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2020/02/13

石川啄木歌集 一握の砂 (初版準拠版電子化注) 秋風のこころよさに(全)

 

[やぶちゃん注:本電子化注の底本その他については、「石川啄木歌集 一握の砂 (初版準拠版) 始動 /序・自序・附記・本文第一パート「我を愛する歌」(全)」の私の冒頭の注を参照されたい。]

 

    秋風のこころよさに

 

ふるさとの空(そら)遠(とほ)みかも

高(たか)き屋(や)にひとりのぼりて

愁(うれ)ひて下(くだ)る

 

 ふるさとの空遠みかも

 高き屋にひとりのぼりて

 愁ひて下る

[やぶちゃん注:先に言っておくと、「屋」は如何に注するように、「屋根」ではなく、三階建ての下宿の三階の「高い場所にある部屋」の謂いである。恐らくは誤読されていた方は多いと思う。私もそうであった。

「遠みかも」「遠み」は形容詞「とほし」の語幹に原因・理由を表わす接尾語「み」がついたもので、「遠いので」の意の古語。「かも」は終助詞で詠嘆。疑問の係助詞「か」に詠嘆の係助詞「も」がついて一語化したもの。

 さて、學燈社『別冊國文學』(第十一号)の岩城之徳編「石川啄木必携」(昭和五六(一九八一)年九月発行)の岩城氏の「啄木歌集全歌評釈」によれば、初出は『明星』明治四一(一九〇八)年十月号で、作歌は同年九月十一日であるが、筑摩版全集年譜(同じく岩城氏編)や日記と照応すると、この五日前の九月六日、啄木は金田一京助の厚意で本郷区森川町一番新坂にあった高台にある「新しい三階建」の「高等下宿」であった蓋平館(がいへいかん)に移っている。九月十一日の日記の中にも(全集底本であるが、漢字を恣意的に正字化した)、

   *

 四時頃からしとしと雨。音もなき秋の雨に、遠くの物の煙つて見える景色は、しめやかに故鄕を思はせた。

  故鄕の空遠みかも高き屋に一人のぼりて愁ひて下る

   *

と本歌を記している。着後は三階の部屋に入った。九月八日の日記の一節に、

   *

九番の室に移る。珍妙な間取の三疊半、稱して三階の穴といふ。眼下一望の甍の谷を隔てて、杳か[やぶちゃん注:「はるか」。]に小石川の高臺に相對してゐる。左手に砲兵工廠の大煙突が三本、斷間なく吐く黑煙が怎やら[やぶちゃん注:「どうやら」。何となく。]勇ましい。晴れた日には富士が眞向に見えると女中が語つた。西に向いてるのだ。

 天に近いから、一碧廓寥[やぶちゃん注:「くわくれう(かくりょう)」。広々として寂しいさま。]として目に廣い。蟲の音が遙か下から聞えて來て、遮るものがないから。秋風がみだりに室に充ちてゐる。

   *

とある。以上が載る筑摩版全集第五巻の丁度、九月十一日の日記始まるところに、その日の午前或いは前の三日間の間に日記に描いたものであろうか、「九号室の眺」という啄木のスケッチが挿入されているので、掲げておく。

 

Sangainokei_20200213213901

 

左端に砲兵工廠の煙突が描かれおり、或いは右手の彼方に線でピラミッド型に描いてあるピークが或いは富士なのかも知れない。ここは現在東京都文京区本郷六丁目(グーグル・マップ・データ)で、まさに「旧太栄館(石川啄木旧宅・蓋平館別荘跡)」の碑が立つ。――しかし俄然!――私は驚いたのだ! 「砲兵工廠」と出た辺りからうすうす気づいていたのだが、この啄木が描いた景色の、その向こうの高台の中央当たりにこそ、かの夏目漱石の「こゝろ」(大正三(一九一四)年)の「先生」と「K」が下宿することになる、あの家があることになっているからである。《あの家》については、私の「『東京朝日新聞』大正3(1914)年7月19日(日曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第八十七回」の私の考証を見られたいが、そこで示した「東京府武蔵国小石川区小石川表町近傍」の地図を見て戴ければ、この蓋平館別荘が真東の向かいにあることが判然とするはずである(私が「こゝろ」の下宿に推定比定したのはこの付近(文京区小石川二丁目の内)で、そこから六百メートルほど谷(現在の白山通り)を隔てて殆んど真正面に啄木のこの時の下宿があったことになる)。しかも、啄木はこの年の本歌集刊行の前から漱石と親交を持っていた(五ヶ月前の明治四三(一九一〇)年七月一日に胃腸病で入院していた漱石に社用と見舞いを兼ねて訪ね、担当していた「二葉亭全集」についての指導を受けている)。漱石は門弟の森田草平を通じて二度に亙って結核が進行していた啄木に見舞金を届けており、葬儀にも出席して、若き詩人の死を強く惜しんだのである。私の考証では(私の『「こゝろ」マニアックス』を参照されたい)啄木がここへ来た時から十年前の明治一〇(一八九八)年に「先生」はこの軍人の未亡人の素人下宿に移っているから、この景色は殆んど変わっていないと考えてよいと思う。東京大学の近くであるから、別段、偶然とも言えようが(しかも「こゝろ」は創作で「奥さん」と「お孃さん」のいる素人下宿など実在しないのであるが)、私はこの啄木のスケッチにそのロケーションが含まれることに激しく感動したのである。「こゝろ」フリークの私には驚くべき奇縁としか言いようがないのである。

 

 

皎(かう)として玉(たま)をあざむく小人(せうじん)も

秋來(あきく)といふに

物(もの)を思(おも)へり

 

 皎として玉をあざむく小人も

 秋來といふに

 物を思へり

[やぶちゃん注:「皎」白く明るく光って清いこと。

「小人」少年。]

 

 

かなしきは

秋風(あきかぜ)ぞかし

稀(まれ)にのみ湧(わ)きし淚(なみだ)の繁(しじ)に流(なが)るる

 

 かなしきは

 秋風ぞかし

 稀にのみ湧きし淚の繁に流るる

[やぶちゃん注:岩城氏の前掲書によれば、初出は明治四一(一九〇八)年十月号『明星』で、歌稿では、

 かなしきは秋風ぞかしけながくも忘れゐし人を思出けり]

が初案。]

 

 

靑(あを)に透(す)く

かなしみの玉(たま)に枕(まくら)して

松(まつ)のひびきを夜(よ)もすがら聽(き)く

 

 靑に透く

 かなしみの玉に枕して

 松のひびきを夜もすがら聽く

 

 

神寂(かみさ)びし七山(ななやま)の杉(すぎ)

火(ひ)のごとく染(そ)めて日入(ひい)りぬ

靜(しづ)かなるかな

 

 神寂びし七山の杉

 火のごとく染めて日入りぬ

 靜かなるかな

[やぶちゃん注:「神寂びし」「神さぶ」は「神々(こうごう)しくなる・荘厳(そうごん)に見える」の意。

「七山」不詳。識者の御教授を乞う。]

 

 

そを讀(よ)めば

愁(うれ)ひ知(し)るといふ書(しよ)焚(た)ける

いにしへ人(ひと)の心(こころ)よろしも

 

 そを讀めば

 愁ひ知るといふ書焚ける

 いにしへ人の心よろしも

[やぶちゃん注:始皇帝の焚書を想起した詠。]

 

 

ものなべてうらはかなげに

暮(く)れゆきぬ

とりあつめたる悲(かな)しみの日(ひ)は

 

 ものなべてうらはかなげに

 暮れゆきぬ

 とりあつめたる悲しみの日は

 

 

 

水潦(みづたまり)

暮(く)れゆく空(そら)とくれなゐの紐(ひも)を浮(うか)べぬ

秋雨(あきさめ)の後(のち)

 

 水潦

 暮れゆく空とくれなゐの紐を浮べぬ

 秋雨の後

[やぶちゃん注:岩城氏は前掲書で「くれなゐの紐」を水溜まりに浮かんでいる実際の何かから解けて落ちた赤い紐ととっておられるが、私は、岩城氏が引かれる今井泰子氏の解釈『くれないの紐は「夕焼けに染った細い雲」とする解釈も参考になろう』という今井氏の隠喩を支持する。]

 

 

秋立(あきた)つは水(みづ)にかも似(に)る

洗(あら)はれて

思(おも)ひことごと新(あた)しくなる

 

 秋立つは水にかも似る

 洗はれて

 思ひことごと新しくなる

[やぶちゃん注:岩城氏の前掲書によれば、作歌は明治四一(一九〇八)年九月十四日から十五日で、初出は同年十月号『明星』である。なお、同年の暦上の立秋は八月八日である。]

 

 

愁(うれ)ひ來(き)て

丘(をか)にのぼれば

名(な)も知(し)らぬ鳥(とり)啄(ついば)めり赤(あか)き茨(ばら)の實(み)

 

 愁ひ來て

 丘にのぼれば

 名も知らぬ鳥啄めり赤き茨の實

[やぶちゃん注:岩城氏の前掲書によれば、作歌は明治四十一年八月八日の千駄ケ谷歌会で、初出は同年十月号『明星』である。岩城氏は、『啄木は当時』、『与謝蕪村の句集を愛読しているので、この歌は蕪村の「愁ひつつ岡にのぼれば花いばら」の句を』インスパイアして『作られたものであろう。また、同年七月号の『心の花』に載った北原白秋の』

見るとなく淚ながれぬ

かの小鳥

在ればまた來て、茨(いばら)のなかの紅き實を啄(ついば)み去るを。

あはれまた、

啄み去るを。

『の影響も感じられる』と評されておられる。蕪村の句は推定(尾形仂(つとむ)校注「蕪村俳句集」一九八九年岩波文庫刊)で安永四(一七七五)年四月で、夏の句であり、白秋のそれは、後の詩集「思ひ出」(明治四四(一九一一)年刊。郷里福岡県柳川における幼年時代を追懐した抒情詩集)の「斷章」の八番目に配されたものである。]

 

 

秋(あき)の辻(つぢ)

四(よ)すぢの路(みち)の三(み)すぢへと吹(ふ)きゆく風(かぜ)の

あと見(み)えずかも

 

 秋の辻

 四すぢの路の三すぢへと吹きゆく風の

 あと見えずかも

 

 

秋(あき)の聲(こゑ)まづいち早(はや)く耳(みみ)に入(い)る

かかる性(さが)持(も)つ

かなしむべかり

 

 秋の聲まづいち早く耳に入る

 かかる性持つ

 かなしむべかり

 

 

目(め)になれし山(やま)にはあれど

秋(あき)來(く)れば

神(かみ)や住(す)まむとかしこみて見(み)る

 

 目になれし山にはあれど

 秋來れば

 神や住まむとかしこみて見る

 

 

わが爲(な)さむこと世(よ)に盡(つ)きて

長(なが)き日(ひ)を

かくしもあはれ物(もの)を思(おも)ふか

 

 わが爲さむこと世に盡きて

 長き日を

 かくしもあはれ物を思ふか

 

 

さらさらと雨(あめ)落(お)ち來(きた)り

庭(には)の面(も)の濡(ぬ)れゆくを見(み)て

淚(なみだ)わすれぬ

 

 さらさらと雨落ち來り

 庭の面の濡れゆくを見て

 淚わすれぬ

[やぶちゃん注:最後は「泣くことをふと忘れてしまっていた」というのである。]

 

 

ふるさとの寺(てら)の御廊(みらう)に

踏(ふ)みにける

小櫛(をぐし)の蝶(てふ)を夢(ゆめ)にみしかな

 

 ふるさとの寺の御廊に

 踏みにける

 小櫛の蝶を夢にみしかな

[やぶちゃん注:「寺」父が住職をしていた渋民村の万年山宝徳寺。一歲から九歳(渋民中学校卒業の明治二八(一九八五)年三月)までの閉区間の中の幼少期の追懐であろう。

「小櫛の蝶」岩城氏は前掲書で『故郷の宝徳寺の廊下で、踏んだことのある蝶の模様のついた小さな櫛を夢にみたことであるよ』と訳しておられるが、どうも何か隠れた意味がありそうに思われたので調べたところ、大沢博氏の論文「啄木の短歌創造過程の心理学的研究㈦」(『岩手大学教育学部研究年報』第四十四巻第一号(一九八四年十月発行・PDF)で、この歌を取り上げて(四百二十三番)、

   《引用開始》

宝徳寺の墓地でつい踏んでしまった、少女サダのものとみなした小さな骨片のことを、夢にみたというのであろう。蝶も、鳥と同じように、昔から死者の霊魂の象徴とされてきた動物である。特に少女の霊魂の象徴としてふさわしいものである。

   《引用終了》

とされ、以下、そうした解釈をした証左を以下に述べておられる。この啄木の幼馴染みの三歳年上の少女沼田サダについて、大沢氏は同前の『年報』の先行する第三十六巻(一九七六年発行)の「啄木の作歌動機の心理学的分析」PDF)の中で、この『サダは、宝徳寺再建の功労者、大工沼田末吉の娘で』あったが、『啄木が八歳の時に、ジフテリアのため十一歳で急死した少女である』とされる。ショッキングな解釈ではある。但し、「御廊」を「墓地」とは訳せないし、「小櫛の蝶」を少女サダの遺骨とする換喩を元に復元することは容易ではない。但し、この一首に何らかの秘密が隠されていることはこの歌の確信犯的な夢表現から見ても明らかではある。こちらの記事によると、大沢氏は「石川啄木の秘密」(昭和五二(一九七七)年光文社刊)で既にこのショッキングな解釈を発表されておられ、梗概を纏めたサイト主の記載によれば、『啄木には幼なじみの沼田サタ(通称サダ子)がいたが、啄木八歳のとき』、『彼女は十一歳でジフテリアにかかり死んでしまう』。『啄木が三歳のとき妹光子が生まれて、長姉さだが母に代わって啄木の世話をしたが』、『啄木が六歳のとき姉さだは嫁いでいってしまった』。『それから啄木はサダ子とよく遊んだ。(証言する啄木の年上の女性たち)』(丸括弧内は同書のパートの柱(標題)か)『彼女の姿をひと目見たくて』、『啄木は墓を掘っているところを大人たちに見つけられ』、『厳しく叱られる』。『「いたく錆びしピストル出でぬ砂山の砂を指もて掘りてありしに」』という知られた本「一握の砂」の歌は、実は『幼い啄木が土葬の墓を手で掘っていたら』、『骨が出てきたことを、詠んだのだと大沢先生は説明する』とある。あり、精神分析的な手法を導入することは私は問題ないと思うが、こうした象徴変換をやりだすと、本来の文学鑑賞の領域との共有性や語彙の齟齬が甚だしくなってしまうので、分析手法には賛同するが、その結果として至った《解読》には微妙に留保をしたくなる。但し、その中では、本歌の分析解釈は、それなりに私には受け入れ易い内容であるとは言える。少しでも、墓を掘って骨を出すだの、墓場で露出した骨を踏むだのという匂わせをしたでは、猟奇となって、これはもう夢野久作の「獵奇歌」群の一首と化してしまう(私は個人的にはそれでもよいと思う人種であるが)。されば、「墓地」を「御廊」(この「廊」はふと見間違えれば「廟」にも見え、それならば墓地の謂いとなる)とし、「小さな少女の遺骨の儚い破片」を「小櫛の蝶」とする象徴変換はかなり腑に落ちると私は思うのである。]

 

 

こころみに

いとけなき日(ひ)の我(われ)となり

物言(ものい)ひてみむ人(ひと)あれと思(おも)ふ

 

 こころみに

 いとけなき日の我となり

 物言ひてみむ人あれと思ふ

 

 

はたはたと黍(きび)の葉(は)鳴(な)れる

ふるさとの軒端(のきば)なつかし

秋風(あきかぜ)吹(ふ)けば

 

 はたはたと黍の葉鳴れる

 ふるさとの軒端なつかし

 秋風吹けば

 

 

摩(す)れあへる肩(かた)のひまより

はつかにも見(み)きといふさへ

日記(にき)に殘(のこ)れり

 

 摩れあへる肩のひまより

 はつかにも見きといふさへ

 日記に殘れり

[やぶちゃん注:「はつかにも」僅かにも。]

 

 

風流男(みやびを)は今(いま)も昔(むかし)も

泡雪(あはゆき)の

玉手(たまで)さし捲(ま)く夜(よ)にし老(お)ゆらし

 

 風流男は今も昔も

 泡雪の

 玉手さし捲く夜にし老ゆらし

 

 

かりそめに忘(わす)れても見(み)まし

石(いし)だたみ

春(はる)生(お)ふる草(くさ)に埋(うも)るるがごと

 

 かりそめに忘れても見まし

 石だたみ

 春生ふる草に埋るるがごと

[やぶちゃん注:「かりそめに忘れても見まし」『現在の既婚者である私という事実を忘れて「かりそめに」も恋をしてみたいものだ』の謂いであろう。岩城氏の前掲書によれば、『この一首は当時啄木が短歌を指導していた大分県臼杵(うすき)の文学少女菅原芳子を対象』として『架空の恋を歌ったものであろう』と述べておられる。]

 

 

その昔(むかし)搖籃(ゆりかご)に寢(ね)て

あまたたび夢(ゆめ)みし人(ひと)か

切(せち)になつかし

 

 その昔搖籃に寢て

 あまたたび夢みし人か

 切になつかし

[やぶちゃん注:純化された永遠の恋人として〈母〉像を、現在の掻き毟るような人恋しさに転換して詠んだものである。]

 

 

神無月(かみなづき)

岩手(いはて)の山(やま)の

初雪(はつゆき)の眉(まゆ)にせまりし朝(さ)を思(おも)ひぬ

 

 神無月

 岩手の山の

 初雪の眉にせまりし朝を思ひぬ

 

 

ひでり雨(あめ)さらさら落(お)ちて

前栽(せんざい)の

萩(はぎ)のすこしく亂(みだ)れたるかな

 

 ひでり雨さらさら落ちて

 前栽の

 萩のすこしく亂れたるかな

 

 

秋(あき)の空(そら)廓寥(くわくれう)として影(かげ)もなし

あまりにさびし

烏(からす)など飛(と)べ

 

 秋の空廓寥として影もなし

 あまりにさびし

 烏など飛べ

[やぶちゃん注:「廓寥」広々として寂しいさま。

「烏飛べ」と命じたところに作者の孤独の眼目が愕然と発揮されている。]

 

 

雨後(うご)の月(つき)

ほどよく濡(ぬ)れし屋根瓦(やねがはら)の

そのところどころ光(ひか)るかなしさ

 

 雨後の月

 ほどよく濡れし屋根瓦の

 そのところどころ光るかなしさ

 

 

われ饑(う)ゑてある日(ひ)に

細(ほそ)き尾(を)を掉(ふ)りて

饑(う)ゑて我(われ)を見(み)る犬(いぬ)の面(つら)よし

 

 われ饑ゑてある日に

 細き尾を掉りて

 饑ゑて我を見る犬の面よし

[やぶちゃん注:犬の面が作者の顔とオーヴァー・ラップするところが凄絶である。]

 

 

いつしかに

泣(な)くといふこと忘(わす)れたる

我(われ)泣(な)かしむる人(ひと)のあらじか

 

 いつしかに

 泣くといふこと忘れたる

 我泣かしむる人のあらじか

 

 

汪然(わうぜん)として

ああ酒(さけ)のかなしみぞ我(われ)に來(きた)れる

立(た)ちて舞(ま)ひなむ

 

 汪然として

 ああ酒のかなしみぞ我に來れる

 立ちて舞ひなむ

[やぶちゃん注:「汪然」は本来は「水が深く広いさま」であるが、転じて「涙が盛んに流れるさま」を言う。]

 

 

蛼(いとど)鳴(な)く

そのかたはらの石(いし)に踞(きよ)し

泣(な)き笑(わら)ひしてひとり物言(ものい)ふ

 

 蛼鳴く

 そのかたはらの石に踞し

 泣き笑ひしてひとり物言ふ

[やぶちゃん注:「蛼(いとど)」通常、「いとど」は狭義には剣弁亜(キリギリス)亜目カマドウマ上科カマドウマ科カマドウマ亜科カマドウマ属カマドウマ Diestrammena apicalis かその近縁種(七種いる)を指す(ご存じの通り、鳴かない)が、この場合はコオロギの古名である。私の『小泉八雲 蟲の樂師 (大谷定信訳) / 「五」の「コホロギ」・「クツワムシ」・「カンタン」』の私の注を参照されるのが手っ取り早い。]

 

 

力(ちから)なく病(や)みし頃(ころ)より

口(くち)すこし開(ひら)きて眠(ねむ)るが

癖(くせ)となりにき

 

 力なく病みし頃より

 口すこし開きて眠るが

 癖となりにき

[やぶちゃん注:岩城氏の前掲書によれば、明治四三(一九一〇)年四月二十五日附『東京毎日新聞』初出である。前にも述べたが、啄木が顕在的な結核の罹患症状らしきもの自覚は翌明治四十四年一月末頃とされているから、これを確信犯的な結核の認識と読むことは的を外す。但し、周囲に多数の結核罹患者やそれによる死者がいる中で、何らかの呼吸器症状を既に呈しており、それを「病気」と言っている可能性はある。しかし寧ろこの「病みし」とは精神や心の憂愁感の昂りを指していると読んだ方がよいと私は思う。]

 

 

人(ひと)ひとり得(う)るに過(す)ぎざる事(こと)をもて

大願(たいぎわん)とせし

若(わか)きあやまち

 

 人ひとり得るに過ぎざる事をもて

 大願とせし

 若きあやまち

[やぶちゃん注:岩城氏は前掲書で、歌稿は、

 人一人うるにすぎざる事をもて大願とするあやまちはよし

であるとされ、『啄木は世上若きあやまちとして非難される早熟な』今の妻節子との『恋愛も、彼自身は生涯これを懐かしみ、是認していたのである』と喝破されておられる。同感である。]

 

 

物(もの)怨(え)ずる

そのやはらかき上目(うはめ)をば

愛(め)づとことさらつれなくせむや

 

 物怨ずる

 そのやはらかき上目をば

 愛づとことさらつれなくせむや

[やぶちゃん注:岩城氏は前掲書で、『うらみごとをいうときの彼女のあのやわらかな上目が可愛らしいと思って、わざとつれなくするのであろうか』と訳しておられる。前歌の続きとして妻節子を詠んだものとまずはとっておく。]

 

 

かくばかり熱き淚は

初戀の日にもありきと

泣く日もまたなし

 

 かくばかり熱き淚は

 初戀の日にもありきと

 泣く日もまたなし

[やぶちゃん注:特にこれを新たな恋の発露ととる必要はない。但し、そうでないと断定も出来ない。岩城氏は前掲書で『主題は秋の憂愁』とされるが、そのような感覚的感懐であると断定も出來はしない。]

 

 

長(なが)く長(なが)く忘(わす)れし友(とも)に

會(あ)ふごとき

よろこびをもて水(みづ)の音(をと)聽(き)く

 

 長く長く忘れし友に

 會ふごとき

 よろこびをもて水の音聽く

 

 

秋(あき)の夜(よ)の

鋼鐵(はがね)の色(いろ)の大空(おほぞら)に

火(ひ)を噴(ふ)く山(やま)もあれなど思(おも)ふ

 

 秋の夜の

 鋼鐵の色の大空に

 火を噴く山もあれなど思ふ

 

 

岩手山(いはてやま)

秋(あき)はふもとの三方(さんぱう)の

野(の)に滿(み)つる蟲(むし)を何(なに)と聽(き)くらむ

 

 岩手山

 秋はふもとの三方の

 野に滿つる蟲を何と聽くらむ

 

 

父(ちち)のごと秋(あき)はいかめし

母(はは)のごと秋(あき)はなつかし

家(いへ)持(も)たぬ兒(こ)に

 

 父のごと秋はいかめし

 母のごと秋はなつかし

 家持たぬ兒に

 

 

秋(あき)來(く)れば

戀(こ)ふる心(こころ)のいとまなさよ

夜(よ)もい寢(ね)がてに雁(かり)多(おほ)く聽(き)く

 

 秋來れば

 戀ふる心のいとまなさよ

 夜もい寢がてに雁多く聽く

 

 

長月(ながつき)も半(なか)ばになりぬ

いつまでか

かくも幼(をさな)く打出(うちい)でずあらむ

 

 長月も半ばになりぬ

 いつまでか

 かくも幼く打出でずあらむ

[やぶちゃん注:岩城氏の前掲書によれば、歌稿は、

 長月も半ばになりぬいつまでかかくも幼き戀するものか

であることから、先に示した通り、啄木は当時、短歌を指導していた少女菅原芳子に、『つれずれなるままに恋文を送っている』ことから、『この一首は彼女に対する恋とはいえぬ恋を求める自己をあわれんだ歌である』と評しておられる。この『恋とはいえぬ恋』という謂いには私は留保をしたいとは思う。次の歌も参照。]

 

 

思(おも)ふてふこと言(い)はぬ人(ひと)の

おくり來(こ)し

忘(わす)れな草(ぐさ)もいちじろかりし

 

 思ふてふこと言はぬ人の

 おくり來し

 忘れな草もいちじろかりし

[やぶちゃん注:明白な現存在の相聞歌であり、「おくり來し」相手は当然の如く妻節子ではない。]

 

 

秋(あき)の雨(あめ)に逆反(さかせ)りやすき弓(ゆみ)のごと

このごろ

君(きみ)のしたしまぬかな

 

 秋の雨に逆反りやすき弓のごと

 このごろ

 君のしたしまぬかな

[やぶちゃん注:「逆反りやすき弓」私は弓の弓柄(ゆづか:「握(にぎり)」。右手で持つ弦(つる)を支える部分)が、湿気を含んで反りが致命的に逆に戻ってしまうことを言っていると読む。]

 

 

松(まつ)の風(かぜ)夜晝(よひる)ひびきぬ

人訪(ひとと)はぬ山(やま)の祠(ほこら)の

石馬(いしうま)の耳(みみ)に

 

 松の風夜晝ひびきぬ

 人訪はぬ山の祠の

 石馬の耳に

 

 

ほのかなる朽木(くちき)の香(かを)り

そがなかの蕈(たけ)の香(かほ)りに

秋(あき)やや深(ふか)し

 

 ほのかなる朽木の香り

 そがなかの蕈の香りに

 秋やや深し

[やぶちゃん注:「蕈(たけ)」茸(きのこ)。但し、岩城氏前掲書によれば、作歌は明治四二(一九〇二)年四月十一日で、初出は同年五月号の『スバル』であるから、追懐か想像句である。]

 

 

時雨降(しぐれふ)るごとき音(おと)して

木傳(こづた)ひぬ

人(ひと)によく似(に)し森(もり)の猿(さる)ども

 

 時雨降るごとき音して

 木傳ひぬ

 人によく似し森の猿ども

[やぶちゃん注:岩城氏前掲書によれば、明治四十一年九月十二日平野万里炷徹夜会での作。追懐というよりも幻想性がより強い感じが私はする。]

 

 

森(もり)の奧(おく)

遠(とほ)きひびきす

木(き)のうろに臼(うす)ひく侏儒(しゆじゆ)の國(くに)にかも來(き)し

 

 森の奧

 遠きひびきす

 木のうろに臼ひく侏儒の國にかも來し

[やぶちゃん注:前歌と同じく強い幻想性が感じられる。]

 

 

世(よ)のはじめ

まづ森(もり)ありて

半神(はんしん)の人(ひと)そが中に火(ひ)や守(まも)りけむ

 

 世のはじめ

 まづ森ありて

 半神の人そが中に火や守りけむ

[やぶちゃん注:私は「半神」をギリシア神話のパンやサテュロスのような四足獣と人間のハイブリッドの獣人を想起する必要はないと考える(但し、女好きの啄木には彼らは相応しいとは言えようから、排除するものではない)。人と神がある意味でより密接な形であった原始人(それは幻想的には寧ろ「半神」であってよいと思う)の意識に遡った古代幻想である。]

 

 

はてもなく砂(すな)うちつづく

戈壁(ゴビ)の野(の)に住(す)みたまふ神(かみ)は

秋(あき)の神(かみ)かも

 

 はてもなく砂うちつづく

 戈壁の野に住みたまふ神は

 秋の神かも

[やぶちゃん注:「戈壁(ゴビ)」中国の内モンゴル自治区からモンゴルにかけて広がる砂漠。ゴビ砂漠。「ゴビ」はモンゴル語で「沙漠・乾燥した土地・礫が広がる草原」などを意味する(ここはウィキの「ゴビ砂漠」に拠った)。]

 

 

 

あめつちに

わが悲(かな)しみと月光(げつくわう)と

あまねき秋(あき)の夜(よ)となれりけり

 

 あめつちに

 わが悲しみと月光と

 あまねき秋の夜となれりけり

 

 

うらがなしき

夜(よる)の物(もの)の音(ね)洩(も)れ來(く)るを

拾(ひろ)ふがごとくさまよひ行(ゆ)きぬ

 

 うらがなしき

 夜の物の音洩れ來るを

 拾ふがごとくさまよひ行きぬ

 

 

旅(たび)の子(こ)の

ふるさとに來(き)て眠(ねむ)るがに

げに靜(しづ)かにも冬(ふゆ)の來(き)しかな

 

 旅の子の

ふるさとに來て眠るがに

げに靜かにも冬の來しかな

[やぶちゃん注:「がに」接続助詞。願望を受けてその理由を「~が出来るように」の意。]

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