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カテゴリー「芥川龍之介「上海游記」」の47件の記事

2012/11/07

芥川龍之介「江南游記」にて宿泊せる西湖の新新旅館や西湖の写真(教え子T.S.君撮影)/新発見の「上海游記」鄭孝胥自邸玄関前鄭・芥川スナップ写真等追加

芥川龍之介「江南游記」の「三 杭州の一夜(上)」の「新新旅館」注に、教え子のT.S.君撮って呉れた写真と彼の解説他を挿入、「上海游記」の「十三 鄭孝胥氏」の注に鄭孝胥自邸玄関前での鄭・芥川らのスナップ写真を追加した。

2012/07/30

芥川龍之介 上海游記 T.S.君上海追跡録 新情報追加

教え子T.S.君の上海追跡録の新情報を芥川龍之介「上海游記」の「三 第一瞥(中)」のトーマス・ジョーンズ注、及び「十九 日本人」の「同文書院」、及び終章「二十一 最後の一瞥」に追加した。旧日清埠頭や旧日本領事館の同定など、夜の上海を去ってゆく芥川龍之介の面影が多くのT.S.君の写真で髣髴としてくる。そして炎天下、私の愛する芥川龍之介の盟友トーマス・ジョーンズの墓を求めて奉公するT.S.君――私はまっこと、君のような教え子を持って果報者である――



本未明より、上記の作業に入り、今朝、アップしたところ、HPの契約容量である300MBを超えてしまった。大画像ファイルを縮小するなどして、ここは乗り切るが、そろそろ1GBへの変更を思案せねばならぬようだ。

2012/07/20

【二〇一二年T.S.君上海追跡録 第二】 上海游記 芥川龍之介 附やぶちゃん注釈 十三 鄭孝胥氏 及び 十八 李人傑氏 注追加

私の教え子の手になる【二〇一二年T.S.君上海追跡録 第二】を「上海游記 芥川龍之介 附やぶちゃん注釈」の「十三 鄭孝胥氏」及び「十八 李人傑氏」に追加した。是非、御覧あれ。

あまりの寒さに1時半に目が覚めた。4時間程かけて上記作業を終了、眠くなってきた……お休み……

2012/07/14

芥川龍之介「上海游記」の「東和洋行」についての新事実

芥川龍之介「上海游記」の「東和洋行」の注に以下を追加した。



【①の写真及び「東和洋行」についての新事実――二〇一二年七月十三日に配達されたT.S.君の手紙より】
結論から言うと、
――芥川龍之介が最初に立ち寄ったのは「東和洋行」で間違いなかったこと
――「東和洋行」は上海最初の本格的日本旅館であったこと
――写真①に写っている「河濱縁賓館」というホテルは「東和洋行」ではないということ
の三点が今回のT.S.君からもたらされた新事実である。
彼は、私に中国で出版された陳祖恩氏の「上海の日本文化地図」(中国地図出版社・邦訳版)という二〇一〇年に出版された本のコピーを送って呉れた。そこには、「東和洋行」の昔の写真が二枚掲載されている。それと先に紹介した木之内誠氏著になる「上海歴史ガイドマップ」を引き比べつつ、T.S.君が更に推理したものである。
   《引用開始》
東和洋行に関して考えたこと
 そもそも芥川龍之介はここに宿泊しなかったので、私にはそれほど強い思い入れがあるわけではありません。しかし写真にある東和洋行の建物は、私がカメラに収めた建物とは別物です。少々悔しいので、次のような推測をしました。
 「上海の日本文化地図」には「東和洋行は後に北四川路に移転した」とあります。これが前にコピーをお送りした「上海歴史ガイドマップ」上の東和ホテルではないでしょうか。そうだとすれは、「上海歴史ガイドマップ」上の記載がやや分かりにくいのですが、一応一九二九年の移転だと推測されます。私が別に所有している上海の歴史写真集には、一九三四年と注記されたこの辺りの風景写真が掲載されています。そこにはもう東和洋行は見えません。そして私が今回撮影したのと同一と思われる建物が映っています。のっぺらぼうで捉え所がなくて即物的で、私は全く好きになれませんが、これが「上海歴史ガイドマップ」上のエンバンクメントハウス、今の河浜大楼でしょう(同書上では一九三五年という注がありますが、写真集が撮影年を間違えているのかもしれません)。
 彼の来訪時、東和洋行は確かに河南北路×北蘇州路にありました。そして、「上海の日本文化地図」所収の写真の建物はまさに彼が立ち寄ったものです。旅館広告の建物写真の横に「蘇州河に臨み」と出ていますから、間違いありません。
 なお、写真は交差点の角のようには見えません。建物前の通りの名は何でしょうか。写真中央の正面玄関はどちらの方角に面していたのでしょうか。推測ですが、通りは北蘇州路、正面玄関は南向きで蘇州河に面していたと思います。つまり東和洋行は河南北路×北蘇州路の角から北蘇州路を僅かに東へずれたところにあったということです。なぜなら、広告写真は、路上に射している陽光と木の蔭の具合から、やや逆光気味に見えます。もし河南北路に面しているとしたら、北方から陽が射しているというおかしなことになってしまうからです。
   《引用終了》
この写真の分析の妙味には舌を巻いた。私が彼を和製T.S.ホームズと呼ぶ理由がお分かり頂けるものと思う。

2012/07/06

【二〇一二年T.S.君上海追跡録】 上海游記 芥川龍之介 附やぶちゃん注釈 多量追加

私の教え子が芥川龍之介の「上海游記」とそこに附した私の注を読みながら、上海の芥川龍之介の現在を追跡して呉れた手記と写真【二〇一二年T.S.君上海追跡録】「上海游記 芥川龍之介 附やぶちゃん注釈」に多量に追加した。是非、御覧あれ。

パソコンは……辛うじて、未だ生きていた……先日、このシャーロック・ホームズばりの教え子の渾身の追跡を手にして以来、ずっと……これを『一部なりとも後代に傳へないでは、死んでも死に切れないのだ』(中島敦「山月記」)と感じていた……まずは、ほっとした――

ありがとう! トモキ君! ユキエさん!――

2012/07/01

教え子による芥川龍之介「上海游記」追跡

上海在住の教え子による、

芥川龍之介「上海游記」追跡

が僕の手元にメールで舞い込んだ。芥川龍之介の「上海游記」に現れた上海での行動を追って(リンク先は私の全注釈テクスト)、現代の上海にシャーロック・ホームズが立ち現われ、鮮やかに龍之介の影を撮って、彼の立った、彼の居た、彼の寝た所を同定してゆく。推理綿密、写真満載、心底鳥肌、ぞわぞわ戦慄感銘した!――

まずは、ちょっとだけよ♡――

Satomi
――芥川龍之介は上海上陸早々、湿性肋膜炎のために現地の里見病院に入院するが、上の写真はその現在も残る旧里見病院の建物内の、ある一室を撮影したものである――


2010/02/07

芥川龍之介「上海游記」の「二十 徐家匯」の「十字聖架萬世瞻依」注訂正写真追加

芥川龍之介「上海游記」の「二十 徐家※」[「※」は「匯」の「氵」を(くがまえ)の左に(さんずい)として出す字体。]の明代末の暦数学者にしてキリスト教徒であった徐光啓の墓の十字架に書かれた銘「十字聖架萬世瞻依」についての注で、僕は、

「十字の聖架、萬世(ばんせい)瞻依(せんい)す」
と読んで、
「この聖なる十字架を永遠に仰ぎ尊ぶものなり」
の意味であろう。

とした後、

この「依」は「仰」の誤植か芥川の見誤りではあるまいかと感じている。「瞻仰」(せんぎよう)なら「仰ぎ見る・仰ぎ慕う」という熟語として一般的であるし、「仰」の字と「依」の字はよく似ているからである。この十字架は未だにあるのだろうか? 実見されたことのある方の御教授を乞うものである。

としていたのだが、この私の推測が誤りであることが判明した。その経緯と共に以下のように注を追加補正(誤りはそのまま示して自戒とした)した。

数日前、私の本テクスト注をお読みになられた上海在住の未知の方(以降F様と呼称させて頂く)から、以下のようなメールを頂戴した(御本人の許諾を得て、以下に一部を引用させて頂く。一部改行を追加・省略させて戴いた)。

   ≪引用開始≫

偶然貴方の文章に接する機会があり、その中で下記の文章への疑問を述べられておられましたので散歩がてら調べて参りました。

十字聖架萬世瞻依

の『依』が『仰』ではないかの疑問ですが正しくは以下の通りです。

十字聖架百世瞻依

です。違っていたのは『依』ではなく、『萬』が『百』でした。

『瞻依』は『敬い慕う』の意味で使われたと思われます。この公園は、周囲を散歩する人や、お年寄りの朝夕の太極拳や中国将棋などに利用されております。マテオ・リッチの銅像などもありますがそれらに興味を惹かれる人は少ないようです。以前は徐光啓記念館は入場が有料でしたが今年から万博に併せてか無料になりました。休日の閑消には最適です。

   ≪引用終了≫

まず私は先の注では、迂闊にも辞書を引かずに思い付きで書いていた。確かに、「瞻依」(せんい)という「仰ぎ見て、尊び頼る」の意の、即ち「瞻仰」とほぼ同義の熟語があった。

而して瓢箪からコマで、芥川龍之介が「百」を「萬」と誤っていた事実が判明した。私が誤った誤字推測をしたことから、F様が逆に別な誤字を発見されるに到り、結果としてこの注をより正確なものに止揚することが出来た。

加えて、F様は更に、徐光啓記念館に出向かれ、現在の様子を撮影して下さり、写真を送って下さった。そこには芥川龍之介が眺めた、この「天主堂の尖塔」「十字架」もある。御好意でその総てを芥川龍之介「上海游記」本ページの方に掲載させて戴いた(写真の著作権は総てF様にあるので無断転載・加工一切を禁じる)。写真は、

①現在の徐光啓記念館の入口の石門上の墓誌名。芥川龍之介が記している「煉瓦の臺座」にあったとする「墓誌名」と比較されたい。あれに更に皇帝の顧問役「光祿大夫」が附いている。

②「十字聖架百世瞻依」の十字架。この写真をフレーム・アウト、背後の建物を消去、背景は一面の麦畑、5月、十字架下に芥川龍之介と3人をあなたがシャッターを押す――「不自然なる數秒の沈默」――。

③現在の徐光啓の墓。日本の古墳のような感じとF様のメールにある。独特の形状であり、かくあったならば芥川一行の目に触れなかったとは(更に、随行した現地の他の日本人が知らなかったとは考え難い。しかし、「墓は別にあつたのでせうか?」と芥川らしき「甲」が訊ね、それに「乙」が「さあ、さうかと思ひますが、――」という甚だ心もとない返事をしているところをみると、この墳墓は当時、崩れていて、麦畑の一角でしかなかったのかも知れない(写真中に人物が写っているがF様とは無関係な方である)。

④徐光啓記念館徐光啓胸像。

⑤徐光啓記念館内庭園にある、徐光啓がマテオ・リッチから「幾何学原論」の教授を受けるの像。新しいものであろうが、教えを受ける論理的な内容に比して、二人の妙に優しい視線の交差が何ともよい。

の5葉である。是非、写真を芥川龍之介「上海游記」ページで御覧あれ。

そして、

何よりこのような御教授を下さり、そのための御写真まで撮って送って下さったF様に、心より感謝御礼申し上げます。

2009/08/30

芥川龍之介中国土産浴衣

芥川龍之介が中国で買い求めた浴衣である……

 

Siyukata

 

――そうして この浴衣……

――この浴衣を着て 彼は自死したのであった――

芥川龍之介 中国旅行関連書簡群(全53通) 附やぶちゃん注釈

夏の終わりに。あなたに送る。

芥川龍之介『支那游記』参考資料として、「芥川龍之介中国旅行関連書簡群(全53通) 附やぶちゃん注釈」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。

2009/08/29

書簡に注を附すのはなかなか大変である

ということが分かった今日この頃である――

やっと芥川龍之介が北京に到着した。全53通(新全集の新資料により3通を追加した)の内、残すところ注釈十通余り。

当たり前のことながら、差出人と受取人が分かれば済むために、第三者である我々が読むと、そこら中で躓くこととなる。どうも作家や思想家の書簡を読むというのは、多分に窃視的で私は好まないのだが、それ以上に読解し難いという事実を再認識した。今暫く、御猶予あれ。

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