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2020/09/20

ブログ1,420,000アクセス突破記念 梅崎春生 故郷の客

 

[やぶちゃん注:昭和二五(一九五〇)年一月号『世界』初出。後、作品集「黒い花」(同年十一月月曜書房刊)に収録。

 傍点「ヽ」は太字に代えた。一部に注を附した。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来(このブログ「Blog鬼火~日々の迷走」開始自体はその前年の200576日)、本ブログがつい数分前、1,420,000アクセスを突破した記念として公開する【2020920日 藪野直史】]

 

   故 郷 の 客

 

 こんど僕が帰郷したのも、故郷にある家族をまとめて、上京の手筈をつけるのが、第一の目的だった。こんな時代だから、いっしょに東京で生活する方が都合いいに決っていたし、たとい故郷とはいえ、ばらばらに離れ住むのも意味ないことに思えた。そうだ。実のところ、生れ育ったこの故郷も、僕の胸のなかでは、今かんがえると、ほとんど意味をなくしかけていたんだと思う。自分に故郷があること、それすら、僕にはなにか滑稽なことに思えたし、また幾分小うるさい感じでもあったのだ。家族を引きあげるきっかけも、ひとつはそこにあったんだが。

 とにかく僕らは三四日かかって、家財一切の荷づくりに従事した。家財と称するほどの品物もないのだが、しかし無いように見えても、いざ荷につくって見ると、相当のかさになるものだ。もっとも荷物の大部分は、いろんながらくたで占められていたのだが。生活に直接必要でないものは、人にやるなり売るなりするように、僕はなんども注意したのだが、家人にしてみれば、共に住みついた道具類を手離すことは、わけなく辛いらしいのだね。つまらない軸物や、使い古した噴霧器のたぐいまで、荷づくりしようとするのだ。そのために僕らは、小さないさかいを、幾度か起しかけた。

 やっとのことで、一切を鉄道の小荷物に托すと、同時に家人も上京させた。僕ひとり残った訳だ。久しぶりに見る故郷だし、この度で実際上の縁も切れて、又いつ来れるとも判らないことだから、あちこちゆっくり眺めて置きたかったし、昔の友達にも逢って行こうとも思ったのだ。家人と荷物を東京へ送り出すと、急にその思いが強くなった。

 僕は反対行きの汽車に乗って、すぐ近くの都市の駅で降りた。この都市は、この九州でも、相当大きな街なのだ。この街で僕は生れ、育ち、中学校を卒栗したんだ。僕にとっては、いろいろと思い出もある、なつかしい故郷の街である筈(はず)だった。

 古風な建築の駅に降り立ち、トランクを下げたまま、僕はぶらぶらと街にあゆみ入った。どこを訪ねるというあてもなく、ただ足の向くままに、そこらを歩き廻ったのだ。そう。二三時間も、ぶらぶらと歩き廻ったかしら。

 そしてそこで、僕は自分のなつかしさを満足させただろうか。いや、そういう訳には行かなかった。時間が経つにつれて、へんに物憂(う)い疲労が、しだいに胸にかぶさってくるのを、僕は感じ姶めた。それは何とも言えないダルな心の状態だった。どこかぴったりしない。どことなくしっくりしない。何故だろう。何故だろう。胸の中でいらいらと呟(つぶや)きながら、僕は街から街へ、旅人のように歩いていた。そうだ。疲れた旅人のように。

 東京に住んでいる眼から見ても、この街はかなり原色的だった。南国の陽の色のせいもあるだろうな。建物や立看板の色。それが戦争前の、僕が知ってるこの街の感じとは、どこか少し違うのだ。建物のひとつひとつには、これは何銀行、これは何々ビルと、記億ははっきりあるのだが、それらが構成する街のたたずまいは、僕の感じを妙に隔ててくるのだ。歩いている小路の名も、横切った交叉点の名も、渡った橋の名も、思い出すまでもなく知っているのに、どことなくしっくりしない。異郷をあるいてるような感じなんだ。記億と現実が、どこかでずれ合って、二重うつしになっている。それは僕をやわらかに融けこませる代りに、ひややかに突離す気配を含んでいるのだ。僕はなおも歩いた。これが、故郷の街か。このよそよそしい、親しみにくい、原色的な街が。

 やがて僕は神経がいらだち、またひどく疲れ、とぼとぼと駅の方角に戻り始めた。戻りながら始めて、今の自分の疲労が、見知らぬ街を歩いた旅人の疲れと、同質なものであることに気がついたんだ。もうこの街と、僕の感情を、現在にむすびつけるものは何もない。そういう悔恨に似た感情が、にぶく僕の全身を押しつけてきた。

 古旗という男と逢ったのも、そういう状態のときだった。駅の待合室に腰をおろし、僕は疲れた四肢をやすめながら、汽笛の音を聞いたり、出入りする人々の姿をぼんやり眺めていた。荷物を東京に送り出したことなど、ずっと昔のことのように思えた。頽(くず)れた旅情が僕を充たしていた。――そしてふと僕は、僕の前にかけている男の姿に眼を止めたんだ。どこかで見たことのある顔だ、と直ぐ頭に来た。その男はベンチに浅く腰をかけ、両膝をきっちりとそろえて、蜜柑(みかん)をしきりに食べていた。うつむき加減の、その鼻や額のかたちに、僕の記億が突然はっきりよみがえった。

「古旗!」

 男は顔をあげた。僕を見た。そして妙な表情をした。なにか力(りき)んだような表情だった。僕であることが、判らないんじゃないか。そう思って、身体を乗り出そうとしたとたん、彼はかすれたような声を立てた。

「ああ。お前か」

 やはりそれは古旗だった。少し老(ふ)けた感じは加えていたが、広い額の輪郭や、張った耳たぶの形は、五年前とあまり変ってはいなかった。あの海兵団で、一緒にくらした頃の顔かたちと。

 さっきも書いたような気分の状態だったから、僕は特に人なつかしい気特になっていたに違いない。少しばかりいそいそと立ち上って、僕は古旗のそばに席をうつした。そしていろいろと、話しかけ始めたのだ。まるで、逢いたいと思ってた人間に、やっとめぐり会えたような調子で。

 ところが僕のこの状態も、今思えば、物憂い疲れの反動としての、あぶくみたいな心のはずみだったのだな。実を言えば、古旗という男のことを、終戦後僕は、ほとんど想い出していなかったのだから。ここで逢いさえしなければ、或いは一生、僕の脳裡にこの男のことは、よみがえらなかったかも知れない。――そして、僕がその時別の心の状態にあったなら、今思えば、古旗と認めながら、見て見ぬふりをして、そっと立ち去ったかも知れないのだ。

 僕のはずんだ話しかけに、古旗はすこしずつ受け答えた。始めはなんだかはっきりしない、張りのない受け答えだったが、だんだん調子を取りもどしてくるように見えた。そしてむこうからも、僕の近況を訊(たず)ねたりしてきた。五年の歳月をおいて、白けた状態がすこしずつ埋ってくる感じだった。やがて僕らは割と自然に、海兵団当時のように、「おれ」「お前」の呼称で言葉をかわしていた。

 古旗の話によると、彼は今、この都市からちょっと離れた郊外の海岸に住んでいるらしかった。小学生の頃、しばしばそこらに遊びに行ってたから、僕はその辺のことをよく知っていた。海の水のきれいな、景色のいい海岸だった。その部落の名を耳にした時、僕はひどくなつかしい気がした。忘れていた童謡の一節を、思い出したような気がした。

「ああ、あそこは景色のいいところだ。も一度行って見たいよ」

「景色なんか、良かないさ」

 投げ出すような口調で、古旗は答えた。そして、蜜柑の食べかすを、まとめてベンチの下に入れながら、今からどうするつもりだ、と僕に訊ねた。僕もここで疲れを休めてはいるものの、はっきりした予定はなかったのだ。

「雲仙(うんぜん)にでも登ろうかとも考えているんだ。あそこには、まだ行ったことはないのでね」

「雲仙?」

 時間表を見上げて、古旗は一寸首をふった。なにか老成した仕草だった。変にそぐわない感じを、それは僕にあたえた。

「今からじゃ、連絡がわるいよ。一晩ここに泊って、明朝出直したがいい」

「この街に泊るのは、なんだか厭(いや)なんだよ、おれは」

 つい僕は本音(ほんね)を言った。

 古旗はちょっと訝(いぶか)しそうな顔をしたが、別段なにも問い返さなかった。時刻も夕方に近かった。窓から入るよごれた斜陽が、待合室の塵埃(じない)を縞(しま)に浮き上らせていた。それを眺めていた古旗が、ふと顔を上げた。

「おれんとこに泊ってもいいよ、なんだったら」

 そして取ってつけたように、つけ加えた。

「戦友だからな、とにかく」

 古旗はへんな笑いを頰に貼りつけていた。ぎくしゃくしたような笑いだった。こんな笑い方は、昔の古旗は絶対にしなかった。

 こういういきさつで、僕は古旗の家に一晩泊めてもらうことになった。どこへ泊るというあてもなかったし、どこへ泊っても同じことだったから。古旗の誘いを拒む因子も、その時の僕には別段なかったのだから――やがて汽車が来て、僕らはそれに乗った。古旗の家まで、汽車で二駅ほどあるのだ。

 ふしぎなことだが、泊めて貰うと決ってから、僕は古旗にたいして、何にも話題がなくなったことに気が付いた。何も話しかけることがないのだ。満員だったから、汽車のデッキに立って僕は黙って外の景色を眺めてばかりいた。あてはなかったと言うものの、つい古旗の家に泊る気になったのは、すこし、軽はずみではなかったか。そんなことを僕は考えた。古旗が僕を誘ったのも、単に儀礼的なそれで、ほんとは泊めたくはなかったのかも知れない。そう言えば久しぶりに会ったにしては、古旗はあまりはずんで来なかったようだ。どこか白々(しらじら)しいところを残している。それがしだいに僕には気になってきた。

 久しぶりと言ったって、考えて見ると、僕と古旗とは五年半前に、ただの二十日間、海兵団で同じ生活をしただけの間柄なんだ。それ以前も相知らなかったし、その後もめぐり逢うこともなかった。ほとんど忘れてさえいたんだ。長い人生から言えば、道ですれ違った程度の関係と、あまり変らないと言えるのだ。

 しかしまた、別の意味からすれば、あの二十日間は、僕らにとって何年という長さに匹敵したとも言える。なにしろ令状一本で引っぱられ、軍隊のことは西も東もわからない連中が、海兵団にひとまとめにされて、いきなりピシピシいためつけられた二十日間だったのだから。規律も風習もちがう異質の世界に、僕らは裸で入って行ったようなものだった。

 だからこそ、僕らはすぐ緊密に結び合ったんだ。裸の雛(ひな)がよりそうように。生れも育ちもちがう応召者たちが、個人差をこえて結び合えたのも、今思うと、共同防衛という生物本能が強く働いたに違いない。軍隊というところは、明かに不合理な生活の強制なのだから。もちろんその結び合いにも、個々を探れば、微妙な濃淡はあった。奴隷(どれい)には団結はないが、奴隷から食(は)み出した部分で、僕らはつながっていた訳だ。そしてその結び合いを、僕はときどき、古くからの友情と錯覚したりしたものだが。

 古旗との結びつきも、そうなんだ。古旗は僕と同年配だった。その頃三十前後だった。体軀はそう立派でなかった。もっとも皆、丙種国民兵というやつだからな。しかし同輩にくらべても、古旗の身体は弱々しい感じだった。船会社の事務をとっていたと言うのだが、広い額やせまった眉が、この男の感受性のするどさを、どこか見せているようだった。班内でも、割とはきはきした口をきく方だったし、率直(そっちょく)な性格と思われた。この年配になると、人間は大てい生活のよごれを身につけてくるものだが、彼にはその翳(かげ)が少なかった。

 僕の記臆では、あの隊内で、一番先になぐられたのが、古旗だったのだ。入団の翌朝のことだった。

 前の晩に、海軍生活の基本として、僕らは吊床の操作を教えこまれたのだ。それから寝に入り、慣れない寝ぐるしい一夜がすぎた。翌朝、夜のしらじら明けに、甲板下士官が見廻りにきて、大声でどなった。

「誰だ。総員起しの前に、吊床をくくってる奴は」

 僕はその声で眼をさました。のぞいてみると、吊床をくくっていたものは、五六人もいるらしい。あわてて繩を解いて、中にもぐり込もうとしているようだ。そして一番通路側にいた古旗が、不運にも、甲板下士にとっつかまった様子だ。古旗はデッキに立って、きょとんとしていた。そして言った。

「何故、吊床をくくっては、いけないのですか」

 この質間は、間がぬけている。しかしその当時は、僕にも判らなかったんだ。起床ラッパが鳴って、それでも吊床を上げないと言うのなら、叱られる理由にもなるが、これはその反対なのだ。朝早く眼をさまして、寝具を上げることが、なぜ悪いことなのか。眼をさましているのに、寝床にぐずぐずしているのは、今までの生活では怠惰(たいだ)という悪徳だった。なにっ、と下士官は怒った。

「入団早々、ずるけることを考えやがって」

 棒で尻をうたれたのは、だから、古旗だけだった。あとの奴は、要領よく、吊床にもぐりこんでしまった。悲壮な顔をして、古旗は棒をうけた。殴られながらも、ずるける、という意味が、彼にはよく判らなかったに違いない。僕にもその時判らなかったのだから。

 この事件が、不合理な生活の強制の、先駆だったと思う。僕らはあとで、食事休みか何かの時に、古旗の尻に薬をつけてやったりしたものだ。尻は赤黒く棒のあとを印していた。僕らは自分が特っている私物の薬を、全部出してもいい気持になっていた。最大限のなぐさめの言葉すら、僕らは彼に濫発(らんぱつ)した。結局それらの言葉で、僕らは僕ら自身をなぐさめていたに過ぎなかったが。

 僕らの結びつきは、このような感情の過剰な消費にも、多少は支えられていたようだ。だから、一緒に入団した同輩たちが、すこしずつまとめられて、他の配置にうつって行くと、つい先日顔見知りになったばかりなのに、別れの切なさが胸に湧いて、衣囊(いのう)の整理を手伝ってやったり、手帳に住所をせっせと控えておいたりするんだ。もう逢えないと思うのに、なぜ住所を書き取ったりしたのだろう。書き取っておかねば、一大事であるかのように。

 古旗の感情にも過剰な傾きはあったようだった。もともと人なつこい性質で、人の世話をするのは好きなたちらしく、そういう点ではこまめに動いた。同輩の受けもよかっただろうと思う。体力の弱さから来るマイナスを、そういうことでカヴァしているようだった。

 食糧運搬の作業をやらされたことがある。トラックで来た食糧を、烹炊所(ほうすいじょ)までかついで運ぶのだ。僕らのような者にとっては、ひとかたならぬ難事業だった。農村出身の者ならいざ知らず、重い物をかつぐ習慣のない僕らを、そんな使役(しえき)に出すのは、元来無理な話なんだ。かついだまま、一町ほども歩かねばならないのだ。

 米袋をかつがされて、真蒼になってよろめき歩いている古旗を、うしろから助けてやったことがある。その時僕のかついでいたのは茶が入った袋で、さほど重くなかった。だから余力もあったのだ。僕が左手で古旗の袋を助けてやると、古旗は汗にまみれた青い顔をむけて、ちょっと唇をうごかした。言葉も出ないような風だった。頭からぴょこんと飛び出した耳たぶが、黒っぽくよごれているのが、なか印象的だった。汗づく瞼のしたで、瞳だけが強く訴えるように、ぎらぎらと光っていた。

 そのような表情を、その後僕は、いろんな兵隊の顔に、何度も見た。強制された肉体の苦役(くえき)に堪える顔だ。反抗と諦(あきら)めとがない交(まじ)って、むなしく内側に折れこんだような表情だ。ある一定の条件におかれると、人間は皆同じ表情をするものだな。むろん僕自身も、自分で見る訳には行かなかったが、そんな表情を、終戦までに、何十度となく浮べたことだろう。――とにかく、体力が貧しいということは、この世界では、いろんな意味で決定的なことだったから。

 汽車のデッキに立ち、過ぎ行く夕方の景色を眺めながら、僕はいろんなことを、とりとめもなく考えていた。古旗はというと、やはり僕に並んで、背を扉にもたせ、黙りこくっていた。車輪の音が、すぐ足の下で、轟々(ごうごう)とひびいていた。僕はその時ふと、最後に古旗と別れた日のことを、紐をたぐるように思い出した。

(ああ、この襯衣(シャツ)だ!)

 思わず僕はそうつぶやいた。

 その二十日目に、僕は三十名ほどと一緒に、他の海兵団にうつされることになったのだ。出発準備のどさくさで、僕は自分の衣囊の中に、支給された襯衣が一枚足りないのを発見したんだ。大変だ、と僕はあわてた。一枚でも足りないと、どんな事になるか、もうその頃は僕も知っているのだから。僕はすっかりしょげて、青くなった。

 その時、自分の襯衣をもってきて、僕に押しつけたのが、この古旗だったのだ。僕は一応は辞退した。すると古旗は怒ったように、ますます押しつけた。

「馬鹿言え。むこうに行くと、すぐ衣囊点検があるぞ。持って行くんだ」

「だってそれじゃ、お前が困るだろう。いいよ」

「おれは残留だから、どうにでもなる。早くしろ。出発時刻だぞ」

 なにしろ時刻は迫っていた。僕は受取った。衣囊にしまって、あわてて駆け出した。いろんな感情で、身体がほてるような状態だった。米袋を助けてやった礼心にはすこし大きすぎた。――そして兵隊としての古旗との交渉は、これが最後だったのだ。

 その襯衣を終戦まで、僕は持って廻り、復員する時、持って帰ってきた。実はこの度の帰郷にも、下着としてそれを着ていたんだ。今時これを着ていると言うのも、貧乏で新しく買えないためでもあるが、この襯衣が昔出来の純綿で、ごく丈夫なせいでもあったのだ。

 そうだ、この襯衣は古旗から貰ったんだ。それが肌にあたる感触をたしかめながら、僕は古旗の顔を何となくぬすみ見ていた。気持が急速に彼に近づくのを、そしてその瞬間、僕はかんじていた。しかし、その近まりも、なにかしら不安定で、束の間に消えてしまいそうな感じだった。古旗の無表情な横顔が、僕の視野の端にあった。家まで押しかけて泊るという意識、話しかける話題がないという重さ、それらが一緒になり、漠然としたわだかまりとなって。旧知の海岸を見にゆく僕の心のはずみを、やはりにぶく押えつけてくるようだった。軽い悔いに、それは似ていた。

 しかしたかが一夜の宿を借るに、僕になにの悔いることがあったのだろう。僕は旅人というエゴイストなのだから!

 

 駅を降りて、古旗の家につく頃は、もう陽もすっかり落ちていた。そこら一帯を、磯くさい夜風が流れていた。小さな古い家だった。通された部屋の小さい床の間には、釣竿が大小束ねて立てかけられていた。電燈の光は黄色くすすけて、うす暗かった。

「おれは近頃、漁師なんだ」

 卓を対して坐ると、彼はそう言った。

「それで生計を立てているんだよ」

 会社の方は止めたのだ、と彼は口少なに説明した。

「復員してくると、会社も変な具合になっているしさ。皆、ばらばらだ」

 ばらばらという言葉を、彼は力をこめて発音した。嫌悪の念が、その語調に滲(にじ)んでるようだった。

「こうやって坐ってると、何だか変だな」

 と僕は言った。あの古旗が家を一軒もっていて、生活人としているということが、僕には変な感じだったのだ。妙に現実感がなかった。現実感がなくとも、彼は眼の前に坐っているんだからな。しかしあの海軍作業服を着ていた頃よりも、少し肉がついて、弱々しさがなくなったようだった。漁師をやっているというから、そのせいかも知れないと思った。でもやっぱり変だ。

「何が?」

「いや。向い合って見ると、別段話もないものだね」

「そんなものだよ」

 と古旗はかすかに笑った。電燈がうす暗いので、なんだか能面みたいな笑いだった。暫(しばら)くして彼は、ちょっと、と立ち上った。

 話すことは沢山ありそうな気分なんだが、いざ口に出す話題は、ほとんどなかった。でも、それが当然だろう。現在の環境もちがうし、過去の経歴もちがうし、共通したあの二十日間も、お互いの生活の属性をふり捨てたところで、ふれ合っただけなんだから。いわば扮装した俳優として、そこだけの約束で、舞台で出逢ったようなものだったんだ。だからこそあの期間を、僕らはこだわり無く結び合えたとも言えるのだが。

 やがて古旗が小さな壺を下げて、戻ってきた。

「手製だよ」

 それは焼酎(しょうちゅう)だった。濁りをすこしとどめていたが、舌ざわりはきつかった。ここらの部落は、半農半漁なので、こんなものも出来るのだろう。僕らは飲み始めた。

 僕らは少し酔った。酔うと舌もなめらかになり、会話もうまく流れてくるようになった。家族もろとも、東京に引きあげるいきさつを、僕は話していた。焼酎のなまぐさい匂いも、さほど気にならなくなった。古旗はときどきうなずきながら、干魚をつまんでいた。

「先刻、あの街に泊るのは厭(いや)だと言ったのは、どんな気特だね」

 僕はそれを説明しようとした。気持の核を摑めそうで、仲々うまく摑めなかった。僕はあれこれと言葉を重ねたようだ。

「言葉も厭だよ。あの方言は」と僕は言ったりした。「土地の厭らしさが、そっくり出てるよ」

「お前も使ってた訳だろう」

「そりゃそうさ。でも厭だな。今日歩いて見たんだが、街の感じもずいぶん変ったようだな」

「焼けたからね。焼け跡に、映画館がぞろぞろ建ったよ。戦争を境にして、なにか荒(すさ)んだようだ」

 古旗がいた船会社も、その街で焼けたということだった。

「しかしお前も、今度でここと、繫(つなが)りがなくなる訳だな」

「まあそうだね。そのせいかな、しっくりしないのも」

 古旗は咽喉(のど)の奥で笑ったようだった。

「異郷に異客となる、という言葉があるが、お前の場合は、故郷に異客となったようなもんだな」

 僕もわらった。うまく言いあてられたような気もしたからだ。しかし異客となることを、むしろ望んでたのではないかという思いが、その時ちらと僕の頭をかすめて通った。

 それから暫く、僕らはこの土地についての雑談を交した。おおむね悪口が多かった。古旗も時にはそれに和した。他の悪口を言いながら酒を飲むのは、気持を安易にするのに適当な方法だが、この夜もそんな具合に進行したようだった。ようやく酔いが発してきて、気持の抵抗がだんだん無くなってくるのを、僕はかんじた。先程からの、漠然としたわだかまりが、酔いと共に、胸から消えてゆくのが、はっきり判った。いつか僕はゆっくり肩を落して、盃(さかずき)をほしていた。

「しかしあの頃の連中で、あの街に住んでるのもいるんだろうな」

 悪口の果てに、僕はふとそんなことを思った。あの頃の住所や名前を控えた手帳を、僕はまだ保存しているのだが、こっちへは持ってこなかったんだ。古旗の住所もたぶん、それに書き取ってあった筈だ。住所をしらべて訪ねようというほどの気持も、僕にはなかったからだが、いま酔いの感傷も手伝って、借しい忘れ物をした感じにおちていた。

「逢って見たいな。も一度」

「こうしてると、お前ともだんだんぴったりしてくるな」

 と古旗が言った。彼の口調も、すこし舌たるく、早口な感じになってきた。それは妙に、五年前の古旗を感じさせた。酔いが声を若くするらしい。

「いろいろ思い出すよ。あの時のことを」

 そう言いながら、なにか確かめるような眼付に作って、僕の方をしきりに眺めた。広い額があかくなって、艶々しく光を弾(はじ)いていた。

「莨(たばこ)を一箱、分けてくれたことがあったな。あの時は、ほんとにたすかったよ」

「そんなことがあったかな」

「そら、ネッチング寄りの衣嚢棚でさ。お前のはそこだっただろう」[やぶちゃん注:「ネッチング」netting。海軍でハンモックをロープで縛り上げる動作を指すが、ここはそれを括り終えた後に収納する場所を指す。]

 彼に莨をやったことは、僕の記億に残っていなかった。しかしその言葉で、海兵団の甲板の風景が髣髴(ほうふつ)とうかんできた。[やぶちゃん注:「甲板」兵舎の廊下を言う海軍用語。]

 ふしぎなようだが、僕らはそれまで、ほとんど軍隊のことを話に上せていなかったんだ。海兵団で別れたあとのお互いの状況を、かんたんに訊ね合っただけで、詳(くわ)しいことは触れ合わないでいた。久し振りに逢った軍隊の仲間とは、時として、それに触れ合うのが大儀な気持になることはあるものだ。大儀? いや、それよりもっと深い、折れ曲った気分なのだが。古旗もその時は、強いて話したがらぬ様子だったんだ。駅の待合室で軍艦に乗っていたことを、彼は浮かぬ口調でもらしただけだった。

 しかし今は自然に、古旗が始めて殴(なぐ)られた話を、僕は持ち出していた。幾分ひやかす調子もあった。その後もぶたれたかい、と僕が訊(たず)ねたとき、古旗はうつむいたまま、掌をかるく盃にふれていた。何か考えてる風だった。

「そんなもんじゃなかったよ」

 暫くして彼は低声で言った。そして顔を上げると、早口で怒ったように話をついだ。

「島田というのがいただろう。四国から来た。艦がやられて総員退去のとき、あいつは鉄板にはさまれて動けなくなったんだ。両掌で鉄板を、しきりにたたいていたよ。血だらけになった掌で、いつまでも。いつまでもわめきながら」

 急に話し止めた。そして盃を一息にあおった。少し経って、また静かな声になって、思い直したように間いかけた。

「お前は内地勤務だったな」僕は侮辱されたような気がした。

「ずいぶん死んだのもいるわけだな」

 しかし僕は自分に言い聞かせるように答えていた。

「生きて帰ったやつも、ずいぶんいるよ。ここにも、二人」

 と言いながら、古旗はひきつったような笑い声をたてた。

「あの街にも、三人ほどいるよ。逢いたいかい」

「ああ、今なら逢いたい気もするな。そろそろ酔ってきたせいかな」

「雲仙に登るって言ってたな、お前」

 と古旗はつっぱなすように、

「あそこには、箱崎がいるよ。覚えてるだろう。箱崎屋という旅館をやっているんだ。寄って見るといい」

「昔の連中とも、時々は逢うのかね」と僕は訊ねた。

「いや」と古旗は笑いを浮べた。妙に惨めな感じのする笑いだった。「街で時々すれ違う程度だよ。わざわざ訪ねては行かん。すれ違っても、知らん振りをしたりする」

 白日の街を、旧友がそっぽ向きながらすれ違う状況が、僕の想像にやすやすと浮んできた。それは僕の気持に、なまぐさい程近接してきた。

「そういうこともあるだろうな。お互いにあれから、少し皮下脂肪をたくわえ過ぎたんだよ」

「いろんな事を思い出すのが、俺には厭なんだ。ほんとに厭なんだ」

 強い語気だった。古旗は光から顔をくらくそむけて、壺をかるく揺っていた。二人で相当飲んだから、もう残り少なになっていた。それを二人のに注ぎ分けながら、ちょっと間を置いて、彼は声を落してつぶやいた。

「――しかし、その癖、おれは時々、郷愁みたいなものを感じるんだよ、あの頃に」

「あの頃?」

 しかし古旗は、卓に掌を支えて、立ち上った。影が壁にゆらゆらと揺れた。

「も少し飲むか」

 もう充分だと思ったけれども、古旗は裏に降りて、また壺に満たしてきたらしい。あたりは静かになって、遠くからしずかな浪の音がきこえてきた。

 それから暫く、僕らはこの海岸のことなどを話し合いながら、新しい焼酎を飲んだ。そして僕らはすっかり酔った。何の話をしていたかも、うまく思い出せない。秋にしては、へんに生暖い夜だった。雨が来るんじゃないか、などと話したりしたようだ。雨が降ると雲仙もだめだろう、などと。僕は上衣を脱いで、しきりに何かしゃべっていた。どこで引っかけたのか、ワイシャツの釦(ボタン)がぶらぶらとれそうになっていて、無意識に指で千切ろうとした時、酔った意識にもふと、下に着た海軍襯衣のことがひらめいた。

「これはお前から貰ったやつだよ」

 釦を外して、胸をはだけながら、僕はたたいて見せた。襟(えり)が黒い筋になっていて、背中で釦をとめる。あの型の襯衣だ。洗いざらしになってはいるが、裏には、佐召水何号という兵籍番号と、古旗なにがしの名前が、墨色うすく残っている筈だ。古旗は眼を据えて、僕の胸を見た。僕はなにか、意地悪な気持になっていた。[やぶちゃん注:「襟(えり)が黒い筋になっていて、背中で釦をとめる」ネットでかなり探して見たが、画像がなく、どのような型式のシャツなのかは判らなかった。「佐召水何号」の「佐」は佐世保海兵団のことで、「召水」は召集水兵の略であろう。]

「いやなものを着ているな、今どき」

「お前が呉れたんだよ。覚えているだろう」

「じや戻して呉れ、おれに」

 酔いのため彼の眼は、糸みみずみたいな血管を浮かしていた。

「しかし内地勤務とは、楽をしたものだな。官給品もそっくり持って帰ったという訳だな」

「でもほとんど売りつくしたよ。残ってるのは、これだけさ」

 

「釦をかけろよ」と彼は掌をくねくねと振った。「その襯衣は、お前の顔に似合わんよ」

「そーでもないさ。昔は着てたんだから」

「昔は、そうだろう。でも、あまりいい恰好(かっこう)じゃなかったぜ、お互いに。――ちよっと脱いで、こちらによこせよ」

 僕はしかし釦をかけようとした。すると古旗は急に、こちらによこせと言って聞かなかった。へんにしつこい口調だった。

「これを脱ぐと、おれは寒い」

「代りのを出してやるよ。けちけちするな」

「じゃ、東京に着いたら、小包みにして送るよ。洗濯してな」

「それならもういいよ。小包みにしてまで、やりとりする代物(しろもの)じゃない」

 はき出すような口調だった。しかしこの襯衣を見て、彼はいろんなことを思い出したらしかった。

「その襯衣をうしろ前に着て、叱られた奴がいたな。何と言ったっけな。名前は忘れた。引率外出のときの演芸会で、そら、炭坑節をうたったやつ」

「そんなことがあったなあ。思い出すよ。まだ生きているかなあ。あんなのも」

「どこかに生きてるだろう。でも当人は、襯衣をうしろ前に着たことも、炭坑節をうたったことも、すっかり忘れてるかも知れん。みんな忘れてしまって、今どこかで、平凡に暮しているさ」

「何と言ったけな、あいつ」

 風貌はうかんでくるが、名前がうまく出てこなかった。酔うとよくある気特だが、それがひどく重大なことに思われて、思い出そうと僕は無意味な努力をしていた。

「当人が忘れているのに、おれたちが覚えてるとすれば、これも変なものだな」

「そういう事になるかな。順ぐりの指名だったから、お前もおれも歌った筈だな」

「忘れた。うたうような歌が、あの時あったかなあ」

 古旗はうしろに手をついて、眼を閉じていた。耳まであかくなっていた。そのままの姿勢で唐突に言った。

「おれが歌おうか」

「ああ、歌えよ」僕は反射的にこたえた。

 彼は身体を起した。眼を閉じたまま、調子をとりながら、いきなりうたい出した。

 それは「艦船勤務」という歌だった。僕は酔った頰を、平手で打たれるような気がした。

  四面海なる帝国を

  守る海軍軍人は……

 抑揚も怪しい、乱れた呂律(ろれつ)だった。歌というより、意味なく叫んでいるような声だった。僕は卓に掌をおいたまま、だまって聞いていた。なにか過剰な状態に、自分が今いるのを、僕はぼんやりと自覚した。嘔きたいような厭な気分が、そこにあった。漠然と古旗を嫌悪する自分と、古旗から嫌悪されている自分とを、僕はその瞬間二重に意識していた。

 一節だけうたうと、古旗は断ち切るように歌い止めた。濁った声で、低くわらい始めた。[やぶちゃん注:「艦船勤務」作詞は大和田建樹・佐々木信綱、作曲は瀬戸口藤吉。YouTube carl lin 林氏のこちらで歌詞全部と実際の歌唱を視聴出来る。]

 それからへんに惨めな沈黙がきて、僕らはそれぞれ暫く、盃を唇にはこんでいた。

 そして僕は急に、なにかやり切れないような気持になって、壁につきあたるように、どもりながら口をひらいた。

「今日、駅で会った時ね、す、すぐ、おれだと判ったかい。判っただろう」

「判ったよ。顔さえ見れば、すぐ判るさ」

「じゃ何故、あんな顔をしたんだい。あのとき」

「どんな顔したと言うんだい」

 しかしそう言いながら、古旗は眉をしかめて、ひどく嫌悪の表情をたたえた。掌をくねくねと眼の前でふった。

「そんな話はやめて、お前もなにか歌えよ、酒飲んだら、たのしく歌うもんだ」

「お、おれは芸なし猿だよ。昔から」

「こら。歌え。余人ならず、このおれが頼むんだ」

「よし」

 僕はなにか突然、ひどく意地悪な気持になって、坐りなおした。一言一言を、押しつけるようなつもりで発音した。

「戦友の、頼みというなら、うたってやる」

 その前後、古旗がどんな表情をしていたか、はっきり思い出せない。いや。思い出せないことはない。でも僕は同じ歌を、くりかえしくりかえし、歌っていたようだ。うたっている中に、ひとりで歌の世界に入りこんで、僕は身体をかたむけ、眼をつぶって、歌いつづけていた。異郷にある切なさが、僕の気分をかり立てていた。

 夜も相当ふけていたと思う。外出していた古旗の母親が戻ってきたのは、それから程なくだっただろう。

 次の間に母親がしいて呉れた、ごわごわした木綿(もめん)布団に、顔をそっくり埋めて、僕はいつか溺れるように眠っていた。

 翌朝、眼がさめたときは、まだ頭に重い芯(しん)が残っていた。今朝獲(と)れたという小魚をおかずにして、僕は遅目の朝飯を御馳走になった。僕らは口数少なく、食事をすませた。

 古旗が教えた汽車の時刻に、間に合うためには、すこし急ぐ必要があった。玄関で、一夜の宿の礼を述べる時、僕はへんに言葉の抵抗を感じた。感謝の気持にいつわりはなかったが、言葉にすれば白々しくなるのが感じられたのだ。

 だから駅までの村道をいそぎながら、僕は道ばたに、しきりに唾をはきちらした。昨夜の酒のせいか、唾は白くねばって、顎にくっついたりした。

 

 しかしこの雲仙行は、完全に失敗だった。

 旅の愉(たの)しさが、そこにはほとんど無かったんだ。強いて挙げれば、大牟田(おおむた)から島原への汽船の甲板から、夕陽を浴びた雲仙岳、右手に多良岳(たらだけ)経(きょう)ヶ岳(たけ)の遠望が、僅かに心をなぐさめた位なものかしら。

 雲仙に着いたのは、日もとっぷり暮れていた。島原から出たバスは、満員だった。島原の船着場の女事務員が、ひどく不親切で、ろくに教えても呉れなかったから、僕はまんまとバスに乗り遅れたのだ。次の満員バスのすみっこに、僕は顔をしかめて、押しつけられていた。

 箱崎屋は、すぐに判った。バスの停留場から、二丁ほどもあった。硫黄の匂いのする道をあるきながら、よっぽど他の旅館に泊ろうかとも考えた。しかしとうとう僕は箱崎屋の玄関に立っていた。

 宿帳をつけるとき、僕は偽名を書いてしまった。いざ泊るとなると、箱崎に逢うのが、変におっくうになったんだ。疲れていらいらしていたせいもあるが、それだけでは無かった。

 丁度時季でもあったが、団体客が多いようだった。箱崎屋にも、そんな一組が泊っていた。レコードを鳴らして廊下でダンスをやったり、各部屋で酒を飲んで騒いだりしていた。そのやり方は、ひどく傍若無人だった。二十歳前後の若者たちだった。女中に訊ねると、K県の税務講習生だと言う。つまり税務官吏の卵なんだ。しかし廊下ですれ違って見ても、野卑な感じの若者が多かった。

 僕はおそくまで、眠れなかった。そいつ等が、いつまでも騒ぐからだ。すこし静かになったと思うと、いきなり蛮声(ばんせい)をはり上げたりする。自ら楽しんでいるというより、厭がらせにやっているとしか思えなかった。しかし疲れていたので、やがて僕もうとうととした。そしてそいつ等の、最後の大合唱で僕はぎょっと眼がさめた。

 その歌が「海行かば」だった。酔っただみ声が、不揃いで乱れているので、かえってファナティクな感じを強く伝えてきた。

 僕は寝床に起き直って、湯ざめした体が慄(ふる)えだすのを感じながら、その合唱を聞いた。昨夜古旗の軍歌を聞いた時とは、別の衝動が僕にあった。

 僕は翌朝、逃げるように宿を出た。そろって写真をとるために、若者たちが宿の前に群れていたが、その中の一人が僕の靴をはいていて、僕は玄関でしばらく待たねばならなかった。僕はいらいらしながら、帳場に背をむけて立っていた。帳場から箱崎が出てくるかも知れなかったのだ。僕は寝不足で、険(けわ)しい顔をしていた。

 靴が戻ってくると、僕は顔をそむけたまま、表に飛び出した。僕の靴をはいていたのは、にきびを沢山つけた、顎の張った若者だった。

 長崎行きのバスは、割に空いていた。僕はその最後尾の席にかげていた。バスはかなり揺れた。窓框(まどがまち)をしっかり摑みながら、あの若者たちは戦争中は十五六歳だったんだな、などと考えたりした。十五六歳の年齢と、「海行かば」のつながりを。

 バスの乗客の四分の三は、女学生だった。話を聞いていると、岡山の女学生らしい。皆疲れた顔をしていた。引率者の教師らしいのは、チョビ鬚をつけて、唇が赤黒くむくれた中年の男だった。僕のすぐ前の座席にかけていた。この男が、皆の気を引きたてる為か、地理教育のつもりか、色んなことをよくしやべるのだ。海岸がバスの窓から見えると、この浜の砂は黒いが成分はどうだとか、こちらが千々石湾(ちぢわわん)で向うが有明海だとか、そんなことをひっきりなしにしゃべるのだ。時々泥くさい冗談をはさんだりするんだが、女の子たちは皆疲れていて、あまり笑わない。バスに酔って、青い顔をした子もいた。

 諌早(いさはや)のすこし手前だったと思う。しゃべり疲れたのか、しばらく黙っていたその教師が、窓の外を指さしながら、

「近頃は、あまりはやらなくなったが――」

 と皆を見廻した。得意そうな表情だった。

「あそこあたりが、橘(たちばな)中佐がお生れになった処じやよ。琵琶歌(びわうた)などで、皆も聞いたことがあるじゃろ」

 琵琶歌など聞いたことがないと見えて、女学生たちはあまり興味を示さぬ風だった。お義理のように、指さす方向に眼をむけるだけのようだった。すると乗客の一人で、土地者らしい三十歳位の男が、その辺にくわしいらしく、またくわしいということを誇示したいらしく、教師の言莱を受けて、色々説明を始めたのだ。橘中佐の生家には、松の木が三本生えてるとか、白壁に囲まれているとか、そんな愚にもつかない事ばかりなんだ。その橘中佐談義が、三十分ほどもつづいたと思う。僕はこんなバスに乗りこんだ自分を、ようやく呪(のろ)う気特になった。僕のそばに掛けているのは、肥った女学生で、旅の疲れで居眠りを始めていて、僕に上半身をよりかけてくるのだ。僕の肩に、その女の子の顔がある。唇をわずか開いて、白い歯と、赤く濡れた唇の内側が見えるのだ。僕はへんに残酷な気特になったり、また持て余すような気持になったりしながら、その談義から心を外らそうと努めていた。[やぶちゃん注:「橘中佐」橘周太(慶応元(一八六五)年~明治三七(一九〇四)年)は陸軍軍人。長崎生まれ。日露戦争の激戦の一つである「遼陽の戦い」に歩兵大隊長として臨み、戦死。帝国陸軍の「軍神第一号」とされ、中佐に進級、新聞報道などを通じて戦意高揚に利用された。日露戦争後は小学校教科書に「橘中佐」が掲載され、「軍人の鑑」として流布した。「琵琶歌(びわうた)」はよく判らぬ。橘は漢詩をよくしたというから、その一篇かとも思ったが、見当たらない。小説家大倉桃郎(とうろう 明治一二(一八七九)年~昭和一九(一九四四)年:本名は国松)が日露戦争従軍中に投稿していた「琵琶歌」が『大阪朝日新聞』第一回懸賞小説に入賞しており、国立国会図書館デジタルコレクションで読めるが、ざっと見では橘の名は出ない。柳田伍長というのが、それらしくも読めるが、判らぬ。識者の御教授を乞う。]

 そしてやっとの事で、長崎についた。

 僕はゆっくり眠りたかった。判ってくれるだろうな。だから名所の見物も断念して、街をちょっと歩いて見ただけだ。街の電柱には、ユネスコのことが貼られていた。ユネスコ大会が、ここで開かれるらしい、と知った。街角の店で、僕はチャンポンを食べ、そして駅近くの小さな宿屋に泊った。その夜はぐっすり眠った。[やぶちゃん注:この昭和二五(一九五〇)年に第六回「日本ユネスコ大会」が雲仙で開催されている。]

 こんな具合で、この旅行は、すっかり失敗だったんだ。

 翌朝の汽車に乗った。日曜日のせいか、ひどく混んでいた。すこし遅く行ったから、坐れるどころの騒ぎじゃない。デッキに立つ覚悟して、発車までの数分を、僕はプラットホームを歩き廻った。見ると二等車の方は、がらがらに空いていた。ふわふわした緑色のクッションが、ひどく羨しかった。あれなら旅行も楽だろうなあ。二等車の入口で、三四人のいい服装の男が、外国語混りの会話をとり交しているのを見た。悠々と談笑している感じだった。今朝宿屋の新聞でも見たし、それらがユネスコ関係の人たちらしい、と想像がついた。やがて発車ベルが鳴りわたると、彼等は二等車の方に入って行った。窓からのぞくと、二等車では、二人分の席を、一人で占めているのが多かった。悠々と寝ころんで、エロ雑誌をめくっている重役風の男もいた。

 僕は三等車のデッキにしゃがみこんで、この二三日来のことを、考えるともなく考えていた。いろんな印象が錯綜して、うまく統一がとれない感じだった。身体の疲れはなおっても、心はまだ疲れが脱けていないらしかった。軍歌をうたう若者たちや、また駅で逢った時の古旗のへんにぎくしゃくした笑い。橘(たちばな)中佐の家の松の木。二等車で談笑しているユネスコの人達。そんなばらばらな印象が、うまく重なりそうで、どこかで食い違ってしまうようだった。するどい裂け目が、僕には感じられた。それは僕自身が裂けているのか、僕以外のものが裂けているのか、僕には摑めなかった。煤煙をふくんだ風に吹かれているせいか、僕はやがてしんしんと頭が痛み始めた。駅々が過ぎても、乗客は滅らなかった。ますます増(ふ)えてゆく傾向があった。このままで東京までは、とても辛抱できない、と思った。足がしびれて、一部分感覚を失い始めていた。

 車掌をつかまえて、様子を聞くと、この列車はいつも混む車で、何なら途中で降りて、次のを待ったがいい、と忠告して呉れた。そして接続の具合までも、くわしく説明して呉れた。年取った、非常に親切な車掌だった。その親切さだけで、僕は感動していた。いら立った気分が、それで和むような気がした。自分でも可笑しいほど、まるで少女のそれのように、一寸した刺戟で情緒がかんたんに、移り気に変化するのが判った。旅に出ると、人は感じ易くなるというのも、あるいはこんな状態を指すのだろう。

 こういういきさつで、ふと僕は、も一度古旗に逢う気特になったのだ。次の汽車までの二時間余りを、あの駅で下車して、古旗を訪ねて見ようと考えたんだ。

 しかし何のために、古旗に逢うのか。逢ってどうしようと言うのか。そんな気持のきっかけも、揺れ勤きも、僕はほとんど忘れてしまった。情緒の気まぐれに過ぎないとも言えるし、この二日間、ほとんど口を利かなかったから、誰でもいい、しゃべる相手が欲しかったかも知れない。また、もう見る機会もないあの海岸を、も一度眼に収めたい気持もあっただろうし、あるいは古旗と再会することで、何かを確かめたい気持も、どこかに動いていたのだろう。何かを。しかし僕は、何を確かめるつもりでいたのだろう。

 そしてとにかく僕は、あの駅で降りたんだ。

 駅の近くで果物籠を買い、それをぶらぶらさせながら、古旗の家に行ったんだ。すると古旗は留守だった。母親が出てきて、彼は浜に仕事に行っているという。僕らは玄関で、ちょっと立ち話をした。母親は、古旗に似て額の広い、眼尻にほくろのあるお婆さんだった。こんなことも言った。

「あの子も、兵隊から帰ってくると、何だかすこし偏窟(へんくつ)になりましてねえ」

 軍隊で一緒だったことを、僕らは話していたのだ。お婆さんは嘆くように言った。

「嫁の話があっても、まだまだ早いと言って、受けつけませんしねえ」

 僕は果物籠を渡し、お婆さんが教えた道を、ぶらぶらと海岸の方に歩いて行った。

 砂丘を越えると、白い砂浜だ。砂浜は大きく鸞曲(わんきょく)して、両側に岬を突き出している。海は一面に澄みわたり、沖ヘ行くほど深い青をたたえてくる。島影がそこらに二つ三つ。とりたてて言うほどの特別な景色ではないが、平凡な構図が持つ、なまの美しさが、やはり鮮かに眼に沁み入ってくる。僕は大きく呼吸しながら、砂浜を見渡した。

 古旗のいるところは、すぐに判った。百米ほど左手に、地引網を引いている一群があるのだ。その中に、特徴のある古旗の姿を、僕はすぐ見つけた。

 網の曳(ひ)き手は、両方に分れて、六人ずつである。緩慢な速度で、網は曳かれていた。曳き上げて、上の方になると、綱をはなして波打際に下り、また綱をにぎる。順々に曳き手が回転してゆくのだ。それらの動作は、ごく緩慢だったけれど、しばらく眺めているうちに、たとえば季節の推移にも似た、快い律動感がかんじられた。周囲の風光との、狂いない調和が、そこにはあった。

 網の近くの砂丘まで歩き、僕は腰をおろした。網につけられた浮標が、二町ほどの沖合いに隠見するところを見れば、もうほとんど最後の追いこみなのだろう。しかし曳き手の動作は、悠々として変らない。同じ姿勢で曳き、一歩一歩曳き上げ、また同じ恰好で波打際に下りてゆくのだ。手繰(たぐ)り上げた綱が、白い砂の上で、端から輪に巻かれ、その輪の堆積(たいせき)がすこしずつ高まってくる。微妙な気息の合致が、十二人の男女をおおっているようだった。なぜかその時、僕は羨望に似た気分に、強くとらわれていた。

 この構図のなかに古旗を見たことで、満足して俺は帰ろうか、ふと僕はそんなことを思ったりした。気分としては、このまま未練なく帰れそうでもあった。しかしうつらうつらと秋陽に照らされて、僕は砂丘に坐ったままでいた。そして小学生の頃、この海岸に遊びにきて、網曳きを手伝って、鞄いっぱいに雑魚(ざこ)を貰ったことなどを、思い出したりしていたんだ。

 網が完全に曳き上げられたのは、三十分も経ってからだった。浜へ降りて行く僕を、その時古旗は見つけたらしい。いぶかしそうな視線を僕にむけた。網を手に持ったままだった。

 その彼に近づいて、僕は手短かに、ここに寄ったわけを説明した。僕がしゃべってる間も、古旗は網を次々振るって、獲物を砂にほうり上げていた。刺子(さしこ)を着た古旗の姿は、この前よりも逞しく、生き生きと見えた。

 獲物は、存外少なかった。小さな鰹(かつお)が五六匹、コハダが二十匹位で、あとは鰯(いわし)みたいな雑魚や小魚が、木桶に二杯あったぎりだった。大きな海月(くらげ)が三つかかっていたんだが、これは食えない奴と見えて、古旗が摑んでほうり投げた。草色に透き通った海月の体は、波打際で波にたたかれて、何時までもだらしなく、ごろごろと転がっていた。

 網の始末をあとにまかせ、彼は僕をうながして砂丘へのぼった。

「もうこの海にも、魚はいないんだ」

 海一面にむかって、手で指し示しながら、古旗は言った。

「むちゃくちゃな濫獲をやったんだ。戦争中にね」

「そう言えば昔は、もっと獲れていたようだったね。一網で、この十倍くらい」

 古旗はなおしきりに、戦争中の濫獲を慨嘆した。ここに駐屯(ちゅうとん)していた部隊が、爆薬をつかって海を荒した、という話だった。海への愛情という言葉を、彼は使った。それを喪った人間のやり口を、古旗は専(もっぱ)らなげいているようだった。

「それですっかり収獲が減ったんだよ。あれを見ただろう」

 魚をいれた木桶を引きずって、女たちが持ち去るところだった。

「たったあれだけだよ。十何人が三時間もかかってさ。あれを市場に運んで、さんざん値をたたかれてさ。一人当りいくらになると思う。網の損料を別にしてもよ」

「大変だろうな」

「だからこの部落も、だんだん漁師が減る一方なんだ。ひと頃の三分の一だよ。それも副業の方が多いんだ。組合すら出来ていないんだ」

「よく我慢しているんだね、みんな」

「我慢している。そうでもない。諦(あきら)めたような感じかな。魚が寄りつかないと、こぼしてはいるんだが、何故減ったのか、そんなこと考えても仕様がない、といった調子なんだな。そして二三人寄り合うと、昔は良かった昔は良かったと、そればかり愚痴をこぼし合っているんだ」

「――若い者もそうかね?」

「いや、若いのはあまり愚痴はこぼさないようだな。この村にも帰還兵もいくらかいるんだが、地道なのは少ないようだな。ことに現役兵だったのはね。闇屋になったり、街に一旗上げに行ったりしてさ。また、なんとか同志会という妙な会に入ったりして、大きな顔をしてごろごろしてる奴もいるしさ。――俺は時々かんがえるんだが、あんな苦しさを舐(な)めてきて、今こんな状態になって、皆はどうしてお互いの連帯感を失ったんだろうな」

 古旗は膝をだき、そう言いながら、上目で僕を見た。なにか燃えているような眼付だった。

「そうだなあ」と僕は疲労を肩にかんじながら、言葉をそらした。

「そんなもんだろうなあ」

 暫く沈黙がきた。彼は無意識のように、そこに生えたはますがなの葉を千切っては、砂の上におとしていた。指が青臭く染っていた。[やぶちゃん注:「はますがな」底本では頭の「は」には傍点がないが、後の部分から見て誤植と断じて、かくした。これは「波末須加奈」「浜菅菜」でロケーションから浜防風、セリ目セリ科ハマボウフウ属ハマボウフウ Glehnia littoralis の古名(中古以来)である。]

「箱崎に逢ったかい」と古旗は気を変えたように、僕に訊ねた。

「いや。逢わなかった。別の宿屋に泊ったから」と僕は嘘をついた。

 古旗はうなずいた。そしてしんみりと、自分に聞かせるように言った。

「逢わない方が、いいんだよ。逢ったら、かえって厭な気持になるよ」

「そう逢いたくもなかったんだ」

「そういうことだろうな。もし懐しいという気分があるとしても、それはあの頃の箱崎が懐しいんで、今の箱崎のことじゃない。だから白(しら)けてしまう。その白けた空隙を埋めようとして、お互いにいろいろ無理をするんだ。その無理は、ひどく後味がわるいものだよ」

「そうだね。みんな錯覚の上に立っているんだな」

「錯覚じやない」と古旗ははっきりさえぎった。「おれが困っていた時、莨(たばこ)を分けてくれたお前のことを、おれは時には思い出したりするよ。錯覚というものじゃないだろう」

「そうだな。しかしお互いが、そこまで立ち帰るのも、大変なことだな」

「立ち帰れる訳はないよ。あの結びつきは時々懐しくなるんだが、あんな風に結び合う状態には、おれはどうしても戻りたくないんだ。おれにはよく判らないんだが、あの頃おれたちは、心が荒廃してたから、あんなに結び合えたのか、今荒廃しているから、こんなにバラバラになってるのか、いや、荒廃という言葉はまずいな、どう言ったらいいだろう」

 もうそろそろ行かねばならないな、などと思いながら、僕らはしばらく、いろんな雑談を交していた。日の光のせいか、古旗の顔色や動作は、あの日よりもずっと明るく、健康そうに見えた。気持の隔たりも、いつか僕から消えていたようだ。

「網を引くのも、楽なように見えて、力が要るものだろうな」

 はますがなを千切る古旗の掌に、堅そうな脈が、釦(ボタン)のように出ているのを見たとき、僕はふと訊ねてみた。

「力は要るさ。しかしおれは、網引きは楽しいんだよ。色んなことが、じかに手ごたえとして来るからな。おれはやっぱり、こういう感じから始めて行きたいと、近頃思うんだ」

 古旗は眼を上げて、岬(みさき)の方を眺めた。

「あの岬から、この岬までの、浮遊漁師をあつめて、組合をつくってやろうとおれは考えているんだよ。あの日、街に行ったのも、その用事だったんだ。お前と逢った日さ」

 岬の山の上には、見慣れない白い円柱が立っていた。しきりにそれを眺めていると、古旗があれは忠霊塔だと僕に教えてくれた。

「街の連中が建てたんだよ。景色がいいという訳でね。この村とは全く縁がないのだ。もっとも戦後は、荒れ放題らしいんだ。バカな話さ。コンクリだから、切り倒しても一文にもなりはしない」

「しかしもう十年も経てば、あれが何の塔だということも、皆忘れてしまうんだろうな」

 古旗は咽喉(のど)でわらった。そしてこの海岸から、日本海海戦の砲声が聞けたという話をした。もちろん彼が生れるずっと前の話だ。母親が娘時代のことだったと言う。そう言えばその話は、僕も昔聞いた事があるようだった。[やぶちゃん注:日露戦争の「日本海海戦」は明治三八(一九〇五)年五月二十七日から翌日にかけて対馬沖で行われた。本篇発表の四十五年前に当たる。]

「この村にも、あの戦争の傷痍(しょうい)兵士がいたよ。あの頃は廢兵と言ったんだな。両脚がなくて、下駄作りなどやってたんだが、この戦争中に死んだそうだ。栄養失調のためなんだ」

 もう時間も迫っていた。僕は立ち上って砂をはらい、別れを告げた。別れ際に古旗は片頰に笑いを刻みながら、こう言った。

「お前もやはり変ったな。それも当然だけれども」

 お前こそ変ったよ、と言おうとして思い直した。冗談めかして僕は答えた。

「そうかねえ。じゃ逢わない方がよかったかな。でもやはり、お前に逢えてよかったと思うよ」

 白日の下で、この瞬間、僕の気持に嘘はなかったようだ。たとい疲労がもたらす、気まぐれな情緒の変化だったとしても。古旗は白い歯をわずか見せて、翳(かげ)をふくんだ笑いを浮べながら、砂丘を下りて行った。砂浜にはさっきの人々が、濡れた網を長くひろげて、日に乾そうとしているところだったんだ。その列に彼が加わるのを見届けて、僕も砂丘を反対側にゆるゆると降り始めた。この風光やこの人々の姿も、再びは見ることもないだろう、などと思いふけりながら。故郷を去る哀感は、始めてその時僕にきた。

 その足で、僕はやっと東京に戻ってきたんだ。僕の帰京が早かったので、家人はびっくりしたようだった。一週間ぐらいは旅行してくると、僕は言っておいたのだから。

 そして僕の旅のことを、家人はしきりに聞きたがった。僕は古旗のことを話そうとしたが、上手に話せなかった。つかみ所はあるのだけれども、いろいろ折れ曲っていて、うまく表現し難かったのだ。そして僕はあの時砂丘でぼんやり見ていたが、或いは小学生の頃のように、砂浜に降りて、網引きの手伝いをすればよかったんだな、とも思った。

 そこで僕は、海から見た雲仙岳の景色の話などをした。僕の話には全然熱がこもっていなかったのだろう。家人は笑って、抗議した。

「まるでよその国の景色を話しでもしてるようね」

 その抗議の出し方は、半分くらいは、僕の気に入った。

 

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