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2019/11/10

小泉八雲 富士山 (落合貞三郎訳) / その「一」・「二」

 

[やぶちゃん注:本篇については「小泉八雲 富士山 (落合貞三郎訳) / (その序)」を参照されたいが、そこの注で指摘したように、小泉八雲は以下の冒頭のクレジットを“August 24th, 1897.と正しく記しているにも拘らず、落合氏はそれを元号に変えた上、西暦を併置しなかったがために、以下の通り、『明治三十一年』と誤ってしまっている。再度言う、小泉八雲が富士登山を敢行したのは明治三〇(一八九七)年八月二十四日で、しかも東京から直行したのではなく、逆方向、則ち、焼津での避暑の帰りに家族と別行動をとって、島根尋常中学校時代の秘蔵っ子の教え子藤崎八三郞(旧姓小豆澤)」と向かったのであった。なお、底本では冒頭の誤ったこのクレジットはポイント落ち下インデント四字上げであるが、ブラウザでの不具合を考え、同ポイントで引き上げてある。以下、最後までクレジットの処理法は同じであるので、この注は繰り返さない。]

 

        

          明治三十一年八月二十四日

 宿の室が緣側に向つて開いて、緣側の上方に張りた絲からは、數百の手拭が旗の如く垂れてゐる。靑や白の手拭に漢字で富士講の名と富士の壯名が染めてある。これは宿屋へ贈つたもので、廣告[やぶちゃん注:各富士講のそれ。]の用に立つ……雨が降つて、空は一樣に灰色。富士はいつも姿を見せない。

 

                八月二十五日

 午前三時半――一睡もできなかつた――夜更けて山から下りてきた連中や、參詣のため到着した者共で夜中のどさくさ――下女を呼ぶ手の音が絕えない――隣室は飮めや歌への大騒ぎ、折々どつと哄笑が起こる……朝食は汁と魚と御飯。强力が仕事衣を着けてくると、私は最早用意が整つてゐる。が、强力は私に今一度着物を脫いで、厚い下衣を着るやうに强いた。山の下では土用[やぶちゃん注:ここは立秋前の「夏の土用」。七月二十日頃からの十八日間を指す。]の頃も、絕頂では大寒[やぶちゃん注:「だいかん」。二十四節気の最後。寒さが最も厳しくなる。一月二十日頃。]だからと私に警告した。それから强力は食糧と重い着物の包を負つて先發した……三人曳きの車が私を待つてゐる。上り阪で仕事に骨が折れるから、二人が曳いて、一人が推すのである。車で五千呎[やぶちゃん注:千五百二十四メートル。]の高さまで行かれる。

[やぶちゃん注:私は富士登山の経験がなく、ネット上の記載も微妙に見な標高や指示が異なっているため、はっきりとは言えないが、小泉八雲が示したこの標高から見ると、現在の富士山御殿場口五合目(新五合目)の駐車場(標高千四百四十メートル)のやや上の「大石茶屋」附近(千五百二十メートル。グーグル・マップ・データ)かと思われるが、後の展開から見ると、「大石茶屋」相当のシークエンスが出てくるので、ここまで行ってしまうと辻褄が合わない。前者の新五合目附近ととるのが穏当か。]

 細かな雨が降つて、眞暗い、や〻冷たい朝だ。しかし私はやがて雨雲よりも上へのぼるのだ……町の燈光は後になつて消えて、車は田舍道を走つてゐる。先頭の車夫の提燈でできた搖曳する半陰影の外には、一としてはつきり見えるものはない。ただ樹木の影と、折折嶮しい屋根のある百姓家が微かにわかる。

 灰色の弱い光が、徐々と濕つぽい空氣の中に漲るつてくる。細雨の中から夜が明けようとしてゐる……次第に風景の色がわかつてくる。道は藁葺の家の前を過ぎて行く。が、耕作地は何處にも見えぬ。

 落葉松[やぶちゃん注:「からまつ。]や松などの木立が散在せる開豁の野だ。茫々たる野の緣と思はる〻所の上に、ごつごつした樹梢[やぶちゃん注:「じゆしせう(じゅしょう)」樹木の梢(こずえ)。]が見えるのみで、眼界無一物。富士の影さへ見えぬ……始めて氣がついたのは、道の黑いことだ。黑い砂と灰、卽ち火山灰らしい。車輪と車夫の足がぱりぱりと碎ける音をして、その中へはまりこむ。

 雨は止んで、空はもつと明らかな灰色となつた……進むに從つて樹木は小さくなり、數も減じた。

 前面に當つて、地平線と思つてゐたものが、急に裂開して、煙の如く卷いて左右へ去りはじめた。大きな裂け目の中に暗靑色の大塊の一部が見えた。富士の一部分だ。殆ど同時に太陽が私共の背後の雲に射した。しかし道は今や低い山の背の据を蔽へる矮林へ入つて、眼界は鎖された……巡禮の休憩所なる樹間の一小屋で休んだ。すると、車夫よりも一層速かに進んだ强力は待つてゐた。卵を買つた。强力はそれを幅の狹い藁蓆[やぶちゃん注:「わらむしろ」。]に卷いて、卵と卵の間を藁でしつかり結んだので、卵の絲つなぎは何となく腸詰の絲つなぎのやうであつた……一頭の馬を雇つた。

 進むにつれて、空は晴れて、白い光が萬象に漲つた。道はまた上りとなり、それからまた荒野へ出た。すると、すぐ前面に富士が現はれた。絕頂まで裸で、素晴らしく偉大で、新たに地から聳え立つたばかりと思はれるほど目醒ましい。これほど美しいものはあるまい。大きな靑色の圓錐形――淡靑色で、まだ朝陽に消されない霧のために殆ど菫菜[やぶちゃん注:「すみれ」と読む。無論、キントラノオ目スミレ科 Violaceae のスミレのことである。]色を帶びてゐる。頂に近く二本の白い小筋がある。ここからはやつと一吋[やぶちゃん注:「インチ」。約二センチ五ミリ。]の長さにしか見えないが、雪の滿ちた大きい壑[やぶちゃん注:「たに」。原文“gullies”。「gully」は英語そのままに「ガリ」あるいは「ガリー」とも呼び、降水・降雪が集まって流れた水氷の流動によって地表面が削られて溝や谷状に形成された地形を指す。水起原の侵食に夜地形形状の一つで「雨裂(うれつ)」とも称する。]なのだ。しかしこの姿の美は色彩美よりも均勢美である――あまり廣い距離にのべ渡したので、緊張のできない錨鎖[やぶちゃん注:「びやうさ(びょうさ)」錨(いかり)の鎖。]のやうな、美しい二つの曲線が釣り合ひを得てゐるのだ。(この喩[やぶちゃん注:「たとへ」。]はすぐ心に浮かんだのではない。あの優美の線が與へた第一印象は女性的といふ印象であつた――私は兩肩が頸の方へ立派な勾配をしてゐることを考へたのであつた譯者註)これを一見して、すぐ描くといふことは、なかなかむづかしいだらうと私は思ふ。しかし日本の畫家は、毛筆の驚くべき器用さ――代々の畫家から遺傳した技倆――によつて、譯もなくこの難事に直面する。一秒も立たぬ間に描いた二本のなだらかな線で、影法師の輪郭を作り、曲線の正鵠を得るやうにする――丁度弓の名人が、意識して狙はずとも、多年の手と眼の正確な習慣で的中させる如く。

 

譯者註 これは直譯であるが、兩肩から頸の方へと、曲線が上つて行く見方であゐ。日本人ならば、曲線が頸から兩肩へかけて、なだらかな勾配をして下つてゐる風に見立てる。東西心的作用の差異の一例と見るべきだらう。

 

[やぶちゃん注:面白い! 原文は“I found myself thinking of some exquisite sloping of shoulders towards the neck.”である。]

 

 

       

 强力は遙か向うの方を急いで進んで行つてゐる。其一人は頸に卵を卷きつけてゐる……最早、樹木と名づくべき樹木もなく、灌木[やぶちゃん注:低木。]の如き短矮[やぶちゃん注:「たんわい」。短く背が低く小さなこと。]な植物が散在してゐるばかりだ。黑い道路が茫々たる草原を越えて曲つてゐる。綠色の表面の此所彼所[やぶちゃん注:「ここかしこ」。]に大きな黑い斑紋――灰や火山滓[やぶちゃん注:「かざんさい」。岩滓(がんさい)・スコリア。火山性砕屑(さいそう)物の一種で、熔岩又は火山放出物由来のザラザラした気泡の多い塊りで、一般に塩基性の組成で多孔質、暗色から黒色を呈する。ラテン語の「scoria」は「糞・滓(かす)」の意。]の露出せる場所――がある。この薄い綠色の皮は、近い頃の大きな火山的堆積物を蔽うてゐるのだということが、それでわかる……實際すべてこの地方は千七百七年、富士の側面の爆發によつて、二碼[やぶちゃん注:「ヤード」。約一メートル八十三センチメートル。]の深さに埋められ、遠く離れた東京に於てさへ、灰の雨が十六センチメートルの深さに達するまで屋根を蔽うた譯者註。この邊には眞正の土壤が乏しいから、畠がない。また水は皆無である。しかし火山の破壞は永久の破壞ではない。爆發は結局土地を肥沃ならしめる。して、貴い『花を美しく咲かせる姬』が、數百年の後にこの荒野に再び笑顏を呈せしめるであらう。

 

譯者註 東山天皇寶永四年(一七〇七年)十月二十三日巳中刻(午前十時頃)、富士山 忽然鳴動、煙雲騰上。吹飛砂礫、寶永山出現。

[やぶちゃん注:所謂、最も新しい富士山の噴火である「宝永の大噴火」であるが、落合の注は月が誤っている宝永四年十一月二十三日(一七〇七年十二月十六日)の午前十時頃、富士山の南東斜面から白い雲のようなものが湧き上がって急速に大きくなっていったのが噴火の始まりで、十二月八日(十二月三十一日)に終熄した。ウィキの「宝永大噴火」に詳しいが、それによれば、『この時』、『江戸に降り積もった火山灰は当時の文書によれば』二寸から四寸(六・六~十二センチメートルほど)と『あるが、実際には』、『もう少し少なかったと推定されている。東京大学本郷キャンパスの発掘調査では薄い白い灰の上に、黒い火山灰が約』二センチメートル『積もっていることが確認された』。但し、『この降灰は強風のたびに細かい塵となって長く江戸市民を苦しめ、多数の住民が呼吸器疾患に悩まされた』とある。]

 綠の表面に於ける黑い孔は、もつと數多く、もつと大きくなつた。僅の矯小な濯木が、まだ荒々しい草とまじつてゐる……水蒸氣はのぼつて行く。して、富士は色を變へつつある。最早輝ける靑色でなく、極めて、くすんだ靑色だ。曩には[やぶちゃん注:「さきには」。先ほどまでは。]土地の高い隆起にかくれて見えなかつた凸狀形が、大きな曲線の下部に現はれた。これら凸狀形の一つで、左方に當つて、駱駝の隆肉[やぶちゃん注:「こぶ」と当て訓しておく。]の形をなせるものは、最も新しい大噴火の焦點を示してゐる。

 土地は今や黑い斑點を帶びた綠でなく、綠の交つた黑色だ。灌木はなくなつた。車輪と車夫の足は、火山灰に一層深く沈む……車に馬を繫いだので 私はもつと早く進まれるやうになつた。それでも山は遙か遠方に見える。しかし實際私共は五千尺[やぶちゃん注:「呎」の誤り。千五百二十四メートル。]以上の高さの側面を上りつつあるのだ。

 富士は靑がかつた色合を全く失つた。それは黑くて、炭のやうな黑さで、露出した灰や鐡滓や熔岩などの、火の消えた怖ろしげな堆積だ……綠色のものは大部分なくなつて、一切の幻覺もまた消えた。黑裸々[やぶちゃん注:「こくらら」と読んではおく。「真っ黒な素(す)っ裸」の意。]たる現賞の光景は、ますます鋭く、怖ろしく、猛惡に分明さを加へ、人を昏明させる惡夢となつて現はれた……仰げば數哩[やぶちゃん注:富士山の標高三千七百七十六から先の「五千」フィートを引くと、二千二百五十二メートルであるが、富士の実際の登攀データを見ると、この高低差では実際の登攀距離は軽く十キロメートルを超えるから、一マイルの六掛けでも九キロ半となり、誇大表現ではないことが判る。]の上で、黑い色を背景として、散點せる雪が、怖ろしげに睥睨[やぶちゃん注:「へいげい」。]したり、幽光を發したりしてゐる。齒だけ白く光つて、その他は煤けて碎けさうに燒けた婦人の頭蓋骨を見たことを私は思ひだした。

[やぶちゃん注:この最後の反応と記憶は強烈で(原文“.I think of a gleam of white teeth I once saw in a skull,—a woman’s skull,—otherwise burnt to a sooty crisp.”)、原語を発音してみると、これ、怪談の小泉八雲――炸裂――である。平井氏はそれを『自分は昔、歯だけ白く光って、あとはくすぶり焦げた女の人の焼けただれた頭蓋骨を見たのを思い出した』と訳しておられ、これこそが正しく文学的な素敵に慄然とさせる名訳であると私は思っている。――さても……富士を登りながら……かくも、人の生死の哲学を心に抱き……焼けた女性の頭骨の歯の白さを厳然と想起し得た人間は、私は、小泉八雲を除いて、そうそう沢山はいないと思うのである。]

 この世の最も美しい光景でないまでも、最も美しい光景の一つであるものさへ、かやうな風に恐怖と死の光景に歸してしまふ……しかしすべて人間の美に關する理想は、遠方から眺めた富士の美の如く、死と苦みの力によつて創造されたのではないか。すべてその性質から云へば、幾多の死滅したものが集つたので、遺傳的記憶といふ摩訶不思議の靄を通じて囘顧的に眺めた、ものではないか。

 

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