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2020/02/24

石川啄木歌集 一握の砂 (初版準拠版電子化注) 手套を脱ぐ時 (その2) / 「一握の砂」~完遂

 

[やぶちゃん注:本電子化注の底本その他については、「石川啄木歌集 一握の砂 (初版準拠版) 始動 /序・自序・附記・本文第一パート「我を愛する歌」(全)」の私の冒頭の注を参照されたい。]

 

 

よく怒(いか)る人(ひと)にてありしわが父(ちち)の

日(ひ)ごろ怒(いか)らず

怒(いか)れと思(おも)ふ

 

 よく怒る人にてありしわが父の

 日ごろ怒らず

 怒れと思ふ

 

 

あさ風(かぜ)が電車(でんしや)のなかに吹(ふ)き入(い)れし

柳(やなぎ)のひと葉(は)

手(て)にとりて見(み)る

 

 あさ風が電車のなかに吹き入れし

 柳のひと葉

 手にとりて見る

 

 

ゆゑもなく海(うみ)が見(み)たくて

海(うみ)に來(き)ぬ

こころ傷(いた)みてたへがたき日(ひ)に

 

 ゆゑもなく海が見たくて

 海に來ぬ

 こころ傷みてたへがたき日に

 

 

たひらなる海(うみ)につかれて

そむけたる

目(め)をかきみだす赤(あか)き帶(おび)かな

 

 たひらなる海につかれて

 そむけたる

 目をかきみだす赤き帶かな

 

 

今日(けふ)逢(あ)ひし町(まち)の女(をんな)の

どれもどれも

戀(こひ)にやぶれて歸(かへ)るごとき日(ひ)

 

 今日逢ひし町の女の

 どれもどれも

 戀にやぶれて歸るごとき日

 

 

汽車(きしや)の旅(たび)

とある野中(のなか)の停車場(ていしやば)の

夏草(なつくさ)の香(か)のなつかしかりき

 

 汽車の旅

 とある野中の停車場の

 夏草の香のなつかしかりき

 

 

朝(あさ)まだき

やつと間(ま)に合ひし初秋(はつあき)の旅出(たびで)の汽車(きしや)の

堅(かた)き麺麭(ぱん)かな

 

 朝まだき

 やつと間に合ひし初秋の旅出の汽車の

 堅き麺麭かな

[やぶちゃん注:「ぱん」はママ。全集も同じ。]

 

 

かの旅(たび)の夜汽車(よぎしや)の窓(まど)に

おもひたる

我(わが)がゆくすゑのかなしかりしかな

 

 かの旅の夜汽車の窓に

 おもひたる

 我がゆくすゑのかなしかりしかな

 

 

ふと見(み)れば

とある林(はやし)の停車場(ていしやば)の時計(とけい)とまれり

雨(あめ)の夜(よ)の汽車(きしや)

 

 ふと見れば

 とある林の停車場の時計とまれり

 雨の夜の汽車

 

 

わかれ來(き)て

燈火(ひかり)小暗(をぐら)き夜(よ)の汽車(きしや)の窓(まど)弄(もてあそ)ぶ

靑(あを)き林檎(りんご)よ

 

 わかれ來て

 燈火小暗き夜の汽車の窓弄ぶ

 靑き林檎よ

 

 

いつも來(く)る

この酒肆(さかみせ)のかなしさよ

ゆふ日(ひ)赤赤(あかあか)と酒(さけ)に射(さ)し入(い)る

 

 いつも來る

 この酒肆のかなしさよ

 ゆふ日赤赤と酒に射し入る

 

 

白(しろ)き蓮沼(はすぬま)に咲(さ)くごとく

かなしみが

醉(ゑ)ひのあひだにはつきりと浮(う)く

 

 白き蓮沼に咲くごとく

 かなしみが

 醉ひのあひだにはつきりと浮く

 

 

壁(かべ)ごしに

若(わか)き女(をんな)の泣(な)くをきく

旅(たび)の宿屋(やど)の秋(あき)の蚊帳(かや)かな

 

 壁ごしに

 若き女の泣くをきく

 旅の宿屋の秋の蚊帳かな

 

 

取(と)りいでし去年(こぞ)の袷(あはせ)の

なつかしきにほひ身(み)に沁(し)む

初秋(はつあき)の朝(あさ)

 

 取りいでし去年の袷の

 なつかしきにほひ身に沁む

 初秋の朝

 

 

氣(き)にしたる左(ひだり)の膝(ひざ)の痛(いた)みなど

いつか癒(なほ)りて

秋(あき)の風吹(かぜふ)く

 

 氣にしたる左の膝の痛みなど

 いつか癒りて

 秋の風吹く

 

 

賣(う)り賣(う)りて

手垢(てあか)きたなきドイツ語(ご)の辭書(じしよ)のみ殘(のこ)る

夏(なつ)の末(すゑ)かな

 

 賣り賣りて

 手垢きたなきドイツ語の辭書のみ殘る

 夏の末かな

[やぶちゃん注:學燈社『別冊國文學』(第十一号)の岩城之徳編「石川啄木必携」(昭和五六(一九八一)年九月発行)の岩城氏の「啄木歌集全歌評釈」によれば、『このドイツ語の辞書は啄木がドイツ語の自習を始めた明治三十九』(一九〇六)『年八月、そのころ東京帝国大学に在学中の友人金田一京助より譲られた、明治三十年販の井上哲次郎著『新独和辞典』で、現在』、『市立函館図書館に遺品として保存されている』とある。]

 

 

ゆゑもなく憎(にく)みし友(とも)と

いつしかに親(した)しくなりて

秋(あき)の暮(く)れゆく

 

 ゆゑもなく憎みし友と

 いつしかに親しくなりて

 秋の暮れゆく

 

 

赤紙(あかがみ)の表紙(へうし)手擦(てず)れし

國禁(こくきん)の

書(ふみ)を行李(かうり)の底(そこ)にさがす日(ひ)

 

 赤紙の表紙手擦れし

 國禁の

 書を行李の底にさがす日

[やぶちゃん注:「赤紙の表紙」「國禁」から社会主義関連の書物であることは明白。岩城氏前掲書に、それが『手擦れているのは、この書物がひそかに同志の手から手に渡っている間にそうなったことを示している』とある。]

 

 

賣(う)ることを差(さ)し止(と)められし

本(ほん)の著者(ちよしや)に

路(みち)にて會(あ)へる秋(あき)の朝(あさ)かな

 

 賣ることを差し止められし

 本の著者に

 路にて會へる秋の朝かな

 

 

今日(けふ)よりは

我(われ)も酒(さけ)など呷(あふ)らむと思(おも)へる日(ひ)より

秋(あき)の風吹(かぜふ)く

 

 今日よりは

我も酒など呷らむと思へる日より

秋の風吹く

 

 

大海(だいかい)の

その片隅(かたすみ)につらなれる島島(しまじま)の上(うへ)に

秋(あき)の風吹(かぜふ)く

 

 大海の

 その片隅につらなれる島島の上に

 秋の風吹く

 

 

うるみたる目(め)と

目(め)の下(した)の黑子(ほくろ)のみ

いつも目(め)につく友(とも)の妻(つま)かな

 

 うるみたる目と

 目の下の黑子のみ

 いつも目につく友の妻かな

 

 

いつ見(み)ても

毛糸(けいと)の玉(たま)をころがして

韈(くつした)を編(あ)む女(をんな)なりしが

 

 いつ見ても

 毛糸の玉をころがして

 韈を編む女なりしが

 

 

葡萄色(ゑびいろ)の

長椅子(ながいす)の上(うへ)に眠(ねむ)りたる猫(ねこ)ほの白(じろ)き

秋(あき)のゆふぐれ

 

 葡萄色の

 長椅子の上に眠りたる猫ほの白き

 秋のゆふぐれ

 

 

ほそぼそと

其處(そこ)ら此處(ここ)らに蟲(むし)の鳴(な)く

晝(ひる)の野(の)に來(き)て讀(よ)む手紙(てがみ)かな

 

 ほそぼそと

 其處ら此處らに蟲の鳴く

 晝の野に來て讀む手紙かな

 

 

夜(よる)おそく戶(と)を繰(く)りをれば

白(しろ)きもの庭(には)を走(はし)れり

犬(いぬ)にやあらむ

 

 夜おそく戶を繰りをれば

 白きもの庭を走れり

 犬にやあらむ

 

 

夜(よ)の二時(にじ)の窓(まど)の硝子(ガラス)を

うす紅(あか)く

染(そ)めて音(おと)なき火事(かじ)の色(いろ)かな

 

 夜の二時の窓の硝子を

 うす紅く

 染めて音なき火事の色かな

 

 

あはれなる戀(こひ)かなと

ひとり呟(つぶや)きて

夜半(よは)の火桶(ひをけ)に炭(すみ)添(そ)へにけり

 

 あはれなる戀かなと

 ひとり呟きて

 夜半の火桶に炭添へにけり

 

 

眞白(ましろ)なるラムプの笠(かさ)に

手(て)をあてて

寒(さむ)き夜(よ)にする物思(ものおも)ひかな

 

 眞白なるラムプの笠に

 手をあてて

 寒き夜にする物思ひかな

 

 

水(みづ)のごと

身體(からだ)をひたすかなしみに

葱(ねぎ)の香(か)などのまじれる夕(ゆふべ)

 

 水のごと

 身體をひたすかなしみに

 葱の香などのまじれる夕

 

 

時(とき)ありて

猫(ねこ)のまねなどして笑(わら)ふ

三十路(みそぢ)の友(とも)のひとり住(ず)みかな

 

 時ありて

 猫のまねなどして笑ふ

 三十路の友のひとり住みかな

[やぶちゃん注:岩城氏前掲書によれば、歌稿では、最初、

 時ありて猫のまねなどしてみせる友をこの頃哀れと思ふ

と詠んだのを、

 時ありて猫のまねなどして笑ふ三十路の友が酒のめば泣く

と推敲し、初出の明治四三(一九一〇)年八月十五日附『東京朝日新聞』では、

 時ありて猫の眞似などして笑ふ友を此頃哀れと思ふ

と直し、本作品集で、かく改稿したとある。]

 

 

氣弱(きよわ)なる斥候(せつこう)のごとく

おそれつつ

深夜(しにゃ)の街(まち)を一人(ひとり)散步(さんぽ)す

 

 氣弱なる斥候のごとく

 おそれつつ

 深夜の街を一人散步す

[やぶちゃん注:「斥候」敵情や地形などを秘かに探るために差し向けられた兵。]

 

 

皮膚(ひふ)がみな耳(みみ)にてありき

しんとして眠ねむ)れる街(まち)の

重(おも)き靴音(くつおと)

 

 皮膚がみな耳にてありき

 しんとして眠れる街の

 重き靴音

[やぶちゃん注:前歌との組み写真である。]

 

 

夜(よる)おそく停車場(ていしやば)に入(い)り

立(た)ち坐(すわ)り

やがて出(い)でゆきぬ帽(ぼう)なき男(おとこ)

 

 夜おそく停車場に入り

 立ち坐り

 やがて出でゆきぬ帽なき男

[やぶちゃん注:これは実景でもよいが、私は自己写像の客観描写であると断ずる。]

 

 

氣(き)がつけば

しつとりと夜霧(よぎり)下(お)りて居(を)り

ながくも街(まち)をさまよへるかな

 

 氣がつけば

 しつとりと夜霧下りて居り

 ながくも街をさまよへるかな

 

 

若(も)しあらば煙草(たばこ)惠(めぐ)めと

寄(よ)りて來(く)る

あとなし人(びと)と深夜(しんや)に語(かた)る

 

 若しあらば煙草惠めと

 寄りて來る

 あとなし人と深夜に語る

[やぶちゃん注:「あとなし人」浮浪者。]

 

 

曠野(あらの)より歸(かへ)るごとくに

歸(かへ)り來(き)ぬ

東京(とうきやう)の夜(よ)をひとりあゆみて

 

 曠野より歸るごとくに

 歸り來ぬ

 東京の夜をひとりあゆみて

 

 

銀行(ぎんかう)の窓(まど)の下(した)なる

鋪石(しきいし)の霜(しも)にこぼれし

靑(あを)インクかな

 

 銀行の窓の下なる

 鋪石の霜にこぼれし

 靑インクかな

 

 

ちよんちよんと

とある小藪(こやぶ)に頰白(ほおじろ)の遊(あそ)ぶを眺(なが)む

雪(ゆき)の野(の)の路(みち)

 

 ちよんちよんと

 とある小藪に頰白の遊ぶを眺む

 雪の野の路

 

 

十月(じふぐわつ)の朝(あさ)の空氣(くうき)に

あたらしく

息吸(いきす)ひそめし赤坊(あかんぼ)のあり

 

 十月の朝の空氣に

 あたらしく

 息吸ひそめし赤坊のあり

[やぶちゃん注:作歌は明治四三(一九一〇)年十月四日。この日、啄木の妻節子は東京帝国大学構内の医科大学付属病院産婦人科で長男を分娩、「眞一」と名づけた。岩城氏前掲書によれば、六日後の『十月十日』に『盛岡の友人岡山儀七にこの旨を』書簡で『伝え、三首の歌を書きそえているが、その一首がこの歌で』あったとある。]

 

 

十月(じふぐわつ)の產病院(さんびやうゐん)の

しめりたる

長(なが)き廊下(らうか)のゆきかへりかな

 

 十月の產病院の

 しめりたる

 長き廊下のゆきかへりかな

[やぶちゃん注:岩城氏前掲書に、『前歌の』『前に掲げられているので、これは愛児の忌まれる前の、妻の安産を祈って産病院の長い廊下をそわそわと行きつ戻りつしている啄木の父親としえの心境を歌ったものと解したい』と述べておられる。]

 

 

むらさきの袖(そで)垂(た)れて

空(そら)を見上(みあ)げゐる支邦(しなじん)人ありき

公園(こうゑん)の午後(ごご)

 

 むらさきの袖垂れて

 空を見上げゐる支邦人ありき

 公園の午後

[やぶちゃん注:岩城氏は前掲書で今井泰子氏の評を引用され、この中国人が来ている服の色の『「紫は中国では貴紳が着用する高貴な色であるからこの清国人は相当の家柄のひとであろう。袖垂れているのは平常でも拱手の姿勢をとっている中国人にとってはくつろいだ姿勢であった」と評し、この中国人の着ている中国服は今日の工人服ではなく昔の旗袍(チーパオ)であろうと指摘している』とある。「工人服」は中国で通常の労働者が着ていた作業服で、「旗袍(チーパオ)」は現行では所謂「チャイナドレス」を指すが、ここは男性であろうと私は思うので「満洲服」の意と採る。但し、これは中国人の主体である漢民族の民族服(漢服)ではなく、「満洲人の民族衣装に西洋の要素を融合した服」である。]

 

 

孩兒(をさなご)の手(て)ざはりのごとき

思(おも)ひあり

公園(こうえん)に來(き)てひとり步(あゆ)めば

 

 孩兒の手ざはりのごとき

 思ひあり

 公園に來てひとり步めば

[やぶちゃん注:岩城氏前掲書によれば、作歌は明治四十三年十月十三日夜とする。長男真一は、この五日後の二十七日夜零時過ぎ死亡した。

 

 

ひさしぶりに公園(こうゑん)に來(き)て

友(とも)に會(あ)ひ

堅(かた)く手握(てにぎ)り口疾(くちど)に語(かた)る

 

 ひさしぶりに公園に來て

 友に會ひ

 堅く手握り口疾に語る

[やぶちゃん注:「口疾に」口早やに。岩城氏前掲書によれば、『この友は北原白秋らしく』、啄木死後の『大正十五』(一九二六)『年七月刊行の』「アルス名歌選十三編」の『『石川啄木選集』を白秋が選集したおり、その序文に「彼の死の一年前、私は思ひがけなく浅草のルナパアク園庭で彼と邂逅した事があつた。彼は私を見てやアと顔をかがやかした。而も固く握手しながら口疾に二人は二人はしやべつた。これは彼の歌にもある。」と書いている』とある。『彼の一年前』というのはやや不審であるが(啄木の死去は明治四五(一九一二)年四月十三日で、本歌集刊行はその二年前の明治四十三年十二月一日刊行で、本歌の初出は『創作』明治四十三年十一月号であるから、二人の邂逅はその年の十月以前である)、これはまあ、確かにそれらしくは見える。]

 

 

公園(こうえん)の木(こ)の間(ま)に

小鳥(ことり)あそべるを

ながめてしばし憩(いこ)ひけるかな

 

 公園の木の間に

 小鳥あそべるを

 ながめてしばし憩ひけるかな

[やぶちゃん注:岩城氏は諸資料から、この「公園」は浅草公園とされる。]

 

 

晴れし日の公園に來て

あゆみつつ

わがこのごろの衰へを知る

 

 晴れし日の公園に來て

 あゆみつつ

 わがこのごろの衰へを知る

 

 

思出(おもひで)のかのキスかとも

おどろきぬ

プラタヌの葉(は)の散(ち)りて觸(ふ)れしを

 

 思出のかのキスかとも

 おどろきぬ

 プラタヌの葉の散りて觸れしを

[やぶちゃん注:「プラタヌ」プラタナスであるが、本邦で見かけるのはヤマモガシ目スズカケノキ科スズカケノキ属スズカケノキ Platanus orientalis と同属アメリカスズカケノキ Platanus occidentalis との交配種であるモミジバスズカケノキPlatanus × acerifolia であることが多い。]

 

 

公園(こうゑん)の隅(すみ)のベンチに

二度(にど)ばかり見(み)かけし男(をとこ)

このごろ見(み)えず

 

 公園の隅のベンチに

 二度ばかり見かけし男

 このごろ見えず

 

 

公園(こうゑん)のかなしみよ

君(き)の嫁(とつ)ぎてより

すでに七月(ななつき)來(こ)しこともなし

 

 公園のかなしみよ

 君の嫁ぎてより

 すでに七月來しこともなし

[やぶちゃん注:これについては特異的に岩城氏の前掲書の評釈の総てを引用させて戴く。初出は『創作』『明治四十三年十月号。作歌』は『明治四十三年九月九日夜。この歌で問題になるのは「君の嫁ぎて」の「君」であろう。啄木の閲歴の中で「君」と歌われ親しまれているのは橘智恵子、堀田秀子、小奴(近江ジン)の三人である。この作歌は九月であるから』、『その「七月」前は明治四十三年二月ということになる。しかし橘智恵子と堀田秀子はこの時期結婚していない。とすると芸者小奴ということになる。彼女は当時釧路で大阪炭鉱を経営する大阪鉱業会社の重役逸見豊之輔の愛人であったが、明治四十三年一月二十八日逸見の子の貞子を生んだ。したがってこの歌のモデルは小奴で、正式の結婚ではないが、その直後逸見の子供をもうけたことを知った啄木がその事実を「嫁ぎて」と表現したのであろう。啄木は以後小奴と疎遠になるが、彼の胸中には失われた美しい面影に対する無限の哀惜があったことをこの一首は物語っている』とある。]

 

 

公園(こうゑん)のとある木蔭(こかげ)の捨椅子(すていす)に

思(おも)ひあまりて

身(み)をば寄(よ)せたる

 

 公園のとある木蔭の捨椅子に

 思ひあまりて

 身をば寄せたる

[やぶちゃん注:前歌と同じ日の創作であり、組写真と考えてよい。]

 

 

忘(わす)られぬ顏(かほ)なりしかな

今日(けふ)街(まち)に

捕吏(ほり)にひかれて笑(ゑ)める男(をとこ)は

 

 忘られぬ顏なりしかな

 今日街に

 捕吏にひかれて笑める男は

 

 

マチ擦(す)れば

二尺(にしやく)ばかりの明(あか)るさの

中(なか)をよぎれる白(しろ)き蛾(が)のあり

 

 マチ擦れば

 二尺ばかりの明るさの

 中をよぎれる白き蛾のあり

[やぶちゃん注:「マチ」。マッチ(match)。燐寸。]

 

 

目(め)をとぢて

口笛(くちぶえ)かすかに吹(ふ)きてみぬ

寐(ね)られぬ夜(よる)の窓(まど)にもたれて

 

 目をとぢて

 口笛かすかに吹きてみぬ

 寐られぬ夜の窓にもたれて

 

 

わが友(とも)は

今日(けふ)も母(はは)なき子(こ)を負(お)ひて

かの城址(しろあと)にさまよへるかな

 

 わが友は

 今日も母なき子を負ひて

 かの城址にさまよへるかな

[やぶちゃん注:岩城氏前掲書によれば、「城址」は盛岡城(不来方(こずかた)城)とする。また、『「一握の砂」第五章「手套を脱ぐ時」はこの歌をもって終わる予定であったが、歌集の校正刷を見た十月二十九日が、愛児真一の火葬の日であったため』、『挽歌七首を追加し』たとある。

 

 

夜(よる)おそく

つとめ先(さき)よりかへり來(き)て

今(いま)死(し)にしてふ兒(こ)を抱(だ)けるかな

 

 夜おそく

 つとめ先よりかへり來て

 今死にしてふ兒を抱けるかな

 

 

二三(ふたみ)こゑ

いまはのきはに微(かす)かにも泣(な)きしといふに

なみだ誘(さそ)はる

 

 二三こゑ

 いまはのきはに微かにも泣きしといふに

 なみだ誘はる

 

 

眞白(ましろ)なる大根(だいこん)の根(ね)の肥(こ)ゆる頃(ころ)

うまれて

やがて死(し)にし兒(こ)のあり

 

 眞白なる大根の根の肥ゆる頃

 うまれて

 やがて死にし兒のあり

 

 

おそ秋(あき)の空氣(くうき)を

三尺(さんじやく)四方(しはう)ばかり

吸(す)ひてわが兒(こ)の死(し)にゆきしかな

 

 おそ秋の空氣を

 三尺四方ばかり

 吸ひてわが兒の死にゆきしかな

 

 

死(し)にし兒(こ)の

胸(むね)に注射(ちうしや)の針(はり)を刺(さ)す

醫者)(いしや)の手(て)もとにあつまる心(こころ)

 

 死にし兒の

 胸に注射の針を刺す

 醫者の手もとにあつまる心

[やぶちゃん注:詮無いカンフル注射である。「注射」の歴史的仮名遣は「ちゆうしや」で構わない。]

 

 

底知(そこし)れぬ謎(なぞ)に對(むか)ひてあるごとし

死兒(しじ)のひたひに

またも手(て)をやる

 

 底知れぬ謎に對ひてあるごとし

 死兒のひたひに

 またも手をやる

 

 

かなしみの强(つよ)くいたらぬ

さびしさよ

わが兒(こ)のからだ冷(ひ)えてゆけども

 

 かなしみの强くいたらぬ

 さびしさよ

 わが兒のからだ冷えてゆけども

 

 

かなしくも

夜明(よあ)くるまでは殘(のこ)りゐぬ

息(いき)きれし兒(こ)の肌(はだ)のぬくもり

 

 かなしくも

 夜明くるまでは殘りゐぬ

 息きれし兒の肌のぬくもり

 

 

 

             ――(をはり)――

 

 

[やぶちゃん注:以下、奥付であるが、リンクで示し大方をここで述べて省略する。クレジットは、

 明治四十三年十一月廿八日印刷

 明治四十三年十二月 一 日發行

で、「著者」は

             石川 啄木

「發行者」は

             西村寅次郞

「發行所」は。

 東京市京橋區南傳馬町三丁目十番地

             東雲堂書店

で、「定價金六拾錢」とある。因みに、奥附裏には啄木の詩集「あこがれ」の広告が載り、後に同書店の広告が連なる。]

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