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カテゴリー「片山廣子」の84件の記事

2017/01/26

綿引香織氏論文「高志の国文学館所蔵 芥川龍之介宛片山廣子書簡軸 翻刻と注釈」入手

つい先ほど、高校時代の親友の手を借りて、遂に今まで公にされなかった片山廣子の芥川龍之介書簡十四通及び歌稿(これらを全三巻の軸装としたもの)についての、綿引香織氏の論文「高志の国文学館所蔵 芥川龍之介宛片山廣子書簡軸 翻刻と注釈」を所載した「高志の国文学館 紀要 第1号」を入手した。

震える手でまずは縦覧したが、全書簡の翻刻と、その詳細な注釈には激しく感銘した。

私は以前、

「やぶちゃん編 芥川龍之介片山廣子関連書簡16通 附やぶちゃん注」(初版公開2010年10月18日)

の外に、まさにこの幻の片山廣子書簡について、凡そ6年前、

「未公開片山廣子芥川龍之介宛書簡(計6通7種)のやぶちゃん推定不完全復元版」

を公開している(初版公開2010年12月19日)が、そこで私が恣意的に荒っぽく推理した――公開されず、旧所蔵者であった吉田精一・辺見じゅん両氏によって死蔵され続けたために、推理するしかなかった――それらが、遂にここにその全容を見せたのである。

この推定復元をした頃の私は、公開されたら、私の推理部分を除去して、事実原文に差し換えるつもりであったが、この綿引香織氏の労作を前にしては、とても安易にそのようにする気は、今は全く失せた。

芥川龍之介或いは片山廣子に関心のあられる方は、この「高志の国文学館 紀要 第1号」を購入せずんばならず!
とだけ言っておく。

但し、翻刻を精読させて戴いた上で、私の「未公開片山廣子芥川龍之介宛書簡(計6通7種)のやぶちゃん推定不完全復元版」注の推理の決定的誤りや不完全な部分は――片山廣子自身のために――訂正或いは削除せねばならぬことは言うまでもない。それは、じっくりとやろう。まずは御報告まで――

2016/08/26

片山廣子第一歌集「翡翠」に佐佐木信綱の序文を挿入

片山廣子の第一歌集「翡翠」に佐佐木信綱の序文を挿入した。電子化した時(2009年4月29日)には彼の著作権が存続していたため、省略していたが、二年前にパブリック・ドメインになっていたことを最近知った。遅まきながら、これで――「全」――である。

2016/08/13

杉山萠圓(夢野久作) 「翡翠を讀んで」

 

[やぶちゃん注:杉山萠圓(はうゑん(ほうえん)は夢野久作(本名は杉山直樹)のペン・ネームの一つ。片山廣子の第一歌集「翡翠」の書評である。

 大正六(一九一七)年四月刊の『心の花』に掲載された(書誌情報は二〇〇一年葦書房刊西原和海編「夢野久作著作集6」の巻末に載る「夢野久作作品年表」に拠った)。初出以外では現在までに採録されたものはないと思われ(西原氏の「夢野久作著作集」でも書誌データのみで本文は載らない)、電子化もこれが最初であると思われる。夢野久作満二十八歳、還俗し、再び福岡香椎村の農園経営に戻った直後の頃で、エンディングのリアリズムは、まさにそうしたのっぴきならない夢野久作の夢野久作たる所以、と見逃してはならぬシークエンスなのである。

 「翡翠」は「かはせみ(かわせみ)」と読み、アイルランド文学の翻訳者としても知られる歌人片山廣子の第一歌集で、佐佐木信綱主宰の結社『心の花』の出版部門である竹柏会出版部から大正五(一九一六)年三月二十五日に『心の花叢書』の一冊として刊行されたものである(私は上記の「翡翠」以外にも、彼女の代表的歌集類及び翻訳と随筆を私のサイト「心朽窩旧館 やぶちゃんの電子テクスト集:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇の「■片山廣子/松村みね子」でオリジナルに公開している。興味のある方は是非、参照されたい)。

 この元データは私のツイッター上での私のこれに関わる書き込みを見られた夢野久作を研究されておられる方が、資料としてお持ちの本書評の画像部分を二〇一六年八月十二日にPDFファイルで無償で提供して下さったものを視認して電子化した。

 踊り字「〱」は正字化した。表題及び署名は底本に反して前後に空行を設けた。署名は「杉 山 萌 圓」と一字空けが施されて、本文ポイント三字上げの下インデントであるがブログでの表示不具合を考えて再現していない(最後の「(香椎園藝場に於て)」も下インデントは同じ)。短歌引用の最初の「何となく眺むる庭の生垣を鳥飛び立ちぬ野に飛びにけり。」の『「』の開始位置は明らかに半角分下がっているが、改行の空けとしても不自然にしか見えないので再現しなかった。引用の「幾千の大木ひとしく靜まりて月の祝福うくるこの時」の歌にだけ最後の句点がないのはママ。

 一ヶ所だけ、冒頭の一文中の「■い表裝」の「■」の字は原本の活字が潰れていて判読が出来ない。(へん)が「にすい」か「さんずい」のように見え、後で歌の趣きを筆者が「滋い沈んだ色彩」と述べていることや、歌集「翡翠」原本の表装はネット上の写真を見る限り、現存物は濃い青か或いは紺色で「しぶい」色には見えることなどから推すと、「しぶい」の意の可能性が高いようには思われる。ここでは、資料提供者の方の意見も伺い、「澁」「歰」「渋」或いは後に出る「滋」ではないか、と推察するに留めることとする。

 なお、引用された「翡翠」からの短歌は総てに亙って原本とは表記が異なっており、一部には問題外の誤字や脱字も認められるので、末尾に全歌の対照表を作って別に掲げた

 また、文中の「竹柏園先生」は『心の花』主宰の佐佐木信綱の別号。「ちくはくゑん」とはべつにこれで「なぎぞの」とも読み、元は同じく歌人であった父弘剛の号であり、門人組織名であった。彼の評「舊衣は破れて新衣未だ成らざる姿」は「翡翠」の信綱の序文(大正五年二月クレジット)の一節に基づいた表現であるが、そのままではない。当該箇所を引く。下線はやぶちゃん。

   *

 自分がこの集を通讀して感じたことを率直にいふと、思ふに著者の歌は、今や岐路に立つてゐる。舊衣を破り捨てて、それに代るべき新しい衣が未だ成つてをらぬといふ狀態にある。固より舊衣は如何に美しとも、それにまさつた新衣だに得なば破り捨てても決して惜しむに足りない。著者の態度は、舊い自己にあきたらないで、而も未だ新たなる信念にそふ歌を得むとして得かねてゐると思はれる。而して著者がその歌風のかかる岐路に立つて、その現在をありのままに曝露しようとした勇氣は、また多とすべきである。而して自分の著者に待つところは、その將來の大成にある。

   *

である。続くその後の、『野口先生の歌はれた樣に「終局の破滅に急ぐ傾向」を帶びて居る』というのも「翡翠」の信綱に先立つ巻頭序文(英文と和文の二種)の詩人野口米次郎(署名は「ヨネ、ノグチ」)の一節に基づく(これも完全な引用ではない)。以下に当該部を示す。下線はやぶちゃん(こちらの全文は私の片山廣子第一歌集「翡翠」に電子済)。

   *

心揚りよろこびを以て吾が常に歌ひしむかしの歌は今いづこにある? 今吾は灰塵となれる廢墟なり。火災と共に吾が生の第三期は始まりぬ。

君も亦君が生の第三期に入りしと吾は信ず。

終局の破滅に急ぐは現代の特色なり。ああ、吾が心の廢墟の上に新しき歌を再び築かばや! 哀愁(かなしみ)と傷痍(きず)より生れいでたる色彩(いろ)と認識(みかた)とを以て、詩人の寂しく大なる城を再び築かばや! 靈妙にして自由なる吾が企圖(おもひ)を行はんためには、吾は理想と夢の歡樂を犧牲にして惜しまざるべし。

吾が友よ、君は吾が言葉を能く理解すべし。

   *

 

 追記。

 因みに、彼女のこの歌集の書評を、今一人、著名な人物がものしている。

 大正五(一九一六)年六月発行の雑誌『新思潮』の「紹介」欄に掲載されたもので、最後に附された括弧書きの署名は「啞苦陀」となっている。「あくだ」、かの芥川龍之介である。片山廣子が処女歌集を龍之介に献本したものと推測される。短いので、参考までに私の芥川龍之介による片山廣子歌集「翡翠」評から引く(リンク先には草稿も電子化してある)。

   *

 

 この作者は、序で佐々木信綱氏も云つてゐる樣に在來の境地を離れて、一步を新しい路に投じ樣としてゐる。「曼珠沙華肩にかつぎて白狐たち黃なる夕日にさざめきをどる」と云ふ樣な歌が、其過去を代表するものとするならば、「何となく眺むる春の生垣を鳥とび立ちぬ野に飛びにけり」と云ふ樣な歌は、其未來を暗示するものであらう。勿論、後者の樣な歌に於ては、表現の形式内容二つながら、この作者は、まだ幼稚である。しかし易きを去つて難きに就いたと云ふ事は、少くとも作者自身にとつて、意味のある事に相違ない。そして同時に又この歌集が、他の心の花叢書と撰を異にする所以は、此處に存するのではないかと思ふ。左に二三、すぐれてゐると思ふ歌を擧げて、紹介の責を完する事にしやう。

 

   灌木の枯れたる枝もうすあかう靑木に交り霜とけにけり。

 

   日の光る木の間にやすむ小雀ら木の葉うごけば尾をふりてゐる。

 

   沈丁花さきつづきたる石だたみ靜にふみて戸の前に立つ。

 

 それから母としての胸懷を歌つた歌に、眞率な愛す可きものが、二三ある。

 

   たゆたはずのぞみ抱きて若き日をのびよと思ふわが幼兒よ。

 

   我をしも親とよぶびと二人あり斯くおもふ時こころをさまる。

 

 野口米次郎氏の序も、内容に適切である。裝幀は淸洒としてゐる。 (啞苦陀)

 

   *

 当時、芥川龍之介未だ二十四歳、片山廣子は龍之介より十四年上の三十八歳、また、この時(大正五(一九一六)年)の二人は、文学者同志の束の間の儀礼的擦れ違いに過ぎなかったものとは思われる。龍之介は同年十二月に塚本文と婚約しており、また、廣子はこの歌集刊行の四年後の大正九(一九二〇)年三月に日本銀行理事であった夫片山貞治郎と死別することとなる。

 ところが、龍之介と廣子は、この八年後の七月の軽井沢で運命の再会をすることとなる。周知の通り、「或阿呆の一生」の「三十七」に出る「越し人」、かの龍之介をして『彼は彼と才力の上にも格鬪出來る女に遭遇した』と言わしめたのが彼女、片山廣子であった。芥川龍之介の絶唱「越びと 旋頭歌二十五首」(大正一四(一九二五)年三月『明星』)も彼女の捧げられたものである。芥川龍之介が最後に愛したのは確かに片山廣子であった、と私は硬く信じて疑わない。それは私のブログ・カテゴリ「片山廣子」その他もろもろで語っているので興味のあられる方は是非、お読み戴きたく存ずる(なお、以上のリンク先は総て私のオリジナルな電子テクストである)。

 

 最後に。

 本電子化の底本データを下さった方に、再度、御礼申し上げるものである。【二〇一六年八月十三日 藪野直史】]

 


     
翡翠を讀んで

       
杉山萠圓

 

 翡翠の一卷を讀み了つて其の■い表裝をぼんやり見つめて居るといろいろの背景の前にいろいろの顏つきが浮み出て來る。

「何となく眺むる庭の生垣を鳥飛び立ちぬ野に飛びにけり。」

「靑白き月の光りに身を投げて舞はばや夜の落葉のをどり。」

「幾千の大木ひとしく靜まりて月の祝福うくるこの時」

 など云ふ快よい滿ち足つた有樣。又は

「春雨や精進のけふのあへものに底の木の芽を傘さして摘む。」

「朝霧の底に夢見る高き木に鶯鳴けばわが心覺む。」

 など云ふ小じんまりした情趣などが眼にちらついて其他の滋い沈んだ色彩を蔽ひかくす樣な氣がする。これは自分の誤解ではあるまいかと思つて二三度くりかへして讀んで見たが矢張り同じ事で、却つて其沈んだ顏つきと浮き立つた背景とが益々はつきりと自分の眼に泌み込んで次第にある一つの顏つきに統一して來る。さうして其輕い華やかな背景に反き乍らじつと眼の前の暗いものを見つめて居る瞳其瞳の光さへ明らかになつて來て靜かに自分の眼と相會ふた時白自分は正に頭の中に翡翠といふ婦人の肖像畫を作り得た心地がした。さうして此女人の表情と背景とが朧氣ならず矛盾して居る理由を察し得て何と無く頭の下るのを禁じ得なかつたのである。

 此矛盾が作者の歌であつた。生命であつた。

「生くるわれと夢見るわれと手をつなぎ歩みつかれぬ倒れて死なむ。」

 又過去と現在と未來であつた。

「くだものと古き心をすてゝ見む鳥やついばむ人や踏みゆく。」

 併せては又其生涯の回顧と煩悶空虛と實在であつた。

「花も見ず息をもつかず急ぎ來しわが世の道を今ふりかへる。」

「つれつれにちひさき我をながめつゝ汝何者と問ひて見つれど。」

 とあるのを見ても疑ふ餘地が無い。

 竹柏園先生のお詞の如く「舊衣は破れて新衣未だ成らざる姿」で又野口先生の歌はれた樣に「終局の破滅に急ぐ傾向」を帶びて居る。さればこそ

「渦卷きに一足入れてかへり見し悲しき顏は忘れ難かり。」

 と云ふ歌が殊に強く自分の腦狸に印象を殘したのであらう。

 併しもう仕方が無い。行く處まで行かねばならぬ。それならば何處ヘゆくか。自分は斯樣思つて再び翡翠を取り上げて豆だらけの手で裏表を撫で乍らぼんやりと外を眺めた。窓の前にはまだ熟せぬ水蜜桃の袋がいくつも葉蔭に並んで居る。遠くの野の低い處に雲雀が鳴いて居る。空も靑黑く地も靑黑い。何時まで眺めても考へがつかないまゝに筆を擱いた。さうして自分も亦此問題を考へねばならぬ者であると深く深く感じた。

          (香椎園藝場に於て)

 

 

■やぶちゃんによる引用歌と原本「翡翠」の当該歌との対照表

 引用中の一ヶ所を除いて総てに附されてある末尾の句点は原歌集にはないので除去して示した。

 最初に本文の引用短歌を出したが、頭に「○」「△」「×」の記号を附した。「○」は「許せる範囲」、「△」は「誤りではないが、転写引用としては問題がある」レベル、「×」は生死にかかわる緊急手術必要、という一種のトリアージとして示したものである。

 矢印(↓)の次の【翡翠】とある次の行の「◎」を附したものが、元歌集「翡翠」の正規表現である。引用の方に私が附した下線部太字は原本と異なる問題箇所である。

 

○何となく眺むる庭の生垣を鳥飛び立ちぬ野に飛びにけり

【翡翠】

◎何となく眺むる春の生垣を鳥とび立ちぬ野に飛びにけり

[やぶちゃん注:「翡翠」巻頭歌。正直、それくらいは誤らずに引用して欲しかった。以下、片山廣子は夢野久作の洞察に富んだ評言には心から感謝し乍らも、引用の杜撰さには少ししょんぼりしたような気がする。]

 

○靑白き月の光りに身を投げて舞はばやの落葉のをどり

【翡翠】

◎靑白き月のひかりに身を投げて舞はばや夜(よる)の落葉のをどり

[やぶちゃん注:「翡翠」の最終歌から十三首前の歌。引用には「夜」のルビがない。頂戴したデータの前後の別な人物の記事ではルビを振った箇所は認められないものの、多量の異なった記号の傍点が沢山認められるから、『心の花』の版組上、ルビが振れなかったとは言わせない。]

 

×幾千の大木ひとしく靜まりて月の祝福うくるこの時

【翡翠】

◎幾千の大木ひとしく靜まりて月の祝福(めぐみ)をうくるこの時

[やぶちゃん注:引用ではルビがなく、おまけに格助詞「を」が脱落しているため、「祝福」は「しゆくふく」と読まれてしまう。

 

×春雨や精進のけふのあへものの木の芽を傘さして摘む

【翡翠】

◎春雨や精進のけふのあへ物に庭の木の芽を傘さしてつむ

[やぶちゃん注:「庭」を「底」とするとんでもない誤りであるが、どう考えても「底」では意味が通らないから、夢野久作の誤りではなく、単なる『心の花』側の誤植・校正ミスであろう。]

 

○朝霧の底に夢見る高き木に鳴けばわが心覺む

【翡翠】

◎朝霧の底に夢みる高き木にうぐひす鳴けばわが心覺む

 

○生くるわれ夢見るわれと手をつなぎ歩みつかれぬ倒れて死なむ

【翡翠】

◎生くる我とゆめみる我と手をつなぎ歩み疲れぬ倒れて死なむ

[やぶちゃん注:「翡翠」の最終歌から十二首前の歌。]

 

○くだものと古き心をすてゝ見む鳥やついばむ人や踏みゆく

【翡翠】

◎くだものと古き心は捨てて見む鳥やついばむ人や踏みゆく

[やぶちゃん注:「翡翠」の最終歌から十一首前の歌。]

 

○花も見ず息をもつかず急ぎ來しわが世の道を今ふりかへる

【翡翠】

◎花も見ず息をもつかずいそぎ來しわが世の道を今ふりかへる

 

つれつれちひさき我をながめつゝ汝何者と問ひて見つれど

【翡翠】

◎つれづれに小さき我をながめつつ汝何者と問ひて見つれど

[やぶちゃん注:引用の「つれつれ」の後半は底本では踊り字「〱」であるので(「〲」では、ない)、かくした。原本でも前の引用の歌の次に配されている一首である。]

 

渦卷きに一足入れてかへり見し悲しき顏は忘れ難かり

【翡翠】

◎渦まきに一足入れてかへりみしかなしき顏はわすれがたかり

2015/04/10

片山廣子の芥川龍之介宛の幻の書簡の所在が判明した

片山廣子の芥川龍之介宛の幻の書簡の在り所が僕の昔馴染みから遂に知れた!――何か新しい動きが起りそうな予感が――する――!

やぶちゃん編 芥川龍之介片山廣子関連書簡16通 附やぶちゃん注

の原本(これは旧所蔵者であった吉田精一と辺見じゅん以外、如何なる芥川龍之介研究家も語っていない。ということはこの二人以外、親しく実見した研究者がいないということを意味する幻の書簡なのである)が公にされる可能性――現われていない秘められた事実が明らかにされるかもしれない可能性――が出て来たということである。

何だか……わくわくしてきた!……

2014/07/21

芥川龍之介「或阿呆の一生」の「四十七 火あそび」の相手は平松麻素子ではなく片山廣子である

 

       四十七 火あそび

 

 彼女はかがやかしい顏をしてゐた。それは丁度朝日の光の薄氷(うすごほり)にさしてゐるやうだつた。彼は彼女に好意を持つてゐた。しかし戀愛は感じてゐなかつた。のみならず彼女の體には指一つ觸れずにゐたのだつた。

 「死にたがつていらつしやるのですつてね。」

 「えゝ。――いえ、死にたがつてゐるよりも生きることに飽きてゐるのです。」

 彼等はかう云ふ問答から一しよに死ぬことを約束した。

 「プラトニツク・スウイサイドですね。」

 「ダブル・プラトニツク・スウイサイド。」

 彼は彼自身の落ち着いてゐるのを不思議に思はずにはゐられなかつた。

 

   *

 これは芥川龍之介の「或阿呆の一生」の一節である(以下、リンクは総て私のオリジナル・テクストである)。

 この章の次は、以下である。

   *

 

       四十八 死


 彼は彼女とは死ななかつた。唯未だに彼女の體に指一つ觸つてゐないことは彼には何か滿足だつた。彼女は何ごともなかつたやうに時々彼と話したりした。のみならず彼に彼女の持つてゐた靑酸加里(せいさんかり)を一罎(ひとびん)渡し、「これさへあればお互に力強いでせう、」とも言つたりした。

 それは實際彼の心を丈夫にしたのに違ひなかつた。彼はひとり籐椅子に坐り、椎の若葉を眺めながら、度々死の彼に與へる平和を考へずにはゐられなかつた。

 

   *

 この「四十九」との連続性から、多くの読者はこれを芥川龍之介が自死直前に起こした平松麻素子との心中未遂事件(昭和二(一九二七)年四月七日とされる)と関連づけ、この「彼女」は妻文が相談相手として接近させた幼馴染みの平松であると無批判に信じ続けてこなかったであろうか? 少なくとも私はまさに無批判にそう思続けてきた。それは研究者の間でも日の同定すらはっきりしなかった(七日の同定は二〇〇八年刊行の新全集の宮坂覺氏による年譜による。一九九二年河出書房新社刊の鷺只雄著「年表作家読本 芥川龍之介」では四月十六日の項にこの未遂事件を掲げ、『七日とする説もある』とする)平松との心中未遂という、自死完遂の二ヶ月前の事実があまりにもスキャンダラスで強烈であったからに他ならない。そうしてまた、平松と龍之介の関係が、ほぼここに語られているようなものであった事実とも一致するからでもある。

 しかし、本当にそうだろうか?――

 この「彼女」とは本当に平松麻素子なのだろうか?――

《補注:但し、私は正直言うと、この「四十八 死」は総体に於いて虚偽記載であると推定している。それは芥川龍之介の自死が一般に信じられているジャールやヴェロナールによるものではなく、青酸カリによるものだと考えているからである(宇野浩二 芥川龍之介 十一 ~(3)の私の注などで既に何度もその論理的理由は書いた)。そうしてそれはこのように関係を持っていた愛人から得たものではないとも思っているからである。そもそも自死後に青酸カリによる服毒自殺であると万一、処理された場合、この記載は極めて都合の悪い事態を招くからである。即ち、この「彼女」が一般に考えられているように平松だとすれば、彼女には立派な自殺幇助罪の嫌疑がかかることになり、それはダンディズムに徹した彼には最も忌まわしい事態となるからである(実際には芥川家の主治医で俳句を通しての友人でもあった下島勲氏によって現行の薬物と断じられて現在に至るのであるが、ここにも私は何か下島氏との間に何らかの事前の密約のようなものがあったのではないかと疑っている)。寧ろ、凡そ平松はそうしたものを入手出来得る女性では到底なく、仮に疑われても直ぐに嫌疑が晴れるような、凡そ信じがたい嘘として、龍之介はこの怪しげな虚偽の章段を創って差し挟んだのではなかったか、と私は思っている――ではどこから青酸カリを入手したか? それは山崎光夫氏の「藪の中の家-芥川自死の謎を解く」で目から鱗の推理がなされている。是非、お読みあれ。――ほんのすぐ近くにそれは――あったのである(なお、毎回ここでお茶を濁して終わるのは、偏えに、言ってしまうと山崎氏の本を読む楽しみが著しく減ぜられてしまうからであって、言わないことに実は他意はないのである。それほど「藪の中の家」はスリリングなのだ)。》

 

 とすれば――四十八の「彼女」が自殺未遂をした平松だとすれば――「四十七 火あそび」の「彼女」は『彼は彼女に好意を持つてゐた。しかし戀愛は感じてゐなかつた。のみならず彼女の體には指一つ觸れずにゐたのだつた』と、「四十八 死」の『彼は彼女とは死ななかつた。唯未だに彼女の體に指一つ觸つてゐないことは彼には何か滿足だつた』の完全に同一に見える叙述内容から、この「四十七 火あそび」の「彼女」も平松であると誰もが認定するであろう。

 しかし――である。

 そもそも章段がここまで強い連関性を持って並んでいる「四十七」と「四十八」は「或阿呆の一生」の中では実は極めて異例であるという事実に私は、ふっと気づいた。

 と同時に、「プラトニツク・スウイサイドですね。」/「ダブル・プラトニツク・スウイサイド。」という応答が、ある疑義の余韻とともに私の鬱々たる脳内に反響し始めたのである。

 「或舊友に送る手記」とともに芥川龍之介の文学的遺書であるところの「或阿呆の一生」の冒頭、龍之介は盟友久米正雄に当てた前書の中で、『君はこの原稿の中に出て來る大抵の人物を知つてゐるだらう。しかし僕は發表するとしても、インデキスをつけずに貰ひたいと思つてゐる』と述べているが、実はこれは龍之介特有の悪戯っぽい作為なのだと私は確信している。久米は実際には「インデキス」はつけられないのである(実際に久米は死後、龍之介の友人たちとの座談の中で本作の「月光の女」の同定を試みたりしているが、そこには現在の知見からみれば明らかな誤りが多く含まれている。宇野浩二 芥川龍之介 十 ~(4)などを参照)。いや、今もって芥川龍之介の研究者の間でも本作の「インデキス」はまるで完備していないと言った方が正しいのが実情である。

 それは何故か?

 それはまさに、久米や佐藤春夫らが指摘し、私も「月光の女」の同定を試みた幾多の作業の中(『芥川龍之介の幻の「佐野さん」についての一考察 最終章』に主な考察のリンクを附してあるので未見の方は参照されたい)に痛感した、龍之介自身による複数の女性の合体が「月光の女」の正体であり、しかもその複数が恐るべき数に上るものであり、しかも「或阿呆の一生」の章段が意識的に時系列をシャッフルして並べ変えられているからである。その際、龍之介は、「月光の女」又は龍之介の愛した「彼女」を〈読者一人ひとりが勝手に錯誤してしまい易いように〉計算して恣意的に配置してもいるのである。

 これは龍之介が最後に我々に仕掛け残した自伝的作品への文学的虚構としての迷宮(ラビリンス)であり、自己告白に対する驚くべき少年染みたはにかみであり、そうして何より、彼が愛した数多の「彼女」たち(そこには実は「或阿呆の一生」には実際には書かれていない女性も含めてである)へのおぞましいまでの復讐であると同時に、胸掻き毟る現在形の懸恋の情のほのめかしでもあるのである。即ち、本作を読んだ、龍之介と接触し、何らかの恋愛関係にあった女性たち――肉体関係の有無を問わない――が読んだ際に「これは私のことだわ!」と思わせるような巧妙な仕掛けが施されたものであるということである。

 しかも龍之介は、それを章単位ではなく、それぞれの章のある部分が、ある特定の女性(芥川龍之介が/を愛した女性)の特徴を限定する〈かのように見えるように〉書いているのである。

 そうして、性交渉を持たなかった数多の女性にまでその感染を広げるための、恐るべき生物兵器こそが、この二章の『彼女の體には指一つ觸れずにゐたのだつた』であり、『唯未だに彼女の體に指一つ觸つてゐないことは彼には何か滿足だつた』であったのである。それは如何にも童貞の少年ナルシスの甘い〈ほのめかし〉の連続した仕掛けなのである。

 

 そうした仕掛けである――

 とするなら――

――我々は取り敢えず、この二章は実は繋がっていない無縁なものを巧みにモンタージュしたものとして、「四十七 火あそび」と「四十八 死」の「彼女」を別人とすべきなのである。

 

 そこで「四十七 火あそび」である。今一度、掲げる。

 

       四十七 火あそび

 

 彼女はかがやかしい顏をしてゐた。それは丁度朝日の光の薄氷(うすごほり)にさしてゐるやうだつた。彼は彼女に好意を持つてゐた。しかし戀愛は感じてゐなかつた。のみならず彼女の體には指一つ觸れずにゐたのだつた。

 「死にたがつていらつしやるのですつてね。」

 「えゝ。――いえ、死にたがつてゐるよりも生きることに飽きてゐるのです。」

 彼等はかう云ふ問答から一しよに死ぬことを約束した。

 「プラトニツク・スウイサイドですね。」

 「ダブル・プラトニツク・スウイサイド。」

 彼は彼自身の落ち着いてゐるのを不思議に思はずにはゐられなかつた。

 

 まず、『火あそび』という標題である。

 前に述べた通り、心中未遂を起こした平松麻素子は、妻文が夫の自殺の危険を憂慮して文自身が幼馴染みの友人である平松を相談相手として龍之介に接近させたことが分かっている。しかも平松との肉体関係は事実なかったというのが関係者の見解でもあるのである。そうした如何にも特異な関係性にあった平松との関係を――無分別なその場限りの〈情事〉を指す「火あそび」――という語で、かのストーリー・テラーたる文飾彫鏤巧みな芥川龍之介が、使うはずが、ない。「火あそび」という以上、それは妻文には知り得ぬような相手であってこそ「火あそび」である。但し、それは『彼女の體には指一つ觸れずにゐ』るものでも構わない。これはその気がないという意ではない。また『戀愛は感じてゐなかつた』の『戀愛』も、それこそ肉体関係を直ちに希求するような性的欲情を主とする心理状態という意味でとることが出来、それは実際に『戀』していなかったことの証左ではないという点にこそ着目すべきであろう。

……文に知られることのない……肉体関係のない……それをどこかで躊躇させるような女性……しかし龍之介が非常に強い恋情を抱いており……出来得るならば一緒に心中したいと思う女性……

しかもそれは平松のような――一緒に死んでくれるかも知れないと思わせるような多分に感傷的で同情的なか弱い印象の女性――ではないことは明白である。そんな女性は向こうから〈英語で〉『プラトニツク・スウイサイドですね。』とは私は決して言わないと断言出来る。

 以上が、この真の「彼女」の属性である。

 

 次に『彼女はかがやかしい顏をしてゐた』という叙述である。

 既に私が誰を「彼女」と同定しているかは大方の方はお気づきであろう。

 この『彼女はかがやかしい顏をしてゐた』という表現は直ちに、「或阿呆の一生」の別の一章を直ちに連想させる。

   *

 

      三十七 越 し 人

 

 彼は彼と才力(さいりよく)の上にも格鬪出來る女に遭遇した。が、「越し人(びと)」等の抒情詩を作り、僅かにこの危機を脱出した。それは何か木の幹に凍(こゞ)つた、かゞやかしい雪を落すやうに切ない心もちのするものだつた。

 

   風に舞ひたるすげ笠(がさ)の

   何かは道に落ちざらん

   わが名はいかで惜しむべき

   惜しむは君が名のみとよ。

 

   *

この『木の幹に凍つた、かゞやかしい雪』という表現である。この『かゞやかしい雪』のような『顏をしてゐ』る『彼と才力の上にも格鬪出來る』『彼女』とは、芥川龍之介が最後に胸掻き毟る恋をした相手――片山廣子――である。

 『彼女の體には指一つ觸れずにゐた』は廣子との関係に照らすと事実であると断言出来るし、その廣子が「死にたがつていらつしやるのですつてね。」と龍之介に語りかけるのも如何にも首肯出来、それに対して、龍之介が丁寧語で「えゝ。――いえ、死にたがつてゐるよりも生きることに飽きてゐるのです。」と微妙な抑鬱的感触という訂正まで加えて答えるというのも、『才力の上にも格鬪出來る』と彼が絶賛した相手ならではの答えとして相応しい。この答えは平松のみでなく、それ以外の数多龍之介の周辺に見え隠れする如何なる女性(にょしょう)に対する台詞としても似合わしくなく、ただ片山廣子への答えだったと考えた時にのみ、私には最も自然且つ相応しい台詞として「真」であると言い得るのである。

 「死にたがつていらつしやるのですつてね。」。

 この台詞は絶対に平松麻素子の台詞ではない。

 「ですつてね」は、そうした噂が広まって他者に知られてしまった後の伝聞に基づく「彼女」の台詞である。平松は既に述べた通り、龍之介の自殺願望を食い止めるために文に懇願されて彼の話し相手になったのであり、その彼女が文の手前からも、こんな火に油を注ぎかねない素(す)の台詞を安易に謂い掛けるというのは、それこそ却って不自然の極みなのである。

 『彼等はかう云ふ問答から一しよに死ぬことを約束した』。この地の文を、まずは芥川龍之介と片山廣子の二人だけの秘めた会話の冗談とスル―して取り敢えず進める(実際には冗談ではなかったことの考証は最後に述べる)。

 問題は次の会話である。

 

 「プラトニツク・スウイサイドですね。」

 「ダブル・プラトニツク・スウイサイド。」

 

この英語の会話は無論、素人にも解る英語ではある。解るが、しかし、この二つの台詞の英語は尋常な英語表現ではない(と私は思う)。意味がというより、検索をかけてもらっても解る通り、英語としての普通一般に用いられる表現ではないということである。当時の東京帝国大学英文科卒の流行作家芥川龍之介に対して、相手の女の方が「プラトニツク・スウイサイドですね。」という異様な水を向けて来ること、それに対して極めて奇異な造語の「ダブル・プラトニツク・スウイサイド」で龍之介が応えているという、このシチュエーションを実際に想起してみてもらいたい。

 この女性は当時の平均的な一般女性ではないことがよく分かる。

 彼女は英語に堪能であるからこそ、先にすかさず「プラトニツク・スウイサイドですね。」と語りかけたのであり、その謂いの背後にある彼女の才気の理解度を分かった上で、二重の、双方向性の、肉の臭いを全く持たない男女の自殺という、異常な英語「ダブル・プラトニツク・スウイサイド」で龍之介は応酬しているのである。これは危ないが故に素敵な智の遊びに他ならない。そうしてそうした遊びをし得る芥川龍之介の知人女性というのは、これ、片山廣子をおいて他にはない、のである。

 『彼は彼自身の落ち着いてゐるのを不思議に思はずにはゐられなかつた』のは何故か。これが二人の冗談だったから――では――ない。

 これは

――この「彼女」とは実際にそうした心中をすることはない

――この「彼女」はそんな心中をする女性では多分ないから

――あるとしても

――僕はしない

――僕は出来ない

――だからこそ

――僕はこの人を愛していられる

――愛したままで

――死ねる

と龍之介が思ったからこそ、彼は彼自身、存外落ち着いていられたのだと考えれば納得がいく。

 

 片山廣子の後年の随筆に「五月と六月」(松村みね子名義・芥川龍之介の死後二年目の昭和4(1929)年6月号の雑誌『若草』に掲載がある(この作品については私の芥川龍之介と絡めた詳細な論考『「片山廣子「五月と六月」を主題とした藪野唯至による七つの変奏曲』がある。未読の方は是非読まれたい。私の貧しいオリジナル論考の中ではかなりの自信作の一つではある)。この前半部「五月」のパートは誰が読んでも相手が芥川龍之介であることが明白である。その後半に附された「六月」に相当する部分を引く。

 

 圓覺寺の寺内に一つの廢寺がある。ある年、私はそこを借りて夏やすみをしたことがあつた。山をかこむ杉の木に霧がかゝり、蝙蝠が寺のらん間に巣くつて雨の晝まごそごそと音をさせることがあつた。

 震災で寺がまつたく倒れたと聞いて、翌年の六月、鎌倉のかへりに寄つて見た。門だけ殘つてゐた。松嶺院といふ古い札がそのまゝだつた。くづれた材木は片よせられ、樹々は以前のとほりで、梅がしげり白はちすが咲き、うしろの崖が寺ぜんたいに被さるやうに立つてゐた。その崖からうつぎの花がしだれ咲いて、すぐ崖の下に古い井戸があつた。

 深くてむかし汲みなやんだことを思ひ出して、そばに行つて覗いて見た。水があるかないか眞暗だつた。そこへ來て死ねば、人に見えずに死ねるなと思つた。空想がいろんな事を教へた。落葉のかさなりを踏んで立つてゐると、井戸べりの岩を蜥蜴がすつと走つて行つた。その時はじめて私は薄ぐもりの日光がすこし明るく自分と井戸の上にあるのに氣がついた。同時に死んだつて、生きてるのと同じやうにつまらない、と氣がついた。その時の私に、死は生と同じやうに平らで、きたなく、無駄に感じられた。そこいらの落葉や花びらと一緒に自分の體を蜥蜴のあそび場にするには、私はまだ少し體裁屋であつたのだらう。そのまゝ山を下りて來た。

 

「震災で寺がまつたく倒れたと聞いて、翌年の六月、鎌倉のかへりに寄つて見た」とあることから、これは大正十三(一九二四)年六月、廣子四十六歳のことであることが分かる。この頃、片山廣子は未だ芥川龍之介とは親密ではなかった。但し、全く知らなかった訳ではない。大正五(一九一六)年に芥川二十五歳の折り、「翡翠 片山廣子氏著」という廣子の歌集評を『新思潮』に掲載、彼女とは何度かの手紙のやりとりがあり、廣子が芥川家を訪問してもいる。その時、廣子、三十八歳。しかし、二人が男女を意識し、急速に接近したのは正にこの廣子円覚寺訪問の一ヵ月後、大正十三(一九二四)年七月のことであった。しかも本作自体は龍之介の自死後に書かれたものである。

 この『そこへ來て死ねば、人に見えずに死ねるなと思つた。空想がいろんな事を教へた。落葉のかさなりを踏んで立つてゐると、井戸べりの岩を蜥蜴がすつと走つて行つた。その時はじめて私は薄ぐもりの日光がすこし明るく自分と井戸の上にあるのに氣がついた。同時に死んだつて、生きてるのと同じやうにつまらない、と氣がついた。その時の私に、死は生と同じやうに平らで、きたなく、無駄に感じられた』という廣子の述懐は、廣子自身がこの時そう遠くない近過去に自殺を思ったことがあるということを示している(でなければ、昔の馴染みの円覚寺の古井戸を訪ねて覗いてそしてここなら「死ねるな」などとは人は思わぬ)。しかし時系列から言えば、これは前半の「五月」よりも遙か以前となり、「五月」の主人公が芥川龍之介であるならば、この話は何の関係もない、ということになってしまう。しかも本作の前半部とは一見、何の脈絡も持たせずに廣子は叙述しているのである。こんなおかしな話はない。

 実はこの「五月と六月」の「六月」の部分には、ある巧妙な仕掛けがなされているのではあるまいか?

 この廣子が自殺を思ったのは、実はこの井戸の覗いた後の出来事であり、それを井戸に附会させることで時間設定を遡らせ、前半の人物が芥川龍之介であることが読者に分からないようにした(芥川龍之介であるはずがないと物理的に思わせた)のではなかったか?

 とすれば――実は廣子が考えた自殺というのは、実は生前の芥川龍之介と交わしたことがある心中の約束であったのではなかったか?

 本作「五月と六月」の前半に覆面の相手芥川龍之介を登場させておいて、しかもそこにこの一見無関係に見える文章をさりげなく投げ込んだ廣子の隠蔽の意図は、そこでうっかり安心して自死を匂わせる叙述を挟んで龍之介への秘かな追悼としてしまった結果、逆に龍之介と彼女が以前秘かに自死を語り合ったことがあったのではなかったかという私の疑惑を深くさせる結果となったということなのである。

 最後に。「火あそび」ならぬ、私の「あそび」で筆を措くこととする。

「或阿呆の一生」の「四十七 火あそび」の台詞部分をシナリオ風に書き直してみよう。因みに、ト書きの「よろしく」というのは、一部のなまくらな脚本家が現場の監督や俳優にに当該部分の演出や演技を丸投げする際に用いる掟破りの業界用語である。

 

廣子 「死にたがっていらっしゃるのですってね。」

龍之介「ええ。――いえ、死にたがっているというよりも、生きることに飽きているのです。」

(二人、これに類した問答、よろしく。その中で、一緒に死ぬことを約束するシーン、よろしく)。

廣子 「プラトニック・スゥイサイドですね。」

龍之介「ダブル・プラトニック・スゥイサイド。」

(龍之介、こう答えた自身が如何にも平然として落ち着いて笑みさえ浮かべているのを不思議そうに感じている風。)…………

2014/04/04

やぶちゃんの片山廣子の「越し人」考

片山廣子のことを芥川龍之介は「越し人(びと)」と呼んでいる。

これについてはいろいろな解釈がなされているが、僕はそのどれにも納得出来ずにいる。

今日、ふと気がついた。

龍之介は専ら犀星との間で、軽井沢で知り合った初め、廣子のことを無口な女性という謂いをまず含めて(それ以上に鮮烈な才媛の典雅な香気を込めてと僕は初めに思うのであるが)、

クチナシ夫人

と符牒していることはよく知られている。

梔子夫人……

梔し夫人……

……さて……ウィキの「クチナシ」によれば……リンドウ目アカネ科サンタンカ亜科クチナシ連クチナシ Gardenia jasminoides……だが……

……中文版ウィキのクチナシをクリックしてみた……ここだ……

……別名を見た……

……その中に……

――越桃――

とある!………

梔子夫人……梔し夫人……梔しの人……越桃(くちな)しの人……越しの人……越し人…………

たかが僕の唯の妄想ではある…………

では……おやすみ……

2012/04/21

海豹 フイオナ・マクラオド 松村みね子訳 底本脱落部分二ページ分追加

本日(2012年4月21日)午後、僕の古いテクスト、

海豹   フイオナ・マクラオド 松村みね子訳

を見られた識者の方より、重大な消息がもたらされた。則ち、この「海豹」には大きな欠落が存在する、という事実である。
尚且つ、それは底本自体の原本からの欠落、ページにして二ページに及ぶとんでもない欠落、という驚天動地の事実なのであった。
 その方のお話によれば、これは大正十四(一九〇三)年第一書房刊行の元本(もとぼん)から、何と見開き二ページ分が丸々欠落している、というのである。則ち、それを親本とした沖積舎による復刊本が、復刊の際にその二頁分を完全に欠落させて復刊してしまい、更にそれを底本にした、私が底本にした筑摩書房2005年刊ちくま文庫版も、元本との校合もせずに、恐るべき同じ誤りをまたしても引き継いでしまった、というのである。その方は『たまたま文章がつながってしまったため、見過ごされてしまったのでしょう。単純な編集ミスと思われます』とお伝え下さったが、私は読みながら大きなショックを受けた。それは誤った編集者に対して、ではなく、それに気づかずに誤ったテクストを流してきた私に対してであった。少なくとも、私はそれに気づくべき責任の一端を担っていたはずだ、と思うのである。その違和感に気づかなかったということへの、内心忸怩たる思いが生じた。
 マクラウドへ、というより――私は松村みね子――片山廣子への深い陳謝の意を込めて、今夜、その補正を行った。
 実はその指摘をして下さった方が、同じ中で、その元本が「国立国会図書館 近代デジタルライブラリー」にあることを、その脱落当該データのページ数まで示してお教え下さったため、急遽、データのダウンロードと補正を行うことが出来たのである。元本は正字正仮名であったが、本テクストに合わせて新字新仮名に直し、そのまま該当箇所に挿入した。底本編集者のミスであり、特に本文ではその箇所を指示していないが、具体的には「海豹」の冒頭から五段落目の、
 僧房の入口で彼は振りむいて、兄弟たちに内に入れと命じた「平和なんじらと共にあれ」
の鍵括弧直下に続く部分から、コラムの台詞、
「あをたは誰か」
の前行までの部分である。
 恐るべき――何十年にも及ぶ――二ページ分もの脱落――何十年もの間、誰一人、それに気づかず、いや、気づいてもそれを誰も指摘せず、誰も直さなかった――勿論、その最大の現存在の犯罪者は、今、こうしてのうのうとそれを公表して平気でいた、この私自身に他ならなかったのである――
 私はそれでも、こうして自らの犯罪行為(私にとっては結果として許すべからざる行為なのである――愛する片山廣子に対しての――である)を是正することが出来たのであった。
 ここをかりて、お便りを下さった方へ、心よりの御礼申し上げるものである。

      藪野直史

2011/12/21

酒詰仲男先生の卒業論文がJ.M.シング“Riders to the Sea”であったという僕の驚き

僕の父の考古学の師であった酒詰仲男先生は、実は同志社大学英文科卒である。それは先生の土岐仲男名義の詩集「人」にも示した通り、知っていたが、今回、先生の御子息で甲南女子大学のフランス文学教授であられる酒詰治男先生から父に贈られた資料を借りて読み、不思議の感に打たれたことがいくつかある。

先生は特高の拷問を受けて前歯を4本折られたのであるが、その容疑が、かの右翼に刺殺された生物学者山本宣治の一グループと疑われたためであったこと、それで開成中学校英語教諭の職を解かれたこと、その後に考古学への道を歩まれた際に、國學院大學文学部史学科の学生たちと交流を持って発掘調査に従事したこと(僕は國學院大學文学部文学科卒である)など、興味深く読んだのであるが、特に酒詰仲男先生の英文科の卒業論文がJ.M.シングの“Riders to the Sea”(「海に騎り行く者たち」)であったという酒詰治男先生の文章を読んで、正直、吃驚したのである。

僕はアイルランドの作家シングが大好きである。搦め手からのアプローチではあるが、既に芥川龍之介の愛した『越し人』片山廣子訳のシングの「聖者の泉」、芥川龍之介の著作中、レア物である「シング紹介」もテクスト化している(どちらも、ネット上でのテクスト化は僕が最初のはずである)。廣子は後にシングの戯曲全集の翻訳群があり、勿論、この“Riders to the Sea”も「海に行く騎者(のりて)」として納められている。因みに芥川龍之介の生涯の畏友恒藤恭(当時の姓は井川で、京都大学法学部へ進学していた)は、芥川の勧めで第三次「新思潮」に載せるために正にこのシングの“Riders to the Sea”を「海への騎者」 として翻訳してもいるのである。

――父の遠い昔の師酒詰仲男先生が二重螺旋のように僕に繋がっておられるような気がして、正に不可思議な感に強く打たれた――

2011/09/23

辺見じゅんさん追悼 / 御遺族の方へ

辺見じゅんさんが21日に亡くなったことを、今、知った。この数年、僕の中では因縁のある方だった。芥川龍之介と片山廣子――そして、山本幡男――心より御冥福を御祈り致します。

直に会って龍之介と廣子そして山本幡男のこと、お聴きしたかった――

そして――

御遺族の方へ。お悲しみの中、誠にぶしつけなお願いです――

――どうかじゅんさんが所蔵しておられたはずの芥川龍之介宛片山廣子書簡総てを、近代文学館に必ずや、寄贈されんことを望みます。これがまた、かつてそうであったように(吉田精一氏から辺見さんへと流れ流れたように)個人に、況やコレクター・好事家の手に渡ってしまえば、ますますあの書簡は散佚し、ますます芥川龍之介と片山廣子の純愛は妄想の彼方へと醜く歪曲されてしまうに違いないからです。この瞬間だけが、それを阻止出来る、そして、正しい二人の純愛を我々が知り得る、最後の機会と、私は信じているのです――どうか

未公開片山廣子芥川龍之介宛書簡(計6通7種)やぶちゃん不完全復元版

をご覧下さい。 

2011/07/27

日盛 室生犀星

屋根瓦こけにうもれつ日の盛り   犀星

               追分

この句は龍之介と廣子との恋への確信犯の密やかなオードにして追悼である。

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