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カテゴリー「「無門關」」の59件の記事

2009/05/05

無門關 全 淵藪野狐禪師訳注版

「無門關 全 淵藪野狐禪師訳注版」を本トップページに公開した。

アーカイブ(単一ファイル)で、文字情報だけで1.33MBというのは、恐らく僕のHPでは1年がかりで打ち込んだジャズ・リストを除いて、最大のものとなった。

2009/05/04

無門關 一 趙州狗子 ――「無門關」全公開終了

無門關

參學比丘 彌衍 宗紹編

  一 趙州狗子

趙州和尚、因僧問、狗子還有佛性也無。州云、無。

無門曰、參禪須透祖師關、妙悟要窮心路絶。祖關不透心路不絶、盡是依草附木精靈。且道、如何是祖師關。只者一箇無字、乃宗門一關也。遂目之曰禪宗無門關。透得過者、非但親見趙州、便可與歴代祖師把手共行、眉毛厮結同一眼見、同一耳聞。豈不慶快。莫有要透關底麼。將三百六十骨節、八萬四千毫竅、通身起箇疑團參箇無字。晝夜提撕、莫作虚無會、莫作有無會。如呑了箇熱鐵丸相似、吐又吐不出。蕩盡從 前惡知惡覚、久久純熟自然内外打成—片、如啞子得夢、只許自知。驀然打發、驚天動地。如奪得關將軍大刀入手、逢佛殺佛、逢祖殺祖、於生死岸頭得大自在、向六道四生中遊戲三昧。且作麼生提撕。盡平生氣力擧箇無字、若不間斷、好似法燭一點便著。

頌曰

狗子佛性
全提正令
纔渉有無
喪身失命

淵藪野狐禪師書き下し文:

無門關

參學の比丘 彌衍(みえん) 宗紹 編

  一 趙州の狗子(くす)

 趙州和尚、因(ちな)みに僧、問ふ。
「狗子に、還りて、佛性有りや無しや。」
と。
 州云く、
「無。」
と。

 無門曰く、
「參禪は須らく祖師の關を透るべし。妙悟は心路を窮めて絶せんことを要す。祖關透らず、心路絶せずんば、盡く是れ、依草附木(えさうふぼく)の精靈(せいれい)ならん。且らく道(い)はん、如何が是れ、祖師の關。只だ者(こ)の一箇の『無』の字、乃ち宗門の一關なり。遂に之を目(なづ)けて『禪宗無門關』と曰ふ。透得過(たうとくか)する者は、但だ親しく趙州に見(まみ)ゆるのみならず、便ち歴代の祖師と手を把(と)りて共に行き、眉毛(びまう)厮(たが)ひに結びて、同一眼に見、同一耳(に)に聞くべし。豈に慶快ならざらんや。透關を要する底(てい)有ること莫しや。三百六十の骨節、八萬四千の毫竅(がうけう)を將(も)つて、通身に箇の疑團(ぎだん)を起こして、箇の無の字に參ぜよ。晝夜に提撕(ていぜい)して、虚無(きよむ)の會(ゑ)を作(な)すこと莫かれ。有無の會を作すこと莫なれ。箇の熱鐵丸を呑了するがごとくに相似て、吐けども又た吐き出ださず、從前の惡知惡覺を蕩盡して、久久に純熟して、自然(じねん)に内外打成(ないげだじやう)して一片ならば、啞子(あし)の夢を得るがごとく、只だ自知することを許す。驀然(まくねん)として打發(だはつ)せば、天を驚かし、地を動ぜん。關將軍の大刀を奪ひ得て手に入るるがごとく、佛(ぶつ)に逢ふては佛を殺し、祖に逢ふては祖を殺し、生死岸頭(しやうじがんたう)に於いて大自在を得、六道四生(ろくだうししやう)の中に向かひて遊戲三昧(ゆげさんまい)ならん。且らく作麼生(そもさん)か提撕せん。平生(へいぜい)の氣力を盡くして、箇の『無』の字を擧(こ)せよ。若し間斷(けんだん)せずんば、好(はなは)だ法燭(はふしよく)の一點すれば、便ち著(つ)くるに似る。」
と。

 頌(じゆ)して曰く、

狗子の佛性
全て正令(しやうれい)として提(あ)ぐ
纔(わづ)かに有無に渉れば
喪身失命せん

淵藪野狐禪師訳:

無門關

無門慧開禅師の下(もと)に参禅修行する僧 彌衍及び宗紹 編

  一 趙州和尚の「犬ころ」

 趙州和尚が、機縁の中で、ある僧に問われた。
「犬ころ如きに、仏性、有るや!? 無しや!?」
 ――実は、この僧、嘗てこの公案に対して趙州和尚が既に、「有(ある)」という答えを得ていることを、ある人の伝手(つて)でもって事前に知っていた。――だから、その「有(ある)」という答えを既に知っている点に於いて、その公案を提示した自分は、趙州和尚よりもこの瞬間の禅機に於いて明らかな優位に立っており、その和尚が、「有(ある)」という答えや、それに類した誤魔化しでも口にしようものなら、この超然と構えている和尚を、逆にねじ込んでやろうぐらいな気持ちでいたのである――ところが――
 趙州和尚は、暫くして、おもむろに応えた――
「無。」

 無門、商量して言う。
「参禅しようと思うなら、嫌でも昔の年寄りの、ゴタク並べた意地悪な、ブービー・トラップいっぱいの、関所を抜けて、行かなきゃならぬ。言葉で言えない妙(たえ)なる悟り、そいつに辿り着きたけりゃ、心の底の底の底、そこまでごっそりテッテ的、総てそっくり空(から)にしな! 老人ホームも行くの厭(いや)、心底絶滅収容所、そこもとっても入れない、なんてゼイタク言ってるうちは、おめえ、どこぞの草木に憑いた、松本零士のフェアリーと、ちっとも変わらぬ、ホリエモン、基い、タワケモン!
 さて、それじゃ、ちょっくら一発オッ始(ぱじ)めるか、カタリ爺いの関門たあ、どんなもんかということを!
 チョロイぜ! ただホレ、この『無』の字、コイツが儂らの宗門の、後生大事の一(いち)の関。そんでもってダ、終(しま)いにゃ、コイツを名づけて禪宗の、『無門の関(セキ)』と申しやす!
 ここんとこ、T-1000みたいに、スゥーイっとね、スルーできたら、二百年、遙か昔の趙州ゾンビ――草履を頭に載せたまま、マイケルみたよなムーン・ウォーク、やっちゃう趙(ジョウ)に逢えちゃうし、校長室の歴代の、先生の眼が動き出し、貞子(さだこ)よろしく額縁の、外に出てきて、おめえと一緒、お手手つないで行(い)きませう、いやいや、手と手じゃ手ぬるいゼ、一緒に眉毛(まゆげ)も結んじゃエ! そしたらだって、一緒にサ、同(おんな)じ一つの眼で見てサ、同(おんな)じ耳で聴けるべサ! なんてったて、痛快じゃん!
 こんなに楽しい関門だモン、どうして通らぬ法がある? さっきの心、だけじゃなく、全身三百六十の、骨・関節もバラしてサ、全身八万四千を、数える毛穴全開し、総身(そうみ)を一己の『疑いの、塊り』のみに成し上げて、一個の『無』の字に参禅せ! 昼夜(ちゅうや)の区別捨て去って、お前の真実(まこと)の魂(たましい)の、ファルスをニョキっと、おっ立てろ! 虚無だの有無だのセコイこと、一切合財、思慮するな! あのドラゴンだって言ってるゼ、『考えるな! 感じるんだ!』――
 さてもさて、そいつを喩えてみるならば、真っ赤に燃える砲丸を、ゴクンと呑んだ、ようなもの、呑み下そうにも呑み下せず、吐き出そうにも吐き出せぬ――そうするうちに昔から、おめえがずっと持っていた、『知覚』ちゅう名の元凶が、口からずいっとおいどの穴、そこまで綺麗に焼き尽くされ、消毒完了、マムシ酒、時間をかければ、熟成し、自然(おのず)と、己(おのれ)と世界とが、渾然一体、あい成って、お前だ俺だの差も消えて、一つのものとなった日にゃ、それはあたかも喋れぬ人が、夢を見ているようなもの、その醸(かみな)した古酒(クース)もて、その雰囲気をしみじみと、知って確かに味わえる!
 次いでさらに、いっさんに、そこんところを バラリ! ズン! 未練無用と斬り捨てて、天幕縦に切り裂けば、きっとそこには生れるゼ、バッキンバッキン! バッキバキ! 驚天動地の精力が! そん時きゃ猛将関羽さま、あの将軍の引っさげた、大刀奪って取ったるを、思うがままにブンブンと、振り回すのと同じこと! 仏に逢うたら仏を殺し、師匠に逢うたら師匠を殺せ! さすればおめえがさっきまで、とり憑かれていた生と死の、現に此岸(しがん)に立ちながら、すべてがOK! 大自在! 六道四生(ろくどうししょう)にありながら、桃源遊興、三昧境!
 さてもおめえは、どうやって、この『無』の一字を弱腰に、どういう風に引っさげる!? 凡庸杜撰なその無能、無能ながらのその力、使い尽くしてこの『無』の字、がっぷり四つに組んでみよ! もしも不断にその努力、惜しまず巧まず続けたら、ちっちゃな灯(ともしび)、ちょと寄せて、豪華な法灯、ボボン! ボン!」

 次いで囃して言う。

犬の仏性 『有る無し』が
校長仏陀の命令一過 不条理なのに必履修
うっかりそいつを『有る無し』の 話と思い込んだれば
懲戒停学原級留置 在籍したまま あの世行き

[淵藪野狐禪師注:超短篇の本篇の主人公、趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん 778~897)は、恐らくその登場回数に於いて『無門關』中、群を抜いているものと思われる。これが初則となっていること、それは勿論、無門が師月林師観(げつりんしかん 1143~1217)に参じた際に、最初に与えられた公案が、この「趙州狗子」であったことを直接の理由としているのではあろう。岩波文庫版の西村恵信氏の解説によれば、慧開はこの公案に苦しみ、『六年経っても全く見当もつかない有り様であった。そこでいよい勇気を奮い起こし、居眠りをしているようでは我が根性は腐るばかりと、眠気を催すと廊下を歩き、露柱に頭を叩きつけた』とある、いわくつきの公案なのである。しかし、そういう慧開の思い入れを知らなくても、本『無門關』では彼は、以下、「七 趙州洗鉢」「十一 州勘庵主」「十四 南泉斬猫」「十九 平常是道」「三十一 趙州勘婆」「三十七 庭前栢樹」と、多出し、且つ殆んどの話にあって、彼は彼ならではの個性を以って、話の展開に極めて重要な役割を果たしているのである。無門慧開は間違いなく、この趙州従諗が好きだったのだと私は思うのである。因みに、私も好きである。
・「彌衍 宗紹」西村注によると、二人とも伝不詳。架空の人物で無門慧開の偽名とも言われる。
・「仏性」は、「仏心」「覚性(かくしょう)」とも言い、衆生(この世のすべての生きとし生けるもの)が生得のものとして持っている仏となることの出来る性質を言う。「大般涅槃経」には「一切衆生悉有仏性」(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)とはっきり説かれている。従って、禅宗も含まれる大乗仏教にあっては、この質問への教理的正答、『答え』は(『応え』ではない)、「有」である。
・「テッテ的」とは、「徹底的」とするより強い、というニュアンスで私は用いている(「三 倶胝竪指」の「頌」の訳でもそのように使用した)。ご存知でない方のために言っておくと、これはつげ義春が自身の見た夢を漫画にした「ねじ式」の中で、メメクラゲ(本当は××クラゲの誤植なのだが)に嚙まれた主人公が、架空の村の中で必死に医者を探すシーンのモノローグとして現れる。即ち、彼のその時ののっぴきならない気持ちを示すには「徹底的」という漢字ではなく、「この場合、テッテ的が正しい文法だ」という風に、極めて印象的に用いられているのである。私の中の辞書には「徹底的」と「テッテ的」、二種類の見出しで別個に載っているのである。
・「依草附木の精靈」について、西村注では本義を『人の死後、中有(ちゅうう)の状態で浮遊する霊魂が、次の生縁(しょうえん)を求めて草木に憑(よ)りつくことこと』しているので、厳密には訳のような西洋の妖精とは異なるものである。「中有」とは、中陰とも言い、人が死んで次の生を受けるまでの期間を言う。七日間を一期として、第七期までの四十九日。後に地獄の裁判の十王信仰がこれに対応した。
・「T-1000」は、「ターミネーター2」に登場する、未来世界からやってきた液体金属で出来たアンドロイドの名称。鉄格子をも難なく『透過』する。
・「草履を頭に載せたまま」は、「十四 南泉斬猫」を参照。
・「佛に逢ふては佛を殺し、祖に逢ふては祖を殺し」は、「臨済録」示衆に現れる、私の大好きな一節である。原文は以下の通り(「臨済録」は原典を持たないので、複数の中文サイトを確認して整文した)。

道流、爾欲得如法見解、但莫受人惑。向裏向外、逢著便殺。逢佛殺佛、逢祖殺祖、逢羅漢殺羅漢、逢父母殺父母、逢親眷殺親眷、始得解脱、不與物拘、透脱自在。

淵藪野狐禪師書き下し文:
 道流、爾、如法の見解を得んと欲さば、但だ人の惑はしを受くること莫かれ。裏(うち)に向かひ外に向かひ、逢著せば便ち殺せ。佛に逢ふては佛を殺し、祖に逢ふては祖を殺し、羅漢に逢ふては羅漢を殺し、父母に逢ふては父母を殺し、親眷(しんけん)に逢ふては親眷を殺して、始めて解脱を得。物と拘らず、透脱して自在なり。

淵藪野狐禪師訳:
 お前たち、真実(まこと)の『見方』というものを得ようと思うのなら、まずは何より人に惑わされてはならぬ。己(おのれ)の内に向っても己の外に向っても、逢うたものは、皆、殺せ。仏に逢うたら仏を殺し、祖師に逢うたら祖師を殺し、羅漢に逢うたら羅漢を殺し、父母に逢うたら父母を殺し、親族縁者に逢うたら親族縁者を殺して、始めて解脱することが出来る。その時、お前たちは、何ものにも束縛されることのない、完全なる透過、完全なる解脱、完全なる活殺自在の境地に在るのだ。

実を言うと、私はいつもこの中間部のところに、一句を付け加えたくなる衝動をいつも抑えきれない。即ち、「逢佛殺佛、逢祖殺祖、逢羅漢殺羅漢、逢父母殺父母、逢親眷殺親眷、逢己殺己」と。と言うより、私はついこの間まで、「逢己殺己」と入っているものと誤認して、生徒たちに話していた――己(おのれ)に逢うたら己を殺せ――須らく、衝動殺人を望む者や無差別殺人を企まんとする者は、何よりここから始めるがよい。

・「六道四生」の「六道」は煩悩を持った衆生が輪廻転生を繰り返すところの世界を言う。天上道(天道とも)・人間(じんかん)道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の六つ。前の三つを三善道(私は「修羅道」を善とするところにこの思想の巧妙な生き残り戦略を感ずる)、後の三つを三悪道と呼称する。間違えてはいけないのは、我々の居る人間道の上の天上道は極楽浄土とは違うことである。ここは言わば天人(てんにん)や仏教以前の伝来により取り込まれた下級神、仙人など居住する世界である。勿論、彼らは人間に比べれば遙かに優れた存在で、寿命が異常に長く、肉体的なものはもとより精神的な苦痛も殆んど感じない。空中を飛翔したり、数々の呪法を駆使することも出来るわけだが、煩悩から完全に解き放たれているわけではなく、やはり死を免れずに死を迎え、再び六道を輪廻するのである。因みに彼らが死を迎える際には独特の変化が現れるとする。それは衣裳垢膩(えふくこうあい:衣服が垢で油染みてくること)・身体臭穢(しんたいしゅうあい:体が薄汚れて悪臭を放つようになること)・脇下汗出(えきかかんりゅう:脇の下から汗が流れ出ること)・不楽本座(ふらくほんざ:自分の居所に凝っとしていられなくなること)・頭上華萎(ずしょうかい:頭上にかざしている花が萎むこと)の五つで、これを天人五衰と言う。即ち、六道はその総体が煩悩の世界なのであり、そこから解脱し、悟達して初めて、極楽浄土に往生出来るのである。「四生」の方は、この六道に於ける胎生・卵生・湿生・化生の四種の出生の仕方を言う。「湿生」とは湿った気から生ずると考えられた生物で、魚・蛇・両生類などを含む。「化生」は「その他の生まれ方」みたいないい加減なもので、その空間に忽然と生ずるものとする。目に見えない卵から発生するものや、生態の不明であった生物、天上界の神仙や地獄の亡者の類を十把一絡げにして都合よく説明するためのものである。]

無門關 十三 徳山托鉢

   十三 徳山托鉢

徳山、一日托鉢下堂。見雪峰問者老漢鐘未鳴鼓未響、托鉢向甚處去、山便回方丈。峰擧似巖頭。 頭云、大小徳山未會末後句。山聞令侍者喚巖頭來、問曰、汝不肯老僧那。巖頭密啓其意。山乃休去。明日陞座、果與尋常不同。巖頭至僧堂前、拊掌大笑云、且喜得老漢會末後句。他後天下人、不奈伊何。

無門曰、若是未後句、巖頭徳山倶未夢見在。撿點將來、好似一棚傀儡。

頌曰

識得最初句
便會末後句
末後與最初
不是者一句

淵藪野狐禪師書き下し文:

  十三 徳山の托鉢(たくはつ)

 徳山、一日托鉢して堂に下る。雪峰(せつぽう)に、
「者(こ)の老漢、鐘も未だ鳴らず、鼓も未だ響かざるに、托鉢して甚(いづれ)の處に向かひてか去る。」
と問はれて、山、便ち方丈に囘(かへ)る。
 峰、巖頭に擧似(こじ)す。
 頭云く、
「大小の徳山、未だ末後(まつご)の句を會(ゑ)せず。」
と。
 山、聞いて、侍者(じしや)をして巖頭を喚び來らしめ、問ふて曰く、
「汝、老僧を肯(うけが)はざるか。」
と。
 巖頭、密(ひそか)に其の意を啓(もら)す。
 山、乃ち休し去る。
 明日(みやうにち)、陞座(しんぞ)、果して尋常(よのつね)と同じからず。
 巖頭、僧堂の前に至り、掌(たなごころ)を拊(ふ)し、大笑して云く、
「且らく喜び得たり、老漢、末後の句を會せしことを。他後(ただ)、天下の人、伊(かれ)を奈何(いかん)ともせず。」
と。

 無門曰く、
「若し是れ、末後の句ならば、巖頭、徳山、倶(とも)に未だ夢にも見ざる在り。點撿(てんけん)し將(も)ち來たれば、好(はなは)だ一棚(いつぱう)の傀儡(かいらい)に似たり。」
と。

 頌して曰く、

最初の句を識得すれば
便ち末後の句を會す
末後と最初と
是れ 者(こ)の一句にあらず

淵藪野狐禪師訳:

  十三 徳山和尚の托鉢

 ある日の午前のことである。
 徳山和尚は、とんでもない時間に、ご自身の鉢を擁して食堂(じきどう)へとやって来られた。食堂で、斎(とき)の準備のために机を拭いていた飯台看(はんだいかん)の雪峰が、
「御老師、斎を告げる鐘の音(ね)も太鼓の音(おと)も、未だに鳴らず、未だに響いておりませんに、鉢を携えて、一体、何処(どこ)へ向かうおつもりか?」
と問うた。徳山和尚は、それを聴くや、ぷいっと、ご自身の庵室(あんじつ)へと帰ってしまわれた。
 その後姿を如何にも面白そうに眺めていた雪峰は、ぷっと吹き出すと、奥の厨(くりや)へと行き、そこに居た看頭(かんとう)の巖頭に、今の一部始終を話して聞かせた。
 それを聴いた巖頭は、おもむろに言った。
「徳山和尚ともあろうお人が、未だに肝心要めの末後の一句には会(かい)しておられぬな。」
 雪峰はそれを聴くと、――内心、普段からその聡明さ故に、彼に対して劣等感ばかり抱いてきた雪峰は――この、自分よりも更に和尚を蔑(さげす)んだような言葉を吐いた兄弟弟子を――常日頃、快からず思っていた兄弟弟子の――このことを、一つ、和尚に告げ口してやろうと企んだ。
 そこで小用に出るふりをして、途中から駆け足になって、徳山和尚の庵室へと飛び込むと、そこに控えていた和尚の侍者に巖頭の言葉そのままに耳打ちした。
 徳山和尚は、侍者からそれを聞くや、さもあらんか、鋭い目を侍者に向けると、
「直ちにここに巖頭を喚べ!」
と何時にない、とんでもない大声で一喝した。
 侍者は恐れ戦き、泡を食って駆け出してゆく。ほくそ笑んでぷらぷら歩いている雪峰も目に入らぬように、韋駄天の如く走って走って、厨に飛び込むと、
「徳山和尚さまのお呼びじゃ!」
と真っ青な顔で、声を震わせながら巖頭に伝えた。ところが、
「そうか。そうくるとは思っておったが、少しばかり早いな――」
と落ち着き払ってつぶやいた巖頭は、食堂を出ると、和尚の庵室へとまこと、ゆっくりと歩いて行く。路端の木蔭では、隠れて、こっそりとそれを雪峰が眺めていた。
『……ざまあみろ……今度の「徳山の棒」、こいつは半端ねえぞ!……』
と思いつつ、笑みを洩らした。
 巖頭が和尚に対峙してみると、果たして目をつぶった和尚の両手には、すでに極太の樫で出来た拄杖(ちゅうじょう)がしっかと握られていた。
 徳山和尚は、静かに、しかし、きっぱりと言う。
「お前、儂を、なめてるな!?」
 巖頭は、間髪を入れず、一挙に和尚の右手にすり寄ると、
「……………。」
と、何やらん、こっそりと耳打ちした。
 すると、徳山和尚は、ぱーんと拄杖を前へ抛り出すと、莞爾として笑い、すっかり安心なさったのであった――。

 翌日、いつも通り、法堂(はっとう)で徳山和尚の説法がなされたのだが、果して、その日の説法に限っては、何やらん、尋常のものではなく、会衆は一人残らず、慄っとしながらも、心の底から深い感銘受けて法堂を後にしたのであった――法堂を最後に出た巖頭は、堂の前まで来ると、空を見上げ、両手をぱぱんと打ち鳴らしながら、永い間、大笑いをした後(あと)、数十里の彼方に響き渡るような澄んだ大声で、叫んだ。
「なんと嬉しいことか! 老師は末後の一句を握られた! 本日只今以後、天下の者、誰一人として、この一己の徳山宣鑑(せんかん)を、どうすることも出来はせぬ!」

――それから直ぐのことであった、徳山和尚がその法灯を、巖頭全豁(ぜんかつ)に譲ったのは――

 無門、商量して言う。
「ちょっと待て! もしもこいつが本当に、最後の最期のぎりぎりの、真実(まこと)に末後の句だとすりゃ、巖頭、徳山、一蓮托生、揺り籠の中、双子の子、一緒に仲良く夢見てるだけ。幽霊の正体見たり枯れ尾花! 世の中は箱に入れたり傀儡師(かいらいし)!」

 次いで囃して言う。

最初の一句が啓(ひら)ければ
最期の一句に出逢えます
末期の言葉と最初の産声
そんなもん 最初の一句でも最後の一句でも「無(ない)」!

[淵藪野狐禪師注:本篇の訳は映像的にリアルに見えるように意識的な小説仕立てにして翻案してある。人物の設定や動き、心理描写などの一切は私の創作なのでご注意あれ。以下の注は、主に、その淵藪野狐禪師訳のオリジナルな部分へのものである。特に悪役に徹してもらった雪峰義存禅師には三頓食らって背骨が折れそうになるやも知れぬ。雪峰禅師に深く謝す。そしてこのような仕儀を訳で行った理由は、本則が私にとって難題だからである。恐らく、この「応え」には、まだこれから数年はかかりそうだ。その時には、違った訳でまた、お目にかかろう。
・「雪峰」は雪峰義存(せっぽうぎぞん 822~908)。唐末から五代の禅僧。実際には巖頭全豁と一緒に徳山宣鑑の法を嗣いでいる。巖頭とは兄弟弟子で、実際には仲が良かったとされる。雪峰の方が年上であったが、明悟した早さやこの雪峰自身を鰲山(ごうざん)で大悟させた点から見ても、巖頭の方が上であるので、訳ではそのような役職に設定した。実際の雪峰義存はその後、出身地であった福建に戻り、雪峰山に住して、四十有年余の間、教導と説法に励んだ。その結果、多くの政治的有力者の帰依を受けることとなり、結果的に各地に広がる五代最大の仏教教団を形成することとなった。雪峰寺には常時1,500人からの修行僧が住み、首座であった玄沙師備(げんしゃしび:「無門關」の後序に登場している。)を始めとして、本「無門關」の第十五則・第二十一則に登場する雲門文偃(ぶんえん)・長慶慧稜(えりょう)・鼓山神晏(くざんしんあん)・保福従展(ほふくじゅうてん)等の禅語や公案で知られる第一級の優れた禅師を輩出している(この注は、主に、ウィキの「雪峰義存」を参照にさせて頂いている)。
・「巖頭」は巖頭全豁(828~887)。以下、その凄絶な最期について記す。彼はその後、徳山の元を辞して、洞庭湖畔の臥竜山(別名を巖頭と言う)を拠点に宗風をふるったが、887年に中原(ちゅうげん)に盗賊が起こり、庶民はおろか、会衆もみな恐れて逃げ出してしまった。ところが巖頭禅師だけは、ただ一人『平然と端坐していた。四月八日、盗賊たちがやってきて大いに責めたてたが、彼は何も贈り物を出さなかったので、ついに刀で』首を切られて殺されてしまった。しかし、その際にも巖頭禅師は『神色自若として、一声大きく叫んで終わった。その声は数十里先まで聞こえた』と伝えられる。(この注は、主に、福井県小浜市の臨済宗南禅寺派瑞雲院のHP中の、「景徳伝灯録巻十六 鄂(がく)州巖頭全豁禅師」を参考にして書かれたとする「岩頭全豁禅師の話」を参照にさせて頂いている)。
・「擧似」という原文の語は、西村注によれば、禅家では『過去の問答や商量の内容を他人に提示すること』を言う特別な意味を持っている。とすれば、雪峰は、一見、呆けた徳山が食事の時間の前に食堂へ来たことや、それに対して自身が言った言葉を含め――確信犯的に――その総体を公案として認識していたのであり、極めて真面目な意味で、この場面に機縁し、その出来事を真面目に巖頭に語ったのだと言える。実際の雪峰義存の事蹟から見れば、それが真実であるし、雪峰が良友巖頭を売るというシチュエーションも実際には考えにくい気もする。しかし、それでは面白くない。少なくとも私は全然面白いと思わぬ。そこで訳では、一見、冒頭の徳山をもうろく爺いのボケとして描き、雪峰を話柄の傀儡役、トリック・スターとして不良の弟子に仕立てさせてもらったのである。
・「ご自身の鉢」禅者は本来、托鉢用の鉢を以って普通の食事の食器とする。
・「斎」仏教では、午前中にしか食事をしない。朝は「粥」(しゅく)、午前中に済ませる早い昼食を「斎」と呼ぶ。私の勝手な設定である。これは「粥」なのかも知れない。
・「飯台看」禅寺の給仕係。私の勝手な設定である。
・「看頭」禅寺で食事の際の礼法を指導する者を言い、飯台看の長である。私の勝手な設定である。
・「世の中は箱に入れたり傀儡師」は芥川龍之介の俳句。大正八(1919)年、27歳の時の作。「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句(明治四十三年~大正十一年迄)」の「四七四 一月四日 南部修太郎宛」書簡からの引用句を参照。因みに西村氏はここを『二人ともお粗末なからくり人形じゃないか』と訳しておられる。]

2009/05/03

無門關 二十四 離却語言

  二十四 離却語言

風穴和尚、因僧問、語默渉離微、如何通不犯。穴云、長憶江南三月裏、鷓鴣啼處百花香。

無門曰、風穴機如掣電得路便行。爭奈坐前人舌頭不斷。若向者裏見得親切、自有出身之路。且離却語言三昧、道將一句來。

頌曰

不露風骨句
未語先分付
進歩口喃喃
知君大罔措

淵藪野狐禪師書き下し文:

  二十四 離却語言(りきやくごげん)

 風穴和尚、因みに僧、問ふ、
「語默離微に渉るに、如何にせば通じて不犯なる。」
と。
 穴云く、
「長(とこしな)へに憶ふ 江南三月の裏(うち)
 鷓鴣(しやこ)啼く處  百花香んばし」
と。

 無門曰く、
「風穴、機、掣電(せいでん)のごとく、路(みち)を得て、便ち行く。爭-奈(いかん)せん、前人の舌頭を坐して不斷なることを。若し者裏(しやり)に向かひて見得して親切ならば、自(お)づから出身の路、有らん。且らく語言三昧を離却して、一句を道(い)ひ、將(も)ち來たれ。」
と。

 頌して曰く、

風骨の句を露さず
未だ語らざるに先ず分付(ぶんぷ)す
歩を進めて口喃喃(くちなんなん)
知んぬ君が大いに措(を)くこと罔(な)きを

淵藪野狐禪師訳:

  二十四 言葉を離れた言語(げんご)

 風穴延沼(ふううけつえんしょう)和尚が、ある時、機縁の中で、ある衒学的な僧に、
「僧肇(そうじょう)はその著『宝蔵論』の離微体浄品第二で『其れ入れるときは離、其れ出づるときは微』『謂ひつべし、本浄の体(てい)、離微なりと。入るに拠るが故に離と名づけ、用(ゆう)に約するが故に微と名づく。混じて一と為す』とありますが、これは、全一なる絶対的実存の本質であるところのものが『離』であり、その『離』が無限に働くところの多様な現象の様態なるものが『微』である、ということを述べております。さて、本来の清浄な真実(まこと)というものの存在は、この『離』と『微』とが渾然と一体になったものであるわけですが、しかし乍ら、ここに於いて、本来の清浄な真実について、『語ること』を以ってすれば、それは『微』に陥ることとなり、また、逆に、それを避けるために『沈黙すること』を以ってすれば、今度は『離』に陥ってしまうこととなります。では一体、どのようにしたら、そのような過ちを犯すことなくいられるのでしょうか?」
と問われた。
 すると、風穴和尚は、如何にも大仰に深呼吸すると、おもむろに詩を嘯かれた。
「何時の日も 懐かしく思い出すのは
 江南の春……春三月ともなると
 鷓鴣の『シン ブゥ デェ イェ グー グー! 行不得也哥哥(シン ブゥ デェ イェ グー グー)! シン ブゥ デェ イェ グー グー!(行かないで、兄さん!)』という鳴き声がし 百花咲き乱れ えも言われぬ芳しい香がただよう……」

 無門、商量して言う。
「雷神風穴(ふうけつ)、その働き、ピカッ! と一閃、行先へ、ズズン! と風穴(かざあな)、刳(く)り開けた。されど残念! 不二の風穴(ふうけつ)! 先人の『詩の一句』をも吹っ切ることで、真実(まこと)を示し得なかったとは!――さても、もし、この壺(こ)の穴の中にある、桃花咲き添う江南の、景色の天へとすんなりと、入(はい)れたならば、おのずから、見えもしようよ、出離するべき、お前の行くべき、その道が。さあさ、言葉を離れた処(とこ)で、そこのところを一言(ひとこと)に、一句ものして、持っといで。」

 次いで囃して言う。

……詩情なんか 示さない――
……歌う前から 僕は とっくに君に 僕の魂を 分けてあげたよ――
……だのに 君たちは 不潔な蠅のように 僕の心に群がって
 ……わんわんと 唸りたてている――
……ああっ! 心がただ一筋に打ち込める
 ……そんな時代は 再び来ないものか……

[淵藪野狐禪師注:西村注によれば、本則は『杜甫の詩を借りて語黙を越えた世界を示す。『無門關』の『西柏抄』に「長えに憶うは黙、鷓鴣啼くは語」という。『人天眼目』巻一の臨済四料揀の項に「如何なるか人境倶不奪。穴云く、常に憶う江南三月の裏、鷓鴣啼く処百花香し」と見える。』とあるのだが、この『杜甫の詩』なるものが、私には見つからない。私が馬鹿なのか、インターネットがおかしいのか。検索をかけても詩聖杜甫の詩のはずなのに、全然、引っ掛かってこない。いろいろな「無門關」のサイトも調べてみたが、杜甫の詩とするばかりで、よく見ると、どの注にも詩題が示されていない。「長憶江南三月裏 鷓鴣啼處百花香」この幻の詩は、一体、何処(いずこ)? ご存知の方、御教授を乞う。もじっているのであろうが、かなり絞った単語の検索でも、相似形の詩は見つからないのだが……。如何にも気持ちが悪い。だから、私も「頌」の訳には、僕の好きな『先人』ランボーの『詩の一節』を『借りて』復讐してみた。不親切な多くの注釈者のように、敢えて私も、その詩の題は言わぬことにしておこう(しかし、余りに著名な詩だからすぐ分かっちゃうかな。でもこのエッチ大好きだった人の訳は訳じゃなくて翻案だよな、原詩と比べると全く別の詩だぜ)。なお、僧の台詞のくだくだしい訳は、この「離微」に附された詳細な西村注を参照にして、ぶくぶくに膨らましてメタボリックにデッチ上げたものである。原文は御覧の通り、この僧の台詞は、実際には簡潔明瞭で、衒学的というのも当らないかもしれない。とりあえず、この僧に対しては、ここで謝罪をしておく。
・「僧肇」(374~414)は東晋の僧。鳩摩羅什(くまらじゅう:(344~413)僧・仏典翻訳家。中央アジア出身、父はインド人。長安で訳経に従事し、その訳業は「法華経」「阿弥陀経」など35部300巻に及ぶ)の門下にあって、彼の仏典漢訳を助け、弟子中、理解第一と讃えられた。「宝蔵論」は彼の代表的著作である。
・「鷓鴣」はキジ目キジ科コモンシャコFrancolinus pintadeanusを指す。正式中文名は中華鷓鴣であるがが、単に鷓鴣“zhègū”(チョークー)と呼ばれる事が多い。別名、越雉(えっち)、懐南など。中国南部・東南アジア・インドに分布し、灌木林・低地に棲むが、食用家禽として飼育もされている。地上を走行するのは得意だが、飛行は苦手である(以上はウィキの「コモンシャコ」を参照した)。
・「ブゥ デェ イェ グー グー! 行不得也哥哥(シン ブゥ デェ イェ グー グー)! シン ブゥ デェ イェ グー グー!(行かないで、兄さん!)」“xíng bù dé yě gē gē ”。中国人はこの鷓鴣の鳴き声に、このような人語を聴き、如何にもの哀しいものを感じるという(ということは、この鷓鴣の鳴き声に限っては、中国人は日本人と同じように左脳で聴いているのかも知れない!)。「鳥類在唐詩中的文學運用」という中文ページに鷓鴣について『代表思郷愁緒:鷓鴣為南方特有的鳥類,故離郷背井的南人最怕聽到』とある。ただ、そのような雰囲気をこの詩自体が、この鷓鴣の鳴き声で出そうとしているかどうかは、定かではない。]

無門關 十七 國師三喚

  十七 國師三喚

國師三喚侍者。侍者三應。國師云、將謂吾辜負汝、元來却是汝辜負吾。

無門曰、國師三喚、舌頭墮地。侍者三應、和光吐出。國師年老心孤、按牛頭喫草。侍者未肯承當。美食不中飽人※、且道、那裏是他辜負處。國淨才子貴、家富小兒嬌。
[淵藪野狐禪師字注:「※」=「氵」+「食」。「餐」と同字。]

頌曰

鉄枷無孔要人擔
累及兒孫不等閑
欲得撐門并拄戸
更須赤脚上刀山

淵藪野狐禪師書き下し文:

  十七 國師(こくし)、三たび喚(よ)ぶ

 國師、三たび、侍者を喚ぶ。侍者、三たび應ず。國師曰く、
「將に謂(おも)えり、吾れ汝に辜負(こぶ)すと。元來却りて、是れ、汝、吾れに辜負す。」
と。

 無門曰く、
「國師三喚、舌頭(ぜつたう)地に墮つ。侍者三應(さんおう)、光に和して吐出す。國師年老い、心、孤にして、牛頭(ごづ)を按(あん)じて草を喫せしむ。侍者、未だ肯(あへ)て承當(じようたう)せず。美食も飽人(はうじん)の※(さん)に中(あた)らず。且らく道(い)へ、那裏(なり)か是れ、他(かれ)が辜負の處ぞ。國淨くして、才子貴(たふと)く、家富んで小兒嬌る。」
と。
[淵藪野狐禪師字注:「※」=「氵」+「食」。「餐」と同字。]

 頌して曰く、

鐵枷(てつか)無孔(むく) 人の擔(にな)はんことを要す
累(わざはひ) 兒孫に及びて等閑ならず
門を撐(ささ)へ并びに戸を拄(ささ)へんと欲-得(ほつ)せば
更に須らく赤脚にして刀山(たうざん)に上(のぼ)るべし

淵藪野狐禪師訳:

  十七 慧忠国師、三度、弟子を喚ぶ

 ある日、南陽の慧忠国師は、三度、親しく用いている弟子の名を呼んだ。弟子は、
「はい。」
「はい。」
「はい。」
と、呼ばれるままに三度とも応えた。しかし、二度とも、師はそのまま何も命ずることなく黙っていた。三度目の呼びかけと応答の後、暫くの沈黙の後、師は言った。
「ずっと今まで、儂(わし)は、儂がお前の志しを台無しにしているために、お前が悟れぬのじゃろうとばかり思い込んでおった――じゃが、今、やっと分ったわ――何のことはない、お前が儂の志しを無にしてきたからに、お前が悟れぬのじゃということが、の。」

 無門、商量して言う。
「国師無双は名ばかりで、三度も弟子に、呼びかけて、語るに堕ちたぁ、このことよ。三度応えたお弟子の方が、和光同塵、両腕でガバと懐(ふところ)押し開き、その腸(はらわた)までも、ガバリとベロリ! 国師特養老人ホーム、すっかり淋しくなっちゃって、牛の頭を撫ぜ撫ぜし、手ずから草を差し上げる。だのにボンクラ、鈍感弟子は、訳も分らず、ただ、おろおろ。どんなに豪華な食事でも、お腹(なか)がくちくなってれば、そんな奴には意味がない。さても、ここでズバリ、言え! さても一体、この話、何処でお弟子は、先生の『お志しを無にしてる』? こんな諺知ってるか?――国が半端な平和に在れば、小賢しい奴、お高くとまり、ちょいとお金が溜まった家じゃ、我儘勝手なガキが出る――と。どっかの国と、こりゃ、同じ。」

 次いで囃して言う。

人は皆 見えもしないし取れもしない 窮極にして極上の お仕置き道具の首枷(くびかせ)を しっかと嵌めていることを 肚に命じておくがよい
そのことを知らねば 禍(わざわ)いは 半端じゃないよ 迷惑至極 遙かに遠く子々孫々 この世の果てまでご同伴
それでも国旗だ国家だの 人類皆(みな)兄弟だのとほざきおる 「地球に優しく」真綿で締める それですっかり満足してりゃ
そんときゃあの世で 単独登攀 それも裸足で 針の山

[淵藪野狐禪師注:「和光同塵」は本来は、「老子」四章「和其光、同其塵」を故事とする語で、高貴な光を和らげて、俗界の塵埃に交わるという意味で、自己の才能を包み隠し、俗世間に交わることを言う。これが仏教用語となると、仏や菩薩が本来の無量の威光を減衰させて、一切の衆生を救うために、わざわざ塵埃に満ち溢れた現世に垂迹し、顕現することを言う。]

無門關 三十九 雲門話墮

  三十九 雲門話墮

雲門、因僧問、光明寂照遍河沙。一句未絶、門遽曰、豈不是張拙秀才語。僧云、是。門云、話墮也。後來、死心拈云、且道、那裏是者僧話墮處。

無門曰、若向者裏見得雲門用處孤危、者僧因甚話墮、堪與人天爲師。若也未明、自救不了。

頌曰

急流垂釣
貪餌者著
口縫纔開
性命喪却

淵藪野狐禪師書き下し文:

  三十九 雲門の話墮(わだ)

 雲門、因みに僧、問ひて、
「光明寂照遍河沙(こうみやうじやくしやうへんがしや)」
の一句未だ絶えざるに、門遽(には)かに曰く、
「豈に是れ、張拙(ちやうせつ)秀才の語にあらずや。」
と。
 僧云く、
「是。」
と。
 門云く、
「話墮せり。」
と。
 後來、死心(ししん)、拈(ねん)じて云く、
「且らく道(い)へ、那裏(なり)か是れ、者(こ)の僧が話墮(わだ)の處。」
と。

 無門曰く、
「若し者裏(しやり)に向かひて雲門の用處孤危(ゆうじよこき)、者の僧、甚(なん)に因りてか話墮すと見得せば、人天(にんでん)の與(ため)に師と爲(な)るに堪えん。若し未だ明らめずんば、自救不了(じぐふりやう)。」
と。

 頌して曰く、

急流に釣(はり)を垂る
餌を貪る者は著(つ)く
口縫(かうばう)纔(わづ)かに開かば
性命(しやうみやう) 喪却せん

淵藪野狐禪師訳:

  三十九 雲門和尚の『「語るに堕(お)ちた」語り』

 雲門和尚の話である。
 ある時、機縁の中で、ある僧が雲門和尚に問いかけて、
「光明寂照河沙(がさ)に遍(あまね)……」
と言いかける、僧のその問いの、その初めの一句が未だ終らぬうちに、雲門和尚は、即座に、
「おい、そりゃ、張拙秀才の偈(げ)じゃ、ネエか?」
と言った。
 僧は答えた。
「はい、そうです。」
 雲門和尚が言う。
「ヘッ! 語るに堕ちたゼ!」

 それから百数十年後のことである。黄龍死心(こうりょうししん)和尚は、この話を思いだされ、確かに昨日のことのように、言ったのであった。
「オリャ! 言うてみイ! 何処(どこ)が、これ! この坊主の『語るに墮ちた』ところ、な! ん! じゃ! い!?」

無門、商量して言う。
「もしもこの、様(さま)に向かって雲門の、寄り付くことも不可能な、悟りの真実(まこと)の智慧そのものに、ぴたりとその肌寄せられたなら、はたまた同時に、この僧の、何処(どこ)が如何(どう)して『語るに墮ちた』、そこのところを見抜けたならば、この世あの世で『先生』と、呼ばれる程の大馬鹿に、なるに堪えたる人となる。だけど、そこのところをば、見抜けないとするならば、己(おの)が一人の命さえ、救えぬままに、グッド・バイ!」
と。

 次いで囃して言う。

早瀬に向かって 釣糸垂らす
餌を貪る雑魚どもが ワンサと喰らいついてくる
わずかに口を開いただけで あいつももこいつも そら! お前も!
気がつきゃどいつも あの世行き!

[淵藪野狐禪師注:本則に用いられているのは、石頭(せきとう)下四世である石霜慶緒(せきそうけいしょ)の弟子であった秀才(科挙に及第した人物の呼称)張公拙の悟道の偈として有名なものである。以下に、本文に準じて示す(原文は中文サイトにあったものを用いた)。

光明寂照遍河沙
凡聖含靈共我家
一念不生全體現
六根纔動被雲遮
斷除煩惱重増病
趣向眞如亦是邪
隨順世縁無罣礙
涅槃生死是空華

淵藪野狐禪師書き下し文:

光明寂照 河沙(がさ)に遍(あまね)し
凡聖含靈(ぼんせいがんりやう) 共に我が家
一念不生にして 全體を現ず
六根纔(わづ)かに動ずれば 雲に遮(さへぎ)らる
煩惱を斷除すれば 重ねて病を増す
眞如(しんによ)に趣向するも亦 是れ 邪(よこしま)なり
世に隨順して 罣礙(しゆぎ)無し
涅槃と生死と 是れ 空華

淵藪野狐禪師訳:

かの仏法光明の輝きが、静かに、河の砂の一粒一粒まであまねく、照らしだしている――
凡夫から聖賢、霊的玄妙なるもの、総て、それらが満ち満ちたもの、それが我が家なのである――
人が愚かな考えに囚われさえしなければ、今、この瞬間、眼前に、この世界の総体は現に現れているのである――
あらゆる感覚のわずかな動きで、あっという間に真実(まこと)の心は雲に遮られてしまうし――
本質を見ず、闇雲に煩悩を断ち切ろう、取り除こうとばかり勇み立っていると、かえって世界の様態は悪く重くなるばかり――
殊更に『本当の真実(まこと)』なんどというものを掲げて、無理に努力しようとすること、それ自体が、大きな誤りなのである――
この俗世の機縁や道理に従って生きていても、そこには何ら、真実(まこと)の自由をはばむものは、ないのである――
『涅槃』と言い、『生死』と言うも、所詮、それらも虚空に浮ぶ花のような幻なのである――]

2009/05/02

無門關 訳注完成

「無門關」の総ての訳注を完成させた。未公開分を逐次公開した後、満を持して、端午の節句に、全体をブラッシュ・アップした一括版をHPにアップする予定である。総文字数1120,000字を越えるものとなった。

無門關 三十一 趙州勘婆

  三十一 趙州勘婆

趙州、因僧問婆子、臺山路向甚處去。婆云、驀直去。僧纔行三五歩。 婆云、好箇師僧、又恁麼去。後有僧擧似州。州云、待我去與你勘過這婆子。明日便去亦如是問。 婆亦如是答。州歸謂衆曰、臺山婆子、我與你勘破了也。

無門曰、婆子只解坐籌帷幄、要且著賊不知。趙州老人、善用偸營劫塞乃機、又且無大人相。撿點將來、二倶有過。且道、那裏是趙州、勘破婆子處。

頌曰

問既一般
答亦相似
飯裏有砂
泥中有刺

淵藪野狐禪師書き下し文:

  三十一 趙州の勘婆(かんば)

 趙州。因みに僧、婆子(ばす)に問ふ、
「臺山の路、甚れの處に向かひて去る。」
と。婆云く、
「驀直去(まくぢきこ)。」
と。
 僧、纔(わづか)に行くこと、三五歩。婆云く、
「好箇の師僧、又た、恁麼(いんも)にして去る。」
と。
 後に僧有って州に擧似(こじ)す。州云く、
「我、去つて、你(なんぢ)が與(ため)に這(こ)の婆子を勘過するを、待て。」
と。
 明日、便ち去りて、亦た、是のごとく問ふ。
 婆も亦た、是のごとく答ふ。
 州歸りて衆に謂ひて曰く、
「臺山の婆子、我れ、你(なんぢ)が與(ため)に勘破し了(をは)れり。」
と。

 無門曰く、
「婆子、只だ坐(ゐ)ながらに帷幄(ゐあく)に籌(はか)ることを解(げ)して、要、且つ賊に著(つ)くことを知らず。趙州老人は、善く營を偸(ぬす)み、塞を劫(おびや)かすの機を用ゐるも、又た且つ、大人(だいじん)の相(さう)無し。撿點(けんてん)し將(も)ち來たれば、二(ふた)り倶に過(とが)有り。且らく道(い)へ、那裏(なり)か是れ、趙州、婆子を勘破する處。」
と。

 頌して曰く、

問既に一般なれば
答へも亦た相似たり
飯裏(はんり) 砂有り
泥中 刺(し)有り

淵藪野狐禪師訳:

  三十一 趙州、婆(ばば)あを見破る

 趙州和尚の話である。

 ある時、機縁の中で、和尚の修行僧が、路傍に佇んでいる婆さんに道を訊ねた。
「五台山へ向かう路は、どちらでしょうか?」
すると、婆さんが答えた。
「このまま真直ぐ行きな。」
 それを聞いた僧が謝して、わずかに三歩か五歩ばかり行った時のことである。
 背後で、婆さんの声がした。
「見込みのありそうな坊さんじゃと思うたが、やっぱり、同(おんな)じように行くだけじゃな。」

 後日、その僧が直接、趙州和尚にその折の話をした。和尚は、
「俺が行って、一つ、お前のために、その怪しげな婆さんの正体を見極めてやろうではないか!」
と言った。
 その翌日、趙州和尚は早速、出かけて行くと、話通り、同じ場所に佇んでいる婆さんに出逢った。そうして、あの修行僧と同じように、道を訊ねた。
「五台山へ向かう路は、どちらでしょうか?」
すると、婆さんが答えた。
「このまま真直ぐ行きな。」
 それを聞いた和尚は、やはり同じように謝すと、わずかに三歩か五歩ばかり、歩む。
 背後で、婆さんの声がした。
「見込みのありそうな坊さんじゃと思うたが、やっぱり、同じように行くだけじゃな。」
と婆さんも、また同じように呟いたのであった。

 趙州和尚は寺に帰ってくると、直ちに会衆を集めて、きっぱりと宣言した。
「五台山の婆さんを、俺は、お前らのため、すっかり見切ってしもうたわ!」

 無門、商量して言う。
「〈前文欠〉……この“Heroine Bass”は、ただ本陣の幕営の中にあって、巧緻な戦術を回(めぐ)らし、千里の外に展開している戦闘に圧倒的な勝利を収めるという、かの「史記」に記された戦略については熟知しているが、肝心の、後衛にある自軍の要塞が、本戦闘とは全く無縁な野盗の群れに押し入られているという事実を知らずにいるという点が重要である。
 翻って“Reverend Joe”はと言えば、巧妙に敵陣深く密かに潜入して流言蜚語を流し、その生命線たる要塞を、言わば内部から攻略するという奇策を立てて、それを極めて有効な実戦に用いることが出来たとはいえ、これも連戦連勝無敵の大将軍という正式な評価を下し得る程度のものとは言えない。
 ここで、各個に行われた本戦線での実際の戦闘と、外見上の勝敗及びその戦後処理の様態までも射程に入れて、その検討・分析・総合を精密に行い、その核心にある哲学的な意味に於いての軍政原理の認識に到達した時、この二人の両雄には、実は何れにも致命的な誤算があるということが明白となるのである。
――しかし、そうした本質的戦争論はさて置き――まずは応えて見給え。
――無敵を誇る、
“Dog Killer”『犬殺し』 Colonel Joe コーネル・ジョー
が、その戦闘に於いて見破ったというのは、
“Eagle of Mt.Godai”『ゴダイの荒鷲』と異名された General Bass ジェネラル・バース
の、一体、何処(どこ)であったのかを。〈以下、余白〉」
【淵藪野狐禪師附注:以上の本文は、本戦線を実地に視察し、後に“Buttle M-31 Case”の暗号名を以って、その出身校ウエストポイント陸軍士官学校に於いて講義を行ったGeorge Smith Patton, Jr.ジョージ・スミス・パットン将軍のメモを、無門慧開が剽窃したものであることが早くから知られていた。今回、そのメモの原本(英文)が発見されたため、淵藪野狐禪師が邦訳し、世界に先駆けてここに公開するものである。】

 次いで囃して言う。

呼びかけた 一つの言葉 それはいつも 同じ――だから
それに答えた 一つの言葉 それもいつも そっくりなの
ほら! その口にした ご飯!――「ジャリ!」……砂が交じってるから お気をつけ遊ばせ!
ほら! 泥濘(どろ)だらけの道よ! 茨の刺が沈んでるわ!――「ブッス!」……だから……言ったのに……

[淵藪野狐禪師注:
・「五台山」は、中国山西省東北部五台県にある霊山(3,058m)。別名、清涼山。「華厳経」菩薩住処品に「東北方有菩薩住処、名清涼山」とありことから、ここで文殊菩薩が説法をしていると考え、聖地として古くから信仰された。主人公の趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん 778~897)は60歳で遊学の旅に出、80歳以降は現在の河北省趙州の観音院に住するようになったとあるので、このエピソードはその遊学の時代のものか。
・「ジョージ・スミス・パットン将軍」(1885~1945)は著名な米軍人。歴史上の戦史研究についての造形も深く、輪廻転生の熱心な信者でもあった。映画『パットン大戦車軍団』でも印象的に描写されるように、自分はカルタゴの将軍Hannibal Barca ハンニバル・バルカ(B.C.247~B.C.183)の再生した者と本気で信じていた節がある。であればこそ、唐代にも転生して、本則の商量の原文を記していたとしても強ち、噴飯ものとは言えまい。]

2009/05/01

無門關 十五 洞山三頓

  十五 洞山三頓

雲門、因洞山參次、門問曰、近離甚處。山云、査渡。門曰、夏在甚處。山云、湖南報慈。門曰、幾時離彼。山云、八月二十五。門曰、放汝三頓棒。山至明日却上問訊。昨日蒙和尚放三頓棒。不知過在甚麼處。門曰、飯袋子、江西湖南便恁麼去。山於此大悟。

無門曰、雲門、當時便與本分草料、使洞山別有生機一路、家門不致寂寥。一夜在是非海裏著到、直待天明再來、又與他注破。洞山直下悟去、未是性燥。且問諸人、洞山三頓棒、合喫不合喫。若道合喫、草木叢林皆合喫棒。若道不合喫、雲門又成誑語。向者裏明得、方與洞山出一口氣。

頌曰

獅子教兒迷子訣
擬前跳躑早翻身
無端再敍當頭著
前箭猶輕後箭深

淵藪野狐禪師書き下し文:

  十五 洞山の三頓(さんとん)

 雲門、因みに洞山の參ずる次(つい)で、門、問ふて曰く、
「近離、甚(いづ)れの處ぞ。」
と。山云く、
「査渡(さと)。」
と。門曰く、
「夏(げ)、甚れの處にか在る。」
と。山云く、
「湖南の報慈(はうず)。」
と。門曰く、
「幾時(いつ)か彼(かしこ)を離る。」
と。山云く、
「八月二十五。」
と。
 門曰く、
「汝に三頓の棒を放(ゆる)す。」
と。
 山、明日に至りて却りて上り、問訊す。
「昨日、和尚、三頓の棒を放すことを蒙る。知らず、過(とが)、甚麼(いずれ)の處にか在る。」
と。
 門曰く、
「飯袋子(はんたいす)、江西湖南(こうぜいこなん)、便ち恁麼(いんも)にし去るか。」
と。
 山、此に於いて大悟す。

 無門曰く、
「雲門、當時(そのかみ)、便ち本分の草料を與へて、洞山をして別に生機(さんき)の一路ありて、家門をして寂寥を致さざらしむ。一夜是非海裏(かいり)に在りて著倒(じやくたう)し、直(ぢき)に天明を待ちて再來するや、又た、他(かれ)の與(ため)に注破す。洞山、直下(ぢきげ)に悟り去るも、未だ是れ、性(しやう)、燥(さう)ならず。且らく諸人に問ふ、洞山三頓の棒、喫すべきか、喫すべからざるべきか。若し、喫すべしと道(い)はば、草木叢林、皆な、棒を喫すべし。若し、喫すべからずと道はば、雲門、又た、誑語(かうご)を成すなり。者裏(しやり)に向かひて明らめ得ば、方(まさ)に洞山の與(とも)に一口(いつく)の氣を出さん。」
と。

 頌して曰く、

獅子 兒を教ふ 迷子(めいし)の訣(けつ)
前(すす)まんと擬して 跳躑(てうちやく)して早(つと)に翻身(ほんしん)す
端(はし)無く再び敍(の)ぶ 當頭著(たうとうぢやく)
前箭(ぜんせん)は猶ほ輕きがごとくして 後箭(こうせん)は深し

淵藪野狐禪師訳:

  十五 洞山の三頓(さんとん)

 雲門和尚は、機縁の中で、後の洞山守初が行者(あんじゃ)として初めて参禅しに来た際、開口一番、
「何処から来た。」
とぶしつけに訊く。洞山は答える。
「査渡から。」
雲門は続けざまに訊く。
「この夏安居(げあんご)は、何処に居た。」
洞山は答える。
「湖南の報慈(ほうず)で。」
雲門は畳み掛けて訊く。
「何時(いつ)そこを出た。」
洞山は答える。
「八月二十五。」
すると、雲門は吐き捨てて言った。
「貴様、三頓六十棒の値打ちもネエ、奴だ。」

 洞山は、その後(あと)、ずっと座禅を組んで考えてみたが、和尚の最後の言葉の意味が分からず、翌日、夜が明けるとすぐに雲門和尚の室(へや)に上(のぼ)り、訊ねた。
「昨日(さくじつ)、和尚さまは、私めを、三頓六十棒を加える値打ちもない輩である、と断ぜられた。しかし、どう考えてみても、分かりませぬ、その咎(とが)は、一体、何処(いずこ)に在るのか?」
と。
 雲門、一喝して言う。
「この大飯喰(おおめしぐ)らいの、飯袋(めしぶくろ)の、糞袋(くそぶくろ)が! 江西だ、湖南だと、貴様は一体、何処(どこ)をうろうろしておった!!」
 洞山は、その瞬間、そこで、大悟した。

 無門、商量して言う。
「そん時その場の、馬飼い雲門、洞山馬(どさんこ)守初に極上の、飼い葉与えて洞山を、サラブレッドに、俄かに仕立て、子種断つのをER。昼夜兼行、七転八倒、疾風怒濤の一夜明け、東天紅のその朝(あした)、直ちに膝下に寄り来れば、また駄馬撫でて、優しく調教。確かに洞山、悟ったと言えぬわけではあるまいが、まだまだ鋭利な才とは言えぬ。

――それでは、次の問を諸君に示そう!
『洞山は三頓六十棒を喰らった方がよかったのか? それとも、喰らわずに済んでよかったのか?』
――もしも、喰らうべきだと言うならば、その時は、ありとあらゆる修行者は、皆、三頓六十棒を喰らわねばならない。
――もしも、喰らう必要も義務もないと言うならば、その時は、雲門文偃(ぶんえん)という大騙(おおかた)りが、またとんでもない流言蜚語を吐いたということになる。

――さあて、この、どんよりとしたありさまを、ぱっと明るく晴らせたならば、洞山父さん、あなたのために、文偃煤煙一吹きで、飛ばして心も、青い空!」

 次いで囃して言う。

獅子は子を 谷に堕(お)として教導す
その子また 堕ちると見せて絶壁に とんぼを打つて 身を翻(かえ)す
はしなくも 今 第二問 バスンと正鵠!
一の矢 するりと皮を剥ぎ 二の矢で ブっすり心の臓

[淵藪野狐禪師注:
・「三頓」一頓は警策・拄杖(しゅじょう)で二十回叩かれることを言う。「査渡」及び「報慈」の地名は不詳。識者の御教授を乞う。
・「江西湖南」はそのまま訳したが、西村注によれば『略して江湖とも。江西には馬祖(ばそ)、江南には石頭(せきとう)というごとく、唐代の中国で禅の盛んであった地方。転じて天下の意。』とあり、そのようなスケールでの謂いと、確かにとるべきところである。但し、西村氏も該当箇所は『江西だの湖南だのと』と訳しておられる。
・「草木叢林」は大小の禅林、すべての禅寺、すべての禅者の意。]

2009/04/30

無門關 四十二 女子出定

★★★これは是が非でも注の最後まで見て下さい。私のエノケンへの思いの長けを、どうかお読み頂きたいのです。他にも面白いところがあると思いますよ、キット!★★★

  四十二 女子出定

世尊、昔、因文殊、至諸佛集處値諸佛各還本處。惟有一女人近彼佛坐入於三昧。文殊乃白佛、云何女人得近佛坐而我不得。佛告文殊、汝但覺此女、令從三昧起、汝自問之。文殊遶女人三帀、鳴指一下、乃托至梵天盡其神力而不能出。世尊云、假使百千文殊亦出此女人定不得。下方過一十二億河沙國土有罔明菩薩。能出此女人定。須臾罔明大士、從地湧出禮拜世尊。世尊敕罔明。却至女人前鳴指一下。女人於是從定而出。

無門曰、釋迦老子、做者一場雜劇、不通小小。且道、文殊是七佛之師、因甚出 女人定不得。罔明初地菩薩、爲甚却出得。若向者裏見得親切、業識忙忙那伽大定。

頌曰

出得出不得
渠儂得自由
神頭并鬼面
敗闕當風流

淵藪野狐禪師書き下し文:

  四十二 女子の出定(しゆつじやう)

 世尊。昔、因みに文殊、諸佛の集まる處に至りて諸佛各々本處(ほんじよ)に還るに値(あ)ふ。惟(た)だ一の女人有りて、彼の佛座に近づいて三昧に入る。
 文殊乃ち佛に白(まう)さく、
「云-何(いかん)ぞ、女人(によにん)は佛座に近づくことを得て、我は得ざる。」
と。
 佛、文殊に告ぐ、
「汝、但だ此の女を覺(さま)して、三昧より起たしめて、汝自から之れを問へ。」
と。
 文殊、女人を遶(めぐ)ること三帀(さんさう)、指を鳴らすこと一下(いちげ)して、乃ち托(たく)して、梵天に至りて、其の神力(じんりき)を盡くすも、出だすこと能はず。
 世尊云く、
「假-使(たと)ひ百千の文殊も亦た、此の女人を定(じやう)より出すことを得ず。下方一十二億河沙(がしや)の國土を過ぎて、罔明(まうみやう)菩薩有り。能く此の女人を定より出ださん。」
と。
 須臾(しゆゆ)に罔明大士、地より湧出して世尊を禮拜す。世尊、罔明に勅す。
 却りて女人の前に至りて指を鳴らすこと、一下す。女人、是に於いて、定より出ず。

 無門曰く、
「釋迦老子、者(こ)の一場の雜劇を做(な)す、小小を通ぜず。且らく道(い)へ、文殊は是れ、七佛の師、甚(なん)に因りてか、女人を定より出だすことを得ざる。罔明は初地(しよぢ)の菩薩、甚としてか、却りて出だし得る。若し者裏(しやり)に向かひて見得して親切ならば、業識忙忙(ごふしきばうばう)として那伽大定(ながだいじやう)ならん。」
と。

 頌して曰く、

出得するも出不得なるも
渠(かれ)と儂(われ)と自由を得たり
神頭(しんづ)并びに鬼面
敗闕(はいけつ) 當に風流たるべし

淵藪野狐禪師訳:

  四十二 女の出定

 昔、お釈迦さまが説法を開いておられた。機縁の中で、文殊菩薩は、その説法が終わってから、諸仏が集まっていたその会堂に辿り着いたのであったが、諸仏は続々とそれぞれの在るべき本来の居所へと還ってゆく。言わば、その時に文殊は逆に会堂へと入ったのであった。
 ところが、ふと見ると、ただ一人の女人がそこに未だ居て、それも、あろうことか、お釈迦さまのすぐ近くに座を占めて、完全な深い三昧(さんまい)境に入っているのであった。
 文殊菩薩は、即座に、お釈迦さまに申し上げた。
「どうしてこの、穢れた女人如きがあなたのご尊座に近づくことが出来、私には出来ないのですか!」
その口吻は、如何にもな不服の意を含んでいた。
 お釈迦さまは、文殊に命じて言った。
「我が智慧第一たる文殊菩薩よ、そなたがその無上の智を持って、ただ、その三昧からこの女を目覚めさせ、そなた自身が、直接、女にそれを訊ねてみるがよかろう。」
 そこで文殊菩薩は、女の周囲を右回りに三度巡って、指をパツンと鳴らすやいなや、忽ちのうちに、巨大になり、その女を掌の上に載せると、欲界を遠く離れた梵天の高みにまで至って無類の清浄の気を女に含ませることに始めて、その智慧の、ありとあらゆる神通力を使い尽くして、女の覚醒を試みたのであった――ところが、である――女は三昧から、いっこうに抜け出る気配がない――いや、文殊菩薩とあろう者が、卑しい女一人をその定(じょう)から抜け出させることさえ、出来ないのであった。
 途方に暮れている文殊を尻目に、お釈迦さまは、おもむろに言った。
「たとえ百人の文殊菩薩――いやいや、千人の文殊菩薩が総手で取り掛かったとしても、この女人をこの恐ろしく深い定から目覚めさせることは――出来ぬ――しかし、この極楽の遙か下(しも)つ方(かた)、十二億恒河沙(こうがしゃ)の距離を数える、遠く、暗い地に、罔明(もうみょう)菩薩という修行者がおる――この男ならば――いや、この男だけが、この女人を、この恐ろしい定から目覚めさせることが出来るであろう。」
 すると、言うが早いか、あっという間に、今、名を呼ばれた壮士罔明が、颯爽と、十二億恒河沙の地の果てより湧き出でたかのように現れ、お釈迦さまに、うやうやしく礼拝した。
 お釈迦さまは、罔明菩薩に、黙って女人を指し示された。
 罔明菩薩は、すぐに女人の前に進み出、指をただ一度だけ、パツンと鳴らした――ただ、一度、ただそれだけ――女人は、その時、已に恐ろしいその定から救い出されていたのであった――

 無門、商量して言う。
「老いぼれてオシャカになったか、お釋迦さま? 衣装は無花果(いちじく)、葉が一枚、キャスト・スタッフ、総勢一名、一人芝居もいいところ、幼稚園児の学芸会、言葉に出来ない、低次元、大根役者も中毒死。――《お釈迦さま》「プロンプター! ちょっと台詞言ってみて!?」《お釈迦さまの独白》『あっ、そうか、俺一人しかいないんだった……』――ともかく、何とか言ってみな! 文殊菩薩と言うた日にゃ、過去七仏の一人だぜ!? 文殊の知恵だぜ!? 何たって! そいつがどうして変生男子(へんじょうなんし)、女如きを三昧から、救い出すこと出来ないの!? 罔明何て名前から、してから如何にも、どんクサク、ね? こいつは罔(くら)いどころじゃない、この「罔」の字は「無」の意だぜ! おいおい聞いたことがねえ! 無明菩薩たぁ、何の謂いじゃい? ドン暗、盆暗、ドン底の、菩薩のケツのその下(げ)ケツ、得体の知れぬ菩薩の骨、名前ばかりの菩薩じゃん!? ソイツがどうして女など、救えたのかをシャウトしろ! もしこの、クライ・マックス、バッチリと、スポット・ライトで照らせたら――そん時ゃ外見(そとみ)は、前世の、業(ごう)に縛られ、あちこちと、引き回されて、いっかな惨め、だけどその実内実は、清浄寂滅、透明の、ホントにホントの三昧境。」

 次いで囃して言う。

『出せる』様(さま)にあることも 『出せない』様にあることも
どちらも自由のただ中に 活殺自在の中に『在る』
思い出すのは あのお面
 ――笑っちゃいけない九品仏(くほんぶつ) 来迎(らいごう)してきた菩薩面
 ――息がつまって慄っとする 能「道成寺」般若面
舞台復帰大記念! 喜劇「エノケンの文殊菩薩危機一髪!」――『満員御礼』!

[淵藪野狐禪師注:この公案には、以下の注で記した以外にも、私には多くの、一見、杜撰な設定が見られるように思われる。それは確信犯なのかのしれないし、そうではなく、ただ創作者の力不足の故なのかも知れない。それ自体が、公案のブービー・トラップなのかも知れない。
・「出定」の「定」は、精神を集中して心を乱さない精神状態を言う。三昧・禅定に同じ。
・「文殊」文殊師利(もんじゅしゅり)菩薩のこと。通称の文殊菩薩は略称である。梵語(サンスクリット語)の“maJjuzrii”マンジュシュリーの漢訳。一般には菩薩中の智慧第一、釈迦(仏法)の智慧そのものを象徴する存在である。
・「文殊、諸佛の集まる處に至りて諸佛各々本處に還るに値ふ」この前提そのものが、如何にも意味深長ではなかろうか。その辺りを、私なりの解釈で、現代語訳してある。これはこの公案の一つの鍵ではなかろうか。
・「女人を遶ること三帀」の「三帀」は正しくは「右繞三帀(うにょうさんそう)」という最高の礼法。仏や神聖な対象に一礼、右側回りに三回巡る。ここで文殊がこの女人に対して、いくら釈迦の傍に居られるからといって、その作法を行っているのは、異例なことではなかろうか。これもこの公案の一つの鍵か。
・「梵天」梵語(サンスクリット語)“Brahman”の漢訳。本来は古代インドの世界観の中で創造主・宇宙的原理の根源とされたブラフマンの神格化されたもの。仏教に取り入れられて仏法を護持する仏となり、色界の初禅天の王を言う。そこから、その色界の空間である初禅天そのものを指すようにもなった。初禅天(梵天)自体は更に大梵天・梵輔天・梵衆天の三天からなるが、特に「梵天」と言った場合は大梵天をさす。色界十八天の中の下から第三番目の天に当たるが、そもそもがこの色界に住む天人自体が、食欲・淫欲・性別がなく、光明を食べ物としている(但し、情欲・色欲はあるとする)、極めて清浄な天である。
・「罔明」は、まさに超マイナーな菩薩らしい。いくら調べても、正体が分らない。筋書きから見ても、とりあえずは最下級の菩薩ととってよかろう。
・「恒河沙」数の単位。一般的には10⁵²(または10⁵⁶)とする。「恒河」はガンジス川を示す梵語(サンスクリット語)“Ganga”の漢訳。ガンジス川にある総ての砂の数を言う。本来は、無限を意味するものとして古くから仏典で用いられた。
・「雜劇」とは、中国の宋代に始まる演劇の一種。宋代にあっては主に滑稽な風刺劇という内容、元代にあっては「元曲」とも呼ばれる、高度な音楽性を持った歌劇風のものを言った。「頌」に現れる「神頭」及び「鬼面」というのは、そうした宋代の雜劇の演目に登場する神仙鬼神の面を指している。
・「変生男子」とは、仏教に於いて、現世で女である場合は成仏することが出来ず、後世(ごぜ)で男に生まれ変わることで、成仏が可能となるという女性差別思想。「法華経」の提婆達多品(だいばだったぼん)に由来とすると言われるが、実際には釈迦の思想自体には、このようなはっきりした体系(業の意識)はなかったと思われる。
・「過去七仏」とは、釈迦以前に存在した7人の仏陀(修行の果てに悟道に達した人)をいう。我々の一般的な歴史認識は釈迦を仏教の始点とするために奇異な感覚が生じるが、仏法は普遍の真理として当然それ以前から、否、時空を超えて永劫に『在る』わけであり、この過去仏が居なければ、逆に論理的でないとも言えよう。最も古い過去世の仏を毘婆尸仏(びばしぶつ)と呼び、以下順に尸棄仏(しきぶつ)・毘舎浮仏(びしゃふぶつ)・倶留孫仏(くるそんぶつ)・倶那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)・迦葉仏(かしょうぶつ)、そして釈迦仏である。
・「業識忙忙」は、幾つかの注釈を参考にして総合的に考えると、『前世の業によって、永劫、六道を輪廻転生せねばならないのか』という認識に人が囚われてしまうことを言う語と思われる。
・「那伽大定」の「那伽」は梵語(サンスクリット語)の“Nāga”で、本来はインドの神話上の蛇神であったが、釈迦が菩提を得た際に守護したとされることから、仏教では中国の竜王に習合し、仏法の守護神となった。また、龍は常に空に静止し、そこで深い思慮に入っているという伝説からであろうか、先に注した三昧・禅定と同義的となり、僧が悟道に達することを「那伽大定」と呼ぶようになった。従って、ここの「業識忙忙として那伽大定ならん」は極めて逆説的なことを、圧縮して表現していることに注意しなくてはならない。西村注ではここに『苦しみの真っ只中にいて、しかも寂滅の心境に住すること』とある。
・「九品仏」「来迎してきた菩薩面」というのは、浄真寺二十五菩薩来迎会(らいごうえ)の私の印象である。浄真寺は東京都世田谷区奥沢にある浄土宗の寺。東急大井町線の駅名「九品仏」は本寺の通称である。上品上生(じょうぼんじょうしょう)から下品下生までの九品(くぼん)往生の印を結んだ阿弥陀仏九体を祀る(但し、この印は手印ではなく、唇の端の部分で示しているため、視認による判別は至難)。この寺には通称『お面かぶり』、二十五菩薩来迎会という祭儀がある。三年に一度行われるもので、本堂と上品堂との間の空中に渡された橋を、阿弥陀如来を先頭に、二十五菩薩が渡御するものである。この如来・菩薩面はフル・フェイス・マスクで、実際の僧侶らが被って行う。ご存じない方は、「NPO法人無形民俗文化財アーカイブズ」の「浄真寺の二十五菩薩練供養 東京都指定無形民俗文化財」の動画を是非、ご覧あれ。稚児達は可愛いいんだけど……。
・「エノケン復活」小さな頃、私はエノケン、榎本健一(1904~1970)が大好きだった(すでに本『無門關』では、第七則と第二十六則に登場しているのだが)。1962年に再発した脱疽のために彼は右足を大腿部から切断した。私はその後、奇跡の復活を果たして、当たり役「エノケンの孫悟空」の舞台に復活登場した彼を映像で見たことがある。涙が止まらなかった――「エノケンの文殊菩薩危機一髪!」――そんなエノケンで、こんなのがあったら見てみたいと思った、これは勿論、架空の演題である。因みに、私の一番好きなエノケンの主演映画は1954年佐藤武監督の「エノケンの天国と地獄」に止めを刺す。笑えて泣ける!]

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