりでは無く、他の三種の歌ふ蟲を――邯鄲[やぶちゃん注:「かんたん」。]、松蟲、それに轡蟲を――養殖するに成功した。同時に、壺を暖かい部屋へ置いて置けば、天然の時候よりも餘程前に蟲を孵化さす事が出來る事を發見した。忠藏は桐山の爲めにその家内で養殖した歌ひ手を賣つてやつた。そして兩人は此新事業が思ひの外利益になる事を知つた。

[やぶちゃん注:「青山下野守」丹波国篠山藩四代藩主青山忠裕(明和五(一七六八)年~天保七(一八三六)年)。

「桐山」不詳。]

 桐山が出した手本を、神田區に住まつて居た、安兵衞といふタビヤ卸ち足袋製造者(その職業の理由(わけ)で普通足袋屋安兵衞として知られて居た)が眞似をした。安兵衞も同樣に、蟲の養殖をやる目的で、心を留めて歌ふ當の習性を硏究した。そして間も無くそれで一かどの商賣がやつて行けることを發見した。此時分までは、江戶で賣る蟲は、壺か箱の中に入れて置いたもののやうである。安兵衞は蟲の爲めに特別な籠を造らうといふ念を抱いた。ところが、本所區の龜井家の家來で近藤といふ男が此事に興味を持つて、可愛らしい小さな籠を澤山に造つたので、安兵衞は大いに喜んで續々注文をした。此の新發明はすぐと一般の好評を博した。で、近藤はその後すぐと蟲籠の最初の製造場を建てた。 

Cage

[やぶちゃん注:この附近に配された虫籠の図。英文キャプションは(助詞を除く各単語の頭文字が若干大きく作ってあるが、面倒なので再現しなかった。以下同じ)、

  1. A FORM OF INSECT CAGE.  2. CAGE FOR LARGE MUSICAL INSECTS,—Kirigirisu, Kutsuwamushi, etc.
  2. CAGE FOR SMALL MUSICAL INSECTS, OR FIRE-FLIES

訳すと、

1 虫籠の一形状。

2 大型の鳴く虫たちのための籠、――キリギリス、クサヒバリ等々。

3 小型の鳴く虫たち、又はホタルのための籠。

であるが、原画に添えられた添書きは違って、

1 鈴虫松虫籠

2 クツハ虫

  キリギリス 籠[やぶちゃん注:上の二行の下に「籠」。]

3 ホタル籠

である。]

 

[やぶちゃん注:「龜井家」恐らく石見津和野藩藩主の亀井家(下屋敷が本所にあったようである)である。当時は第八代藩主亀井矩賢(のりかた 明和三(一七六六)年~文政四(一八二一)年)。

「近藤」不詳。]

 歌ふ蟲の要求は此の時から俄に增加したので、忠藏は買つて吳れるお客總てに直接供給するの不可能なことを直ぐと知つた。そこで自分の商賣を卸商に改め、小賣商人だけに賣ることに決定した。注文に應ずる爲めに彼は廣く郊外及び其他の百姓から買ひ求めた。多勢の人を使用した。そして、安兵衞や他の者共は、色々な權利や特典の爲め、年々一定の金額を彼に拂つた。

 それから暫くして、此の安兵衞が歌ふ蟲を賣りあるく元祖になつた。商品を高聲で呼ばはつて町を步いた。だが大勢の下男を傭つて籠をかつがせて居た。傳ふる所に據ると、彼は、町を𢌞はりあるく時は、透綾といふ貴重な絹の織物でつくつた帷子[やぶちゃん注:「かたびら」。]を着、立派な博多

 

【注】カタビラといふは夏衣として使用する種々な輕い織地の名である。材料は普通は麻であるが、時には、此處に述べてある場合のやうに、薄い絹のこともある。そんな著物に透き通つて居るのもあつて非常に美しい。ハカタは、九州に在つて、其處で出來る帶で今なほ有名でもる。その織物は厚くて丈夫である。

 

帶を締めて居たさうである。そして此の優雅な身なりが商賣の上に大いに役に立つたといふことである。

 ここに、二人の人が、その名前は殘つて居るが、それが間も無く安兵衞と競爭を始めた。一人は、元の職業はサハイニン卽ち財產の世話人であつた、本所區の、安藏安造(やすくらやすざう)といふのであつた。繁昌して、ムシヤス卽ち『蟲賣安』として廣く名を知られるやうになつた。その成功は、元同じくサハイニンをして居た、上野の源兵衞といふ者の心を勢ひ附けて、同じ商賣に入らしめた。源兵衞もまた蟲賣は儲けになる商賣であることを知つた。そして、今でも人の覺えてる[やぶちゃん注:ママ。]、ムシゲンといふ渾名を得た。此男の東京の子孫は飴製造者になつて

 

【注】アメは小麥や他の物質から取つた滋養に富む膠質の抽出物である。キヤンデイとして、糖蜜に類したシラツプ汁として、熱い甘い飮料として、堅いゼリイとして――いろんな形で賣つて居る。子供は頗る之を好む。その主成分は澱粉糖である。

 

居るが、夏と秋の間は、祖先傅來の蟲商賣を今も營んで居る。そしてその店の一人が、親切にも此の一小隨筆に記錄した事實の多くを自分に供給して吳れたのである。

[やぶちゃん注:「サハイニン」差配人。地主や家持ちの人々に代わって、店賃(たなちん)や地代を取り立て、店子(たなこ)を監督する役割を担った民間職。但し、差配人自身は家持ちでも地主でもない。

「安藏安造」不詳。

「上野の源兵衞」「ムシゲン」底本の大谷氏の「あとがき」に、『『蟲の樂師』は譯者が明治三十年』(一八九七年)『十月に提供した材料に據つて物されたものである。原著者が三に述べて居る事は、社會事彙にも依つたのであるが、上野廣小路の松坂屋の向側に居た文中の所謂『蟲源』といふ蟲屋に就いて譯者が聽いたものにも依つて居る』とある。この「社會事彙」とは明治二三(一八九〇)年から翌年にかけて経済雑誌社から刊行された本邦初の西欧的百科事典「日本社会事彙」(全二巻。索引別巻は未刊行)のことで、その「ムシウリ 蟲賣」の項を指す。国立国会図書館デジタルコレクションの画像のここで読め、歴史と「種類及地」・「製造法及捕獲法」など非常に面白い。一見をお勧めする。

 此の珍らしい商賣の父であり、創立者である忠藏は子無くして死んだ。そこで文政年間(一八一八――一八二九年[やぶちゃん注:一八三一年の誤り。文政十三年十二月十日(グレゴリオ暦一八三一年一月二三日)に天保に改元。])の或る頃、その遠緣の山崎淸次郞といふが其跡を引き受けた。山崎は自分の商賣――玩具屋――と忠藏の商賣とを一緖にした。その頃此の部分の都會の蟲賣の數を三十六人と限る法令が出た。その三十六人がそこでオホヤマカウ(大山講)といつて、

 

【注】相模のオホヤマは巡禮者で大いに賑はふ。あの美しい富士の女神の姉妹のイハナガヒメ(「岩長姬」)を祀つた有名な社がある。セキソンサンといふはその神にも、山そのものにも用ふる通俗な名である。

 

相模國大山の石尊(せきそん)樣といふ神樣を守神とした組合を造つた。が、商賣の方では此の團體はエドムシカウ卽ち江戶蟲講として知られて居た。

[やぶちゃん注:「山崎淸次郞」高橋千劔破(ちはや)著「花鳥風月の日本史」(二〇一一年河出文庫刊)の「虫売りを商売に江戸っ子」に(幸いにして「グーグルブックス」のこちらで当該部が読める)ここに記された虫売りの小史が載り、最後にはまさに小泉八雲の本篇の掉尾の一文が載るが、そこに彼について『下谷御徒町(したやおかちまち)に住』んでいたと明記してある。]

 キリギリス――詩人其角が千六百八十七年に江戶で買はうとして買へなかつたといふあの蟲が江戶で賣られたことを我々が聞くのは、上述の商組合が出來てから後初めてである。ムシヤカクジラウ(蟲屋孝次郞)といふ、本所耳で蟲賣をして居た、此組合の一人が、その鄕里上總ヘ一寸行つて江戶へ歸る時、澤山の螽斯を携へ歸つて、それを賣つて大いに儲けた。他所では長い間有名であつたのに、江戶ではそれまで此蟲は賣らなかつたのである。

 『水野越前守マチブギヤウ(町の奉行)となりし時、蟲賣の人數を三十六人と限る法令廢止された』と歷史は言うて居る。前記の組合は其後解散したかどうか、此の歷史は記載して居らぬ。

[やぶちゃん注:前記の高橋氏の著書にはこの『株仲間三十六人衆は解散させられてしまった』とある。

 歌ふ蟲を人工的に養殖した元祖の桐山は、忠藏の如く、商賣に繁昌した。龜次郞といふ息子を殘して死んだが、その子は牛込區早稻田に住居して居た湯本某の一家へ養子に入つた。龜次郞はその父の職業の貴重な祕傳を湯本家へ持つて來たので、湯本家は今でも蟲の養殖業に有名である。

[やぶちゃん注:「桐山」或は「湯本」「龜次郎」は不詳。ただ、早稲田は小泉八雲が東京で住まっていた富久町と場所的に近い。]

 今日東京で一番大きな蟲商人は四谷區左門町の川住兼三郞だと云はれて居る。小商人は大抵はその秋の仕入を此人から得る。然し人工的に養殖して夏賣る蟲は、多くは湯本家から供給せられる。他の知名な商人は下谷區の蟲淸と淺草の蟲德である。此等二人は田舍で捕つて百姓が東京へ持つて來るのを買ひ込むのである。エンニチ卽ち宗敎上の祭禮中、寺社の附近で――殊に日が暮れてから――蟲賣をする多勢の蟲商人へ、籠も蟲も卸商人が供給するのである。一年中殆ど每晚のやうに此都會の何處かに緣日がある。だから蟲屋は夏と秋の幾月の間滅多に閑では居らぬ。

[やぶちゃん注:「川住兼三郞」原文に従えば、「かわすみかねさぶろう」。不詳。

「此等二人」「蟲淸」と「蟲德」の二人の業者を指す。]

 

 歌ふ蟲の東京の目下の値段の下記の表は、或は獨者に興味があるかも知れぬ、――

[やぶちゃん注:以下、全体が五字下げでポイント落ちであるが、行頭まで引き上げて同ポイントで示した。字空けも再現していない。]

 

鈴蟲       三錢五厘から四錢

松蟲       四錢から  五錢

邯鄲       十錢から 十二錢

金雲雀      十錢から 十二錢

草雲雀      十錢から 十二錢

黑雲雀      八錢から 十二錢

轡蟲       十錢から 十五錢

大和鈴      八錢から 十二錢

蟋蟀       十二錢から十五錢

閻魔こほろぎ   五錢

鉦叩       十二錢

馬追       十錢

[やぶちゃん注:本作品集は明治三一(一八九八)年刊であるが、明治三十三年の物価を示しておくと、米一升が十二銭、砂糖一キログラムが十六銭、鶏卵一個が二・四銭、ビールが二十一銭、コーヒー一杯二銭であった。

「大和鈴」後で出、注するが、私が全く知らない名であるので、特異的に注しておくと、これは直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目コオロギ上科コオロギ科ヒバリモドキ亜科ヤマトヒバリ属ヤマトヒバリ Homoeoxipha obliterata の異名である。

 

 が然し、この値段は、蟲商賣の多忙な時節だけのものである。五月から六月の末までは――人工的に養殖されたのだけが市場へ出るのであるから――値段が高い。七月には、田舍から持つて來る蟋蟀は一錢といふ安値で賣る。邯鄲、草雲雀、大和鈴は時には二錢といふ廉價で買はれる。八月になると閻魔こほろぎを十匹一錢で買へる。九月には黑雲雀、鉦叩、馬追が一匹二錢若しくは一錢五厘で買へる。だが鈴蟲と松蟲との値には、どの季節にも餘り變化は無い。非常に高いこともないが、三錢より廉いことは無い。そしていつも需用[やぶちゃん注:ママ。]がある。鈴蟲が一番人氣がある。每年蟲商での利益の大部分はこの蟲の賣却で得られるのだといふことである。

 

 

       

 前揭の値段表で分かるやうに、啼く蟲を十二種類東京で賣つて居る。人工的に養殖の出來るのは九つ、――卽ち、鈴蟲、松蟲、蟋蟀(きりぎりす)、邯鄲、轡蟲、閻魔蛼[やぶちゃん注:「えんまこほろぎ」。]、金雲雀、草雲雀(朝鈴ともいふ)、それに大和鈴又の名吉野鈴。三種類は聞くところに據ると、養殖して賣るのでは無くて、捉へて來て市へ出すのである。それは鉦叩、馬追又の名機織、それと黑雲雀である。だが每年賣りに出る此等蟲類全體のうち、餘程の數はその本來往まつて居る處で捕獲したものである。

[やぶちゃん注:「蟋蟀(きりぎりす)」前に既に「二」の終りで問題にしたことなのであるが、ここに関しては残念ながら(主に私にとって、である)キリギリスを指していると採らざるを得ない気がしている。ここは原文が総て日本語のローマ字転写で記されてあること、江戸時代後期に「キリギリス」の鳴き声を聴くために江戸で売られ始めたと前で盛んに小泉八雲が語った後であること、また、ここで「閻魔蛼」(エンマコオロギ)をすぐ後に出している以上は、という点からである。

 

Kanetataki

[やぶちゃん注:キャプションは、

KANÉTATAKI (“THE BELL-RINGER”) (natural size).

で、

カネタタキ(「鐘叩き」)(実物大)

和文添え辞は、

「金タヽキ」

である。私がその音(ね)を偏愛する直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目コオロギ上科カネタタキ科カネタタキ属カネタタキ Ornebius kanetataki。成虫は八月から十二月にかけて出現し、夜行性。♂は夏から初秋にかけては夜間、次第に気温が低くなってからは昼夜を問わず、梢や叢の中で「チッチッチッチッ」という小さな声で鳴く。和名は、この♂の鳴き声が鉦を叩く音に似ていることによる。但し、♂同士が接近した場合、「チルルチルル! チルチル! チルルルルルル!」という競い鳴きに変化する(以上はウィキの「カネタタキ」に拠った)。「手釣りのロダン」氏の「カネタタキの観察」のページで、画像や解説、温度差によるカネタタキの音色の変化も楽しめる。「千葉県立中央博物館」の「虫の音声」の「カネタタキ」のページでは、更に温度差四種の泣き声を聴くことが出来る。]

 

 夜啼く蟲は、殆ど例外無しに、容易に捕ることが出來る。提燈の助を藉して捉へるのである。明かりには直ぐ惹き附けられるから、提燈へ近寄つて來る。人に見えるほどに近附いた時、網か小さな籠かで容易く蔽ふことが出來るのである。雄と雌とは通例同時に取れる、對(つゐ)になつて步き𢌞つて居るから。雄だけが歌ふ。が雌も繁殖の目的を以て、或る數だけいつも捉へる。雄と雌とは繁殖の爲めだけに同じ器に入れて置く。皿の中へは決して一緖に置いて置かぬ。番(つが)ふと雄は歌はなくなり、交尾後間も無く死んでしまふからである。

[やぶちゃん注:雑食性のスズムシの場合、産卵のために足りない栄養を補うため、交尾後、ぐずぐずしていると、♂は♀に食べられてしまうことはとみに知られている。小泉八雲はそれを知っていたと思う。しかし、書かなかったのではないか。そこに私は彼の優しさを見る。

 繁殖用の夫婦ものは濕つた土を半分許り入れた壺か或は土燒の器(うつは)かへ入れて置いて、每日新しい食べ物を供給してやる。長くは生きて居らぬ。雄が先きに死ねるが、雌も卵を生んでしまふ迄しか生き延びて居らぬ。その卵から孵化した蟲の子は、生後四十日許りで皮を脫いで、それからずんずん大きくなつて、やがて充分の發達を遂げる。自然の狀態では、ドヨウ卽ち舊曆で極暑の時節の一寸前頃、――卽ち七月の央ば[やぶちゃん注:「なかば」。]頃――孵化する。――そして十月に歌ひ始める。が、溫かい部屋で育てると、四月の初に孵化する。そして注意して養ふと、五月の末前に賣りに出せる。極く若い折には、食べ物は搗き碎いて、それを滑らかな木片に貼つて與へるが、成長したのへは調理してないものを通例あてがふ――茄子だとか、瓜の皮だとか、胡瓜の皮だとか、或は白葱の柔らかい内部だとかの切り屑である。が然し特別な食物の要る蟲もある。――例をあぐれぱ、油きりぎりすは砂糖水と甜瓜[やぶちゃん注:「まくはうり」。]の薄片とで養ふ。

[やぶちゃん注:「油きりぎりす」褐色をしたキリギリスの個体呼称。生育環境の違いにより出現する。本邦産のキリギリスは四種いるとされるが、その内代表的な種は、

直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目キリギリス下目キリギリス上科キリギリス科キリギリス亜科 キリギリス族キリギリス属ニシキリギリス Gampsocleis buergeri(本州西部(近畿・中国)・四国・九州に分布)

と、

ヒガシキリギリスGampsocleis mikado(青森県から岡山県(淡路島も含む)にかけて分布)

である。

「甜瓜」スミレ目ウリ科キュウリ属メロン 変種マクワウリ Cucumis melo var. makuwa。]

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