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2019/11/27

小泉八雲 日本美術に於ける顔について (落合貞三郎訳) / その「二」・「三」・「四」

 

[やぶちゃん注:本篇については、『小泉八雲 日本美術に於ける顔について (落合貞三郎訳) / その「一」』を参照されたい。]

 

      

 ストレーヂ氏の論文によつで挑發された批評は、日本美術に對して正鵠を失つてゐたけれども、それは當然であつて、またその美術に對する無知とその目的の誤解を示せるものに外ならない。それは一見してその意義が讀まれるやうな美術ではない。それを正當に理解するためには多年の硏究が必要なのである。私は敢て恰も文典に於ける法及び時制のやうな該美術に於ける詳細に通曉し得たと揚言する事はできないが、しかし古い繪雙紙や、今日の安い版畫、特に繪入新聞にある顏は、私に取つて毫も非現實なものと思はれないし、況して[やぶちゃん注:「まして」。]『絕對に狂氣』じみてゐるとは思はれないと、私は附言し得るのである。それが實際私に取つて奇怪に思はれた時代もあつた。今ではいつもそれが面白く、また折々は美麗だと思ふことがある。もし他のいかなる歐洲人も、かかることを云ふものはないと、私に告げられるならば、その時、私はすべての他の歐洲人が過つてゐるのだと公言せざるを得ない。もしこれらの顏が、大部分の西洋人に取つて荒唐不稽[やぶちゃん注:「荒唐無稽」に同じい。]なものと思はれたり、或は精神のないものと見えたりするならば、それは大部分の西洋人がそれを理解しないからである。して、假令[やぶちゃん注:「たとひ」。]英國駐剳[やぶちゃん注:「ちゆうさつ」。外交官などが任務のために暫く外国に滞在すること。「駐在」に同じい。]日本公使閣下が、いかなる日本婦人も未だ嘗て日本の繪雙紙と安い版畫の婦人に似たことはないといふ說を欣んで承認するにしても、私は依然として承認を拒まざるな得ない。私は主張するが、それらの畫は眞實であつて、聰明、優雅、美麗を示してゐる。私は日本の繪雙紙の婦人を、あらゆる日本の街頭に見る。私は日本の繪雙紙に見出さる〻殆どあらゆる普通型の顏――子供と娘、花嫁と母、刀自[やぶちゃん注:「とじ」。もとは「戸主(とぬし)」の意で、「刀自」は当て字。年輩の女性を敬愛の気持ちを込めて呼ぶ古称。原文“matron”は「品位ある年長の既婚婦人・夫人」を指す。]と祖父、貧民と富者、美しいのや、平凡なのや、賤しげなのや――を、實地に見てゐる。もし日本に住んだことのある熟練なる美術批評家輩が、この附言を嘲笑するといふことを私に告げられるならば、彼等は最も普通の日本畫さへも理解し得るだけに、充分長く日本に住まなかつたか、または充分日本人の生活に親炙[やぶちゃん注:「しんしや(しんしゃ)」。親しく接してその感化を受けること。]しなかつたか、または充分公平にその美術を硏究しなかつたに相違ないと、私は答へる。

 

註 日本美術が理想的顏面表情に於て偉大なる成績を舉げうることは、その佛畫によつて充分に證明される。普通の版畫に於て、畫が小規模の場合には、顏の故意らしい紋切形が滅多に目につかない。して、こんな場合には、美の暗示が一層容易に認識される。しかし畫が稍〻大きくて、例へば、畫の卵形が直徑一寸以上の場合などには、緻密な細部に馴れた眼には、同一の畫法も不可解に映ずることもあるだらう。

 

 日本へまだ來ない前には、私は或る日本畫に於ける顏面表情の缺乏に對して困惑を感ずるのが常であつた。私は告白するが、その顏は當時に於てさヘ一種の不思議な魅力を有たない[やぶちゃん注:「もたない」。]ことはなかつたけれども、私から見ると、ありさうもないやうに思はれた。その後、極東に於ける經驗の最初の二年間――丁度その時期に於ては、いかなる西洋人も決して眞に悟ることのできぬ人民に關して、自分は一切のことを知りつ〻あるのだと外人は想像し易い――私は或る形狀の優雅と眞實を認め、且つ日本の版畫に於ける强烈なる色彩美を幾分感ずることができた。しかし私はその美術の一層深い意義については、何等悟得する處がなかつた。その色彩の充分なる意義さへも、私は知らなかつた。全然眞實であつた多くのことも、私は當時珍奇異風と考へてゐた。幾多の美しさを意識しつ〻も、私はその美の理由を揣摩[やぶちゃん注:「しま」。「揣」も「摩」もともに「おしはかる」意で、「他人の気持ちなどを推量すること」。忖度揣摩。]することさへもできなかつた。顏面が外見上因襲主義である場合には、さもなかつたならば驚くべき藝術的材能[やぶちゃん注:「才能」の別表記。]も、可惜[やぶちゃん注:「あたら」。古い形容詞「可惜(あたら)し」の語幹から出来た副詞。「惜しくも・残念なことに」。]發達を抑へられてゐることを示すものと私は想像した。その因襲主義は、一たび意味を闡明[やぶちゃん注:「せんめい」。明瞭でなかった道理や意義を明らかにすること。]すれば、普通の西洋畫が現はす以上のものを示す象徴の意味たるに過ぎないといふことが、私の念頭に決して浮かばなかつた。しかし、それは私がまだ古い野蠻的な影誓の下に留つてやたからであつた。その影響が私をして日本畫の意義に盲目ならしめたのであつた。して、今や遂に少々わかつてきてからは、私に取つて因襲的で、未だ發達を遂げざる、半野蠻なものと見えるのは、西洋の挿畫術である。英國の週報や米國の雜誌に於ける人氣の多い繪畫は、今では無味、下品、拙劣なものとして私に印象を與へる。けれども、この問題に於ける私の意見は、普通の日本の版畫と普通の西洋の挿畫とを比較した場合に限る。

 恐らくは次の如くいふ人もあるだらう。假令一步を讓つて、私の主張を承認するとしても、苟も眞正の美術は何等の解釋を要すべきでない。また、日本の作品の性質が劣つてゐるのは、その意味が一般的に認識され得ないことを是認してゐるのでも證明される。誰れでも上のやうな批評をする人は、西洋美術は何れの處に於ても同樣に理解され得るものと想像せねばならぬ。西洋美術の或るもの――その精粹のもの――は、多分さうであらう。して、日本美術の或るものも亦さうであらう。しかし私は讀者に附言し得るのであるが、普通の西洋の書籍の挿畫或は雜誌の彫刻畫は、丁度日本畫が日本を見たことのない歐洲人に於けると同樣、日本人に對してわかりにくい。日本人が普通の西洋彫刻畫を理解するには、西洋に住んでゐたことがなくてはいけない。西洋人が日本畫の眞と美と面白い氣分を悟るには、その畫の反映する生活を知らねばならぬ。

 日本協會の席上、一人の批評家は日本畫に顏面表情の缺けてあるのを因襲主義だといつて非難した。彼はこの理由に基づいて、日本美術を古代埃及人[やぶちゃん注:「エジプトじん」。]の美術と比較し、して、因襲主義の手法によつて制限を蒙つてゐるから、兩者共に劣等なものであると見倣した。しかしラオコロン譯者註を模範的美術として崇拜する現代は、希臘[やぶちゃん注:「ギリシヤ」。]美術さへ因襲主義の手法を脫してゐなかつたことを正しく認めねばならない。それは私共が殆ど企及[やぶちゃん注:「ききふ(ききゅう)」。「計画を立てて努力して到達すること」。また、「肩を並べること・匹敵すること」。ここは後者。]し得べくもない美術であつた。しかしもそれは如何なる形式の現存美術よりも更に因襲的であつた。して、その神々しい美術さへ、藝術的因襲手法の制限内に發展をそげ得たことが證明さる〻からには、形式主義といふ非難は日本美術に蒙らせるのに適はしき[やぶちゃん注:「ふさはしき」。]非難ではない。或る人は希臘の因襲手法は、美のそれであつたが、日本畫のそれには、美もなければ、意義もないと答へるかも知れない。しかしかかる說が出るのは、希臘美術は幾多近代の批評家と敎師の努力によつて、私共に取つては、私共の野蠻的先祖達に取つてよりも、稍〻一層わかり易いものとされてゐるに反し、日本美術はまだそのウンケルマン譯者註一をも、レツシング譯者註二をも見出してゐないからに過ぎない。希臘の因襲的顏面は實際生活に於ては見られない。いかなる生きた人の頭も、かほどに廣い顏面角を呈するものはない。しかし日本の因襲的顏面は、一たび美樹上に於けるその象徵の眞價値が適當に了解された曉には、到る處に見受けられる。希臘美術の顏は不可能なる完全、超人的進化を示してゐる。日本畫家の描ける一見無表情な顏は、生けるもの、實在せるもの、日常のものを現はしてゐる。前者は夢である。後者は普通の事實である。

 

譯者註 ラオコオンはトロイの神官であつたが、海神の祭式を営んでゐゐ際、二匹の蛇が海から現はれ、始めに彼の二子に捲きつき、更にそれを助けんとした彼をも捲いて、父子三人を殺した。この苦悶を表はせる有名なる群像の彫刻は、十六世紀の初、羅馬[やぶちゃん注:「ローマ」。]に於て發見され、今は法皇宮殿に藏してある。

譯者註一 ウンケルマン(一七一七――一七六八年)は獨逸の美術批評家。希臘美術の理想的特性を闡明した彼の大著「古代美術史」は、偉大なる影響を及ぼした。

譯者註二 レツシング(一七二九――一七八一年)は獨逸の評論家且つ戲曲家。希臘藝術に關する立派な著書及び論文がある。

[やぶちゃん注:「ラオコオン」原本“Laocoön ”。ギリシア伝説に出る、トロイアのアポロンの神官。トロイア戦争の十年目に、撤退を装うギリシア軍が勇士たちをその腹中に潜ませた巨大な木馬を残して戦場を去った際、それが女神アテナへの奉納品どころか、敵の姦計に他ならないと見抜いた彼は、木馬を城内に引き入れることに反対したが、その時、海から現れた二匹の大蛇に二人の息子ともども、締め殺された。この大蛇は、彼が神官の身にも拘わらず、結婚し、子どもをもうけた罰として、アポロンが送ったとも、アテナが木馬の城内引入れに反対した彼を罰するために送ったとも言われる(平凡社「世界大百科事典」に拠る。以下は同じ平凡社の「百科事典マイペディア」から)。その三人が襲われる姿を表わした大理石彫刻「ラオコオンと息子たち」は、一五〇六年、ローマのティトゥス帝浴場跡で発見され、現在、バチカン美術館が蔵している(これ。リンク先はウィキの「ラオコオン論争」にある現物写真)。この彫刻は紀元前一世紀のロードス島の彫刻家たちによって製作されたもので、そのローマ的に過剰な悲劇性は後代に影響を与え、以下に述べるレッシングらの「ラオコオン論争」を起こした。

「ウンケルマン」ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマン(Johann Joachim Winckelmann 一七一七年~一七六八年)はドイツの考古学者・美術史家。貧しい靴屋の家に生れた。高等学校時代よりギリシア・ラテン語に惹かれ、一七三八年、ハレ大学に入学して神学を、一七四一年よりイエナ大学で医学を学んだ。一七四八年から一七五四年までビュナウ伯爵家の司書を務める。画家エーゼルとの交遊によってギリシア美術・文学への興味を深める。カトリックに改宗した彼は、一七五五年、国王奨学金を得、ローマへ留学、一七六三年からはバチカン図書館の古代遺物・文書の責任者となった。古代美術を讃えた処女作「ギリシア美術模倣論」(Gedanken über die Nachahmung der griechischen Werke in der Malerei und Bildhauerkunst:一七五五年)を始め、優れた研究書を発表し、古代美術史研究の創始者となったばかりでなく、古典美術を規範とするその姿勢は、同時代に於ける新古典主義の潮流を導いた。ほかに「古代美術史」(Geschichte der Kunst des Altertums:一七六四年)がある(主文は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠る)。ウィキの「ラオコオン論争」によれば、『ヴィンケルマンは自著を通して、当時の美術の主流に対して異を唱えた。ヴィンケルマンは精密な観察に基づいた記述を重視し、そこから得た知覚的印象から実質的及び帰納的に美の法則を打ち立てようとした』。『その際彼が基準としたのは古典、特に古代ギリシア美術の模倣であった』とある。

「レツシング」ゴットホルト・エフライム・レッシング(Gotthold Ephraim Lessing 一七二九年~一七八一年)はドイツの劇作家・批評家。彼のウィキによれば、『ドイツ啓蒙思想の代表的な人物であり、フランス古典主義からの解放を目指し、ドイツ文学のその後のあり方を決めた人物である。その活動は、ゲーテ』・シラー・カント・ヤコービ・メンデルスゾーンなどの当時のドイツ文学者・思想家に『多大な影響を及ぼした。西洋近代の転生説を最初に明記した人物と言われており、この転生思想は現代日本への影響も大きい』とある。彼にはまさに「ラオコオン」(Laokoon)と題した芸術論があり(一七六六年発表)、これは先のヴィンケルマンの一七五五年の「ギリシャ美術模倣論」でのラオコーン像賛美に挑んだものであった。トロイアの神官ラオコオンの非業の死を表わした例の大理石群像と、この出来事を歌ったウェルギリウスの詩句との比較を手がかりとして、〈絵画(美術一般)と文学との限界〉に就いて説いたもので、両者は、古来、謂い慣わされてきた近親関係にも拘わらず、模倣の対象・媒体材料・技法を異にし、「絵画」は〈空間に並存する物体を形と色に依って〉、「文学」は〈時間とともに継起する「行為」を分節音(言語)に依って〉描くものだと規定した。それ故に、「絵画」が〈行為〉を、「文学」が〈物体〉を描いて美的効果をあげるためには、それぞれに特殊な工夫を必要とするとするもであった(以上は平凡社「世界大百科事典」その他に拠った)。]

 

       

 日本畫に、一見した處、人相上の因襲主義があるのは、個性を類型に、個人の人格を一般的人道に、細部を全體の感情に從屬せしめるといふ法則で、一部分を說明する事ができる。エドワード・スレーンヂ氏は、この法則について幾分日本協會に敎へようと試みたが、誤解されて無效に歸したのであつた。日本畫家は、例へば一匹の昆蟲を描くとして、そのやうにはいかなる歐洲畫家も描き得ない。彼はそれを生かしてみせる。彼はその獨得の運動、その性質、すべてそれによつて一目類型として識別さる〻ものを見せる――しかも筆を揮ふこと僅に數囘にして一切これを成就する。けれども彼は、その一枚一枚の翅面に、一本一本の翅脈を現はしたり、その觸角の各關節を示したりすることはない。彼は細密に硏究したやうにではなく、實際一目で見たま〻のやうに描き出す。私共は蟋蟀や蝶や蜂が何處かに止まつてゐるのを見る瞬間に、一切その身體の細部を決して見るものではない。私共はただいかなる種類の動物であるかを、決定するに足りるだけのことを觀察する。私共は類型的のものを見て、決して各個的特異の點を見ない。だから日本の畫家はただ類型だけを描く。一々の細部を再現するのは、典型的の性質を各個的特異に從屬させることになるであらう。極めて綿密な細部は、細部の認識によつて、類型を卽時に認識することが助けられる場合の外は、滅多に現はされてゐない。例へば、一本の光線がたまたま蟋蟀

 

註 彫刻の場合に、これに異つてゐる、骨や角や象牙に刻まれ、また適當に賦彩されたる昆蟲の作品は、これを手に取つて見るとき、重量以外の點では、眞正の昆蟲と殆ど區別のできぬことも往々ある。しかし絕對的寫實主義はただ骨董的で、美術的ではない。

 

の脚の關節に當つたり、或は蜻蛉の甲から複色の金屬的閃光を反射したりする場合である。これと同樣に、花を描くに際して、畫家は一個特殊の花でなく、類型的の花を描く。彼は種族の形態學的法則、卽ち象徵的に云へば、形狀の裏面に潜める自然の思想を示すのである。此手法の結果は、科學者をも驚嘆せしめることがある。アルフレツド・ラツスル・ウオラス氏は日本畫家の描いた植物寫生集を、氏が從來見た、もののうちで、『最も優秀だ』といつてゐる。『一莖、一枝、一葉、悉く一氣呵成に一と筆でできてゐる。極めて複雜なる拉物の性質と配景が、天晴れ巧みに描かれ、また莖と葉の關節は最も科學的に示されてゐる』(圈點は私が施したものである)ここに注意すべきことは、その作品は『一と筆でできて』ゐて、簡單そのものであり乍ら、しかも現存最大博物學者譯者註の一人の意見によれば、『最も科學的だ』といふことである。して、その故は如何? それは類型の性質と類型の法則を示すからである。それから、また岩石と絕壁、丘陵と原野を描くに當つて、日本畫家は一般的性質を示すのみで、人に倦怠を與ふるやうな塊團の細部を寫さない。しかも細部は大要の法則の完全なる硏究によつて、うまく暗示されてゐる。更に日本畫家の日沒及び日出の描寫に於ける色彩硏究を見るがよい。彼は決して視界内のあらゆる緻密なる事實を現はさうと試みないで、私共に與へるのに、ただかの偉大な明かるい色調と彩色の混和を以てする。それは他の幾多の些々たることどもが忘れられた後にも、依然として記憶裡に徘徊し、して、見たものの感じをその裡に再び作るのである。

 

譯者註 ウオラス氏を指す。ダーウヰンとは全然獨立に、しかも暗合的に、自然淘汰說を發見した人(一八二二――一九一三年)

[やぶちゃん注:「アルフレツド・ラツスル・ウオラス」アルフレッド・ラッセル・ウォレス(Alfred Russel Wallace 一八二三年~一九一三年)は、『イギリスの博物学者、生物学者、探検家、人類学者、地理学者。アマゾン川とマレー諸島を広範囲に実地探査して、インドネシアの動物の分布を二つの異なった地域に分ける分布境界線、ウォレス線を特定した。そのため時に生物地理学の父と呼ばれることもある。チャールズ・ダーウィンとは別に自身の自然選択を発見した結果、ダーウィンは理論の公表を行った。また自然選択説の共同発見者であると同時に、進化理論の発展のためにいくつか貢献をした』十九世紀の『主要な進化理論家の一人である。その中には自然選択が種分化をどのように促すかというウォレス効果と、警告色の概念が含まれる』。『心霊主義の唱道と人間の精神の非物質的な起源への関心は当時の科学界、特に他の進化論の支持者との関係を緊迫させたが、ピルトダウン人ねつ造事件の際は、それを捏造を見抜く根拠ともなった』。『イギリスの社会経済の不平等に目を向け、人間活動の環境に対する影響を考えた初期の学者の一人でもあり、講演や著作を通じて幅広く活動した。インドネシアとマレーシアにおける探検と発見の記録は』「マレー諸島」(The Malay Archipelago)として一八六九年に出版され、十九世紀の『科学探検書としてもっとも影響力と人気がある一冊だった』(ウィキの「アルフレッド・ラッセル・ウォレス」の冒頭概要のみ)。彼に就いては、「ナショナルジオグラフィック」(二〇〇八年十二月号)の「特集:ダーウィンになれなかった男」が詳細にして核心を突いており、お薦めである。ダーゥインとの関係については、私の「進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第二章 進化論の歷史(5) 五 ダーウィン(種の起源)」を参照されたいが、私の注はかなり長い。なお、小泉八雲の引用は、彼の「マレー諸島」の二十章「アンボイナ」(ⅩⅩ:AMBOYNA)の一節である。

 

 さて、美術のこの一般的法則は、日本の人身描寫と、また(この場合には他の諸法則も亦働くのであるが)人面描寫にも適合する。一般的の型が描かれ、しかも最も巧妙な佛國の[やぶちゃん注:「フランスの」の意。]寫生家でさへ、往々殆ど競爭し難きほど力强く描かれてゐる。個人的特異は示されてゐない。諷刺畫の滑稽氣分や演劇の描寫に於て、顏面的表情が强烈に現はれてゐる場合にさへ、それは個人的特徵によつてでなく、一般的類型性によつて現はされてゐる。恰も古代の舞臺上で希臘の俳優によつて、形式的假面を用ひて現はされたやうに。

 

       

 普通の日本畫に於ける顏の描寫法について、二三の槪說を試みたなら、その描寫法の敎へることを理解するに助けとなるだらう。

 人物の若さは主要な筆觸[やぶちゃん注:「ひつしよく(ひっしょく)」。「絵画などに於いて筆捌きによって生じた色調やリズム感などの効果」だが、これはもう英語原単語の方がよい。“touches”。「タッチ」である。]數本だけで濟まして、顏と頸のさつぱりした滑らかな曲線を以て現はしてある。眼と鼻と口を暗示する筆觸の外には、何等の線もない。曲線が充分に肉のたつぷりした豐富さと滑らかさと圓熟を語つてゐる。物語の挿繪としては、年齡または境遇は、髮の結び方と衣服の樣式で示されてゐるから、容貌を細密に現はすに及ばない。女の姿に於ては、眉毛のないことが、妻または寡婦たることを示し、亂れ髮は悲みを見せ、惱める思ひは、まがふ方なき姿勢と手振りに現はれてゐる。實際髮と衣裳と態度が殆ど一切のことを說明するに足つてゐる[やぶちゃん注:「たつてゐる」。足りている。]。しかし日本畫家は容貌を示す五六本の筆觸の方向と、位置に於ける極めて微妙なる變化によつて、性格の同情的皮は非同情的なるかをほのめかす方法を知つてゐる。して、この暗示は日本人の眼では決して看過されることはない。また、これらの筆觸を殆ど目につかぬほど堅くしたり、柔らかくしたりすることは、精神的意味を有してゐる。それでも、これは決して個人的でなく、ただ人相上の法則の暗示に過ぎない。未成年の場合(男兒や女兒の顏)には、單に柔らかさと溫和さの一般的表示がある――幼兒の具體的愛嬌よりは、寧ろ抽象的魅力が現はれてゐる。

 

註 日本の現今の新聞祇の挿繪に於ては(私は特に「大阪朝日新聞」の小說欄に挿める[やぶちゃん注:「はさめる」。]立派な木版畫を指すのである)、これらの暗示は馴れた西洋人の眼にさへも全然よくわかる。[やぶちゃん注:改行はママ。]

私はここに一つの珍らしい事實を想起する。私にそれが日本に關する如何なる書物にも書いてあつたのを讀んだ記憶を有たない。新來の西洋人は往々日本人について、その甲乙を區別し難いことをこぼしてゐる。して、この困難を日本人種に於ける人相の强き特徵の缺乏に歸してゐる。彼は私共西洋人の一層鋭い特徵ある人相が日本人に取つては全然同樣な結果を呈することを想像してゐない。幾多の日本人が私に云つた。「長い間、私は西洋の甲乙を區別するのが、非常に困難でした。いづれの西洋人も皆私には一樣に見えました」

 

 今一層成人となつた型の描寫に於ては、線が一層數多く、また一層强められてゐる――これは性格が中年に於ては、顏面筋肉の現はれ始まるに從つて、必然更に顯著になつてくるといふ事實を證してゐる。しかしここには單にこの變化の暗示があるだけで、何等個性の硏究は現はれてゐない。

 老人を現はす場合には、日本畫家はすべての皺、窪み、組織の萎縮、目尻の皺、白髮、齒が拔けた後に生ずる顏の輪線の變化を描く。男女老人に性格が現はれてゐる。一種のやつれた美はしさを有する表情、情深い諦めの顏つきによつて私共を欣ばすやうなのもあれば、また殘忍な狡猾、貪欲或は嫉妬の面色によつて私共に嫌惡の感を起こさせるのもある。老年の型は澤山ある。しかしそれは人生の狀態の諸型であつて、個人のそれではない。その畫は或る標本から描かれたのでなく、個人存在の反映ではない。その價値は、その畫が一般的人相上或は生物學上の法則について示せる認識から生ずるのである。

 顏面表情の點に於て、日本美術が遠慮勝ちであるのは、東洋社會の倫理と一致するといふことを、この場合注意する價値がある。出來得る限りあらゆる個人的感情を隱し、外面には微笑を含んだ愛嬌や平然たる諦めの風を見せつつ、苦痛と激情をかくすのが、長い年代の間、行爲の法則であつた。日本美術の謎に對する一つの關鍵[やぶちゃん注:「くわんけん(かんけん)」。もと「閂(かんぬき)と鍵」で「戸締り」の意、更に転じて「物事の最も重要なところ・要点」。]は、佛敎である。

 

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