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2019/06/05

『散文詩』を讀む人々のために(註釋の第二として) 生田春月 /「ツルゲエネフ(生田春月訳)」全電子化~了

 

    『散文詩』を讀む人々の

    ために(註釋の第二として)

               譯   者 

 此の老年の憂欝と未だ消滅せざる靑春の若々しさとのあやしく織り交ぜられてゐる美しい哲學、深遠な詩のエッセンスたる小さな力ある書物は、ツルゲエネフがその晚年の五年間(一八七八年――八二年)に、自身の並びに社會の日常生活を觀察し思考するの餘、折りにふれてそのノオトに書き留めて置いた寫生や空想や考察の中から、五十篇だけを選んで、一八八二年、露西亞の大雜誌「歐羅巴の使ひ」(ウエストニク・エフ口ピイ)の十二月號に於て發表したものである。その主筆のもとに送られた原稿には、もと何等の題も指定されてゐなかつた代り、その表紙に覺え書きめかしく“Senilia”と云ふ一語が書き流してあつた。これは羅甸語で老衰の義である[やぶちゃん注:底本は「考衰」であるが、誤植と断じて特異的に訂した。]、されば鷗外陣士もこれを「耄語」と譯してゐられたやうに覺えてゐる。獨譯者ランゲは云ふ、ツルゲエネフは人も知る如く、極めて謙遜な人である、それ欽この過謙の語を書き記したものであらうが然しこの作品には最も適當しないものである、何故と云ふのに。これには精神的老衰の痕跡すらも認められないからであると。そして彼は前記雜誌の主筆スタシユレヰツチが、作者の手紙の中に記されてゐる「散文詩」と云ふ言葉を、此の無韻ではあるが眞に詩的な考へ深い作品の表題に定めたのを頗る當を得た處置だと云つて、自らその名によつて獨譯を發表した。此譯にも散文詩の名を棄て得たかつたのは、それが既にこの名によつて一般に知られてゐるのと、今一つは散文詩なる文字に對する一種の愛着からであつた。けれども、ツルゲエネフがもとかの非常な謙遜な題を眼中に置いてゐた事だけは述べて置く必要があると考へる。

 ツルゲエネフはその原稿に添へて、スタシユレヰッチに與へた手紙の終りに左のやうに記してゐる、『……讀者が此の「散文詩」を一息に讀過しないようにと望みたい。でないと、その結果は恐らく退屈を來して、――そして「歐羅巴の使ひ」はその手から取落されてしまふであらう。むしろ一篇づゝ讀んで頂き度い、今日はこれ、明日はあれと云ふ風に――さうしたならば、多分その中から何物かがその胸に刻み込まれるであらうと思ふ……』と。全く、このやうな作品は一度や二度卒讀したのみでは十分でないのである。靜かな瞑想の中から生れたものは、また靜かに落着いて味はれなければならない。

 

 この集に對する大思想家及び大批評家の批評。

 クロポートキンは云ふ、『これは一千八百七十八年以降、彼の私生活もしくは公生活の、種々の事實から受けた印象に基いて書き留めた「飛ぴ行く思ひつき、思想、影像」である。これらは散文で書いてはあるが、優れた詩の眞の斷片であり、或るものは眞の寶玉である。或るものは深刻な剌戟を與へ、優れた詩人達の最もよい詩の樣に印象的である(「老婆」「乞食」「マーシヤ」「何と美しい、何と鮮かな薔薇だらう」)。而も一方には(「自然」「犬」)ツルゲエネフの哲學的思想を何よりも明かに語つたものがある』(田中純氏の譯による)

 ブランデスはこれを『立派な散文集』と嘆賞し、その「自然」を引き來つて、ツルゲエネフが沈欝の特性を認め、ゴオゴリ、ドストエフスキイ、トルストイと比較し、『獨りツルゲエネフは哲學者である』と斷じ、また云ふ、『抒情的な、空想的な一要素がそれらの中に最も詩的に閃いてゐると云ふ事を除いては、同樣に靑年時代の諸作より□[やぶちゃん注:脱字。「遙」或いは「更」か。]に深い憂愁を含んでゐる。此處に、最後に、彼は生の祕密に面して、それを小止みもない悲しみの中に象徵や幻影を以て設明してゐる。自然は頑固で冷淡である、それならば人をして受することを怠らしめるな。此處にはツルゲエネフが、ハムブルグからロンドンヘの寂しい旅行中、哀れな、いぢけた、鎖に繋がれた小さい猿の手をとつて一時間も坐つてゐる場面がある――此處には如何なる信仰書に於けるよりも更に眞實の信仰がある」(瀕戶義直氏の譯による)

 この小册子を讀んで先づ目に附くものは、作者の厭世思想である、それは最も深酷なニヒリズムである。人間の微小を二巨山によつて語らしめた「會話」、その宿命觀を披瀝した「老婆」、一瞬に於て人生の無常を觀じた「髑髏」、特にブランデスをして『ツルゲエネフにとつてはそれは、人類の理想は――正義も、理性も、優越も、善も、幸福も――悉く自然に對しては無關係の事である、そして決してそれ自身の精紳力で確立するものではないと云ふ事を理解した思想家の沈欝である』(瀨戶氏譯)云はしめた「自然」、それに老年の悲愁を託した「老人」、「明日は明日は」、「何を私は考へるだらう」。そして彼は常に常に死と云ふ大問題にはへつて來る。そして「世界の旅り」をさへ夢みてゐる。けれどもそれが何故激烈に心を打擊しないであらう? 何故にかくも溫かく柔かく心に沁み込むであらう? 何となれば、それは驚くべく沈靜な悲哀であるからである。[やぶちゃん注:この末尾は読点であるが、特異的に句点に訂した。]

 それはやはらかな少女の手のやうに撫でさすり、薄暗に於て靜かな落着いた聲音で囁くからである。また眞理に美くしい衣裳を纒はしめてゐるからである。(赤裸の眞理は決して人の心を動亂させないでおくものでない)とりわけ彼の厭世思想を特徴づけてゐる愛の教の爲めである。溫かい慈悲と慈愛の心のためである。たとへば、「乞食」、「雀」、「海上にて」、「鳩」。

 プウルヂエは云ふ、『彼の厭世思想はしばしば誠に强かりしも甞て人嫌に至れることはなかつた。思ふに、彼は方に斯くの如く人嫌と當然なるべきであつたらう、凡て厭世思想は、理想と現實との對比なる自然に對する呪咀なれば。然して一面に思想は人心の所產物なる故に、論理的に云はば、此の世を呪咀する權利を得んためには、此の心を激昂せしむるを要すべし。されど彼は決して斯くの如きことはなかつた。……彼は厭世思想家にして然も慈愛に富める人である。凡ての存在物が宿命的に老衰する樣は、彼をして致命の罪に處せられし可憐なる生物を、無辜の犠牲者なりと訴へしむるに至つた。……かくてツルゲエネフは其の作を靉靆たる慈愛の衣を以て包むに至つた。此れまさにその愛を捧ぐる女がその生涯の癒し難き不幸を語るその告白に面せる戀人の心の如くなるべし」(山田手捲氏の譯による)

 ブリュクネルは云ふ、『彼の厭世思想は後に至つてはじめて内面外面の經驗からして形成されたものではなく、彼に生得のものなのである。その上、その非常なる教養が更にそれを助成した。しかもその知識たるや。たとへぱベリンスキイの如きかき集められたものではないのである。……其處に人道的精神が加はつて來る――曾て靑年時代にバルザックが彼を親しましめなかつたのに反して、ジヨオジ・サンドが彼の崇拜を受けたのもその精神のためである。』

 ツルゲエネフは人間の醜惡と痴愚と利己主義とを深く感じて悲痛の思ひに打たれた。その感情が反語となり機智となりユウモアとなつて現れたものが「滿足せるもの」、「處世法」、「愚物」、「エゴイスト」、「友と敵と」、「神の饗宴」などであるが、然し彼は、溫厚なる彼は、それをも堪へようとする、『私を打て、然し健康に幸福に生きよ!』と言ふことが出來るのである(愚者の審判)。ウレフスカヤと共に何人(なんぴと)に感謝されなくとも怨むことをしないのである。

 この外、この集には蜂蜜も鋏けてはゐない。それは最も詩的で、薔薇の香りのやうに喜ばしい。「薔薇」、「おとづれ」、「空色の國」(幸福の領と譯した方がいゝかも知れない)。然しそれらもまた憂欝な黑い帷に織り出されたる薔薇の花である。

 

 ツルゲエネフの晚年は、あゝ何等の苦痛、何等の孤獨! 彼は丁度かの獨逸の薄倖なロマンチシスト、彼が靑年時代に心醉してゐたかのハインリヒ・ハイネと相似たる運命に遭遇した。丁度同じ巴里で、丁度同じ death-in-life を彼は送らねばならなかつた。痛風だと思はれてゐたか實は頑强な病氣、脊髓の癌腫のために癈人のやうになつて、最後の數年間――丁度彼がこの散文詩を書いた時分である――を、ハイネの所謂蒲團の墓の中に橫はらねばならなかつた。そして彼は絕間なしに考へた、瞑想した、夢想した、囘想した、常に人生の謎に面して、人生の最後の大きな謎、――死に相面して。それ放に此悲痛な詩篇! 然り、この詩篇を讀む人は、この作者がかゝる境遇にあつたことを考へなくてはならない。彼が多年敬愛してゐて、その遺產の相續人に定めたヴィアルドオ夫人、彼のために無くてはならぬ人であり、彼に對して骨肉も及ばぬ世話を見てくれたそのヴィアルドオ夫人すら、後にはさまでの注意を彿はなくなつたのである。そして彼は孤獨に、愈々孤獨にその二二階に寢てゐたのだ。この事を想うてこの作品に對する時、一層力强く動かされずにゐられない!

 ツルゲエネフは、この五十篇を發表した翌年、卽ち一八八三年にその第二の故鄕なる巴里で逝いた――年は六十五歲であつた。

 

 ツルゲエネフの言葉の中でも、とりわけどうしても忘れ去ることの出來ない二箇を終りに添へて置きたい。

『人生は冗談ではない、慰みではない、勿諭快樂ではない……人生は重い苦痛である。放棄(あきらめの義)、永久の放棄――それが人生の祕義である。鍵である』フアウスト『人生はただ人生のことを思慮せず、そして人生より何物をも要求せずして、安んじて人生が附與する僅少の賜物を受け、安んじてその賜物を利用する人を欺かない。汝は出來るだけ前に進め、しかし足が疲れたなら路傍に坐して、悲むことなく、また猜む[やぶちゃん注:「そねむ」。]ことなく、通行者を眺めるがよからう、彼らも遠くは行くまい……』通信 (昇曙夢氏譯による)

               ――了――

[やぶちゃん注:「然りは原典では「○」(特異的に大きな丸印)の傍点。今までの注の「ヽ」の傍点を太字としていたので、かく差別化しておいた。注は附さない。なお、本文中で一部の個所のポイントを落としてあるが、無視した。

 以下、奥附。罫線や一部記号を省略、字配・ポイントは一致させていない。]

 

大正六年六月十三日印刷

           (定價金五十五錢)

大正六年六月十八日発行

[やぶちゃん注:印刷日は「十三」の「三」を手書きで「二」に訂正してある)]

散  文  詩

[やぶちゃん注:以上の書名は横書(右から左)で左右を▲の一辺で挟んである。]

著 作 者    生  田  春  月

發 行 者 東京市牛込區矢肅町三番堆申の九

         佐  藤  義  亮

發 行 所 東京市牛込區矢來町三番地

        新  潮  社

           八〇九番

       電話■町

           八九九番

[やぶちゃん注:「■」は字が擦れて判読不能。「番」か。以下振替は横書(同前)。]

   振替(東京)一七四二番

印 刷 所  東京市神田區宮本町五

       電話下谷、四〇六七番

         新潮社印刷部

     印 刷 者  高 橋 治 一

 

露西亞語 ツルゲエネフ(生田春月訳) / 「散文詩」本文~了

 

    露 西 亞 語

 

 疑ひ惑ふ日にあつても、國運を思うて心傷む日にあつても、汝のみは我が杖であり柱である。おゝ、偉大なる。信實なる、自由なる露西亞語よ! 汝がなかつたならば、いまの祖國のさまを見て、どうして絕望せずにゐられよう? 然しながら、かやうな言葉が、偉大なる國民に與へられたものでないとは誰か考へ得られようぞ!

    一八八二年六月

 

[やぶちゃん注:本篇を以って底本の訳詩本文は終わっている。

 なお、この後に「註釋」が続くが、そこで掲げられてあるものは、既にそれぞれの各詩篇末に各個転配済みである。さらにその後には生田春月による「『散文詩』を讀む人々のために(註釋の第二として)」という解説が続く。次回はそれをここに電子化する。]

祈禱 ツルゲエネフ(生田春月訳)

 

    祈  禱

 

 その祗るところが何であらうとも。人間はすべて奇蹟を祈るのである。どんな祈禱でも皆これに歸する。曰く『大いなる神よ、二二が四たることなからしめ給へ』

 たゞかゝる祈禱のみが人格ある者より人格ある者に捧ぐる眞の祈禱である。宇宙の靈に祈り、上天に祈り、カントの、ヘエゲルの、實體無形の神に祈るといふ事は、あり得べき事でもなく、また考ふべからざる事である。

 然し人格あり、生命あり、形體ある神なりとも、二二が四たることなからしめ得べきか?

 すべての信者は『然り』と答へなければならぬ、また自らそれを信じなければならぬ。

 然し理性が彼をしてかゝる不合理に反抗せしめる時はどうする?

 此の時シエイクスピアがその助けに來る。曰く『ホレエシオよ、天地の間には汝の哲學で夢みられるよりはより多くの事物(もの)がある。』

 しかも人々眞理の名によつて、なほも駁し來つたならぱ、かの有名な問ひを繰返しさへすれぱよい、曰く『眞理とは何ぞや?』

 さらば、我等盃を舉げて樂しまう、そして祈禱をしようではないか。

    一八八一年七月

 

カント、獨逸の大哲學者、「純正理性批判」によつて哲學に一時代を畫した、近世哲學の鼻祖である。】

ヘエゲル、カントに續いて起つた大哲學者、ツルゲエネフが獨逸に留學して學んだのはこのヘエゲル哲學である。】

二二が四とは理窟に合つた事、當然の事、それが二二が五にでもなれぱ、これ卽ち奇蹟である。あり得べからざる事が卽ち奇蹟。】

シエイクスビアは有名な沙翁、英國の大戲曲家で、このホレエシオよ云々の文句はその「ハムレツト」中にあるハムレツトの言葉である。ホレエシオはハムレツトの友人の哲學者。】

眞理とは何ぞや、これは猶太の代官ピラトが基督に反問した文句である。】

[やぶちゃん注:「然り」は原典では「◦」の傍点。今までの注の「ヽ」の傍点を太字としていたので、かく差別化しておいた。]

我等なほ戰はん ツルゲエネフ(生田春月訳)

 

    我等なほ戰はん

 

 實に何でもない事が、時とすると人間をまるつきり變へてしまふものだ!

 憂愁の思ひに暮れて、或日私は街道(かいだう)を步いてゐた。

 私の心は重苦しい氣遣はしい感情に壓し附けられ、意氣沮喪の極に達してゐた。ふと頭(かしら)を擡(もた)げると……私の前には二列の高い白楊の間を街道(みち)は矢のやうに遠く走つてゐる。

 そしてそれを越えて、その道越えて、十步ばかり彼方(むかう)に、夏の眩しい太陽の黃金の光の中を、一群れの雀が列をつくつて飛んでゐた、遠慮氣もなしに、をかしげに、自ら恃(たの)むところがあるやうに!

 とりわけてその中の一羽は、必死の力を籠めて、わき道をはね、小さな胸をふくらまし、倣然として囀つてゐた。まるで何一つとして恐ろしいものがないと言ふやうに! 實に健氣(けなげ)ま小戰士ではある!

 しかも其時、空高く一羽の鷹が輪や描いてゐて、その小戰士を餌食(ゑじき)にしようとする風であつた。

 私はそれを見て、笑みをうかべ、身ぶるひして、憂愁の念は忽ち消え失せた。勇氣、剛膽、生存慾、ふたたび私の胸に還(かへ)つて來た。

 我が上にも、飛べよ我が鷹……

 我等もまた更に戰はう、何の恐ろしいことがあるものか!

    一八七九年十一月

 

[やぶちゃん注:「我が」は原典では「◦」の傍点。今までの注の「ヽ」の傍点を太字としていたので、かく差別化しておいた。]

僧 ツルゲエネフ(生田春月訳)

 

    

 

 私は隱者で聖者である一人の僧を知つてゐた。彼はたゞ祈禱の淨樂にのみ生きてゐた。そして祈禱に專念して、寺院の冷たい石疊の上に立ち盡してゐた、その足が膝の下から痺(しび)れて、柱のやうに無感覺になつてしまふまでも。しか彼はそれを感じなかつた、彼は立ち盡して祈禱しつゞけた。

 私は彼の心を知つてゐた、或は彼を羨んでゐたであらう。然し彼もまた私の心を知つてゐた、そして私を責めるやうなことはなかつた、私は彼の法悅に達し得なかつたけれども。

 彼はその憎むべき『自我(エゴオ)』を滅却する事に成功したのである。私もまたさうであるが、然し私が祈禱を顧みないのはあながち利己心から來たものではない。

 私の『自我(エゴオ)』は、多分彼のよりは一層私にとつて重苦しく、厭はしいものなのであらう。

 彼はすでに自分自身を忘れる方法を見出した……然し私もまたその方法を見出してゐる、いつもいつもと云ふわけではないけれども。

 彼は虛僞(いつはり)を言ふ人ではない……然し私もまた虛僞(いつはり)を言ふものではない。

    一八七九年十一月

 

、ツルゲエネフの見出したものは恐らく藝術であらう。】

 

止まれ! ツルゲエネフ(生田春月訳)

 

    止 ま れ !

 

 止(とゞ)まれ! 今私がお前を見るまゝに、永久に私の記憶に留(とゞ)まれ!

 お前の脣から最後の感激の聲は逃(のが)れ出て了(しま)つた。お前の眼には光も輝(かゞやき)もない。其眼は幸幅に壓せられたやうに曇つてゐる、それを現すのがお前の喜(よころび)であつたかの美――其方へお前が勝誇つた樣でもある弱つた手を差伸すやうに思はれたかの美――を有してゐると云ふ幸福な意識に壓せられたやうに曇つてゐる!

 何と云ふ光が――太陽の光よりも更に淸らかに更に氣高くも――お前の手足のまはりに、お前の着物のもつとも小さな襞(ひだ)の上までも注がれたであらう?

 いかなる神の愛撫の息吹(いぶき)がお前の波うつ捲髮(まきがみ)を弄んだであらう?

 その神の接吻はお前の大理石のやうに蒼白い額になほ燃えてゐる!

 これぞ祕密のあらはれである、詩歌の、人生の、戀愛の祕密のあらはれである! これぞ、これぞ不朽そのものである! これを外にして不朽はあり得ない、またあるを要しない。此の瞬間に、お前は不朽である。

 それは消えてしまふ、この瞬間は――そしてお前は再び一塊の灰、一人の女性(をんな)、一人の子供となつてしまふ……けれどもそれが何であらう! この瞬間に、お前は超越したのである、あらゆる無常(むじやう)のもの、流轉(るてん)するものを超越したのである。此のお前の瞬間は永遠に不滅であらう。

 止(とゞ)まれ! 而して私をもお前の不朽にあづからしめよ、私の靈魂(たましゐ[やぶちゃん注:ママ。])の中にお前の永遠の美を反映せしめよ!

    一八七九年十一月

 

[やぶちゃん注:「お前」は原典では「◦」の傍点。今までの注の「ヽ」の傍点を太字としていたので、かく差別化しておいた。]

2019/06/04

N・N・ ツルゲエネフ(生田春月訳)

 

    N・  N・

 

 落着きはらつてしとやかに、泣きもしなければ笑ひもしないで、お前は人生の行路(みち)を辿り、何ごとをも無頓着に知らぬ顏に見すごして、心の平和を擾(みだ)されるやうなことはない。

 お前は善良で聰明だ……然しあらゆるものはお前には馴染(なじみ)のないもので、お前には誰一人として必要な人もない。

 お前は美しい。けれどお前が自分の美貌を誇りにしてゐるかゐないか、誰一人言ふことの出來るものはない。お前は同情を人に與へもしなければ、人から求めることもしない。

 お前の目差(まなざし)には深味がある。けれどもその中には何の思ひもありはしない。そのはつきりした深味は空虛(くうきよ)である。

 かうしてグルックの旋律(メロデイ)のおごそかな調べにつれて、極楽境(イリジアン・フイールド)を此のしとやかな影は動いて行くのである、喜びもせず悲みもせずに。

    一八七九年十一月

 

NNこれは「エゴイスト」と同じやうな作である。】[やぶちゃん注:先行するそれをリンクした。]

イリジアン・フィールド、とは希臘神話にあつて、何等の罪も犯した事のない幸福な人間の魂のゐるところ。それで影と云つたのである。ツルゲエネフはかうした人間の醜惡を深く感じたのである。】

グルツク、獨逸の音樂家。】

[やぶちゃん注:この部分の註は傍点が全くないが、今までに倣って、引用の注語句を太字で示した。なお、詩篇本文の「グルック」(小文字の「ッ」である)及び註での「グルツク」の表記は孰れもママである。本篇の原題はキリル文字で「H. H.」(ラテン文字転写:N.N.)。既に「愚物」で注した通り、これは、もとロシア語ではなく、ラテン語「Nomen nescio」の略で、「ノーメン・ネスキオー」と発音し、「Nomen」はラテン語で「名」、「nescio」は「知らない・認識しない」の意。匿名にした「何某(なにがし)」的謂いである。さて、以下は私の勝手な想像であるが、この匿名とした女性は、ツルゲーネフのパトロンであった評論家にしてイタリア座の劇場総支配人ルイ・ヴィアルドー Louis Viardot(一八〇〇年~一八八三年)の妻で、著名なオペラ歌手であり、そうして、実はツルゲーネフの「思い人」でもあったルイーズ・ポーリーヌ・マリー・ヘンリッテ=ヴィアルドー Louise Pauline Marie Héritte-Viardot(一八二一年~一九一〇年:ツルゲーネフより三歳歳下)で、彼女への秘やかな愛憎こもごもの思いを表現したものではあるまいか?

「グルック」クリストフ・ヴィリバルト・フォン・グルック(Christoph Willibald von Gluck 一七一四年~一七八七年)。オーストリア及びフランスを活動拠点として、主にオペラを手がけた音楽家である。代表作は歌劇「Orfeo ed Euridice」(オルフェオとエウリディーチェ)で、特にその間奏曲「精霊たちの踊り」が著名である。一九五八年岩波文庫刊の「散文詩」神西清・池田健太郎氏の注(池田氏の追加分と思われる)によれば、この「グルックの旋律(メロデイ)のおごそかな調べにつれて、極楽境(イリジアン・フイールド)を此のしとやかな影は動いて行く」というのは、その「Orfeo ed Euridice」の『第二幕を指』し、『シャンゼリゼ大通り(よみ国)の場、死者の亡霊が合唱する』それを意味しているとする。「イリジアン・フイールド」は「Elysian field」で、「Elysium(エリュシオン(英語読みでは「エリジゥァム」に近い)・極楽・ユートピア・無上の幸福)の地」の意。生田が註している通り、ギリシャ神話で、善人が死後に住む場所のことを指す。しかし、ここまで注して貰わなければ、読者の殆んどは意味が解らないのは昔も今も同じである。

海上にて ツルゲエネフ(生田春月訳)

 

    海 上 に て

 

 私は小蒸汽船で漢堡(ハンブルヒ)から倫敦(ロンドン)に行かうとしてゐた。乘客は私達二人きりだつた。私と、一匹の小さな牝猿とで。これは漢堡(ハンブルヒ)の商人が英吉利の同業者(なかま)に贈物(おくりもの)として送つて遣るものであつた。

 彼は甲板の椅子の一つに細い鎖で縛られて、始終ぐるぐる動きまはつては、低い悲しげな聲で啼いてゐた、まるで鳥のやうに。

 私が傍(そば)を通る度に、彼はその黑い冷たい手を伸(のば)して、その小さな悲しさうな何だか人間のやうな眼で私を見上げた。私がその手を取つてやると、彼は啼きやんで、しつきりなしに動きまはるのも止めてしまふのであつた。

 ひつそりと死んだやうな凪ぎであつた。海は鉛色の勤きもしない敷布(シイツ)のやうに八方に擴がつてゐた。眼界は狹く小さかつた。濃霧が海上を覆ひ、帆檣(ほばしら)の頂點(さき)さへ雲に隱されて、そのやはらかな濃霧に眼は眩(くら)み疲れるばかり。太陽は此の濃霧の中にどんよりとした赤い斑點(しみ)のやうにかゝつてゐた。けれどもタ方前には、奇妙な不思議な赤味がかつた光を放ち出した。

 何か重たい絹物の褶(ひだ)のやうな長い眞直な褶(ひだ)は、一重また一重と船首(みよし)から起つて、進むに連れてうち擴がり、皺みつ伸びつ、一搖れしてはまた滑かになつて。そして消えてしまふ。單調な音を立てゝ廻る車に搔き亂されて、泡は飛び上り、牛乳(ミルク)のやうに白くなり、かすかな音をぶつぶつ立てゝ、碎けてうねうねした渦をつくり、それからまた溶け合つて、同じやうに消えて霧に呑まれてしまふ。

 猿の啼聲のやうに絕間なく悲し氣に、艫(とも)の方で小さな鐘(かね)が鳴つてゐる。

 時々海豚(いるか)が浮上る、そして急に身を轉じては、ありとも見える波間にもぐり込んでしまふ。

 船長と云ふのは陰氣な日に燒けた顏の寡默な男で、パイプを燻(くゆ)らしては腹立たしげにどんよりと澱(よど)んだ海に唾(つば)を吐く。

 何を訊(たづ)ねても、彼はきれぎれにぶつぶつ答へるばかりなので、私は仕方なしに、唯一の道づれなる猿を相手にせずにはゐられなかつた。

 私は猿の傍にすわつた。彼は啼きやんで、また私の方にその手を差出した。

 濃霧は睡氣(めむけ)を催しさうな濕氣でもつて二人を壓し附けるやうだつた。そして同じやうにぼんやりした氣持になつて、私達は兄と妹とのやうに相並んですわつた。

 私は今では微笑(ほゝゑ)むのだが……その時はまつたく違つた感じを持つてゐた。

 我々は皆おなじ母の子である、そしてその哀れな小さな動物が兄にむかつてするやうに、親しげに私を慰めて、私に馴れ馴れしくしてくれるのが嬉しかつたのである。

    一八七九年十月

 

ハンブルヒは獨逸の港。】

[やぶちゃん注:「漢堡(ハンブルヒ)」現在のドイツ連邦共和国の特別市であるハンブルク(ドイツ語:Hamburg:正式名称は「自由ハンザ都市ハンブルク」(Freie und Hansestadt Hamburg フライエ・ウント・ハンゼシュタット・ハンブルク。位置は後のトラフェミンデの地図リンクで確認されたい。なお、現代中国での漢字表記もこれである)。ドイツの北部に位置し、エルベ川河口から約百十キロメートル遡った港湾都市。十三世紀後半以後、ハンザ同盟の主要都市として活躍、諸国との貿易によって繁栄、今日でも自由港区(自国の関税法を適用せずに外国貨物の自由な出入を認める港区)を持ち、ドイツにおける世界への門としてヨーロッパ大陸最大の海運業の中心であり続けている。本詩篇が作られた当時は、ウィーン体制下(一八一四年から一八一五年に行われたウィーン会議以後)であったが、一八七一年のプロイセン王ヴィルヘルムⅠ世のドイツ帝国成立の際にも、ハンブルクは孰れの州にも属さず、独立を維持している。但し、この詩篇内の時制はツルゲーネフが大学を卒業し、ベルリン大学で勉強するために船で出発した一八三八年の体験に基づくものかも知れない。その当時のドイツはまだ、オーストリアを盟主とするドイツ連邦下にあった。なお、もし、この詩篇が、この時の体験に基づくものとすると、実は彼の内心(当時も、そしては創作時も)のっぴきならない強いトラウマの影響下にあったか、現にあることが推定されるのである。それは、サイト「ロシア文学」「ツルゲーネフの伝記」に明らかで、このハンブルクに至る直前(と思われる)、『彼が乗った汽船がトラフェミンデ』(ここ(グーグル・マップ・データ))『で炎上した事件はさまざまに語り継がれているが、彼の振る舞いが卑劣だったという点では共通している。彼はフランス語で』「『助けてください。私はやもめの母の一人息子なのです!』」『と叫んだともいわれ、この出来事以来、生涯に渡って彼の心に深い疼きを残した』とあるからである。私は本詩篇の激しい孤独感と、猿との共感、末尾の「私たちはみんな、一つ母親の子供だ」という感懐に、その事件後の彼の心象風景を強く感ずるのである。

「私と、一匹の小さな牝猿とで。これは漢堡(ハンブルヒ)の商人が英吉利の同業者(なかま)に贈物(おくりもの)として送つて遣るものであつた。」重訳だから仕方がないが、ここは原詩をかなり端折っている。或いは生田が端折ったのかも知れない。ここは原詩に基づくなら、「私と、それに小さな猿――これはウィスチチ種の牝で、ハンブルクの商人がイギリスの商賣仲間に送る贈物だつた――とで。」と言った意味となるはずである。「ウィスチチ種」の原文は「уистити」で、これは霊長(サル)目直鼻猿亜目真猿下目広鼻小目マーモセット(キヌザル)科マーモセット(キヌザル)亜科マーモセット(キヌザル)属 Callithrix の仲間、特に英名 Common Marmoset、コモンマーモセット  Callithrix(Callithrix) jacchus と思われる。体長約十六から二十一センチメートルで尾長は三十センチメートル強の長さを持つ、ブラジル北東部原産の新世界ザルで、耳の周辺に白い飾りのような毛を持つことと、首を傾げる仕草が特徴とされる。ヨーロッパでは古くからペットとして飼われており、現在も猿の仲間のペットとしては一番人気だそうである。また、本種は現在、マウスよりも人間に近い実験動物として利用されており、新世界ザルとしては初めて全ゲノム配列が決定されてもいる。ツルゲーネフがここで強い共感をこの子に抱いたのも、或いは、そうした生物学的「人間性」を感じたから、かも知れぬ、などと私は夢想するのである

「車」この船は外輪式蒸気船なのである。諸本に付属する本篇の挿絵を見られたい。因みに、本生田版の致命的であるのは、これらの挿絵を一枚も採用していない点である。或いは重訳に使用した二種ともに挿絵はなかったのかも知れぬ。

「時々海豚(いるか)が浮上る、そして急に身を轉じては、ありとも見える波間にもぐり込んでしまふ」これは、まず、誤訳(参考にした英訳やドイツ語訳がともに誤っていた可能性は低いので生田の誤訳の可能性が高いか)で、生田が「海豚(いるか)」(鯨偶蹄目クジラ目ハクジラ亜目 Odontoceti のイルカ類)とした部分は、原文では「тюлень」(チュレーニ)で、これはアザラシ(食肉(ネコ)目イヌ亜目鰭脚下目アザラシ科 Phocidae のアザラシ類)を指すロシア語である(因みにロシア語でイルカは「дельфин」(ジリフィーン))。また、「ありとも見える波間にもぐり込んでしまふ」というのは判らぬではないが、どうも日本語として不自然である。中山省二郎氏は、

『時として海豹が浮びあがつた、――だしぬけにもんどり打つて、かき乱されたとも見えぬ平らかな水の面にかくれて行つた。』

と訳され、神西清氏は

『時々海豹が浮び上るかと思ふと、いきなり飜筋斗(もんどり)打つて姿を沒したが、滑らかな水面はそのため別に亂れもしなかつた』

である。この三つの訳を並べてみると、この生田訳の「ありとも見える」という部分が如何にも日本語として不全な表現であるかが、お判り戴けるものと思う。

2019/06/03

『げに美しく、鮮やかなりき、その薔薇は………』 ツルゲエネフ(生田春月訳)

 

    『げに美しく、鮮やかなりき、その薔薇は………』

 

 何處であつたか、何時(いつ)であつたか、餘程(よほど)以前(まへ)に、私はある詩を讀んだ。それは直ぐ忘れてしまつた……けれどもその最初の一行はかたく私の記憶に殘つてゐる――

 

  『げに美(うるは)しく、鮮やかなりき、その薔薇は……』

 

 今は冬である。霜は窓ガラスに凍(こほ)りついて、暗い室(へや)の中にはたつた一つ蠟燭がともつてゐる。私は室(へや)の片隅に身を縮(ちゞ)かめてすわつてゐる。そしてその句が絕えず頭の中に響いてやまない――

 

  『げに美(うるは)しく、鮮やかなりき、その薔薇は……』

 

 私は或る露西亞の田舍家の低い窓の前に自分の彳んでゐるのを見る。夏の黃昏(たそがれ)はいつとなく夜に移つて行く、暖かい空氣は木犀草や菩提樹の花の芳香(かをり)を漂はせてゐる。そしてその窓には、頭を一方の肩にもたせかけ、肘を突いて、一人の少女がすわつてゐる。そして言葉も無くまたゝきもせずに、空を見入つてゐる、はじめての星の現れ出るのを待つてゞもゐるかのやうに。その夢みるやうな眼差(まなざし)は何と云ふ率直な感激に充たされてゐるであらう、その開いた何か問ひたさうな脣は何と云ふ人を動かす無邪氣さであらう、そのまだ十分に熱してゐない、まだ何ものにも搔き亂された事の無い胸は、何と云ふ穩かな息づかひであらう、その初々しい顏の輪廓は何と云ふ純潔さ可憐さを示してゐるであらう! 私は敢て彼女に言葉を懸けようとはしない。けれどもどんなに私は彼女を愛してゐるであらう、どんなに私の胸は皷動してゐるであらう!

 

  『げに美(うるは)しく、鮮やかなりき、その薔薇は……』

 

 けれども室(へや)の中はだんく暗くなつて行く……蠟燭は燃えさがつて、ぱちぱちと音を立て、低い天井にちらちらと影が搖れる、室(へや)の外には霜柱のぽきぽき折れる音がする、そして中には老年のもの悲しい呟(つぶや)きがするかと思はれる……

 

  『げに美(うるは)しく、鮮やかなりき、その薔薇は……』

 

 また違つた幻影(まぼろし)が私の前に現れる。田舍の家庭生活の樂しさうなどよめきが聞える。二つの亞麻色(ブロンド)の頭が互にもたれ合つて、はればれしい眼差(まなざし)をして遠慮もなげに私を見てゐる、薔薇色の頰は笑ひを抑へるので顫(ふる)へ、手と手は睦まじげに握り交はされ、初々(うひうひ)しい力の入つた聲は入り亂れて聞える。また少し彼方(むかう)の小ぢんまりとした室(へや)の隅では、おなじやうなまた別の若々しい手が、ともすれば亂れ勝ちな指で、古いピアノの鍵盤(タステン)の上を飛んでゐる、けれどもそのランネルのワルツの曲は家長めいたサモワアルの煮え沸(たぎ)る音を消し得ない……

 

  『げに美(うるは)しく、鮮やかなりき、その薔薇は……』

 

 蠟燭はばつとちらついて、そして消えてしまつた……誰だらう、皺嗄(しわが)れた空咳嗽(からぜき)をしてゐるのは? 私の足もとには、私の唯一の伴侶(なかま)の老犬がまるくなつて寢てゐる、そしてぶるぶる身顫(みぶる)ひしてゐる……おゝ寒い……凍えてしまひさうだ……あゝ皆死んでしまつたのだ……死んでしまつたのだ……

 

  『げに美(うるは)しく、鮮やかなりき、その薔薇は……』

 

    一八七九年九月

 

ランネル、音樂家の名。】

ワルツの曲、ワルツといふ一種の舞踏に合せて彈ずる曲。】

サモワアル、自働湯沸器、露西亞では重寶がられてゐる、だからいかにも一家のかしららしく構へてゐるやうに思はれるから族長的(家長めいた)とも云はれるのだ。族長とは舊約にあつて、大一族のかしらである。】

[やぶちゃん注:詩中でリフレインされる詩句は底本では実際には最後のクレジットよりもポイントが小さい。しかし、それではあまりに寂しいので、本文から一ポイントだけ下げて示した。

『げに美(うるは)しく、鮮やかなりき、その薔薇は……』これはプーシキンと同時代の諷刺詩人イヴァン・セルゲーヴィチ・ミャトリョフ(Иван Петрович Мятлев 一七九六年~一八四四年)の一八三五年作の「Розы」(ローズィ:薔薇)の詩の冒頭の連(以下、ロシア語版ウィキペディア「РозыМятлев)」より引用)の始めの部分である。

   *

 

   Розы

 

Как хороши, как свежи были розы

В моём саду! Как взор прельщали мой!

Как я молил весенние морозы

Не трогать их холодною рукой!

 

Как я берёг, как я лелеял младость

Моих цветов заветных, дорогих;

Казалось мне, в них расцветала радость,

Казалось мне, любовь дышала в них.

 

Но в мире мне явилась дева рая,

Прелестная, как ангел красоты,

Венка из роз искала молодая,

И я сорвал заветные цветы.

 

И мне в венке цветы ещё казались

На радостном челе красивее, свежей,

Как хорошо, как мило соплетались

С душистою волной каштановых кудрей!

 

И заодно они цвели с девицей!

Среди подруг, средь плясок и пиров,

В венке из роз она была царицей,

Вокруг её вились и радость и любовь.

 

В её очах — веселье, жизни пламень;

Ей счастье долгое сулил, казалось, рок.

И где ж она?.. В погосте белый камень,

На камне — роз моих завянувший венок.

 

   *

その昔、ロシア語の出来る知己の協力を得て、最初の一連だけを文語和訳してみたものを示す。

   *

ああ、かくは美しき、鮮やかなりし、

わが庭の薔薇の花よ! わが眼差し惹きつけてやまざりし!……

ああ、かくも花冷えに祈りし、

そが冷たき手をな觸れそ! と……

   *

「木犀草」「もくせいさう」。双子葉植物綱フウチョウソウ目モクセイソウ科 Resedaceae に属する草本類。ヨーロッパ・西アジア・アフリカ北部及び南部・北アメリカ西部の、温帯・亜熱帯域に分布する。日本には本来は自生しない。但し、モクセイソウ Reseda odorata やホザキモクセイソウ Reseda luteola などが園芸種として栽培され、それが野生化はしている。和名は、その花の香りが双子葉植物綱モクセイ目モクセイ科モクセイ属 Osmanthus の香に似るためであるが、お馴染みのこちらは、常緑小高木であり、形状(似ても似つかぬものである)も種も全く異なるものである。例としてグーグル画像検索「Reseda odorataをリンクさせておく。

「鍵盤(タステン)」「tasten」でドイツ語。「taste」(ピアノの鍵盤・タイプライターのキー)の複数一格。これによって本篇はドイツ語訳(ヴィルヘルム・ランゲ(Wilhelm Lange 一八四九年~一九〇七年)か)を用いていることが判る。

「ランネル」ヨーゼフ・ランナー(Josef Lanner 一八〇一年~一八四三年)はオーストリアのヴァイオリン奏者にして作曲家。ダンス音楽団の団長としてシュトラウス一族に先行してウィンナー・ワルツを確立し、「ワルツの始祖」と呼ばれる。

「サモワアル」サモワール(самовар/カタカナ音写:サマヴァール)はロシアやスラブ諸国・イラン・トルコなどで茶を煎れる湯を沸かすために伝統的に用いられている金属製湯沸し器。知らない方はウィキの「サモワール」を見られたい。]

何を私は考ヘるだらう?……… ツルゲエネフ(生田春月訳)

 

    何を私は考ヘるだらう?………

 

 私が死ななければならぬ時に、若しその時何事かを考へることが出來たとすれば、何を私は考へるだらう?

 一生を無駄に費してしまつたこと、ずつと眠りつゞけて夢のやうにすごしてしまつたこと、人生の賜物(たまもの)を享受する道を知らなかつたことなどを考へるであらうか?

『なに? もう死ななきやならんのか? こんなに早く? そんな事があるものか! 私はまだ何一つする暇(ひま)もありやしなかつたんだ……これからやつと何かしようとしたばかりなんだ!』

 私は過去を追想するであらうか、經驗して來た僅かばかりの光彩ある瞬間を――わが身に貴い面影(おもかげ)や容姿(かほかたち)に思ひ浮べるであらうか?

 おのが惡行(あくぎやう)を思ひ出すであらうか、そしてあまりに遲く來た後悔の燃えるやうな苦みに胸を刺されるやうに覺えるであらうか?

 墓の彼方で私を待つてゐるものについて考へるであらうか……實際、其處で何ものかゞ私は待つてゐると考へるであらうか?

 否。……私は考へまいとするであらう、そして私の前を眞黑に閉(とざ)してゐる脅かすやうな暗黑から。自分の心を轉じさせよう爲めにのみ、强(し)ひて何かつまらない事に興味を向けさせることであらう。

 私は曾て、胡桃(くるみ)を嚙ませないと言つて、怒りつゞけてゐた瀕死の人を見た!……しかもそのどんよりした眼の底には、致命傷を受けた鳥の破れた翼のやうに何ものかゞ顫(ふる)へてゐたのである……

    一八七九年八月

 

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