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2019/11/25

小泉八雲 京都紀行 (落合貞三郎訳) / その「三」・「四」・「五」

 

[やぶちゃん注:本篇については『小泉八雲 京都紀行 (落合貞三郎訳) / その「一」・「二」』を参照されたい。]

 

       

 すべての繪畫を見てから、私は最近公開されたばかりの御所の大きな庭園を訪ねた。それは仙洞御所の庭と呼ばれてゐる(仙人といふ語に眞に適當する英語がないから、少くとも genii といふ語が、飜譯に當つて、用ひ得らる〻唯一の語である[やぶちゃん注:“genii”(ジンライ)は「童話で人間の姿になって願い事を叶えて呉れる精霊」を指す「genie」(ジンニィ)の複数形。]。仙人は不滅の生命を有し、森林洞窟に住むものと思はれてゐる。印度の Rishi が日本に於て、或は寧ろ支那に於て神話的變化を經たのである[やぶちゃん注:“Rishi”。「リシ」(元はサンスクリット語)。ウィキの「リシ」によれば、本来、古代インドに於いて『ヴェーダ聖典を感得したという神話・伝説上の聖者』或いは『賢者達のこと。漢訳仏典などでは「仙人」などとも訳され、インド学では「聖賢」などと訳され』、『インド神話に於いては、ヨーガの修行を積んだ苦行者であり、その結果として神々さえも服さざるをえない超能力(「苦行力」と呼ばれる)を体得した超人として描かれることが多い。また、神秘的霊感を以て宗教詩を感得し詠むという。俗界を離れた山林などに住み、樹木の皮などでできた粗末な衣をまとい、長髪であるという』。『一般には温厚であるが、一度』、『怒りを発すると手がつけられなくなり、その超能力で、条件付きの死の宣告(「〜をしたら死ぬ」など)をしたり、雨を降らせないなどの災いを引き起こしたりするという』とある。])。その庭園は名にふさはしいものであつた。私は實際神仙の幽境へ入つたやうに感じた。

 それは山水の景を模した庭園である。――佛敎のために創造されたものである。昔は世俗的虛榮に倦いた帝王や、皇子達のために宗敎的隱遁所として建てられたる僧院が、今は單に御所となつてゐるのである。この庭園はそれに附屬してゐる。門と入つてから受ける印象は、大きな古い英國の公園といふ印象である。巨大なる樹木、短く刈られた芝生、廣い步道、靑々たる草木の新鮮で心地よい香りは、すべて英國の思ひ出を與へる。しかし、もつと進んで行くにつれて、これらの思ひ出は次第に消されて、眞正の東洋風な印象が判然としてくる。それらの巍然たる[やぶちゃん注:「ぎぜんたる」。高くそびえたっているさま。また、抜きん出て偉大なさま。]喬木は、歐洲のものでないことが認められ、さまざまの驚くべき異國的な細部が現はれてくる。すると、一面の池が眼下にひらけて、高い岩と小さな島がその中に浮かんで、頗る奇異な形の橋で連結されてゐる。徐々と――ただ徐々とこの境地の無限なる魅力、怪奇なる佛敎的魅力が身に迫つてくる。して、その非常に古いといふ感じは、遂にかの畏怖の悚動[やぶちゃん注:「しようどう(しょうどう)」。「竦動」とも書く。「悚」は「恐れる」、「竦」は「慎む・身が竦(すく)む」の意で、「動きを慎むこと」・「慎み畏まること」・「恐怖のために身が縮まること」を謂う。]を齎す審美感の琴線に觸れた。

 單に人間の仕事として考へただけでも、この庭は驚異であスこその設計に於ける巨岩の骨骼だけを結合するのにも、數千人の熟練なる勞働を俟つて、始めて成つたのであらう。この庭は一たび形が作られ、土を盛られ、樹木を栽培されてから、その後は自然がその奇蹟を完成するま〻に委せてあつた。千年の間を通じて、働いた自然は、藝術家の夢想を超越した――否、言語を絕するほどに、その夢想を擴大したのであつた。日本の造園術の法則と趣意に通じてゐない外國人は、正確に敎へられない限りは、すべてこれが數千年前、人間の設計者によつたものだと想像することはできないだらう。初めから人の手に觸る〻ことなく自然のま〻で保護されて、しかも舊都の中心に世間から隔絕してゐる原始林の一部といふ趣を呈してゐる。岩石の表面、大きな怪異な樹根、林間の幽徑、幾つかの古い一本石の碑など、すべて長い年代の苔を帶びてゐる。して、攀蔓[やぶちゃん注:「はんまん」と音読みしておく。蔓性植物類のこと。]植物は一尺も厚さのある莖となつて、巨蛇の如く梢隙[やぶちゃん注:「しやうげき(しょうげき)」梢(こずえ)の隙間。]に懸かつてゐる。此庭の或る部分は、鮮かにアングティルズ群島に於ける熱帶的性質の光景を想起させる――尤もここには棕櫚や、驚くべき蛛網[やぶちゃん注:「くものす」と訓じておく。]狀を成せる攀援莖[やぶちゃん注:「はんゑんけい」と音読みしておく。茎でつかまって攀じ登る性質の植物。蔓性植物だけではなく、もっと広義である。]植物や、爬行動物[やぶちゃん注:「爬行」(はかう(はこう))は這って歩くこと。ここは爬虫類に同じい。]や、西印度森林の凄い日中の靜けさはない。空に賑はしく鳥が騷いでゐるのには驚かされる。それはこの僧院の極樂に棲む野生動物は、未だ嘗て人間によつて危害や脅威を加へられたことがないといふことを、嬉しがつて聲明してゐるのだ。私は戀々[やぶちゃん注:「れんれん」。「思い切れずに執着すること」・「恋い慕って思い切れないさま」・「執着して未練がましいさま」。]去るに忍び難くも、遂に出口に達したとき、この庭の番人を羨望するの念に堪へなかつた。かやうな庭の奉公人となるだけでも、充分に羨ましい特權といふべきであらう。

譯者註 墨其古灣[やぶちゃん注:「メキシコ湾」。現行では「墨西哥」が一般的。]の東南に羅列せる西印度諸島の一群。そこで二箇年間滯在せられたヘルン先生の眼底には、熱帶風物の驚異が浸染してゐたので、先生の文章の中には、よく比較の材料になつてゐる。

[やぶちゃん注:「アングティルズ群島」“Antilles”。アンティル諸島は、中央アメリカに位置し、西インド諸島の主要部を構成する諸島。フロリダ南方から南米大陸近海まで三千二百キロメートルに亙って伸び、カリブ海を大西洋・メキシコ湾から分けている。位置は参照したウィキの「アンティル諸島」を参照されたいが、その中の、南東の小アンティル諸島に属するウィンドワード諸島にあるフランス領アンティルのマルティニーク島に、小泉八雲(Lafcadio Hearn)は三十七歳の時、アメリカで出版社との西インド諸島紀行文執筆の契約を行い、一八八七年から一八八九年にかけて旅している。]

 

       

 空腹を感じたので、私の宿は甚だ遠かつたから、私は車夫に料理屋へ行くことを命じた。すると、車夫は私を裏町へ運んで行つて、入口の上に綴りの違つた英語をペンキで書いた、あぶなさうな建物の前でとまつた。私はただ Forign [やぶちゃん注:「外国の・外国人の」の意の「foreign」をスペル・ミスした看板字。]といふ文字だけを覺えてゐる。靴を股いでから私は勾配の急な階段、或は寧ろ梯子を登つて行くと、三階には西洋風に裝飾された室がつづいてゐた。窓には玻璃を用ひてあつた。リンネル類も申し分がなかつた。唯一の日本風のものは疊と煙草盆であつた。米同型の着色石版畫が壁を飾つてゐた。しかし私はここへ入つた西洋人は殆ど無いだらうと思つた。此家は洋食を辨當箱に入れて、宿屋へ仕出しをするのであつた。して、室は日本人の客のために設備したものに相違なかつた。

 私はここの皿、コツプ其他の器具は、開港場の一つに存在してゐたが、今では疾くの昔になくなつた英國ホテルの名の組み合はせ文字を帶びてゐる事に目が留つた。食事は綺麗な娘達によつて運ばれた。彼等はたしかに西洋式給仕法に通じた人から仕込まれたのである。しかし彼等の無邪氣な好奇心と非常な内氣は、彼等が未だ嘗て眞の西洋客に接したことのないのを私に信ぜしめた。突然私は室の一方の卓上に自動奏樂機のやうなものを一枚の釣針編み[やぶちゃん注:レース。]で覆つたのを發見した! 私はそこへ行つて、癈物の奏樂機[やぶちゃん注:箱型の手回しオルガン。]を發見した。そこには澤山の穿孔式樂譜があつた。私は曲柄[やぶちゃん注:「きよくへい」と音読みしておく。原文を見ると、この部分は“I fixed the crank in place”とあるから、手回しオルガンのクランク(ハンドル)であることが判る。]をその場所にはめて、『五十萬の惡魔』と題する獨逸の歌を出さうと試みた。その機械はごろごろと鳴つて、呻つて、しばらく怒號し、嗚咽し、また怒號し、それから默つてしまつた。私は『コタヌヴィエの時計』など、他の數曲を試みたが、その發音の喧騷囂々[やぶちゃん注:「けんさうがうがう(けんそうごうごう)」。喧(やか)しく騒がしいさま。]は皆同一であつた。明らかにこの機械は開港場の外國人居留地に於ける競賣で、頭字入り和蘭燒[やぶちゃん注:原文は“monogram-bearing delft”で、これは「特定の製作者・窯元名が明記されたオランダの陶器のデルフト焼」の謂いであろう。デルフト陶器(Delfts blauw)はオランダのデルフト及びその近辺で十六世紀から生産されている陶器で、白色の釉薬を下地にして、スズ釉薬を用いて彩色・絵付けされるものを指す。]及び英國燒の陶器と共に買はれたものである。これらのものを見るとき、何とも云ひやうのない一種の奇異なる憂鬱を感ずる。何故それがかやうに遠謫[やぶちゃん注:「えんたく」。遠く流されてくること。]された光景を呈し、かくまで哀れにも場所外づれて見え、かくも全然誤解されたさまに映ずるかを理解することは、自身日本に住んだ人でなくては不可能である。西洋の和絃的音樂[やぶちゃん注:“harmonized Western music”。西洋音階で和声化された西洋音楽。]は、普通日本人の耳には、單にそれだけの騷音となつて聞こえる。して、私はたしかにこの機械の内部構造は、その東洋の所有者には不明となつてゐるだらうと感じた。

[やぶちゃん注:「!」の後に字空けはないが、特異的に挿入した。

「奏樂機」原文は“herophone”とあるが、この単語、辞書に載っておらず、調べるのに手こずった。サイト「小さなオルゴールの博物館」のこちらでやっと判明した。これはドイツ製の手回しオルガン(オルゴール)である「オルガネット」「アモレット」と呼ばれたものの前身型のようである。そこに(数字は半角にした、『アモレットは1897年から発売。当初は44から72リードの大きなサイズのものが発表され、後に16リードから108リードまでのモデルが製造された。16ノートのフリー・リードを使用したこの機種は様々なケースに入れられ製造された家庭用オルガンのひとつ。直径22.5』センチメートルの『金属のディスクに音符を記憶させ、ディスクの突起がリードのレバーの上にくると、レバーがもちあがりバルブが開く、そこに空気が通り奏鳴する。ハンドルを回転させるとフイゴに空気が送られ、ディスクが回転する。また同時に、ケースの正面にセットされた二人の踊り子も曲にあわせて回転する。1905年当時、30マルクで販売されていた』とあり、さらに、『ユーフォニカ(ドイツ ライプチッヒ)』の項に、『ユーフォニカ(Euphonika Musikwerke)はドイツ、ライプチッヒのオルガネットのメーカー。1890年頃から表れ、19世紀後半から20世紀にかけて、その他のヨーロッパのメーカー達とオルガネットを販売した。ユーフォニカブランドの中には以下のものがある』として、ブランド名が以下のように載る。

   《引用開始》

Amorette,Atlas,Dolcine,Favorite,Hamonicon,Herophone,Iris,Libelle,Lucca,Lux,Mandolinata,Manopan

   《引用終了》

『様々なブランドがあるが、ケースが異なるだけでメカニズムは簡単なもの、共通のものも多かった』とあるのだが、そのブランド名の六番目に、まさにこの「Herophone」が載っているのである。小泉八雲の以下の説明からも以上と同型のものと考えられる。但し、小泉八雲がこれ(しかも明治初年の舶来で古物とする)を見たのは明治二八(一八九五)年で、「アモレット」の製造はその二年後であることから、前身型と言い添えておいた。なお、リンク先では動画で実物の演奏も視聴出来る

「五十萬の惡魔」原文“Five Hundred Thousand Devils”。歌曲の一つらしいが、詳細不祥。識者の御教授を乞う。

「コタヌヴィエの時計」原文“Les Cloches de Corneville”。「コルヌヴィルの鐘」。フランスの作曲家ロベール・プランケット(Robert Planquette 一八四八年~一九〇三年)作曲他で創られた全三幕のオペラ。一八七二年パリ初演。]

 

 同じやうに珍らしいが、しかしもつと愉快な經驗が、宿へ歸る道中に私を待ち受けてゐた。私は少し許り骨董品を眺めるために古道具屋へ立ち寄つた。して、夥しい古本の内に、非常に汚れた金文字で、『大西洋月刊雜誌(アトランチツク・マンスリー)』と題せる大册を認めた。更に近寄つて見ると、私は『第五卷、ボストン市ティクナー・エンド・フールズ書店發行、一八六〇年』とあるのを讀んだ。一八六〇年の『大西洋月刊雜誌』は何處にもあまり普通あるものではない。私は値段を尋ねた。すると、日本人の店主は、それは『非常な大册ですから』といつて、五十錢と答へた。私は頗る嬉しかつたので、彼と値段の懸け合ひをしようとは考へないで、直に其掘り出し物を手に入れた。私は其汚れたペーヂを通覽して昔馴染の作家を探してみると、それを發見した――一八六五年にはすべて無名であつたのが、一八九五年の今日に於ては世界的に有名なのが多い。そのうちには『敎授の話』といふ題の下に『エルジー・ヴェナー』譯者註一の續稿が載つてゐた。『ロバ・デイ・ロマ』の數章もあつた。『ピサゴラス』と題する詩があつた。これは後に『輪𢌞』と改題されたことは、トマス・ベーリー・オールドリッチ譯者註二の愛讀者が屹度知つてゐる通りである。ニカラグアに於てウオーカー譯者註三と共に劫

 

譯者註一 オリヴァア・ウエンデル・ホームズ(一八〇九――一二八九四年)の著はせる小說。

譯者註二 オールドリッチ(一八三六――一九〇七年)は「アトランチツク・マンスリー」の主筆をした人。

譯者註三 ヰリヤム・ウオーカー(一八二四――一八六〇年)は米國の冒險家で、ニカラグアに於て自ら大統領と稱したが追放された。

 

掠[やぶちゃん注:「ごふりやく(ごうりゃく)」。脅して奪い取ること。]を行つた兵士の追放談、ヂヤマイカ及びサリナム[やぶちゃん注:南アメリカの北東部に位置するスリナム。旧「オランダ領ギアナ」。現在のスリナム共和国(オランダ語::Republiek Suriname)。]の脫走黑人に關する立派な論文、それから猶ほ他の貴重な諸資料の一つに、日本に關する論文があつた。その劈頭の文句は、次の如き意義の深いものであつた。『日本から使節がこの國に到着したこと、かの寡默にして嫉妬深き國民によつて、外國へ送られたる初めての政治的派遣員の渡來は、今や世間一般に取つて興味ある問題となつてゐる』少し進んでから、當時の通俗的誤解が、次の如く矯正してある。『今では全然別個のものとわかつてゐるが、支那人と日本人は久しく同種族と考へられ、且つ一樣に尊敬されてゐた………[やぶちゃん注:九点リーダはママ。]詳細に調べてみると、支那について想像されたる魅惑的性質が消えると共に、日本については、それが一層明白になつてくることを我々は見出す』この自我主張的な明治二十八年譯者註のいかなる日本人も、三十五年前に於ける『大西洋月刊雜誌』の日本に對する、次の如き評論に向つては、非難を加へることができないだらう。『その優れたる位置、その富、その通商的資源、及びその國民の敏捷なる智力――智力は當然その發展に於ては局限せらる〻處があつても、毫も西洋人に劣つてゐない――これらの諸要素は、日本に與ふるに、いかなる他の東洋諸國よりも遙かに超越的重要を以てする』この寬大な評論の唯一の誤謬は、數世紀の昔からの古い誤謬、卽ち日本の富といふ迷妄であつた。私をして少々昔風に感ぜしめたのは、現今一般に知れ渡つてゐる將軍、大君[やぶちゃん注:「たいくん」。原文“Taikun”。]、神道、九州、秀吉及び信長といふ名に對して、昔の和蘭及びゼズイット學者の奇妙なる綴字―― Ziogoon, Tycoon, Sintoo, Kiusiu, Fide-yosi, Nobanunga ――を見出したことであつた。

 

譯者註 日淸戰爭に連戦連勝のため、日本人の國民的自覺の勃興した時期である。

[やぶちゃん注:「大西洋月刊雜誌(アトランチツク・マンスリー)」原文“ATLANTIC MONTHLY”。この月刊雑誌は一八五七年にアメリカのボストンでジェームス・ラッセル・ローエル(James Russell Lowell  一八一九年 ~一八九一年)編集で創刊された月刊誌で、誌名をつけた定期寄稿者であったオリヴァー・ウェンデル・ホームズ・シニア(Oliver Wendell Holmes Sr 一八〇九年~一八九四年:アメリカの作家で医学者。しばしば十九世紀の最も優れた作家の一人と称され、著名な医学改革者ともされている)のエッセー・シリーズ『朝食のテーブルの独裁者』(The Autocrat of the Breakfast-Table:一八五八年)その他が好評を博した。当初はニューイングランドを中心とした文芸雑誌の性格が強かったが,南北戦争の頃から政治・時事問題を扱い始め、戦後はオハイオ生れのW.D.ハウエルズが主筆(一八七一年~一八八一年在任)となり、文化的広がりを与えた。二十世紀に入ってからは文学的個性は少なくなり、時局ものに重きを置いている。現在も総合月刊誌“The Atlantic”として発行されている(ここは平凡社「世界大百科事典」及び英文ウィキの「The Atlantic及びそのリンク先の英文ウィキに拠った)。新潮文庫上田和夫訳「小泉八雲集」年譜の明治二四(一八九〇)年の条に、『秋、「アトランティック・マンスリー」誌に日本印象記を連載、好評を博する』とある。

「第五卷、ボストン市ティクナー・エンド・フヰールズ書店發行、一八六〇年」“Vol. V. Boston: Ticknor & Fields.  1860”。日本は万延元年相当。

「『敎授の話』といふ題の下に『エルジー・ヴェナー』の續稿が載つてゐた」“There were installments of "Elsie Venner," under the title of "The Professor's Story;"”。作者「オリヴァア・ウエンデル・ホームズ」は前注参照。「エルジー・ヴェナー」は彼の最初の小説で、そのオリジナルは一八五九年十二月に「教授の物語」(The Professor's Story)として『アトランティック・マンスリー』で連載された。英文ウィキに独立解説ページがある。

『ロバ・デイ・ロマ』“Roba di Roma”はアメリカの彫刻家・詩人で美術評論家・編集者でもあったウィリアム・ウェットモア・ストーリー(William Wetmore Story 一八一九年~一八九五年) の現代のローマの美術研究や詩・随想からなるものらしく、刊本は一八六二年にロンドンで出版され、多くの文化人に読まれたという。書名はイタリア語で「ローマというもの」の謂いか。

「『ピサゴラス』と題する詩があつた。これは後に『輪𢌞』と改題されたことは、トマス・ベーリー・オールドリッチの愛讀者が屹度知つてゐる通りである」原文は“a poem called "Pythagoras," but since renamed "Metempsychosis," as lovers of Thomas Bailey Aldrich are doubtless aware;”。トーマス・ベイリー・オールドリッチ(Thomas Bailey Aldrich 一八三六 年~一九〇七年)はアメリカの作家・詩人・評論家及び編集者で、『アトランティック・マンスリー』の編集者を一八八一年から一八九〇年まで務めている。「ピサゴラス」はピタゴラスのこと。ネィテイヴの発音は「ピィサィゴラス」に近いから誤字・誤植ではあるまい。「Metempsychosis」(メテンプサィキィシィス)は「霊魂の再生・転生」「輪廻」と訳される。この奇妙に改題された詩篇の内容は私は不明だが、オールドリッチの詩の中でも最も野心的な作品であることが彼についての英文の評伝中に確認出来た。

「ゼズイット學者」“Jesuit writers”。「Jesuit」はジェスイット(ジェズイット)教団で、カトリック教会の男子修道会「イエズス会」(ラテン語: Societatis Iesu)のこと。一五三四年にイグナチオ・デ・ロヨラやフランシスコ・ザビエルらによって創設され、世界各地への宣教に務め、日本に初めてキリスト教を齎したことで本邦ではよく知られる。イエス(・キリスト)を表わす「Jesus」が形容詞した「Jesuitic」 が語源。カトリック教学の学者。

「Ziogoon, Tycoon, Sintoo, Kiusiu, Fide-yosi, Nobanunga」面白いので漢字(新字)とひらがなに直しておく。「将軍(ずぃおぐぅーん)」・「大君(ちぃこーん)」・「神道(しんとぅー)」・「九州(きうしう)」・「秀吉(ふぃで よし)」・「信長(のばんぬんが)」。]

 

 私は照明された街頭をぶらついて夜を過ごし、また澤山の見世物のきも、二三を觀覽した。私は一靑年が佛敎の經文を書き、また足で馬を描くのを見た[やぶちゃん注:「足で」は「靑年が」の後に引き上げて訳すべきところ。]。この技倆について特異な事は、經文の文字が逆さまに後方へと書かれ――丁度普通の書家が行の上から下へ書いて行くのと同じく、行の下から上へ向つて書かれ……また、馬の畫はいつも尾から描き始められたことであつた。私は一種の圓戲場[やぶちゃん注:原文“amphitheatre”。「円形劇場」を意味するラテン語アンフィテアトルム(amphitheatrum)の英語化。古代ローマに於ける剣闘士競技などが行われたあれ。]を見た。そこでは鬪場[やぶちゃん注:闘技場。]の代はりに水族館があつて、人魚が泳いで日本の歌を歌つてゐた。私は日本の菊花栽培者によつて、『花から魔法で作られた乙女』[やぶちゃん注:菊人形のこと。]を見た。それから、折々私は玩具店を覗いてみると、珍奇なものが充滿してゐた。そこで特に私を感服させたのは、日本の發明家が非常に僅少な費用を以て、西洋の高價な機械仕掛の玩具に於けるのと同一の結果に達しうる、驚くべき巧妙の發揮であつた。一群の紙製の鷄が、竹の彈機[やぶちゃん注:「バネ」と当て訓しておく。]の壓力によつて籃の中から假想的の穀粒を啄き[やぶちゃん注:「つつき」。]出すやうにしたのがあつた。代價は僅に五厘であつた。人工品の鼠が走り𢌞つて、疊の下や孔隙の中へにげ込まうとするかの如く、後戾りしたり、疾走したりした。その代價はただ一錢で、一片の色紙、粘土燒の糸卷枠、及び一本の長い糸で作られ、ただ糸を引きさへすれば、鼠は走りだすのであつた。紙製の蝶が同じやうに簡單な工夫で動いて、空中へ投げると、飛び始めた。模造の烏賊の頭の下へ附けてある藺[やぶちゃん注:「ゐ」。[やぶちゃん注:「ゐ」。原文“rush”。単子葉植物綱イグサ目イグサ科イグサ属イグサ Juncus effusus var. decipens。]の小管を吹くと、それはすべてその觸手をうごめかし始めた。

 

 私が歸らうと決心した時には、燈火は消え、店は閉鎖され始めてゐた。して、私が宿に達しない内に、既に私の通路の町は暗くなつた。照明の非常な輝き、妖術のやうな見世物、賑やかな雜沓、下駄の海の如き輝き、この急に變はつた空漠と沈默――これらのものは私をして恰も以前の經驗は眞實でなかつたかのやうに、妖狐の物語に於ける如く、まさしく人を騙すために作られた光と色と昔の迷妄であつたやうに感ぜしめた。しかし日本の祭りの夕を成す一切のものが、急速に消滅するのは、實際記憶の快感を一層痛切ならしめる。この變幻極まりなき光景は、徐々と消えてゆくといふことはない。かくて、その記憶は毫も憂鬱の色を帶びないやうになる。

 

       

 私が日本の娛樂について、その妙趣が散り易いことを考へてゐた時、すべての快樂の痛切さは、その消散し易さに比例するではないかといふ疑問が私の心に起こつた。これを肯定する證據は、快樂の性質に關する佛敎の說に對して、有力なる援助を與へることとなるだらう。もともと精神的の娛樂は、それを作る思想感情の複雜さに比例して力を增すものである。隨つて最も複雜なる感情は、必然最も時間の短いものであらねばならぬと思はれる。要するに、日本の通俗的娛樂は、消散し易いことと、複雜なことの二重の特徵を有つてゐる。その譯は、單にそれが纎麗[やぶちゃん注:「せんれい」。ほっそりとして美しいこと。しなやかで美しいさま。]優美で且つ細部が夥多[やぶちゃん注:「くわた(かた)」。物事が多過ぎるほどにあること。夥(おびただ)しいさま。]だからばかりではなく、この纎麗と夥多は、一時的狀況と結合に基づいて、偶發的だからである。かかる狀況といふのは、開花と衰萎の季節、日光の時や、滿月の折、場所の變化、明暗の移動などである。また結合といふのは、民族的天才の祝祭に於ける刹那的發露、幻影を作るために利用されたる脆弱な諸材料、夢を具體化したもの、象徵、肖像、表意文字、彩色の筆觸及び旋律の斷片などの中に復活せられたる記憶、個人の經驗並びに國民的情操に訴へる無數の微妙なる方法を指すのである。して、その情緖的結果は、西洋人の心へは通じないで終つてしまう。何故といふに、その結果を生ずる數限りなき細部と暗示は、多年親灸熟達の効を積んだ後でなくては到底不可解なる別世界――西洋人が一般にすこしも知らない傳統、信仰、迷信、感情、思想の世界――のものだからである。その世界を知つてゐる少數の人々によつてさへ、日本人の享樂の光景によつて惹き起こされる、名狀し難く、優雅な感じの、茫漠たる浪は、ただ『日本の感じ』として述べられうるに過ぎない。

 

 これらの娛樂の驚くばかり安價なことによつて、一つの興味ある社會學的事實が暗示される。日本人の生活の妙味は、貧乏が美的情操の發達に於ける一勢力である――或は少くともその發達の方向と擴張を決定する一要素である――といふすばらしい現象を私共に見せてゐる。もし貧乏でなかつたら、この國民が夙に快樂を最も高價贅澤な經驗としないで、極めて普通容易なものとする祕訣を發見するといふことはなかつたであらう――それは實に無から美を創造する天工神技なのだ。

 この安價低廉の一つの理由は、國民が一切の自然物に――山水、雲霧、日沒の光景に――鳥や昆蟲や花卉の風姿に――西洋人よりも遙かに多くの愉快を發見する能力を有することである。それは彼等が視覺上の經驗を藝術に表現したものの鮮明によつてわかる。今一つの理由は、國民的宗敎と古風な敎育が想像力を養成して、その結果、苟も昔の物語や傳說を暗示しうるものならば、いかに些々たるものでも、想像力を鼓舞して、愉快に活動せしめることである。

 恐らくは日本の安價な娛樂は、自然によつて與へられた季節と場所に人力を加へたものと、自然の暗示によつて人間の作れる季節と場所のものとに、大別することができるだら。前者の種類は、あらゆる國々に見出され、また年々增加してゆく。山上、海岸、湖畔、河邊の或る地方を選定し、庭園を作り、樹木を植ゑ、最も見晴らしのよい地點に茶亭を設ける。すると、荒涼たる土地が間もなく娛樂を趁ふ[やぶちゃん注:「おふ」。追い求める。]人のため行樂の境と變はつてくる。或る場所は櫻のも所、他の場所は紅葉の勝地、更に他の場所は藤の名所である。して、四季ははそれぞれ――雪降る冬さへも――或る土地に特別の美觀を與へる。だから、最も有名な社寺或は少くともその大部分は、いつも自然の美が宗敎的建築家に感激を起こさせ、幾多の人をして今猶ほ佛僧又は神官たることを願はせるやうな路地を選んで建てられてゐる。實際日本に於ては到る處宗敎が有名な風景と相伴なつてゐて、山水、瀑布、峯、岩、島とか、或は花の咲いたのや、秋の月が水を照らしたのや、夏の夕べ螢の群れが燦めくのを眺めるによい絕勝佳景と聯結されてゐる。

 裝飾、飾燈、あらゆる種類の街頭の盛觀、特に祝祭日の壯景は、すべての人が樂み得る都會生活の娛樂の大部分を成してゐる。かやうにして祭日祝節に於て審美的趣向に訴へることは、多分數千人の手と頭腦の働きを示すものであるが、公共的努力に對する各個の貢獻者は、昔からの規則を遵守しながら、しかも自己獨得の考案と趣味に隨つて働く。だから、その綜合の結果は驚くばかりに案外不思議なる多種多樣を現はす。かかる場合に當つては、誰れでも助力することができるし、また誰れも助力を惜まない。それは最も低廉な材料が用ひられるからである。紙でも、藁でも、または石でも何等實際の差異を呈する事はない。藝術感は天晴れ材料の如何を超越してゐる。その材料に形を與へるものは。自然物、または實物に對する完全なる理解力である。鷄の羽毛で作つた花であらうと、粘土の龜や家鴨や雀であらうと、または厚紙製の蟋蟀、蟷螂、或は蛙であらうと、その原物に對する觀念は充分よく考へられ、正確に實現されてゐる。泥土の蜘蛛が糸を吐き、網を作りつつあるやうに見え、紙の蝶は人の目を欺く。何等の原型は要らない一――或は寧ろ、いづれの場合に於ける原型も、原物または生きたる事實の精密なる記憶に外ならない。私は人形屋に二十個の小さな紙製人形を依賴した――それぞれ異つた髮の結び方をして、全部で京都の女の髮の主もなる形を示すやうにと求めた。一人の娘が白紙、繪具、糊、松材の薄片を用ひて仕事を始めた。すると、それらの人形は畫家が同數のかやうな姿を描くに要するだらうのと殆ど同じ時間にでき上がつた。實際にかかつた時間は、ただ手指の動作に要つただけで[やぶちゃん注:「かかつただけで」。]、直したり、比較したり、改良したりするためではなかつた――腦中の幻像は、彼女の纎手の動くのと同速力を以て實現したのであつた。緣日の夜の珍奇な品は大抵そんな風にして作られたものである――指頭で扭つて[やぶちゃん注:「ねぢつて」或は「ひねつて」。]すぐ出來あがつた玩具、古い布片に數囘毛筆を揮つて綾模樣の反物に變へたもの、砂で描いた畫。このやうな妖魔的伎倆は、また

人間の姿態をも利用する。平常目立たない子供に、繪具と白粉[やぶちゃん注:「おしろひ」。]を巧みに塗抹すること二三囘、それから、飾光に對して工夫せられたる衣裳を着せると、忽然それが化して小妖精となる。線と色に對する豐富な藝術感は、いかなる變幻の術をも行ふことができる。裝飾の調子は決して出鱈目に委せないで、知識に基づいてゐる。飾燈はこの事實を證明してゐる。ただ或る種類の色合のみ取り合はせてある。しかし全體の光景は、驚異であると共に、また果敢ないものである。それはあまりにも早く消え失せて、缺點を見つける遑[やぶちゃん注:「いとま」。]もない。それを見た後一箇月の間も、不思議に思はせ、夢に見させるやうな蜃氣樓である。

 

 恐らくは日本人の日常生活に伴なふ滿足と質素なる幸福の無盡藏なる源泉の一つは、此快樂の一般的安價の中に見出さるべきであらう。眼の慰みは、誰れ人も恣ま〻にする事ができる。ただ季節や祝祭が娛樂を與へるばかりではなく、殆どいかなる奇異な町でも、いかなる眞の日本内地でも、賃銀なくして働くやうな極貧の僕婢にさへ、眞正の快樂を供しうるのである。美人或は美を暗示するものは空氣の如く無代價である。加之[やぶちゃん注:「しかのみならず」。]、いかなる男女もあまりに貧乏のため、何か綺麗なものを所有し得ないといふことがない。どんな子供も面白い玩具が持てないといふことはない。西洋ではこれと狀態を異にしてゐる。西洋の大都會では、美は富有階級のために存在してゐる。飾りのない障壁や、汚い步道や、煤煙に曇つた空や、怖ろしい機械の喧騷――不幸であつたり、弱かつたり、愚鈍であつたり、または同胞の道德を信任し過ぎたりするといふ、ひどい罪惡を罰せんがために、西洋文明によつて發明せられたる永遠的醜惡と不快の地獄――は、貧民のためのものである。

 

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