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2019/11/20

小泉八雲 若さの香 (岡田哲蔵訳)

 

[やぶちゃん注:本篇(原題は“Parfum de Jeunesse”。「パルファン・ドゥ・ジュネッス」はフランス語。小泉八雲はフランス語が得意だった)は一八九八(明治三一)年十二月に、ボストンの「リトル・ブラウン社」(LITTLE,BROWN AND COMPANY)とロンドンの「サンプソン ・ロウ社」(SAMPSON LOW)から出版された来日後の第五作品集「異國情趣と囘顧」(“EXOTICS AND RETROSPECTIVES”)の第二パート“RETROSPECTIVES”の第四話である。本作品集は“Internet Archive”のこちら(出版社「リトル・ブラウン社」及びクレジット(左ページ)及び献辞の入った(右ページ)を示した)で全篇視認できる(本篇はここから)。活字化されたものは“Project Gutenberg”のこちらで全篇が読める(本篇はここから)。

 底本は英文サイト“Internet Archive”のこちらにある、第一書房が昭和一二(一九三七)年三月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第六巻の画像データをPDFで落として視認した。

 訳者岡田哲藏氏については『小泉八雲 初の諸印象(岡田哲蔵訳)/作品集「異国情趣と回顧」の「回顧」パート(総て岡田哲藏氏の訳)に入る』の冒頭注を見られたい。

 傍点「ヽ」は太字に代えた。途中に挿入される訳者注はポイント落ちで全体が四字下げであるが、行頭まで引き上げた。]

 

   若 さ の 香

 

 一人の舊友が彼の若き日のロマンスを私に談りていふ[やぶちゃん注:「かたりていふ」。]、『彼女が家に歸るときになれば、私は燈無き外套の室(クロオク・ルウム)でも彼女の外套をいつも採ることが出來た。私は暗でもそれが判かつた、それには甘い新しい乳の香があつたから……』と。

 このことが何としてか私に英國の曉、乾草の野の香、ホオソオンの咲く日の香を思ひ起こさせた、――すると我が友の終の語が私の耳に尙ほ殘るうちに、私の半生の上に閃いた記憶の大きな弧線を通じて思ひ出の房また房が連續して輝き出でた。そして追想が燻つて夢想になつた、――若さの香の謎に就いての夢想に。

[やぶちゃん注:「ホオソオン」“hawthorn”。バラ目バラ科ナシ亜科サンザシ属セイヨウサンザシCrataegus oxyacantha。但し、実際に特定種に比定できていないため、現在はこの学名は除去されているとも言う。同旧種についてのネット上の記載によれば、落葉低木で、ヨーロッパ中部・イギリス・北アフリカから中央アジアに分布する。高さは凡そ四~九メートル。五月に白色又は淡い紅色の五弁花を咲かせ、実は鮮やかな紅を呈する。花は、干し葡萄・アニス(西洋茴香(ういきょう))・フェンネルなどの香りを合わせ持った独特の香りがする。一六二〇年にイギリスから清教徒を乗せてアメリカに渡った「メイフラワー号」(Mayflower)にはこの花が描かれていたことから、「メイフラワー」とも呼ばれる。花・葉・果実は血管を刺激して血行を良くにする作用があるとされ、また心不全に狭心症などの冠動脈疾患にも用いられる、とある。]

 私の友が述べた若さの香(パアフム・ドウ・ジユネツス)のその性質は稀なものでは無い、――但し私はこれが南方よりは寧ろ北方の種族に屬すると思ふ。それは完全な健康と立派な强壯とを意味す。然しそれには人を牽く力のもつと纖弱な變種がある。時にはそれが人をして赤道直下の地より來たれる貴重な護謨[やぶちゃん注:「ゴム」。]または香料を思はせ、時には薄い快さで、――麝香の精靈の如くである。それは個人的では無い(身體的人格はたしかに香があるが)、それは季節の香である、――人生の春の香である。然し春の香は、何處でも移ろひゆく悅びであるが、それさへ國土や氣候によつて異る如く、若さの香にも變化がある。

 それが一の性のものたる以上に他の性のものであるかは言ひ難い。[やぶちゃん注:原文“Whether it be of one sex more than of another were difficult to say.”。どうも岡田の訳はこれに限らず、全体に生硬に過ぎ、意味が難解になっている憾みがある。これは平井呈一氏の恒文社版「青春のかおり」(一九七五年刊「仏の畑の落穂 他」所収)での、『それが、ほかの異性のものにもまして、ひとりの異性のものであるかどうかは、言いがたい。』という訳が躓かずに華麗にすっきりと読める。]我々は主としてそれを女子及び長髮の小兒に於て認めるのは、思ふに香は特に髮の中にある爲めであらう。然しそれは白百合の快さが然あるが如く、何時も技巧から離れてある。それは文明人の靑年に戀人の靑年にも等しくあり、王子の成年期にも農民のそれにも同じくある。ただし病弱者には無くて、完全に快活な健康にのみある。思ふに美と同じく、それは倫理的の條件と或る漠たる一般關係を有して居るものかも知れぬ。個人の香はたしかにこり條件を有つ、――犬の識別が證據を示す如くに。

 我々が花の香にて受ける快感は、永劫の遠き昔よりの情緖的反射であらうといふことを進化論者等は暗示して居る、卽ちその昔にはかかる香は人間より遙かに低き祖先的生命のものには美味の食物の存在を知らせたといふのである。同一の假說によれば我々の若さの香の快感は連想の何等の有機的記憶に基するのであらうか。

 思ふに其香が現今我々がそれに附帶せしめ得る何れの意義よりも一層明確でまた特殊なる意義を有つた時代があつたのであらう。花の香にて生ずる快感の如く、若き身體の健全なる香によつて與へらる〻快感は、少くとも一部分は、香の印象が生命保存の最單純なる衝動に直接訴ふるものありし或る時代から存續せるものであらう。かかるあり得べき原始的關係より久しき以前に分離したれば、花の香と若さの香は今は共に我々にとりては高等なる感情生活の刺激者、――漠然たる、されど容積廣きそして極めて精妙なる美感の刺激者となつた。

 美によりて起こさる〻感情の如く、香の快感は追憶の快感である、――無數の生命の數の記憶への感情の魔術的の訴である。そして花の香が記錄されぬ春の億萬に於て經驗されたる感情の精靈を呼び起こす如く、――若さの香も亦我等の中に我等の背後に消滅したる一切の人間存在の各〻の春の環と連想さる〻感覺の靈の如き存續を搔き起こすのである。

 そして新たなる存在者の此の香もまた、理想的感情を喚起す、――それは愛のやさしさと殆ど同じく親たるもののやさしさを喚起するのである、其故はそれが測られぬ時を通じて子供の愛嬌と美とを連合させた爲めである。夜と死とのうちより、その死者との交感により、喚び起さる〻ものは、滅びたる感情の歡喜より出る影の如き身震ひ以上のもの、――無數の生命の婚儀の喜びから來る幻影の反射以上のもの、――初生兒の絹の如き頭髮へ愛撫の唇を押す歡喜の或るもの、埋められし母達の億萬の忘られし喜びからの微かなる反流。

 

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