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2020/02/12

三州奇談卷之二 長田の黑坊

 

    長田の黑坊

 普陀落(ふだらく)の圓通閣佛大寺と云ふ靈山あり。此近邊にての異靈の地にして、女人山上する事を禁ず。古ヘより大寺と云ひ傳ふ。今其跡七ケ寺は寺もなく、村名と成れり。所謂佛大寺・金剛寺・溫泉寺・蓮臺寺・立明寺・正蓮寺・五國寺・善光寺也。善光寺は寺屋敷のみありて、村名は岩淵と云ふ。何れの頃の繁昌にや、多く禪林と聞えたり。天正の頃、一向宗の爲に併吞せられたる成べし。

[やぶちゃん注:「圓通閣佛大寺」国書刊行会本は「大」を『陀』と横に補正注するが、従わない。

「佛大寺・金剛寺・溫泉寺・蓮臺寺・立明寺・正蓮寺・五國寺・善光寺也。善光寺は寺屋敷のみありて、村名は岩淵と云ふ」石川県旧能美郡にあった国府村は、ウィキの「国府村(石川県)」によれば(太字下線は私が附した)、昭和三一(一九五六)年に、『和気、寺畠、館、鍋谷、金剛寺、坪野、仏大寺の』七『大字は山上村、久常村(一部)と合併し』て『辰口町』(たつのくちまち)『となり、古府、小野、河田、埴田、上八里、下八里、里川、鵜川、泉寺立明寺の』十『大字は小松市に編入』されたとある。現在の辰口町(グーグル・マップ・データ)は能美市に所属し、町内には辰口温泉があることはある。また、「Stanford Digital Repository」の大日本帝国陸地測量部の昭和八(一九三三)年発行の古地図(実測はもっと古く明治二一(一八八八)年以降か)の「鶴來」を見ると、西端に「立明寺」・「遊泉寺」・「」・「五國寺」があり、少し東の山間に入って「佛大寺」があり、その東北の谷を隔てた先に「金剛寺」の地名を見出せる。また同地図の「小松」の部分を見ると、木場潟の東北に向かった位置に「」がある。「善光寺」改め「岩淵」という村は「鶴來」図の「正連寺」の峰を越えた東に「岩淵」とある。これらを見るに、本文の「溫泉寺」は「遊泉寺」の、「正蓮寺」は「正連寺」のこと(或いは誤記或いはこうも書いたか)である可能性が高いかと考えられる

「天正」ユリウス暦一五七三年からグレゴリオ暦一五九三年(グレゴリオ暦は一五八二年十月十五日から行用された)。]

 此東北に長野村あり。爰に住しける人の、今は小松に居を移されし。其先人、未だ長野村に居せる頃、日每に小松へ通はれしが、道に長田川あり。狐狸・川獺の類多き所なれども、此人心剛にして力量もありければ、一つも心にさへず、夜陰といへども行通(ゆきかよ)はれけるに、

「或日長田川にて兼て聞えし黑坊主と云ふ物に逢ひぬ」

と語られし。

 目鼻手足の分るべき物に非ず。計らず

『黑坊主よ』

と思ふと、間もなく

「ずつ」

と延上(のびあが)りけるに、平生逞しき杖を突かれけるが、走りかゝつて

「僧きやつ哉(かな)」

と其杖を以て橫樣(よこざま)

「どう」

となぐられけるが、いか樣(さま)にも毛皮の上にやありけん、人の着物の上をたゝく程に手ごたへして、橫さまに倒れて川の上へ入りにける。

『川獺なんどの所行にや』

とぞ思ひける。此所を逃去り、尾を出(いだ)すべき暇やなかりけん、黑坊のまゝにて、橫へ

「どう」

と水へ落ちて消え失せける。

 是は享保の初め頃や有らんと聞へし。

[やぶちゃん注:「長野村」不詳。「此東北」となると、この中央付近(グーグル・マップ・データ)かと思われるが、ほぼ山林でそれらしい名は見出せない。ただ「爰に住しける人の、今は小松に居を移されし」とあるのからには本作執筆時に既に廃村となった可能性が高い。

「長田川」不詳。読みも不詳。従って標題も「ながた」か「をさだ」か不明。先の推定位置から小松に出るとすれば、大きな川は梯川(かけはしがわ)であるが、異名にこのようなものを見出せない。

「川獺」我々が絶滅させてしまった獺は狐狸同様に人をばかすと考えられていた妖獣であった。博物誌は私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 獺(かはうそ)(カワウソ)」を見られたい。

「黑坊主」ウィキの「黒坊主」によれば、熊野の民話や本「三州奇談」などに登場し、しぶとく生き残って、『明治時代の東京に』も『現れたという妖怪』とし、『黒い坊主姿の妖怪とされる』。『郵便報知新聞』第六百六十三号(月岡芳年画。リンク先に絵がある)に『神田で女性を襲った黒坊主のことが報じられている』。その『記事によれば、東京都の神田の人家の寝室に毎晩のように現れ、眠っている女性の寝息を吸ったり口を嘗めたりしたとある。その生臭さは病気になるのではと思えるほど到底耐え難いものであったため、我慢できずに親類の家に逃れると、その晩は黒坊主は現れず、もとの家に帰ると』、『やはり黒坊主が現れるという有様だったが、いつしかその話も聞かれなくなったことから、妖怪は消滅してしまったものとみられている』。『この東京の黒坊主の姿は、その名の通り黒い坊主姿とも』、『人間の目にはおぼろげに映るためにはっきりとはわからないともいう』(芳年の絵もそのように絶妙に描かれてある)。『口だけの妖怪ともいい、そのことからのっぺらぼうの一種とする説もある』。『文献によっては東北地方の妖怪とされているが』、『これは民俗学者・藤沢衛彦の『妖怪画談全集』で、前述の『郵便報知新聞』の挿絵が掲載され、その下』の解説文で「奥州の山地」に現れる「夜、人の寝息を吸い、口を甜る黒坊主」といった『記述がされたことによる誤解と指摘されている』。『また、熊野の七川(現・和歌山県)では、山中で人間を襲う真っ黒な怪物を黒坊主と呼び、ある者が出遭った際には背丈が』三『倍ほどに伸び、銃で撃つと』、『そのたび』に『背が伸びて何丈もの怪物と化し、逃げ去るときには飛ぶような速さで逃げ去ったという。同様に背の伸びる妖怪・高坊主の一種とされている』(以下、「三州奇談」の梗概が載る)。『これらのほか、大入道や海坊主などの妖怪の別名として、黒坊主の名が用いられることもある』とある。

『橫へ「どう」と』国書刊行会本はここは『横へとぶと』となっている。

「享保の初め頃」享保は二十一年まであり、一七一六年から一七三六年に相当する。]

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