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2019/11/16

小泉八雲 死者の文學 (大谷定信訳) / 「二」

 

[やぶちゃん注:本篇書誌及び底本・電子化の凡例等については『小泉八雲 死者の文學 (大谷定信訳) / 「一」』を参照されたい。] 

 

       

 微妙なといふこと、複雜なといふことに就いては、此の埋葬文學の多くは、イシスの面紗[やぶちゃん注:「めんしや(めんしゃ)」。原文“the Veil of Isis”。エジプトの生命の女神イシスが神秘の呪術的シンボルとして被っているヴェールのこと。]に比べることが出來る。その文言――その文字は、大抵一語が二通りに讀めるのである――の背後に、その句(フレーズ)の神祕が存して居り、それからまた、その背後に、西洋のあらゆる智慧よりも古く、そして空間の底無しよりも深い、一諾斯士(ノスチシズム)敎に屬する幾聯の謎がある。幸にも、その最も幽玄な文言は興味最も乏しいもので、この隨筆の目的には餘り關係が無い。その大多數は、彫刻物には存して居ないで、墓場の、筆で書いた非恆久的な文學に存して居るもので、――石の記念碑に屬して居るものでは無くて、ソトバに存して居るものである。ソトバといふのは、百年の間、一定の、然し後(のち)ほど年月が增す、間隔を置いて、墓へ建てる、高い狹い白木の薄板である。

[やぶちゃん注:「一諾斯士(ノスチシズム)敎」ルビ「ノスチシズム」は「諾斯士」三文字に添えてある。原文“a gnosticism”で「一種のグノーシス教・思想・主義」であるからして、ルビは「敎」まで掛けるべきである。「グノーシス主義・思想」は紀元後一世紀から三世紀に地中海世界に興った宗教思想運動で、英語の「Gnosticism」は「知識」を意味するギリシア語に由来する。キリスト教グノーシス派も存在はするものの、従来誤解されてきたように、キリスト教内部の異端或いはヘレニズム的シンクレティズム(「諸宗教の混淆したもの」の意)の所産ではなく、現在は固有の運動であったと考えるのが有力である。「ナグ・ハマディ文書」・「ヘルメス文書」の内には多くのグノーシス文献が見いだされ、エジプトやシリア・パレスティナ及び小アジアに分布する。独自の宇宙的二元論に基づく神論・創造論・救済論を持ち、星辰界の拒否と、本来的に聖なるものとされるところの魂の「グノーシス」の獲得による、神への帰一を説くのを特徴とする。シモン・マグス(Simon Magus:サマリアの村キッタイに生まれ、紀元後一世紀のサマリアとクラウディウス帝治下のローマでも活動した思想家。「使徒行伝」第八章十節によると「大能(至高の神性)」を自己の身に体現すると主張した。シモン自身の教説のそれ以上の詳細は不明だが、後にシモン派グノーシス主義へと展開し、正統教会からは全異端の草創の元凶にされた。「マグス」とは「魔術師」の意で。シモンの教説を貶め、その影響力を減じようとする原始キリスト教側の作為に由来する渾名である)、ウァレンティヌス(Valentinus:紀元後二世紀頃のアレクサンドリア生まれで、ローマで活躍したグノーシス主義の宗教哲学者。ウァレンティヌス派を創始し、初期キリスト教神学には多大の影響を与えた。全宇宙は「充実」(プレロマ:plērōma)の流出から成る位階秩序を保持しており、地上はその最下層の暗黒世界に過ぎず、創造神は悪の力に他ならない。魂の救済とは、この世から遁れ、再び「充実」の中へと帰一することであり、それは「グノーシス」(霊的認識)によってのみ可能であると説いた)、マルキオン(Marcion:初期キリスト教会に於いて異端とされた聖書学者で二世紀前半にローマで活躍した。グノーシス主義的傾向を持ち、二元論を批判原理として旧約の神と新約の神を区別、前者を否定した。また、イエスの肉体を否定して仮現説を唱えた。独自の「新約聖書正典」を作成し、正統派教会の正典制定の契機となった)、バシレイデス(Basileidēs:二世紀頃在世したグノーシス派有数の人物でシリア出身。アレクサンドリアで哲学を論じ、「至高の神は人類の霊魂をユダヤ人の神や堕落から守るために、その子ヌースをイエスに宿らせた」という独特の神学的世界観を形成した。主著「福音書注解」(Exegetica)全二十四巻を書いたが現存しない)らの論者が知られ、マンダ教やマニ教は分派と見られる(主文は平凡社「百科事典マイペディア」に拠り、人物解説は種々の辞書類を参照した)。]

 

Sotoba

[やぶちゃん注:英文キャプションは、

   SOTOBA IN KOBUDERA CEMETERY

(The upper characters areBONTI”—modified Sanskrit)

で、「BONTI」は「BONJI」の誤り(誤植)で、

     瘤寺の墓地にある卒塔婆

(上方にある文字は「梵字」――変形されたサンスクリット語の書字――)

後の添え書きは所謂、梵字の種子(しゅじ)のことを指して言っている。]

 

【原注】註 「ソトバ」といふ語は梵語の「ステュパ」と同一である。當初は靈廟の意。後――記念若しくは他の目的の單簡な記念物の意を有つに至つた此のステュパは、佛敎と共に支那へ輸入され、それから、恐らくに朝鮮を經て、日本へ輸入されたものでゐ石。石造の卒都婆の支那での形は、日本の古い寺院の境内に多く見ることが出來る。木製のソトバは卒都婆の表象に過ぎぬ。その形が念が入つて居れば居るほど、明白にその歷史を偲ぶことが出來る。その上端の橫が少し切り刻んであるのであるが、その切り口が、その最も美しい埋葬記念碑の意匠を爲して居る所の、彼(あ)の(五大の象徴たる)方、圓、三角、半月、團形の重(かさ)なり合(あひ)を示して居るのである。

[やぶちゃん注:「ステュパ」“stûpa”現行のサンスクリット語ラテン文字転写は「stūpa」で、そのカタカナ音写は「ストゥーパ」。サンスクリット語で「高く顕れる」という意で、「涅槃の境地」を象徴したものとされる。中国に仏教が伝来した際に「卒塔婆」と漢音訳された。]

 

 さういふ文言を精確に飜鐸するの無益なことは、より古い宗派で使ふソトバの上に書いてある文二つ(センテンス)を、逐字譯にして見れば、例證となるであらう。『法、界、體、性、智』といふやうな言葉に、或は、『空、風、火、水、地!』といふやうな祈願(實際これは祈願の言葉なのである)の言葉に、どんな意味を諸君は發見することが出來るか。之を理解するには、その神祕な宗派の敎義では、宇宙は五如來と同一たる五大から出來て居るといふこと、その五如來の各〻に他の如來が、また含まれて居るといふこと、その五つは、現象的顯現に於ては異つて居るけれども、本體は一つであるといふこと、を先づ知つて居なければならぬのである。だから一つの名に意義が三つあるのである。例へぱ、といふ語は、客觀的現象として炎を意味する。それはまた或る特殊な一佛の顯現として炎を意味する。そしてそれはその上に、該(そ)の佛の屬性たる特別な智或は力を意味するのである。恐らくはこの敎義は、五大との關係の、次に揭げる眞言の分類の助を藉りれば、一層容易に了解が出來るであらう。

[やぶちゃん注:「法、界、體、性、智」は密教では「法界体性智(ほうかいたいしょうち)」という一体一語で(次のリストの「一」で小泉八雲は日本語音をローマ字転写して“Hō-kai-tai-shō-chi”と正しく口語で記している)、「法界」(全ての存在する現象)がありのまま(「性」)の姿(「体」)で存在することを明確に知る「智」慧のことを指す。但し、密教ではその存在様態そのものを論理的には説明していないようである。尤も、その様態は究極のものであって論理を超越しているからではあろう。

 以下、「一」から「五」までは全体が三字下げポイント落ちであるが、同ポイントで引き上げた。各条の前後を一行空けた。解説文最後には総て句点がないのママ。

 

    一、ホフ・カイ・タイ・シヤウ・チ

(梵語でドハルマ・ドハートゥ・プラクリット・グニヤーナ)卽ち「法・界・體・性・智」――萬物の實體となる智を意味する。これはとしてはである。は人格化してはダイ・ニチ・ニヨ・ライ卽ち「大日如來」(マハーヷイルカナ タサガタ)で、『智の印を持して居る』

[やぶちゃん注:標題の原文ローマ字表記は前注参照。ここで、どうしても言っておきたいのだが、これに限らず、他の諸作品集でも、小泉八雲は日本語をローマ字音写する際には、概ね正しく当時の、則ち、現在とそれほど変わらない口語の実発音に近いもの(但し、一部では歴史的仮名遣音も含まれる)で記すことが殆んどなのだが、訳者たちは――失礼だが――馬鹿正直というか、糞律儀というか、それを歴史的仮名遣戻すという作業をしているのである。これは私は今から見ると、非常な誤りであると言うべきである(例えば、民謡を採取した際、その唄った発音通りに書いてあるのを歴史的仮名遣に変換するのは絶対誤謬で愚の骨頂であるからである)。小泉八雲がローマ字口語表記したものに限っては、そのままに写すべきであったと私は強く感じている。だから、この標題も「ホー(ホウ)・カイ・タイ・ショー(ショウ)・チ」でよかったのだと私は感ずるのである。

「ドハルマ・ドハートゥ・プラクリット・グニヤーナ」原文“Dhârma-dhâtu-prakrit-gñâna”。以下同じ。

「マハーヷイルカナ タサガタ」“Mahâvairokana Tathâgata”。]

 

    一、ダイ・ヱン・キヤウ・チ

(アーダルサナ・グニヤーナ)卽ち「大・圓・鏡・智」――は萬象を顯現する神聖な力である。としてはである。は人格化してはア・シユク・ニヨ・ライ卽ち「阿閦如來」(アクシヨビヤ)

[やぶちゃん注:標題原文表記は“Dai-en-kyō-chi”。

「ア・シユク・ニヨ・ライ卽ち「阿閦如來」(アクシヨビヤ)」“Ashuku Nyōrai, the “Immovable Tathâgata” (Akshobhya).”サンスクリット語の「アクショーブヤ」とは「揺るぎない」という意(「Immovable」も「固定された・揺るがない」の意)。東方の現在仏。漢訳では無動・無瞋恚(しんい)・無怒などと訳し、不動金剛とも呼ぶ。]

 

    三、ビヤウ・ドウ・シヤウ・チ

(サマター・グニヤーナ)卽ち『平等性智』――は人或は物體を問はない智である。としては。人格化して、は、德と幸福とを主どるハウ・シヤウ・ニヨ・ライ卽ち「寶生如來」(ラトナサムピヤウ タサガタ)

[やぶちゃん注:標題原文表記は“Byō-dō-shō-chi”。

「ラトナサムピヤウ タサガタ」“Ratnasambhava Tathâgata”。「宝よりうまれしもの」の意。さればこそ、「財宝を生み出して人々に福徳を授ける」と比喩される。]

 

    四、メウ・クワン・サツ・チ

(プラトヤヹクシヤナ・グニヤーナ)卽ち「妙觀察智」――は正しきと誤れるとを分別し、法を說いて疑を斷つ智である。としては。人格化しては、はア・ミ・ダ ニヨ・ライ卽ち『阿彌陀如來』(アミタービヤ タサガタ)

[やぶちゃん注:標題原文表記は“Myō-kwan-zatsu-chi”。現代仮名遣では「みょうかんさつち」或は小泉八雲が示した通り、最後を「ざっち」と濁る。存在の相を正しく捉えて正法(しょうぼう)の実践を支える智。第六識(意識)を転ずることで得られるとされる。

「アミタービヤ タサガタ」“Amitâbha Tathâgata”。現行のカタカナ音写は「アミターバ」「アミターユス。前者は「量りしれない光を持つ者」、後者は「量りしれない寿命を持つ者」の意で、これを漢訳した「無量光仏」「無量寿仏」も阿弥陀如来を指す。西方の極楽浄土の主宰者(東方は薬師如来)。]

 

    五、ジヤウ・シヨ・サ・チ

(クリトヤーヌシュ サーナ・グニヤーナ)卽ち「成所作智」――は涅槃に入るを助ける神聖な智である。としては風。人格化してはフ・クウ・ジヤウ・ジユ・ニヨ・ライ(普通にはフ・クウ・ニヨ・ライ)卽ち「不空成就如來」(アモギヤシッドイ、或はサーキヤムニ)

[やぶちゃん注:標題原文表記は“Jō-shō-sa-chi”。

「アモギヤシッドイ、或はサーキヤムニ)」“Amoghasiddhi, or Sâkyamuni”。Sâkyamuni」を別称のように示すのは、あまりよろしくない。「Sâkyamuni」はその音から判る通り、「釈迦牟尼」でブッダ(ガウタマ・シタールタ)のことであるからで、但し、実際に一部では、この如来は釈迦如来と同一視されることもあるので誤りではない(後の小泉八雲の註でもそれが語られてはいる。しかし、「又は釈迦牟尼」は私はいただけないのである)。ウィキの「不空成就如来」によれば、現行のサンスクリット語のカタカナ音写は『アモーガシッディ』で、『密教における金剛界五仏の一尊で、金剛界曼荼羅では大日如来の北方(画面では大日如来の向かって右方)に位置する。仏の悟りの境地のうち、唯識思想で言う「成所作智(じょうしょさち)」を具現化したものである。これは』「何物にもとらわれることなく実践する」と『いう意である。原語の「アモーガ」は「空(むな)しからず」という意味で、この如来が何事も漏らさず成し遂げることを示す』とある。]

【原注】註 然し、上述の佛陀と五大との關係は、この敎義に於て、恆久的に定つて居るのでは無い、――それは哲學的に明白な理由に因つてである。或る時に釋迦牟尼は空と同じだとされ、阿彌陀は風と同じだ。等等とされる。上記の類別は南條文雄博士の採つて居られる次序に從つたのであるが、博士もこの次序が永遠のものと目すべきで無いと、ほのめかして居られる。

[やぶちゃん注:「南條文雄」(なんじょう ぶんゆう 嘉永二(一八四九)年~昭和似(一九二七)年)は仏教学者・宗教家。ウィキの「南条文雄」によれば、『近代以前からの伝統的な仏教研究の上に、西洋近代の実証的・客観的な学問体系と方法論を初めて導入した。早い時期から仏典の原典であるサンスクリット(梵語)テキストの存在に注目。主要な漢訳経典との対校を行なうとともに、それらの成果をヨーロッパの学界に広く紹介するなど、近代的な仏教研究の基礎形成に大きな役割を果たした』。『美濃国大垣船町(現・岐阜県大垣市)の誓運寺(真宗大谷派)に生まれ』、『幼時より漢学・仏典の才に優れ』た。彼が一年学んだ『京都東本願寺の高倉学寮』『で教鞭を取っていた福井県憶念寺南条神興の養子となり』、『南条姓に改姓、再び学寮に赴き』、『護法場でキリスト教など仏教以外の諸学を修めた』。明治九(一八七六)年、『同僚の笠原研寿とともにサンスクリット(梵語)研究のため』、『渡英、オックスフォード大学のマックス・ミューラーのもとでヨーロッパにおける近代的な仏教研究の手法を学び、漢訳仏典の英訳、梵語仏典と漢訳仏典の対校等に従事した。特に』一八八三年に『イギリスで出版された英訳『大明三蔵聖教目録』(Chinese Translation of Buddhist Tripitaka, the sacred canon of the Buddhist in China)は「Nanjo-Catalog」と称され、現在なお』、『仏教学者・サンスクリット学者・東洋学者に珍重される。翌年、オックスフォード大学よりマスター・オブ・アーツの称号を授与され、帰国』した。明治一八(一八八五)年より、『東京帝国大学文科大学で梵語学の嘱託講師とな』った。二年後には『インド・中国の仏教遺跡を探訪』し、明治二二(一八八九)年には『文部省より日本第』一『号の文学博士の称号を授与され』ている。明治三四(一九〇一)年に『東本願寺が真宗大学(現、大谷大学)を京都から東京巣鴨に移転開設すると、同大学の教授に就任。初代学監清沢満之と協力して、関連諸学との緊密な連繋の上に立つ近代的な仏教研究・教育機関の創設に力を注』ぎ、二年後には『真宗大学第』二『代学監に就任』、『その後も京都に戻った同大学(のちに真宗大谷大学、大谷大学と改称)の学長を』『務め、学長在任は通算』十八『年近くに及んだ。この間、所属する真宗大谷派において学事体制の整備に』尽力し、『仏教学・東洋学の学界において近代的な仏教研究の必要性を説き、その教育・普及に勉めた。また』、『各地・各方面において行なった活発な講話や執筆活動は、いずれも深い学識と信仰に裏打ちされ、多くの人を惹きつけた』とある。]

 

 さて、この五如來の各〻が他の如來を含んで居るといふ、また一切の物は本質に於ては一つであるといふ、敎義は、『ボソジ』といふ梵語の文字だと認め得られる――文字の異常な使用法で、その文言に象徵されて居るのである。五大の一つ一つの名は、四通りの――發音と形とは異つて居るけれども、佛敎家には何れも同じ意味を有つて居る――文字のうち、どの文字で書いても宜いのである。卽ち、を現はして居る四文字は、日本の發音に從ふと、ラ、ラン、ラアン、ラクと讀める。――また。を意味する目文字は、キヤ、ケン、ケエン、キヤクと讀める。で、五組になつて居る文字二十を、樣々に組み合はせて、種々異つた超自然な力と、種々異つた佛陀とを、表示することが出來る。その表示は、五大の名の直ぐ後に置く、『シユジ』・卽ち『種字』といふ、附け加への表象文字の助をも蒙るのである。

[やぶちゃん注:まず、梵字の多様な読みは、墓石の石屋業者のこちらの記事「キャカラバアについて」が、梵字と発音を示してくれていて非常に判り易いので是非参照されたい。それから、「種字」であるが、これは私は一般に「種子(しゅじ)」と表記するものと承知している。ここで言う梵字の仏・菩薩・天部等を示すそれは、ウィキの「種子(密教)」が表になって示されていてよい。]

 讀者は今や『空、風、火、水、地!』といふ、祈願の文句の意味と、卒都婆の上に書いてある聖智の妙な名の意味とを理解されるであらう。が、唯だ一基の卒都婆すらもが提供する謎は、前記の例が思はせるよりも、遙かに複雜なものがあり得る。想像も及ばぬ折句(アクロステイツク)[やぶちゃん注:“acrostics”。「アクロスティック」。ある一つの文章や詩の中に、句頭或いは句頭と句末を利用した別の意味を持つ言葉や文章を織り込む言葉遊びの一種。]がある。羅針盤の方位に從つてそれそれ置くべき文句の位置に就いて、宗派に依つて異る、規則がある。或る漢字の、幾重(いくへ)もの價値に基づぐ神祕な敎(カバリズム)[やぶちゃん注:「神祕な敎」(しんぴなをしへ)四字へのルビ。“kabalisms”。「KabbalahKabala」の原義は、神秘思想「カバラ」の教義を指す。「カバラ」は十二~十三世紀頃に形成されたユダヤ神秘主義及び神智学の発展した形態を指し、さらに一般的には古代にまで溯るユダヤ教の一連の秘教的教理を言う。「カバラ」は語源からは「受取られたもの」の意で、モーセ五書以外のユダヤ教の諸書及び預言書を意味したが、十二~十三世紀にライン地方で始った敬虔主義的な運動の中で、父祖伝来の祈禱を神秘的に解釈するため、各アルファベットに一定の数を当てて文章の中に意味ありげな数値を発見したり、頭文字の組合せによる造語を行うなどの方法が用いられた。但し、ここはそこから転じた「ある伝統的で過激な神学的概念や解釈に固執すること」の意。]がある。神祕な銘文のこの題目全體は、說明するのに幾卷の書を要することてあらう。だから讀者は、もつと單純な、もつと人間的な興味を有つた文句の爲めに、神祕な方面は此邊で打ち切つても、遺憾には思はれまい、と自分は想ふ。

 佛敎の墓地文學の眞に興味ある部分は、主として經(スートラ)或は論(サストラ)から採つた文から成つて居る[やぶちゃん注:“the sûtras or the sastras”。前者の「スートラ」(パーリ語では「スッタ」)は現行では「sūtra」とラテン文字転写し、狭義には、古代インドでベーダ理解のための補助学の綱要を暗誦用に圧縮した、独特の散文体による短文の規定及びそのような文体で編纂された綱要書を指す。ベーダを伝承する学派の中で用いられたが、後にはそれ以外の哲学・学芸の学派も、その教理の綱要書にこの文体を用いたことから、それらの作品も「スートラ」と呼ばれる。原義は「糸」で、「花を貫いて花輪とするように教法を貫く綱要」の意となったと考えられている。仏教もこれに倣って、釈迦の教法を文章に纏めたもの(仏教経典)を総称して「スートラ」と呼んだ。但し、仏教の経典には文体的には「スートラ」体と言えないものが多い(ここは平凡社「世界大百科事典」に拠った)。後者の「サストラ」は「Śāstra」とも綴り、サンスクリットで「論」「学」を意味する語で、バラモン教・ヒンドゥー教・仏教などの書物や学問の名に多く登場する。]。そしてその興味は、その文が表明して居る信仰の、内的な美に基づくばかりで無く、佛敎敎義の全體を、要を摘まんで、述べて居ることが分かるといふ事實にも基づくのである。それは、上記の神祕な銘文同樣、卒都婆に書いてあるのであつて、墓石に彫つてあるのでは無い。が、その祈願の文は普通は卒都婆の上方と前方とを占めて居るが、この經語は大抵は裏面に書かれて居る。

 どの卒都婆にも、經語と祈願の文との他に、建てた者の名と、死者のカイミヤウと、記念年忌の名とが書いてある。時には短い祈禱の句が記され、或はまた、その卒都婆を建てしめた敬虔な目的を叙べた文が書かれて居る。その經語その物を、敎義の體現に關係して、考察する前に、卒都婆の銘文の一般性と雛形との例を書き記さう。言うて置かなければならぬが、これは木片の表裏に書いてあるのである。が、どの文句が表面にあつて、どの文句が裏面にあるのか――その位置に關する規則は宗派に依つて異ふから――明記するを必要とは考へなかつた。

[やぶちゃん注:以下、底本では全体が四字下げポイント落ち丸括弧部分や註はさらにポイント落ちであるが、引き上げて総て同ポイントで示し、各条の前後を空けた(その代り、中の原注は前後の行空けを以下ではやめた)。字空けも再現していない。]

 

  一、日蓮宗の卒都婆

   (祈禱文)

空、風、火、水、地!――南無妙法蓮華經!

   (記念文)

奉修(此處へ戒名)居士第三囘忌爲轉迷開悟離苦得樂

   (論の文句)

妙法經力 卽身成佛

 

   二、日蓮宗の卒都婆

    (祈願文)

南無妙法蓮華經!

    (記念文)

施餓鬼法要會 爲佛果菩提之卒都婆也

    (祈禱文)

願以此功德 普及於一切 我等與衆生 皆共成佛道

【原注】註 此の祈禱文は普通、御經を讀んだ後、或は神聖な文言か寫した後、或は法要を營んだ後、唱へるものである。

明治三十年七月五日建之(建てた人の名を此處へ)

[やぶちゃん注:「明治三十年」は一八九七年。以下でも同年のものを写していることから、本作品集は明治三一(一八九八)年十二月であるので、小泉八雲がしっかり新しい卒塔婆を選んで写し取っていることが判る。それは一つには明瞭に読みとれるからではあろう。]

 

  三、淨土宗の卒都婆

    (祈願文)

南無阿彌陀佛!

    (記念文)

爲(此處へ戒名を)建之

    (經からの文句)

大圓鏡智 金口曰 光明遍照 十方世界 念佛衆生 攝取不捨

[やぶちゃん注:「大圓鏡智」(だいゑんきやうち)四智の一つ。如来の智慧を大円鏡に譬えたもの。如来の智慧には、人々の善悪の行為の結果として、さまざまな境界が現出することを知る働きがあり、それは丁度、巨大な欠くところのない丸い鏡に悉く映るようである、ということから、かく称する。

「金口」「こんく/きんく/きんこう」と読み、釈迦の口を尊んで称する語。転じて広く「釈迦の説法」を指す。]

 

  四、淨土宗の卒都婆

    (論からの文句)

大圓鏡智 經曰 深入禪定 見十方佛

    (記念文)

爲智照院光雲貞明大姉註一頓生菩提註二

【原注】註一 「大姉」は女の戒名に附記する語。禪宗では有夫の女に附ける。未婚の女には「信女」と附記する。

[やぶちゃん注:現行、このような区別はどの宗派もない。「信女」は最下位ランクでおぞましい値段の違いでしかない。但し、小泉八雲は後の「四」で現代では区別がなくなっていることを述べている。]

【原注】註二 菩提は最上智。佛陀の境涯。

    (祈禱文)

一見卒都婆 永離三惡道

【原注】註 三惡道は地獄餓鬼畜生の三境涯。

    (記錄)

明治三十年五月一日 井上家建之

[やぶちゃん注:以下は、本文に戻っている。引用の短いものは字下げを底本に合わせた。]

 

 前記のものは、銘文の尋常な形式の見本として、確に十分であらう。讃歎されたり祈願されたりする佛は常に、その引用文をその經か論かから選ぶその宗派が殊に尊んで居る佛である。――時に依つてはまた、次記の禪宗の銘文のやうに、或る菩薩の聖力を嘆賞して居る。――

    觀音經曰、十方諸國土 無刹不現身

 時には、銘文が、次記の併記が暗示するやうに、もつと判然と賞讃奉呈の性質を帶びて居る。――

    光明名號 攝化十方

    爲大堅隱學居士頓生菩提

[やぶちゃん注:「攝化」は「衆生を救い導いて利益を与えること」で教化に同じ(特に禅宗では「師家(しけ)が修行者を教え導くこと」を指すが、ここは前者)。]

 時には、その宗派の創立者の、佛として祀られた靈に向つて述べた、賞讃若しくは祈願の文句を見ることがある。公廷に見ろのは具言宗の卒都每に於てである。

    南無大師 遍照金剛

【原注】註 遍照金剛は眞言宗の開山たる空海卽ち弘法大師の敬稱。

 稀に、死者の祈禱を祈る短い祈禱が、次記の美しい例に見らる〻やうに、知らず識らず詩の言葉を採つて居る。

[やぶちゃん注:以下は長いので引き上げた。]

爲(ここへ戒名)大姉建之。禱依此功德 至福蓮華開花 結佛果

 が、普通には、祈禱の文は至つて單簡で、特殊の佛語を使つて居る處が、相互の異る點である。――

    爲(ここへ戒名)居士追福無上菩提也

    爲 ―― 得三菩提建此塔

    爲 ―― 得褥多羅三藐三菩提建此寶塔行供養

【原注】註 「塔」といふのに、言ふまでも無く、その卒都婆を指すので、その卒都婆は眞の塔を表象して居るか、或は少くとも、出來得たらそんな記念物を建てたいといふ希望を表はして居るかである。

[やぶちゃん注:「阿耨多羅三藐三菩提」現代仮名遣で「あのくたらさんみゃくさんぼだい」と読む。「藐」は呉音「マク・メウ(ミョウ)」で、漢音でも「バク・ベウ(ビョウ)」で、現代中国語音でも「miǎo」(ミィアォ)であるから、これは本邦仏教界での特異な読みである。また意味もよろしくない漢字で「無視する・さげすむ・蔑(ないがしろ)にする・価値が軽いとして軽んじる」であるが、「遠い」という意味があるのでそれを意味するものか。サンスクリット語のラテン文字転写で「anuttarasamyaksa bodhi」の漢音写で、「最高の理想的な悟り」の意。「無上正等覚」などと漢意訳され,「阿耨菩提(あのくぼだい)」などと省略される。

「卒都婆は眞の塔を表象して居るか、或は少くとも、出來得たらそんな記念物を建てたいといふ希望を表はして居るかである」卒塔婆はその頭部の切り込みを見れば判る通り、供養塔としての五輪塔の代わりであり、小泉八雲も既に言っている(『靈廟』)ように、本来は供養するための堂を建てるのであるが、敷地も使い費用も嵩張るため、簡易化された堂塔のミニチュアである。但し、小泉八雲が後に言うような「本来ならば」という気持ちが含まれていると見ても別に差し支えはない。]

 

 卒都婆の單に記念的な文句に屬して居る、今一つ興味ある題目は、まだ記さずに居る、――卽ち、死者の爲め營む佛式の法要の名である。そんな法要には二種類ある。死後百日間に行ふものと、百年の間一定の間隔を置いて營むもの――死後一年、二年、七年、十三年、十七年、二十五年、三十三年、五十年、百年忌である。禪宗にはこの記念法要に――法要を彌撒(みさ)[やぶちゃん注:原文は“masses”。基督教の「ミサ」。]と呼んでよからう――特殊な神祕的な名目があつて、その宗派の卒都婆には、小祥、大祥、遠波、遠方、冷照、一會とかいふやうな語をしるす。

[やぶちゃん注:「死後百日間に行ふもの」は「百か日(ひゃっかにち)」のこと。因みに、異名ではこれを「卒哭忌(そっこうき)」と呼ぶ。この「卒」はまさに「終わる」の意であって、「嘆き悲しみ慟哭することを最早止める忌日」という意味である。因みに、戻って溯って異名を記すと、

・「初七日(しょなぬか」(死亡した日から七日目)は「所願忌(しょがんき)」

・「二七日」(ふたなのか:死後十四日目)は「以芳忌(いほうき)」

・「三七日(みなぬか)」(死後二十一日目)は「洒水忌(しゃすいき)」

・「四七日(よなぬか)」(死後二十八日目)は「阿経忌(あきょうき)」

・「五七日(いつなぬか)」(死後三十五日目)は「小練忌(しょうれんき)」

・「六七日(むなぬか)」(死後四十二日目)は「壇弘忌(だんこうき)」

と呼び、

・「七七日(なななぬか)」(死後四十九日後)は特に「満中陰」と呼んで、「忌明け」の日とする。また小泉八雲の謂う(以上と以下は「本多仏壇店」のサイトのこちらを参照した。感謝申し上げる)

「小祥」(しょうしょう:面倒なので現代仮名遣で示す。以下同じ)忌は一周忌の異名。

「大祥」(だいしょう)忌は三回忌(死後二年)の異名。

「遠波」(おんぱ)忌は七(しち)回忌(死後六年)の異名。

「遠方」(えんぽう)忌は十三回忌(死後十二年)の異名。

「冷照」(れいしょう)忌は、一般にそれを以って「切り上げ(年忌供養式を終わりとすること)」とする三十三回忌の異名。小泉八雲がカットした

・「十七回忌(じゅうしちかいき)」(死後十六年目)は「慈明忌(じみょうき)」

・「二十三回忌」(死後二十二年目)は「大士忌(だいしき)」

と呼ぶ。

「一會」(いちえき)忌は、著名人らにやらかすところの百回忌(死後九十九年後)の異名である。……しかし……私や私の亡き母や私の妻には全く無縁である。……三人とも慶応大学医学部に献体していて(母は先に行った)、多磨霊園の同医学部合葬墓の同じ骨壺に入るからである。……私には戒名も個人を残す墓石もなく、死後にまで供養せねばならない血縁(けちえん)者も、この世には……存在しないからである………

 

 が、今度は銘文そのものの、――卒都每に書いてある物の主要部分であつて、佛敎信仰の最高眞理を說明して居るか、或は東洋哲學の最も深奧な思想を物語つて居るかする、經か論かから得來たつた彼(か)の引用句の硏究に轉じよう。

[やぶちゃん注:実は、原本はここで切れて以下、「Ⅲ」となる。しかし底本では、異様な四行空けの後で「Ⅲ」相当の訳文が続いている。「三」と章番号があるべき辺りの右上には殆んどごく小さな点のような汚れはあるが、「三」の痕跡は全くない。しかし、以下を「三」として次回に送る。

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