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カテゴリー「片山廣子」の50件の記事

2009/12/18

片山廣子「五月と六月」を主題とした藪野唯至による七つの変奏曲

『片山廣子「五月と六月」を主題とした藪野唯至による七つの変奏曲』を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。

これが、200000アクセス記念を除く、今年の私にとって忘れ難い最後の作品ということになろうかと思う。

相応な趣向を凝らした。御笑覧あれかし。

*昨夜、プレ公開したが、題名・結構に幾つかの不満足があり、また、ルートの一部に勘違いしていた箇所を発見したので、今、修正した。クレジットに変化は起こらないので、特に補正の注記はしていない。これで正式公開である。

2009/11/28

暮れかかる山手の坂にあかり射して花屋の窓の黄菊しらぎく 片山廣子

暮れかかる山手の坂にあかり射して花屋の窓の黄菊しらぎく

先に示した

日傘させどまはりに日あり足もとの細流れを見つつ人の來るを待つ

が生前最後の公開歌であると記した。

それでは、これよりも前で、生前の歌集に再録されていない歌を調べてみる。2006年月曜社刊の「野に住みて」の「拾遺」篇はそうした作業も極めて簡単に行える編集方法を採ってくれているのである。即ち、生前の歌集に採録されている歌には、それぞれの歌集に記号を与え、頭にその記号が附されているのである。「日傘させど」よりも前にある記号がない和歌――それが僕が求めている和歌ということになる。

――それが冒頭に示した和歌である。

……僕のテクストを小まめにお読みになっており、片山廣子と芥川龍之介の関係に関心があられる方には、もうお分かり頂けたはずだ……

この歌は昭和28(1953)年暮しの手帖社刊の随筆集「燈火節」の、あの「花屋の窓」の冒頭の一首だったのだ――そこで彼女は本歌が、遡る『昭和十一年ごろ横濱の山手の坂で詠んだ』ものであると述べているが、昭和11(1936)年の拾遺には本歌はない。但し、僕が「片山廣子短歌抄 《やぶちゃん蒐集補注版》」で示したように、この歌の異形と思われるものが、昭和29(1954)年刊の第二歌集『野に住みて』の「ふるき家(昭和十八年――十九年)」の「ふるき家」歌群の中に現れる。それは以下の通りである。

くれやすき山手の坂を下りくれば花屋のあかりに菊の花しろく

……僕は和歌は苦手だ、だからこの二首を並べてうんぬんする気は全くない。それでも敢えて言えば、視覚的効果と流麗さからは「くれやすき」の方がより好いようには思われる……

……いや、そんなことはどうでもいいのである……「花屋の窓」を未読の方は……今すぐ、お読みあれ……またしても――そう――またしても芥川龍之介なのである……

……廣子はやはり……芥川龍之介亡き後もずっと……芥川のことを――終生――思い続けていたということが……これらによって明らかではないだろうか?……

日傘させどまはりに日あり足もとの細流れを見つつ人の來るを待つ 片山廣子

日傘させどまはりに日あり足もとの細流れを見つつ人の來るを待つ

昭和32(1957)年「心の花」2月号に所載されたもの。これ一首のみである。2006年月曜社刊の「野に住みて」(引用もそこから。但し、新字を正字に代えた)の短歌の拾遺パートの、先に掲げた遺稿集の直前に置かれている。昭和32(1957)年の拾遺もこの一首のみである。既に僕の片山廣子の歌集群をお読みの方は、お分かり頂けるものと思うが、これは新作ではない。そもそもこの時、彼女は脳溢血で病臥し、翌3月19日に亡くなっている。――この歌は――あの大正15(1926)年の軽井沢での「日中」歌群の――一首である――この「人」は芥川龍之介である――片山廣子がこれを選んだのか、別の誰かがこれを選んで掲載したものか――それは不明である――しかし――これが廣子の生前最後の一首であることは紛れもない事実なのである――

うつそみとかかはりもなくわが心いくたびか死にまだ生きてゐる 片山廣子

うつそみとかかはりもなくわが心いくたびか死にまだ生きてゐる

片山廣子は昭和32(1957)年3月19日8時45分に亡くなった。79歳。前より脳溢血のため病臥していた。

本歌は角川書店発行の同年9月号の雑誌「短歌」に所載された遺稿集の掉尾に記されたものである。2006年月曜社刊の「野に住みて」の短歌の拾遺パートの最後に置かれている(引用もそこから)。但し、その前書によって実際の作歌は昭和24(1949)年(十月以降)のものと思われる。従って、辞世ではない。ないが、それはあたかも辞世の和歌の如く我々の胸を打つ。

ちなみに、彼女の死は僕が生まれて33日めのことであった。

2009/11/22

片山廣子 しろき猫 或いは 「――廣子さん、狐になって、彼のところへお行きなさい――」

片山廣子 49歳 昭和2(1927)年11月

雑誌「令女界」第6巻第11号掲載の廣子の全和歌

  しろき猫

坂路のわか葉の中にかぜふきて鸚鵡のさけぶ聲するゆふかた

どくだみの花多くあるがけのうへの二階の障子やぶれてあるかな

りん鳴りていづこの門かあくらしきわがひとりあるくほそみちの闇に

しろき猫くらき芝生をすぐるとき立ちどまりてわれを見たるやうに思ふ

小窓あけ夜中の庭の樹のうへに一つ星のまばたくを見たり

あけがたの雨ふる庭をみてゐたり遠くに人の死ぬともしらず

  輕井沢にて

霧のまく土手のうへの木にさまざまの小鳥あつまりて聲々に鳴けり

こころよくここに寝て死にたし風つよき碓氷のうへのくま笹のやま

……白い猫でも黒い猫でも……廣子にとっては「彼」である……ここに現れた星も、「あの」時と同じマアルス、である……

……「彼」の犬嫌いは頓に知られているが、殊の外、猫好きであったことは余り知られているとは思われない……片山廣子「黑猫」を読まれるがよい……

……あけがたの雨ふる庭をみてゐたり遠くに人の死ぬともしらず……

……この歌は本誌掲載から遡ること、3箇月前、昭和2(1927)年8月8日附の片山廣子の山川柳子宛書簡に、歌の後に「七月二十四日朝のこと」と記して初出する……私の「片山廣子琴線抄」を参照されよ……

……あけがたの雨ふる庭をみてゐたり遠くに人の死ぬともしらず……

……これは昭和2(1927)年7月24日早朝に自死した「彼」への挽歌なのであってみれば……それを最後に配した「しろき猫」歌群は全体が「彼」へのオードであるとしなくては不自然である……

……更に言うならば、「彼」へのオードである歌群に、無関係な歌を合わせて寄稿するような無神経な廣子ではない……そのオードの余韻を微かに響き返すような効果として、続く「輕井沢にて」は読まれることを「秘かに」期待している……

……この年の夏……「彼」の死んだ直後の夏……この年はひどく暑かったのだ……廣子は恐らく例年通り、軽井沢に避暑に行ったに違いない……しかし、そこには永遠に「彼」は来ない……重なり合った深い霧の中、人気はない……野鳥のさえずりが聴こえるだけ……しかし、この表面上は濃い霧の中のさまざまの小鳥の声を伝える叙景の一首、一首として切り離しても私には朗らかに響いては来ぬ……小鳥だけが聴覚の天然色を示しながら……あくまで眼前は乳を流した如き孤独なモノクロームの情景である……そしてその小鳥たちは「何の鳥だ」かは分からないのである……「あの」時の思い出の、碓氷峠の鳥のように……『何處からか彼は小さなまるい眼を光らして私』『を見てゐるのだらうと思つた』……そう「私たち」ではなく……独りぼっちの私を……

……その心象風景が次の歌へとカット・バックする……あの思い出の碓氷峠……それは誰もが知っている「あの」では、ない……あの、「五月と六月」に廣子が描いた、秘密「あの」思い出の碓氷峠……彼女が、「彼」の前で狐になり……不思議な花びらが『たつた五六片、私たちの顏の前をすつと流れて谿の上に』散った――「廣子さん、あれは、貴女と「彼」のときじくの花だったのですよ」(これはこのブログを記している僕が碓氷峠の上で彼女に語りかける台詞である)――

……しかし……廣子は……もう独りだ……強い風……ときじくの花びらは、もう散らない……ここなら……ここなら、こころよく寝て……死ねる……死にたい……「彼」との思い出の、この場所なら……碓氷峠の上の……熊笹の山の……その奥へ……生死を抱きとめる、彼女の愛したアイルランドの神話の自然のように……それが彼女を抱きとめてくれるであろう…………「廣子さん、行きなさい、狐になって、「彼」の元へ……」(これもこのブログを記している僕が碓氷峠の上で彼女にかけるコーダである)

この歌群は廣子の歌集には一首も採られていない。従って、読まれる機会も少ない。しかし、これは廣子の和歌の中で、どうしても銘記されなくてはならぬ歌であると、僕は思うのである――

(底本は月曜社2006年刊片山廣子/松村みね子「短歌集+資料編 野に住みて」の短歌のパートの「拾遺」301p所収のものを用いたが、表記は恣意的に正字に直してある。)

2009/05/16

片山廣子歌集「野に住みて」 全 附やぶちゃん注 (附献辞)

『片山廣子歌集「野に住みて」 全 附やぶちゃん注 』を、正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。

――本テクストを、今日、猫のいる浄瑠璃寺の門前からの「今日の」写真(!!!→この感嘆符は「野に住みて」の私の注をお読みになれば、おのずと分るであろう)を僕にメールで送ってくれた、教え子の貴女に感謝を込めて捧げる――

090516_0956011

2009/05/14

片山廣子第二歌集「野に住みて」校正終了

片山廣子第二歌集「野に住みて」の校正を今朝、終了した。明日の夜、若しくは土曜には公開する予定である。これほど、しっかり読んだ歌集は、生涯に於いてこれが最初で最後となる気がする。相応な注も附してある。少しだけ、ご期待あれ。

2009/05/12

予告 片山廣子第二歌集「野に住みて」公開近し

片山廣子第二歌集「野に住みて」のとりあえずの総ての打ち込みと注記を完了した。ただ、原始的なタイプであるので、校閲にもう少し、お時間を戴きたい(実際、校閲とは言いながら、孤独な作業なので、杜撰さは免れないのあるが)。

2009/05/09

シャーマンと沈黙の行――卑弥呼とルブリョフ 廣子の歌

どちらも僕の片山廣子『野に住みて』の「琴線抄」には採っていないが、タイプするとまた、感じ方が違うものだ。どうもどちらも気になる歌である。

一族の年長者よとわれを思ひ眠りに入りしひとびとを呼ぶ

これは恐らく敗戦直前に病死した長男達吉の七回忌法要、昭和26(1951)年3月の歌と思われる。一種呪術的である。ここにいるのは、まさに古代の巫女である。族長としてのシャーマン、廣子は歌なるものの原初へと確かに回帰している。卑弥呼のように――

としつきを默して過ぎしまづしさよなづみ果てては誇りともなる

「なづむ」は第一義的には「悩み苦しむ」の意味で用いられていようが、更に派生的な「執着する」「こだわる」「打ち込む」の意をも示していよう。廣子は戦前・戦中・戦後を通して自分が黙って過ぎてきたことを深く自省しつつ、そこにしかし「黙る」という覚悟の中で確かに廣子として生きてきたことの人生の矜持を示しているのだと私は読む。ルブリョフのように――

芸術家の戦争責任を追求することが偉大な文学研究だと思い込み、詩人の熱い魂だなんどと勘違いしている有象無象の馬鹿どもに、この歌の切れ端を額に貼り付けてやりたい気がする。

片山廣子第二歌集『野に住みて』のテクスト化の間(はざま)に

昨日来、片山廣子第二歌集『野に住みて』のタイプによる打ち込みを開始、ほぼ9割方終了した。中でも、「ひばりの歌」歌群の注に手間取りつつも、不思議に楽しかった。これは「大伴家持の歌をよみかへす折ありて」というモノグラフを持つ。僕は家持が越中守として在任した地で中学高校を過したのだった。その国府跡の勝興寺は、斜に構えた僕と友人の青春時代の道草の定番だったのだ。注を書きながら、あの頃のことが何故か懐かしく思い出されてくる――

なき父のいよよ戀しくしらぬひの筑紫の梅の歌よみかへす

[やぶちゃん注:これは家持の歌ではなく、彼が13歳前後の時に亡くなった、まさに「なき父」大伴旅人(天智4(665)年~天平3(731)年)が筑紫で詠んだ梅の歌、巻第8の1640番歌を指すものと思われる。

   太宰帥大伴卿の梅の歌
わが岳(をか)に盛りに咲ける梅の花殘れる雪をまがへつるかな

「まがへつるかな」は、山の上の少しばかりの残雪があって、それを梅の花と見紛うたよ、という意である。「なき父」を「いよよ戀しく」思っているのは、まず廣子であり、廣子が家持とダブり、そこから廣子の父が投影された旅人が現れるという重層効果をこの歌は持っているのである。]

家まもる都のひとに贈るべく百(もも)の眞珠も欲しとぞ詠みし

[やぶちゃん注:これは、巻第18の4101~4105番歌群を指す。

   京の家に贈らむが爲に、眞珠(あらたま)を願(ほり)せる歌一首并びに短歌

珠洲(すす)の海人(あま)の 沖つ御神に い渡りて 潛(かづ)き採るといふ 鮑玉(あはびたま) 五百箇(いほち)もがも はしきよし 嬬(つま)のみことの 衣手の 別れしときよ 奴婆玉(ぬばたま)の 夜床(よとこ)かたさり 朝寢髮 掻きもけづらず 出て來し 月日よみつつ 嘆くらむ 心なぐさに ほととぎす 來鳴く五月の あやめぐさ 花橘に 貫(ぬ)きまじへ 縵(かづら)にせよと 包みてやらむ(4101)

白玉を包みてやらな菖蒲草(あやめぐさ)花橘に合へも貫くがね(4102)
 
沖つ嶋いゆき渡りて潛くちふ鮑玉もが包みてやらむ(4103)

吾妹児(わぎもこ)が心なぐさにやらむため沖つ嶋なる白玉もがも(4104)

白玉の五百箇(いほつ)集ひを手にむすび遣(おこ)せむ海人はむがしくもあるか 〔一に云はく、「むがしけむはも」〕(4105)

  右は、五月十四日に、大伴宿禰(すくね)家持、興に依りて作れり。

以下、簡単な語注を附す。なお、この真珠は恐らく彼が越中守として統治していた、現在の能登半島舳倉島産のものと思われる。
○(4101)「はしきよし」:愛すべき。
○(4101)「夜床かたさり」:一方に退いて。一人寝の妻は夜の褥も片端に淋しく寝て、の意。以下、「嘆くらむ」までが想像の妻の景である。
○(4101)「包みて」:土産として。
○(4102)「合へも貫くがね」:「がね」は願望を表わす助詞で、「がに」と同じ。貫き合わせて飾り玉にして欲しい、の意。
○(4103)の歌は海人への真珠採りの懇請歌。
○(4104)「ちふ」は「といふ」の省略形。
○14105)「むがしくもあるか」(勇ましいことであろう) 、「むがしけむはも」(勇ましいことであるなあ)で真珠を採ってくれる(くれた)海人への言祝ぎの歌である。]

み越路のましろの鷹をうたに詠みて鄙のむすめは見かへりもせず

[やぶちゃん注:推測であるが、これは巻第19の4154及び4155番歌にインスパイアされたものではなかろうか。

   八日に、白き大鷹を詠める歌一首并びに短歌

あしひきの 山坂超えて ゆき更(かは)る 年の緒(を)ながく しなざかる 越(こし)にし住めば 大君の 敷きます國は 京師(みやこ)をも ここも同(おや)じと 心には 思ふものから 語り放(さ)け 見放(さ)くる人眼(ひとめ) 乏(とも)しみと 思ひし繁し そこゆゑに 心和(な)ぐやと 秋づけば 萩咲きにほふ 石瀨野(いはせの)に 馬だき行きて をちこちに 鳥踏み立て 白塗(しらぬり)の 小鈴(こすず)もゆらに あはせやり ふり放(さ)け見つつ いきどほる 心のうちを 思ひ伸べ うれしびながら 枕づく 妻屋の内に 鳥座(とくら)ゆひ 据ゑてそ吾が飼ふ 眞白斑(ましらふ)の鷹

矢形尾(やかたを)の眞白の鷹を屋戸(やど)に据ゑかき撫で見つつ飼はくしよしも

以下、簡単な語注を附す。因みに、私はこの越中国府跡の地高岡市伏木に、青春時代、6年間住んだ。
○「思ふものから」「ものから」は逆接の接続助詞で、京もこの越中も、帝がお治めになる土地という点で同じとは言うものの、の意。
○「語り放け……」は、この越中の地はあまりに鄙(ひな)で淋しく孤独で、親しく語り合う、見つめ合うことの出来る人が遠く避け離れて、いないことを嘆く。
○「石瀨野」一般の注では当時の新川郡の地名とするが、国府のあった現在の高岡市伏木の外れにある岩瀬ととりたい。私の家はこの近くにあった。
○「馬だき」の「だき」は「たき」で、操る、駆けるの意。
○「鳥踏み立て」は、野中に馬を駆け入れて鳥を追い立てることを言う。
○「白塗」銀鍍金(メッキ)。
○「あはせやり」は、鈴を附けた矢を放って鷹を追う家持が、その矢とその鷹とを互いに争はせるといった意味合いである。
○「枕づく……」以下、次の短歌を含めて、独り身の淋しさを鳥籠の中で白い斑(ふ)を持った優美な鷹を飼うことで癒す、といった描写である。
廣子はこの長歌の最後や短歌のイメージを、斑(ふ)を持った優美な白鷹=粗野ながら魅力的な自然児の鄙の娘への、家持のラヴ・ソングとして換骨奪胎したのではあるまいか。識者の御批評を乞う。]

鳴きとよむ雉子(きぎす)のこゑを聞きながら朝かすむ山を見てゐたりけり

[やぶちゃん注:これは巻第19の4148及び4149番歌を主調とする。

   曉(あかとき)に鳴く雉(きぎし)を聞ける歌二首

杉の野にさ躍る雉いちしろく音にしも哭(な)かむ隠妻(こもりづま)かも

足引の八峯(やつを)の雉 鳴き響(とよ)む 朝明(あさけ)の霞見ればかなしも

最初の歌は、一人寝の作者が悶々として寝られずに朝を向かえ、そこに雄の雉が雌を呼ぶ声を聴いての歌であろうか。人知れず隠しおいた妻であるはずの女を呼ぶお前は、その鳴き声でそれが人に知られてしまっているよ、それほどに、私のごと、妻が恋しいか、という感じであろうか。もっと違ったシチュエーションでセクシャルな意味合いも感じられないではないが、穏当にそう解釈しておきたい。]

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