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2020/06/26

サイト開設十五周年記念+ブログ1380000アクセス突破記念 梅崎春生 A君の手紙

[やぶちゃん注:この作品は、以下に見る通り、「カロと老人」と「凡人閑居」というもとは別々に発表された連作である。単行本「山名の場合」(昭和三〇(一九五五)年六月山田書店刊)に収録される際に一篇に纏められたものである。それぞれの初出は、

「カロと老人」→『文学界』昭和二七(一九五二)年五月号(但し、初出表題は後の単行本でのカップリングの総表題と同じ「A君の手紙」であった)

「凡人閑居」 →『文学界』昭和二八(一九五三)年五月号

で、一年ものスパンが空いてしまっている。但し、これは「凡人閑居」の書き出しからも確信犯の完全続編で、時制まで実時間に合わせている大胆不敵さがはっきりと見て取れるのである(ネタバレになるので詳しくは本文を読まれたい)。なお、前篇の「A君の手紙」=「カロと老人」を発表した同年の同じく五月一日、梅崎春生は人民広場(皇居前広場)で、かの『血のメーデー』の騒擾に立ち会い、自らルポルタージュして七月号の『世界』に「私はみた」を発表(リンク先は私のブログでの電子化)、後の法廷闘争にも四度も立って警官隊の暴力行為を証言したりしていた。それによって著作活動が停滞したわけではなかったが、そうした当時の背景と春生の体制への強い義憤の昂まりがあった事実は認識しておく必要がある。

 底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集」第三巻を用いた。以上の書誌データも同書の古林尚氏の解題に拠った。

 途中で一部の語句に注を附した。

 なお、本電子化注は2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来(このブログ「Blog鬼火~日々の迷走」開始自体はその前年の200576日)、本ブログが百三十八万アクセスを突破した記念と、たまたま重なったサイト開設十五周年記念も含めて記念公開とするものである。【2020626日 藪野直史】]

 

 

   A 君 の 手 紙

 

 

     カ ロ と 老 人

 

 拝啓

 ながらく御無沙汰いたしました。この前お伺いした時から、もうそろそろ一年にもなりますでしょうか。あの節は、不躾(ぶしつけ)なお願いにも拘らず多額の金子(きんす)を御貸与下さり、また可愛い猫の仔(こ)も一匹分けていただきまして、まことに有難うございました。生来の筆不精からついお礼状もさし上げず、荏苒(じんぜん)今日に至りましたことは、まことに申し訳なく思っております。そこで今日は思い立ちまして、御無沙汰のお詫びかたがた、この一年間の御報告やら、またちょっぴり御依頼の筋をもふくめて、筆をとることに決心いたしました。生れつきの悪筆悪文、お読みづらいとは存じますが、なにとぞ御容赦下さいますよう。

[やぶちゃん注:「荏苒」歳月が過ぎるままに、何もしないでいるさま。或いは、物事が延び延びになるさま。副詞的にも用い、ここもそれ。「荏」には「力が抜けてだらしない」の意があり、「苒」には「物事が延び延びになる様子」・「歳月の過ぎてゆくさま」の意がある。]

 さて、いざ机に向いまして、一年間の報告と考えても、何から書き出していいのか、さっぱり戸惑うばかりです。御存じの通り長年の貧乏暮しで、頭がすっかり鈍磨したらしく、いっこう筋道が通らないのです。さっきから書いては破り書いては破り、机のまわりは紙屑だらけになってしまいましたが、(ここまで書くのに一時間余りもかかってしまいました)まだ書くことがハッキリしないような状態です。机のせいなのかも知れません。この机もしごく古びて脚が一本抜け、しかも表面に板の割れ目が出ているので、とても書きづらく、イライラするのです。実はこの机も十日ほど前、差押えられたばかりなのです。差押えたのは国税の方の役人ですが、この机の他に、ラジオ、柱時計など数点を押えて行きました。滞納金額は五千円足らずですが、こんながたがたの古机まで差押えるなんて、何というバカな役人でしょう。しかし今の差押えというのは、昔とちがって、赤紙を貼るのではなく、ただ差押えたという書類を手渡すだけです。だから使用する分にはすこしも差支えないわけで、現に今もこの机の上で、こうして手紙を書いているのですが、この差押えの話は後段において委しく御報告したいと思っておりますので、ここでは省略させていただきます。初めから不景気な話をお耳に入れるのも恥かしいことですし、この手紙全体の効果上からも、そうした方がいいと思いますので。

 ここまで書いてきた時、台所の方からカロが忍び足で入ってきましたので、私はさっそく蠅叩(はえたた)きを摑(つか)んでカロを追っかけ、そして今戻ってきたところです。まだ胸がドキドキと動悸を打っています。カロというのは、貴方(あなた)から頂いたあの猫の名前なのです。あの節お宅から金を借り、それを記念するためにカロと名を付けました。カロの顔を見るたびに、貴方からの借金を思い出そうという仕組みなのです。心情お察し下さい。

 カロもずいぶん大きくなりました。頂いた当座は、まったく西も東もわからないほんの仔猫でしたけれども、今では見るからにあぶらぎって、堂々たる体格です。身の丈は三尺ほどもありましょう。ここで身の丈と申しますのは、鼻の頭から尻尾のさきまでのことです。地面からの高さでしたら、ほぼ一尺ぐらいでしょう。毛色はごぞんじのように赤トラで、眼は琥珀(こはく)色にキラキラと光っています。この眼でうらめしげに私をにらみつけるのです。ほんとにふてぶてしく憎らしい猫です。

 実を申せば私はこのカロを憎んでいます。カロは全くひねくれているのです。どうぞお気を悪くなさらないで下さい。これもひとえに私の責任なのです。飼猫は主人の性格に似るという話ですから、きっと私がひねくれているからに違いありません。折角あなたから頂いた素姓(すじょう)のいい仔猫を、こんな性格に育て上げてしまって、ほんとにお詫びの申し上げようもないと思っております。しかし私としては憎まないわけには行かない事情もあるのです。まあ読んで下さい。

 さっき背の高さを一尺ばかりだと書きましたが、このカロが私の家の茶の間を通るとき、その高さがぐっと低くなって、五寸ばかりになるのです。ことにそれが食事時であれば、もっと低くなります。まるでジャングルを密行する虎か豹(ひょう)みたいに、頭を低くし背をかがめ、四肢を曲げてすり足で歩くのです。

 なぜカロがこんな姿勢になるかと言うと、それは私が彼を叩くためなのです。

 先程蠅叩きを摑んで追っかけたと書きましたが、蠅もいない今の季節に、なぜ蠅叩きが部屋に置いてあるのだろうと、きっと貴方は疑間をお持ちになるでしょう。ところが実際この茶の間には、蠅叩きが五本、あちこちに置いてあるのです。どこにいても手を仲ばせば、すぐ掌にとれるようにしてあります。もちろん蠅を叩くためではなく、カロを叩くためのものです。だからこれは、蠅叩きというより、カロ叩きと言うべきでしょう。もともとその目的のために、荒物屋から購入したものなのですから。

 カロが背を低くして忍び歩くのは、つまり私の眼をおそれ、このカロ叩きをはばかっているのです。背を低くすれば、私の眼にはとまらないと、畜生心にもそう思っているのでしょう。あるいは何時もその頭上に、幻のカロ叩きを感じているためかも知れません。とにかく卑屈で狡猾(こうかつ)な恰好(かっこう)なのです。そういう恰好自体が私の憎しみを更にあおるのです。その姿を見ると、もう私の手は知らず知らずのうちに、カロ叩きの方に伸びています。ちょっと条件反射みたいな具合です。

 なぜ私がこのカロ叩きをもって彼を打擲(ちょうちゃく)するか。それは理由が多すぎて、もう近頃では、叩くために叩く、そう申し上げる他はないような状態なのです。憎悪というのは、本来そんなものではないでしょうか。憎み続けているうちに、ついその根源は忘れられてしまい、ただもう憎むために憎む、そんな風になってしまうのではないでしょうか。

 食事時になりますと、カロは顔で襖(ふすま)をこじあけて、茶の間に入ってくるのです。まったく何気ない表情で、ただ通り抜けるだけだという風な顔付で、背を低くして部屋を横切って行きます。そして食卓の側を通る時、ちらと横目を使って、卓上のものをぬすみ見るのです。もちろん私がいる時は、ぬすみ見るだけで、そのままこそこそと通り抜けるか、あるいは私が振り上げたカロ叩きを見て、一目散に走り抜けてしまいます。

 ところが私がいない時とか、いても子供だけの時には、カロはたちまち非道な行為にうつるのです。すなわちいきなり頭を高くして、卓上に前脚をかけ、すばやく食物をかすめ取るのです。自分の行為が悪事であることは百も承知だし、その上カロ叩きをふりかざした私が、どこから飛び出してくるかも知れないので、カロは大あわてしてその事を遂行(すいこう)します。その結果、すこし眼がくらむと見えて、たとえば刺身やビフテキが卓の真中に置いてあるのに、それには手をつけず、芋の煮ころがしとかパンの耳などをくわえて、周章狼狽して遁走(とんそう)するのです。この間の如きは、一升壜(びん)のコルク栓をくわえて逃げました。

 なんという浅間しい猫でしょう。

 こう書きますと、私がカロに餌を全然与えてない、そうおとりになるかも知れませんが、事実はそうではないのです。台所にはちゃんとカロ用の皿があって、充分に食事を与えてあるのです。ところがカロはそれを喜んでは食べません。

 その皿上において、カロはおそろしく美食家なのです。まるで殿様猫です。汁かけ飯などには、てんで眼もくれません。煮干しを入れてやっても、よほど空腹でなければ、口をつけようとしません。鰯の頭のようなものなら、しぶしぶ食べます。

 この間などは、鯨(くじら)肉の煮たのを入れてやったら、前肢でつついてみただけで、匂いすら嗅ごうとしないのです。私は腹が立って、カロ叩きを振りかざして追っかけ、家のぐるりを三度廻り、とうとう屋根の上まで追い上げました。

 一体カロは鯨を何と思っているのでしょう。人間がいるからこそ、カロは鯨のようなものまで、口にすることが出来るのではないでしょうか。カロの態度はあまりにも無礼です。

 ほんとに、人間がいなければ、カロはどうして鯨を食えるでしょう。鯨を食べるためには、先ず南氷洋かどこかに行かなければなりません。猫には捕鯨船なんか造れないのだから、そのまま海に飛び込んで、鯨が游弋(ゆうよく)しているところまで泳ぎつかねばなりません。それだけでなく、こんどは鯨の背中に這いのぼり、あの厚い皮を食い破らねばなりません。そしてやっと鯨肉にありつけるのです。そんなことが猫ごときに、どうして出来るでしょう。途中で凍え死ぬか、溺れ死ぬか、万一泳ぎついても、逆に鯨から食べられてしまうだけの話ではないでしょうか。

[やぶちゃん注:「游弋」定まったルートを持たずに徘徊することであるが、特に軍艦が徘徊・航行して敵に備えることを言うことが多い。巨体のクジラを意識して用いたものであろう。「弋」には「浮かんで泳ぐ」の意がある。]

 だから猫が鯨を食べることは、これは大変なことなので、ひとえに人間の力によるものなのです。しかもそれを味良く煮て与えたのに、カロはほとんど見向きもしないのです。

 しかしそれは嗜好上の間題だと、あるいは貴方はおっしゃるでしょう。そうです。そのことだけなら、私も別に怒りはしません。

 私が腹を立てるのは、自分の皿ではなく食卓上のものならば、カロは何だって食べるということです。タクアンの尻尾だってコンニャクだって、何だってくわえて行って、庭の隅でこそこそと旨そうに食べるのです。この間のコルク栓だって、半分ほど齧って食ってしまいました。いくらなんでもコルクよりは、鯨の方が旨(うま)いでしょう。

 私はカロのその陋劣(ろうれつ)な心事を憎みます。人間だけが旨いものを食って、自分には不味いものをあてがわれている、そう思っているに相違ありません。しかもそれが固定観念になっているのです。

[やぶちゃん注:「陋劣」卑(いや)しく軽蔑すべきであること。

「心事」(しんじ)心の中で思っていること。心の在り様(よう)。]

 だから私はカロ叩きを五本も用意し、常々整備を怠らないのです。

 もっともカロの側からすれば、カロ叩きで防衛するからには、よほど美味なものが卓上に並べてあると、そう邪推しているのかも知れません。やり方がどうも意固地で執拗なのです。あるいはまた、何でもなく食えるものより、危険を冒して得た食物の方が旨い、そういう心理なのかも知れません。つまりスリルを楽しむというやつです。飼猫は主人の性格に似るそうですから、案外そんなことかも知れません。実を申せば私の側にしても、カロ叩きでカロを追っかけひっぱたくことに、妙に意固地な快感がないでもありません。カロのことを考えると、胸がワクワクして、ほっておけないような気がしてくるのです。小便をこらえている時に似た、息詰まるような疼(うず)くような、居ても立ってもいられないような、そんな苦痛と快感が同時に湧き起ってくるのです。

 この間などは一策を案じて、卓上にマグロの刺身を一片置いて、私は襖のかげにかくれてそっと覗(のぞ)いていました。その刺身には前もって細工がほどこしてあるのです。つまり、刺身の横から穴をあけて、内にワサビを沢山詰め込んでおいたのです。せっせとワサビを詰めこみながら、一体俺はどんな情熱でこんなことで一所懸命になってるのか、などと考えて、ちょっと自己嫌悪におちたりもしましたが、しかし人間の情熱とは大体そんなものでしょうね。そんなものだと私は思います。貴方が小説を書く情熱も、おおむねこれと同じようなものでしょう。そういう点で貴方も時々自己嫌悪におち入るようなことはありませんか?

 私はマグロの刺身が大好きなので、貧乏なのに無理をして時々これを食べるのです。でも考えてみると面白いものですね。海の底に棲(す)んでいるマグロに、山間に生えているワサビと、ひとつの皿の上で対面する。思えば奇想天外な話です。これも地球上に人間が居ればこそのことですね。もし人間がいなければ、ワサビは永遠にマグロにはめぐり逢えず、まして自分の味がマグロの味にぴったりしていることも露知らず、ただもしゃもしゃと山間に生えたり枯れたりしているばかりでしょう。マグロとても同じです。人間の食欲においてこの両者は統一された。そんなことを考えると、私ははかり知れない因縁というものを感じ、宗教的なショックに打たれます。私はもともと宗教的な傾向があるものですから、そんなことには特に感じ易いのです。

 話がそれました。私が襖のかげにかくれていますと、やがてカロが背を低くして四辺(あたり)を見廻しながら、のそのそと入って来たのです。私は期待と亢奮(こうふん)にワクワクして、心臓が咽喉(のど)もとまで出てくるような気がしました。カロの背が急に高くなったと思うと、がたんと前肢を卓にかけ、刺身をぱくとくわえて、一目散に庭の方に逃走しました。そして花壇のところに立ち止って、大あわてしてそれを食べました。

 とたんにカロは、衝撃を受けたみたいに、後肢だけでひょいと立ち上ったのです。そして前肢を曲げて、ぐいと鼻をこすり上げると、眼から琥珀(こはく)色の涙をぽろぽろと流しました。その時私は、縁側に立っていたので、それがよく見えたのです。ワサビが鼻に来た時の人間の動作と、それはまったくそっくりでした。思わずぎょっとした程です。次の瞬間、私は無意識のうちに庭に飛び降りて、カロ叩きをふりかざして、やみくもにカロを追っかけていました。そうでもしなければ、やり切れない気持だったのです。

 そういう私を、やはりカロを憎んでいるのだろうと思います。

 私は酔っぱらった夜は、必ず枕もとに酔醒めの水を置いておくのです。私はこの酔醒めの水が大好物で、他のどんな飲物よりも、この味わいを愛好しているのです。酒の話だの刺身の話だの書いて、貧乏じゃないじゃないかと思われそうですが、そうは考えないで下さい。あまり貧乏なので、だからこそやけくそになって私は酒を飲んだり、刺身を食べたりするのです。ところがその悲痛な酔いの果ての楽しみの水を、カロがこっそりと飲みに来るのです。何という邪悪な猫でしょう。台所に行けばいくらでも水があるのに、私の枕もとの酔醒めの水を飲みに来る。薬罐(やかん)の蓋(ふた)をくわえて外し、顔をつっこむようにして、べちゃべちゃ砥(な)めるのです。カロが砥めると、もうその水は猫臭くて、とても飲めたものではありません。怒ってはね起きた時は、もう間に合わないのです。カロの姿は電光のように、部屋の外に消えてしまっています。

 私の困惑や憤怒をサカナにして、カロはこの水を飲んでいるのではないでしょうか。どうもそうらしい。

 カロと私とは十日ほど前までは、以上のような間柄でした。折角いただいた猫に対して、良き飼主でなかったことを、私は深く恥じ入る次第ですが、カロとても良き飼猫でないことは、貴方も充分に御諒承下さったことと存じます。

 ですからカロは何時も私をはばかり、滅多に私に近づいて来ません。私が居間にいると、寒くてもやせ我慢して、縁側あたりで慄(ふる)えています。ところが来客などがあると、その時は平気で部屋に入ってくるのです。お客の手前、蠅叩きをふり廻すようなおとなげないことを私がやらない、そのことをカロはちゃんと心得ているのです。そして私に見せびらかすようにして、お客の膝の上に乗り、聞えよがしに咽喉(のど)をごろごろ鳴らしたりします。それでも私はにこやかに客と応対をしていますが、時にははらわたが煮えくりかえるような気持になったりしないではありません。

 この間の差押えの日もそうでした。

「ごめんください。ごめんください」

 と言って、玄関に変な男が入ってきました。出て見ると、痩せて眼のぎょろぎょろした、色の黒い二十七八の男です。私の顔を見るなり、低い猫撫で声で言いました。

「Aさんですね。あなたは昭和二十三年度の所得税が未納になっていますが、今日払っていただけますか?」

「いいえ」

 と私は答えました。払うにも払わないにも、その時私の家には、全部かき集めても五六十円ぐらいの金しかなかったのです。するとその男は、にやりと片頰に笑みを浮べました。その笑い方と言ったら、まるでこみ上げてくる嬉しさを押えかねると言ったような、うずうずするような笑いでした。女の裸の尻を見たサディストの笑いを、私はちらと聯想したほどです。そして彼は言いました。

「そうですか。それでは止むを得ません。今日は差押えさせていただきます」

 押しとどめる間もなく、もう靴を脱いで、玄関に上ってきたのです。職業的な習練を積んでいるので、有無を言わせないような自然な身のこなしでした。私はすっかり気を呑まれて、ついそのまま男を部屋に案内してしまったのです。

 男は座布団に大あぐらをかき、私が差し出した番茶を旨(うま)そうに飲みながら、部屋のなかをあちこち眺め廻しています。私はだんだん気色が悪くなって参りました。

「差押えと言いますと――」と私はたまりかねて訊ねました。「今日直ぐに持って行くんですか。一体何を差押えるつもりなんです」

「いやいや、御心配には及びません。直ぐ持って行く訳じゃありませんよ。さて、何と何を押えますかな」

 ふと気が付いて、私はあわてて次の間との仕切りの襖をしめました。三寸ばかり開いていたのです。すると男はまた可笑(おか)しそうににやにやと笑いました。そして皮鞄(かわかばん)の中から書類と万年筆を取出しました。

 その時です。台所の方からニャアと一声上げて、カロが入ってきたのは。

 カロはちらと私を横目で見て、そしていつもほどは低くならず、あたりまえの高さで悠々と歩いてきて、慣れ慣れしく男の膝にのそのそと這(は)い上りました。男はちょっと驚いたような様子でした。カロは膝の上に丸くなって、咽喉(のど)をごろごろと鳴らしているのです。私に見せつけているとは知らないものですから、その男はびっくりした表情で、

「おお、よしよし」

 などと不器用な仕草で、カロの背中をさすったりしていました。職業柄、あまり人間や動物からも親しまれないのに、はからずもこんな歓待を受けて、彼はいささか戸感ったらしいのです。私はすかさず言いました。

「その猫を差押えたらどうですか?」

 男はぎょろりと眼を動かして私を見、そしてカロを見ました。もうすっかり職業的な表情になっていたようです。

「猫ですか。どうも、猫は――」

「しかし動物だって差押えの対象になるんでしょう」と私はたたみかけました。「農家などで牛を差押えられた話をよく聞きますよ。猫だって役に立つんですからね。たとえば三味線の皮とかなんとか――」

 男は黙ってカロを見下していました。私はつづけて言いました。

「この猫はすばらしく素姓がいいんですよ。日本にも何匹とはいないやつです」

「ほう。そんな猫ですか」

「そうですとも。なにしろペルシャ猫とシャム猫の混血ですからね。名前もカロ三世と言うんです」

 男は疑わしそうに眼をぱちぱちさせていましたが、やがてにやにやと妙な笑い方をしました。私のでたらめを見破ったのかも知れません。そしてカロを膝に乗せたまま、卓の上に書類をひろげ、万年筆を握りました。

「まあ猫は猫として――」と男は押しつけるような声で言いました。「まず机とかラジオとかを押えることにしましょう」

 そして口の中で何かをぶつぶつ呟(つぶや)きながら、書類に書き入れ始めました。差押調書というやつです。書いているあいだ中、男の顔はぼっと血色が良くなり、表情も生き生きして、まことにこの事にやり甲斐を感じているらしい風なのでした。こいつら滞納者係というのは、滞納者を憎みいじめることに、なにか情熱を感じているのではないでしょうか。きっとそうだと思います。そうでもなければ、あんな表情が出来るわけがありません。我々を憎むことによって辛うじて職業的生甲斐を感じているのでしょう。そう思うと私はこの男に、強い反撥と妙な親近感を感じました。やがて男はにやりと面を上げて、調書の謄本をふわりと私に放ってよこしました。

「まあこれだけ押えておきましょう」

 その調書を点検して、私はぎくりとしました。それは差押財産の表示という欄です。そこには片袖坐机とか、柱時計とか、四球ラジオとか、そんな物件がずらずらと書き並べてあるのですが、私をぎくりとさせたのは、最後の方に中古ダンスとか鏡台とか、そんなものまで書き込まれてあることでした。何故かというとこんな品物は、隣りの部屋に置いてあるもので、この男の位置からは全然見えない筈だったからです。さっき三寸ほどの襖(ふすま)の隙間から、素早く見て取ったに違いありません。何という技け目のない、眼のするどい男でしょう。貴方は何時かしら、小説家という者はこの世で最も眼のするどい人種なのだと、自慢しておられましたが、この男の前に出たら、太陽の前のローソクに過ぎないでしょう。とても小説家如きが、人間や物を見ることにおいて、たとえば税務役人や高利貸ややり手婆の慧眼(けいがん)にかなう訳がありません。この間の貴方の言葉は、自惚(うぬぼ)れというものです。

 そしてその調書を前にしながら、私はしだいに腹が立ってきました。男は満足げに、万年筆をしまったり、鞄の鍵をガチャガチャさせたりしています。その時私はふと思い付いて、男に気付かれないように、そっとカロ叩きの方に手を伸ばしました。カロは咽喉(のど)をぐるぐる言わせながら、横目で私の動作をうかがっています。私はカロ叩きを摑(つか)むと、卓の下に突き出して、威嚇(いかく)するようにピュツと振りました。卓の下ですから、カロからは見えますが、男の眼からは見えないのです。そこが私のつけめでした。

 カロはぎゃっと声を立てて、男の膝の上ではね上りました。まさか来客中に私がカロ叩きを使おうとは、予測もしなかったのでしょう。大あわてにあわてて、男の膝から飛び降りるとたんに、男の手の甲をパリッと引っ搔き、一目散に縁側から庭に飛び降りて逃げました。

 男の手から血が流れていました。痛そうにそこを押えています。

 私が黙ってにこにこしているものですから、男の眼が急に吊り上ったようでした。歯を嚙み鳴らしている音が、かすかに聞えます。そこで私はにこにこしながら、ゆっくり煙草に火をつけました。

 男は手巾(ハンカチ)を出して、手の甲の血を拭きながら、やがてかみつくような声で言いました。

「よろしい。それでは猫も差押えましょう!」

「どうぞ。御随意に」

 男は私から差押調書をひったくると、差押財産表示欄の最後に『一、赤毛猫一匹』と乱暴に書き入れ、ぐいと私の方に押し戻しました。そして手の甲を押え、つんつんしながら玄関に出、扉をがちゃりとしめて帰って行きました。

 税務役人の怒りを見たのは、私はこれが初めてです。たしかにいくらか愉快な見ものでした。

 その晩、カロのその功績を賞(め)でて、鰯(いわし)か何かでも御馳走してやろうかと思いましたが、よく考えてみると、これはカロの功績というより私の功績ですし、それに差押えされた以上、カロはすでに私の猫ではなく、税務署の猫になったのですから、私はもう餌をやる義務はなくなったわけです。そこでそれはやめにしました。

 こういういきさつでカロの所属は、私から税務署の方に移ってしまいましたので、一応そのことを御報告申し上げます。一年足らずの、まことに果敢ない主従の縁でありました。

 税務役人の怒りについて、今書きましたが、今度はその失望落胆について、書こうと思います。どうぞ小説になるものなら、小説にして下さい。近頃貴方の小説を拝見していますと、なにか題材の単調と貧困さが感じられてなりません。現実からの刺戟を、あまりお受けにならないせいではないでしょうか。その点において、私の体験などは、多分に貴方の参考になり得るものと信じます。こんな恥かしい私の生活を、細大洩(も)らさず御報告申し上げるのも、一年前の貴方の御好意への御礼心のつもりですから、御遠慮なく小説の題材に御使用になって下さい。題材料をよこせなどと、そんなケチなことを申し上げるような私ではありませんから。

 そしてその翌日のことです。春めいてきた午後の空気をゆるがして、ふたたび玄関の扉がガタガタと鳴り、

「ごめん。ごめん下さい」

 というがらがら声がしました。私があわてて飛んで出ますと、四十がらみの肥った男がそこに立っています。すり切れた皮鞄を小脇にかかえていました。

「あなたがAさんですね」と男はもう鞄をあける恰好(かっこう)になっていました。「一昨年の区民税がまだ入っていませんね」

「ええ」

「もう何度も催促状を差し上げた筈ですが」

 と男は鞄から伝票綴りを取出して、ぴらぴらとめくりながら言いました。

「頂きましたけれども、なにぶんこんな貧乏暮しで――」

「貧乏? 貧乏とは関係ありませんよ。ちゃんと所得があって、それにかかっている訳ですからな。あなただけが払わないということは困ります。今日、半分だけでも払って呉れますか?」

「とてもとても。百円の金もないんです」

「じゃ仕方がない。一応差押えることにしますよ」

「どうぞ、そうして下さい」と私は落着いて答えました。

「昨日国税の方が来て、あらかた差押えされたところです」

「え?」と案の定男はぎくりと棒立ちになりました。「差押えたって? それ、ほんとですか」

「ほんとです。調書があるから、お目にかけましょうか」

 居間から差押調書を持ってきて見せた時、男は大声でうなりました。今まで私に対して見せていた優越感や傲慢さをすっかり振り落して、赤裸々の自分に立ち戻った風でした。

「残念だったなあ。一日違いだった。何ということだろう」

 男は頭をかきむしるようにして、そう呻きました。その失望落胆の状は、見るも可哀(かわい)そうなほどでした。ついに私は気の毒になって言いました。

「まあ上ったらどうですか。差押えは受けたけど、その残りがあるかも知れないし――」

「いや、駄目です!」と男は掌を振りました。「国税の奴等が通ったあとは、草も生えないというくらいです。私たち区民税の方は、区民の皆様の便宜をはかり、差押えもなるべく控え、話し合いで解決しようという方針なんです。それなのにあいつ等と来たら――」

 男は溜息混りに、国税役人の悪口を並べたり、自分の不運をのろったりし始めました。私は適当に相槌を打ちながら、区民税役人の表情や動作を観察していました。こうなると役人なんていうものは、まるでカスみたいですねえ。鋏をもぎ取られた弁慶蟹(べんけいがに)みたいなもので、恐くもなんともありません。あんまり落胆して愚痴ばかりをこぼしているので、私もとうとううんざりしてしまって、つけつけと言ってやりました。

「大体あんたがノロマだからですよ。早く次の家に行かないと、また国税に先廻りされますよ」

「あっ、そうだ。ほんとにそうです」男はぴょこんと立ち上りました。そしてそそくさと扉をあけました。「どうもお邪魔さまでした。ごきげんよう」

 彼が戻って行ったあと、私は居間に坐って、ぼんやりしていました。しおしおした税務吏員などを、あまり見たくなかった。ふん、面白くもない。そんな気持でした。つまり、抵抗が全くなかったということ、それが私に面白くなかったのではないでしょうか。これにくらべれば、前日の国税の小役人の方が、よっぽど張合いがあって、好もしかったようです。こういう私の気持を、貴方は判って下さいますでしょうか。

 差押えのいきさつは、ざっと以上の如くです。この差押えの件についても、何時までも放って置くわけには行かないので、いろいろ心を悩ましていたのですが、今朝はまた早々と陣内老人の訪問を受けました。もちろん金の催促です。私はほとほと困ってしまいました。金というのは、この家を買ったその残金なのです。

 一年前、貴方やその他から借り集めた金額が十五万円、それを陣内老人に支払い、残りの十万円は月々五千円ずつ、二十箇月月賦で支払うという約束でした。つまりこの私の家の価格は二十五万円なのです。最初から二十五万円調達して耳をそろえて買えばよかったのに、金の集まりが悪く(いえいえ、貴方の貸し方が少かったと申し上げているのではありません)、余儀なく残余は月賦ということになったのです。御存知の貧乏暮しですから、この毎月五干円というのは、私にとって仲々の苦労なのです。ところが陣内老人は、毎月二十一日に、鬼のような正確さをもって、取立てに来るのです。今朝もまだ七時前だというのに、庭に入って来て、縁側に腰かけ、

「約束ではないか。さあ払って貰おう!」

 それ一点張りで、二時間もねばって行きました。私はこの老人が苦手です。とても苦手なのです。

 老人は私を憎んでいるのです。私はちゃんとそれを知っています。私の払いが悪いから憎んでるのではなく、私が彼の家を買い取ったこと、その点において老人は私を憎んでいるのです。ちょっと不思議な言い方ですが、全くそうなのです。老人は私を憎むことによって、辛うじて生きているのです。この老人のことを少し書きましょう。

 老人は背が五尺八寸もあって、もうそろそろ六十歳ぐらいでしょう。家族はその老夫人と二人だけの生活です。子供が二人いたということですが、戦争で皆なくしてしまったのだそうです。老人の顔は仮面のように表情がなく、眼はラムネの玉のように光がありません。

 終戦後、老人は子供を失って、大へん虚脱したらしいのです。(これはその老夫人から聞いた話です)そして性格ががらりと変り、それまで働き好きな小まめな男だったのが、今度は何も仕事をしないで、ふところ手で生きて行こうと思うようになったらしいのです。しかし敗戦直後のこととて、収入の道は全然絶たれている。老人はどうやってその意志を貫いたでしょう?

 先ず彼は、自分の持ち家を売りました。この家は大変大きな家で、現在の価格にすれば、百八十万円位のものだそうです。そして百二十万円位(今の価格で)の家を買い取って、老夫人ともどもそこに入りました。つまり彼は、その差額の六十万円を手に入れたというわけです。

 老人はその金で、二年ほど徒食しました。そしてその金がなくなってくると、またその家を百万円で売り、七十万位の家を買いました。

 一年経ちました。老人は再びその家を売却して、ひと廻り小さな家を買い求めました。

 それから半年後、また同じやり方で、更(さら)に小さな家に引越しました。

 お判りでしょう。老人がふところ手をして生きてゆく代りに、その家はしだいに小さくなって行くのです。つまり老人は、自分の家を少しずつ齧って、居食いしているという恰好なのです。こうして今から一年前、老人は私に、この家を二十五万円で売り払ったのです。十五万円は即金で、あとは五千円宛の月賦という約束で。

 今、この陣内老夫妻は、私の家から半町[やぶちゃん注:五十四メートル半。]ほど離れた、ごく小さな家に住んでいます。家というより、掘立小屋といった方が早いでしょう。屋根も古トタンだし、粗末な板壁も隙間だらけです。いくらでこの小屋を買ったのかは知りませんけれど、もしあれを売りに出したとしても、せいぜい二万円かそこらでしょう。二万円でも買い手がつかないかも知れません。そんな家に相変らず頑固にふところ手して、陣内老人は生きているのです。働くことを意固地になって拒否しているような恰好で。

 現在の老人の収入は、おそらく私から受取る月五千円の金額だけらしいのです。それについて、この間陣内老夫人がやって来て、さまざま愚痴をこぼして行きました。老人はまだ身体も丈夫だし、頭もしっかりしているし、働こうと思えば働けない訳はないと言うのです。その時老夫人はこんなことを言いました。

「あの人もねえ、終戦後すっかりひねくれてしまいましてねえ、人を憎んでばかりいるんですよ」

「へえ、そんな方ですかねえ。憎むって、どんな具合に――?」

 老夫人は私を見て、気の毒そうに一寸言い淀みました。そして思い切った風(ふう)に、

「それがねえ、家を売るでしょう、その家を買った人を、ひどく憎むんですよ」

 私はぎくりとしました。

 夫人の話によると、最初の百八十万円の家を売った時から、その奇妙な憎悪が始まったんだそうです。それを買った男は、戦後の新興成金で、いくらか傲慢不遜な男だったという話です。きっと陣内老人に対しても横柄だったのでしょう。老人はその男を憎みました。口を開けばその男の悪口ばかりでした。家の中で言うだけではなく、近所近辺にも悪口を言いふらして歩いたということです。

 そして次に、百万円で家を売った時、老人の憎悪はこんどの買い手に移りました。前の新興成金のことはすっかり忘れ果てたように、新しい買い手を憎み始めました。こんどの買い手は、どこかの出版社の主人だったそうですが、陣内老人が悪口をふれ歩いたり、夜中に玄関に石を投げたりするものですから、すっかり怒ってしまって、告訴沙汰(ざた)になりかかったりしたという話です。

 こういう具合にして、老人の憎悪は、家を売る度に次々に移動しました。会社重役、某省課長、女金貸など。老人の憎悪は当面の買い手だけに限られていて、それ以前にはさかのぼらないのです。まったくふしぎな憎悪のあり方ですが、それは当人にとっても、どう処理のしようもないものでしょう。その心事は、いくらか私にも判るような気がします。老人はもう憎むために憎んでいるのです。しかし喜びや悲しみと異って、憎しみというものは、必ず核を必要とします。憎しみ自身が、その核を呼びよせるのです。

 こうして今、老人の憎しみは、私だけに向っているのです。つまり私は、この家を買ったばかりに、彼から烈しく憎まれているのです。

 老夫人のその愚痴混りの告白を聞いて、陣内老人の奇妙な態度や行動を、私はすっかり了解しました。どうも変だ変だと、実はずっと前から私も思っていたのです。まさかそんな役割を引受けていようとは、私は全然想像もしていませんでした。

 近所の人の話によると、老人は私のことを『サギシ』だの『ヘンタイセイヨク』などと、悪口を言って歩いているそうです。悪口されることに私は慣れているので、そんなことにはびくともしません。しかし老人は、悪口だけでなく、いろんな直接的な厭がらせを、私に試みてくるのです。月賦の催促に朝早くからやってくるのも、その一例です。また月賦が完済しないうちは、庭は俺のものだと称して、私の家の庭に畠をつくり、二十日大根だの小松菜などを栽培しています。それだけならばいいのですけれども、その肥料と称してウンコをまきに来るのです。しかもその時刻が、奇妙に私の食事時間と合致するので、どうも不思議なことだと思っていたのですが、老夫人の話によって、初めてその真相が判った訳です。まったく閉口な話です。

 この間などは、老人は羽織袴をつけ威儀を正して、私の家にやって来ました。カロが陣内家の食卓から塩鮭をくわえて逃げた、その抗議なのです。老人の要求は、その代金を弁償すること、並びにカロの髭を切りとること、その二項目でした。髭を切ると猫はおとなしくなって、ひとのものを盗らなくなるというのが、老人の言い分なのです。そこで私は老人に十八円弁償し、カロの髭についてはそちらでいいようにやって欲しい、と申し入れました。こういう人物にさからうのは損ですからねえ。それで老人は不満げに了承して、そのまま帰って行きました。それから二日後、カロの顔を見ると、両髭が根元からバッサリ断ち切られ、なんだか兎みたいな気の毒な顔になっていました。その代りに、それから四五日間、陣内老人の右手に繃帯(ほうたい)が巻かれてあったところを見ると、カロの髭切りもそう楽な作業でもなかったらしいです。としよりの冷水という諺(ことわざ)を思い出して、私はしばらくにやにや笑いが止まりませんでした。

 老人が今の掘立小屋を売り払って、さらに小さな家(これはあり得ないでしょう。あるとすれば、それはもう犬小屋です)に引越さない限りは、私は永遠に憎悪されるより仕方がありません。これも侘(わび)しい宿命でしょう。生きておればいろんな目に会うものです。

 陣内老人のことについては、まだまだ面白いことがたくさんあるのですが、疲れてきましたし、それにちょっと書くのが惜しいような気分もしてきました。ここらでひとつお願いがあるのですが、以上のような事情で、私は急に金が要るのです。老人への支払い、税務署への納付、あれやこれやで二万円、いや一万五千円もあれば、どうにか切り抜けられると思うのです。この前お借りした金もまだそのままなのに、こんなお願いをして厚かましいとお思いになるでしょうが、この哀れな私をたすけると思し召して、右金額をしばし拝借願えませんでございましょうか。その代り、と申しては変ですけれど、もし拝借出来ますならば、直ちに貴邸に参上致し、陣内老人の面白きことどもをお話し申し上げ、貴方様の小説の材料に差し上げたく存じております。私の赤心御推察の上、色よき返事を賜わらば、私の幸福これに過ぐるものはございません。なにとぞなにとぞよろしく御願い申し上げます。貴家の隆盛と万福を切に祈りつつ、筆をおくことに致します。草々不一。

[やぶちゃん注:「赤心」(せきしん)は「偽りのない心」「真心」。「赤」には「裸の」「何も覆いのない剝き出しの」の意。]

 

     凡 人 閑 居

 

 拝復

 どうも長い間御無沙汰いたしました。

 この前、愛猫カロのこと、税務吏員のこと、差押えを受けたこと、また陣内老人のことなど、近況御報告の手紙を差し上げたのは、たしか昨年の春のことですから、もうそろそろ一年にもなります。月並な言葉ながら、月日の経つのは早いものですね。あの節は、無理なお願いにも拘らず、一万五千円という大金を貸していただき、御厚情のほど身にしみて感激いたしました。それなのに生来の不精のため、以来荏再(じんぜん)と御無音に打過ぎ、まことに申し訳もございません。

[やぶちゃん注:「御無音」(ごぶいん)永く便りをしなかった(「無音」)相手に対して久し振りに書信する場合に、相手を敬ってその人への永の無沙汰を謝する語。]

 今朝、貴翰(きかん)落掌。表を眺め裏をうちかえし、さておそるおそる封を切りますと、果たせるかな用立てた金子(きんす)を早く返せとの御文言。再読三読、箸(はし)を置き、しばし自責と慚愧(ざんき)の涙にくれました。丁度食事中でしたが、すっかり食慾もなくなったほどです。そこで食事は中止して、こうして机に向い、お詫びやらお願いやら、かててこの一年の近況御報告やら、とりとめもなく書き綴ろうと思い立ち、筆をとることに致しました。悪筆悪文のほどは御寛容下さいますよう。

[やぶちゃん注:「慚愧」「ざんぎ」とも読む。自身の言動を反省して恥ずかしく思うこと。本来は仏語で、「慚」は「自己に対して恥じること」、「愧」は「外部に対してその気持ちを示し表わすこと」を意味した。

「かてて」「かててくわえて」(糅(か)てて加(くわ)えて)の略。連語で、「かて」は動詞「糅(か)つ」(タ行下一段(古語は下二段)活用)の連用形で「混ぜ合わせる・混ぜる」の意。ある事柄にさらに他の事柄が加わって。その上。おまけに。多くはよくないことや自己都合の事柄が重なる場合に用いる。]

 さて、何から書き出していいか、いろいろ気特が迷いますが、やはり先ず順序としては、貴方からいただいた仔猫カロの件につき、御報告申し上げたいと存じます。あの猫は、私が飼うようになってから、すっかりひねくれた性格となり、来訪した税務吏員の手をひっかいたりして、税務吏員の怒りを買い、我が家のあらかたの家財道具と共に差押えられたことは、すでに前便で御報告申し上げました通りです。幸い一週間後、貴方から拝借した金子で滞納分を納めましたので、カロの所属はめでたく手もとに戻って参りました。しかしその後、カロは妙に元気を失い、動作もきわめて不活潑となり、そして昨年の秋、ついに死亡いたしました。死因は未だに判りません。死亡の場所は、拙宅から半町ほど離れた陣内老人宅の天井裏です。どうしてそんな場所で死ぬ気になったのか、私はカロの心事を忖度(そんたく)しかねます。死亡の前後のことを、すこし書いてみましょう。

[やぶちゃん注:「不活潑」はママ。「ふかっぱつ」。「活発」に同じい。「潑」は「活潑潑」に見るように「勢いの盛んなさま」を意味する。]

 前の手紙に書きました通り、陣内老人というのは、拙宅の前の持主なのです。私はこの老人から、十五万円即金、残りの十万円は五千円ずつ二十箇月月賦という条件で、この家を買ったわけです。ところが御存知の手元不如意で、とかく月賦も滞(とどこお)り勝ちとなり、まだ五万や六万の支払い分が残っている筈です。もちろん陣内老人は、毎月催促にやって来ますけれども、私とても無い袖はふれないものですから、老人にはお気の毒ながら『睨(しら)み返し』のような手などを用いて、お帰りを願うことが多いのです。ところが向うも一筋繩でゆくような老人ではなく、相当なしたたか者ですから、月賦を皆済(かいさい)しないうちは、庭は自分のものだと称して、拙宅の庭を勝手に開墾して畠をつくり、さまざまの作物を栽培しているのです。今はホウレン草や小松菜、ニラやアサツキ、ミツバのたぐいなど。垣根に沿って、枸杞(くこ)がずらずらと植えてあります。この枸杞というのは、葉をおひたしにしたり、枸杞飯にしたり、なかなか精分のつく薬用植物らしいのです。陣内老人は毎朝早くやって来て、その葉をしごいて笊(ざる)に入れ、持って帰ります。つまり毎朝食べているのでしょうな。老人がかくしゃくとしているのは、きっとこの枸杞のせいに違いありません。

[やぶちゃん注:「アサツキ」単子葉植物綱キジカクシ目ヒガンバナ科ネギ属エゾネギ変種アサツキ Allium schoenoprasum var. foliosum。普通のネギ(ネギ属ネギ Allium fistulosum)よりも色が薄く、食用とされるネギ類の中では葉が最も細い。梅崎春生は「南風北風」の「博多の食べもの」(私の電子化注)で普通の白ネギよりも所謂、「ひともじ」、タマネギとネギの雑種である単子葉植物綱キジカクシ目ヒガンバナ科ネギ属ワケギ Allium × proliferum が好きだと言っており(「ひともじ」は主に北九州での異名で草体から「一文字」「一文字」のこと)、「ひともじ」は『「アサツキ」に似ているのではないか』と言っているから、アサツキも好きだったと思われる。但し、アサツキは九州には植生しない。

「枸杞」ナス目ナス科クコ属クコ Lycium chinense。葉や果実が食用・茶料・果実酒・薬用などに、また、根も漢方薬に用いられる。]

 この老人が、ある朝、老妻を伴って、なにか憤然とした面もちで、私の家にのりこんで来たのです。私が玄関に出ますと、老人は勢いこんで口を開きました。

「貴殿の猫は、どうした?」

 老人は、人を呼ぶのに、貴殿という呼称を常に用いるのです。こう呼ばれると、私もひとかどの侍(さむらい)になったような気がするから、不思議なものです。

「さあ。この二三日、見えないようですが――」

 と私はおとなしく答えました。老人が何をたくらんでいるのか、まだハッキリしないものですから、こう受身に出たわけです。実際この二三日、カロの姿を全然私は見かけていなかったのです。すると老人の眼玉が、急にするどい光を帯びて、僕を睨みつけました。

「自分の猫ぐらいは、自分で管理して貰おう。おかげで当方は、大迷惑しておる」

「ほんとに困りますのよ」

 と老夫人が傍から口を入れました。またもや何か仕出かしたなと、私はカロが憎らしくなりました。先だっても、陣内家の食卓から塩鮭をくわえて逃げて、弁償させられたこともあったのです。私はおそるおそる訊ねました。

「またあれが何かやりましたか?」

「やったどころの騒ぎでない」

 老人は強い口調できめつけました。

「うちの天井板の破れから、猫の足がぶら下っておる!」

「ぶら下ってる?」

 これには私もすこし驚きました。すると陣内老夫人が亢奮した身ぶりで、

「ええ。そうですよ。困りますよ。あたしゃ思わずキャッと悲鳴を上げましたよ。一体どうして呉れるんです!」

 陣内老夫人は、ふだんは人づきあいも良く、善良な老婦人なのですが、よほど立腹したと見えて、つんけんした口をききました。

 私は急いで老夫妻に、上り框(がまち)に腰をおろして貰い、粗茶を運び、おもむろに事情を聴取しました。老夫人の話によると、昨晩中天井裏で何か音がしていたそうですが、鼠だろうと思って放っておいたところ、今目の夜明け方、天井裏がめりめりと破れ、細長いものがにゅっとぶら下って来たそうです。夫人は直ちにはね起きて、懐中電燈で照らし出すと、そのものには茶色の毛が密生し、尖端にはするどい爪が生えている。さすが気丈な夫人も、思わず悲鳴を上げたという話です。

「他人様(ひとさま)の天井から足を出すなんて、何と性悪な猫でしょう」

 老夫人はそう言いながら、私の顔をにらむようにしました。まるでこの私が、天井を破った元凶だと言わんばかりです。それまで黙っていた陣内老人が、押えつけた声で凄味を利(き)かせました。

「早くあの猫を、天井裏から引きずりおろして貰おう!」

 もうあの猫とは主従の縁を切るから、そちらでいいようにして貰おう。そう言いたかったのですが、夫妻そろって私をにらんでいるものですから、つい気弱にも承諾し、仕度をして陣内家におもむきました。

 陣内家は、家というよりも、バラックあるいは掘立小屋に近い建物で、部屋はもちろん一つしかありません。見るとなるほど天井板から、猫の足がぶら下っています。その形や毛並からして、カロの足であることは、直ぐに判りました。足はぶら下ったまま、じっと動きません。老人の指はそれを差しました。

「早く処理して貰おう」

 カロを引出すのに、私は大汗をかきました。なにしろ足場は悪いし、天井板だってヘナヘナでしょう。あんな薄っぺらな天井では、カロが踏み破るのは当然の話です。やっと引下すとカロはすでに死んでいました。眼は白くなり、歯はむき出し、苦悶の表情がありありと見えました。鼠取りの毒団子でも食べたのだろうと思いますが、それにしても何故陣内家の天井に這(は)い込んだのか、その間の経緯(いきさつ)は一切不明です。こうしてカロは最後まで、私に迷惑をかけました。あるいはこんなところで死んだのも、私への厭がらせだったかも知れません。

 カロの死骸は即座に引取って、庭の一隅に埋葬いたしました。

 翌朝、陣内家より、ツケが廻って来ました。見ると天井板破損料三百円、慰籍(いしゃ)料二人前八百円、などと書いてあります。慰籍料というのは、猫の足を見て驚愕したり、不快を感じたりしたことの慰籍らしいのです。一人当り四百円ずつ、驚愕や不快を感じたのでしょう。いい加減なことを言うなと黙殺するつもりだったのですが、翌日から老夫人がやって来て、玄関で坐り込み戦術に出たものですから、とうとう私も根負けして、千百円持って行かれてしまいました。折角貴方から頂いた猫でしたけれども、おかげで私は大損害を蒙ったわけです。と申しても、別段貴方に弁償して呉れと言うのではありません。行きがかり上、事の次第を御報告申し上げたまでです。まことにひねくれた迷惑な猫でありました。

 これでもう生き物を飼うのは止そう。しみじみとそう決心したのですが、面白いもんですねえ、カロ死亡の翌々日の昼頃、見知らぬ黒斑(くろまだら)の猫が垣根をくぐり、ニヤアと鳴きながら、縁側にのそのそと上って参りました。そして私の傍にすり寄り、咽喉(のど)をぐるぐる鳴らしたり、背中をすり寄せたり、媚(こ)びるような、妙に慣れ慣れしい態度をとるのです。私はしばらく見て見ぬふりをし、相手にならないでいたのですが、いつまで経っても立ち去る気配がない。だんだん気味が悪くなって参りました。カロの怨霊(おんりょう)がついているのではないかと思ったからです。ついにその猫が、図々しくも私の膝の上に這(は)い上ろうとしたものですから、ついに私もたまりかねて蠅叩きを握り、頭や胴体をピシピシ殴り、あわてて庭に飛び降りたところを、私も足袋(たび)はだしで飛び降り、追っかけに追っかけて殴りつけました。猫は大狼狽して垣根にかけ上り、宙をふわっと飛ぶようにしてどこかに姿を消しました。

 するとその夕方、薄暗くなった庭の隅で、ピーコピーコという変な鳴き声が聞えるものですから、何だろうと庭に降りてみますと、なんとまたこれが猫の声なのです。生後一箇月ほどの猫が二匹、ピーコピーコと鳴き交しながら、縁側の方にそろそろと近づいて来るのです。ギョッとしましたな。大急ぎで両手で二匹の頸(くび)をつまみ上げ、陣内家の近くまで小走りに走って、そこらにぽいと投げ捨て、また小走りで家に戻って参りました。そして扉や雨戸をすっかりしめ、どこからも猫が入れないようにして、やっと大きな深呼吸をしました。どうしてこんなに次々に猫がやってきたのだろう。まさかカロの怨霊が、あちこちの猫に乗り移ったわけでもなかろうに、などとあれこれ考えている中、卒然として思い当るところがあり、私は思わず、はたと膝を打ちました。あの猫たちは、カロの死去を知り、その後釜(あとがま)に入ろうとしてやって来たのではないか。それに違いない。

 私が住んでいるこの界隈(かいわい)は、どういうわけか犬や猫がとても沢山いるのです。道を歩いているのも、うっかりすると人間よりも犬猫の方が多い位です。だから自然彼等の間に、一種の情報網みたいなものが発達していて、どこそこで猫が死んだから飼主が空いているとか、どこそこではもう一匹ぐらい飼いたい意志があるらしいとか、そんな風な情報が次から次へ伝わって行くのではないでしょうか。そうとでも考えなければ解釈がつきません。つまりさっきの黒斑猫と仔猫たちは、私に飼って貰おうと思って、お目見えに来たに違いないのです。

 ところが今書きましたように、私がむげに彼等を追い返したものですから、どうもあそこは猫はダメらしいという情報が、近所の猫界一般に散らばったらしいのです。猫の来訪は翌日からピッタリと途絶えましたが、その代りに今度は犬がやって来たのです。猫がダメなら犬ならどうだというつもりなのでしょう。それはなかなか堂々たる体格の犬でした。私は犬については、ほとんど知識はありませんが、見たところどうも純血種ではなく、雑種らしいのです。どこかセパードにも似ているし、秋田犬みたいなところもあるし、またブルドッグ的要素もあるし、テリヤのような風情(ふぜい)も持っておるし、どう見ても純血という柄ではありません。この犬がいつの間にか、私の家の縁の下に住みついてしまったのです。猫と異って、犬の宿所は戸外ですから、つい気が付かなかったのですが、私の家に押売りがやって来る度に、庭をかけて来て咆(ほ)え立てる犬がいる。なかなか感心なような、またお節介なような犬がいるものだ、と思って注意して見ますと、私にピョコピョコと尾を振って、それから縁の下にごそごそと這い込む。縁の下に何があるのかとのぞいて見て、驚きましたな。ちゃんとそこに巣がつくってあるのです。巣と言っても、わらむしろを一枚地べたに敷いただけ。そしてどういうつもりか、お釜敷きに似た五寸四方の木箱を置いてある。犬はむしろに長長と寝そべり、顎をだらしなく木箱に乗せ、私の顔を斜めに見上げながら、これは私の眼の錯覚だったかも知れませんが、ニコニコと愛想笑いをしたようです。うんざりしましたよ。むしろも木箱も、どこからかくわえ込んで来たものに違いありません。しかし、主人に相談もなく巣をつくるなんて、なんと横着な犬でしょう。よっぽど棍棒(こんぼう)をふるって追い出そうと思ったのですが、猫と違って、押売りには咆え立てるし、夜の用心にもなるし、と思い返して、追い出すのだけは許してやりました。つまり黙認することにしたわけです。これはあくまで黙認であって、飼犬としてのアグレマンを与えたわけではありませんが、一応名前だけはエスとつけてやりました。ところがエスの方では、名前を付けられたからには、主従の契約が成立したと思ったらしく、来る人来る人に咆えついて、大いに忠節を尽し始めました。

[やぶちゃん注:「セパード」shepherd。シェパード。

「アグレマン」はフランス語の“Agrément”で、外交用語の一つ。フランス語で「同意」「承認」「承諾」の意。具体的には国家が外交使節の長(大使若しくは在外公館の長としての特命全権公使)を派遣する際して予め事前に相手国に外交官待遇の「同意(アグレマン)」があることを確認することは、「ウィーン条約」(一九六一年四月十八日締結。日本では一九六四年七月八日から効力発生)以前からの国際慣習法として認知されていた。]

 私の家にも、日に四人や五人の来訪者があります。来訪者は勘定取りや集金人、押売りに税務吏員のたぐいで、おおむね私に不利益や損害をもたらす客ばかりなのです。ことにここらは押売りが多いところで、日によっては応接の暇[やぶちゃん注:「いとま」。]もないほどやって来ます。ふしぎなことに、彼等が持って来るのは必ずゴム紐(ひも)ばかりで、他の品物は何も特っていない。日本のどこかに、よほど大規模なゴム紐製造工場でもあるのでしょうか。言い合わせたようにゴム紐一点張りで、一々買い取っていた日には、家中ゴム紐ばかりになってしまうでしょう。売品は一律ですが、しかし彼等の押売りの態度は千差万別です。脅迫型。泣落し型。無口型。シャベリ型。いろいろですねえ。それに対して私の方は、睨み返し型かニコニコ型、この両方を適宜に使って、御引取り願うことにしています。

[やぶちゃん注:「ゴム紐」の押し売りは私の記憶では、小学校二年、昭和三九(一九六四)年に今のこの家に来たのが最後だったように記憶している。それは押し売りと言うよりはボロボロの服で乞食と呼ぶべき風体であった。母はゴム紐はいらない、と言って十円渡していたのを覚えている。]

 此の間やって来たのは、新手の証明書型というやつでした。中肉中背のがっしりした男で、いきなり身分証明書みたいなものを突きつける。しゃがれた低い声で、柔道で、身体をいためて、余儀なくこんなことをしている、決して乞食ではない、だからこのゴム紐を買って呉れ、そんな意味のことをぶつぶつしゃべるのです。しゃべるだけしゃべらして、相手が黙ったところを、私はニコニコして、

「ああ、間に合ってますな」

 と言いました。するとその男は、じろりと私をにらみつけ、急にすごい声を出しました。ここらが彼の演出の眼目なのでしょう。

「その前に何か言うことがあるだろう!」

 そうあっさり断らずに、何か同情の言葉でもかけろ、と言うつもりらしいのです。ところが私が相変らずニコニコしているものですから、そいつは拍子抜けしたように、なにか捨台辞(すてぜりふ)を残して、がちゃんと扉をしめて出て行きました。このニコニコ笑いが中々むつかしいのです。これがニヤニヤ笑いだと、かえって相手を刺戟して、悪い結果にならないとは保証出来ません。空気の如く透明な、白痴の如く純粋な、そんな笑い方なのです。よほどの人物でなければ、私のようなニコニコ笑いは出来ません。

 こんなのもいました。私が玄関に出て行くと、丁度(ちょうど)侍が刀の柄(つか)に手をかけたような恰好で、そいつが立っています。私の顔を見るなり、大刀を引っこ抜くといった型で、脇の下から、ゴム紐をさっと引っぱり出しました。なかなか鮮かな型で、私は内心すっかり感心しました。

「さあ、これを買わねえか」

 こういう派手なのに対しては、睨み返しが最も有効なのです。睨み返しといっても、別段睨むのではありません。仮面のように無表情になって、相手をひたすら眺めるという方法なのです。いささかの表情を浮べてもいけないのです。ここらのかね合いが、至極むつかしい。派手な切出し方をした奴に限って、この手を使用すると、相手は力の入れ場がなくなり、すっかり困ってしまうらしいのです。

 この二つの型は、押売りに対してだけでなく、あらゆる人物や事象に対しても割に有効ですので、私は交互に使用することに決めています。

 ゴム紐をほうり投げるようにして、玄関の板の間にずり上って来る奴もいますし、涙ぐんでしょぼしょぼ頭を下げるばかりのもいます。押売りの外には、暴力クズ屋がいます。いきなり庭に入って来て、黙ってそこらを物色する。縁の下から空瓶を勝手に持って行ったりするのです。これは押売りよりも苦手ですね。

「クズ物はないよ」

 と言っても、

「あるじゃねえか」

 とすご味を利(き)かせて、台所口や裏庭まで廻り、探して持って行くのです。十五六歳ぐらいの少女たちが、六七人組になって、そんな具合にやって来るのがいます。てんでに庭に乱入して、縁の下だの風呂場などを探し廻るのです。いつかなどはその一人が、土足のまま台所へずり上って来たものですから、流石(さすが)の私もニコニコ笑いでは済まされず、捕えてやろうとヤッと懸声(かけごえ)をかけて飛びつきましたら、キヤツと悲鳴を上げ、大いに身悶(もだ)えをし、ついに私を振り切って、仲間ともども一目散に遁走(とんそう)して行きました。女ながら相当に腕力もあったようです。抱きしめた感じでは、肩や胸あたりももうムチムチと肉がついて、少女の域をすでに脱しているような感じでした。まあこんな具合にいろいろなのがやって参りますが、貴方のような考え方に従えば、これも政治が悪いということになるのでしょうねえ。

 こういう悪者たちが、エスが縁の下に寓居(ぐうきょ)するようになって以来、あまり来訪して来なくなったようです。もちろんエスが懸命に咆え立てるからです。門を入って来る人影があると、エスはすばやく縁の下から這い出して、低くうなりながら、手負猪(ておいじし)のように猛り立って走ってゆく。すると人影はくるりと廻れ右して、あわてて門の外に出て行きます。一体に彼等は犬を大の苦手とするらしいのです。人間を怖がらずに犬を怖がるというのが、彼等に共通な特色のようです。

 彼等が来訪するのはおおむね午後で、午後は大抵エスが在宅中ですから、彼等は門内には入れません。午前中は別です。午前中はエスはいないのです。なぜいないか、その間の事情は後段において申し述べることにいたします。

 

 こういう事情で、私はエスと主従の契約を結んだわけではないのですが、押売りや税務吏員を撃退して呉れる関係上、報酬として残飯などをエスの面桶(めんつう)(さっき書いた五寸四方の木箱のことです)に入れてやることになったのも、自然の人情と言えましょうか。エスは割に食物の好き嫌いはないようですが、ちょっと妙なところがあって、待ちかねたようにガツガツ食べる時と、面桶に入れてやってもそっぽ向く時と、二通りあるのです。そのことが先ず私の興味をひきました。

[やぶちゃん注:「面桶(めんつう)」「ツウ」は「槽」の唐音。本来は一人前宛(ずつ)飯を盛って配る曲げ物であったが、後には乞食の持つ物受けを指した。]

 それから注意して観察していますと、大体夕方の食事はガツガツと食べるが、昼間に与えるとあまり食べたがらない、ということがしだいに判って来ました。私は幼ない時から生物学者的素質がありまして、その方面で名を上げたいと志したこともあるほどですから、生物観察は得意なのです。しかし何故エスは昼間食慾がないか、この解釈は私ほどの才能を以てしてもなかなか難渋(なんじゅう)なことでした。太陽との関係かと一応の仮説は立ててみましたが、それもどうもおかしい。もぐらやミミズなら、知らず、陽が照っているからといって、犬の食慾が減退するとは、前代未聞のことです。私も時に酒を飲み、二日酔をすると、朝昼はどうしても食えず、やっと夕方になって食慾が出る。それと同じかとも思いましたが、犬が酒をたしなむ訳がないし、従って二日酔をするはずがありません。あるいか寄生虫のせいかも知れないぞと、なおも相変らず観察をつづけている中に、エスの生活に不思議な節(ふし)があるのを発見しました。それはエスの我が家に於ける在宅時間のことです。

 さっき書きましたように午前中はおおむねエスは縁の下にはいないのです。例外はありますが、大体十一時か正午頃、どこからともなくエスは姿をあらわして、ごそごそと縁の下にもぐり込むのです。そういう時に残飯を与えても、あまり見向きもしない。

 夕方食事を済ませ、エスはまた縁の下にもぐりこむ。しょっちゅうもぐり込んでいるわけではなく、時には散歩に出たり、メス犬を追っかけたりすることもあるようですが、生れつき出不精な犬と見え、ねぐらに寝そべっている時間の方が多いようです。午前中は大体どこに行っているのでしょう。

 ある夜のことです。私は街で酒を飲み、午前一時頃酔っぱらって家に戻って参りました。たいてい私の帰宅の折には、エスが門まで出迎えるのが常ですが、どうしたものかこの夜は出迎えない。ふしぎに思って庭に廻り、縁の下をのぞきながら、

「エス。エス」

 と呼んでみました。ところが返事が全然ありません。よく見ると、ねぐらの中にエスの姿はないのです。月光に照らされて面桶が一箇ころがっているだけ。正式に飼っているわけではないが、主家防護の任を忘れて夜道びに行くなんて、大それた犬だとその時は少々憤慨しましたな。

[やぶちゃん注:不審を抱く若い方のために言っておくと、昭和三十年代前半ぐらいまでは、純系種や大型犬でもない限り、犬を鎖に繋いでおくのは、寧ろ少なかった。私の家の牡の柴犬の雑種のエルも小学校三年の時に病気で亡くなったが、夜になると、母が離していた。非常に大人しい犬で人に咬みつくことも、殆んど吠えることもなかったのだが、新聞屋さんの話によれば、二キロばかり離れた大船の市街地に下って行って、何匹もの野犬を引き連れ、隣り町の野犬集団と喧嘩して勝ち、親分になっていた、と後に聴いた。「1964年7月26日の僕の絵日記 43年前の今日 または 忘れ得ぬ人々17 エル」の一番下に在りし日のエルの写真(少年の私と)がある。]

 それから、その翌日から一週間ばかり、エスに気付かれないようにそっと注意していますと、次のようなことが大体判って来ました。すなわちエスは、昼間から夕方、それから日が暮れて午前零時頃まで、私の家の緑の下のねぐらにいます。零時を過ぎると、ねぐらからごそごそと這い出し、いずこへか姿をくらましてしまう。そして夜が明けて午前十一時か正午頃、何食わぬ顔で垣根をくぐって戻って来るのです。一体全体どこに遊びに行くのでしょう。

 エスの生活におけるこうした疑問が、ついに氷解する日が来ました。それはついこの間のことです。日曜日の朝のことでしたが、うらうらと好い天気で、もうそろそろ土筆(つくし)が出ているかも知れないと思い、私は近所の川べりに散歩に出かけたのです。すると向うから、犬を連れて歩いて来る男がいる。やはり散歩らしいのです。犬は嘻々(きき)[やぶちゃん注:「嘻」はママ。]として、草の芽を嗅いだり、片足あげてオシッコをしたり、じゃれ廻りながらついて歩いていましたが、だんだん近づいて見て、すっかり驚きましたな。それがエスだったのです。

 エスは私の顔をちらと見ました。そして立ち止って、ちょっと困ったような顔をしました。ところが先を歩いていたその男が、

「ジョン!」

 と呼んだものですから、エスは眩しげに視線を外(そ)らし、尻尾をピョコピョコ振って、その男の方に走って行きました。私は手にしていた土筆の束を、思わず取落していましたよ。どうも変だ変だと思っていたら、エスはよその家とかけもちで飼われていたんですな。

 その男は、私も顔だけは知っています。私の家から一町[やぶちゃん注:一〇九メートル。]ばかり離れたところに住んでいる大沼という男で、都庁かどこかの課長を勤めているという話です。四十がらみの、いかにも役人らしいこせこせした顔付の男で、私はあまり好きそうになれません。エスはこの大沼家ではジョンと呼ばれているのです。

 それからだんだん調べたところによると、エスは午前零時から正午頃まで、大沼家の犬小屋に住み、大沼家を守護しているらしいのです。朝食は大沼家で支給される。あとの半日は私の家で過し、そして夕飯を私から支給される。どうしてこういう生活態度をエスが選んだのか、これは私の推定ですけれども、大沼という男は大層ケチンボで、犬に対しても朝飯だけしか食わせないらしいのです。犬というやつはもともと大食いだし、一日一食ではとても足りないでしょう。そこでエスは、最低の食生活を確保する必要上、どうしてももう一軒飼主を見付けねばならなかった。ところが偶然私の家ではカロが死に、アキが出来たというので、強引に入りこんで来たらしいのです。この数箇月間、ジョンとエスの二つの名を使い分けて生活して来たところなど、やはり相当なやつですな。

 この食生活が原因だという私の推定は、おおむね当っているでしょう。まあ人間生活においても、生活の大ざっぱな基準は衣食住ということになりますが、『衣』の方は犬には必要がない。生れながらにして毛皮が具(そな)わっているからです。それから『住』という点では、私の縁の下に来ないでも、大沼家のでちゃんと間に合う。この間私は大沼家の塀の節穴から、そっとのぞいて見たのですが、ここの犬小屋はなかなか立派です。縁の下と異って[やぶちゃん注:「ちがって」。]、ちゃんとした独立家屋なのです。内には柔かそうなワラまで敷いてあります。何を好んでじめじめした縁の下にやって来る必要がありましょうか。

 大沼夫婦はその時、庭の草むしりをしていました。私からのぞかれているとは露(つゆ)知らないものですから、草をむしりながら大きな声を出して、夫婦喧嘩をしていました。

「なんだ。最初から亭主の労働力を予定して買うなんて、そんなムチャな話があるか。俺に一言の相談もせず!」

 これは大沼の声です。すると夫人が、

「だって、もともとそんな具合に出来てるんですよ。夫婦の間柄だから、その位のことして下さってもいいじゃないの!」

「してやらないとは言わん。しかし何故、一応俺に相談しないんだっ!」

「判りもしない癖に、相談出来ますか!」

 二人とも口争いに亢奮して、草花を雑草と間違えて引っこ技き、あわてて植え直したりしていました。なんでも大沼夫人がワンピースの服を買ったらしいのですが、その女唐(めとう)服というのが、背中に縦にずらずらとボタンがついているやつで、着たり脱いだりする時、誰か他人手(ひとで)を借りなければボタンのはめ外(はず)しが出来ない式のものらしいのです。大沼が怒っているのは、そのはめ外しの役目を亭主を想定している、相談なくして亭主を働かせようと企んだ、その点なのです。聞いている中に、私は笑いがこみ上げそうになって来たものですから、あわてて節穴から離れました。大沼夫人というのは、小柄ながら風船玉みたいに肥った、ガラガラ声の女性です。ここら界隈の女の中では、その体軀[やぶちゃん注:「たいく」。]と弁舌によって、ウルサ型に属する傑物なのです。

[やぶちゃん注:「女唐(めとう)服」洋装婦人服。明治一四(一九八一)年には「女唐服屋(めとうふくや)」と呼ばれた婦人服専門の職人が登場していた。]

 まあこう言った具合で、エスの二重生活の原因は食生活にあり、と推定したわけです。でも、それならばそれでよろしい。一日に面桶一ぱいの残飯でもって、押売りや税務役人を撃退出来れば、私としてはむしろ得してることになるでしょう。そう思ってエスの存在を容認していたのですが、必ずしもそうでない事情が持ち上ったのです。それは昨日のことでした。

 昨日の午後です。私が茶の間に寝ころんで、ラジオを聞いていますと、庭先の方で、

「ごめんください。ごめんください」

 と言う女の声がしました。オヤとばかり私は起き直りました。来訪者らしいのに、エスが全然咆え立てなかったからです。変だなと思って縁側に出て行くと、そこに立っているのはまさしく大沼夫人でした。これではエスが咆(ほ)えないのも当然です。私は訊ねました。

「何か御用ですか?」

「ええ、ええ。ひとつ御相談したいことがありましてね」

 ガラガラ声ながら、どこか険を含んだ声音です。私は急いで座布団を出し、縁側に腰をおろして貰いました。見ると夫人は黒っぽいワンピースを着ています。縁に斜めに腰かけている関係上、その背中がすっかり見えるのです。背中の一番上から腰のあたりまで、まがい真珠のボタンが、縦に一列ずらずらと並んでいます。ボタンの数は三十ほどもありましょうか。これじゃ大沼亭主の苦労も察せられますな。私は思わず笑いがむずむずとこみ上げて来て、それを押えるのに苦労しました。

[やぶちゃん注:太字「まがい」は底本では傍点「ヽ」。]

「まあ図々しい」

 夫人がふっとひとりごとを言いました。彼女はさっきから、ちらちらと横目で縁の下のエスの方を見ていたのです。庭先に入って来た時から気にしていた風なのです。

「あのお釜敷きも、あたしんちのだわ。いつの間にくわえて行つたんだろ」

 面桶のことを言っているらしいのですが、私は聞えない

ふりをして、おもむろに訊ねました。

「さて、どういう御用件でございましょう?」

「ジョンの注射代ですよ」

 と夫人はぐいと顔をねじ向け、切口上で言いました。

「ジョンの注射を昨日済ませましたからね、半額お宅で受持っていただきたいのよ」

「ジョン?」

 と私はわざと訝しげな表情をこさえました。

「ジョンというのは、何ですか?」

「何ですかって、そこに坐っているじゃありませんか」

 夫人は憤然とした面もちで、エスの方を指差しました。するとエスはのそのそと縁の下から這い出し、柿の木の根元にうなだれて坐りました。自分のことが問題になっている、それも風向きのいい間題ではないということを、動物的直観力で悟ったのでしょうな。うなだれながら、時々ちらちらとこちらをぬすみ見しているようです。

「半分はお宅で飼ってるんでしょ。注射代半分持つのは、あたり前じゃないの」

「僕はこの犬を別段飼ってるわけじゃありませんよ」

 と僕は抗弁しました。

「エスが勝手に住みついたんですよ。当方に責任はありません」

「そら、今、エスと言ったじゃありませんか」

 と夫人は言いつのりました。

「名前をつけたということは、飼ったということですよ。飼わなきゃ、何で名前なんかつけるんです?」

「いや、僕は昔から、犬はどの犬でも全部エスと呼ぶことに決めてるんです」

「そんな弁解は通りません!」

 そして夫人は縁側をピシャリと叩きました。

「じゃお宅はジョンに、食事なんか全然与えてないのね」

「ええ。でも残飯なんかを捨てると、勝手に食べているようですが……」

「まあ、なんて図々しい言い方でしょう」

 夫人の眉の根がぐいとふくらんだようです。そこら辺の静脈が怒張したんでしょうな。私としても、何も夫人を怒らせたい気持はないのですが、ここで折れると注射代を半分持たねばならないので、必死です。

「大沼はね、初め誘拐罪であなたを訴えるとまで言ってましたのよ。それなのに――」

「誘拐なんかするものですか。こんな薄汚ない犬」

「薄汚なくてはばかり様。これでも三千円出して買ったんですからね」

 こんな見っともない論争が、二十分ほども続いたでしょうか。最後に大沼夫人は、きっと首をふり立てて、宣言するように言いました。

「じゃ、よござんす。どうしてもお払いにならなければ、明日からあたしはここに坐り込みます」

 ギョッとしましたな。きっとあの陣内老人が、あそこの家は坐り込めば金が出る、なんてしゃべったに違いありません。そうでもなければ、大沼夫人が坐り込み戦術を考えつく筈がありません。

 私は今この手紙を茶の間で書いているのですが、縁側には大沼夫人が、手弁当持参で今朝からでんと坐り込んでいるのです。全くうんざりします。僕はもともと気が弱いたちですから、明日にもなれば根負けして、前の陣内老人の場合と同じく、結局注射代半分を大沼夫人に持って行かれることになるでしょう。注射代それ自身はさほど高くはないのですが、エスをうちの飼犬だと認めると、やれ首輪買ったから半分出せとか、人にかみついたから慰籍料を半分持てとか、いろいろ言って来るにきまっているのです。大沼夫人とはそういう女性だと、近所でも評判なのですから。

 それともう一つ。陣内老人がせっせと作っているうちの庭の畠を、エスが遠慮なく踏みつけたり掘り返したりするものですから、いつか老人が文句をつけに来たことがあるのです。その時は、これはうちの犬ではないの一点張りで、お帰りを願ったのですが、ここでうちの犬だと認めれば、大沼夫人が陣内老人にその旨をしゃべるにきまっています。そうすれば二三日中に、作物荒しの弁償をしろと、陣内老人が勢いこんで拙宅に乗り込んで来ることは、火を見るより明かなことです。あれやこれやを考え、行く末を思いやると、眼の先がまっくらになるような気がいたします。

 以上、とりとめもなく近況御報告申し上げましたが、このような事情でございますので、拝借の金子返却の儀、もう暫(しばら)く待っていただけませんでしょうか。いえ、踏み倒そうという気持は毛頭ございません。しょっちゅう気にはかけておりますものの、生来の貧乏性、なかなか金策のめどがつかず、心ならずも不義理を重ねておる次第でございます。事情御諒承の上御寛容下さらば、欣快(きんかい)これに過ぐるものはございません。先ずはお詫びかたがた近況御報告まで。

 貴下の隆盛と万福を切に祈りつつ。草々不一。

[やぶちゃん注:「欣快」非常に嬉しいこと。喜び。]

 

 

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