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2020/02/21

石川啄木歌集 一握の砂 (初版準拠版電子化注) 手套を脱ぐ時 (その1)

 

[やぶちゃん注:本電子化注の底本その他については、「石川啄木歌集 一握の砂 (初版準拠版) 始動 /序・自序・附記・本文第一パート「我を愛する歌」(全)」の私の冒頭の注を参照されたい。なんだか疲れたので、二つに分割して示す。]

 

    手套を脫ぐ時

 

手套(てぶくろ)を脫(ぬ)ぐ手(て)ふと休(やす)む

何(なに)やらむ

こころかすめし思(おも)ひ出(で)のあり

 

 手套を脫ぐ手ふと休む

 何やらむ

 こころかすめし思ひ出のあり

[やぶちゃん注:學燈社『別冊國文學』(第十一号)の岩城之徳編「石川啄木必携」(昭和五六(一九八一)年九月発行)の岩城氏の「啄木歌集全歌評釈」によれば、初出は明治四三(一九一〇)年五月号とし、この時、『作者の心をかすめた思い出は、東京日日新聞明治四十三年四月八日号に掲げられたこの歌の原型ともいうべき「褐色(かついろ)の皮の手套脱ぐ時にふと君が手を思ひ出(で)にけり」から察することができる』と述べておられる。]

 

 

いつしかに

情(じやう)をいつはること知(し)りぬ

髭(ひげ)を立(た)てしもその頃(ころ)なりけむ

 

 いつしかに

 情をいつはること知りぬ

 髭を立てしもその頃なりけむ

 

 

朝(あさ)の湯(ゆ)の

湯槽(ゆぶね)のふちにうなじ載(の)せ

ゆるく息(いき)する物思(ものおも)ひかな

 

 朝の湯の

 湯槽のふちにうなじ載せ

 ゆるく息する物思ひかな

[やぶちゃん注:以下四首は、底本としている「国文学研究資料館」の「電子資料館 近代文献情報データベースポータル」内「近代書誌・近代画像データベース」にある「高知市民図書館」の「近森文庫」所蔵にかかる「一握の砂」初版が、画像作成ミスで「214」頁と「215」頁が飛んでしまっているために視認出来ない。そこで、ずっと新しいが、国立国会図書館デジタルコレクションの「一握の砂」(昭和二一(一九四六)年高須書房刊)の当該歌を確認したが、それはルビを省略してあるものであるため、筑摩書房「石川啄木全集」の「第一巻 歌集」(昭和五三(一九七八)年刊)の本文のルビを補い、本文も校合した。

 

 

夏來(なつく)れば

うがひ藥(ぐすり)の

病(やまひ)ある齒(は)に沁(し)む朝(あさ)のうれしかりけり

 

 夏來れば

 うがひ藥の

 病ある齒に沁む朝のうれしかりけ

 

 

つくづくと手(て)をながめつつ

おもひ出(い)でぬ

キスが上手(じやうず)の女(をんな)なりしが

 

 つくづくと手をながめつつ

 おもひ出でぬ

 キスが上手の女なりしが

[やぶちゃん注:岩城氏前掲書によれば、初出は明治四十三年三月三十一日附『東京朝日新聞』。また、『「キスが上手の女」は釧路時代』、『交遊のあった芸者小奴であろう。明治四十一年十二月一日、上京した彼女と再会した啄木は、上野の不忍(しのばず)の池(いけ)のほとりを手をとって歩き、日記にも「別れる時キツスをした」と書いている』とある。]

 

 

さびしきは

色(いろ)にしたしまぬ目(め)のゆゑと

赤(あか)き花(はな)など買(か)はせけるかな

 

 さびしきは

 色にしたしまぬ目のゆゑと

 赤き花など買はせけるかな

[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションの「一握の砂」(昭和二一(一九四六)年高須書房刊)の当該歌を確認したが、「ゆゑ」が「ゆへ」となっており、歴史的仮名遣を誤っている。しかし、基礎底本である「国文学研究資料館」の「電子資料館 近代文献情報データベースポータル」内「近代書誌・近代画像データベース」にある「高知市民図書館」の「近森文庫」所蔵にかかる「一握の砂」初版の次のページから、幸いなことに辛うじて裏が透けて見え、正しく「ゆゑ」と書かれていることが判り、筑摩書房版石川啄木全集で確認し、「ゆゑ」とした。

 

 

新(あたら)しき本(ほん)を買(か)ひ來(き)て讀(よ)む夜半(よは)の

そのたのしさも

長(なが)くわすれぬ

 

 新しき本を買ひ來て讀む夜半の

 そのたのしさも

 長くわすれぬ

 

 

 

旅(たび)七日(なのか)

かへり來(き)ぬれば

わが窓(まど)の赤(あか)きインクの染(し)みもなつかし

 

 旅七日

 かへり來ぬれば

 わが窓の赤きインクの染みもなつかし

[やぶちゃん注:岩城氏前掲書によれば、初出は明治四十三年三月十八日附『東京朝日新聞』であるが、全集年譜(同じく岩城氏編)でこれ以前の直近を遡ってみても、上京以後、一週間の旅をした事実は見当たらない。従ってこれは上京以前の過去に遡った追想によるものであると考えられる。]

 

 

古文書(こもんじよ)のなかに見(み)いでし

よごれたる

吸取紙(すひとりがみ)をなつかしむかな

 

 古文書のなかに見いでし

 よごれたる

 吸取紙をなつかしむかな

[やぶちゃん注:岩城氏前掲書では、「古文書」を文字通りのそれではなく、啄木自身の『古い草稿の類をさす。啄木は』自分が過去に書いた『古い小説の原稿や詩稿の中にまじっていた一枚の、「よごれた吸取紙」に創作に熱中した過去の自己の姿を想起して、懐かしく思ったのである』とあり、腑に落ちる、というより、自分の過去の草稿を「古文書」と表現するのは詩語としてはかなり無理があるのであるが、「吸取紙をなつかしむかな」という感慨によって、それでなくてはならぬなという読者側の読みが決定するようになっており、自然、そう読めるようになっていると言える。穿って考えれば、自己のたかだか数年前の草稿類を「古文書」と意識する辺りに、啄木の微苦笑の向こうに、いかにもやるせない憂鬱な触覚的悲哀的感情の発露があるように思われる。

 

 

手(て)にためし雪(ゆき)の融(と)くるが

ここちよく

わが寐飽(ねあ)きたる心(こころ)には沁(し)む

 

 手にためし雪の融くるが

 ここちよく

 わが寐飽きたる心には沁む

 

 

薄(うす)れゆく障子(しやうじ)の日影(ひかげ)

そを見(み)つつ

こころいつしか暗(くら)くなりゆく

 

 薄れゆく障子の日影

 そを見つつ

 こころいつしか暗くなりゆく

 

 

ひやひやと

夜(より)は藥(くすり)の香(か)のにほふ

醫者(いしや)が住(す)みたるあとの家(いへ)かな

 

 ひやひやと

 夜は藥の香のにほふ

 醫者が住みたるあとの家かな

 

 

窓硝子(まどガラス)

塵(ちり)と雨(あめ)とに曇(くも)りたる窓硝子(まどガラス)にも

かなしみはあり

 

 窓硝子

 塵と雨とに曇りたる窓硝子にも

 かなしみはあり

 

 

六年(むとせ)ほど日每日每(ひごとひごと)にかぶりたる

古(ふる)き帽子(ぼうし)も

棄(す)てられぬかな

 

 六年ほど日每日每にかぶりたる

 古き帽子も

 棄てられぬかな

[やぶちゃん注:最後は無論、「どうしても捨てられないものだなあ」である。また、その前の累加の係助詞「も」は私には――「私自身」と同様に――というアイロニーをも感ずるものである。]

 

 

こころよく

春(はる)のねむりをむさぼれる

目(め)にやはらかき庭(には)の草(くさ)かな

 

 こころよく

 春のねむりをむさぼれる

 目にやはらかき庭の草かな

 

 

赤煉瓦(あかれんぐわ)遠(とほ)くつづける高塀(たかべい)の

むらさきに見(み)えて

春(はる)の日(ひ)ながし

 

 赤煉瓦遠くつづける高塀の

 むらさきに見えて

 春の日ながし

 

 

春(はる)の雪(ゆき)

銀座(ぎんざ)の裏(うら)の三階(さんがい)の煉瓦造(れんぐわづくり)に

やはらかに降(ふ)る

 

 春の雪

 銀座の裏の三階の煉瓦造に

 やはらかに降る

[やぶちゃん注:岩城氏前掲書に、初出は明治四十三年五月十六日附『東京朝日新聞』で、そこでは「春の雪滝山町(たきやまちやう)の三階の煉瓦造(れんぐわづくり)によこさまに降る」であるとある。而して『この歌は啄木が勤務した東京朝日新聞社のあった瀧山町(現在の中央区銀座六丁目朝日ビル前の並木通り)附近の煉瓦造りの建物に降る春の雪を歌ったことがわかる』とある。ここ(グーグル・マップ・データ)。]

 

 

よごれたる煉瓦(れんぐわ)の壁(かべ)に

降(ふ)りて融(と)け降(ふ)りては融(と)くる

春(はる)の雪(ゆき)かな

 

 よごれたる煉瓦の壁に

 降りて融け降りては融くる

 春の雪かな

 

 

目(め)を病(や)める

若(わか)き女(をんな)の倚(よ)りかかる

窓(まど)にしめやかに春(はる)の雨降(あめふ)る

 

 目を病める

 若き女の倚りかかる

 窓にしめやかに春の雨降る

[やぶちゃん注:岩城氏前掲書によれば、初出は明治四十三年五月二十一日附『東京朝日新聞』で、「手帳の中より」と題する五首の中の一首であるが、初出形は、

 目を病める女の夜(よる)の獨唱(そろ)よりも猶しめやかに春の雨降る

であるとされる。私は初出の方が好きだ。]

 

 

あたらしき木(き)のかをりなど

ただよへる

新開町(しんかいまち)の春(はる)の靜(しづ)けさ

 

 あたらしき木のかをりなど

 ただよへる

 新開町の春の靜けさ

 

 

春(はる)の街(まち)

見(み)よげに書(か)ける女名(をんなな)の

門札(かどふだ)などを讀(よ)みありくかな

 

 春の街

 見よげに書ける女名の

 門札などを讀みありくかな

[やぶちゃん注:「見よげ」如何にも「さあ! 御覧なさいよ!」といった感じに、の意。]

 

 

そことなく

蜜柑(みかん)の皮(かは)の燒(や)くるごときにほひ殘(のこ)りて

夕(ゆふべ)となりぬ

 

 そことなく

 蜜柑の皮の燒くるごときにほひ殘りて

 夕となりぬ

[やぶちゃん注:岩城氏前掲書によれば、初出の明治四十二年十二月号『スバル』では、

 そことなく蜜柑の皮のやくる如き香ひ殘りて夕となりぬ

とあまり変わらないものの、この一首、同年二月十七日附『国民新聞』にも再掲されているが、そこでは、

 そことなく蜜柑(みかん)の皮の燒くるごときにほひ殘りき君去りしのち

と一度大きく改変してあって、こちらは映像が全く異なるが、これは前の女の表札じゃあないが、如何にもでろりとしたこれ見よがしで、決定稿が、やはり、よい。]

 

 

にぎはしき若(わか)き女(をんな)の集會(あつまり)の

こゑ聽(き)き倦(う)みて

さびしくなりたり

 

 にぎはしき若き女の集會の

 こゑ聽き倦みて

 さびしくなりたり

 

 

何處(どこ)やらに

若(わか)き女(をんな)の死(し)ぬごとき惱(なや)ましさあり

春(はる)の霙降(みぞれふ)る

 

 何處やらに

 若き女の死ぬごとき惱ましさあり

 春の霙降る

[やぶちゃん注:岩城氏前掲書によれば、初出は明治四十三年三月二十八日附『東京朝日新聞』。初出形は、

 何處やらに肺病患者(やみ)の死ぬ如き惱ましさあり春の霙(みぞれ)降る

であるとする。「やみ」は「患者」二字へのルビである。]

 

 

コニヤツクの醉(ゑ)ひのあとなる

やはらかき

このかなしみのすずろなるかな

 

 コニヤツクの醉ひのあとなる

 やはらかき

 このかなしみのすずろなるかな

[やぶちゃん注:「すずろなる」はここでは「何とはなしに」「そこはかとなく」の意。]

 

 

白(しろ)き皿(さら)

拭(ふ)きては棚(たな)に重(かさ)ねゐる

酒場(さかば)の隅(すみ)のかなしき女(をんな)

 

 白き皿

 拭きては棚に重ねゐる

 酒場の隅のかなしき女

[やぶちゃん注:丁度、今、展覧会が開かれている私の好きな後ろ姿の女性を多く描いたデンマークの画家ヴィルヘルム・ハンマースホイ(Vilhelm Hammershøi 一八六四年~一九一六年)の絵を想起させる。]

 

 

乾(かは)きたる冬(ふゆ)の大路(おほぢ)の

何處(いづく)やらむ

石炭酸(せきたんさん)のにほひひそめり

 

 乾きたる冬の大路の

 何處やらむ

 石炭酸のにほひひそめり

[やぶちゃん注:「石炭酸」フェノール (phenol:ベンゾール(benzenol))は有機化合物でC6H5OH。芳香族化合物の一種。常温では白色の結晶を成し、水彩絵具のような特有の鼻を衝く薬品臭を持つ劇薬。水で薄めたものが消毒液として用いられ、嘗てはよく街に撒かれた。]

 

 

赤赤(あかあか)と入日(いりひ)うつれる

河(かは)ばたの酒場(さかば)の窓(まど)の

白(しろ)き顏(かほ)かな

 

 赤赤と入日うつれる

 河ばたの酒場の窓の

 白き顏かな

 

 

新(あた)しきサラドの皿(さら)の

酢(す)のかをり

こころに沁(し)みてかなしき夕(ゆふべ)

 

 新しきサラドの皿の

 酢のかをり

 こころに沁みてかなしき夕

[やぶちゃん注:「サラド」サラダ(salad)。]

 

 

空色(そらいろ)の罎(びん)より

山羊(やぎ)の乳(ちち)をつぐ

手(て)のふるひなどいとしかりけり

 

 空色の罎より

 山羊の乳をつぐ

 手のふるひなどいとしかりけり

[やぶちゃん注:詠歌対象はカフェか酒場の女給であろう。]

 

 

すがた見(み)の

息(いき)のくもりに消(け)されたる

醉(ゑ)ひのうるみの眸(まみ)のかなしさ

 

 すがた見の

 息のくもりに消されたる

 醉ひのうるみの眸のかなしさ

[やぶちゃん注:憂愁の自己ポートレート。]

 

 

ひとしきり靜(しづ)かになれる

ゆふぐれの

厨(くりや)にのこるハムのにほひかな

 

 ひとしきり靜かになれる

 ゆふぐれの

 厨にのこるハムのにほひかな

[やぶちゃん注:酒場のキッチンの嗅覚的スケッチ。]

 

 

ひややかに罎(びん)のならべる棚(たな)の前(まへ)

齒(は)せせる女(をんな)を

かなしとも見(み)き

 

 ひややかに罎のならべる棚の前

 齒せせる女を

 かなしとも見き

 

 

やや長(なが)きキスを交(かは)して別(わか)れ來(き)し

深夜(しんや)の街(まち)の

遠(とほ)き火事(くわじ)かな

 

 やや長きキスを交して別れ來し

 深夜の街の

 遠き火事かな

 

 

病院の窓のゆふべの

ほの白き顏にありたる

淡き見覺え

 

 病院の窓のゆふべの

 ほの白き顏にありたる

 淡き見覺え

 

 

何時(いつ)なりしか

かの大川(おほかは)の遊船(いうせん)に

舞(ま)ひし女(をんな)をおもひ出(で)にけり

 

 何時なりしか

 かの大川の遊船に

 舞ひし女をおもひ出にけり

 

 

用(よう)もなき文(ふみ)など長(なが)く書(か)きさして

ふと人(ひと)こひし

街(まち)に出(で)てゆく

 

 用もなき文など長く書きさして

 ふと人こひし

 街に出てゆく

 

 

しめらへる煙草(たばこ)を吸(す)へば

おほよその

わが思(おも)ふことも輕(かる)くしめれり

 

 しめらへる煙草を吸へば

 おほよその

 わが思ふことも輕くしめれり

 

 

するどくも

夏(なつ)の來(きた)るを感(かん)じつつ

雨後(うご)の小庭(こには)の土(つち)の香(か)を嗅(か)ぐ

 

 するどくも

 夏の來るを感じつつ

 雨後の小庭の土の香を嗅ぐ

 

 

すずしげに飾(かざ)り立(た)てたる

硝子屋(ガラスや)の前(まへ)にながめし

夏(なつ)の夜(よ)の月(つき)

 

 すずしげに飾り立てたる

 硝子屋の前にながめし

 夏の夜の月

 

 

君(きみ)來(く)るといふに夙(と)く起(お)き

白(しろ)シヤツの

袖(そで)のよごれを氣(き)にする日(ひ)かな

 

 君來るといふに夙く起き

 白シヤツの

 袖のよごれを氣にする日かな

 

 

おちつかぬ我(わ)が弟(おとうと)の

このごろの

眼(め)のうるみなどかなしかりけり

 

 おちつかぬ我が弟の

 このごろの

 眼のうるみなどかなしかりけり

[やぶちゃん注:啄木(本名は一(はじめ))には弟はいない(姉二人と妹二人)。岩城氏の前掲書によれば、この「弟」は、『彼が』渋民尋常小学校の『代用教員時代』に、『二階を間借りしていた家の』『「我が弟」といって可愛がった』『少年』『斎藤佐蔵』であるとある。彼は盛岡中学校の後輩にも当たり、後、長く岩手郡下の校長を務めた。]

 

 

どこやらに杭打(くいう)つ音(おと)し

大桶(おほおけ)をころがす音(おと)し

雪(ゆき)ふりいでぬ

 

 どこやらに杭打つ音し

 大桶をころがす音し

 雪ふりいでぬ

 

 

人氣(ひとけ)なき夜(よ)の事務室(じむしつ)に

けたたましく

電話(でんわ)の鈴(りん)の鳴(な)りて止(や)みたり

 

 人氣なき夜の事務室に

 けたたましく

 電話の鈴の鳴りて止みたり

 

 

目(め)さまして

ややありて耳(みみ)に入(い)り來(きた)る

眞夜中(まよなか)すぎの話聲(はなしごゑ)かな

 

 目さまして

 ややありて耳に入り來る

 眞夜中すぎの話聲かな

 

 

見(み)てをれば時計(とけい)とまれり

吸(す)はるるごと

心(こころ)はまたもさびしさに行(ゆ)く

 

 見てをれば時計とまれり

 吸はるるごと

 心はまたもさびしさに行く

[やぶちゃん注:岩城氏前掲書によれば、『前歌と連作』とある。]

 

 

朝朝(あさあさ)の

うがひの料(しろ)の水藥(すゐやく)の

罎(びん)がつめたき秋(あき)となりにけり

 

 朝朝の

 うがひの料の水藥の

 罎がつめたき秋となりにけり

[やぶちゃん注:岩城氏前掲書によれば、初出は明治四十三年三月二十六日附『東京朝日新聞』で、評釈に今井泰子氏の評を引いて、『「初出の月や同時発表に諸歌の主題からみて秋の歌ではなく、指先の触感がとらえた『秋』の印象に仮託して、悲しくものなつかしい感情をうた」』『ったものであろう』とされる。]

 

 

夷(なだら)かに麥(むぎ)の靑(あを)める

丘(をか)の根(ね)の

小徑(こみち)に赤(あか)き小櫛(をぐし)ひろへり

 

 夷かに麥の靑める

 丘の根の

 小徑に赤き小櫛ひろへり

[やぶちゃん注:「夷」には「平らか・穏やか・平らにする」の意がある。]

 

 

裏山(うらやま)の杉生(すぎふ)のなかに

斑(まだら)なる日影(ひかげ)這(は)ひ入(い)る

秋(あき)のひるすぎ

 

 裏山の杉生のなかに

 斑なる日影這ひ入る

 秋のひるすぎ

 

 

港町(みなとまち)

とろろと鳴(な)きて輪(わ)を描(ゑが)く鳶(とび)を壓(あつ)せる

潮(しほ)ぐもりかな

 

 港町

 とろろと鳴きて輪を描く鳶を壓せる

 潮ぐもりかな

 

 

小春日(こはるび)の曇硝子(くもりガラス)にうつりたる

鳥影(とりかげ)を見(み)て

すずろに思(おも)ふ

 

 小春日の曇硝子にうつりたる

 鳥影を見て

 すずろに思ふ

[やぶちゃん注:岩城氏は前掲書で、『啄木の小説「鳥影(ちょうえい)』(『東京朝日新聞』明治四十一年十一月から十二月に連載)『によると、盛岡地方ではガラスに鳥影がうつると客が来るという言い伝えがあるといわれる』とある。同小説の当該部は「(五)の一」の末尾のシークエンスであるが、鳥の影が映るのは『障子』である。

「小春日」冬の初め頃の、暖かく穏やかな、一見、春のような日やその日差し。]

 

 

ひとならび泳(およ)げるごとき

家家(いへいへ)の高低(たかひく)の軒(のき)に

冬(ふゆ)の日(ひ)の舞(ま)ふ

 

 ひとならび泳げるごとき

 家家の高低の軒に

 冬の日の舞ふ

 

 

京橋(きやうばし)の瀧山町(たきやまちやう)の

新聞社(しんぶんしや)

灯(ひ)ともる頃(ころ)のいそがしさかな

 

 京橋の瀧山町の

 新聞社

 灯ともる頃のいそがしさかな

[やぶちゃん注:「京橋の瀧山町」既出既注であるが、当時、啄木が勤務していた東京朝日新聞社は、この頃は東京府東京市京橋区瀧山町であった。こちらで同町の詳しい変遷史が判る。]

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